MEMORANDUM
2007年04月


◆ 杉浦日向子は、『入浴の女王』 (講談社文庫) という銭湯めぐりの著作もあるぐらいだから、銭湯が嫌いではなかったのだろう。『東京路上博物誌』 という本に、杉浦日向子のインタビュー ( 「きき湯のすすめ」 ) が載っていて、

藤・杉浦さんは子供の時から銭湯に?
杉・今は毎日銭湯に行っています。その日の気分にあわせてどの銭湯に行くかを決めます。周りに一〇軒くらいありますので自転車をとばして吉祥寺までいったり、電車で行ったりします。今まで六〇軒くらい回りました。

藤森照信・荒俣宏 『東京路上博物誌』 (鹿島出版会,p.184)

◆ 聞き手は、藤森照信〔藤〕、荒俣宏〔荒〕、赤瀬川原平〔赤〕と錚々たる面々だが、おやっと思う会話もある。

赤・タオルなんかはどうするのですか?
杉・タオルが二〇〇円から二五〇円、石鹸が二〇円で、シャンプーとリンスが三〇円ずつです。
荒・そのタオルにはお風呂屋さんの名前が入っているのですか?
杉・いえ、入ってないです。

Ibid.

◆ この問答からしてみると、赤瀬川原平も荒俣宏も銭湯に行ったことがないのだろうか? 不思議な気がする。若いひとならいざ知らず。《教えて!goo》 にもこんな質問。

◇ 21歳、女です! 初、銭湯+岩盤浴に行くことになりました! そこで質問なんですが… 銭湯には何を持参していくべきでしょうか??
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2386037

◇ 銭湯ってタオルの貸し出しなどはあるのでしょうか?(もちろん有料でも構わないのですが)
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2187990

◆ ほかにも 《銭湯入門》 といったサイトも多い。

◇ 手ぶらでもタオル・石鹸・ミニシャンプーが売っているので大丈夫。
www3.synapse.ne.jp/kagosima1010/17jyo.html

◇ 銭湯は手ぶらでも行ける。石鹸、ヒゲソリ、タオル、シャンプーなど入浴に必用なものは番台、あるいはカウンターで購入できる。石鹸、ヒゲソリは数十円、タオルは大体250円程度。
homepage3.nifty.com/~daisy/sento/column/prepare.html

◆ で、先の杉浦日向子のインタビューに戻って、

杉・タオルが二〇〇円から二五〇円、石鹸が二〇円で、シャンプーとリンスが三〇円ずつです。

◆ 毎日銭湯に行くと言っていた杉浦日向子は、とすると、二〇〇円から二五〇円もするタオルを毎日銭湯で買っていたのだろうか? どうも気にかかる。

◆ たしかにどこの銭湯でもタオルは売っている。だからといって、それを買わなければいけないということはない。借りればいいのだ。番台のおばちゃんに頼めば、たいていはタダで貸してくれる(と思う)。東京の銭湯の入浴料は430円だが、430円の風呂に入るのに250円のタオルを買うのではあまりに不経済ではないだろうか? もちろん、洗ってはあっても他人の使ったタオルを使いたくないと考えるひとは250円で新品のタオルを買えばいい(けれど、そのように考えるひとが他人の垢にまみれた銭湯にどうして来るだろう?)。それに、せっかく手ぶらで銭湯に来たのに、出るときに濡れたタオルを手にしていたのでは、手ぶらで来たかいがないだろう(かといって、250円で買ったものをその場で捨ててしまうのも、どうかしている)。

◆ まあ、タダでなくとも、20~30円なら可とすべきだろう。

◇ 日本各地で銭湯を利用してきましたが、僕が知る限りではほとんどの銭湯に貸しタオルがありました。(20~30円程度)
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2187990

◆ ワタシはこの20~30円でさえも払ったことがない。一度だけ、ある銭湯で、頻繁にタオルをタダで借り過ぎたせいか、「30円」 と言われたことがあるが、「じゃあ、いらない」 と断った。

◆ 写真のように「入浴セット」 100円なら、悪くはないか。

◇ 蔵の前を歩いて、軒先にぶら下がった巨大な玉を見たことがある人もいるはず。一見して蜂の巣か、マリモのおばけにしか見えないあの不思議な丸い玉、一体何だか知っていますか?
www.rikuden.co.jp/saihaken/series10_6.html

◆ 2007年3月22日、仕事で寄った上総湊という町の酒屋で 「不思議な丸い玉」 を見かけた。正確に書けば、その玉をめざとく見つけたのはワタシではなく相棒だった。ワタシはその酒屋の建物に惹かれて写真を一枚トラックの中から撮っただけで満足したのだったが、帰途についてしばらくしてから、相棒がこう言った。

