MEMORANDUM
2005年02月


◆ 1月中に書いておきたいこともたくさんあったのだけれど・・・、と思っているうちにもう2月になってしまって、、今年もまた年末にはできなかったことをあれこれ数え上げて、ため息をつくことになるのだろうなあ、と今からため息をついてしまう。

◆ それはさておき、けさ地下鉄丸の内線を南阿佐ヶ谷駅で降りて、青梅街道ぞいの自動販売機でタバコを買い、おつりを財布に入れて数十メートル歩いたところで、買ったタバコを取り忘れたことにはたと気がついた (よくあることだ)。取りに戻ると、ちょうどつぎにタバコを買っていた男性が立ち去るところだった。手元を見ると、タバコが二箱。種類が違う。どうみても、ワタシのタバコである。「ああ、すみません、そのタバコ!」 と云うと、あっさり渡してくれたが、申し訳ないことをした。さぞかしバツがわるかったことだろう。そそくさとどこかへ行ってしまった。ささいなことで、今日は朝からついてるな、と思ったりするささやかなシアワセをワタシはカレから奪い取ってしまったのだった。もう一度、どうもすみません。

◆ このサイトは、いまのところ、PhotoDiary とこの Memorandum のふたつが軸になっているように自分では感じていて、その両方を定期的に更新していくのが理想的だと思っていたりもするのだけれど、どうもうまくいかない。写真の方をやり始めると、コトバを書こうとしてもすぐにはでてこないので、あきらめてまた写真の編集に戻ってしまうし、文章を書き続けているときには、自分の撮った写真を眺めてみても、どれもつまらない写真に思えて、見るのをやめてしまう。写真とコトバでは、どうもアタマの使う箇所が違っていて、ワタシは器用にそれを切り替えることができないらしい。いまはどちらかというと、アタマが写真モードになっているので、あれこれ思うことはあるのだけれど、それがうまく文章にならない。

◆ そんなことをぼんやり考えていて、思い出したことがある。こどものころの草野球のハナシで、ワタシはスイッチヒッターだった。スイッチヒッターというのは、打つときに、左右どちらでも打てるひとのことで、定石として、投手が右投げのときは左打席で、左ピッチャーのときは右のバッターボックスで打てば、有利とされる。ところが、ワタシはたんに (ピッチャーの左右にはおかまいなく)、右で調子が悪ければ左で、左で打てなくなれば右打席に入ってみるという、きわめていい加減なスイッチヒッターだったので、なんの意味もなかった (というか、そもそも能力がなかったのだが)。

◆ そんなわけだから、最初の段落の文章を修正する必要があるかもしれなくて、写真の編集に疲れてくるとコトバを書き始めたくなり、コトバを書くのに飽きると写真をいじってみたくなるというのがホントのところ。われながら情けないハナシだが、少なくとも、やるべきことがひとつではなくて、ふたつあってよかったと思っている次第。

◆ 2月5日午前10時、埼玉県朝霞市泉水。街を歩いていて看板の類を見かけると、すぐ読みたくなってしまうたちなので、通りの反対側を歩いていたのだが、すぐに通りを渡って読みに行った。なになに、この坂道は「泉水の坂」という名前がついているのか。で、由来は・・・

◇ この坂のある「泉水」という地名から名前が付いたのであろう。

◆ あーあ、通りを渡ってソンした。埼玉県朝霞市の役人さん、あなた方のだれがこの文句を考えたのか知らないけど、この説明板を作るのにだって税金がかかっているのだよ。まあ、朝霞市民じゃないからどうでもいいけど。書くべきことがないなら書かなきゃいいのに。その方がペンキ代が少なくてすむ。それにしても役人ぽい文章だこと。

◆ グチを言っただけで終わってしまうのもなんなので、強引に続けると、井上陽水に「坂道」という曲があって、そのなかにこんな歌詞。

♪ 誰かが上り坂といい 誰かが下り坂という
  僕にはどちらかわからない 僕にはわからない

  井上陽水「坂道」(作詞:小椋佳、作曲:井上陽水)

