MEMORANDUM
2010年11月


◆ ミズキという木がある。

◇ 枝をきると水が出るのでこの名があります。冬の枝は赤く色づき、ダンゴ木といって正月のモチかざりにします。あれ地にまっさきに生えます。(ミズキ科)

◆ 水木というひとがいる。たとえば、『ゲゲゲの女房』の夫の水木しげる。これはペンネーム。

〔Wikipedia:水木しげる〕 ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。〔中略〕 募金旅行の途中で立ち寄った神戸市兵庫区水木通のアパートで家主に持ちかけられた話に乗り、借金の肩代わりを条件にこのアパート「水木荘」を譲り受け、貸家経営を始める。アパートの住人に紙芝居作家がいたことから、紙芝居の語り手として名人だった鈴木勝丸の阪神画報社に所属し、また加太こうじを紹介され、紙芝居作家として作品を描く。ペンネームの「水木しげる」は、鈴木が本名を覚えてくれず、いつまで経っても「水木さん」「水木さん」と自身を呼ぶため、それに従ってつけた。
ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる

◆ 本名は武良茂(むらしげる)。この水木荘のそばにミズキが生えていたかどうかは知らない。ついでに、アニメソング歌手・水木一郎の芸名の由来も知らない。

◆ 一青窈の「ハナミズキ」の歌詞に、

♪ 母の日になれば
  ミズキの葉、贈って下さい

  一青窈「ハナミズキ」(作詞:一青窈、作曲:マシコタツロウ)

◆ この「ミズキの葉」というのは、もちろんハナミズキの葉のことだろうが、ハナミズキをミズキと略して呼ぶことには少し抵抗がある。ミズキにすこし悪い気がする。マラソン選手・野口みずきの「みずき」はハナミズキのことであるそうだ。

〔Wikipedia:野口みずき〕 名前の由来は落葉高木のハナミズキから。2004年年末恒例のの第55回NHK紅白歌合戦では特別審査員として出演(一青窈が「ハナミズキ」を歌う際、紅組司会の小野文惠アナウンサーは曲紹介で、野口の名前の由来である事については一言も述べなかったが、間奏部分では画面に野口のアップが映された)。
ja.wikipedia.org/wiki/野口みずき

◆ まあ、「野口はなみずき」では語呂が悪いだろうけど。そのうち、ミズキといえば、もっぱらハナミズキのことを指すようになるのかもしれない。いや、もうすでにそうなっているのか?

◆ 「みずき」という船がある。近ごろ話題の海上保安庁の巡視船。石垣海上保安部(第十一管区)所属のPS型。名の由来は知らない。《Wikipedia:巡視船》によると、PS型巡視船の船名は山の名から取られることが多いとのことだから、「みずき山」という山がどこかにあるのかもしれないが、よくわからない。ただ、まちがってもハナミズキには由来していないだろうと思う。

〔Wikipedia:びざん型巡視船 (2代)〕 本来、巡視船艇の船名は転属に伴って改名されるが、九州南西海域工作船事件に従事した7番船のみずきはその功績から例外として転属後もその名を留めている。みずきは尖閣諸島中国漁船衝突事件にも従事している。
ja.wikipedia.org/wiki/びざん型巡視船 (2代)

◆ 「九州南西海域工作船事件」当時、「みずき」は福岡海上保安部(第七管区)所属の船だった。

〔Wikipedia:九州南西海域工作船事件〕 九州南西海域工作船事件(きゅうしゅうなんせいかいいきこうさくせんじけん)とは、2001年(平成13年)12月22日に発生した不審船追跡事件のひとつ。不審船は巡視船と交戦の末、自爆し、自沈している。後の調査により北朝鮮の工作船であった事が確定し工作船事件と呼称を変えた。
ja.wikipedia.org/wiki/九州南西海域工作船事件

◆ 正直なところ、こんな事件があったことすら知らなかった(あるいは、知っていたかもしれないが、すぐに忘れてしまった)。ただ、数年前、横浜赤レンガ倉庫あたりをぶらついていたときに、「工作船展示館」と書かれた建物が目に入り、ちょっと気になったので、入って見たことがあった。そのとき、これも正直なところ、入るまえに「工作船」というコトバでイメージできたのは、小学生が学校の授業かなにかで「工作」して作ったおもちゃの船のたぐいでしかなかったから、この展示館に入って北朝鮮の本物の「工作船」を目の当たりにしたときには、かなりたまげた。この展示館の正式名称は《海上保安資料館横浜館》

◆ 海上保安庁にとくに関心があるわけではない。しばらく前に流行った『海猿』というテレビドラマも見たことがない。なんの関心もなくても、たまたま写真に撮っていたりもすることがあって、そのことをなんとなく思い出して、その写真を引っだしてみた。巡視艇「まつなみ」。

〔海鷲の末裔〕 「まつなみ」は通常は航路哨戒や警備救難任務を行うPC型巡視艇であるが、国内外のVIPに対する迎賓艇としても使用される。〔中略〕 迎賓艇として使用する為の貴賓室や会議室も設置されている。一見すると大型プレジャーボートの様な外観をしている。
island.geocities.jp/torakyojin88/matsunami.html

◆ 「迎賓艇」というコトバをはじめて知った。

◆ 「神社前」というバス停の前に、ちゃんと神社があった。諏訪神社。あたりまえのことかもしれないけれど、ちょっとうれしい。

◆ 「碍子工場前」というバス停の前に、ガイシ工場はもうなかった。ちょっとかなしい。おまけに、このバス停に停まるバスももうない。つまりは、目の前の「碍子工場前」というバス停自体がもう存在していなかった。見たのは、バス停ではなくバス停跡だった。

◆ 「吉井駅前」というバス停は、駅とバス停のあいだにほとんど距離がなかった。あまりに駅に近すぎて、これでは「駅前」というより駅の一部そのものではないか、と思った。

◆ 「◯◯前」という名のバス停と◯◯との距離は、近すぎてもならず遠すぎてもならず、けっこう微妙な感覚に支えられているのだろう。

◆ 「病院前」というバス停は、病院とバス停のあいだにほどよい距離があって、これこそ「◯◯前」と呼ぶにふさわしいバス停だと思った。

◆ 「稲荷前」というバス停はどこにあるのだろう。このバス停で、ひとはバスではなくトトロを待っている。先日見たバス停は「稲荷坂」だった。ネットを使えば、すぐに全国各地の「稲荷前」を探し出すことができるだろうが、そういう無粋なことはしないでおいて、いつかたまたま出会いたい、稲荷前バス停にもトトロにも。

◆ どこか似ている。

◆ 電気屋の看板に描いてあるのは、(「少年アシベ」のアザラシの)ゴマちゃんだと思った。近づいてよく見ると、ゴマちゃんではなくて、パラボラアンテナの絵だった。

◆ そんなことがあったので、パン屋でクマの顔をしたクリームパンを買ったときに、ちょっと不安になった。ひょっとして、これはクマではないのではないか?

