MEMORANDUM

  時計の針がすれ違う

◆ ラジオでコブクロの「時の足音」という歌を聞いた。評判もいいらしい。

◇ とてもいい曲です。曲の歌詞がすごくよくて(;;) 『短い針が君なら、長い針は僕で』ってフレーズが好きです。この曲は、2人のめざす未来は一緒で、すれ違いながらも一緒に時を刻んでいるってのが素敵。
〔出典省略〕

◇ 「短い針が止まれば~」のあたり大好きv「何度もすれ違い~」とかも上手い言葉選びかと。意味が深い曲だと思います。
〔出典省略〕

◆ こんな歌詞。

♪ 短い針が君なら 長い針が僕で
  同じ時間を刻みながら 何度もすれ違い また出逢い
  歩く歩幅は違っても 描く未来が同じなら
  大丈夫 また同じ場所から 始められるから

  コブクロ「時の足音」(作詞:小渕健太郎・黒田俊介)

◆ 本人の弁。

◇ 僕等は、168cmと193cmという身長差で覚えてもらう事が多く、まるで時計の短針と長針みたいだなって、いつも想っていました。出逢ってから10年間、同じ時を同じタイミングで刻んで来た証を歌にしようとしたとき、時計の針はまさにそのものだなと感じました。長さも、回るスピードも違うけれど、同じ真ん中を持った、2つの存在。重なり合い、時にすれ違い、それでもまた同じ場所に帰ってくる。
music.goo.ne.jp/special/kobukuro_081029/index.html

◆ 短針と長針の比喩はわからないではないが、「何度もすれ違い」という箇所が気にかかる。時計の針がすれ違うことなど、はたしてあるのだろうか? 長針と短針が重なり合うことはある。ワタシもたしかに何度も見たことがある。けれど、これら時計の針がすれ違っているところは一度も見たことがない。ワタシの時計が特殊なのだろうか? ひょっとして、他人の時計の針は、短針と長針が逆回りで動いているのだろうか? それとも、同じ方向に進行していても、時計にかぎっては、「追い越す」というコトバの代わりに「すれ違う」というコトバを使うことが一般化しているのだろうか?

◇ 【擦れ違う】 触れ合うほど近くを反対方向に通りすぎる。
小学館『大辞泉』

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COMMENTS (1)

yaeboo - 2009/03/05 23:29

久々にパソコン開けたら、エロメールや迷惑メールやら必要ないのがイッパイ。
久々にお邪魔します。

「長い針が僕なら〜」と続くサビの部分。
私も彼氏彼女のことかなと思ってました。
何度も何度もすれ違い傷つきながらも愛を育んでいくのかぁと。

ドラマじゃあるまいし、現実はすれ違い傷ついたら普通離れるよ。
離れなくても色々訳あって離れられなくてもどこか疑ってて、不信感を持ってしまうもんだよ。と、
勝手にすれた私はブツブツ。

でも、コブクロ自身のことだったんですね。

それで改めて歌詞を読んでみたんです。

すっごくバカみたいなんですけど、
「泣いたあかおに」の本のクライマックスに赤おにさん宛に青おにさんが書いた友情熱い手紙の方が私的には全然感動します!

私は他人(友人)を守るために、ここまでできるかしら?
とか
私にはここまで守りたい!と思う他人(友人)がいるかしら?
いや、いないかも・・・
と読む度にグッと来て、胸が熱くなって、目頭がちょっとうるうるして、こんなスレた私でいいのかしらと考えさせられるんです。

是非、一度時間があったら読んでください。

ではでは

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