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◆ むかしの知り合いに、泉美、それから希美という名前の女性がいた。ということを、唐突に思い出した。残念ながら、「ZARD」の坂井泉水、それから「モーニング娘。」の辻希美、であったりはしない。念のため。 ◆ 泉美も希美も、必ずしも「美」の字は必要であるわけではなくて、「泉」「希」の一文字だけで、それぞれ「いずみ」「のぞみ」と読みうるはずだが、そこにわざわざ「美」の文字を加えているのは、「美」の一文字が接尾辞のように働いて、女性の名前であることを示すとともに、将来「美しく」あってほしいという親の願いがやさしくこめられているためだろう。姓名判断による画数の問題などもあったかもしれないし、あるいは、漢字一文字よりも二文字の方が「バランス」がいいと考えられたせいかもしれない。 ◆ 人名ではなくて地名だが、「いずみ」には旧国名として「和泉」という表記があって、これは、和泉市のホームページによれば、 ◇ 「和泉」という表記は、もとは「泉」一字の地名だったと思われますが、和銅六年(713年)風土記の編纂を命じたのと同時に、諸国の国郡郷名はよき字(文字として美しくよい意味の字)をつけるようにという命が出されました(「続日本紀」)。これを受けて、国郡里名は二字の嘉名をつけることが命じられました(「延喜民部式」)。元来、国郡名などは一字や三字のものもあって不統一だったのを、これによって統一しようというのが意図だったと思われます。このときに、たとえば木は紀伊になったように、泉も和泉というようになったと推定されています。 ◆ 泉は「泉美」であったり「和泉」であったりするが、さすがに「和泉美」という女性には会ったことがない。やり過ぎだろう。 ◆ どうやら、語尾が「み」の(とりわけ3文字の)コトバは、容易に「美」の字を想起させるためなのか、人名へと転化するものが多い。 ♪ 待ち伏せた夢のほとり 驚いた君の瞳 ◆「ほとり」と「ひとみ」が、なんとも絶妙な脚韻を踏んでいて心地よい。高知放送に大木瞳美という女性アナウンサーがいるそうで、見たことはないので、顔も知らないが、目が魅力的だったりするのだろうか? ◆ 「希美」と入力するためには、多少の努力を要する(MS-IME)。ワタシの場合、まず「希望」と入力してから「望」を消し、「美しい」と入力してから「しい」を消す。そうすると、否が応でも、希美さんのイメージは、ワタシのあたまのなかで、希望にあふれた美しい女性ということになってしまう。20年以上も会っていないが、希美さんは、おそらくそのような女性になっておられることと思う。と、ここまで書いてから、ワタシの知り合いだった希美さんは、「のぞみ」さんではなく「きみ」さんだったことに気がついた。 |
◇ 一口食べると顔がほころび もう一口で心もほころぶ オーナーシェフのこだわりのステーキ ◆ 顔が「ほころぶ」のはいいとして、心が「ほころぶ」とは? 食べたわけではないので、いい加減なことは言えない。どんな風に心がほころぶのか、一度このステーキを味わってみたいが、高そうなので、しばらく心がほころぶ機会は訪れそうにない。それ以前に、ワタシの心は十分にほころんでいるような気もするし。 ◆ 顔がほころび、心もほころぶ。わからないわけではないけれど、この看板を見て、引き返すひともなかにはいるのではないかと思う。「心がぼぐれる」ではコピーにならないのかもしれないが、「心がほころぶ」ステーキ、どうだろう? 以下、今日の宿題。 |
◆ 連想ゲーム。J・G・バラード(James Graham Ballard, 1930年11月18日 - 2009年4月19日)が死去し(てい)たことをあるサイトの記事で知る。 ◇ 〔ロンドン 19日 ロイター〕 英作家J・G・バラードさんが19日、ロンドンの自宅で死去した。78歳だった。 代理人によると、前立腺がんを患っていたという。バラードさんは、第2次世界大戦中だった子ども時代、両親とともに上海の日本軍の捕虜収容所に抑留された。その体験を基に書いた「太陽の帝国」は、スティーブン・スピルバーグ監督によって映画化された。 ◆ スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『太陽の帝国』(Empire of the Sun, 1987)に出演していたのが、ジョン・マルコヴィッチ(John Gavin Malkovich)。 ◇ ジョン・マルコビッチの作品映画といえば、ぜひ一度、「マルコビッチの穴」を観ていただきたいです。「マルコビッチの穴」は実に摩訶不思議な話です。よくこんな脚本を書いたな、と感心しちゃう作品です。 ◇ 昔「マルコビッチの穴」って映画があったんですが、あの映画はさっぱり意味が分からない。