◆ どこが似ている?

◆ 「大徳寺前の灸しちくやいと」と書かれた看板の「し」の字を見て、あるいは、「しもせやはし」と書かれた橋の銘板の「し」の字(ふたつある)を見て、またあるいは、「食堂しげみつ」と書かれた看板の「し」の字を見て、

◇ いいなあ、この「し」の字は。

◆ と思ったひとも、なかにはいるかもしれない。上に点を打ったような字体の「し」。

◇  それにしても、この「し」の字は懐かしい。
 ほら、「おもてパン屋でうらめしや」のあの「めしや」の「し」の字だと、もってまわった言い方で、今度は小学生の娘には話したら、「めしやって、ごはんだけでるの?」と聞き返された。たまには古典的「めしや」にも連れていかねば。

木下直之『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫,p.54)

◆ なるほど、この「し」の字はたしかに懐かしい。それと同じく、古典的「めしや」もまた懐かしい。

◆ 大阪の食堂の看板。「釜めし」の「し」の字に点はないが、かわりに「関東煮」がある。カントダキと読む(カントウニと言う地域もある)。

◇ その関西ではおでんのことを関東煮と言っていることでもおでんがもとは関東のものだったことは明かで、そういう考証をしなくても確かに昔は東京におでん屋というものがあった。併し、東京がどこのどういう性質の町か解らなくなり、そこに住む得体が知れない人間がおでんのような安くて旨いものを喜ばなくなった現在では歴史の上ではどうだろうとおでんを食べに関西まで行かなければならない。
吉田健一『私の食物誌』(中公文庫,p.67 [中央公論社,1972])

〔おでん屋「たこ梅」:おでんの歴史〕 関西では、昭和40年ころまで、おでんを普通に「関東煮(かんとだき)」と呼んでおりました。いまでも、「関東煮」とおっしゃる年配の方は、多いようです。
www.takoume.co.jp/rekishi.html

◆ 直前の引用は、大阪日本橋の関東煮の名店「たこ梅」のサイトから。関東煮の語源については、こんな説もあるそうで、

〔おでん屋「たこ梅」:おでんの歴史〕 広東(中国の地方)の人たちが食べていた鍋から生まれた煮込み料理なので広東煮(かんとんだき)と言い、それを縮めて「かんとだき」になったと「たこ梅」で言い伝えられています
www.takoume.co.jp/rekishi.html

◆ この《たこ梅》は、関東煮とともに「たこ甘露煮」が名物で、織田作之助の『夫婦善哉』にもその名が出てくる。

◇ 柳吉はうまい物に掛けると眼がなくて、「うまいもん屋」へしばしば蝶子を連れて行った。彼にいわせると、北にはうまいもんを食わせる店がなく、うまいもんは何といっても南に限るそうで、それも一流の店は駄目や、汚いことを言うようだが銭を捨てるだけの話、本真(ほんま)にうまいもん食いたかったら、「一ぺん俺の後へ随(つ)いて……」行くと、無論一流の店へははいらず、よくて高津(こうづ)の湯豆腐屋、下は夜店のドテ焼、粕饅頭から、戎橋筋そごう横「しる市」のどじょう汁と皮鯨汁(ころじる)、道頓堀相合橋東詰「出雲屋」のまむし、日本橋「たこ梅」のたこ、法善寺境内「正弁丹吾亭」の関東煮(かんとだき)、千日前常盤座横「寿司捨」の鉄火巻と鯛の皮の酢味噌、その向い「だるまや」のかやく飯と粕じるなどで、いずれも銭のかからぬいわば下手(げて)もの料理ばかりであった。芸者を連れて行くべき店の構えでもなかったから、はじめは蝶子も択(よ)りによってこんな所へと思ったが、「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」という講釈を聞きながら食うと、なるほどうまかった。
織田作之助『夫婦善哉』(青空文庫

◆ 「たこ梅」は吉田健一の『舌鼓ところどころ』にも出てくる。

◇ 道頓堀の、湊町駅の方から行けば、大分歩いてから左側、高津神社の方からならばすこし歩いて直ぐ右側にたこ梅というおでん屋がある。
吉田健一『舌鼓ところどころ』(中公文庫,p.51 [文藝春秋新社,1958])

◆ この「湊町駅」は、現在のJR難波駅。

〔おでん屋「たこ梅」:「たこ梅」の歩み〕 この頃、作家の織田作之助さんや開高健さん、池波正太郎さん、吉田健一さんなどが、よくお店においでになり、その小説や随筆にしばしば「たこ梅」が登場いたします。
www.takoume.co.jp/ayumi.html

◆ 「関東煮」のハナシがなんだか「たこ梅」のハナシばかりになってしまった。機会があれば、一度行ってみたい。

◆ 「消えゆく関西たべもの言葉」というニュースの見出し。妙に語呂がいい。漢字とひらがなのバランスもいい。内容はというと、

〔asahi.com:「煮抜き、お造り、関東炊き…消えゆく関西たべもの言葉」(2010/02/08)〕 煮抜き、五目ずし、関東炊(かんとだ)き……。「食」に関する関西ことばが日常生活から急速に姿を消している。武庫川女子大学言語文化研究所(兵庫県西宮市)の岸本千秋助手(44)の調査でわかった。「まずい」を意味する「もみない・あじない」は絶滅寸前だ。
 調査は2008年11~12月、武庫川女子大の学生124人と、同研究所に普段から協力している一般の20~60代の158人を対象にアンケート方式で実施。関西とそれ以外の地域で異なる呼び名を持つ「食」に関する言葉を並べ、どちらをよく使うか選んでもらった。一般の回答者には、子どもの頃どちらを使っていたかも答えてもらった。
 その結果、60代以上のほぼ半数かそれ以上が子どもの頃に使っていた「なんば」「ごんぼ」「関東炊き」「ばらずし・五目ずし」という単語が、それぞれ「トウモロコシ」「ゴボウ」「おでん」「ちらしずし」に変わっていた。学生は、これら四つの関西ことばを使う割合が1割に満たなかった。「もみない・あじない」は30代以下でほぼ消滅。「煮抜き」(ゆで卵)も50代以下ではほとんど使われなくなっていた。
 「かしわ」「お造り」は学生の1~2割が今も使うと答えたが、すべての世代で「鶏肉」「お刺し身」を使う割合が拡大。60代でも「鶏肉」「お刺し身」が5割を超えていた。

www.asahi.com/national/update/0201/OSK201002010078.html

◆ 京都出身の46歳男性の場合(ワタシのことだが)。「なんば」「ばらずし・五目ずし」「煮抜き」「かしわ」「お造り」は、むかしはよく使った。「ごんぼ」「関東炊き」「もみない・あじない」は、むかしからほとんど使ったことがない。いまはどれも使わない。

