MEMORANDUM
2007年05月


◆ 温泉旅館のテレビを見ていたら、島田紳助司会のクイズ番組で 「卓袱台」 の読みを聞かれた若手のお笑いタレントが 「卓球台」 と答えていた。

◇ そのころ、日本の家庭のおおかたにはちゃぶ台があった。おかずは煮魚焼き魚きんぴらごぼうひじきぬか漬けの類だった。父親の晩酌は二級酒で、つまみはくさやだった。子供は八時には床につくべきものだった。正月には凧をあげて羽根つきをした。ディズニーランドはなかった。プールでは多くの人が 「のし」 で泳いだ。
川上弘美 『ゆっくりさよならをとなえる』 (新潮文庫,p.19)

◆ 川上弘美は1958(昭和33)年東京生まれ。

◇ 卓袱台でご飯を食べると、家族を近く感じる。お互いの呼吸音がすぐそこに聴こえるし、ちょっと手足を伸ばすと、向かいや隣の家族の体に触れることもある。畳を伝わって体温も感じるし、みんなでおなじものを食べている実感もある。いまと違って、茶の間が狭かったのもよかったのだろう。毎晩、六十ワットの電灯の下に体を寄せ合って、ご飯を食べているうちに、わたしは子供心に、この人たちとは一生付き合っていくに違いないと、いつのまにか思い込むようになった。
久世光彦 『むかし卓袱台があったころ』 (ちくま文庫,p.223)

◆ 久世光彦(てるひこ)は1935(昭和10年)東京生まれ。

◆ 大田区立郷土博物館の展示品をみていると、卓袱台があった。その解説。

◇ 「ちゃぶ台」 には、円形と四角があります。どちらも脚が折りたためるものが多く、茶の間で使い、布団を敷くときにはたたみました。

◆ ワタシは1964(昭和39)年京都生まれ。卓袱台の記憶はない。

◆ 卓袱台で思い出したが、去年の6月に小金井にある江戸東京たてもの園を訪れたときに、「できゆくタワーの足もとで-昭和30年代のくらし-」 展をやっていて、その展示品のひとつに 「遺跡調査の際に出土した昭和30年代のゴミ」 というのがあった。ありふれた日常つかいの茶碗や丼などの瀬戸物の破片が、貴重な考古学遺産よろしく、ていねいにつなぎ合わされて復元してあった。

◆ これまで博物館で縄文式やら弥生式の土器をながめてみても、古代人の家族がたのしく食事をしている一家団欒の光景など思い描いたことはなかったが、そうした土器の展示品のなかにも、お父さんのものであったりお母さんのものであったりしたものが混じっていたかもしれない。日本の歴史のなかで各自が自分専用の食器をもつようになったのは最近のことかもしれないが、よくはしらない。

◇ ちなみに自分の食器というのは、いつごろから存在したのであろうか。縄文時代や弥生時代に使用された食器が自分専用かどうかを確かめる手段は無いので正直なところわからないのであるが、奈良時代くらいになると、個人所有の土器が発見されている。
www.ka.shibaura-it.ac.jp/kou27ki/gakunentayri3.pdf

◆ と、芝浦工業大学柏高等学校の松原誠司先生が 「学年通信」 に書いている。その松原先生によると、朝日放送のテレビ番組 「探偵!ナイトスクープ」 にこんな依頼があったそうだ。

◇ ある女子大生からの依頼で、子供のころから15年以上も使っている茶碗が割れてしまったので、それと同じ茶碗がほしいというものであった。その茶碗はスーパーで買った子供向けのプリントがしてある安物ではあるものの、今回買いなおそうとして何軒もの店に足を運んだが、見つけられなかったので依頼をしたという。
Ibid.

◆ ワタシはひとり暮らしなので、すべての食器が自分の食器であるわけだから、これは案外つまらないことかもしれない。どの食器を使おうと、おい、それはオレの茶碗だ、と文句をいうひとはだれもいない。それだからか、それぞれの食器に愛着というようなものもあまりない。

◆ 以前、身体障害者のひとが10人くらいで居住する施設でアルバイトをしたことがあったが、それぞれの茶碗とコップと箸を覚えるのに一苦労した。

◇  小さい頃から父のお茶わんやおわんは大きかったし、私のものは小さかった。私の丸くて小さいペコちゃんがついているお茶わん、それで父がご飯を食べるなど考えられなかったし、私が父の長いお箸で食事をできるとも思えなかった。みんなそれぞれ似合ったものを使っていた。
 こういう各自の食器を 「属人器」 というそうだ。いまだに、実家へ帰ると私は高校生の頃から使っていたご飯茶わんを使う。
 日本の一部の地方や朝鮮半島には、その家の娘が結婚をして家を出る時に、本人の茶わんを玄関先で割るという習慣があるそうだ。また、人が亡くなった時も、その人の茶わんを割って別れを遂げる。
 属人器としての茶わんは不思議だ。いくら持ち主がいないからといって、その人の茶わんを使う気にはなれない。毎日毎食使われるその茶わんは、もうその人自身であるように思えるからかもしれない。

平野恵理子 「私のお茶わんあなたのお茶わん」 『和ごころ暮らし』 (ちくま文庫,p.34-35)

◇  北海道は広い。
 あたりまえのことなのだが、実際にその土地に立ってみると、しみじみ思う。
 旅は 「電車派」 なので、北海道でもできるだけ電車を使って移動する。けれどこれがなかなか難儀なのだ。

川上弘美 『此処彼処(ここかしこ)』 (日本経済新聞社,p.187-188)

◆ たしかにそれは難儀なことだろう。そもそも北海道には電車が少ない。電化されているのは札幌から小樽、旭川、室蘭をむすぶ路線と青函トンネルにつながる木古内から函館までの路線のみで、それ以外の区間は電気がきてないので、とうぜん電車は走れない。しようがないからディーゼルカー(気動車)が走っている。

◆ 東京で地方出身者が電車のことを汽車といって笑われたというハナシはよく聞くが、東京からの旅行者が地方でディーゼルカーのことを電車といって笑われたというハナシはあまり聞かない。電車のことを汽車と呼ぶのが方言なら、ディーゼルカーを電車と呼ぶのも方言だろう。

◇ 主に東京方面、大阪方面などの都会に住んでいらっしゃる方は、線路の上を走っているものは電車しかいないと勘違いしております。よって、気動車なんかを見ても電車だというし、 ブルートレインなどの機関車が先導する列車も電車だと平気で言います。しかし、列車を電車と言うことはさほど恥とされていません。 問題なのは、田舎方面出身の人が電車のことを 「汽車」 と言ってしまうことです。これは恥ずかしいです。都会の人たちに思いっきり馬鹿にされます。 でも仕方が無いのです。田舎方面の方は電車など見たこと無いのです。線路の上を走るものは、汽車しかなかったのですから。列車とも言いません。なぜならば、1両しかないからです。車両が連なっていないので 「列車」 でもないのです。
homepage3.nifty.com/hne/danger/danger049.htm

