MEMORANDUM

  かやく(御)飯

◆ 大阪の古典的「めしや」の看板に、「かやく御飯」。「かやく飯」ともいう。漢字では「加薬(御)飯」と書く。

◇  これは東京では混ぜ御飯と言っているもので、ただ違うのは東京の混ぜご飯よりも大阪のかやく飯の方が遥かに旨い上に大阪ではこれを売っている店があってそこで食べられることである。又その混ぜ御飯なるものが今の東京では普通の家庭でもあり付けないものになっているから差し当たり現在の東京でこのかやく飯に相当するものは支那風の炒飯(チャーハン)という所だろうか。全くこの町というのはどこまで落ちて行くのか解らない。
 それで混ぜ御飯ももう忘れられているならば大阪のかやく飯の説明もしなければならなくて、これは油揚げとか人参とか牛蒡(ごぼう)とかを飯に混ぜるのではなくて初めから米と一緒に炊き上げたものである。その作り方からして恐らくはこももとは家庭料理だったのに違いないが、それを主に売っている東京風に言えば食堂が大阪には方々にある。あの味を思い出すと東京の混ぜ御飯と比べたのが悪かった気がする。再び今日の東京風に言えば家庭的とか庶民的とかいう愚にも付かない形容詞を並べることになりそうであっても、これはそうようなことと凡そ縁がない本ものの食べものの味がする。

吉田健一『私の食物誌』(中公文庫,p.32 [中央公論社,1972])

◆ 『夫婦善哉』にも、当然のように、「かやく飯」が出てくる。

◇ 夕方、蝶子が出掛けて行くと、柳吉はそわそわと店を早仕舞いして、二ツ井戸の市場の中にある屋台店でかやく飯とおこぜの赤出しを食い、烏貝の酢味噌で酒を飲み、六十五銭の勘定払って安いもんやなと、カフェ「一番」でビールやフルーツをとり、肩入れをしている女給にふんだんにチップをやると、十日分の売上げが飛んでしもうた。
織田作之助『夫婦善哉』(青空文庫

◆ 「一番」というと、カフェであるよりは中華料理屋であるような気がするが、これはまたべつのハナシになる。それにしても、『夫婦善哉』のような小説を東京を舞台にして書くことはおそらく至難の業だろう。

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