◆ 「ごんぼ」といえば、これも『夫婦善哉』の冒頭に出てくる。「おっさん、はよ牛蒡(ごんぼ)揚げてんかいナ」という子どもたちの声。

◇ 年中借金取が出はいりした。節季はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった。路地の入り口で牛蒡(ごぼう)、蓮根、芋、三ツ葉、蒟蒻、紅生姜、鯣、鰯など一銭天婦羅を揚げて商っている種吉は借金取の姿が見えると、下向いてにわかに饂飩粉をこねる真似した。近所の小供たちも、「おっさん、はよ牛蒡(ごんぼ)揚げてんかいナ」と待てしばしがなく、「よっしゃ、今揚げたアるぜ」というものの擂鉢の底をごしごしやるだけで、水洟の落ちたのも気付かなかった。
織田作之助『夫婦善哉』(青空文庫

◆ 「鯣」は「するめ」と読むらしい。「待(ま)て暫(しば)しがない」は、「しばらくの間も待つことができない。せっかちである。短気である」(大辞林)の意だそう。

《全国大阪弁普及協会》には、「関西たべもの言葉」がわんさか載っている。なかには、「消えゆく」コトバもあるだろうし、逆に全国に広まったコトバもあるだろう。京都出身の46歳男性がなつかしく感じたのは、「こうこ、おこうこ(たくあん)」「ぼんち揚げ(歌舞伎揚げ)」「やきめし(炒めご飯、チャーハン)「きずし(しめサバ)」、など。「かんとだき」の項の解説を読むと、

◇ 「関東煮」と書く。ダイコン、ちくわ、あつあげ、がんも、ゴボウ天、ゆで卵、里芋、こんにゃく、牛すじ肉、巾着、鯨の舌などを出汁醤油味で煮込んだ鍋料理。ちくわぶやはんぺんは存在そのものを知らない。
www.osakaben.jp/osakaben/bunpou.html

◆ 「ちくわぶ」か、いまだに慣れない。

〔松岡正剛の千夜千冊・遊蕩篇〕 父が叫んだ、「電気のヒューズがとんだぞ」。ぼくは飛行士のヒューズさんがどこかへ飛んでいったのかと思ったものだ。
www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1238.html

◆ このヒューズさんはどこへ飛んでいったのだろう? なんとなく宇宙のような気がした。ヒューズという宇宙飛行士はいなかったっけ? 調べてみたけど、見つからない。いたと思ったんだけどな、宇宙飛行士のヒューズさん。しばらくして、ヒューズさんを宇宙飛行士だと思い込んだわけを見つけた、と思った。

〔mainichi-msn(2007/07/12)〕 「こちらヒューストン」「すべて順調」など、人類で初めて月面着陸に成功した米アポロ11号の実況中継の名調子で知られた同時通訳者、西山千(にしやま・せん)さんが2日、老衰のため死去した。95歳。
www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070712k0000e040072000c.html

◆ ああ、「ヒューストンさん」だったか。アポロ11号が月に着陸したのは、1969年7月。多くの日本人が白黒テレビの前にくぎづけになった(のだろう)。

〔JIROの独断的日記ココログ版〕 NHKに「あの、英語を日本語にする機械は何というのか教えてくれ」と、問い合わせが相次いだ。
jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2007/07/post_b65c.html

〔戻っておいで 私の時間〕 3人の宇宙飛行士を乗せたアポロ11号が、初めて月に着陸したのは、アメリカ時間7月20日夕刻。日本では早朝だったので、リアルタイムは夢の中でしたが、アームストロング船長が降り立つ瞬間は見ました。交信時の「ピー」という音が耳に残っています。その音は ゲバゲバ90分 に使われていたので、覚えている方も多いことでしょう。
 21日なのに、現地ではまだ20日ということが、なんとも不思議に思え、国や地域によって時差があることを、この時、初めて知りました。

plaza.rakuten.co.jp/sisley/diary/200907200000/

〔富樫鉄火の吹奏楽曲でたどる世界史 第52回〕  西山さんが同時通訳したアームストロング船長の月面第一声は「この一歩は小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」というものだった。西山さんは、この名文句を日本語に翻訳したことでも一躍有名になった。
 だが、当時子供の私には、「こちらヒューストンです。……の調子は、どうですか」「すべて順調です」のほうが印象に強く残った。
 というのも、実際には交信のほとんどが、この繰り返しだったからだ。月面第一声「偉大な一歩」も有名になったが、私たち子供には、この「すべて順調です」のほうが、たいへんカッコよく響き、すぐに学校で流行語になった。授業中に先生が「ちゃんと勉強してるか」と聞くと「すべて順調で~す」などと答えていた。

 www.bandpower.net/soundpark/togashi_sp/00_history/52_moon/01.htm

〔K's Memo-Random〕 40年前は本当にリアルタイムで映像を見ていましたが、交信時のあのピー音(Beep)が今でも耳に残っています。アマチュア無線でも、しばらくはスタンバイピーとしてはやっていました。
kenshi.air-nifty.com/ks_memorandom/2009/07/post-67d5.html

◆ ワタシはというと、当時5歳だったが、あまり記憶がない。家にテレビはあったのかなあ? 翌70年の大阪万博には行ったが、月の石は見なかった。さて、なんのハナシをしているのだったか。どうもアタマのヒューズが飛んで、月まで行ってしまったらしい。無事に帰って来られるだろうか。

アポロ こちら、アポロ獣一……どうぞ。
十二単衣の君 美しいかい? 人が見つけた宇宙は。
アポロ ああ、美しいさ。
十二単衣の君 月へはもう行ったのかい?
アポロ え?
十二単衣の君 ヒトは、月へ行ったのか?
アポロ 何を言っているんだ。ヒューストン、ヒューストン、こちらアポロ11号、電気回路が混線しています。
十二単衣の君 俺はヒューストンじゃないさ。
アポロ 誰だ、お前……。

野田秀樹『野獣降臨(のけものきたりて)』(新潮文庫,p.117)

◆ この「十二単衣の君」を演じていたのが野田秀樹だった。

◆ 宇宙飛行士の毛利衛さんは、《Wikipedia》によれば、

〔Wikipedia:毛利衛〕 幼い頃はカマキリと水泳が大の苦手で、風呂で溺れそうになったことがある。航空事故に遭遇したこともあるが、死ぬのは怖くないという。
ja.wikipedia.org/wiki/毛利衛

◆ 毛利さんはさておき、この文章、なんともへなへなでへろへろで、そのうち書き換えられてしまいそうな気もするが、こういった文章も嫌いではない。自分にはとても書けそうもないから、新鮮な感じがして何度も読み返してみる。正直なところ、さっぱりわからない。わからないから、あとは自分で勝手に考える。ワタシなりに要約すると、水泳も航空事故も省いて、

◇ カマキリは怖いが、死ぬのは怖くない。

◆ ということになるだろうか。ワタシはカマキリも怖いし、死ぬのも怖い。

◆ 先日、ハラビロカマキリを見た。このハラビロカマキリというやつ、その広い腹にハリガネムシを抱え込んでいたりするのだから、恐ろしい。それならば、怖いのはカマキリではなくて、ハリガネムシではないか? そうかもしれない。ならば、あのカマキリの眼は怖くはないか? かたときも逸らさずにコチラを睨みつけているあの眼は? かわいいって?

