MEMORANDUM
2005年06月


◇ 僕の宿は大熊座だった。 ランボー

◆ 「OURS INN」 のつづき。さて、この熊旅館というネーミングが気になって、どこかに実在はしないかとネットで検索していると、「青熊モーテル」 というのが見つかった。《Motel Ours Bleu》 はカナダはケベック州の、モンレアル (英語でモントリオール) から北西に約200キロ、117号線沿いにある Lac-Saguay という小さな町にある。ついでに、この町の公式サイトものぞいてみると、

◇ À l'origine, les Algonquins appelaient ce lieu "Sagwa". Ce toponyme amérindien signifierait "déboucher", "verser" ou "tête des eaux", le nom du village doit probablement sa signification au fait qu'il est situé au pied d'un lac et d'une embouchure de rivière.
lannon.qc.ca/biblio-saguay/hist.html

◆ この Saguay という地名は、アメリカインディアンのアルゴンキン族の言語で 「川の流出するところ」 を意味する Sagwa に由来するのだそうだ。ついでに、アルゴンキン族についても調べたくなるが、キリがなくなるのでやめておこう。といいつつ、ニューヨークのマンハッタン (Manhattan) もアルゴンキン語で 「丘の島」 という意味だとか・・・。それから、日本では Algonquins というファッションブランドがあるらしくて、

◇ 私は ALGONQUINS や PEACE NOW や h.NAOTO や X-LARGE のようなファッションが好きです。同じような感じでオススメのブランドありますか?? メンズでもかまわないです。教えてください^^
odn.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=957513

◆ ロリータやらゴシックやらゴスロリやらゴシックパンクなんてことは、もちろんワタシには皆目わからないので、やっぱりアルゴンキンのハナシはこれくらいにしておこう。話題が熊からすっかりずれてしまったので、強引に元に戻すと、「白熊ホテル」というのがフランスのトゥールーズにあるようだし、スイスには 「熊旅館」(《Auberge de l'Ours》) なんてのも。カナダのすぐあとにスイスに行くにはちょっと体力がもちそうにないので、これにて失礼。

◆ 5月19日、京都から新幹線で東京駅に着いて、連絡通路を中央線のホームへと向かったところが、発車案内板の寝台特急の表示にそそのかされて、長距離列車用のホームの階段をつい上ってしまった。停まっていたのは、「サンライズ瀬戸」(高松行)&「サンライズ出雲」(出雲市行)。

◇ 山陰エリア・四国エリアと東京を結ぶ寝台特急で、「サンライズ出雲」「サイライズ瀬戸」を岡山で分割・併決して運転しています。車内は住宅メーカーと共同で設計し、木の温もりを生かしたインテリアに統一。寝台は全て個室で、サンライズツインやシングルデラックスなど設備も多様です。
www.westjr.co.jp/gallery/train/mi285_1.html

◆ なかなか豪華な車両で、思わず乗りたくなる (だれだって中央線の通勤電車に乗るよりは個室の寝台特急の方がいいだろう)。個室のせいか始発駅から乗客はみなすでにくつろぎモードにはいっている。高松か出雲、行くなら出雲がいいな、などと乗りもしないのに勝手なことを考えている。京都から到着したばかりだというのに。いや、こんなことを考えるのは、むしろそのせいかもしれない。いつだって旅から帰ると、到着した空港や駅で、ほかの飛行機や列車の行方を気にしてしまう。あの飛行機はあの列車はどこに行くのだろう? あれに乗ってしまえば? いまなら、まだ旅を続けることができるかもしれない、まだ旅は終わっていない、そんなふうに旅の終わりをできるかぎり引き延ばそうとする。

◇ あるとき、夜にミラノの駅に到着したロラン・バルトは、霧がうっすらとたちこめるプラットフォームに立ちながら、別の列車が出発しようとしているところに出くわす。その列車には車輌ごとに、「ミラノ ‐ レッチェ」と記した黄色いプレートが掛けられている。レッチェとはどんな邑(むら)だろうかと、バルトは夢想する。この列車に乗ってひと晩旅行したなら、明日の朝にはまだ自分が一度も降り立ったことのない南の、暖かく静寂に満ちた邑に着くことができるのだ。彼はたった今、パリから北イタリアのミラノに着いたばかりだ。けれども「美しいイタリアは、いつだって、より遠い、別の場所にある」と思う。
四方田犬彦 『旅の王様』(マガジンハウス,p.75)

◇ わたしが寝台車に乗っていて体験したもっとも甘美な出来ごとは、もう十年以上前になるが、シチリアのパレルモからナポリに向かって乗ったコンパートメントのなかで起きた。夜更けがたにふと起きて見ると、窓の向こうに巨大な月が耿々(こうこう)としてあった。信じられないことだが、わたしは月の光の強さのおかげで目が醒めたのだ。こんなことが、これからの人生でふたたび起きることがあるだろうかと思うと、わたしは幸福感に包まれた気になった。それまで何十回となく寝台車に乗って旅をしてきたのは、この瞬間に廻りあうためためだったような気持ちさえしてきたのだ。
四方田犬彦 『旅の王様』 (マガジンハウス,p.84)

◆ ワタシが寝台列車に乗ったのはせいぜい十回くらいのもので、それもみな十年以上もむかしのことだが、一度、パリからローマ行の寝台列車に乗ったことがある。ローマは遠いが、次の朝には、とにかくイタリアのまっただなかを走っていることだろう、そう思って眠りに就く。朝、目が覚めると、列車は停車中。どこの駅かと辺りを見回し駅名を確認すると、Ventimiglia と書いてある。そこはまだフランスとの国境の町、ヴェンチミリアだった。目がすっかり覚めて、おなかが少し空いてきても、列車はこの駅に停まったまま、いっこうに出発する気配がない。これではローマに着くのは一週間後になるだろう。

◆ 急行 「津軽」 は秋田県のどこかを走っている。寝台車の寝台で、寝つけずに、ずっと窓から外を見ている。けれども、あたりは一面の闇で何も見えない。ふいに闇に花火が上がる。音もなく花火が上がる。この列車のなかで、この花火を見ているのはワタシだけだろう。そう思うと、とても幸せな気がした。

◆ 今度寝台列車に乗るのはいったいいつのことだろう?

