◆ 井上陽水に(小椋佳に、と言ってもいいが)、「白い一日」 という曲がある。
♪ ある日 踏切の向こうに君がいて
通り過ぎる 汽車を待つ
遮断機が上がり ふり向いた君は
もう大人の顔をしてるだろう
井上陽水 「白い一日」(作詞:小椋佳/作曲:井上陽水)
◆ このあたりの歌詞がなんともいい。と思っていたが、いま読み直してみると、ちょっと変な気もする。踏み切りで列車の通過を待っているこの 「君」 は、そもそもどちらに顔を向けていたのだろうか? ふつうは踏み切りの方を向いて立っているものだと思うのだが、そうすると、遮断機が上がって 「君」 が振り向くとすれば、当然その方向は踏み切りの後ろ側ということになって、踏み切りの反対側にいる 「僕」 からは顔を逸らすことにならないだろうか? あるいは、夢のハナシで、この 「君」 には顔の後ろにもうひとつの 「顔」 があったりしたのだろうか? それとも、列車が通過する前には 「君」 とは踏み切りの反対側にいたはずの 「僕」 が、遮断機が上がったときには、なぜだか 「君」 の背後に瞬間移動していて、振り向いた 「君」 の顔を見たのだろうか? あるいは、列車の通過を待つあいだ、なぜだか 「君」 は踏み切りを背にして立っていて(そんなひとがいるだろうか?)、遮断機が上がって踏み切りの方に振り向いたのだろうか? そんなつまらないことを考えて、「今日も一日が過ぎてゆく」 のだった。と、そんなことを書きたいのではなかった。でも、書きたいこともこれと似たようなもので、
♪ まっ白な 陶磁器を
ながめては 飽きもせず
かと言って 触れもせず
そんなふうに 君のまわりで
僕の一日が 過ぎてゆく
◆ これは 「白い一日」 の冒頭部分だが、このなかの 「陶磁器」 というコトバが以前から気になってしようがない。「僕」が眺めているのは複数の陶磁器なのだろうか? そうではないだろう。「まっ白な陶磁器」=「君」 というふうに読めるから、おそらく陶磁器はひとつしかない。だとすれば、その陶磁器は陶器なのか磁器なのか? はっきりしてほしい。それが気になる。
◇ 陶磁器(とうじき)は、土を練り固め焼いて作ったものの総称。
ja.wikipedia.org/wiki/陶磁器
◆ 「総称」 だといえば 「総称」 かもしれないが、「総称」 であるにしても、形態としては、陶磁器というのは陶器と磁器を合成しただけの不完全な 「総称」 であると思う。似たような語に、国公立大学とか欧米人とか動植物とか。
・私は国公立大学の3年生です。
・私は欧米人です。
・イチョウは動植物です。
どれも間違いではない。けれど、どれも気に入らない。
・陶器は陶磁器です。磁器も陶磁器です。
この文章はおかしく思えないだろうか?
◆ そもそも陶器と磁器ではそのイメージが全然違うと思うのだが、どうなのだろう?
◇ 陶磁器という言葉を知ったのも、かなり大きくなってからだ。小椋佳の 「白い一日」 あたりではないだろうか。
♪ 真っ白な 陶磁器を 眺めては あきもせず ・・・
陶器と磁器が違うものだと知ったのは、更にあとのことで、既に20歳代後半だったと思う。陶器と磁器の違いを聞かれたら、すぐに答えられるだろうか。
www.edita.jp/ehagakiml/one/ehagakiml793317.html
◆ 陶器と磁器の区別がつかなければ、陶磁器というコトバにたいする違和感も少ないだろう。
◇ 私たちは一口に陶磁器と言うが、実は、陶器と磁器は異なるものである。陶器とは、陶土を轆轤で造形し、低い温度で焼成したもので、吸水性があり、温もりを感じされる。他方、磁器は、磁土を轆轤で薄く造形し、高い温度で焼いたもので、ガラス化した表面は吸水性がなく、輝いている。
www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200407/zhuanwen54.htm
◆ まあ、違うにしても、たいした違いではないというひともいるのかもしれないが・・・。
◇ 有田焼は、真っ白な陶磁器でツルツルとした質感がとても上品です。
www.ysk-1.com/syokki.html
◆ 有田焼は磁器に分類されるということを知らなければ、このように書いても不思議はない。そもそも、真っ白なヤキモノはたいていが磁器だ(もちろん、白い釉薬をかければ陶器でも白くなるが)。
◇ 磁器を、わかりやすくひと言で言うと、「白くて硬くて、しかも透明性のあるやきもの」 ということになる。
www.koransha.co.jp/umi/1-3.htm
◆ プランナー兼陶芸家の林寧彦(やすひこ)さんという方が、FMラジオでこんなハナシをしたらしい。
◇ 思いついて、小椋 桂〔ママ〕の歌、「白い一日」 の話をした。
「真っ白な陶磁器を ながめてはあきもせず・・・」
「陶磁器」 というのは陶器と磁器の総称だから、ひとつの焼きものを指して、「これは陶磁器だ」 というのはおかしい。したがって、眺めている焼きものはふたつ以上なければいけない。
「かといってふれもせず そんな風に君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく・・・」
そうすると、「君」 というのは一人ではないわけで、主人公は気の多い男ということになってしまう。でも、「真っ白な磁器を」 では確かに歌いにくい。そんな話をした。
www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/toujirou/tou7/tou7.htm
◆ というわけで、歌詞が 「まっ白な陶磁器」 ではなく、「まっ白な焼き物」 とか 「まっ白な瀬戸物」 なら、気にならなかっただろうと思う。でも、それでは歌詞にならなかっただろうとも思う。そんなことなら、いっそのこと、「まっ白なトウジキ」 を 「まっ白なソウジキ」 にしてしまって・・・
◇ そう言えば、『白い一日』 はあの武田鉄矢も大好きな曲らしい。彼は 「陶磁器」 を 「掃除機」 と長い間、聞き間違えていたらしく、さすが小椋佳さんともなれば、掃除機を一日中見つめ続けても飽きもせず、それを詩にまで歌い上げることができるんだ、と思いこんでいたらしい。「真っ白な掃除機を眺めては飽きもせず…」 が武田鉄矢風 『白い一日』。そんなバカな…。
ashida.sakura.ne.jp/blog/2006/03/post_133.html
◇ ・・ここまではわりと有名な話だと思うけれど、これを聞いた我らが中島みゆきサン・・ 深夜放送で、真っ白な陶磁器はトイレの便器で、これは2日酔いで一日中トイレから出られない状態を歌っている曲なのだという説を大展開(深夜に大爆笑・・名曲のイメージが・・・)
d.hatena.ne.jp/sakichin/20051205
◆ 「まっ白な陶磁器」 に適当な写真が見あたらなかったので、とりあえず便所の小便器。♪まっ白な小便器を~ こりゃ失礼!