MEMORANDUM
2007年03月


  男は

♪ 男は誰もみな 無口な兵士
笑って死ねる人生 それさえあればいい

◆ 一日の仕事を終えて、疲れ切って(というほどのこともないが)、もうこのまま寝てしまおうかと思ったりもしたが、やはり風呂に入っておこうと、よたよたと銭湯に向かい、ひと風呂浴びて、いくぶんか元気を取り戻して、脱衣場でくつろいでいると、女湯の脱衣場のほうからの会話が聞こえる。会話と書いたが、ひとりの声しか聞こえない。もしかするとケイタイで通話していたのかも。あるいはひとり言だったのかも。ありふれたオバサンの声。

◇ ・・・いまではテレビがおともだちでね。

◇ 今日なんか休みなんだから、どこかに出かけてくれればいいんだけど・・・。

◆ 話題は定年退職したダンナの日常であるようだった。あいかわらず話し相手の声は聞こえない。ひとりが一方的にしゃべりまくっている。とにかく声がでかいので、聞くつもりはなくとも聞こえてしまう。

◇ 男は、もう早く死んでもらわなきゃダメだね。

◆ 風呂上りにこんなハナシを好き好んで聞きたくはないが、耳をふさぐのは手間なので、聞こえるにまかせる。そうか、早く死んでしまったほうがいい?

◆ 女湯のとなりには仕切り一枚をへだてて男湯があって、そこには見えないにしても男たちがいるだろうから、などとは思いもしない。あるいはわざと男に聞かせているのか?

◆ おともだちの霧さんがこんなことを書いている。

◇ 古本屋で買った文庫を読んでいると、半分くらいのところに 「搭乗口案内」 と書かれたレシートが一枚挟まっていた。「コシバトシアキ」 さんが12月13日に福岡行きのANA251便を予約した際のものらしい。搭乗口は58。座席番号は19G。コシバさんは飛行機の中でこの本を読んだのかなと思いつつ読み進めていくと、後半の頁にもう一枚のレシート発見。12月8日付のブックキヨスク新大阪店。買い上げは文庫1点で、本書の値段と一致する。本書 『市民ヴィンス』 は昨年の12月発行。出張か、旅行か、帰省か。大阪で買った新刊を移動のお伴に持ってきて、福岡の古本屋に売ったということなんだろうな。二枚の紙切れから、自分とは関係のない人、今後交差することもないだろう未知の人のほんのひとときが窺える。古本を読んでいてこういうものにぶつかると、なんだか嬉しくなる。
01.members.goo.ne.jp/home/fog_horn/diary/a/985.html

◆ 古本といえば、こんなことがあった。2003年10月23日、久里浜。通りすがりに入った古本屋の棚をのぞいていると、あとから10歳くらいの女の子を連れた若い母親がやってきて、こどもがあれこれおもしろそうな本をひっぱり出し始めるとすぐに、こう言った。

◇ 「ここの本はキレイじゃないのよ。ばっちいの。さあ行きましょ」

◆ 「ばっちい」 というコトバが標準語かどうかいまひとつ確信がもてないので、念のために書き添えておくと、「ばっちい」 とは汚いという意味であるが、古本屋の本が汚いというなら、古本屋になんか来なければいいのに、と思ってしまった。まあ、店に入るまでは、古本屋だとは思わなかったのだろうけれど。

◆ 古本を読むと、ときにおまけがついてくる。それは霧さんが書いていたようなことで、喫茶店のレシートとか、病院の診察券とか、まにあわせのシオリのようなもの。他人の痕跡。あるいは、個人の蔵書印が押してあったり(まれには、公共の図書館の蔵書印であったりもするが)。

◆ あるいは書き込み。赤鉛筆でやたらに傍線を引いてあったり、「?」 で疑問点を記してあったり、余白いっぱいに細かい字で感想を書き連ねてあったり。参考になることもある。