〔2ch〕 カマキリは昆虫にしては『目が合う』よね? やつら黒目キョロキョロうごかすから、目が合う昆虫ってほとんどいなそうだから感激。
namidame.2ch.net/test/read.cgi/wmotenai/1252472742/

〔ザ・むし:昆虫裏日記〕 私は小さい頃、つらいことがあると野原にいってカマキリに話しかけていました。”おわりの会”で袋叩きにあった後などはよく野原に行ったものです。なぜカマキリに話しかけるのかといいますと、彼らはちゃんと私の目を見て話を聞いてくれたからです。彼らは私の「何もわかってくれないんだ、大人は」などのつまらない話にも、そっぽを向くことはありませんでした。彼らの大きな複眼の中の黒い瞳は、常に私のほうを見ていてくれたのです。
musi.s6.xrea.com/nikki18.htm

◆ あのいつでも目が合うカマキリのちいさな「瞳」は、じつは、「偽瞳孔」(pseudopupil)というものだそうで、よくよく考えれば(よくよく考えなくても)、昆虫の眼は複眼なので、ヒトのような「黒目」などあるはずもない。なんのことはない、こちらがカマキリの眼を見れば、かならず「目が会う」仕組みになっているだけのことなのだった(詳しい説明は別なサイトを探してください)。ハラビロカマキリのことを、

〔も吉の昆虫記〕 ハラホロヒレハレに似た語感の昆虫である。
www.mokichi.net/insect/harabirokamakiri.html

◆ と書いているひともいるが、語感というのはひとそれぞれで、ワタシからすれば、ハラビロならぬハラグロカマキリということになるだろう。まんまとだましやがって! とはいえ、「人の目を見て話す」ことが苦手なワタシにとってはうらやましくもあり。いっそ、カマキリになってしまおうか。死ぬのは怖いが、生まれ変わるのは怖くないかも。

◆ ところで、毛利さんは、カマキリのどこが苦手だったんだんだろう?

◆ 大阪の古典的「めしや」の看板に、「かやく御飯」。「かやく飯」ともいう。漢字では「加薬(御)飯」と書く。

◇  これは東京では混ぜ御飯と言っているもので、ただ違うのは東京の混ぜご飯よりも大阪のかやく飯の方が遥かに旨い上に大阪ではこれを売っている店があってそこで食べられることである。又その混ぜ御飯なるものが今の東京では普通の家庭でもあり付けないものになっているから差し当たり現在の東京でこのかやく飯に相当するものは支那風の炒飯(チャーハン)という所だろうか。全くこの町というのはどこまで落ちて行くのか解らない。
 それで混ぜ御飯ももう忘れられているならば大阪のかやく飯の説明もしなければならなくて、これは油揚げとか人参とか牛蒡(ごぼう)とかを飯に混ぜるのではなくて初めから米と一緒に炊き上げたものである。その作り方からして恐らくはこももとは家庭料理だったのに違いないが、それを主に売っている東京風に言えば食堂が大阪には方々にある。あの味を思い出すと東京の混ぜ御飯と比べたのが悪かった気がする。再び今日の東京風に言えば家庭的とか庶民的とかいう愚にも付かない形容詞を並べることになりそうであっても、これはそうようなことと凡そ縁がない本ものの食べものの味がする。

吉田健一『私の食物誌』(中公文庫,p.32 [中央公論社,1972])

◆ 『夫婦善哉』にも、当然のように、「かやく飯」が出てくる。

◇ 夕方、蝶子が出掛けて行くと、柳吉はそわそわと店を早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店でかやく飯とおこぜの赤出しを食い、烏貝の酢味噌で酒を飲み、六十五銭の勘定払って安いもんやなと、カフェ「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れをしている女給にふんだんにチップをやると、十日分の売上げが飛んでしもうた。
織田作之助『夫婦善哉』(青空文庫

◆ 「一番」というと、カフェであるよりは中華料理屋であるような気がするが、これはまたべつのハナシになる。それにしても、『夫婦善哉』のような小説を東京を舞台にして書くことはおそらく至難の業だろう。

◆ 以前「電車と汽車」という記事を書いた。都会に住むひとは、ことに女性は、機関車が牽引する客車列車や電化されていないローカル線のディーゼルカーのことまで含めて「電車」と呼ぶ傾向にある。都会にはほとんど電車しか走っていないのだから、それもしかたのないことだろう。

◇  空と道と砂漠だけというのが3、4時間続いた頃に、踏み切りで足止めを食らった。トラックやバスが連なり、象までもが順番待ちをしていた。それも、5、6分の話ではなく、正確な通過時間のわからない電車のために20分も待ったのである。踏み切りポイントには、足止めを食らう車目当てにアイスクリーム屋、お菓子屋、果物屋が群がり、さらに混雑を来していた。
 そして、ようやくきた電車はディーゼル車らしく黒煙を撒き散らしながら通り過ぎ、車両はといえば、乗車率300パーセントのようで、屋根の上にまで乗客が乗っていた!

 中谷美紀『インド旅行記1 北インド編』(幻冬舎文庫,.p.253-254)

◆ 踏切待ちの車の列に象が並んでいるところなど、いかにもインド的な風景だなあ、と思いつつ、けれども、「電車はディーゼル車」って、なんじゃそりゃ? インドの田舎と日本の都会が微妙に奇妙に交錯する。「屋根の上」に注目すると、こんなニュースも。

〔デジタルマガジン(2010/02/19)〕  インドでは当たり前のように行われている電車の屋根の上への乗車。これを乗車と言って良いのか分からないが、今日も多くの人々が屋根の上に乗って移動している。そんな中、インド政府がこれを禁止しようと動き出した。
 当局の発表によれば今月末、つまり2月28日から人々が電車の屋根の上に乗ることを禁止し、もし“ひとり”でも乗っている人がいれば、ただちにその電車の運行を停止させるという。
 インドではおもにお金のない人々が電車の上に乗って移動することが当たり前になっており、このために多くの死亡事故が起きている。記録によれば、2008年度では毎週17もの命がさまざまな鉄道事故により散ってしまっている。
 最大の死因は次の3つ。1つめはドアが閉まっていないため、他の乗客から押し出されてしまい落下して死亡。2つめは過密状態の電車から身を乗り出しているため、鉄柱などと激突して死亡。そして最後の3つめが屋根に乗った乗客が電線に触れての感電死だ。

digimaga.net/2010/02/india-moves-to-ban-passengers-travelling-on-top-of-trains

◆ これもほんとに「電車」なのかアヤシイものだと思ったが、鉄道死亡事故の原因として最後に「電線に触れての感電死」とあるので、やっぱり「電車」なのか。とはいえ、添付されている画像は「電車」ではなく、ディーゼル機関車が牽引する「客車列車」であったのだが。このニュースの出典は、明示されていないが、これだろうか? 《India moves to ban passengers travelling on top of trains - Telegraph》

