MEMORANDUM

  馬車と汽車

◆ 馬車に似ているコトバに汽車がある。汽車に似た意味のコトバに蒸気機関車があるが、汽車と蒸気機関車は同じではない。ふつうのひとは汽車には乗れるが、蒸気機関車には乗れない。乗れるのは機関士と機関助手だけだ。

♪ 僕等をのせて シュッポ シュッポ シュッポッポ
「汽車ポッポ」(作詞:富原薫、作曲:草川信)

◆ 馬車も、ふつうのひとが乗るのは馬車であって、馬車馬ではない。馬車の「機関士」である御者も、馬車馬ではなくて馬車(の前部)に乗る。そういうものだと思っていたら、御者が馬車馬に乗ることもあるらしい。

〔Wikipedia:キャリッジ〕 英国やフランスのコーチ〔大型4輪馬車〕には、コーチボックスという前方の高いところに置かれた御者台にコーチマンとよばれる御者が座って運転した。スペインでは御者は車両側に乗らず古くから変わらずに引き馬の中の一匹に乗り馬を御していた。1939年にカナダでおこなわれたパレードの画像でこの様子が見ることができる。
ja.wikipedia.org/wiki/キャリッジ

◆ 汽車にハナシを戻すと、

〔読売新聞:編集手帳(2010年8月23日)〕 松田聖子さんが歌った1982年のヒット曲『赤いスイートピー』は若い男たちに少なからぬショックを与えた。<春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ>。作詞家・松本隆さんが描いた女性は彼氏にそう願い「デートの定番はクルマ」という若者神話をさりげなく否定してみせたからだ。
www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20100822-OYT1T00749.htm

◆ 松田聖子は「トナカイの馬車」にも乗るが、「春色の汽車」にも乗る。1982年といえば、ワタシも若い男だったはずだが、ショックを受けた記憶はない。当時はまだ免許を持っていなかったから、まだ「若い男」でさえなかったのかもしれない。「赤いスイートピー」の作詞は↑にあるように松本隆だが、作曲は「呉田軽穂」で、これは松任谷由実のペンネーム。ユーミンといえば、「中央フリーウェイ」が好例だと思うが、「デートの定番はクルマ」という若者の思考(嗜好・指向)の定着に貢献した側の人間で、「汽車」とは縁遠い感じがする。

◆ 逆に、汽車が似つかわしいのが、中島みゆきで、たとえば「ホームにて」がよく知られているだろう。

♪ 振り向けば 空色の汽車は
  いま ドアが閉まりかけて
  灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う

  中島みゆき「ホームにて」(作詞・作曲:中島みゆき)

◆ あるいは、「ヘッドライト テールライト」はどうか?

♪ ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
  中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」(作詞・作曲:中島みゆき)

◆ 歌詞に「汽車」の文字はないが、これはまちがいなく夜汽車のイメージだろう(根拠はない)。

〔Yahoo!知恵袋〕 「♪旅はまだ終わらない」ってくらいですから、夜行列車のイメージなんでしょうね。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1047870800

◇ 最初この歌詞を読んだとき、レールを「自分の人生」に、列車を「今生きている自分」に例えているのだと考えました。ところが、コンサートの時、この歌を歌う前に、中島みゆきさんが言った言葉は、違ったものでした。レールを「人類のあゆみ」に、列車を「今生きている我々」に。
nako.cocolog-nifty.com/nakolog/2003/12/_5152no_.html

◆ ところが、信じられないことに、この歌詞から車をイメージするひともいる。

◇ 普通の人には、「ヘッドライト・テールライト旅はまだ終わらない」という一文をつくることはできない。いままで車のヘッドライトあるいはテールライトをテーマに歌をつくった人はいない。
blog.livedoor.jp/wordsworthworld/archives/1318426.html

◇ 最近になってふと思いついたのが、「夜の道を、車が行きかうのを眺めてるイメージなんじゃないか」ってこと。最初に見えるのは、ヘッドライト。遠くのほうから近づいてくるけど、どんどん追いついてきて、最後には抜かれて。そしてテールライトが見えて。その車を見送って。暗闇のなかに潜ってしまう。ぼくはその情景から、ライバルにどんどん先に行かれるような、虚しさ、時間が過ぎていくことの残酷さを感じる。それでも、夢を追って、足跡が残らなくったって、誰も見守ってくれなくても、歩き続けて、ただひたすら歩き続けて、そんな姿に心が打たれる。
blog.goo.ne.jp/kegrn/e/34ec59628583cdbef890e75a3d07375a

◆ そうして、信じられないことに、ワタシもつい昨日まで「信じられない」ひとのひとりであったのだった。このハナシを書く前に、ふとこの歌を思い出して、あれっ、もしかして、あれは夜汽車のイメージだったのかも、ということに、ふと気がついた(そういうこともあるのだ)。ワタシが思い描いていたイメージは、高速道路をまたぐ橋の上から眺める、上り下りと行き交う自動車の無数のライト。流れ行く前と後の無数のライト。

◆ 馬車のあるものは汽車へと進化し、またあるものは自動車へと進化したのだろう。どちらが馬車の正統な後継者だろうか? ひまなときに、そんなことを考えてみるのもおもしろいかもしれない。

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