◆ 5月22日、霞ヶ浦(茨城県稲敷郡阿見町大室)。もちろんワタシはここに釣りをしに来たわけではない。仕事で来たのだが、地図を見ていて、となりに自衛隊の施設があることに気がついた。そうしたら、次の日に・・・。

◇ 23日午前8時前、茨城県土浦市の陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地宿舎で、陸自航空学校霞ケ浦校の三等陸曹、****さん(25)がベッドで血を流して倒れているのを隊員が見つけ、医官が死亡を確認。警務隊は殺人容疑で〔……〕
www.sanspo.com/shakai/top/sha200505/sha2005052408.html

◆ 医官やら警務隊やらの用語に多少の興味はそそられるけれど、事件自体にはとくに関心はない。陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地宿舎の所在地は土浦市とあるが、土浦市と阿見町は隣接していて、この阿見にも、自衛隊の施設がいくつかある(陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地自体が土浦市と阿見町にまたがっている)。陸上自衛隊武器学校もそのひとつ。

◇ 阿見町はかつて海軍飛行予科練習生の本拠地で、10代から20代前半の若者が飛行訓練を受け、戦場に赴きました。航空隊の跡地の一部は現在、陸上自衛隊武器学校となっており、敷地内に「予科練の碑」と「予科連記念館」があります。「予科練の碑」は昭和41年に建立され、若鷲の歌の歌碑とともに敷地内の庭園にあります。
kouikikankou-ibaraki.jp/spot/ami/

◆「若鷲の歌」というのは、西條八十作詞による東宝映画「決戦の大空へ」の主題歌(海軍省推薦)で、霧島昇の歌声に、多くの若者が予科練を志したという。

♪ 若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨
  今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ でかい希望の雲が湧く

◆ 戦争についてはなにも知らない。霞ヶ浦に予科練があったことも初めて知った。茨城県人でもないので、以下の「伝説」はさらに知らない。

◇ 終戦末期にこの霞ヶ浦航空隊では燃料不足を補うためにイモ焼酎で戦闘機を飛ばすようになり、このため茨城県は全国有数のサツマイモの産地になった、というのは茨城県人である僕が高校時代に化学の先生から聞かされたかなりウソっぽい「伝説」だ(笑)。
www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/sitenlog/news020714.html

◆ 霞ヶ浦では今、休みの日に多くの人が釣り糸を垂れている。そういえば、お客さんのアパートの前の畑にはキジが二羽のんびり遊んでいたっけ。

◆ 5月7日、埼玉県大里郡寄居町桜沢。国道140号線沿いに立っていたなぞの3人組のひとり、イエローマジレンジャーは道行くひとに「人のはなしはよくきけよ」と諭しているが、だれひとり聞くものはいない。そんな説教よりも、ワタシはかれの股間の棒がたいそう気になり、先日読んだ本のなかに書かれていた蓮華往生のハナシを思い出す。蓮華往生とは、即身成仏を願う信者の希望をいとも簡単に叶えてくれる夢のような装置で、まずは即身成仏志願者に、

◇ 経帷子を着せ、唐金の八葉の蓮華の台にすわらせて葉を閉じる。坊主どもが蓮華台を囲んで木魚や鉦(かね)をジャンジャンたたき、耳を聾せんばかりに読経の声を上げる。と、そのときに蓮華台の下にもぐりこんだ黒衣の男が、犠牲者の肛門を槍先(焼け火箸とも)でエイヤッとばかりに刺しつらぬくのである。
 ギャ、ギャッーと断末魔の叫びものすごく。と思いきや、読経の合唱にかき消されて叫び声は周囲を取り巻く信者たちの耳には届かない。やがて蓮華の葉がおもむろに開くと、往生した信者がうっとりと安らかな死に顔を浮かべているという寸法。
 ありがたや。蓮華往生、極楽往生。並みいる信者たちはコロリとまいって、財産をありったけ寄進してしまう。

種村季広 『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社,p.12-13)

◆ これが蓮華往生というわけ。江戸時代、この装置で人気を集めていたといわれるのが碑文谷の法華寺(現・円融寺)だそうで、実際にそんなことがあったかどうかは、まあお釈迦様でもご存知ありますまい。そうそう、それからこの円融寺には、立派な仁王が睨みをきかせていて、目黒区教育委員会の建てた案内板によれば、

◇ 永禄2年(1559)の作といわれ、江戸時代の末期、民間信仰で有名になり「碑文谷黒仁王さん」と呼ばれて大変親しまれた。(都指定文化財)

◆ ということである。なんでも、

◇ この碑文谷仁王尊のおかげさまをもって、生まれついてのせむしがなおり、手のない人に手が生え、と、キリスト教の按手そこのけの奇蹟が起こった。たちまち参詣人が怒濤のように押し寄せた。
Ibid. p.11

◆ この仁王様、現在はガラスで囲われていて、写真を撮るのに苦労する。はたして奇蹟はガラスの壁を越えるのだろうか?