◆ もちろん、ワタシにもどちらかわからない。ワタシにもわからないけれども、そんなことをふと考えてしまうのは、おそらく坂を上っているときだろうと思う。息を切らして、少しアタマがぼーっとなっているとき。坂を下るときには、そこが坂であることすらあまり意識しない。と、そんなことを、泉水の坂を上りながら考えた。

◆ ふと坂道のことを書いて、忘れていたことをまたひとつ思い出した。

◆ 2004年1月14日、時間があったので国立市の谷保天満宮に立ち寄った。野暮天の語源ともいわれ、また関東三大天神のひとつでもあるらしいが、それはともかく、

◇ 甲州街道に面した大鳥居をくぐって、参道を歩く。階段を下ると周囲は木々に囲まれているせいか街道の騒音から一転、静けさと厳粛な雰囲気に包まれる。
www.hit-press.jp/kunitachist/shrine.html

◆ 階段を下ると? そう、ここでは鳥居をくぐリ抜けたあと、石段を下ることになる。ワタシはてっきり 「入り口」 を間違え 「裏口」 から入ったのかと思って、すこしうろたえた。神社に限らず、神聖な場所にたどり着くのに、「下る」 という運動はふさわしくないだろう。かならずそこには「上ら」なくてはいけない。神社の坂道はいつでも上り坂であるはずなのだ。神社の石段を下って本殿にお参りするというのは初めての体験で、かなり奇妙な気がしたことを憶えている。では、なぜこんな不思議な配置になっているのかということが気になるが、

◇ 湯島、亀戸と並ぶ関東三大天神として有名な谷保天満宮は、境内が府中崖線 (ハケ) にまたがっていて崖線の上を甲州街道が通っているため、街道に面した鳥居から参道を下って本殿があるという珍しい造りをしている。昔はハケ下を甲州街道が通っていたが、家康の時代に街道が整備されて今の位置になったために通常と逆転してしまったらしい。
home10.highway.ne.jp/i496/yaho.html

◆ というのが理由であるらしくて、ちょっとがっかり。でも、石の座牛がモダンでチャーミングだったので、よしとするか。

◆ 国立の谷保天満宮のつづき。

◇ 境内では、なぜかチャボが放し飼いになってたりして、郊外ののどかさが感じられます。
www2.plala.or.jp/TokyoWalk/sanpo/kunitachi3.html

◆ そうそう、チャボがいたのだった。ニワトリには詳しくないので、チャボだかどうだかホントは知らないけど、そういうことにしておく。で、なぜチャボがここにいるのかというと、

◇ 約30年前に、例大祭で使う獅子頭の毛(鳥の毛でできている)が足りなくなった。ところが、それが何の鳥の毛なのか分からない。そこで色々な鳥を飼い始めたのが、チャボが住み着く始まりだった。そのチャボは放置されて自然に繁殖しているが、最近はカラスに卵を襲われているからそんなに増えることはないそうだ。「チャボにたいした意味はないですよ。むしろ天神様のお使いは牛ですからね」。
www.hit-press.jp/kunitachist/shrine.html

◆ なんだ、たいした意味はないのか。こんなに簡単に答えが出てしまってはおもしろくないので、もう少し続けると、

◇ 夜明けを告げる鶏の声にせき立てられて道真は大宰府へ旅立った、だから天神社の氏子は鶏を飼わない、という話は各地に伝わっていますが、有名なのは「菅原伝授手習鑑」の東天紅《とうてんこう》でしょう。
www.ric.hi-ho.ne.jp/ymkg/jtp/jtpsuke.shtml

◆ そう、「天神様は鶏ぎらい」 のはずだったのに・・・。まあ、仕方がない。いろんな事情があるんだろう。福岡県の大野城市(こんな市があったのか)に伝わるハナシでは、

◇ この祠に隣接していた家では、道真公の徳をしたう心が特に厚く、家族との別れを断ち切った鶏の声をにくんで、代々鶏を飼うことを禁じられておりましたが、農家であるため雑穀の処理に困り、近年になって鶏を飼うようになったということです。
www.city.onojo.fukuoka.jp/guide/rekisi/densetu/1601densetu-sugako.htm

