◆ 5月7日、埼玉県大里郡寄居町桜沢。国道140号線沿いに立っていたなぞの3人組のひとり、イエローマジレンジャーは道行くひとに「人のはなしはよくきけよ」と諭しているが、だれひとり聞くものはいない。そんな説教よりも、ワタシはかれの股間の棒がたいそう気になり、先日読んだ本のなかに書かれていた蓮華往生のハナシを思い出す。蓮華往生とは、即身成仏を願う信者の希望をいとも簡単に叶えてくれる夢のような装置で、まずは即身成仏志願者に、
◇ 経帷子を着せ、唐金の八葉の蓮華の台にすわらせて葉を閉じる。坊主どもが蓮華台を囲んで木魚や鉦(かね)をジャンジャンたたき、耳を聾せんばかりに読経の声を上げる。と、そのときに蓮華台の下にもぐりこんだ黒衣の男が、犠牲者の肛門を槍先(焼け火箸とも)でエイヤッとばかりに刺しつらぬくのである。
ギャ、ギャッーと断末魔の叫びものすごく。と思いきや、読経の合唱にかき消されて叫び声は周囲を取り巻く信者たちの耳には届かない。やがて蓮華の葉がおもむろに開くと、往生した信者がうっとりと安らかな死に顔を浮かべているという寸法。
ありがたや。蓮華往生、極楽往生。並みいる信者たちはコロリとまいって、財産をありったけ寄進してしまう。
種村季広 『江戸東京《奇想》徘徊記』(朝日新聞社,p.12-13)
◆ これが蓮華往生というわけ。江戸時代、この装置で人気を集めていたといわれるのが碑文谷の法華寺(現・円融寺)だそうで、実際にそんなことがあったかどうかは、まあお釈迦様でもご存知ありますまい。そうそう、それからこの円融寺には、立派な仁王が睨みをきかせていて、目黒区教育委員会の建てた案内板によれば、
◇ 永禄2年(1559)の作といわれ、江戸時代の末期、民間信仰で有名になり「碑文谷黒仁王さん」と呼ばれて大変親しまれた。(都指定文化財)
◆ ということである。なんでも、
◇ この碑文谷仁王尊のおかげさまをもって、生まれついてのせむしがなおり、手のない人に手が生え、と、キリスト教の按手そこのけの奇蹟が起こった。たちまち参詣人が怒濤のように押し寄せた。
Ibid. p.11
◆ この仁王様、現在はガラスで囲われていて、写真を撮るのに苦労する。はたして奇蹟はガラスの壁を越えるのだろうか?