MEMORANDUM

  卓袱台

◆ 温泉旅館のテレビを見ていたら、島田紳助司会のクイズ番組で 「卓袱台」 の読みを聞かれた若手のお笑いタレントが 「卓球台」 と答えていた。

◇ そのころ、日本の家庭のおおかたにはちゃぶ台があった。おかずは煮魚焼き魚きんぴらごぼうひじきぬか漬けの類だった。父親の晩酌は二級酒で、つまみはくさやだった。子供は八時には床につくべきものだった。正月には凧をあげて羽根つきをした。ディズニーランドはなかった。プールでは多くの人が 「のし」 で泳いだ。
川上弘美 『ゆっくりさよならをとなえる』 (新潮文庫,p.19)

◆ 川上弘美は1958(昭和33)年東京生まれ。

◇ 卓袱台でご飯を食べると、家族を近く感じる。お互いの呼吸音がすぐそこに聴こえるし、ちょっと手足を伸ばすと、向かいや隣の家族の体に触れることもある。畳を伝わって体温も感じるし、みんなでおなじものを食べている実感もある。いまと違って、茶の間が狭かったのもよかったのだろう。毎晩、六十ワットの電灯の下に体を寄せ合って、ご飯を食べているうちに、わたしは子供心に、この人たちとは一生付き合っていくに違いないと、いつのまにか思い込むようになった。
久世光彦 『むかし卓袱台があったころ』 (ちくま文庫,p.223)

◆ 久世光彦(てるひこ)は1935(昭和10年)東京生まれ。

◆ 大田区立郷土博物館の展示品をみていると、卓袱台があった。その解説。

◇ 「ちゃぶ台」 には、円形と四角があります。どちらも脚が折りたためるものが多く、茶の間で使い、布団を敷くときにはたたみました。

◆ ワタシは1964(昭和39)年京都生まれ。卓袱台の記憶はない。

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