◆ また兵庫県尼崎市の長洲天満宮では、

◇ こ近所の氏子総代の西村さん(80歳)にお話を伺いました。当時、村人達が集って「罪もないのにかわいそうだ」と同情したこと、翌朝一番鶏がいつもより早く時を告げたので出発が早まり、それからこの地域では鶏を飼わない風習が始ったこと、そして戦後物資のない時に氏神様に御祈とうして鶏を飼うようになったことなど氏子のみなさんの信仰心に強く心をうたれました。
www.h7.dion.ne.jp/~dansyuan/newpage27.htm

◆ というように、「チャボにたいした意味はないです」どころのハナシではない。おおありである。

◆ これは甲府の武田神社のニワトリ。それにしても、ニワトリが放し飼いになっている神社は数多くあるようで、

◇ 宮崎神宮の周辺にはニワトリ(神鶏?)がたくさん放されております。ちょっかい出すと襲ってきます。佐賀の佐嘉神社では境内にニワトリが居ます。ご朱印待ちしていると足元に寄ってきます。
ton.2ch.net/kyoto/kako/1029/10291/1029193552.html

◆ なぜ神社にニワトリかというと、

◇ 「コケコッコ~」と朝告げ鶏は、家禽として古くから親しまれてきた鳥の中でも、一番身近な存在で、日本には弥生時代の頃に入ってきたと伝えられています。当時は、一番から三番鶏の鳴き声を利用するために飼われていたのが一般的と伝えられ、各地の神社においては神のお使いとして大切に飼われていました。
www.take.co.jp/bigei_club/bigeiclub2004.html

◆ また、伊勢神宮をはじめとしてアマテラスを祭神とする神社では、ニワトリが神使いとして神鶏と呼ばれていたりもするが、これは天岩戸のハナシに因む。ごくカンタンには、

◇ 鶏と日本人のなじみは深く、古くは古事記にも出てきます。太陽の神様が天の岩戸に入り世界が暗黒になった時、「常世の長鳴鳥を集えて鳴かしめ」て神々が岩戸の前で宴会を開き、太陽の神様を岩戸からおびき出し世の中に光が戻ると言うお話ですが、その「常世の長鳴鳥」は太陽が昇ると鳴く鶏だとか。
www.ishiifood.co.jp/chie/2002_04.html

◆ てなところだが、そんなマットウな説明よりも、たとえば熱田神宮では、

◇ 境内には鶏が放し飼いされています。これこそが名古屋名物鶏である、名古屋コーチンなので~す。熱田神宮の境内で育てられた鶏こそが本物の名古屋コーチンと認められるのです。な、わけないし。お祭りで買ったヒヨコが捨てられて大きくなっちゃったと言う説もありますが詳細は不明。
blog.melma.com/00115084/20040514003342

◆ といった文章の最後にみられるような現実的な側面からの可能性にワタシは興味があって、これは去年の2月のニュース。

◇ 大分県でペット用のチャボが鳥インフルエンザに感染した問題に絡み、鶏が大量に捨てられていた津市内の神社から相談を受けた三重県中央家畜保健衛生所が20日、元気な鶏類83羽を二酸化炭素で処分していたことが分かった。同衛生所が観察したところ、全羽が元気で鳥インフルエンザへの感染の兆候はなかったが、「参拝客から『大丈夫か』と苦情が来ている」とする神社側の求めに応じて処分したという。
 同衛生所などによると、処分されたのはチャボや烏骨鶏(うこっけい)など。以前から神社に捨てられるなどして集まった。神社は月に2万円をえさ代にかけるなどして境内で放し飼いにしていたが、苦情があり、対応せざるを得なくなったという。
 同衛生所は動物愛護の観点から神社に飼育を持ちかけたが、断られたという。衛生所が引き取り、飼い主を募集することも考えたが、受け入れ態勢がなく、募集すること自体がこの時期、逆に非常識と言われかねないと断念したという。

www.asahi.com/special/avian-flu/TKY200402210212.html

◆ そうするとまた、どうして神社にニワトリを捨てるのかという疑問がやはり出てくることになって終わらなくなる・・・。サンクチュアリとかアジールとか、とにかく神社はそういうところなんだろう、いまでも。