◇  今日は美幌町でトレーラーと一両編成の汽車がぶつかるという事故がありましたね。ワイドショーでもニュースでもそのニュースを見たのだけれど。
 その中で怪我をした高校生らしき子がインタビューされていて 「汽車が動いてすぐにぶつかった」 という場面があったのですが、字幕スーパーでは 「列車が動いて」 としゃべっている言葉とは違う内容が表示されていました。たぶん 「汽車」 という呼び方が北海道でしか定着していない言葉だからなのでしょう。
 昔チャットでしゃべっていた時に 「汽車で行く」 と書いたら他の地域の人皆に 「汽車っていつの時代よw」 なんていわれたことが・・・。その時に関東在住の人に 「じゃあそっちではなんていうの?」 って聞いたら 「電車とか、JR」 っていわれたけどこっちでは電車ないし(;´∀`)だから汽車って言葉がずっと残っているのかもしれませんね。

love.mania.daa.jp/?eid=636094

◆ また、汽車と電車をうまく使い分けている(いた)地域も多い。たとえば札幌。

◇ なぜか道産子は、JRの列車をすべて汽車と呼ぶ。札幌市民は、路面電車を電車、JRの列車を汽車と呼ぶ。
www.ne.jp/asahi/ys/namaramuchyo/hougenj/kagyou.html

◆ たとえば熊本。

◇ 余談ですが、熊本では単に 「電車」 と言えば普通、市電のことを さします。JRの列車はたとえ電気で走っていても 「汽車」 といいます(JRで通学することを 『汽車通』 といいます)。
kumamotoben.jp/ja/examples-life1.html

◆ たとえば広島。

◇ それから、広島市内では路面電車を利用することが多いので、JRのことを 「汽車」、路面電車を 「電車」 と区別して言っていました。ついつい 「汽車に乗って」 と話して驚かれたことがありましたね。
hougen.atok.com/column/doc/pc/manga05.html

◆ たとえば長崎。

◇ 他所から来た人が不思議に思うことは、長崎の地元の人々が、JRのことは"汽車"と呼び、路面電車のことを"電車"と呼ぶことだそうです。 それは、長崎市民が、「ちんちん電車」にとても愛着を感じているからに、他なりません。
www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/kokusai/gcnews/2006/200606/index.html

◆ たとえば北九州。

◇ かつて北九州では、JRのことは 「汽車」、西鉄北九州線のことは 「電車」 といっていました。ご多分に漏れず私も、子供のころは黒崎の 「井筒屋」 デパートに行くのにも、春の町の 「製鉄病院」 に行くのにも 「電車」 のお世話になっていました。そういえば、幼稚園へは、筑豊電気鉄道の 「電車」 で通ってたっけ…。
www.geocities.jp/express_tsubame/nnr_kit-top.html

◆ そういえば、先日、会津で汽車を見た。あれこれ書いたが、ワタシの汽車のイメージはやはり蒸気機関車が煙を吐いている姿のようだ。

◇ 誰もが、耳にしたことのある 「かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」 の軽快なフレーズ。聞いているだけでも、楽しいですが、踊ってみるのもまた一興。
www.nenrin.or.jp/nara/sawayaka/life2005natu/02.html

◆ だが、「かっぽれ」 を誰もが耳にしているとは思えない。「かっぽれ」 のことではなくべつのことを書きたいのだが、そのべつのことに 「かっぽれ」 が出てくるので、とりあえず 「かっぽれ」。「かっぽれ」 とはなにか? オンライン辞書によれば、

◇ 〔 「カッポレカッポレ甘茶でカッポレ」 という囃子詞からの名〕 幕末から明治にかけて流行した俗謡と踊り。鳥羽節から願人坊主の住吉踊りに取り入れられて大道芸とされ、豊年斎梅坊主らによって座敷芸となった。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ とあるが、「かっぽれ」 を知らないひとは 「鳥羽節」 も 「願人坊主」 も 「住吉踊り」 も知らないだろうから、あまり参考にはならないかも。それにもっぱらお座敷芸だから、見る機会も少ないかも。ワタシもよくはしらない。

◇ 「かっぽれ かっぽれ 甘茶でかっぽれ ヨーイトナ ヨイヨイ」 と、ねじり鉢巻き尻ばしょりたすき掛けの陽気な踊りを御存知でしょう。ルーツは大阪・堺にあります住吉大社の 「住吉踊り」 が源流で、文化・文政の頃、江戸に流れてきて、浅草観音の境内で大道芸として、初代豊年斉梅坊主の一行が踊ったものが始まりと言われています。
www.tojibi.jp/tokyofrm3.html

◇ 「かっぽれ」 という日本伝統芸能の踊りがあります。今の若い人たちは、ほとんどの方が知りません。「かっぽれ」 とはどこの踊りですか、と聞かれたことがあります。年配の方でも、「ああ、かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」 と節をつけて 「あれでしょう」 と言われる方がいます。「そうです。踊りはご覧になったことありますか?」 と聞くと 「無い」 という方が多いようです。中には、「ああ、笊を持って踊る踊りでしょう」 という方もいます。あれは、ドジョウすくいです。ドジョウすくい(安来節)も立派な伝統芸能ですが 「かっぽれ」 とは違います。
d.hatena.ne.jp/namasute06/20070329

◇ 〔神戸市国際交流員・ジェシカ・ラングバインさんは〕 3年生の時、京都・岡崎にあるスタンフォード大学・京都日本研究センターで1年間、日本学を勉強する。「そのころ、日本人のおばさんに英会話を教える代わり、カッポレを習いました」。カッポレは幕末のころに始まった大衆舞踊で 「カッポレカッポレ、甘茶でカッポレ」 とはやしながら踊り、宴席や大道芸でもてはやされた。そのしぐさ、軽妙にして、こっけい。これをまだあどけなさの残るアメリカ人女性が 「あ、カッポレカッポレ」 と踊る。想像するだけで面白いではないか。
www.kippo.or.jp/KansaiWindowHtml/News/2004/20040526_NEWS.HTML

◇ 甘茶といえば、仏教で 「花まつり」 というのがある。この日はお釈迦様のお生まれになった日で、何と、お釈迦様は生まれてすぐに立って歩き 「天上天下唯我独尊」 と言われたそうな。私の興味は、このお釈迦様の賢いデビュー話ではなく、「甘茶でカッポレ」。これって何? 甘茶は分かるとしてカッポレ? むかし祖母さんとゴキゲンな時に 「カッポレカッポレ甘茶でカッポレ」 と踊ったような(恥ずかしい)記憶が。
muemue35.seesaa.net/article/3771684.htmlk

◇ 甘茶でカッポレという文句に憧れて?子供のころかな、どこかのお寺で甘茶口にして、なあんだ、あんまり甘くないわってがっかりした思いでがあるんですよ、ねえ、甘茶でカッポレってどういう意味なんでしょ。??
diary.jp.aol.com/bbs/132937686/25470.htm

◇ かっぽれね、父が組合で集まりあって 家でお酒飲んでいい機嫌になったとき、♪あ~かっぽれ・かっぽれ 甘茶でかっぽれ♪って踊っていたような? だってこの歌の文句 知っているものね(^^)
tomisia.blog49.fc2.com/blog-entry-85.html#comment

◆ というようなことで、知っているよないないよな、花まつりには思い出す、そのようなものが、「カッポレカッポレ甘茶でカッポレ」。一度体験したら忘れられないリズムと踊り。

◆ 「かっぽれ」 の語源については諸説あるようで、よくはわからない。司馬遼太郎は 「かっ掘れ」 だろうと書いている。ハナシは江戸時代の赤坂溜池の浚渫工事。以下やや長いが要約するのが面倒なので引用すると、