〔Telegraph(2010/02/18)〕  Western Railway, one of the government-owned groups that runs Mumbai's local railway network, has pledged that from the end of the month its trains will stop running if "even a single person" is seen travelling on the roof.
 The crackdown, which will coincide with the introduction of more powerful overhead cables, will be implemented on February 28 and the authorities are bracing themselves for resistance and disruption.
〔中略〕
 In Mumbai, brave commuters can often be spotted on top of carriages, sitting cross-legged and serene only feet from electric wires.
 But the practice is deadly. In 2008 a record 17 people died every weekday on the city's suburban railway network.
 The figures, which were obtained for The Times using India's Right to Information Act, show that most deaths were people being run over while trespassing on the tracks. The next biggest cause of death - equivalent to more than three every working day - was of passengers who fell (or were pushed) from carriages that travel at 64km/h, have no doors and are often dangerously full.
 Another 41 people perished after being bludgeoned by trackside poles while hanging out of overcrowded trains. Twenty-one were electrocuted by power cables when they sat on the roof.

 www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/india/7260838/India-moves-to-ban-passengers-travelling-on-top-of-trains.html
 
◆ この The Telegraph の記事に添付されていた画像も、ディーゼル機関車が牽引する「客車列車」だった。おそらく、中谷美紀が踏切で見たのも、こんな列車だったのだろう。先頭のディーゼル機関車が「黒煙を撒き散らしながら通り過ぎ」、あとに続く客車の「車両はといえば、乗車率300パーセントのようで、屋根の上にまで乗客が乗っていた!」。

The Telegraph の記事によると、「電車の屋根の上への乗車」を厳格に取り締まるというのは、インド全体のことではなくて、ムンバイ(旧ボンベイ)通勤圏にかぎったことのようだ。このあたりは電化されているらしく、もう一度引用すると、

◇ In Mumbai, brave commuters can often be spotted on top of carriages, sitting cross-legged and serene only feet from electric wires.

◆ ムンバイに通勤するひとのなかには、車両の屋根によじ登って、「頭上の電線のすぐ真下であぐらをかいて静かにすわっている」ひともいるそうだ。うかつに立てば、もちろん感電死(electrocuted)は免れない。最近では、架線が「more powerful」なものになっているらしいから、これに触れれば命がいくつあっても足りないだろう。不注意で、《YouTube》にアップされていたそのような映像も見てしまったが、瞬時に黒こげだ。

◆ ついでに、「デジタルマガジン」の記事中の「毎週17もの命が」とあるのは、誤訳だろう。The Telegraph の記事では、「17 people died every weekday」とある。「毎週」ではない。「(週末をのぞく)毎日」17人がムンバイ通勤圏の鉄道事故で亡くなっているらしい。いやはや。

◆ 「かやく(御)飯」のことを考えていたときに、何度もアタマのなかをよぎっていった人物がいる。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ 会社の上司が「わんばんこー」と言います。昔ラジオで誰かが言ってた言葉みたいですけど、何なんですか? 「わんばんこー」って。いやらしい言葉なんですか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1283252

◆ 「わんばんこ」自体は、たんに「こんばんは」の逆さ言葉で、「いやらしい」意味など少しもないが、このコトバをよく口にしていたのがじつに「いやらしい」ひとだった(会社の上司がどうかはしらない)。ラジオで女性のリスナーに「乳頭(にゅうとう)の色は?」などと「いやらしい」質問を繰り返していた。変な時代だった。

〔2ch〕 好きな男子の誕生日に彼が好きだった鶴光の「かやくごはん」をプレゼントした女子中学生のわたし・・・・
yasai.2ch.net/middle/kako/1011/10116/1011644002.html

◆ ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」で10年以上(1974年4月 - 1985年10月5日)もパーソナリティを務めた笑福亭鶴光が書いた本が、「かやくごはん」。読んだ記憶はさっぱりないのに、書名だけはなぜだかよく覚えている。

〔wukipedia:笑福亭鶴光のオールナイトニッポン〕 鶴光がオールナイトニッポンを降板してから既に20年以上の歳月が流れているが、1950年代後半 - 1970年代前半生の世代にとっては鶴光のオールナイトニッポンは、当時まだ性に関する情報媒体が少なかった時代にあっては一種のバイブル的存在であった。その為、この世代の人々にとっては「オールナイトニッポン=鶴光」というイメージが根強い。
ja.wikipedia.org/wiki/笑福亭鶴光のオールナイトニッポン

◆ あるいは、鶴光が歌った「うぐいすだにミュージックホール」というコミックソング。「鶯谷」という地名を知ったのもこの歌からで、じっさいに東京に来て、じっさいに山手線に乗って、じっさいに鶯谷という駅があるのを見たときは、妙な懐かしさを感じたものだった。

◆ その鶴光が、まあなんとタイミングのいいことだろう、『週刊文春』(11月25日号)の「新・家の履歴書」に出ていた。幼少のころ暮らしていたのは、現大阪市平野区の七軒長屋。八畳一間の小さな家に、母と義父との三人で川の字に寝る生活だったそうだ。

◇ 雨が降ると、大和川のごおーっという水音で家が揺れた。氾濫すれば即死やと思って、手を合わせて祈ったもんです。ときには、上流の奈良県の大和郡山から名産の金魚が何万匹と流れてくることもありました。大水が引くとあちこちに水たまりができて、そこに金魚がわんさかおる。みんなですくって、家の前の盥(たらい)にどばっと入れておく。すると猫が金魚を食べてしまう。ろくなもんやあらしません。まあ、そんなことで猫を怒る人は誰もおりませんでしたが。
『週刊文春』(2010年11月25日号),p.98

◆ 鶴光のことを調べていたら、こんな記述。

〔Wikipedia:笑福亭鶴光〕 なお、「鶴光」の正式な読み方は「つるこう」ではなく「つるこ」である。笑福亭一門の由緒名である「光鶴」も、2代目の弟弟子である笑福亭鶴瓶も、それぞれ「こうかく」「つるべぇ(またはべぃ)」としばしば誤読されるが、正しくは「こかく」「つるべ」である)。これは大阪弁では「がっこ(学校)」「せんせ(先生)」など、母音の発音を省略する傾向があることによる。
ja.wikipedia.org/wiki/笑福亭鶴光