◇ 「さっき Saturnian さんが写真を撮っていた酒屋にあった蜂の巣みたいなの、なんだか知ってます?」

◆ えっ、そんなものがあったとは、まったく気がつかなかった。なんでも、相棒に言うには、先日たまたまテレビで杉玉のことを説明していたのを憶えていたから、目についたのだそうだ。ワタシも先日、会津若松を訪れたさいに、観光パンフレットかなにかで杉玉のことを読んだばかりだった。ということで、さっそく来た道を戻って、酒屋の杉玉をしっかりと見直して、ついでに地酒を買った。この酒屋は小泉酒店といって、造り酒屋ではないが、「蔵出し直売店」 とあって、数キロ先にある小泉酒造とは親戚関係であるそうだが、蔵元を訪れるには残念ながら時間が遅すぎた。

◆ (造り)酒屋の軒先に吊るされた杉玉は酒林(さかばやし)とも言う。酒林ではない杉玉があるのかどうかは知らない。

さかばやし 【酒林】 杉の葉を束ねて球状にし、軒先にかけて酒屋の看板としたもの。杉玉。さかぼうき。酒旗(さかばた)。杉林。ほて。〔奈良三輪山の大神(おおみわ)神社が酒の神とされ、杉が神木であることから〕
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 引越という仕事は奇妙なもので、少し遠くの知らない町に出かけると、もはや旅との区別がつかない。お客さんを観光案内人と勘違いをして、「この近くになにか見どころはありませんか?」 と尋ねたり、地図を広げて、お客さんの家を探しているつもりが、いつしかその近くに温泉マークを発見し、その道順を検討し始めていたり。なんとも楽しい仕事である。

◆ というわけで、これまでにも仕事のついでに造り酒屋を訪れたことが何度かあって、過去の写真をパソコンからひっぱり出して、どこかに杉玉が写っていやしないかと見直してみると、あるわあるわ、ここにも、ここにも(画像をクリックすると多少は大きいのがご覧になれます)。

◆ 〔左〕 2003年6月5日、滋賀県高島郡マキノ町海津、吉田酒造。こんなに堂々と飾られた杉玉になぜ気がつかない?

◆ 〔中〕 2004年5月12日、神奈川県厚木市七沢、黄金井酒造。建物の左奥に。

◆ 〔右〕 2005年5月7日、埼玉県秩父市宮側町、武甲酒造。写真を拡大してみると、なんと5個の杉玉。

◆ 〔左〕 2007年3月6日、会津若松市千石町、名倉山酒造。写真を拡大すると、玄関の左上に小ぶりの杉玉が。

◆ 〔右〕 2007年3月6日、会津若松市日新町、末廣酒造(嘉永蔵)。

◇ 威風堂々とした姿で大和町通りに趣を添える末廣酒造・嘉永蔵。大輪の酒林に圧倒されながら酒香に誘われ木扉を開くと、そこには吹き抜けの大空間が広がる。
『会津の建物ガイド』 (あいづふるさと市町村圏協議会,p.42)

◆ と、帰りに買ったガイドブックに書いてあった。ちなみに、このガイドブックを再構成したものがウェブでも読める ( 《会津の建物ガイド》 )。写真を見直すとたしかに、まだ緑を残した 「大輪の酒林」 が。どうして気がつかなかったのだろう?

◆ ほかにもまだあるかもしれない。それにしても、過去にこんなにたくさんの杉玉を目にしていたはずなのに、なんにも目にはいっていなかった自分をちょっぴり反省しつつ(大いに反省すべきであるか?)、あらためて写真というのはすごいものだなあと。

◆ 猫の写真を撮ることがある。とくに猫の写真を撮りたいと思っているわけではないが、街を歩けば猫と目があってしまうことがあって、そんなときには多少の時間をかけて猫の写真を撮る。たいていは野良猫だ。

◆ 先日撮った猫は珍しく飼い猫だった。ワタシがアパートの二階から荷物の運び出しをしているのを隣の建物からしげしげと見ていた。隣の建物は二階が玄関になっている一軒家で、よく見ると玄関脇の窓が少し開いており、そこから猫が出入りできるようにと細い板が渡してあった。その細い板の上に猫がいた。毛並みのよさそうな猫だった。立ち居振る舞いもふだん目にする野良猫にくらべやや上品な気がした。いきなり断りもなしにカメラを向ける無作法な人間への対応にすこしとまどっているようでもあった。恥ずかしがっているようにも見えたが、あるいは怒っていたかもしれない。