◇ さてさて、今日のお題は「Japanese things」と「things Japanese」。この違い分かりますか?
www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/1664/column/japanese.things.html

◆ ワタシにゃ、わかりません。ついでにいうと、「木材」と「材木」の違いもよくわかりません。「牛乳」と「乳牛」や「事情」と「情事」の違いならわかるけどね。

◇ ~s Japanese ((英では正式ややまれ))日本(特有)の文物[風俗的事物] 《この意味を含め広い意味では Japanese ~s が一般的》
『ジーニアス英和辞典』(thing の項)

◆ なんでこんなことが気になったかというと、チェンバレンの『日本事物誌』の原書を見てみたいと思って探したら、原題は “Things Japanese” なんだけど、文庫版ではなぜだが “Japanese Things” に変えられていることに気づいたからで、なんでこんな本を見てみたいと思ったかというと、そこには「狆」のハナシが書いてあるからで・・・。

《道浦俊彦の平成ことば事情:ことばの話1728「材木と木材」》では、辞書を引きつつ、

◇ あ、そうか、わかったぞ!「木材」は、「材」の種類・質・素材を表しているのに対して、「材木」は紛れもなく「木」で、それが何かの「材(料)」になっていることを表しているんだ。
www.ytv.co.jp/announce/kotoba/back/1701-1800/1726.html

◆ うん? ワタシには、やっぱりわかりません。というか、同じじゃないの?

◆ 「青い空」 なら空のハナシで、「空の青」 なら色のハナシで、このふたつはまったく別のジャンルのコトバであるというような、言説をワタシはまったく信用していない。

◇ 2大政党と言っても自民党と民主党の違いはライスカレーとカレーライスの違いほどもないと私は思っている。
www.tokyo-doken.or.jp/news/n1732.htm

◆ ライスカレーとカレーライスの違い?

◇ 俗には、御飯の上にカレーがかけてあり、それこそソースやしょう油をふって食べる大衆的な雰囲気のものがライスカレー、御飯とは別の容器にカレーが入って出てくるややハイカラなイメージのするものをカレーライスと呼ぶ、と言われています。
www.sbsoken.com/siryo/curry-qa/text/currybunka2.htm

◇ どちらかと言うと今では庶民的なイメージのあるライスカレーは、ウスターソースを掛けて食べるもの、でもカレーライスには掛けない、といった暗黙の了解もあるようです。
www.queens-east.co.jp/column/2004b/10.html

◆ 上のふたつの引用を読んで、なるほどこれはいい豆知識を仕入れたぞ、などとは思わないでほしい。こうしたコトバを実際に辞書や事典を引くこともなく使いこなしているのはわれわれ自身なのだから。それよりも、ライスカレーというコトバを耳にしたときに、「そういえば、うちのおばあちゃんはライスカレーって言ってたなあ」 と今は亡きおばあちゃんに思いを馳せるようなひとがワタシは好きである。

◆ 四つ角には、「かどや」があるといい。八百屋でもパン屋でも質屋でも不動産屋でもなんでもいいけど、四つ角には、「かどや」があるといい。「角屋」でも「カドヤ」でもいいけど、四つ角には、「かどや」。なにかの間違いで、通りの真ん中やなんかに「かどや」がありませんよう。

◆ 6月2日、渋谷区立西原図書館。たまたま歩いていたら、図書館があったので、入ってみた。

◇ 商店街から少し入った静かな住宅街に1本の大きな桜の木があります。そこにある古い3階建ての建物が西原図書館です。
www.lib.city.shibuya.tokyo.jp/kan.html

◆ 道案内にしては、ちょっと洒落てる。建物のなかは、ちょっと小学校に似ていて、手洗い場があり、そこには懐かしいエメラルドグリーンの液体石鹸が・・・。ワタシには子どもがいないので、小学校に行く機会もないけれど、親たちが子どもの学校行事でひさしぶりに小学校に足を踏み入れるときには、それが出身校でなくとも、きっと懐かしさで胸がいっぱいになったりもするのだろう。自分が小学生のときには、学校に来た親が自らの思い出にひたっているかもしれないなどとは、もちろん考えもしなかった。そんなことをなぜだか図書館の階段のわきにある手洗い場を見て思った。ところで、あのキレイな緑の液体はなんという名前なんだろう?

◇ 手洗い洗剤 (アルボースって言うんですよね) も妙にきれいな色だったために 「絵の具が入っている」 と言われて使えなかった。
www.1101.com/postcard/odai_07-4.html

◇ 小学校で、緑色の液状の石鹸を使っていてそれをアルボース石鹸と呼んでいたので、液状石鹸はアルボース石鹸と呼ぶのだと思っていたのですが、どうやらメーカー名らしいです(^^;。
hanekurage.spaces.live.com/Blog/cns!1p4_eMNgXyNcEdsf_4q7r0Aw!463.entry

◆ なるほど、アルボース石鹸というのか。愛知県一宮市立瀬部小学校の保健委員会でも、

◇ 保健委員会では毎日、怪我をした人の手当てのお手伝いをします。
そのほかにも手洗いの石鹸やアルボース液の補充もします。

www.school.city.ichinomiya.aichi.jp/~sebe-e/mado-iinkai.htm

◆ あるいは、ちょっとなまって「アルボー水」。

◇ 「え?アルボー水ってなに?」 ほら、緑の液体石鹸!メジャーなものじゃん! うちの小学校アルボー水ってみんな言ってたもん! 「シャボネットの間違いだよ…」ってみんなから言われたけど、そんなおしゃれな名前じゃなかった!(おしゃれか…?)
switchees.fc2web.com/nikki13.htm

◆ えっ? シャボネットってのもあるの?