◆ あっ? 「つるこう」ではなく「つるこ」? 「つるべ」はともかく「つるこ」だったとは。知らんかった。

「関東煮」の記事を書いたときも、「かんとだき」という読みが多少気になった。この場合は、「煮る」と「炊く」の関係についても考えなければいけなくなるので、面倒なので放っておいたが、さしあたりそれを省いても、「関東」を「かんとう」ではなく「かんと」と書くことがかなり一般化していることが、ちょっと新鮮な驚きだった。「関東」を「かんとう」、あるいは、「鶴光」を「つるこう」と書いても、それはあくまでも文字としての「ふりがな」であって、そのことが、じっさいの会話で「かんと」「つるこ」と発音されることを妨げるわけではないし、「鶴光」のじっさいの発音が「つるこー」であろうが「つるこ」であろうが、その違いのせいで意思の疎通ができなくなるということはあまりないのだから、この場合の「つるこう」という「ふりがな」は、いわば最大公約数的な妥協案にすぎないので、それをことさらに「つるこ」と厳密に書くほどのこともないのではないか、そう思っていたのだが、そういうものでもないらしい。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

〔Yahoo!知恵袋〕 大阪弁をしゃべる人はメールや作文も大阪弁なんですか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313070618

◆ 「言文一致」というコトバがある。話しコトバと書きコトバを一致させるという意味だが、思い起こすと、京都に住んでいた子どものころ、(ワタシの友だちの書く)作文や手紙などの文章は、わりと「言文一致」に近かった。方言そのままに書くことができるという地域はそうないのではないかと思う。

〔道浦俊彦/とっておきの話〕 「コーヒー」ではなく「コーヒ」なのです。大阪人は語尾の長音を省略することが確かに多いので「コーヒ」はそれほど不思議ではないのですが、その店に3枚あったメニュー看板のうち、2枚が「アイスコーヒ」で、1枚だけが「アイスコーヒー」となっていました。良く見ると、明らかに「アイスコーヒー」の方が拙(つたな)い字なのです。「ははあ、1枚は若い人が書いたので“アイスコーヒー”と“ー”が語尾にも入っていて、残りの2枚は達筆な年配の人が書いたので「コーヒ」と「ー」がないのだな」と想像しました。
www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/0101-0200/0141.html

◆ 画像は金沢で見かけた「コーヒ」。メニューに「コーヒ」とあっても、「コーヒー」の発音で注文して困ることはないだろう。また逆に、メニューに「コーヒー」とあっても、「コーヒ」の発音で注文して困ることはないだろう。その程度の違いなんてどうでもいい。そのように思ってしまうワタシは、「書き言葉」と「話し言葉」の現実に存在するバイリンガル的環境を、ただなんとなく気がつかないふりをして、それがあたかも「ひとつの言葉」のように思い込んで生きてきただけなのかもしれない。たとえば、「鶴瓶」。

〔Yahoo!知恵袋〕 なぜか関東の人は「つるべい(またはつるべえ)」と言いますね。いつも違和感があります。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q129695387

◆ ワタシにはとくに違和感はない。だから、表記も実際の発音も「つるべ」でも「つるべい」でも「つるべえ」でも、あまり気にならない。そのことにはさまざまなメリットとデメリットがあって、どちらがトータルとして望ましいのかよくわからない。ただ、違和感のあるひとは、断固として、「つるべ」と表記すべきだろうし、またすでにそうしているだろう。

◆ 『夫婦善哉』の主人公、柳吉は「どもり」癖がある。あるいは「吃音症」と書くべきだろうか。

◇ 「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」

◇ 「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」

◇ 「こ、こ、ここの善哉(ぜんざい)はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫(だゆう)ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛(やまもり)にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」

◆ 柳吉はんは、どんぐり食うたん違うか? 「どんぐりを食べるとどもりになる」と子どものころによく聞かされたものだが。

◇ 「ボク、どんぐり食うたん違うか」
 雑木林の中で、おっちゃんが不意に言った。
〔中略〕
「そんなことないけど……なんで?」
 少年はきょとんとして訊き返す。どんぐりが食べられるなんて知らなかった。
 おっちゃんは少し困った顔になって、「どどをくるやろ、ボク」と言う。
 どどをくる――初めて聞く言葉だったが、「どど」の響きに、背中がひやっとした。
〔中略〕
「どもるという意味や、おっちゃんらはどどをくる、言うとったけどな」
 予感どおりだった。少年はうつむいた。頬が熱くなるのがわかった。苦手な「カ」行や「タ」行で始まる言葉はつかわないようにしてしゃべっていたのに、隠しきれなかった。
「どんぐりを食うたら、どどをくるようになるんや、ほんまかどうか知らんけど、おっちゃんらは、こまい頃からそない聞いとってん。そやから、ボクも、どんぐり食うてもうたんやろか、て」

重松清『きよしこ』(新潮文庫,p.99-100)

◆ ある日、だれもいない神社の境内で、なにかの台座のうえに集められた沢山(ぎょうさん)の、ど、ど、ど、どんぐりを見ていたら、ど、ど、どどをくる少年の、困ったような顔がふっと浮かんですぐ消えた。

◆ またある日、会社の事務所で書きものをしていたら、近くにいた事務員のおばはんが、「あんた、ぎっちょ?」と言った、「うちの子も小さいころにぎっちょで、なおそうとしたら、どもりになっちゃって、あわてたわ」。

♪ 相変らず僕は待っている
  踏切りがあくのを待っている

  井上陽水「あかずの踏切り」(作詞:井上陽水)

◆ 踏切でひとはいったいなにを待っているのだろう。遮断機には「しばらくお待ちください」の文字。踏切でひとは「しばらく」いったいなにを待てばいいのだろう。もう一度、中谷美紀のインドの踏切体験の記述を引用する。

◇  空と道と砂漠だけというのが3、4時間続いた頃に、踏み切りで足止めを食らった。トラックやバスが連なり、象までもが順番待ちをしていた。それも、5、6分の話ではなく、正確な通過時間のわからない電車のために20分も待ったのである。踏み切りポイントには、足止めを食らう車目当てにアイスクリーム屋、お菓子屋、果物屋が群がり、さらに混雑を来していた。
 そして、ようやくきた電車はディーゼル車らしく黒煙を撒き散らしながら通り過ぎ、車両はといえば、乗車率300パーセントのようで、屋根の上にまで乗客が乗っていた!