◆ 1月25日、『北の零年』 を観た。北海道が舞台なのであれこれ思うところはあったが、なにぶん歴史が主題になっているので、ウカツなことは書けない。トヨエツのアイヌ衣装がファッショナブルだったとかなら書けるけど。あるいは、

◇ 「お父上はどこへ行ってしまわれたのですか?」 「札幌へ行ったとばかり思っていましたが、どうもハリウッドまで行ってしまわれたようですよ」
blog.goo.ne.jp/kossykossy/e/43868aa5da307a49caa21c6a6d639f59

◆ 1月2日、太秦広隆寺。今年の初仁王。金網の隙間から写真を撮ろうと半時間ばかり苦労しているあいだに、正月だからそれほどの数ではないが (みんな神社に行くのだろう)、参拝者 (観光客) たちがハナシをしながらワタシのうしろを通り過ぎてゆく。背中で聞いているのでよくはわからないが、二人づれのひとり (中年の男性) がもうひとり (おそらくカミサン) にこう云う。

◇ ア、こっちのはクチを開けてる。あっちのは口を閉じてる。「アウンの呼吸」 っやつだ、ウン。

◆ さらにウンチクが続くのかと思ったら、これでオシマイ。連れの反応はない。しばらくすると、また別のグループがやって来て、中年の男性がほかの連中に (コドモたち?) にこう話しかける。

◇ これは 「アウンの呼吸」 だぞ、聞いたことあるか?

◆ やはりそれ以上の説明はなく、反応もない (そもそも聞いてもいないのだろう)。思わず笑ってしまった。仁王を見かけると、思わず 「アウンの呼吸」 と云ってしまうひとがかなりの割合でいるようである。なんという条件反射だろう。しかしどうせなら、

◇ 仁王は金剛力士あるいは密迹 (みっしゃく・仏に近侍して秘密の奇跡を知るという意味) 金剛などとも呼ばれ、寺社の山門に安置されていることがほとんどです。この仁王像は、寺域や仏像、更に神社などを悪霊から守ることを目的として造立されています。したがって、寺社の入口に当たる山門に配され、二体の像が息を合わせて悪霊が進入してくることを防いでいるわけです。昔から二人の息がぴったりと合うことを阿吽の呼吸といっていますが、この言葉はここから生まれたものです。仁王の一体は口を開いた阿形、もう一方は口を閉じた吽形。この吸う息と吐く息とがぴったりと合えば、その気迫によっていかなる神仏の敵も寄せ付けない。このことから阿吽の呼吸という言葉が生まれ、何か事を行う時、語らずとも互いに意志を通じさせて行うことのたとえとして使われるようになったと思われます。
www2.city.usuki.oita.jp/kyouiku/mamoru/saihakken/simominami/niouzou.htm

◆ と、これくらいのウンチクを語ることができなくては、相手が無反応なのもいたし方なところ。

◆ 「アウンのウンチク」 余話。1月2日、龍安寺。この日は、広隆寺から仁和寺を見たあと、大徳寺で友人と合流して龍安寺に行った。そのときのこと。友人に広隆寺の仁王の 「アウンのウンチク」 のエピソードなど聞かせながら、龍安寺の広い境内を散策していると、目立たぬところにひっそりとパゴダ (仏塔) が建っていた。なんでもビルマ戦線戦没者の慰霊のために、自らもビルマに赴いた住職が平和を祈願して建てたものだそうだが、このとき、ワタシは不覚にもこう云ってしまった。

◇ 「ビルマの竪琴」 か。

◆ ビルマというコトバについ反応して、思いついたときにはもう口からこぼれていたのだった。これでは、仁王を見て 「アウンの呼吸」 とふとくちばしってしまうひとを笑えない。われながら単純すぎる思考回路にあきれながら、照れ笑いをしつつ、「あの主人公の名前はなんだったかなあ? なんとか上等兵だよね」 となんとか会話を続けてごまかそうとしていると、近くに若いカップルがやって来て、やはり男性の方が云うのである。