◆ 以下の引用はこのハナシとはなんの関係もない。

◇  「私は猫が涙を流して泣いているのを見たことがあります」
 と言い出して、話が丹波から京都の巷へ外(そ)れてしまった。Iさんの母堂は飼い猫のしつけにやかましく、そのためにその猫はいやしくもお膳の上のものに手をのばすということがなく、堪えに堪えているようなふぜいで、人間たちが食事をするのを待っているというが彼女の日常であった。
 ある日、母堂が親戚の家へゆかれると、そこの猫はじつに放縦で、お膳の上のものを嗅いだり、手でひきよせたり、包み紙に首をつっこんだりして、母堂はそのために神経がくたくたになって帰宅した。
 「そこへゆくと、ほんまに、お前はおとなしゅうて、ええ子やな」
 と、母堂は夕食のとき、猫をふりかえって、ほめてやった。そのとき猫が無言で泣きだしたというのである。大きな目にみるみる涙があふれて、その滴ってゆく涙がひげを濡らしたというから、とても何かの見違えとはちがいます。私もびっくりしましたし、母も息をのんで見つめていました、とIさんはいった。

司馬遼太郎 『街道をゆく 4』 (朝日文庫,p.153-154)

◆ この猫はなぜ泣いたのか? ワタシは 「母堂」 に褒められたのがうれしくて泣いたのかと思ったが、司馬遼太郎の解釈は違っていた。続けてこう書いている。

◇ その猫にすれば某さんの家の猫こそ猫らしい猫で、自分は御当家の御躾(おしつけ)に堪え忍んでいるだけなのです、と言いたかったのであろう。

◆ なるほど、そう言われるとそうだなという気もする。というかこちらが正解なのだろう。けれど、涙は涙で、悔し涙も嬉し涙も区別がつかない。猫であれ人間であれ、そもそも泣いている本人からしてどうして泣いているのかがわからない。そんなこともよくあることだろう。感情の種類によって涙の成分も異なるというハナシも聞いたことがあったが、どうなのだろう?

◆ 4月11日、練馬区南田中。お昼に入ったラーメン屋。その奥の壁にはカレンダー。桜の鶴ケ城。

◆ 3月5日、会津若松。お城からほど近いアパートの二階に東京からの引越荷物を搬入。荷主は中年の女性。隣町に住む両親が手伝いに来ていた。雪はまったくない。父親が74年間でこんなに雪がないのは初めてだと言ったから、74歳なのだろう。どんな事情かはしらないが、それでも両親は娘が帰ってきたということでうれしそうだった。父親がアパートの窓から外を眺めてこう言った。

◇ 「お城の桜がよく見える」

◆ もちろん桜はまだ咲いていなかったけれども、たしかに桜の時期には、部屋にいながら花見が楽しめるようないい窓だった。あるいは、父親にはもう桜の花が見えていたかもしれない。その後、実家に寄って荷物の一部を降ろし、親切な父親からいただいた観光マップで市内観光を楽しんだ。

◆ 東京に住んで20年になるが、訪れたことのない場所はまだまだ多い。4月11日、湯島聖堂へ初めて行った。そのそばの公衆便所に立ち寄ったのも、だから初めてだった。その便所で小便をしていると、目の前にカゲロウがとまっているのに気がついた。小便をしながら写真を撮るわけにはいかないから、小便をおえてから写真を撮った。なんというカゲロウかはしらない。もしかしたらカゲロウではないかもしれない。

◆ カゲロウといえば、雅夢の「愛はかげろう」(作詞:三浦和人)を思い出す。昭和55年(1980)のヒット曲。

♪ 愛はかげろう つかの間の命
  激しいまでに 燃やしつづけて

◆ カラオケでむかしはよく歌った。最近は歌わない。というのも、

◇ この曲、何が有名かって、カラオケの背景画面なんですよね。今はどうかよく分かりませんが、一時期はかなりセクシーな場面と女性がいました。それを狙って歌った方もいらっしゃるのでは?
blog.livedoor.jp/breeze_crew/archives/50153276.html

◇ カラオケもBOX時代になってからあまりみなくなっちゃったけど、スナック全盛時に見た 「愛はかげろう」 のレーザーカラオケの映像は超エロだった。。。
music.2ch.net/natsumeloj/kako/1012/10127/1012757358.html

◇ 昔のレーザーディスクのカラオケだと、なぜかレズビアンのエッチシーンがでてきた(笑)。
www.geocities.co.jp/Hollywood/4496/ChronicleJ_1980.html

◇ この歌 カラオケボックスがはやりだしたころ 映像つきカラオケではあだるてぃっくな画像で。 女3人で歌いに行った時に 知らないでこの歌を選んだら すんげー画像が出てきたのを今でも忘れません。 間奏で女性の●っちな声まで入ってたもん(涙)
diarynote.jp/d/31113/20030417.html

◇ カラオケで歌と画面がやけにアンバランスで戸惑ったのが、奥村チヨの『恋の奴隷』と雅夢の『愛はかげろう』だった。真面目に歌に挑戦しようとしてもセクシーな画面に見とれて笑いをこらえるのが辛かった。画面が見たくて選ぶのかと誤解されるのが怖くて唄うのをやめた。
himajin-nobu.at.webry.info/200508/article_35.html

◆ と、なんともなつかしい「愛はかげろう」なのだが、この「かげろう」は虫のカゲロウだったかどうか? あのころはエロ映像に気をとられてそんなことを考えてみる余裕はなかった。

◇ 私はかげろうを虫の名前と勘違いしていたこともある。ウスバカゲロウなんて命短い虫もいたからだ。
himajin-nobu.at.webry.info/200508/article_35.html

◆ してみると、虫のカゲロウではないのだろうか? 歌詞には「つかの間の命」なんてコトバもあるから、生き物のような気もするけれど、歌詞には「燃やしつづけて」なんてコトバもあるから、「蜉蝣」ではなく「陽炎」なんだろうか?