◇ 話はかわるが、江戸弁というのは母音がみじかく、子音を強く発する。民衆の啖呵(たんか)などでいっそう威勢を出すために、形容詞や動詞のあたまに、「掻(か)っ」 ということばをつけて景気づける。ただし、武家や商家ではつかわない。
 “耳を掻っぽじって聞きやがれ”などという。(中略)スリが財布を 「掻っさらう」 といえばあざやかだし、体がだるいといえばいいのに、“掻ったるい”といえば、小気味いい。いまはふつうの日本語のなかに入って、大阪の球団の応援団の囃子(はやし)言葉なども“掻っ飛ばせ”などというが、こういう言い方は、もとは江戸の職人や人夫のあいだで多用されたのである。
 ともかくも、浚(さら)えのしごとは、全身、泥だらけでやるから、うかうかすると風邪をひく。威勢よく掛け声をかけることが必要で、その掛け声も、「さあ掘れ、さあ掘れ」 ではなまぬるい。
 やはり、
 「掻(か)っぽれ、掻(か)っぽれ」
 といかねばならない。
 江戸の水道は四通八達して土民のいのち水だから、その浚渫は、幕府がおわるまでたえずおこなわれた。そのつど、土工たちは、

  カッポレ、カッポレ、甘茶でカッポレ

 といったであろう。
 その囃子言葉はのちに芸能化された。踊りにまで入った。掘って、土をほうりあげる手つきが踊りにとり入れられた。「カッポレ」 踊りがはじまったのは文政年間(1818~30)ごろだというが、とにかく、見て聞いて溜飲がさがるのである。穴を掘るというのは、いかに原始のよろこびかということがわかる。
 カッポレが爆発的に流行したのは、幕末からだそうである。はじめ願人(がんにん)坊主が大道芸として踊り、明治初年には寄席に出るようになって、豊年斎梅坊主が人気を博したという。それにしても、上水道さらえの土工には甘茶がふるまわれたのだろうか。
司馬遼太郎 『街道をゆく 33』 (朝日文庫,p.285-286)

◆ ここでようやく 「かっぽれ」 のハナシからべつのハナシになる。穴を掘るということについて。

◇ 穴を掘るというのは、いかに原始のよろこびかということがわかる。

◆ 原始のよろこび。単純に、理屈抜きに、穴を掘ることは楽しい。司馬の知り合いの医者は、「ストレスがたまると大きな穴を掘る」 (p.283)。あるいは、司馬自身の軍隊での穴掘り。日本の栃木に戦車を隠すための大きな穴をいくつも掘ったらしい。

◇ 私も若いころ、大穴を掘ったことがある。あまりにばからしいからこのとき家内に打ちあけなかったが、気持がよかったことが、いまでも思い出せる。
Ibid., p.281

◆ 戦時中の穴掘りということで、そういえば、とまたべつなことを思い出した。先日観た映画 『硫黄島からの手紙』 でも二宮和也が、「オレって墓穴掘ってんのかな」 とつぶやきつつ、穴(塹壕)を掘っていた。いや掘らされていた。こちらはすこしも気持よさそうではなかった。いかにも 「掻ったるい」 という風情だった。

◆ 以下、「穴を掘る」 で検索した文章からいくつか。

◇  たとえば、「ここに穴を掘って下さい」 と人に頼むとします。そう言われて、「わかりました」 と穴を掘り出す人はいないでしょう。どうして穴を掘るのかわからないので、その気になれないからです。そこへ、「徳川幕府の埋蔵金が埋まっています」 と告げます。そうしたら人は、にわかに張り切って穴を掘り始めるでしょう。どうして穴を掘るのか、その理由がわかったからです。このように、人に何かをしてもらうためには、「どうしてやるのか」 を説得することが鍵です。
 全く同じことがレポート・卒論にも当てはまります。

hostgk3.biology.tohoku.ac.jp/sakai/ronbun/honR.html

◆ これは 『これからレポート・卒論を書く若者のために』 (酒井聡樹、共立出版)という本の著者による内容紹介文。理由もなく穴を掘る人はいないという。

◇ そもそも人間が穴を掘るという行為には、埋葬、居住・避難、待ち伏せ狩猟(陥し穴)、保存・保管・貯蔵、ゴミ等の廃棄、排泄、飼育・養殖・栽培、取水・水汲み、調理、たき火、柱を建てる、石や碑を立てる・・・など、生活をより充実、便利、快適にする何らかの目的があってのことである。趣味で穴を掘る人はごく稀であろうから、穴を掘ること自体が目的のケースはほとんどない。したがって土坑には何らかの用途があったとみるのが常識的である。
ja.wikipedia.org/wiki/土坑

◆ これはウィキペディア。理由もなく穴を掘る人はほとんどいないという。だが、いるところにはいるらしい。

◇ 何かを掘り起こす訳ではなく、何かを埋める為でもない。何の目的もない穴掘り作業にただ没頭してみたい。説明し難い衝動にかられて穴を掘る。
portal.nifty.com/special03/08/28/

◆ 千葉の成田ゆめ牧場というところでは毎年2月に 「全国穴掘り大会」 を開催していて今年で7回目だったとか。

◇ ゆめ牧場の恒例イベントとなった“穴掘り大会”。年々参加者が増え、昨年は100組を超えるチームがエントリーしました。ルールは単純明快、1チームのメンバーは6名以内、制限時間以内にスコップ、バケツ、ロープのみを使用して一番深い穴を掘ったチームには、現金10万円を進呈します。
www.omoshiro-chiba.or.jp/new/19-2/event.html

◆ 《Yahoo!知恵袋》 にこんな質問。

◇ ごはん粒を、指で丸める(こねる)癖のある人って何か心の病気?友達がよくこねています。。。粒といえども食べ物ですし、見ていていい気がしないのですが。。。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=117674686

◆ これを読んですこしショックを受ける。ワタシもよくコンビニのおにぎりでそれをやる。心の病気だろうか? 精神分析ならそのように解釈するかもしれないが、司馬遼太郎にならって、ワタシはそれを 「原始のよろこび」 だと(小声で)いいたい。

◆ なんであれ、こねることは楽しい。たとえば鼻くそ。

◇ 僕は鼻くそを人差し指と親指で丸める感触が好きです。
hobby9.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1041312849/

◆ と正直に告白するひとはまれだろうが、パン生地ならどうか?

◇ パンを捏ねるのってやっぱり好き。発酵してふんわりとした生地を、やさしくしっかり丸め直すときの、手触りが好きなの。
yaplog.jp/shunmama/archive/774

◇ ♪パンこねセラピー♪ なんのことはない、パンをこねるだけのことなんですが、、、でも、ぷにゅぷにゅのやわらか~いパン生地をさわるというのは、癒し効果大♪ 頭の芯までぷにゅぷにゅになっていく感じで心地いい~。
megu1031ta.exblog.jp/3232317/

◇ ホームべーカリーもあるけど 手でこねる楽しさを奪われるのはイヤッ!w あれが醍醐味だなあ。
blog.livedoor.jp/yurigohan/archives/51340991.html

◇ パンって、こねる時が楽しいです♪ ごしごし、ぐるぐる、生地作りをしていると、なんだか気分爽快~! いいかも^▽^;
hello.ap.teacup.com/cheer_worlds/145.html

◇ 僕がパン作りで一番好きなのはこのこねる時間です。生地がだんだん滑らかに柔らかく変化していく様子は感動ものです。酵母や粉は生きているんですね~。
www.auvelcraft.co.jp/isigama/story/pan_1012.html

◇ パンをこねる感触も粘土みたいで気持ち良いですよね!
sweetbread.exblog.jp/6760026

◆ なるほど、ご飯つぶをこねるよりはパン生地をこねたほうが気持ちがよさそうだ。

◆ ほかにもまだこねるものはいろいろある。熊本に 《DaDa》 というグループがある。ダダは 「こねる」 もの。ということで、「こねる」 をキーワードにさまざまな活動をしているらしい。

◇  代表の高木淳二氏(建築家)は、ある日、建設現場で処分に困っているどろどろした土に出会いました。「何かに使えないだろうか」。知り合いの瓦職人に見せたところ、瓦には向かない土だとわかりましたが、このとき瓦職人が土を見分けるために見せた仕草に氏は着目しました。「そういえば、左官や陶工も同じ仕草をする」。彼らは土を練って手のひらに取り、紐状に伸ばして輪を作ってみるのです。
 「ああそうか、3人とも土を “こねる” 職人なんだ」。さらに “こねる” ことを仕事にしている人たちがほかにもたくさんいることに思い至ります。うどん屋、まんじゅう屋、パン屋、かまぼこ屋、線香屋などなど。しかもいずれも土や植物といった私たちの身近にあるものを素材としています。こうした素材が、“こねる” という技術を通してさまざまな商品価値を生み出しているのです。

www.hc-zaidan.or.jp/aracult/iken/me2.html

◆ なんであれ、こねることは楽しい。理屈をこねることも楽しい?