◇ 「ビルマの竪琴」 だね。

◆ ああ、オトコってのはどうしてどいつもこいつも単純なんだろう! 反省を込めて、「ビルマの竪琴」を知らないひとのために、本も映画もあるけれど、

◇ 終戦から40年後の昭和60年(1985年)に封切られた夏休み映画。終戦後もビルマに残って僧侶となり、戦場で散った日本兵たちの慰霊に残る人生を捧げようとする水島上等兵の物語。竹山道雄の同名児童向け読み物を、和田夏十が脚色し、市川崑監督が映画化したもの。同じ顔ぶれで昭和31年(1956年)にも映画が作られているが、これは当然モノクロだった。
www.eiga-kawaraban.com/01/01110904.html

◆ そうそう、水島上等兵だった。こんなハナシも。

◇ ミャンマーでは、日本人が子供からミズシマと呼ばれることがあるが、これは作中登場人物の水島上等兵を指すものと思われる。
ja.wikipedia.org/wiki/ビルマの竪琴

◆ また、ビルマの竪琴は現地のコトバでは 「サウン・ガウ」 というらしいが、

◇ ミャンマーでは小説のように僧侶が楽器を演奏することはない。原作者の竹山道雄もミャンマーに行ったことはなかったが、平和を語るにこれほどふさわしい音色の楽器もないのではないだろうか。
www.asahi-mullion.com/mullion/column/w-music/

◆ ビルマの現在の呼称がミャンマー (ビルマとタイプしようとして何度ブルマになってしまったことか、ああ情けない!)。

◆ 1月13日、高円寺の古本屋で3冊100円のカバーなし文庫本を買った。今井通子 『続私の北壁』(朝日文庫)、山根一眞 『変体少女文字の研究』(講談社文庫)、日本ペンクラブ編 『ことばよ花咲け』(集英社文庫)の3冊。まあ、どんな本にだって33円ぐらいの価値はあるもので、

◇ 「そっちは五リラ」 / 「おお、ゴリラか」 / 「いやちがうぜ、クジラが書いてあるぜ」 / 「イルカじゃないか」 / (イタリアのリラ、その五リラのコインにはイルカの絵が書いてある)
『続私の北壁』, p.48

◆ これは1969年のハナシだが、このころは5リラなんてのがまだ流通してたのか。イルカの5リラコイン、いちど見てみたかったな。

◇ 昭和五八年四月、東京都内にある高校に入学したその少女は、奇行の持主だった。 / 学校に来ている間は、色とりどりのマーカーやサインペンを机の上に走らせることにしか興味をもっていなかった。机の上はキャンバスと化し、ペンギンやカモメ、ヤシの木、雲などのトロピカル風の絵と変体少女仮名が綾なす“作品”の完成に夢中だった。 / 注意を受けても「わかりました」と言うカラ返事で、自分の机に描く場所がなくなってからは他の生徒の机、窓ガラス、教室前の廊下に置かれたロッカーにまで描き始めた。 / 遅刻やエスケープの常習者で成績も進級の基準に満たなかったこの少女は、六〇年三月に自主退学していったが、〔・・・〕
『変体少女文字の研究』, p.108-109
◆ この少女はいまではどうしているのやら。『ことばよ花咲け』 は大岡信が編んだ詩のアンソロジーで、なかでも天沢退二郎の 「街について」 という詩が気に入った。

◇ 町かどを曲がったすぐ向うにときどき
  神さまがいそうな気のすることがあって
  行ってみると少し雲が高くなっていたりする街がいい

『ことばよ花咲け』, p.333

◆ 以上で、100円分の価値はあるだろうから、これで心置きなくゴミ箱行き。

◆ 知り合いのサイトの日記に、インフルエンザにかかって39度以上の熱が出て数日寝込んでいた、というようなことが書いてあって、ネマキを6回着替えたという記述に、ああネマキを六着以上もっているひともいるんだな、と軽い衝撃を覚えつつ、掲示板にお見舞いを書いた。いや、お見舞いを書こうとしていたのだったが、