◆ 図書館の本も、新着図書を一番に借りるのでなければ、みな古本である。もちろん、個人の所有物ではないのだから、書き込みをしてはいけない。だが、よく見かける。

◆ 画像(拡大)は区立の図書館で借りてきた新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳、ワイド版岩波文庫 『武士道』、102ページ。あれこれ黒ボールペンでの書き込みがあるが、つまりはこういうことらしい。読みのあやふやな漢字の語がある。すぐに調べがついたものには、ふりがなを振る。調べるのに時間がかかりそうな語には、とりあえず○で囲んでおいて、読みがわかった語については、○を修正液で消してからふりがなを振る。だから、○がそのまま残された語は、けっきょく調べがつかなかったということなのだろう。「門弟」 「故」 「拙者唯」、それから 「無分別」。書き込みの主がだれだかわかれば教えてあげたい。どんなひとだろう? 1ページにこんなに読みのわからない漢字があっては、一冊を読み通すのに、おそろしく時間がかかるにちがいない。ところが、書き込みはこのページを中心にわずか数ページにあるだけだ。書き込みをしたひとは 『武士道』 のその数ページだけを必要としたのだろう。大学で日本文化論を受講する留学生、そんなところではないかと思う。

◇ テレビの 「ウルトラマン」 シリーズの演出や映画 「帝都物語」 などで知られた映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日深夜、死去した。69歳だった。
www.asahi.com/culture/movie/TKY200611290434.html

◆ 29日というのは、2006年11月のこと。さいきん 『昭和電車少年』 という本を、その著者の訃報もつゆ知らずに読んだ。

◇ わたしにとって電気機関車というフォルムの極北は、そんなEF57であった。戦後、『はと』 などとふやけた名前で特急が復活したが、昭和二十五年に再開された特急 『つばめ』 を牽引して、いたく城西のファンを魅了したのは、EF57の持つ造形の見事さだろうと思う。
実相寺昭雄 『昭和電車少年』 (JTB,p71)

◆ いかにも根っからの鉄道ファンらしい文章だが、それはさておき、どうして 「はと」 はふやけているのだろう? すくなくとも戦後まもなくのころは、平和のシンボルとして、いまよりもずいぶんイメージよかったのではないかと思いもするが、そうでもなかったのだろうか? とまあ、そんなことが気になった。

◆ 駅のホームでたむろするハトたちを見るにつけ、たしかに、お前ら特急って感じじゃないよな、とつびやきたくもなる。だれが特急 「ドバト」 に乗りたいと思うだろう? 汽車ポッポと鳩ポッポのポッポつながりくらいでは、遊園地のSL列車の愛称ぐらいがお似合いだろうか?

◆ そんなことをあれこれ考えていたものだから、先日本屋で、内田百閒の 『第一阿房列車』 (新潮文庫)の表紙を見たときには驚いた。特急 「はと」 の展望車のデッキにすっくと立った内田百閒の表情がなんともいえずすばらしい。撮影は林忠彦。調べてみると、この写真は、昭和27年(1952)10月15日、鉄道80周年の記念行事の一環として内田百閒が東京駅の一日駅長を務めたときのもの。

◇  第三列車 「はと」 は、私の一番好きな汽車である。不思議な御縁で名誉駅長を拝命し、そのみずみずしい発車を私が相図する事になった。汽車好きの私としては、誠に本懐の至りであるが、そうして初めに、一寸(ちょっと)微かに動き、見る見る速くなって、あのいきな編成の最後の展望車が、歩廊の縁をすっ、すっと辷(すべ)様に遠のいて行くのを、歩廊の端に靴の爪先を揃えて、便便と見送っていられるものだろうか。
 名誉駅長であろうと、八十周年であろうと、そんな、みじめな思いをする事を私は好まない。
 発車の瞬間に、展望車のデッキに乗り込んで、行ってしまおう、と決心した。

内田百閒 「時は改変す」 『立腹帖 内田百閒集成2』 (ちくま文庫,p.152)

◆ そうして、ほんとうに、駅長としての任務を放棄して、「はと」 の展望車に乗って熱海まで行ってしまった・・・。こんな 「はと」 好きの痛快な人物がいるとは、その日ばかりは、さぞかし駅のホームのハトも鼻が高かったにちがいない。