◇ 町で食事をしていて気がついた。キッコーマンがおいてない。味噌醤油がすべて当地産なのだ。経済的自給自足が可能なので、近代資本に牛耳られずに百数十年前の面影を完全保存していられたのだろう。
種村季弘 『日本漫遊記』 (筑摩書房,1989,p.189)

◆ 「キッコーマンがおいてない」 という簡潔な表現がいい。醤油のブランドを色・香り・味だけでソムリエのように区別する能力が著者にあったというわけではないだろう。そうではなくて、食事をした町の食堂のテーブルには、あの全国どこにでもあるキッコーマンの卓上ビンがなく、そのかわりに地元メーカーの醤油の卓上ビンが置かれていたということなのだろう。卓上に置かれていたのが 「ふつうの」 の醤油さしであったなら、その中身を確かめようがない。もちろん、キッコーマンの卓上ビンにべつな醤油がいれてあったり、その逆もあったりするかもしれないが、そんなことまで考えていては食事がまずくなる。このキッコーマンがない町は、東北の小京都と呼ばれる角館。

◇ 角館にはいささかおどろいた。町そのものが博物館である。町全体が観光化しているという意地の悪い表現は当たらない。
Ibid.

◆ 角館にはずいぶん以前に一度訪れたことがあるが、キッコーマンのあったかどうかの記憶はない。そもそも食事をしたのかどうかの記憶がない。そのかわりといってはなんだが、さいきん喜多方で同じようなことを考えた。

◆ 大安食堂という店でラーメンを食べた。そのテーブルの上にあったのはキッコーマンではなく、ヤマジョウ醤油だった。確かめたわけではないが、

◇ 喜多方のラーメン屋さんの多くで使用されている
www.akina.ne.jp/~kanechu/html/3-7zoutouhin.htm

◆ そうだ。味はというと使ってないからわからない。あれこれ調べるとキンタカサゴ醤油(会津坂下)というのも喜多方ラーメンではメジャーらしい。喜多方の町を歩くと、造り酒屋も多いが、味噌・醤油屋がとにかく目につく。

◇ 蔵の町・喜多方を古くから支えてきたのは、味噌、醤油などの醸造業。長い伝統の技から生まれる喜多方の醤油は、それぞれの醸造元ごとにじっくりと蔵の中で熟成され、独特の色・香りを持っています。
www.bpf.or.jp/sanpin2003/category/miso-1.html

◆ 醤油を地酒のようにあれこれ飲み比べてみるというふうにはなかなかいかないのがちょっと残念。

◆ 北区田端東覚寺の赤紙仁王。東京都北区指定文化財(有形民俗文化財)。北区教育委員会の 「文化財説明板」 によると、

◇ 石造金剛力士立像は、全身に赤紙が貼られているので、通称赤紙仁王とも呼ばれています。身体の悪い人が、疾患のある部分に赤い紙を貼って祈願すれば、病気が回復すると信じられ、現在も、なお、祈願する人が絶えません。横の草鞋(わらじ)は、祈願して病気の回復したとする人々によって供えられたものです。
www.city.kita.tokyo.jp/misc/history/history/da37.htm

◆ 「病気が回復すると信じられ」 「病気の回復したとする」 という言い回しがややお役人的。

◇ 光沢のあるハトロン紙の赤紙を自分の願いを叶えたいところ(頭を良くしたいなら頭に、毛を生やしたいなら頭に、膝が痛いなら膝に・・・・)に、べっとりと糊で貼り付ける。
060636.blog24.fc2.com/blog-entry-519.html

◆ ワタシはさいきん頭痛に悩まされたりもしているので、仁王様の頭に赤紙を貼ろうかと思ったが、疑問がひとつ。もしかしてワタシの頭にまちがって髪の毛がどんどん生えてきやしないか? 仁王様の頭に赤紙を貼った人々の症状はそれぞれ異なるはずだけど、それを仁王様はどのように区別しているのだろう? ちゃんと詳しく書いとかないと、仁王様も困るんではないかな?

◇ 風邪をひく。 / 六年ぶりくらいに、お医者さんに行く。 / はりきって、よそゆきのブラジャーをしていく。迷ったすえ、パンツもよそゆきのにする。
川上弘美 『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』 (平凡社,p.106-107)

◆ 検索エンジンでパンツとブラジャーをキーワードにこちらを訪問された方には申し訳ないけれども、残念ながら、パンツとブラジャーのはなしではない。

◇ 風邪をひく。六年ぶりくらいに、お医者さんに行く。

◆ こんな短い文章から、あれこれ考える。医者に行くのが6年ぶりとはよほど健康なんだなあとか、それとも医者がよほどキライなのかなあとか、でも風邪をひいたくらいで医者に行くんだなあとか、6年間で一度も風邪をひかなかったのかなあとか、それともよっぽどひどい風邪だったのかなあとか、あれこれ。

◆ ワタシは風邪をひいたくらいでは医者には行かない。そもそもあまり風邪をひかない。というようなことを何度も自慢気に書いてきた記憶があるが、このところトシのせいか体調がすぐれない日が続いて、「風邪気味なもので」 と言うことが増えた。

◆ たとえば、さいきん頻繁に頭が痛くなる。ズキズキと痛む。世に頭痛持ちのひとは多いというはなしは聞いたことがあっても、これまでワタシは頭痛というコトバの意味さえよく理解してはいなかったらしい。ああ、これが頭痛というものなのか、と妙な感心をしている。

◆ けれど頭痛が続くと、感心しているばかりではすまなくなって、先日くすり屋さんに行った。「頭痛に効くお薬ありませんか?」 「ほかに症状は?」、ほかにべつだん症状はなかったが 「ええと、のどが痛いです」 と答える(のどが痛いのはタバコの吸いすぎだろう)。すると、くすり屋さんは満足そうに 「風邪ですね」 とかぜ薬を出してくれる。ワタシもこのなりゆきに満足して、かぜ薬を買って帰る。ああ、風邪でよかった。

◆ 医者に行くのは怖い。多少のことなら風邪ということにしておけばいい。もしかしたら、とんでもない病がワタシを蝕んでいるかもしれぬ、ふとそんな恐怖におそわれるときには、いつでも風邪ということにして・・・。

 ♪ 天国じゃなくても 楽園じゃなくても
 あなたに会えた幸せ 感じて風になりたい

 THE BOOM 「風になりたい」 (作詞:宮沢和史)

  風化

◆ 風になることを風化という。人間が風になることはなかなかできない。けれど、岩石にはその特権が与えられている。宮沢賢治に 『楢ノ木大学士の野宿』 という作品がある。野宿第二夜。宝石学が専門の楢ノ木大学士には石たちの会話が聞こえる。