  若松

◆ 写真は若松ハイツ。ハイツがハイシにも読めるというハナシではなくて、会津の若松から帰った翌日に、べつの若松にいた。東京都府中市若松町。こんなところにも若松があったんだなというハナシ。

◆ 会津若松市がたんに若松市ではないのは、九州にも若松市があったからで、

◇ 1955年1月1日、北会津郡湊村、一箕村、高野村、神指村、門田村、大戸村、東山村を編入し、これを機に都市名を若松市から現在の会津若松市に変更した。都市名の変更は、福岡県若松市(1914年市制施行。現・北九州市若松区)と混同を避けることなどを目的として行われたもので、先に市制を敷いた都市の方が改名を行った唯一の事例である。
ja.wikipedia.org/wiki/会津若松市

◆ 会津若松は以前は黒川といった。1590年(天正18年)、戦国武将の蒲生氏郷が豊臣秀吉の命により伊勢の松阪から引っ越してきて、黒川を若松と改名した。

◇ 氏郷は、城下の名も変えた。「若松」 とした。故郷の近江蒲生郡日野の “若松の森” という地名を移したというが、松坂の命名と同様、氏郷は松が好きだったのだろう。
司馬遼太郎 『街道をゆく 33』 (朝日文庫)

◆ 府中市若松の由来はしらない。すくなくとも蒲生氏郷とは関係がない(と思う)。

◆ 若松はあちこちにある。たとえば北海道では、函館市若松町、小樽市若松、釧路市若松町、北見市若松、岩見沢市若松町、三笠市若松町、富良野市若松町、紋別郡遠軽町若松、厚岸郡厚岸町若松、中川郡美深町若松町、久遠郡せたな町北檜山区若松。北海道のこれらの若松という地名の由来はしらない。しらないが、そこに松が生えていたからというわけではなさそうだ。北海道でマツと名のつく樹木といえば、カラマツ、エゾマツ、トドマツといったところ。内地のアカマツやクロマツとはだいぶ感じがちがう。

◇ 北海道で松といえば、まずエゾマツがあげられますが、本州ではアカマツやクロマツなどが一般的です。しかし、どちらも北海道にはもともと自生していないことから道内にあるアカマツやクロマツは、すべて後になって植栽されたものといわれています。
www.funkawan.net/ishi.html

◆ 松は松竹梅の松でめでたい。縁起がいい。けれど、エゾマツでも縁起がいいのかどうか? そんなハナシは聞いたことがない。若松と聞いて、カラマツの小松をイメージするひともいないだろう。縁起のよさそうなコトバを土地の名前にすることは、子の命名と同じでありふれている。こういうのを瑞祥地名という。北海道でアイヌ語の地名を採用しないとすれば、こうした瑞祥地名が多くなるのもしかたがない。

◆ 北海道で若松といえば、地名の若松よりも人名の若松が思い浮かぶ。若松勉。ヤクルトの若松。《ウィキペディア》 によれば、

◇ 若松勉(わかまつ つとむ、1947年4月17日 - )は、北海道留萌市(当時:留萌郡留萌町)出身のプロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。右投げ左打ち。現役時代はヤクルトアトムズ・スワローズで19年の長きに渡り活躍し、引退後はヤクルトでコーチ・監督を務めた。〔中略〕 名球会会員。1978年に留萌市民栄誉賞、1981年に道民栄誉賞を受賞。
ja.wikipedia.org/wiki/若松勉

◆ 2006年4月18日、札幌の円山公園を散歩。カラマツのまつぼっくりを拾った。真上からのぞくと薔薇の花弁のようで美しい。持ち帰って、いまも目の前のコタツの上に転がっている。

◆ おともだちの 《おタネさん》 がこんなニュースを紹介していた。

◇ 「遠心力で身長が伸びる。1センチ当たり105万円」。そんな説明を信じて身長を3センチ伸ばす施術を受けたのに効果がなかったなどとして、愛知県内の20代の女性が13日までに、整体施設を営むコジマ身長伸ばしセンター(旧ケイピーシー、本社・東京)を相手取り、施術料の返還など345万円の支払いを求める訴訟を名古屋地裁に起こした。
news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007041300023.html

