◆ 鶴光のことを調べていたら、こんな記述。 ◇ 〔Wikipedia:笑福亭鶴光〕 なお、「鶴光」の正式な読み方は「つるこう」ではなく「つるこ」である。笑福亭一門の由緒名である「光鶴」も、2代目の弟弟子である笑福亭鶴瓶も、それぞれ「こうかく」「つるべぇ(またはべぃ)」としばしば誤読されるが、正しくは「こかく」「つるべ」である)。これは大阪弁では「がっこ(学校)」「せんせ(先生)」など、母音の発音を省略する傾向があることによる。 ◆ あっ? 「つるこう」ではなく「つるこ」? 「つるべ」はともかく「つるこ」だったとは。知らんかった。 ◆ 「関東煮」の記事を書いたときも、「かんとだき」という読みが多少気になった。この場合は、「煮る」と「炊く」の関係についても考えなければいけなくなるので、面倒なので放っておいたが、さしあたりそれを省いても、「関東」を「かんとう」ではなく「かんと」と書くことがかなり一般化していることが、ちょっと新鮮な驚きだった。「関東」を「かんとう」、あるいは、「鶴光」を「つるこう」と書いても、それはあくまでも文字としての「ふりがな」であって、そのことが、じっさいの会話で「かんと」「つるこ」と発音されることを妨げるわけではないし、「鶴光」のじっさいの発音が「つるこー」であろうが「つるこ」であろうが、その違いのせいで意思の疎通ができなくなるということはあまりないのだから、この場合の「つるこう」という「ふりがな」は、いわば最大公約数的な妥協案にすぎないので、それをことさらに「つるこ」と厳密に書くほどのこともないのではないか、そう思っていたのだが、そういうものでもないらしい。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 〔Yahoo!知恵袋〕 大阪弁をしゃべる人はメールや作文も大阪弁なんですか? ◆ 「言文一致」というコトバがある。話しコトバと書きコトバを一致させるという意味だが、思い起こすと、京都に住んでいた子どものころ、(ワタシの友だちの書く)作文や手紙などの文章は、わりと「言文一致」に近かった。方言そのままに書くことができるという地域はそうないのではないかと思う。 ◇ 〔道浦俊彦/とっておきの話〕 「コーヒー」ではなく「コーヒ」なのです。大阪人は語尾の長音を省略することが確かに多いので「コーヒ」はそれほど不思議ではないのですが、その店に3枚あったメニュー看板のうち、2枚が「アイスコーヒ」で、1枚だけが「アイスコーヒー」となっていました。良く見ると、明らかに「アイスコーヒー」の方が拙(つたな)い字なのです。「ははあ、1枚は若い人が書いたので“アイスコーヒー”と“ー”が語尾にも入っていて、残りの2枚は達筆な年配の人が書いたので「コーヒ」と「ー」がないのだな」と想像しました。 ◆ 画像は金沢で見かけた「コーヒ」。メニューに「コーヒ」とあっても、「コーヒー」の発音で注文して困ることはないだろう。また逆に、メニューに「コーヒー」とあっても、「コーヒ」の発音で注文して困ることはないだろう。その程度の違いなんてどうでもいい。そのように思ってしまうワタシは、「書き言葉」と「話し言葉」の現実に存在するバイリンガル的環境を、ただなんとなく気がつかないふりをして、それがあたかも「ひとつの言葉」のように思い込んで生きてきただけなのかもしれない。たとえば、「鶴瓶」。 ◇ 〔Yahoo!知恵袋〕 なぜか関東の人は「つるべい(またはつるべえ)」と言いますね。いつも違和感があります。 ◆ ワタシにはとくに違和感はない。だから、表記も実際の発音も「つるべ」でも「つるべい」でも「つるべえ」でも、あまり気にならない。そのことにはさまざまなメリットとデメリットがあって、どちらがトータルとして望ましいのかよくわからない。ただ、違和感のあるひとは、断固として、「つるべ」と表記すべきだろうし、またすでにそうしているだろう。 |
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