◇ その時俄(には)かにピチピチ鳴り
それからバイオタが泣き出した。
「あゝ、いた、いた、いた、いた、痛ぁい、いたい。」
「バイオタさん。どうしたの、どうしたの。」
「早くプラヂョさんをよばないとだめだ。」

宮沢賢治 『楢ノ木大学士の野宿』 (青空文庫

◆ 「バイオタさん」 の本名はバイオタイト。biotite は黒雲母。「プラヂョさん」 はお医者さん。石の医師、医師の石。本名はプラジオクレース。plagioclase は斜長石。

◇ 「プラヂョさん、プラヂョさん。プラヂョさん。」
「はあい。」
「バイオタさんがひどくおなかが痛がってます。どうか早く診(み)て下さい。」
「はあい、なあにべつだん心配はありません。かぜを引いたのでせう。」
「ははあ、こいつらは風を引くと腹が痛くなる。それがつまり風化だな。」
大学士は眼鏡(めがね)をはづし
半巾(はんけち)で拭(ふ)いて呟(つぶ)やく。
「プラヂョさん。お早くどうか願ひます。只今(ただいま)気絶をいたしました。」
「はぁい。いまだんだんそっちを向きますから。ようっと。はい、はい。これは、なるほど。ふふん。一寸(ちよつと)脈をお見せ、はい。こんどはお舌、ははあ、よろしい。そして第十八へきかい予備面が痛いと。なるほど、ふんふん、いやわかりました。どうもこの病気は恐(こは)いですよ。それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性りょくでい病にかかって大分軟化してますからね、どうも恢復(くわいふく)の見込がありません。」
病人はキシキシと泣く。
「お医者さん。私の病気は何でせう。いつごろ私は死にませう。」
「さやう、病人が病名を知らなくてもいゝのですがまあ蛭石(ひるいし)病の初期ですね、所謂(いはゆる)ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云ひますがね。それから、えゝと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さやう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒ですが一万年は持ちません。」

Ibid.

◆ 「長くても一万年は持ちません」 というコトバになぜかほっとする。

◆ クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』。その冒頭近くのシーン。米軍の上陸に備えて、海岸線に塹壕を掘っている兵士たち。そのうちのひとりである西郷(二宮和也)が、妻への手紙の文面を朗読するかたちで、つぶやいた台詞「墓穴を掘る」についてのちょっとした疑問。《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。

◇ 『硫黄島からの手紙』を観てきました。そこでひとつ質問なんですが、二宮が初めて登場するシーンで妻・花子に語りかけると思うのですが、「花子…、俺たちは掘っている。そこで戦い、そこで死ぬ穴を。○○○掘ってんのかな」というセリフがありますが、○○○は何といったのでしょうか? 「オケツ」と聞こえたような気がするのですが、お尻のことですか??? なぜお尻???
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310287113

◆ こんな回答。

◇ 「墓穴(ボケツ)」って言ってましたよ。「墓穴を掘る」っていう慣用句と、「戦場で死ぬかもしれない場で穴を掘っている事実」とを掛け合わせたのです。
Ibid.

◆ この回答を読んで、「?」と思った。たしかに土葬の習慣のない今では、「ボケツと掘る」という表現はもはやほとんど比喩的な意味でしか使用されなくなってはいるが、この場面で、この「墓穴を掘る」という表現が、自らがそこで死に埋葬されることになる墓穴(はかあな)を掘るという本来的な意味以外に、慣用句としての「ボケツと掘る」のニュアンスが掛け合わされているとはとても思えない。ワタシはそう思ったのだが、「墓穴を掘る」という表現にたいする以下の数々のコメントを読むにつけ、自信がなくなってくる。

◇ 西郷が冒頭で言う「…墓穴掘ってるのかな」という言葉。穴を掘るという事と絡ませて粋な台詞です。これが英語などにどう生かしていくのか、そちらの方も気になります。
tossa.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_bc70.html

◇ 「オレら何掘っているんだろうな。」と隣の兵士が聞くと、「墓穴掘ってるのかもな。」みたいな会話がある。うまいジョークだなあとつい感心してしまったが、ボケツだったのか墓穴だったのかは誰にもわからない。
blog.goo.ne.jp/anndarusia2000/e/222689154bfcbc2181277c1a20d57dd3

◇『墓穴を掘る』なんていうしゃれもね、日本人でこの当時でこんなこと思いつけるやついたのかなあと。今の日本でも、かなりめだつかな。
plaza.rakuten.co.jp/futsupa/diary/200612160000/

◇ 「ハナコ、今俺たちは穴を掘っている。」 「墓穴(ボケツ)ってやつかな。」(←ちょっと切ないダジャレ、涙。)
ninosakuranbo.jugem.jp/?eid=1244

◇「墓穴」などという熟語も駆使されていることから、日本語へのアダプテーションも問題ないのだろうと思いきや、二宮扮する日本兵のキャラクターがどうにもアメリカ臭い。
www.flowerwild.net/2007/01/2007-01-22_125856.php

◇ 日本独特の言い回しもいいのではないでしょうか。英語字幕だと殺風景ですが。「墓穴を掘る」ってそのまま英訳しても意味はわからないでしょうね。
blog.goo.ne.jp/hanaken0518/e/93cb0b52d0f9f7fb4ffacaca517676b8

◆ はたして、ここでの「墓穴を掘る」というコトバが、「絡ませて粋な台詞」だったり、「ジョーク」だったり、「しゃれ」だったり、「ダジャレ」だったり、「熟語」だったり、「日本独特の言い回し」だったり、するものだろうか?

◇ 冒頭でのシーン。前線で塹壕を掘りながら「俺達、墓穴掘ってるのかなぁ。」 本来「いやぁ、墓穴掘っちゃってさぁ」なんて、軽く使えるような言葉ではないはず。
blogs.yahoo.co.jp/waontrinity/archive/2007/01/03

◇ 砂浜で塹壕を掘っている二宮和也が「俺たち、墓穴を掘っているのかな」というセリフはもはや脚本がもとから日本語で書かれたものだと錯覚させる。
www.up-edu.com/kenshinkan-jr-blog/2007/01/_de_12_letters_from_iwo_jima20.html

◇ 最初の方のシーンで、ある日本兵が海岸で戦闘用の穴を掘りながら、『墓穴を掘ってるみたいだな』とポツリ。まさに言葉通り。今まで、“墓穴を掘る” の意味は知っていたが、その漢字まで考えたことはなかった。何でこんな言葉が生まれたのだろう?
d.hatena.ne.jp/Nampei/20070106

◇ 「俺たちは掘っている。・・・墓穴掘ってんのかな」という二宮和也の印象的なセリフ、これって英語ではなんていうのかな…? こういう日本語のおもしろさがアメリカ映画で見られたというのはちょっとした衝撃です。
www.snow-sugar.jp/2007/01/post_23.html

◇ 冒頭の二宮くんの語り・・・「 花子・・・。俺たちは掘っている。自分たちが入る穴を・・・墓穴(ぼけつ)掘ってるのかな・・・。 」という日本にいる妻に宛てた手紙の日本人でしか持ち得ないメンタリティの細部まで、描いた脚本に驚いた。
worldofpp1.exblog.jp/6203157/

◆ 「ボケツ」と発音されたコトバは、いまでは多くのひとにとって、「墓穴(はかあな)」という具体的なものをイメージさせる力はほとんどなくなっており、もっぱら「ボケツを掘る」という抽象化された慣用表現を連想させるものであるらしい。「オケツ」と聞き違えるひともいるようでは、「ボケツを掘る」という言い回しは、無用なイメージの拡散を防ぐためにも、「ハカアナを掘る」と発音されるべきだったかもしれない。

