MEMORANDUM

  北雄丸の大漁旗

◆ 万字温泉の思い出をもうひとつ。万字温泉の名物は鴨鍋だった。行くたびに鴨鍋を食べた。「最後の客」 になったときも食べた。鴨鍋を食べたのは大広間。正面には舞台があって、カラオケの設備やらないかが雑然と並べられていたが、一番目立つのは赤い大漁旗だったろう。とはいえ、すぐにでも目についていたはずの大漁旗の存在に気をとめたのは、「最後の客」 になったときが初めてだった。

◆ その大漁旗の存在を最初に気にとめたのは、Kさんだった。食事の準備を待つあいだ、大広間でしげしげと不思議そうになにかを見つめている。視線のその先に、赤い大漁旗があった。「あ、大漁旗だな」と、そのときはじめて気がついて、文字を読む。

◇ 祝 大漁 第六十八北雄丸 紋別市・・・

◆ ワタシは 「こんな山奥の温泉にどうして大漁旗?」 と、思っただけだったが、Kさんは違ったらしい。というのも、Kさんの出身は紋別だったから。それだけではなくて、Kさんの父親の勤める水産会社が所有する漁船が北雄丸だったから。それはさぞ不思議な気がしただろう。後日、Kさんは紋別の実家に帰省したさい、父親に大漁旗のハナシをしたらしい。こんなメールをくれた。

◇ 父に万字温泉の北雄丸の大漁旗の話をしたら、第二北雄丸から話が始まり、北転船などの長い話になっちゃって、父の話好きに火を付けてしまいました。写真は実家のアルバムにあったもので第ニか第五北雄丸らしい白黒写真です。

◆ ちなみに万字温泉にはこの第六十八北雄丸の大漁旗とはべつに、第六十八北雄丸および第八十二北雄丸の進水旗もあった。おそらく北雄丸関係者に知り合いがいたのだろう。紋別とも北雄丸ともなんの縁もないワタシだが、ちょっと興味をそそられて、ネットで検索してみると、たとえば、こんな文章が・・・。

《北海道大学関西同窓会》 の会報 《関西エルム会新聞 vol.56》 (2006年9月)に掲載された、「元北大低温研究所流氷研究施設長・現道立オホーツク流氷科学センター所長」 青田昌秋さんの 「海は母、流氷は友」 と題された講演記録から。

◇ さて、これとは別に紋別にはもう一つの 「海明け」 がある。流氷を避けて回航して来た、あるいは陸に揚げられていた漁船が紋別港の赤灯台、白灯台を結ぶ線を通過した時刻を 「海明け」 と決め、その時刻を当てる 「クイズの海明け」 がある。今年の流氷接岸初日は、平年より34日も遅い3月5日、ところが翌6日には流氷は離れ、午後2時43分、紋別港所属の沖合底引き船、第8北雄丸が船団の先頭を切って回航先の室蘭から帰港した。ガリンコ号が停泊しているステーション前の特設時計の針が動きを止めた。「クイズの海明け」 時刻が確定した瞬間だ。クイズには全国から9,000通を超す応募があり、今回、初めて時分までぴたりの応募者が居た。
www2.cubemagic.co.jp/hokudai/elm/elm/56/kanwa.html

◆ 紋別といえば、流氷。流氷といえば、観光砕氷船ガリンコ号。それから 「海明け」 というコトバも魅力的。

◇ 一昔前まで、浜の男たちは、冬、出稼ぎに出た。浜の子供たちにとって 「海明け」 は、待ちに待った父が戻る日でもあった。「海明け」 という言葉には、オホーツク海の春の明るさとともに、浜の人々の思いが込められているようだ。書店で20数冊の国語辞典を片っ端から調べてみた。「海明け」 の項を載せているのは2冊しかなかった。「海明け」 は単なる浜言葉かもしれないが、美しい日本語だと思う。
Ibid.

◆ つぎは、函館地方海難審判庁の裁決記録から、「漁船第八十六北雄丸機関損傷事件」。

◇ 第八十六北雄丸(総トン数160トン)は,北海道紋別港沖合の漁場で操業中,主機(6M28H4C型,860キロワット)のシリンダライナに生じた掻き傷が進展していたころ,平成15年8月18日12時00分紋別灯台から026度31.9海里の地点において,潤滑油こし器に金属粉が捕捉され,同こし器前後の圧力差が上昇した。
www.mlit.go.jp/maia//04saiketsu/17nen/hakodate/hd1708/17hd016yaku.htm

◆ もちろん技術的なことは皆目わからないが、ともかくここにも北雄丸。北雄丸の大漁旗はいまでも万字温泉の大広間に掲げられているだろうか?

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