◇ うちの小学校の緑の液体石鹸はシャボネットでしたよ。(元保健委員) 原液が足りない時は、必要以上に薄めてました・・・。
hacohako.exblog.jp/701821/

◆ なるほど、そりゃ商品名だから、いろいろあるか。アメールソープってのも。

◇ わたしの学校では「アメールソープ」と呼ばれてましたよ! シャボネットとかアルボースとか、何だか外国のお金持ちそうな貴婦人みたいな名前じゃなかったです。色んな名称があるんですねぇ~~~。
www.kawauso-net.com/cgibin/subject1/yybbs.cgi

◆ シャボネットとかアルボースとかアメールソープとか。それにしても、みんなの記憶力のよいことといったら! ワタシには記憶のカケラもない。そもそも使ってなかったんだろう。面倒くさいから。

◆ 字はキレイなほうがいい。かつてこんなことがあった。1985年7月10日、

◇ 京都市、古都税条例実施.対象37社寺中18カ寺は無料拝観に突入、20日から一部さみだれ的に拝観停止
www.labor.or.jp/gakuen/history/1985.htm

◆ そのころ大学生だったワタシは、夏休みに帰省したおりに、どこの寺院だったかまったく思い出せないのが情けないが、とにかく無料拝観を実施していたある寺に出かけたことがある。そこでは無料拝観と引き換えに 「参拝者」 が 「写経」 をすることになっていて、そのことは、なるほど寺院というものがそもそも観光ではなく信仰の対象であることを思い出させてくれたけれども、急に信仰心など湧くはずもなく、こんなことをするのは中学1年の英語のペンマンシップ以来だな、とひとりごちながら、不承不承 「筆ペン」 (だったろうか?) でナントカ経の経文をなぞっていたところ、知らぬ間に坊主がひとり背後に忍び寄っていて、ワタシの肩越しから一言、

◇ ほほお、達筆ですなあ。

◆ 恐れ入った。まったく恐れ入った。申し訳ない。字はキレイなほうがいい。汚くても誠実に書くこと!

◇ こんな言い間違えしたことありませんか? 「糸に針を通す」
toeic990.exblog.jp/519025/

◆ そもそも、「糸に針を通す」 という表現は誤っているのだろうか? もちろん、太い木綿糸の真ん中に細い針を突き刺して貫通させることなら、不器用なひとが糸を針の穴に通すことよりずっと容易なことに違いないが、そういうことではなくて、

◇ 針の糸通しは針に糸を通すのではなく、糸に針を通すようにすると、案外うまく行くものです。
www.kamedaseika.co.jp/information/potapota/pota.cgi?no=316

◆ といった場合に、どうして 「糸に針を通す」 と言ってはいけないのだろうか?

◇ ファッションデザイナーの山本寛斎氏が講演で来られ、「針に糸を通す場合は、針を糸に近づけるのだ」 と言われた。
members.jcom.home.ne.jp/kyohounoizumi/hariniitowohariwoitoni.htm

◆ いくら糸を固定して針のほうを移動させたとしても、それはやはり、針に糸を通しているのであって、その逆ではない、といういうことも可能だろうが、(ワタシの) 感覚的には、「糸に針を通す」 という表現のほうがしっくりとくるのではないか? ことばにそれくらいの柔軟性があってもいいだろうと思う。

◇ 普通の人は縫い物をするとき 「針に糸を」 通す。ところが、職業的に縫い物をする和裁士のような人は 「針に糸を」 通すそうだ。仮に右利きだとすると、左手の親指と人差し指で数ミリほど頭を出した糸をつまみ、右手に持った針の穴をその糸にくぐらせる要領で通すわけだ。寄席の紙切りはハサミを動かすのではなく、紙を動かすことで驚くほど繊細なシルエットを浮かび上がらせる。りんごや梨の皮むきも同じだろう。ナイフを動かすのではなく、果物のほうを動かすほうが確実で早い。
www.mstc.or.jp/kikansi/mstc46.pdf

◆ マーク・トウェインの 『ハックルベリー・フィンの冒険』 に、こんな一節がある。ある事情からハックは女の子の身なりをしていたが、針に糸を通したとたんに、そのしぐさから女装が見破られてしまう。見破ったのはもちろん女性である。

◇ Bless you, child, when you set out to thread a needle don't hold the thread still and fetch the needle up to it; hold the needle still and poke the thread at it; that's the way a woman most always does, but a man always does t'other way.
(いいかい、針に糸を通そうと思ったら、糸を持ったままにして針のほうを糸に近づけるんじゃないよ。針を持ったままにして糸のほうを針に突っ込むんだよ。それが女のやり方ってもんさ。男ときたらいつでもあべこべにやっちまうんだから。)

www.literature.org/authors/twain-mark/huckleberry/chapter-11.html

◆ 西洋から見れば、日本人(の女性)もハックに負けず劣らず、あべこべということになるようで、チェンバレンの 『日本事物誌』 によれば、

◇ Their needle-work sometimes curiously reverses the European methods. Belonging as he does to the inferior sex, the present writer can only speak hesitatingly on such a point. But a lady of his acquaintance informs him that Japanese women needle their thread instead of threading their needle, and that instead of running the needle through the cloth, they hold it still and run the cloth upon it.
(不思議なことだが、日本では針仕事もヨーロッパの仕方とは逆になることがある。筆者は男性であるので、こうした点については、明言するわけにはいかないけれども、知人の女性によれば、日本の女性は針に糸を通すのではなく糸に針を通す。また、布地に針を走らせるのではなく針に布地を走らせる。)