◇ 日本語の台詞も割とちゃんと出来てたし。でも墓穴「ぼけつ」はウソでも「はかあな」にして欲しかったかなぁ。………(←) いや、あってるんですけど、でも。
heavenly.heavensflower.babyblue.jp/?eid=449792

◇ 砂浜にざん壕を掘る若い兵士西郷(二宮和也)がボヤきます。「俺、墓穴(ぼけつ)、掘ってるんだろうか?」 のっけからジャブをくらったようで、ぐぐっときました。ここでは墓穴(はかあな)のほうがいいんじゃないかなぁ思いつつも、これからどこまで心臓をえぐってくれるのだろうかと、身構えました。
www.doblog.com/weblog/myblog/10668/2623090#2623090

◆ 「ボケツ」と「ハカアナ」は同じものだというのが辞書的定義であっても、現実の語感においては、「ボケツ」と「ハカアナ」とではいちじるしく異なるものであるらしい。

◆ 北海道に万字温泉という温泉があった。何度か行った。ある温泉ガイド(2006年2月20日改訂第5版発行)の記述によれば、

◇ 炭鉱の閉山で経営者は何度も変わった。現在は、5代目館主・高橋史郎さんが病気療養中のため、高橋さんのお母さんが施設を守っている。
本多政史 『札幌から行く日帰り温泉223』 (亜璃西社,p.32)

◆ だが、今年の4月29日に訪れたひとの日記には、

◇ 夕張市街を抜けて道道をしばらく走り続けて、目的地である万字温泉に到着。が、、、、、、、、、、、その万字温泉の旅館。。。閉鎖されています。。。冬季閉鎖・・・と言う感じでもなさそう。。。なんとなく廃業した感じに取れるんだけど。。
www5a.biglobe.ne.jp/~yama283/hokkaido/2007-hokkaido/07_gw-haru_hokkai_2.htm

◆ また、ある掲示板には、

◇ 2007/04/11(水) 20:09:44 今日万字温泉へ行ったら、なんか除雪もされておらず閉鎖されてたけど、万字温泉って潰れたの? 誰か事情知ってる人いますか?
hokkaido.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1174219044

◆ 1年前、2006年4月15日の夕方、その万字温泉に友人と3人で行った。客はほかにだれもいなかった。この時期客はほどんどいない。この日も玄関で何度声をかけても誰も出て来ず、あきらめて帰ろうかと思ったときに、ようやく従業員のオジサンが顔を出して、困ったような顔をした。「いや、だれも来ないと思ったもんで」、風呂の湯を半ば抜いてしまったという。こちらも悪いとは思ったが、せっかく来たので、風呂の準備をしてもらって、ぬる目の湯につかり、それから鴨鍋を食べた。それが最後に万字温泉に入った日。というのも、後日友人からメールが来て、

◇ 先日万字温泉に3人で行った数日後、翌週の水曜日の早朝、一台の救急車がうちの前を登って行ったので、また誰か死んだのかと思い救急車の行方を目で追ったら人家を通り過ぎて行ったので、また万字温泉で心臓マヒかと思ってたらなんと犠牲者は万字温泉の女将(Kさんが風呂場で会った人)だった。本当に心臓マヒで亡くなった。近所の親父らから得た情報によると温泉は廃業するらしい。売りに出すという事だがあそこを買い取る物好きもいないと思うので、もうかも鍋は食えん。ひょっとしたら俺達が最後の客だった可能性がある。

◆ 翌週の水曜日というと、行ったのが土曜日だったから、わずか4日後のことだ。まったく、あきらめて帰らなくてよかった。そんな感想しか浮かばないのがやや薄情な気もするけれど、風呂に入り鴨鍋を食べておいてよかったな、と単純にそう思う。来るのが1週間遅かったら、あきらめて帰るほかはなかったのだから。たまたまコトの前後がこちらにとってよい順番であっただけだが、われわれが 「最後の客」 だったかもしれないという想像が、万字温泉の記憶をより印象深いものにしたことは間違いがない。

◆ とはいえ、だれか新たなオーナーが見つかれば再開する可能性もあるわけだから、のんびりと待つことにしよう。

◇ 万字温泉は、おばあちゃんが亡くなって経営ができなくなった、おばあちゃんの調理した鴨なべの味付けは、やさしく心身あたたまるものだった、人柄も・・・毎年、山菜取りに出かけ帰り道、りんご風呂の温泉でゆっくりと時間を過ごした想い出は忘れない。
www2.machibbs.com/bbs/read.pl?BBS=hokkaidou&KEY=1101726098

◆ 温泉の思い出はなぜだかいつでもあたたかい。

◆ 万字温泉の思い出をもうひとつ。万字温泉の名物は鴨鍋だった。行くたびに鴨鍋を食べた。「最後の客」 になったときも食べた。鴨鍋を食べたのは大広間。正面には舞台があって、カラオケの設備やらないかが雑然と並べられていたが、一番目立つのは赤い大漁旗だったろう。とはいえ、すぐにでも目についていたはずの大漁旗の存在に気をとめたのは、「最後の客」 になったときが初めてだった。

◆ その大漁旗の存在を最初に気にとめたのは、Kさんだった。食事の準備を待つあいだ、大広間でしげしげと不思議そうになにかを見つめている。視線のその先に、赤い大漁旗があった。「あ、大漁旗だな」と、そのときはじめて気がついて、文字を読む。

◇ 祝 大漁 第六十八北雄丸 紋別市・・・

◆ ワタシは 「こんな山奥の温泉にどうして大漁旗?」 と、思っただけだったが、Kさんは違ったらしい。というのも、Kさんの出身は紋別だったから。それだけではなくて、Kさんの父親の勤める水産会社が所有する漁船が北雄丸だったから。それはさぞ不思議な気がしただろう。後日、Kさんは紋別の実家に帰省したさい、父親に大漁旗のハナシをしたらしい。こんなメールをくれた。

◇ 父に万字温泉の北雄丸の大漁旗の話をしたら、第二北雄丸から話が始まり、北転船などの長い話になっちゃって、父の話好きに火を付けてしまいました。写真は実家のアルバムにあったもので第ニか第五北雄丸らしい白黒写真です。

◆ ちなみに万字温泉にはこの第六十八北雄丸の大漁旗とはべつに、第六十八北雄丸および第八十二北雄丸の進水旗もあった。おそらく北雄丸関係者に知り合いがいたのだろう。紋別とも北雄丸ともなんの縁もないワタシだが、ちょっと興味をそそられて、ネットで検索してみると、たとえば、こんな文章が・・・。

《北海道大学関西同窓会》 の会報 《関西エルム会新聞 vol.56》 (2006年9月)に掲載された、「元北大低温研究所流氷研究施設長・現道立オホーツク流氷科学センター所長」 青田昌秋さんの 「海は母、流氷は友」 と題された講演記録から。

◇ さて、これとは別に紋別にはもう一つの 「海明け」 がある。流氷を避けて回航して来た、あるいは陸に揚げられていた漁船が紋別港の赤灯台、白灯台を結ぶ線を通過した時刻を 「海明け」 と決め、その時刻を当てる 「クイズの海明け」 がある。今年の流氷接岸初日は、平年より34日も遅い3月5日、ところが翌6日には流氷は離れ、午後2時43分、紋別港所属の沖合底引き船、第8北雄丸が船団の先頭を切って回航先の室蘭から帰港した。ガリンコ号が停泊しているステーション前の特設時計の針が動きを止めた。「クイズの海明け」 時刻が確定した瞬間だ。クイズには全国から9,000通を超す応募があり、今回、初めて時分までぴたりの応募者が居た。
www2.cubemagic.co.jp/hokudai/elm/elm/56/kanwa.html

◆ 紋別といえば、流氷。流氷といえば、観光砕氷船ガリンコ号。それから 「海明け」 というコトバも魅力的。

◇ 一昔前まで、浜の男たちは、冬、出稼ぎに出た。浜の子供たちにとって 「海明け」 は、待ちに待った父が戻る日でもあった。「海明け」 という言葉には、オホーツク海の春の明るさとともに、浜の人々の思いが込められているようだ。書店で20数冊の国語辞典を片っ端から調べてみた。「海明け」 の項を載せているのは2冊しかなかった。「海明け」 は単なる浜言葉かもしれないが、美しい日本語だと思う。
Ibid.

