◇ 東京人たるもの、義理人情にあつく気っぷよくしかし人には立ち入らず、山手線の外側はすでに辺境の地、渋谷新宿は街とはいえぬ、繁華街ならば銀座、町ならば浅草上野、醤油は「おしたじ」お風呂屋は「おぃや(「お湯屋」が東京流になまったものらしい)」みそ汁は「おみおつけ」と言わねばならず、熊を「く」ま(く、にアクセント)などと言おうものなら平手打ちが飛び、驚いたときには「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神、そうは有馬の水天宮」とかんぱつを入れず叫ぶ。
川上弘美『あるようなないような』(中公文庫,p.57)
◆ 東京で暮らしてはや20年。いっこうに東京弁は上達しない。知り合いがみなイナカモンばかりだからである。「おそれ入谷の鬼子母神」なら知ってはいても、「びっくり下谷(したや)の広徳寺」は初めて聞いた。こういうことば遊びを「無駄口」というのだそうだ。辞書を引くと、
◇ 言語遊戯の一。語呂によってもとの文句をもじっていうもの。「おそれ入谷(いりや)の鬼子母神」「驚き桃の木山椒の木」の類。
小学館『大辞泉』
◆ とあるが、元の文句をもじるというよりは、元の文句に無駄な(余分な)ことばを付け足すのである。「付け足し言葉」といった方がわかりいいかもしれない。齋藤孝の 『声に出して読みたい日本語』 (草思社)にも「付け足し言葉」の例が九つ挙げられているそうで(読んではいないので、適当によそから孫引きすると)、
◇ 驚き桃の木山椒の木 / あたりき車力よ車曳き / 蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨 / 嘘を築地の御門跡 / 恐れ入谷の鬼子母神 / おっと合点承知之助 / その手は桑名の焼蛤 / 何か用か九日十日 / 何がなんきん唐茄子かぼちゃ
◆ といったぐあい。ちなみに齋藤センセは『おっと合点承知之助』(ほるぷ出版)という「付け足し言葉」を集めた絵本までお出しになっているそうで、
◇ 日本語の面白さをこんな風に、絵本にしてしまうなんて、本当に驚き桃の木山椒の木です。お話は、おじいちゃんと、その孫である子供たちが、忍者ごっこをしながら繰り出す楽しい言葉遊びです。あまりにもよくできていて、恐れ入谷の鬼子母神です。
www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=4136
◆ なんともすごい影響力であるある大事典。