Basil Hall Chamberlain, Japanese Things, (Tuttle, p.482)

◆ 「針に糸を通す」 か 「糸に針を通す」 か。ワタシはどちらだろうかと考えてみて、針仕事をまったくしていないことに思い当たった。

◆ 6月8日、立川市羽衣町。「L'ananas」 という店があったが、なんの店かはよくわからない。ananas とはフランス語でパイナップルのことで、アナナと発音する (最後の s は発音しない)。このアナナの語源が気になり調べてみると、

◇ The native tribes of Central America called this spiky fruit "nana," meaning flavour. In fact, it was so succulent that another syllable was added and it became "the nana of nanas": the flavour of flavours. Ananas became the accepted name in French and numerous other languages. In the 17th century the English gave it the name "pineapple," an old word for pine cone, because of its appearance.
(中米の先住民はこのとげとげしいフルーツのことを「ナナ」と呼んでいた。これは風味を意味する。実際、このフルーツはとても美味であったので、さらに一音節を加えて、「ナナのなかのナナ」、つまり風味のなかの風味と呼ばれるようになった。このアナナスという名称がフランス語のほか多くの言語で普及した。イギリスでは、17世紀に、パイナップルと名づけられたが、当時パイナップルといえば現在のパインコーン (松ぼっくり) のことで、それに外観が似ていたのである。)

www.theworldwidegourmet.com/fruits/pineapple/history.htm

◆ ananas は原産地の住民の言葉をそのまま借用したようで、これだけならよくあるケースである。意外だったのは、むしろ英語のパイナップルの語源のほうである。pine + apple で、なんの問題もない・・・

◇ パイナップルの語源は PINE (松) APPLE (リンゴ)。松ぼっくりみたいなリンゴということ
www5a.biglobe.ne.jp/~oshiken/fruits/fruits.htm

◇ pine は松かさに似るところから、apple はリンゴの味に似るところから。
www.tsuji.ac.jp/hp/zai/dt/248.htm

◆ リンゴに味が似ているとはとても思えないが、ともかく 「松ぼっくりみたいなリンゴ」 ということで、パイナップルという名がついたのだと思っていた。ところが、そうではなくて、もともとパイナップルとは松ぼっくりのことであったのだが、新大陸で発見された松ぼっくりに似たフルーツのこともパイナップルと呼ぶようになり、そのため、もともとパイナップルであった松ぼっくりのほうがパインコーンと名を変えるはめになった、ということなのである。《オンライン語源辞典》 によれば、

◇ 1398, "pine cone," from pine (n.) + apple. The reference to the fruit of the tropical plant (from resemblance of shape) is first recorded 1664, and pine cone emerged 1695 to replace pineapple in its original sense. For "pine cone," O.E. also used pinhnyte "pine nut."
www.etymonline.com/index.php?search=pineapple

◆ とあった。パインコーンの運命はジャイアントパンダにその名を奪われたレッサーパンダと同じである。

◆ よく考えてみると、pineapple をフランス語に直訳すると、pomme de pin で、これは今でも松ぼっくりのことなのだった。どうもややこしいハナシで失礼しました。

◆ パイナップルの語源のおさらい。新大陸から現在パイナップルとして知られる果実がイギリスに上陸する以前にも、パイナップルという英単語は存在していて、それは今でいうパインコーン、すなわち松ぼっくりのことであった。その松ぼっくりに似ているというので新しいフルーツもパイナップルと呼ばれることになった。そのうちパイナップルといえば、もっぱらこの熱帯産のフルーツを指すようになったっため、本来のパイナップルである松ぼっくりのほうがその名を譲り、パインコーンという別の名称を与えられることになった。

◆ では、そもそも松ぼっくりがなぜパイナップル (pineapple) と呼ばれていたのか? リンゴ (apple) といかなる関係があったのか? ふたたび 《オンライン語源辞典》 によれば、apple はそのむかし、

◇ A generic term for all fruit, other than berries but including nuts
(すべての果実の総称。イチゴなどのベリー類は除く。ナッツ類は含む。)

www.etymonline.com/index.php?search=apple

◆ ということで、リンゴという個別の果物に限定されない、かなり幅広い概念だったらしい。松ぼっくりも fruit には違いない。

◆ 「松ぼっくり」 とは、もちろん 「松かさ」 のことであるが、松かさというコトバをこれまでワタシは使用した記憶がないので、いささか子どもっぽい響きが気にはなったが、ワタシにはなじみ深い松ぼっくりというコトバを使うことにしたのである。しかし、この 「松ぼっくり」 というコトバも何度も書いているうちに気になりだした。この 「ぼっくり」 というのはなんなのだろう? 手っ取り早く、オンラインの 《大辞林》 を引いてみると、

◇ 「まつふぐり(松陰嚢)」の転。まつぼくり。松かさ。

◆ とあって、これまた驚いた。松のキンタマのことだったとは!

