MEMORANDUM

  若松

◆ 写真は若松ハイツ。ハイツがハイシにも読めるというハナシではなくて、会津の若松から帰った翌日に、べつの若松にいた。東京都府中市若松町。こんなところにも若松があったんだなというハナシ。

◆ 会津若松市がたんに若松市ではないのは、九州にも若松市があったからで、

◇ 1955年1月1日、北会津郡湊村、一箕村、高野村、神指村、門田村、大戸村、東山村を編入し、これを機に都市名を若松市から現在の会津若松市に変更した。都市名の変更は、福岡県若松市(1914年市制施行。現・北九州市若松区)と混同を避けることなどを目的として行われたもので、先に市制を敷いた都市の方が改名を行った唯一の事例である。
ja.wikipedia.org/wiki/会津若松市

◆ 会津若松は以前は黒川といった。1590年(天正18年)、戦国武将の蒲生氏郷が豊臣秀吉の命により伊勢の松阪から引っ越してきて、黒川を若松と改名した。

◇ 氏郷は、城下の名も変えた。「若松」 とした。故郷の近江蒲生郡日野の “若松の森” という地名を移したというが、松坂の命名と同様、氏郷は松が好きだったのだろう。
司馬遼太郎 『街道をゆく 33』 (朝日文庫)

◆ 府中市若松の由来はしらない。すくなくとも蒲生氏郷とは関係がない(と思う)。

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