 中谷美紀『インド旅行記1 北インド編』(幻冬舎文庫,.p.253-254)

◆ さいしょに読んだときには、「電車はディーゼル車」というのが気になっただけだった。ディーゼル車も電車の一部であるかのような書きっぷりに、「これだから、女性は」と、思っただけだった。けれど、読みなおしてみると、彼女の「電車はディーゼル車」という書き方にもある種の「理屈」があるような気がしてきて、それだから困ってしまった。

◆ 見知らぬ土地を旅しているときには、たいていの場合、踏切は唐突に出現する。よほど地図を丹念に見ているひとでなければ、その踏切がどんな鉄道路線であるのかを気にすることはないだろう。なんとなく、不意に踏切に出くわして、それが「開かずの踏切」でもないかぎり、踏切というものは開いているのが常態なので、なんとなくそのまま通りすぎてしまう。たまたま遮断機が下りていたりすると、運が悪かったのだ。しかたがない。しばらく待つことにしよう。

◆ 運悪く踏切で「しらばく」待つはめになった鉄道路線が、たとえば、京王電鉄であれば、相模鉄道であれば、小田急電鉄であれば、そしてそのことを知ってさえいれば、その踏切を通過するのは、電車しかありえないのだから、こころおきなく「電車」を待つことができる。たとえ、それが「正確な通過時間のわからない電車」だとしても、あるいは、そこが「開かずの踏切」であっても、「電車」が通過するのをただ待っていればいい。そのうちに踏切は開くだろう。

♪ 次々と電車がかけぬけてゆく
  ここはあかずの踏切り

  井上陽水「あかずの踏切り」(作詞:井上陽水)

◆ しかし、それがどんな鉄道路線なのかわからない場合には、いったいなにを待てばいいのだろう。まあ、「踏切が開くのを」待つ、あるいは「時間が過ぎるのを」待つ、とでも書いておけばいいのかもしれない。けれど、「(線路の上を通過する)◯◯を」待つと書きたくなってしまったひとは、ちょっと困るのではないだろうか。まだ来ない「◯◯」のことをなんと書けばよいのか。無難なのは「列車」だろうが、英語の「train」ほどの一般性はないように思える。

◆ ハナシが逸れるが、「赤信号の横断歩道で待っているものはなにか」ということを考えると、これも人によって2種類の回答に分かれるだろう。「信号が青に変わるのを」待っているひとと「通過する車の波が途切れるのを」待っているひと。後者のタイプのひとは、信号が青に変わらなくても、車の波が途切れれば、すたすたと横断歩道を渡り始めてしまうだろう。

◆ ハナシを戻すと、中谷美紀がインドの踏切で、まだ見ぬ「◯◯」が通過するのを20分も待って、ようやくやってきた「◯◯」は「ディーゼル車」だった、という体験をしたとき、その「◯◯」のところを「電車」と書いてしまうことは十分に理解できる。日本の踏切で待っているとき、通過するのはいつも「電車」だったから、踏切というものは「電車」が通過するのを待つところなのだから、このインドの踏切でもやはり「電車」が通過するのだろう。そう思って待っていたら、不意打ちのように「電車」でないものが通過した。あれは「ディーゼル車」というものだろうか。

◆ そういうことはワタシにもある。踏切待ちをしていたら、やってきたのは「蒸気機関車」だった。このときの状況を正確に文章で表現することはむずかしい。ワタシはその踏切が属する鉄道がなんなのか知らなかった。ただ「踏切が開くのを」待っていたような気もするし、「電車かなにか」が通過するのを待っていたのような気もする。すくなくとも、「電車かなにか」に「蒸気機関車」は含まれてはいなかっただろう。まったくの想定外。ワタシが日記をつけていれば、

◇ ある踏切で、電車が通過するのを待っていたら、通過した「電車は蒸気機関車」だった。

◆ と、そう書いていたかもしれない。こんな動画を見つけた。

〔らばQ〕 ごく普通の踏切を待つ車。当然ながら、ごく普通に電車が通り過ぎると予想される場面ですが、何やら様子がおかしいんです…。〔中略〕 たしか電車と言うのは電動機の力で走るから電車と呼ぶ気がするのですが、人力で動いている場合は何と呼ぶのでしょうね
labaq.com/archives/51404534.html

◆ 踏切というのは、おもしろい場所だ。ときとして予期せぬものがやってくる。少なくともその可能性はいつもある。

◇ そのうち、ミズキといえば、もっぱらハナミズキのことを指すようになるのかもしれない。いや、もうすでにそうなっているのか?

◆ と、以前の記事(「ミズキ」)に書いたが、「もうすでにそうなっている」ようでもある。神奈川県大和市の大和駅前に「みずき通り」。「みずき通り」の街路樹はハナミズキ。在来種のミズキではない。どうして「はなみずき通り」ではいけなかったのだろう? 都会の風景は、いつもどこかがずれている。かつて「コンクリートジャングル」というコトバもあった。いまはだれも使わないだろう。

コンクリートジャングル ビルの林立する都会を、ジャングルに見立てた語。
小学館「大辞泉」

◆ 「みずき通り」には、街路樹のハナミズキと、それからもう一本、アオキが生えている。ビルの「AOKI」。造花ならぬ「造木」のアオキ。調べてみると、アオキもまたミズキ科の植物なのだった。

〔Wikipedia:ミズキ科〕 ミズキ科(みずきか、Cornaceae)は被子植物の科のひとつで、ミズキ、ハナミズキ、アオキなどを含む。
ja.wikipedia.org/wiki/ミズキ科

◆ 朝日新聞のコラム「天声人語」では、以前に書いたコラム記事にたいする読者からの「お便り」をもとにして、またあらたなコラム記事が生み出されるということがままある。「天声人語+お便り」で検索してみると、いろいろと見つかる。たとえば、

〔天声人語:1983/08/09〕 騒音時代の今はほぼ絶滅したといわれる水琴窟のことを本欄で書いたら、「わが家の水琴窟は健在です」というお便りをいくつかいただいた。幻の水琴窟が各地に生きていることがわかったのは、大変な収穫だった。

〔天声人語:2003/04/19〕 先日この欄で「地獄絵の合間に一瞬、黄色い花が見えた」とイラク北部での誤爆現場の映像について書いたところ、山口県埋蔵文化財センターの中村徹也所長から「キンポウゲかノボロギクだと思う。いやそうあってほしいと思う」とお便りをいただいた。

〔天声人語:2004/12/12〕 先日、ベートーベンの「運命」にまつわる記憶について書いたところ、幾通かお便りをいただいた。「運命」を竹で演奏する会があるとの便りがあり、出かけた。

〔天声人語:2005/12/03〕 先日のコラムは、幼い子の頭をなでるようなしぐさで「子ども」を表す手話のことから書いた。九州からのお便りに、こんな一節があった。「『愛す』『大切にする』の手話は、円を描いた手の下にもう片方の手をそえます。寒い時、手の甲をこするように」。

〔天声人語:2007/11/20〕 過日の本欄で、ハナミズキをほめた。春の花、秋の葉、赤い実と年に3回楽しめる多芸ぶりのことだ。引き合いに出した桜を「春の一芸」と書いたところ、「秋の桜も捨てがたい」とのお便りを何通かいただいた。

〔天声人語:2009/10/25〕 先ごろの小欄で和紙について書いたところ、多くのお便りをいただいた。神奈川県藤沢市の女性(96)は、お母さんの里が「岐阜の山奥」で、美濃紙を戦争中まですいていたという。

〔天声人語:2010/02/07〕 本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた。「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。