あるビルの一室から俳優マルコビッチの意識へと繋がる穴が開いているんですが、その中に入ると、ワケわかんない世界が広がっているわけです。「マルコビッチマルコビッチマルコビッチ…マルコビッチマルコビッチ…」とか言ってるの。よく分からないと思いますけど、そういう映画なんです。 ◇ 多くの人が、観終わったあとに頭の上にポンっと「?」が出てくるだろうと思われる映画だ。こういう映画は「えーと、それで、どういうこと?」などと考えてはいけないのだろう。マルコヴィッチとは、実在の俳優ジョン・マルコヴィッチのことだ。本人も本人役で登場する(主演ではない。いじられ役、というところか)。不条理てんこ盛りの映画だが、一番の不条理は「なんでマルコヴィッチ?」かもしれない。
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◇ アスナロとはアスナロウで明日(アス)ヒノキになろうといって成りかけてみたが、ついに成りおうせなかったといわれる常緑針葉樹だ。
◇ アテは、アスナロの変種であるヒノキアスナロの方言です。美しい林を作り、 建材としても優れています。昭和41年(1966)には「石川県の木」に指定されました。 ◆ アスナロといえば、井上靖の『あすなろ物語』とか柴門ふみの『あすなろ白書』とか、あるいはまた、「あすなろ学級」というものもある。 ◇ 名称の由来はヒノキに似ていることから「明日(はヒノキに)なろ(う)」の意と言われているが、一部の図鑑では俗説であると否定されている。 ◆ けれど、「あすなろ」からこの民間語源の物語を取り去ってしまえば、「あすなろ」にたいするイメージのほとんどが、多くの日本人の脳裏から、魔法のように雲散霧消してしまうことだろう。 |
◆ 先日、3枚の画像を添えて、「野いちご」と題した記事を書いたんだけど、クサイチゴの画像を新しく撮った写真にいま差し替えた。どうしてかっていうと、こっちの方が美味しそうに思えたから。でも、ちょっとだけヤマシイ気もしてる。やっぱり外見の美しさだけで判断してるから。前のはちょっと不恰好だった。でも、その写真しかなかったから、べつに気にならなかったんだけど、もっと格好のいいクサイチゴの実を見つけちゃったら、差し替えたくなった。ボクはつめたい人間かな? ![]() ![]() ◆ おともだちのタネさんが、小学校のころよく食べたってコメントをくれたから、美味しそうな方のクサイチゴを食べてみた。甘酸っぱくて美味しかった。野いちごの味がした。 |
◆ 以前、「花の歌」という記事を書き、さらに以前、「鳥の鴨の尾長鴨」という記事を書いた。何年も前から同じことばかり考えている。 |
◆ 昨日の朝、道路の真ん中にアゲハがとまっていた。例によって、近づいて写真を撮った。何枚か撮って、車に轢かれるとイヤなので、立ち去った。 ![]() ![]() ◆ しばらく歩いてからようやく、あの蝶も車に轢かれるかもとと思った。すこし迷ったが、引き返して、蝶に触れた。生きてはいたが、飛び立たない。道路の端に蝶を置いたら、よろよろと飛び上がり、すぐまた近くの路上に着地した。今度は羽を広げたままだ。また写真を撮った。羽の一部が欠けていた。以前「落ちたハト」という記事を書いたのを思い出した。 |
◆ BOOKOFFで、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を買って読んだ(105円)。キュウリグサが3度出てくる。 ◇ 1) まいは立ち上がって二枚のドアに挟まれた小さいサンルームに行った。完全に外でもなく、完全に内でもないその空間には、ガラスの壁に細めの板が数枚渡してあり、小さい植木鉢や植木ばさみ、じょうろなどが置いてあった。下の方には棚はなく、長年の泥はねなどでガラスがひどく汚れていた。おまけに床のれんがには、隅の方に雑草が生えていた。〔中略〕 まいはしゃがんで、その雑草をつくづくと見た。小さな青い花をつけている。勿忘草(わすれなぐさ)をうんと小さくしたような花だ。〔中略〕 まいは目を閉じた。そしてゆっくり深呼吸し、再び開けた。この小さな青い花はなんと愛らしいのだろう。まるで存在がきらきら光っているようだ。まいはその花をそっと両手のひらで包むようにした。 ◇ 2) まいはゆっくり時間をかけて、後片付けをし、いつものようにドアとドアに挟まれた場所の隅に咲いている小さな勿忘草(わすれなぐさ)のような雑草に水をやった。〔中略〕 そうだ、この草は、ヒメワスレナグサと呼ぼう、とまいは決めた。植物の中で、そのものよりも一回り小さい、よく似た植物を、ヒメ――と呼ぶことをまいは知っていた。 ◇ 3) 「えらい、キュウリ草がようけ咲いとるのう」 ◆ 1度目は雑草として、2度目はヒメワスレナグサとして、3度目はキュウリ草として。時間がないので、つづきは帰ってから。 |