◆ 風になることを風化という。人間が風になることはなかなかできない。けれど、岩石にはその特権が与えられている。宮沢賢治に 『楢ノ木大学士の野宿』 という作品がある。野宿第二夜。宝石学が専門の楢ノ木大学士には石たちの会話が聞こえる。
◇ その時俄(には)かにピチピチ鳴り
それからバイオタが泣き出した。
「あゝ、いた、いた、いた、いた、痛ぁい、いたい。」
「バイオタさん。どうしたの、どうしたの。」
「早くプラヂョさんをよばないとだめだ。」
宮沢賢治 『楢ノ木大学士の野宿』 (青空文庫)
◆ 「バイオタさん」 の本名はバイオタイト。biotite は黒雲母。「プラヂョさん」 はお医者さん。石の医師、医師の石。本名はプラジオクレース。plagioclase は斜長石。
◇ 「プラヂョさん、プラヂョさん。プラヂョさん。」
「はあい。」
「バイオタさんがひどくおなかが痛がってます。どうか早く診(み)て下さい。」
「はあい、なあにべつだん心配はありません。かぜを引いたのでせう。」
「ははあ、こいつらは風を引くと腹が痛くなる。それがつまり風化だな。」
大学士は眼鏡(めがね)をはづし
半巾(はんけち)で拭(ふ)いて呟(つぶ)やく。
「プラヂョさん。お早くどうか願ひます。只今(ただいま)気絶をいたしました。」
「はぁい。いまだんだんそっちを向きますから。ようっと。はい、はい。これは、なるほど。ふふん。一寸(ちよつと)脈をお見せ、はい。こんどはお舌、ははあ、よろしい。そして第十八へきかい予備面が痛いと。なるほど、ふんふん、いやわかりました。どうもこの病気は恐(こは)いですよ。それにお前さんのからだは大地の底に居たときから慢性りょくでい病にかかって大分軟化してますからね、どうも恢復(くわいふく)の見込がありません。」
病人はキシキシと泣く。
「お医者さん。私の病気は何でせう。いつごろ私は死にませう。」
「さやう、病人が病名を知らなくてもいゝのですがまあ蛭石(ひるいし)病の初期ですね、所謂(いはゆる)ふう病の中の一つ。俗にかぜは万病のもとと云ひますがね。それから、えゝと、も一つのご質問はあなたの命でしたかね。さやう、まあ長くても一万年は持ちません。お気の毒ですが一万年は持ちません。」
Ibid.
◆ 「長くても一万年は持ちません」 というコトバになぜかほっとする。