◆ おタネさんのコメント。

◇ 身長だいたい170センチという男性は168cmくらい、というのはホントだと思う。ワタシは155だけど、何故かついつい156と詐称している、我ながらケチな見栄張りだと思う。
blog.goo.ne.jp/otane-2/e/92c388888ac2ba22f317f79fb3233377

◆ そういえば、「小さな大打者」 と称えられたヤクルトの若松勉も、入団当初は公称170センチであったらしい。

◇ 最後には、「お前、(身長)いくつあるんだ?」と歩み寄った若松監督と石川投手が背比べするシーンも。公称169センチの石川投手ですが、「1センチサバ読んでるだろ?」の突っ込みに絶句? 「俺は入団当時、(公称)170センチだったんだよ。それを1センチ下げ、また1センチ下げして・・・」と若松監督の“経験談”も飛び出す笑顔の絶えない打撃特訓でした。
www.yakult-swallows.co.jp/red_mpl/topicsView2.cgi?TYPE=N&SEQ=1466

◆ 「1センチ下げ、また1センチ下げして」 その結果、何センチ下げれば実身長に追いつくのか?

◇ 私はヤクルトファンなのですが、かつて偉大な選手がいました。若松勉 現ヤクルト監督です。168cmだそうですが、ほんとはもっと小さいと思います。
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1451270

◇ 身長166.7センチと小柄ながら、天才的なミートのうまさと勝負強さで、ヒットを量産した典型的なアベレージヒッターであるが、通算220本塁打を放ってもいる。そのため、「小さな大打者」 との異名があるが、堅実な守備と肩にも定評があった。
www.webmie.or.jp/~m-yama/player/sportswakamatsu.htm

◆ そういえば、ワタシの身長も170センチ(実寸)なのだった。

◇ 普通、言語というのは、呼気音を使って音を出します。それが自然だし、その方が楽だから。まれに吸気音を使う言語もあるらしいですが、少なくとも、標準的な日本語や英語にはありません。
www.style-21.jp/adiary/diary1.cgi?id=Jamin&action=view&year=2005&month=9&day=25

◇ 謝るときに吸気音 [s:] を使えばよいという指摘はおもしろい。『言語学大辞典6 術語編』 の 「吸気音」 にも記述( 「日本人はあらたまった席で話をするような場合に……」 )があります。ほかでも読んだかもしれませんが忘れてしまいました。一方、元アナウンサーの鈴木健二氏が、この 「スー」 は下品だからやめるべきだ、とテレビで言うか著書に書くかしていたという記憶があります。日本語教師が 「スー」 を口癖にしていたため、留学生がみなこの 「スー」 を使うようになってしまった、という話もどこかで読みました。
kotobakai.seesaa.net/article/8260733.html

◇ うちの兄貴は良くため息をつくときに 「ちぇしぃーーーっ。はぁー」 と、ため息の前にtut音と、寒さに震えるときに日本人がやる 「しぃー」 という吸気音を作る。あれはあれで、弁別的な、しかも非常に意味をもった音の単位。
d-code.org/tos/200109.html

◇ 外国から日本に来た多くの人が気づくことなのですが、日本の若い女の人が話しているときに、ちょっと驚いたりすると、「(ひっ)」 と息を吸ってかすかな声を出すんです。この 「(ひっ)」 は、日本語の単語には含まれていないでしょう? しかし多くの人が同じパターンの声を出すんですね。辞書を見てもそんな単語は載っていないし、まず日本語に息を吸い込む音があるとはみんな夢にも思わない。
西江雅之『「ことば」の課外授業』(洋泉社新書y、p.135)

◆ いつか機会があったら、日本の若い女の人ととりとめのないおしゃべりをして、「(ひっ)」 という声を確認してみたいと思っているのだが・・・。

◆ 「NIKKEIプラスワン」 に 《夫に言われて傷ついた一言》 というアンケート調査の結果が載っている。ところで、「NIKKEIプラスワン」 というのは、

◇ 「NIKKEIプラスワン」 は土曜の朝刊とともにお届けしている生活情報週間紙です。
www.nikkei.co.jp/p1/

◆ ということで、日経新聞のおまけらしいが、よくはしらない。週間紙というのは週刊紙の誤植のような気もするが、新聞社がそう書いているのだから、あるいは正しい表現かもしれない。それはともかく、このアンケート調査の1位は 「君も太ったね」 で、2位は(体調が悪いのに) 「ごはんはないの?」 で、3位は 「家にいるんだからヒマだろ」、だそうだ。それもともかく、面白いと思ったのは、9位の 「で、結論はなに?」。

◇ 男女の会話手法の違いが如実に出たのが 「うるさい」 (6位) 「しつこいな」 (7位) 「で、結論はなに?」 (9位)。〔東京学芸大学教授で精神科医の〕 田村 〔毅〕 さんによると、男性は報告や結論を求めて話すが、女性は過程に重点を置くので結論はなくてもよいことが多い。それを理解せずに夫が話を遮ると妻は不満を感じる。
www.nikkei.co.jp/p1/ranking/