  入梅

◆ 梅雨はうっとうしい。梅雨は鬱陶しい、と漢字交じりで書けば、その鬱陶しさも倍増する。梅雨が好きなひともそういまい、と書きつけてすぐに、

◇ 梅雨は嫌いな季節ではありません 恵みの雨だしね 空から水が降ってくるなんてなんていう奇跡なんだろ、とかね さっそく傘をさしながら自転車で遠出
www.fuki.sakura.ne.jp/~burabura/nikki0406.html

◆ という文章を読んだが、無視することにする。梅雨がやってくるたびに気になるのは 「入梅」(にゅうばい) というコトバで、そもそも語感がよくないと思う。鬱陶しさがますます募る。「梅雨入り」(つゆいり)の方がいいんじゃないかと思う。これは好みの問題だから、どうしようもないが、それよりも気にかかるのは、この 「入梅」 という語を梅雨入りの意味ではなくて、梅雨それ自体を意味する語として使用するひとがいることで、これまた方言の問題だから、さらにどうしようもないことだが、ワタシは入梅というコトバが梅雨そのものの意味で使われるのを、東京で初めて耳にした。京都では 「入梅」 というコトバそのものを聞いたおぼえがないし、札幌には梅雨そものもがなかった。

◇ 東京の人は梅雨の事を入梅と言います。梅雨が始まる時はその言葉が合っていますが終わる時も、そろそろ入梅も終わるねとか入梅が明けると言います。入梅は東京の方言だと私は思っています。
www.eonet.ne.jp/~kwhr/bbs.htm

◆ チェンバレンの 『日本事物誌』 にも、

◇ the "rainy season" (nyūbai)
Basil Hall Chamberlain, Japanese Things, (Tuttle, p.96)

◆ とある。けれどもワタシは、梅雨の意味での入梅というコトバを初めて聞いたとき、方言としての用法があるとは知らなかったものだから、そのひと独自の言葉遣いなのかと思った。ありていに言えば、間違った言い方だと思い、訂正したくなった。

◇ 梅雨が来ると思いだすのは、祖母が「入梅」という言葉を「梅雨入り」という意味ではなく、「梅雨」と同義に使用していたことである。浅はかだった自分は、祖母が入梅という言葉を使うたびに、「お祖母ちゃん、入梅っていうのは梅雨入りのことを言うんだよ」と偉そうに指摘したものだが、後日、辞書を引いてみたら

【入梅】 ①つゆに入ること
     ②[東北から中部までの方言]つゆの季節。 

(三省堂新明解国語辞典第五版より)

と、日本語として「入梅」が「梅雨の季節全体」を指すものであることがはっきり書かれており、誰に知らせたわけではなかったが、無知な自分がとても恥ずかしかった覚えがある。
ishiko.way-nifty.com/ytmlog/2004/06/post_4.html

◆ (とてもステキな文章だと思ったので) 長々と引用したが、ワタシもまた無知な自分がとても恥ずかしい。言わなくてよかった。とはいえ、やっぱりこれはもともとは誤用だろうと思う。誤用が広まってしまえば、もはや訂正は効かず、辞書にも採用される。

◆ ニラムシという虫がいるらしい。あるいはニワムシとも。ハンミョウの幼虫。

(茨城県土浦市上大津)
◇ 【にらむしとり】 ニラムシは、『ハンミョウ』の幼虫で良く踏み固められた庭先の地面に穴を掘って、蟻などを捕食している。幼虫の背中にはちょっと奇妙なこぶがある。細めのニラを穴に差し込んでしばらく置くと魚釣りの浮きが引くのとは逆にずりずり上がって来るのを見計らって吊り上げた。吊り上げた後はどうする訳でもなく、ニラムシにとっては随分迷惑だったろう。それに気がついた後は、遊ぶのを止めた。
www1.tmtv.ne.jp/~kadoya-sogo/ibaraki-ni.html

(千葉県佐原市与倉)
◇ 【にわむし】 ニラムシとも云う。夏、庭の小さな穴に棲んでいる白っぽい小さい虫、細い緑の野ニラを穴に入れて置くと、ピクッと動き、引き上げるとニワムシがカミついて居て捕まえられる。ニワムシ釣り
www.h2.dion.ne.jp/~t-tosio/gogi.htm

(東京都狛江市)
◇ 【庭虫つり】 初夏の頃、庭先や原っぱの堅い地面に直径二から三ミリ、深さ二十センチほどの縦穴を掘ってひそむニワムシ(地虫とも呼ばれるニワハンミョウの幼虫)を、ノビロ(ノビル)やニラなどの葉で釣り上げる。ノビロの葉の根元の方をちょっとかんで穴にさし込んでおくと、ニワムシが食いついてノビロがピクピク動き出す。そおーっと引っ張りながら、穴から抜くときにきゅっと釣り上げると、おもしろいように虫がよく捕れる。釣り上げた虫を他の穴に入れると、下にいる虫とけんかをするので、二匹とも一緒に簡単に捕れてしまう。
www.city.komae.tokyo.jp/index.cfm/28,838,138,52,html

(青森県十和田市)
◇ 当時は、遊びといえば外で虫とたわむれることぐらいしかなかったため、わたしは飽かずに“ハンミョウ釣り遊び”に熱中した。が、一度として釣れたためしがない。しばらくハンミョウ釣りに執着したが、あまりにも釣れないものだからやがて興味を失った。今にして思えば、わたしの魚釣りと同じ。どうもわたしは“釣る”という行為に向いていないのかもしれない。
www.toonippo.co.jp/photo_studio/insects/kouchu/hanmyo/column1.html

◆ ニラムシ釣り、ニワムシ釣り、ハンミョウ釣り。残念ながら、ワタシはしたことがない。興味のある方は以下のサイトを参考に。
虫を釣って遊ぼうよ
海野和男のデジタル昆虫記

