◆ 『夫婦善哉』の主人公、柳吉は「どもり」癖がある。あるいは「吃音症」と書くべきだろうか。
◇ 「ど、ど、ど、どや、うまいやろが、こ、こ、こ、こんなうまいもんどこイ行ったかて食べられへんぜ」
◇ 「自由軒(ここ)のラ、ラ、ライスカレーはご飯にあんじょうま、ま、ま、まむしてあるよって、うまい」
◇ 「こ、こ、ここの善哉(ぜんざい)はなんで、二、二、二杯ずつ持って来よるか知ってるか、知らんやろ。こら昔何とか大夫(だゆう)ちう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛(やまもり)にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)はいってるように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」
◆ 柳吉はんは、どんぐり食うたん違うか? 「どんぐりを食べるとどもりになる」と子どものころによく聞かされたものだが。
◇ 「ボク、どんぐり食うたん違うか」
雑木林の中で、おっちゃんが不意に言った。
〔中略〕
「そんなことないけど……なんで?」
少年はきょとんとして訊き返す。どんぐりが食べられるなんて知らなかった。
おっちゃんは少し困った顔になって、「どどをくるやろ、ボク」と言う。
どどをくる――初めて聞く言葉だったが、「どど」の響きに、背中がひやっとした。
〔中略〕
「どもるという意味や、おっちゃんらはどどをくる、言うとったけどな」
予感どおりだった。少年はうつむいた。頬が熱くなるのがわかった。苦手な「カ」行や「タ」行で始まる言葉はつかわないようにしてしゃべっていたのに、隠しきれなかった。
「どんぐりを食うたら、どどをくるようになるんや、ほんまかどうか知らんけど、おっちゃんらは、こまい頃からそない聞いとってん。そやから、ボクも、どんぐり食うてもうたんやろか、て」
重松清『きよしこ』(新潮文庫,p.99-100)
◆ ある日、だれもいない神社の境内で、なにかの台座のうえに集められた沢山(ぎょうさん)の、ど、ど、ど、どんぐりを見ていたら、ど、ど、どどをくる少年の、困ったような顔がふっと浮かんですぐ消えた。
◆ またある日、会社の事務所で書きものをしていたら、近くにいた事務員のおばはんが、「あんた、ぎっちょ?」と言った、「うちの子も小さいころにぎっちょで、なおそうとしたら、どもりになっちゃって、あわてたわ」。