◆ つぎは、函館地方海難審判庁の裁決記録から、「漁船第八十六北雄丸機関損傷事件」。

◇ 第八十六北雄丸(総トン数160トン)は,北海道紋別港沖合の漁場で操業中,主機(6M28H4C型,860キロワット)のシリンダライナに生じた掻き傷が進展していたころ,平成15年8月18日12時00分紋別灯台から026度31.9海里の地点において,潤滑油こし器に金属粉が捕捉され,同こし器前後の圧力差が上昇した。
www.mlit.go.jp/maia//04saiketsu/17nen/hakodate/hd1708/17hd016yaku.htm

◆ もちろん技術的なことは皆目わからないが、ともかくここにも北雄丸。北雄丸の大漁旗はいまでも万字温泉の大広間に掲げられているだろうか?

◇ 東京人たるもの、義理人情にあつく気っぷよくしかし人には立ち入らず、山手線の外側はすでに辺境の地、渋谷新宿は街とはいえぬ、繁華街ならば銀座、町ならば浅草上野、醤油は「おしたじ」お風呂屋は「おぃや(「お湯屋」が東京流になまったものらしい)」みそ汁は「おみおつけ」と言わねばならず、熊を「く」ま(く、にアクセント)などと言おうものなら平手打ちが飛び、驚いたときには「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神、そうは有馬の水天宮」とかんぱつを入れず叫ぶ。
川上弘美『あるようなないような』(中公文庫,p.57)

◆ 東京で暮らしてはや20年。いっこうに東京弁は上達しない。知り合いがみなイナカモンばかりだからである。「おそれ入谷の鬼子母神」なら知ってはいても、「びっくり下谷(したや)の広徳寺」は初めて聞いた。こういうことば遊びを「無駄口」というのだそうだ。辞書を引くと、

◇ 言語遊戯の一。語呂によってもとの文句をもじっていうもの。「おそれ入谷(いりや)の鬼子母神」「驚き桃の木山椒の木」の類。
小学館『大辞泉』

◆ とあるが、元の文句をもじるというよりは、元の文句に無駄な(余分な)ことばを付け足すのである。「付け足し言葉」といった方がわかりいいかもしれない。齋藤孝の 『声に出して読みたい日本語』 (草思社)にも「付け足し言葉」の例が九つ挙げられているそうで(読んではいないので、適当によそから孫引きすると)、

◇ 驚き桃の木山椒の木 / あたりき車力よ車曳き / 蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨 / 嘘を築地の御門跡 / 恐れ入谷の鬼子母神 / おっと合点承知之助 / その手は桑名の焼蛤 / 何か用か九日十日 / 何がなんきん唐茄子かぼちゃ

◆ といったぐあい。ちなみに齋藤センセは『おっと合点承知之助』(ほるぷ出版)という「付け足し言葉」を集めた絵本までお出しになっているそうで、

◇ 日本語の面白さをこんな風に、絵本にしてしまうなんて、本当に驚き桃の木山椒の木です。お話は、おじいちゃんと、その孫である子供たちが、忍者ごっこをしながら繰り出す楽しい言葉遊びです。あまりにもよくできていて、恐れ入谷の鬼子母神です。
www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=4136

◆ なんともすごい影響力であるある大事典。

◆ むかしは写真というものが今よりもずっと大切なものだった。人生の大切な節目には、きちんとした身なりで写真館に出向いて、きちんとした写真を撮ったものだった。

◆ 写真の整理をしていて(といってもパソコンのなかにしかない)、結婚式の写真が2枚出てきた(といっても他人の写真)。1枚は、炭鉱町での結婚式。これは友人の本棚にあった写真集 『万字炭山1966-1989』 (清信朝男)の1ページから。もう1枚は、スリランカ人の友人の叔母さん夫婦の結婚式。キャンディという古くからの町に住む、その叔母さん夫婦のお宅に宿泊したときに、見せてもらったアルバムの1ページから。どちらも写真の写真、コピーのコピーだけれど、見ていて飽きない。

  馬面

◆ 馬の顔を見ていると、まさしく馬面だなあと思うときもあるし、意外に丸顔だなあと思うときもある。

うまづら 【馬面】 馬のように長い顔。顔の長い者をあざけっていう語。うまがお。
小学館 『大辞泉』

◆ 馬面といっても、人間の場合、耳が顔の上にあるわけではないし、目が顔の真横にあるわけでもない。顔のパーツの配置が馬に似ているということが馬面なのではなくて、顔が縦に異様に長いことを馬面というようである。だが、顔が長いというだけでは、馬面というわけにはいかない。たとえば、七福神の福禄寿は馬面だろうか?

◇ 顔の上半分が上に伸びる事はないだろう。しかし上へ伸びたのではなく、顔の諸道具が下にずり落ちた為、上の方が広広と残っている例はある。
内田百閒 「馬は丸顔」 ( 『内田百閒集成15 蜻蛉玉』,ちくま文庫,p308)

◆ なるほど、あの顔は目や鼻が 「ずり落ちた」 結果であったか。まったく百鬼園先生はいろんなことを教えてくれる。明治初期のジャーナリストとして著名な成島柳北、それから福地源一郎(桜痴)。このふたりが、ある年、馬に乗って隅田川の花見に行った。ところで、この成島柳北というひとはまさしく馬面というにふさわしい顔立ちだったらしい。馬上の柳北の姿をしげしげと眺めた桜痴は、「感にたえて一首詠んだ」。

 さてもさても
 世は逆さまと成りにけり
 乗りたる人より馬は丸顔

 Ibid. p.307-308

◆ 《国会図書館》 の 「近代日本人の肖像」 というページの成島柳北の写真を見てみると、たしかに立派な馬面である。さぞかし馬も面食らったことだろう。

◆ 東京競馬場はこの時期毎週G1レースがあって忙しい。この前の日曜にオークスが終わって、今度の日曜はいよいよダービーだが、オークスの前の日曜にヴィクトリアマイルという牝馬のG1レースがあった。

◆ 一番人気は昨年の牝馬2冠馬カワカミプリンセス。馬名で馬券を買うということはめったにしないのだが、このとき、たまたま川上弘美という作家の本を続けて読んでいたこともあって(というか、ほとんどそれだけの理由で)、もうこれしかないという気持ちになってしまって、カワカミプリンセスからの流し馬券を買った。その結果、

第2回ヴィクトリアマイル・G1(13日・東京競馬場、牝馬限定、芝1600メートル) 12番人気のコイウタが直線坂上から一気に伸び、松岡正海騎手ともどもG1初制覇。オーナーは歌手の前川清さん。逃げたアサヒライジングが2着に粘り、3着はデアリングハート。G1・3勝馬スイープトウショウは9着、復帰戦で1番人気になったカワカミプリンセスは10着に沈んだ。
hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20070514-OHT1T00061.htm

◆ 三連単228万円。ああ、土曜日のラジオが前川清の歌でも流してくれていたらなあ・・・、とわけのわからない後悔をしてみたり、まあ、こんな写真を撮ってるからいけないんだよなあ・・・、とわけのわからない反省をしてみたり。どうでもいいけど、この写真に写っているのは、左から藤川京子(グラビアアイドル)、岡部玲子(岡部幸雄の遠い親戚)、その陰に優勝ジョッキーの松岡正海騎手、細江純子(元騎手)、それからG1レースクイーンの5名。このG1レースクイーンのひとりが自慢げに 「コイウタ」 と書かれたボードを手に掲げている。獲ったのか、228万円馬券?