◆ ワタシは独身なのでよくわからないが、夫もたいへんなようで、誰だって 「で、結論はなに?」 と言いたくなることがあるものらしい。以下、2chのスレッドから。

◇ 629 : とりあえず特に結論を求めない話を聞かせたいなら、風呂上がって、酒とツマミを十分に用意してからにしてくれ。それなら付き合う。お帰りも言わずに開口一番やられるなら誰だって 「で、結論は何?」 だ
news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1177323327/

◇ 673 : 疲れてる時に結論のない過程話を延々と聞かされるのは地獄だろ。それも半分怒りながらしゃべられるとたまらん。誰だって 「で、結論は何? おまえは何を言いたいんだ?」 と言いたくなる。
Ibid.

◇ 749 : 1時間で話が3周すれば誰だって 「で、結論は?」 と言いたくなる。
Ibid.

◆ 考えてみれば、ワタシもここであれこれどうでもいいようなことばかり書き連ねているわけで、ほとんどの場合にこれといった結論はない。なんとかオチをつけようとすることもあるが、たいていはうまくいかない。「で、結論はなに?」 と問われれば、「そんなものはない」 と答えるしかない。まあ、これは会話ではないから、事情はだいぶ違うけれども。で、結論はなに?

◆ むずかしいこともわからないが、かんたんなこともわからない。《長崎市長選、長女号泣も市民世襲NO》 というニュースを読んだ。

◇ 現職の伊藤一長氏(享年61)が選挙運動中に射殺された長崎市長選で、伊藤氏の後継として立候補した娘婿の新聞記者、横尾誠氏(40)が、同じく補充立候補した元市課長、田上富久氏(50)に敗れた。「悔しさを表すには私が出るしかなかった」 と述べたが、世襲への批判は予想以上に強かった。妻で伊藤氏の長女優子さん(36)は 「長崎市民に、父はその程度の存在だったのか。父が浮かばれない」 と叫び、ショックのあまり倒れ込んだ。 〔中略〕 4選を目指していた伊藤氏は、圧勝が予想されていた。それだけに、落選の報に支援者も、放心状態。「殺された上に負けるなんて。むごすぎる」。男性支援者は涙ながらにつぶやいた。
www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20070423-188532.html

◆ 殺された上に負けるなんて。もちろん殺された人物が選挙に負けたのではない。選挙に落選したのはまた別の人物である。それを同一視させるような風土があるところにはあるのかもしれないが、長崎市においては今回、それが絶対多数ではなかった。

◆ 被害者感情というコトバがある。被害者の感情という意味だろうと思う。これはむずかしくない。だが、《【主張】 少年法改正案 犯罪低年齢化でやむなし》 とする社説(産経新聞)を読むと、とたんにわからなくなる。

◇ 平成9年の神戸の連続児童殺傷事件を契機に、まず少年法が改正され、刑事罰の対象が、16歳以上から14歳以上に引き下げられた。次に16年の佐世保市での小6女児同級生殺害事件など14歳未満の少年の凶悪犯罪が相次ぎ、今回の法改正の動きにつながった。 〔中略〕 また、時代の流れでもある被害者感情に配慮したことも、改正案可決に結びついた。18日の衆院法務委員会で、改正案を野党の猛反対を押し切って与党だけで可決したことについて、安倍晋三首相は 「被害者の気持ちも踏まえれば、やむを得ない」 との感想を述べた。その通りであろう。
www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070420/shc070420001.htm

◆ ここでの被害者感情とはなんだろう? 殺人事件の被害者の感情という意味だろうか? 殺されたものの気持ちをどのようにして斟酌し 「踏まえる」 ことができるのか? それがわからない。それともこの被害者というのは殺された本人ではなく、その遺族のことなのだろうか? 遺族も被害者といえば被害者だが、自らを殺されたという被害と身内のものを殺されたという被害では、その被害というコトバの意味がまったく異なっているだろう。

◇ 「被害者感情を考えれば死刑存置もやむをえない」 という意見をよく聞きます。また、私たちに「被害者の人権をどう考えているのか」 と詰問してくる人も、ときどきいます。
homepage2.nifty.com/sobanokai/soba0407.html

◆ 「被害者の人権」 というコトバもよくわからないが、殺人事件にかんして言われる 「被害者感情」 というのは、おおむね遺族の心情のことであるようだ。

◇ 死刑存置論者が最後にぶちあたる難問は誤判の問題だと言われ、廃止論者の最後の壁は被害者感情だと言われ続けている。殺人者を死刑にしなくては、遺族の気持ちは収まらないというのである。
homepage1.nifty.com/no-name/zatsubun/ron004.htm

◆ 殺された本人の気持ちと遺族の気持ちとは同じではない。同じかもしれないが、それを知る術はない。さらに、生きている遺族の気持ちでさえも、容易にはわからないはずなのだ。