◆ 文庫の 『言海』 を買った。裏表紙には、

◇ 近代的なスタイルの国語辞典の第1号 『言海』 は、「読める辞書」 としても絶大な人気を誇ってきた。語釈には 「堂々めぐり」 がほとんどなく、意味の本質に迫るキリッとした名文づくし。とりわけ動物・植物・鉱物などの語釈がシブい。ユーモアさえ漂う。明治時代の俗語もまじり、方言などの注記もある。用例も豊富で、古典アンソロジーのような一面も。巻頭の 「語法指南」 は日本最初の近代的な文法書として愛用された。明治のことばの辞典として、また古語辞典としても役に立つ。国語辞典として使うための詳しい解説つき。縮刷版 (明治37年) の内容をそのままの大きさで覆製。

◆ ことのほかオモシロイ。たとえば、「ばいう」 の項を引くと、

ばい-う (名) 梅雨〔梅實黄熟ノ候ニテ、黄梅雨ノ義ト云、或云、此候、衣物皆黴ヲ生ズ、黴雨ノ義ナリト〕ツユ。ツイリ。サミダレ。夏時ノ霖雨ノ名、芒種ノ後、壬ノ日ニ逢フヲ入梅(つゆいり)トシ、夏至ノ後、庚ニ逢フヲ出梅(つゆあけ)トスト云、然レドモ、諸説、區區ナリ、大抵、芒種ノ後、降リ初メテ、凡ソ三十日間ニシテ、雷鳴アリテ絶ユ。
大槻文彦 『言海』(ちくま学芸文庫,p.938)

◆ 「芒種ノ後、降リ初メテ、凡ソ三十日間ニシテ、雷鳴アリテ絶ユ」。最後の 「雷鳴アリテ絶ユ」 というのが、なんともいえず爽快である。ああ、夏の晴れた空から突如として響く雷鳴が待ち遠しい。出梅はまだ遠い。

◆ 手元に知り合いからもらった美術展の招待券が2枚あって、だれか一緒に行くひとはいないかと心当たりを探してみるが、見つからないまま会期も終わりに近づき、しようがないのでひとりで行くことに決める。そんなとき、余った1枚のチケットをどうするか。チケット売り場に並んでいる列の最後尾にいるひとに進呈することしよう、そう決めて美術館へと向かう。なにを期待するわけではないけれど、たまたま一番後ろに並んでいたひとが、ほっそりとした若い女性で、声をかけるのを一瞬ためらった隙に、小太りの中年のオバサンがふたりどこからともなくやってきて、「あら、チケットあまってるの? 遠慮なくいただくわ」と、こちらがなにも言い出さないうちになぜわかったのか不思議なのだが、手を差し出してしまっている。そのときにようやく、前の若い女性が何事かと後ろを振り向き、その顔を初めて目にしたところが、「ああ! なんという運命のいたずらだろう、ワタシは千載一遇のチャンスを逃してしまった!」、と思わせるほどの器量の持ち主だった。ワタシはもはや展覧会を観る気力が失せている。オバサンたちに、「はい、どうぞ」とチケットを2枚手渡して、そそくさと美術館をあとにする。そんな悲劇か喜劇かわからぬハナシを妄想しながら、美術館に着き、チケット売り場の列を確かめる。最後尾は、真面目そうな若い男性で、さいわいなことに、悲劇も喜劇も起こりはしなかった。

◆ 先日、おもしろいハナシを聞いた。札幌地下鉄の車内でのこと。スーツ姿のサラリーマンが乗車してくる。座席は空いていないので、カバンを網棚へ載せようと腕を上げる。腕を下ろした瞬間、その男性の前に座っていた女性がドキリとする間もなく、カバンはその女性の頭上へと落下する。男性は自分が引き起こした事態がよく飲み込めず、狐につままれた顔をしている。女性は痛そうにアタマをさすっている。いったい何が起こったのか? だれが悪いのか?

◆ どうやら、札幌の地下鉄ではこのような事態が日常的に起こっているようなのである。

◇ その日、I さんの友人は地下鉄車内で座っていたんだって。そこへ大きな荷物を持った人が乗り込んできて友人の目の前に立ち、大きな荷物を網棚へあげる動作をしたそうです。「ガスッ!」 「!!!」 哀れ、座っていた I さんの友人の頭に大きな荷物はヒット! おでこと鼻は真っ赤になり、言葉では言い尽くせない痛みと驚きと荷物が降りかかってきた I さんの友人。きっとこの加害者(!)は東京の人、というのが I さんと友人の見解。
www.dioce.co.jp/kenbun/hiro_01.html

◇ 札幌の地下鉄には網棚がありません。転勤者はこれで一度は失敗します。地下鉄に乗り込み 「いつもの習慣」 で書類を 「網棚」 に置こうとして手を離した瞬間ハッと気が付くのです。網棚がない! 書類は座っている方の膝にどさ! すみませ~ん!、と平謝りです。私も失敗しました。私の上司も失敗しました。道産子のみなさん、いつも転勤者がご迷惑をおかけして申し訳ありません。
www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200201/2002011000002.htm

◇ 札幌の地下鉄には網棚がない。枠はあるのだが、網が張っていない。なぜなのか? という疑問はさて置き、危険ではないだろうか? わしはてっきりあるものと思って、勢いよく荷物を放り投げてしまいました。幸い、他人に迷惑・危害は与えなかったものの、下に赤ちゃんでもいたらと思うと、ぞっとします。地方色があるのは結構だが、全国一律の規格も重要ではなかろうか。
www.narikawa.net/diary/back0506.html

◆ 札幌の地下鉄には網棚がないそうである。ワタシは札幌に五年も住んでいながら、そのことに気づきませんでした。そもそも網棚にカバンを載せる習慣がないし、乗っても数駅だから、気にならなかったのでしょう。では、なぜ網棚がないのか?

