◆ おともだちの霧さんが、昭和17年発行、定価1円80銭の古本を買った、というハナシを書いている。 ◇ 〔・・・〕 表紙を開くと、「I.Nonaka Jan.4.1943.」 の筆記体の万年筆文字。誰かがその文字を消しゴムで消そうとした跡まではっきり残っていた。内表紙には 「野中蔵書」 の角印と丸印、奥付の前のページには 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」 の鉛筆文字。今となっては、何を表す数字か知りようもない。 ◆ 「2603,1gt 10 2605,9gt 29」という数字、いささか暗号めいてはいるけれど、ある年代以上の方には、なじみのある数字であるかもしれない。「gt」は「月(GaTu)」だろう。もっとも、こんな表記をするのは、少数のインテリぐらいだったろうが。皇紀2603年1月10日~皇紀2605年9月29日。元号にすれば、昭和18年1月10日~昭和20年9月29日。読了はすでに終戦後。 ◇ そういう人たちの中で、1940年生まれの方が二人いた。その一人、Kさんの近況報告の中で、「私は皇紀2600年生まれです」と言われた。神武天皇が生まれた時を元年とする数え方だということはすぐ分かったが、恥ずかしながら、“皇紀○○年”という言い方を知らなかった。 ◇ 皇紀二千六百年(昭和15年)に開催が予定されていたオリンピックは、日中戦争の影響で中止になり、「幻の東京オリンピック」と言われた。私が生まれたのはこの年で、就学は敗戦の翌々年だった。だから戦前、歴史の教科書に使われた「皇紀」の年号には全く馴染みはない。しかし偶々皇紀2600年の節目の年に生まれたという事だけは強く記憶に残り、少々気になる追憶になっている。 ◇ 「皇紀二千六百年、聖戦四年目、八紘一宇の有難き国家に生まれし事を喜び、且つ長男なるにより真中の二字をとり男の呼名郎を付け紘一郎と名付く」。 ◆ 直前の引用は建築家・兼松紘一郎さんのブログ《日々・from an architect》から。「生きること」というカテゴリーに収められた一連の文章は、これをタダで読んでしまっていいのかと思わせるくらい、読みごたえがあった。ぜひ一読を。 ◇ 神社には、皇紀2600年と彫られた石造物がよくある。皇紀というのは神武天皇が即位したとされる年を起点に数えるもので、皇紀2600年は昭和15(1940)年にあたる。太平洋戦争が勃発する直前ということもあり、国威発揚ムードと相まって、狛犬、灯籠、鳥居などが数多く新設された。 |
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