◇  さらに、被害者感情といっても、それ自体マスコミ等により作られることも無視できない。
 娘を殺害されたある遺族はリポーターの 「犯人を憎んでいるか」 という質問に、「憎んでも仕方がない。今は故人の冥福を祈るだけだ」 と応えたところ、執拗になぜ憎まないのかと食い下がられ、その後 「被害者は実の娘ではなかった」 などと報道されたという。マスコミにとっては、報復感情を露わにする遺族こそが 「理想」 であり、犯人を赦し、理解しようという遺族は許し難いものと映るのだろうか?
 また、広く社会一般についてみても、外国籍の被告人による強姦殺人事件の父親が 「犯人が生まれ変わることが娘への供養。将来出所したら自分の工場へ迎えてもよい」 と述べたり、同じく遺族となった弁護士が 「被告人が望むなら、自分が弁護してもよい」 と述べた事件では、あろうことか遺族への非難、中傷が集中したという。

Ibid.

◆ 他人の気持ちは、そうかんたんにはわからない。

◇ 死刑制度は必要です。あなたのような、かっこつけているような意見を見ると、むかつきますね。自分の妻子が残酷な方法で殺された人の気持にも少しは思いを至らせるべきだと思います。
blog.livedoor.jp/gegenga/archives/50494016.html#comments

◆ いくら思いを至らせても、わからないものはわからない。それにしても、殺された本人の気持ちはいったいどこへ行ってしまうのだろう。「おいおい、殺されたのはこのオレだろ? なんだい、オレの気持ちを聞きもしないで・・・」

◆ 三五医院。内科・小児科・呼吸器科・循環器科。どうして三五医院なのに産科・婦人科はないのだろう? などと思ってしまうのもおかしなハナシだが・・・。

◇ 全くの余談だが、競馬界では 「3-5(産後)の大穴」 伝説を信じて、ひたすら買い続けている、おめでたい、嘘のような人が大勢いる。
www.asahi-net.or.jp/~hi5y-isi/jigoku/jigoku_4/round3.htm

◇ さすがに今では産後(3-5)の大穴~とか叫ぶ奴はいなくなったが。
piza.2ch.net/gamble/kako/965/965826811.html

◇ お子さんが生まれたら、3-5の馬券を購入してください。3-5(産後)の大穴...なーんておやじギャグで失礼。
blog.goo.ne.jp/kraft001/cmt/a01da54ac76311912c251600f2600dd9

◇ 枠連3-5は 「産後(35)の大穴」 なんて言われるけど、逆に読めば 「ゴミ(53)のクソ馬券」。表裏一体の関係だ。
www.accnet.co.jp/sign/report/backnumber/su992ni1.html

◆ いやまあ不適切な内容で失礼いたしました。

◆ 電柱の貼り紙。「セキセイインコを探しています」 と書いてある。名前はビジュー。フランス語で宝石の意。いい名前だ。背中が水色、頭が黄色。ビジューは、

◇ 良く慣れた手乗りです。「むかし、むかし・・・」 と言うと、興味津々に寄って来ると思います。

◆ 「むかし、むかし・・・」 とビジューがお話するのかと思ったら、そうではなくて、お話を聞くのが好きなインコであるらしい。インコにもいろんなのがいる。

◆ そういえば、ちょっと前に、《逃げたインコ戻った! 飼い主の老夫婦大喜び》(高知新聞)というニュースがあった。

◇ インコのピーちゃん、無事生還――。高岡郡越知町内の駐車場で2月、1羽のセキセイインコが保護された。飼い主が分からなかったがある日、インコが 「越知町1区、西川ピーちゃん」 と “自己紹介”。これを手掛かりに地元郵便局長らの協力もあり、10日ぶりに飼い主の元に届けられた。愛鳥がいなくなって落胆していた老夫婦は 「本当によかった」 と、笑顔を取り戻している。 〔中略〕 西川さん夫妻は昨年からインコを飼い始め、いろいろな言葉も教えてきた。自分の住所や名前のほか、「1足す1は2。2足す2は、分からん」 「好き好き大好き」 と軽快にしゃべるピーちゃんは、2人の “家族” だった。
www.kochinews.co.jp/0703/070331headline05.htm

◆ ビジューが、西川ピーちゃんみたいに 「むかし、むかし・・・」 としゃべってくれるのなら、手がかりとしては十分で、発見するのもたやすかろうが、こちらが 「むかし、むかし・・・」 と語りかけなければいけないとなると、少々やっかいな気がする。

◆ もしそれらしき水色黄色のセキセイインコをみかけたときには、そっと近づいて、「むかし、むかし・・・」 と言えばいい。けれど、そのあとどうすればいい? 「むかし、むかし、あるところに・・・」、その続きは? 浦島太郎のハナシをすればいいのか、桃太郎のハナシをすればいいのか、それともかぐや姫のハナシ? あれこれ昔話を思い出してはそのあらすじをアタマのなかでちゃんとつながるようにと努力してみるが、ほとんどの場合はうまくいかない。