◇ さっぽろの地下鉄車内には網棚(座席の上の荷物置き)が有りません。これは、忘れ物の防止と、故意に忘れていく新聞や雑誌で車内が汚れない為だという事ですが( 車両コストも少しは違うでしょうね)、出張者や観光客が有るものと思い込み放り上げる荷物が座っている人の頭を直撃!!気まずい空気が流れる事もしばしば・・・です。
www1.u-netsurf.ne.jp/~Y-AKEMI/fusigi.html

◆ 教訓。習慣とはコワイもの。あなたの常識はたんなる思い込みかもしれぬ。網棚があるかどうか指差し確認。あるいは、頭上に注意。居眠り厳禁。備えあれば憂いなし。念のためヘルメット着用。

◆ 筑西市はどこにある?

◇ 意外に地理の知識がある妻に、筑西市とはどこかと聞くと、筑の字から福岡あたりであろうと推測。残念、この筑は筑波山の筑なのだ。
www.melma.com/mag/69/m00072869/a00000603.html

◆ 「平成の大合併」とやらで、あちこちで市町村が合併した結果、なじみのない自治体名が突如として登場して面喰らう。先日、写真日記のすっかりほったらかしにしていた去年の分の編集をしていたら、12月9日に茨城県下館市の下館駅付近で撮った写真が出てきた。くわしい住所を知るためにネットで検索してみると、今年の3月28日に、下館市・関城町・明野町・協和町が合併して筑西市が誕生していた。「ちくせい」市と読むらしい。

◆ ワタシがこの写真を撮ったときは、まだ下館市だったのだが、更新をさぼっているうちに筑西市になってしまっていたというわけ。いちおう写真「日記」というタイトルなので、その日に書いたふりをして、下館市と記しておいたが、少々後ろめたい気がしないでもない。

◆ ちなみに、この下館駅(駅名はさすがに変更なし)の周辺の住所は甲・乙・丙。写真の撮影地は旧下館市丙、現在の筑西市丙(ちくせいしへい)ということになる。

◆ 茨城県で筑西市が誕生したのと同じ3月28日に、栃木県では氏家(うじいえ)町と喜連川(きつれがわ)町が合併して新しい市が誕生した。その市名が、なんと 「さくら市」。さくら市のホームページに 《新市名 「さくら市」 選定の理由》 が記されている。

◇ 氏家町では勝山城址の桜・鬼怒川堤防の桜堤、喜連川町では県道佐久山・喜連川線の桜並木・お丸山公園の桜など両町民にとって桜は長年親しまれてきた花である。また、ひらがなにすることで表現が柔らかくなり、桜の花のように美しい“まち”になってほしいという両町民のまちづくりへの願いが込められている。
www.city.tochigi-sakura.lg.jp/gappeikeii.html

◆ なんとみごとなお役人の作文。コメントする気もすっかり失せてしまったので、よそからコメントを拝借することにする。和歌山の地方紙 《紀伊民報》 のコラム 「水鉄砲」(2004年2月11日付) から。

◇ この二つの町には桜並木がある。それが名前の根拠になっている。桜並木の名所なんて全国にはざらにある。氏家町総務課に聞いてみると、両町には特徴のある歴史的なものが何にもない。「さくら市」 と決まったことで、住民も納得しているという。漢字にしないでひらがなにしたのは 「やさしい」 からだそうだ。そんなものかなと思う。
www.agara.co.jp/column/mizu/2004-02/mizu040211.html

◆ そうかな。そんなものかな。

◆ 梅雨は鬱陶しい、と書いたらトンデモナイ暑さになってしまった。雨そのものが嫌いなわけではないけれど、仕事中にズブ濡れになるのもたまには気持ちのいいものだけれど、毎日だとウンザリする。しかし、それにもましてウンザリするほどの暑さだった。暑いのも嫌いではないけれど、せいぜい30度ぐらいにしてほしい。35度でもいいけれど、夜だけは涼しくなってほしい。なにせウチにはエアコンがない。というわけで、雨乞いに、てるてる坊主でも作ってみようかと思った。思ってすぐに、あれは雨乞いのためのものではないことに気がついた。あぶないところだった。いや、てるてる坊主の役目をカン違いしたこと自体がすでにアブナイ。暑さでアタマがやられたのかもしれない。

◆ いま雨が降っている。すこし涼しい。ワタシの願いが、てるてる坊主を作ってしまおうかとするほどのワタシの願いが通じたのかもしれない。雨の神さま、どうもありがとう。もしかすると、インドのヒキガエルのおかげかもしれない。

◇ [コチャカンダール(インド) 6日 ロイター] 先週末、東インドの村で二匹の大きなヒキガエルが伝統的なヒンドゥー教スタイルの結婚式を挙げた。村人たちは、この儀式が雨の神の怒りをなだめ、日照りに終わりがもたらされることを期待している。
www.excite.co.jp/News/odd/00081118077596.html

◆ このカエルの結婚式はインド各地で行われているようで、ヴァラナシ (Varanasi) でも、22日に挙行されたらしい。

◇ People cheered, blew conches and sang songs, as the priest solemnized the marriage to the chanting of Hindu hymns by putting streaks of vermilion on the female toad’s head. / “It is believed that frog marriages please the rain god “Indra” as they live in water. So, to pray for good rains, we conducted the marriage,” said Santosh Ojha.
www.123bharat.com/india/70.html

◆ 雨の神さまの名はインドラ。雨はまだ止まないが、仕事に出かけるとしよう。