◆ それがどうした、と言われると返答に困る。べつにどうもしない。

◆ この時季、赤い実をつける植物は数多くあって、とてもじゃないけどほとんど区別がつかない。例外はナナカマド、オンコ(イチイ)、ハナミズキなど。画像は「みずき通り」のハナミズキの赤い実。

〔朝日新聞:天声人語(2007/11/20)〕 過日の本欄で、ハナミズキをほめた。春の花、秋の葉、赤い実と年に3回楽しめる多芸ぶりのことだ。引き合いに出した桜を「春の一芸」と書いたところ、「秋の桜も捨てがたい」とのお便りを何通かいただいた。
www.asahi.com/paper/column20071120.html

◆ ワタシも、天声人語子のように、

◇ 先日の「MEMORADUM」で「ミズキ」のことを書いたところ、水木しげるのペンネームの由来についてのお便りをいただいた。

◆ というような文章を書いてみようかと思ったが、いっこうにお便りが来ないので、書こうにも書けない。さしあたり「お便り」に似たもので代用すると、

◇ 神戸市兵庫区水木通に、風呂屋が開業すれば水木湯となり、小学校が開校すれば水木小学校となり、自動車修理工場は水木モータースの看板を掲げ、ふらっとこの町に現れて住みついた武良茂青年は、水木しげるを名乗ることになった。
木下直之『ハリボテの町 通勤篇』(朝日文庫,p.150)

◆ ああ、なるほど、そうでしたか。神戸に水木通という地名があるんですね。ワタシはてっきり「水木しげる」の水木は、かれがいっとき経営していたアパート「水木荘」から取られたのかと思ってました。敷地にミズキが植えられていたから水木荘という名がついたんだろうなとも。そうではなくて、水木通に住んでいたから水木になったんですね。それから、アパートの名も水木通にあるからこそ、水木荘になったんですね。まあ、水木通なんだから、水木荘の近くにもミズキは生えていたかもしれないけれど。じゃあ、ワタシが参照した《Wikipedia》の記述は、ちょっとばかり正確さにかけますね。そう思って、もう一度、引用した《Wikipedia》を読みなおしてみると、

〔Wikipedia:水木しげる〕 ペンネームは、紙芝居作家時代に、当時経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられた。〔中略〕 募金旅行の途中で立ち寄った神戸市兵庫区水木通のアパートで家主に持ちかけられた話に乗り、借金の肩代わりを条件にこのアパート「水木荘」を譲り受け、貸家経営を始める。アパートの住人に紙芝居作家がいたことから、紙芝居の語り手として名人だった鈴木勝丸の阪神画報社に所属し、また加太こうじを紹介され、紙芝居作家として作品を描く。ペンネームの「水木しげる」は、鈴木が本名を覚えてくれず、いつまで経っても「水木さん」「水木さん」と自身を呼ぶため、それに従ってつけた。
ja.wikipedia.org/wiki/水木しげる

◆ あれれ、しっかり「神戸市兵庫区水木通のアパート」とも書いてありました! こりゃ気がつきませんで、失礼しました。ほかの資料も見てみると、

〔神戸新聞:兵庫人 挑む〕 日本漫画界の巨星水木しげる(85)は戦後の神戸で、紙芝居作家から出発した。一九四九年、兵庫区水木通にあったアパートを買い取り、「水木荘」と命名。その経営と画業で身を立てる決意をした。
www.kobe-np.co.jp/info/hyogo_jin/08.shtml

◆ 「水木荘」というのも、水木しげる自身による命名だったのですね。もともと水木荘という名だったのかと思ってました。

◆ そうすると、今度は、この神戸市兵庫区水木通の地名の由来が気になってくるわけですが、ネットでちょっと調べてみましたが、よくわかりません。この水木もひょっとしてハナミズキだったりして? あと、巡視船みずきの由来もあいかわらずわかりません。ご存じの方は、お便りください。

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ とおりゃんせの歌などで、「天神(てんじん)さまの細道じゃ」、とかききますが、天神ってどんな神様なのでしょうか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119025236

◆ こんな回答。

◇ この天神様というのは、菅原道真公のことで、昔から学問の神様として、全国到る所にまつられておられます。

◆ 天神様というと、菅原道真公のこと。そんなの常識、とワタシも思っていた。さいきんまで菅原道真以外にも天神と呼ばれる神がいることを知らなかったから。

◇ たとえば、子供たちの伝承的な遊びとして「通りゃんせ」という遊戯(遊び唄)があるが、そこで「天神様の細道」を通ることができるのは、「この子の七つのお祝い」のためにお宮参り(お札納め)をする善男善女たちであって、オニ(鬼神や疫神)が、その子供たちの腕の「輪」をくぐろうとすると、それをストップさせるという神事を遊戯化したものなのだ。この場合の「天神」は、天満天神というより、「祇園天神(武塔天神)」ような疫神祓いの「天神様」であって、善男善女のふりをしてその輪を抜けようとする疫神や鬼神を防ぎ止める役割を果たしているといえよう。〔下線は筆者〕
川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち』(作品社,p.215)

◆ 祇園天神とは、牛頭天王のこと。

◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問、はないのだが、かってに創作。

◇ 天皇ってどんな神様なのでしょうか?

◆ どんな神様って、天皇は神様ではありません。以前は神様だったらしいけど、いまは人間です。そんなの常識、とこれまた思っていたけれど、「以前は神様だったけどいまは人間の」天皇以外にも天皇と呼ばれる神様はいたのだった。それが、これまた牛頭天王。

江戸時代を通じて「テンノウ」といえば、それは「天王山」や「天王社」の「天王さん」のことであり、皇国日本を統べる万世一系の「天皇」のことではなかった。現在でも天王洲や天王台や天王﨑といった地名が多く残っているが、これらは「天王社」にまつわるものであり、牛頭天王信仰に由来するものであることは明白だ。そうした庶民の「天王信仰」に対して、明治の維新政府は「王政復古」を呼号し、「禁裏様」とか「内裏様」と呼んできた人物を「天皇」と呼ばせるようにし、国教としての皇国神話による国家神道を唱え、現人神(あらひとがみ)としての「天皇信仰」を布教しようとした。この時に「天王」は「天皇」の前に立ち塞がる目障りで、紛らわしい邪教・邪神の頭目のように、彼ら、神道家のたちの目には映ったはずだ。
 牛頭天王の縁起や祭文でも、「天王」と「天皇」とは、しばしば混同して使われており、同一文書のなかでも混用されている場合がある。口承性の強い祭文などにおいて、「テンノウ」の「王」と「皇」の表記の違いにこだわることはなかった。〔下線は筆者〕

川村湊『牛頭天王と蘇民将来伝説 消された異神たち』(作品社,p.128-129)

◆ 大津市和爾で「天皇神社」という名の神社にたまたま出くわしたとき、そのときはまだ「天皇」というと「以前は神様だったけどいまは人間の」天皇のことしかアタマになかったワタシは、その名前のインパクトにかなり驚いたものだった。