◆ よけいな心配をした。もしビジューを見かけたら、「むかし、むかし」 と言えばいい。どのみち、それしか言えないのだから。それでも、そのコトバに興味津々近寄ってきたインコを前にして、お話の続きをうまく話してやれないのは、申し訳ないことだろう。「ごめんね、つづきはしらないんだ」、そう言うと、がっかりして、またインコは逃げていくかもしれない。

◆ 先日、こんなニュース記事を目にした。《長岡市の男性が毒草食べ死亡》(新潟日報 2007年4月16日)

◇  県によると、男性は12日、市内の妻の実家の畑で栽培されていたイヌサフランと山菜のギョウジャニンニクを採取。翌日夜にいためたりして食べた後、下痢や嘔吐(おうと)の症状が出た。長岡市の病院に入院したが、16日午後4時すぎ、血液低下と多臓器不全で死亡した。一緒に食べた妻は病院で治療を受け、既に回復している。
 イヌサフランとギョウジャニンニクは形が似ており、隣り合って植えられていた。イヌサフランは観賞用に栽培されていたとみられる。

www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=232060

◆ で、ギョウジャニンニク。北海道ではアイヌネギとも呼ばれる。《北海道雑学百科 - ぷっちがいど》 には、

◇ ヒトビロ、キトピロとも言うものの、それよりも 「アイヌネギ」 と言うのがメジャーな北海道を代表する山菜、それが行者大蒜、つまり 「ギョウジャニンニク」 であります。ちなみに、道産子にとって 「アイヌネギ」 が一番言いやすく使い慣れていることもあって、よく聞きますが、差別用語だと主張する方もいるため、ギョウジャニンニクに統一したいと思います。
pucchi.net/hokkaido/foods/gyozaninniku.php

◆ 2006年4月15日、万字温泉で食した鴨鍋のなかにギョウジャニンニク。その日の PhotoDiary のキャプションは 「アイヌネギ」 としたのだが、その後、もしかしたら不適当なコトバである可能性もあるから、ギョウジャニンニクに訂正したほうがよいのだろうか、などとあれこれ考えてはみたが、結論が出ぬままそのままにしてある。

◆ 北海道観光連盟の 《アイヌ文化理解の手引き》 には、

◇ 正式名称はギョウジャニンニク。「中国茶」 「タイ米」 のように国や地域の付いた呼び名は多く、その意味ではアイヌの人々の長年の食材のひとつをアイヌネギと呼ぶこと自体は、本来は悪いことではない。しかし、「アイヌは汚い、くさい」 などと差別を受けてきた人々の中には、強い匂いをもつものをアイヌネギと呼ぶことに対して差別の意識をもっての発言であるとして不快感を持つ人が多い。従って、こうした差別が解消されるまでは、アイヌネギという言葉は避け、ギョウジャニンニクと呼ぶ方が良い。なお、北海道内のスーパーなどでは 「きとびる」 「ひとぴろ」 等の名称で売られていることもある(どちらも日本語の 「祈祷びる」 からきている)。
www.visit-hokkaido.jp/soshiki/data/ainu/ainu.pdf

◆ ワタシも 「中国茶」 「タイ米」 のような組み立てのコトバとしてアイヌネギを理解していたが、考えてみれば、アイヌは地名ではない。エゾネギではどうだろう? 蝦夷も蔑称か? 関係ないが、支那そばにシナチク。

◆ 2006年9月16日、旭岳温泉の食堂で注文したキトピロラーメン。PhotoDiary には 「キトピロとはアイヌ語でギョウジャニンニクのこと」 と書いたが、これは間違っているかもしれない。上記の引用では語源を日本語としている。が、「祈祷びる」 というのもよくわからない。「ひる」 は蒜(ひる)だが、祈祷とはなんだろう?

◆ アイヌ語にはプクサというコトバもある。

◇ ギョウジャニンニクのことを沙流川ではプクサといい、旭川や阿寒のアイヌはキトというが、プクサという言い方でもわからないことはないし、二風谷アイヌもキトという言い方は知っている。
萱野茂 『アイヌ歳時記』 (平凡社新書,p.43-44)

◆ 面倒だから、とりあえずは標準和名のギョウジャニンニクを用いておけばなんの問題もないのだが、それでもひっかかるのは、この山菜が、

◇ ニンニクと言うよりは、ネギとニラを足しような感じ。
yama.jpn.org/right/plant/gyouja/

◆ であるところ。ニンニク、ネギ、ニラ。これも考えてみれば、どれも似たような植物で、食用にする部分が、ニンニクとネギ・ニラでは違うというだけのこと。そういやニンニクの茎も喰うもんなあ。とやっぱり結論は出ない。とりあえず、食中毒にはご用心。