◆ バナナ虫というコトバをはじめて聞いた。《Yahoo!知恵袋》 にこんな質問。

◇ 学校のかなりの人が、本当は 「ツマグロオオヨコバイ」 なのに、それを、正確な名前ではない 「バナナムシ」 と呼んでいます。このバナナムシという偽の名前はどこで覚えているんでしょうか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138346998

◆ この質問者はおそらく中学生ぐらいだろうか? 「本当は」 とか 「正確な名前ではない」 とか 「偽の名前」 とか、繰り返されるこれらの表現に、やや過剰なこだわりを感じる。権威主義的なにおいもする。もっと気楽に生きた方がいいよ、と肩を叩いてやりたい気もするが、それはよけいなおせっかい。そもそもこの質問、こんなところで尋ねるよりは直接同級生に聞いた方がより早く正確な解答が得られるだろうに。

◆ で、バナナ虫。学名は Bothrogonia ferruginea。標準和名はツマグロオオヨコバイ(褄黒大横這)。翅の端が黒く、逃げるときに横歩きをすることからその名がついた。イネの害虫として悪名高いツマグロヨコバイの仲間。色はもちろんバナナ色。

◇ そういえば、バナナ虫って知ってますか? 私はメジャーな虫だと思っていたのに大学の友達は知らないんですよ。でも、帰宅途中に大学周辺で発見しました!
sky.ap.teacup.com/rurikouri/21.html

◇ バナナ虫って知ってますか? イヤ正式名称(学名)は違うんでしょうけど。通称バナナ虫。うちの近所じゃ有名な虫です。私が小学生の頃、よくバナナ虫で遊びました。まぁ今考えれば虐待(?)とも云える様な惨いコトをして遊んでましたね(^^;黄色くて細長い形(身体)なんです。だから通称バナナ虫って云うんだと思うんですけど。先日そのバナナ虫の話を友人にしたら 「そんな虫知らない」 と云われました。そりゃもうショックですよ。バナナ虫って存在・名称を含め、バナナ虫遊びは全国区だと思ってましたから。で、今日大学の友達に聞いてみたんです。バナナ虫知ってる?って。そしたら!!5人中知ってたのはたったの1人!!もうショックで泣きそうです。
www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/8998/diary.05.html

◆ 虫嫌いが多いと思われる女性のなかでも、なぜだかさほど嫌われていないようで、それはバナナ虫という愛嬌のある名前のせいでもあるのだろう。この愛称は主に子どものあいだで使われているようで、冒頭の 《Yahoo!知恵袋》 の質問に答えるなら、幼稚園の先生あたりからバナナ虫という 「偽の名前」 が広がっている可能性はあるかもしれない。

◇ 昨日、娘と孫と話をしていて、「バナナ虫」 というのが出てきた。「なにそれ、聞いたことない。見たこともない」 「黄色くて、てんとう虫みたいな黒いはん点があって、ちょっと腐ったバナナみたいなやつ」
nday366.jugem.jp/?eid=84

◇ 今、子ども達が、通称 「ばななむし」 をとるのに夢中です。今日は、24匹つかまえたよ・・!と知らせてきます。高い、木の葉にたくさん隠れているのに気づくと、ボールをはじめ、ばけつなんかも使って、投げつけバナナ虫を落として捕まえ様としています。
www.insects.jp/hiroba/hiroba111.htm

◇ お友達の中では “バナナ虫” (ツマグロオオヨコバイ)が大人気です。近くでながめては飛んでくるバナナ虫からみんなで “にげろー” と追いかけっこです。
www.ness-corpo.co.jp/kugahara/

◇ M先生 「あっバナナ虫?」 Sくん 「違うよ、ツマヨコオオヨコバイって言うんだよ」 みんなから 「バナナ虫!」 と親しまれてきた虫の名が、年長になって自ら調べたのか、正式名を教えてくれました♪
blog.fujimi.jp/?cid=28415

◆ でも、ツマヨコオオヨコバイよりはバナナ虫のほうがいい。

◇ 撮影は機械的操作だから、なぜ写るかはいちおう科学的に説明できる。だが何か説明しきれぬ不思議さを感じさせるものがあった。写ることのなかに不可思議な力を感じていたのであろう。写真を撮ると影がうすくなり、それだけ寿命が短くなるというような考えをもつ人びとがいた。今でも三人でいっしょに写真をとると、一人が死ぬなどという。それを避けるために一人に人形をもたせたりする。人形を人のうちにかぞえて四人とするためか、それとも死ぬ役割を人形に負わせるためかは知らないが、とにかく、人びとのなかに古い気分が残っていて写ることに何かを感じるのである。
戸井田道三 『色とつやの日本文化』 (筑摩書房,1986,p.19)

◆ そういえば、そうだった。三人で写真を撮ると中央のひとは早死にする、などともいった。だれが言いだしたのかはしらないが、それを信じる 「古い気分」 がワタシのなかにもたしかにあった。

◇ 幼い頃、おじいちゃん子だった私は写真にうつると寿命が縮むとか、3人で写真にうつる場合は早死にするから真ん中は避けなさいだとか、写真にまつわる迷信を懇々と聞かされ続けた。そのため、私は写真を撮られるということにもの凄く抵抗がある。
w1.avis.ne.jp/~hamanata/essay/e52.htm

◆ つぎの引用は、NHK高校講座 「理科総合B 第9回 遺伝子はどのように子に伝わる?」 の番組制作裏話から。

◇ 気づかなかった人も多かったと思いますが、浦野さんの長女がお嫁にいってから、息子さんがお嫁をもらうまでの3年間、家族3人で映っている足元にぬいぐるみが置いてあります。スタッフは 「お嫁にいった娘さんの代わりに置いたのだ」 と思ったのですが、違いました。このぬいぐるみはカメラマンの安河内さんが置いたもので、古くから 「3人で写真を撮ると、真ん中の人が早死にする」 という言い伝えがあるそうです。おじいさん世代の人には、常識かもしれません。それを避けるため、3人で撮る時は、ぬいぐるみや人形を小道具として置くのだそうです。そう思って一番最初の3人の写真に戻ってみると、確かにお人形を抱いています。一枚の肖像写真の中にもいろいろな心配りがされているのだと感じました。
www.nhk.or.jp/kokokoza/rikasougou/b09/ura.html

◆ なぜだかアスファルトの路上をカメが歩いていた。どこから逃げて来たのだろう? これからどこへ行くのだろう? すこし前に 「無駄口(付け足し言葉)」 のことを書いたから、アタマのなかで勝手におしゃべりが始まる。「カメだ、亀田のあられ、おせんべい」。口に出してはいないはずだが、ちょっと恥ずかしくて、あたりを見回すと、ちょうど小学生の男の子が三人近づいて来るところ。そのうちのひとりが、亀を見つけて、こう叫ぶ。

◇ 「あっ、カメだ。亀田三兄弟!」