◇ そういえば、かぜ(含インフルエンザ)、北海道時代からひいた記憶がないなあ。たまには39度も体験したいなあ。

◆ などというだれが読んでも気分を害する文章に化けてしまった。すると、今度はコチラが風邪気味である。しばらく忙しい日が続いて、そのあとほっとして疲れが出たのか、カラダがどうも熱っぽい。寝込むほどでもないので、仕事に出ると、冷たい雨に当たった。これでは、治るものも治らない。ノロウィルスに感染したという同僚と数日前に仕事をしたのも、ちょっと気になる。それともインフルエンザ? あれこれ考えてはみたが、病院には行かない。とりあえず市販の風邪薬を飲んで、体温でも計ろうと思ったが、つい先日こわれていたので捨てたのだった。新しい体温計を、女性用と間違わないようにして、買ってきて、ワキにはさむ。しばらくして、取り出してみると、ああやっぱり37.0度しかないよお! これではズル休みもできぬ。39度への道はまだまだ遠い。

◆ 図書館で、『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社) を借りて読んだ。なかでも津島祐子の文章に惹かれた。

◇ 赤ん坊だった頃の記憶はないから、この十歳の時の引越しが事実上、私にとってはじめての引越し体験だった。私の家の引越しのためにわざわざ細い路地の奥まで入ってきてくれた、長い間憧れの的だった引越しトラック、がらんどうになった家のなか、引越し前に取り払われてしまった板塀、ダンボール箱二個にまとまってしまった私の荷物、台所の食器を片づける前に母親が大量に作っておいたいなり寿司の包み、積み上げた荷物のなかで窮屈に寝たその家最後の晩、こうした光景に加えて、引越しの当日、最後に家族が移る時、走り出したタクシーに怯えて、私の膝から窓を越えて外に飛び出しトラックに轢き殺された犬、更に半年後、その家で病死した兄のことまで、引越しの体験に加わるのだ。
p.180

◆ 2月4日、川崎市高津区坂戸。だれのお宅かは知らないが、広大な土地を取り囲む石塀の隙間の上に、柑橘類がひとつ。だれが置いたのだろう?

◇ φ(..)う~ん・・柑橘類って、どれも似ていてよくわからないわ。ミカンとオレンジ、夏ミカンとハッサク、スダチとカボス、ライムとレモンの違いもわからない私・・
www.sgm.co.jp/conts/club/tei/garage/0202/0202.htm

◆ ワタシも似たようなもので、ライムとレモンの違いはわかるにしても、写真の果物を柑橘類としか表現できない自分が情けない。そういえば、最近フルーツ食べてないなあ。だから、

◇ 今、私の目の前に、「デコポン」・「はるみ」・「ぽんかん」・「伊予柑」がならんでいる。 / 至福のひと時である。
magozaemon.at.webry.info/200502/article_8.html

◆ と書くことのできる 《果物、特に「柑橘類」大好き》 なひとがとてもうらやましくもあり・・・。というわけで、写真の柑橘類はなんですか? ご存知の方、教えて下さい。

◆ 時間を見つけては PhotoDiary の抜けた日付のところの穴埋め作業をしている。で、先日、去年の8月30日の写真をあれこれ見ていたら、こんな写真を見つけた。葛飾区東水元の南蔵院というお寺のお地蔵さん。朝、仕事の前にちょっと寄って見てきたんだった。荒縄でぐるぐる巻きにされてるから、「しばられ地蔵」 って名前がついてる。この写真を撮ったのは真夏のことだから、ほんとは暑くてしようがないんだろうけど、いまこの写真を見てるのが真冬なもんで、あったかそうでいいなあと思ってしまった。ウールのセーターを着てるみたいだ。ね、そうじゃない? だから、冬に (それが夏であることに気づかずに) 夏の写真を見るってのもアンガイ悪くないもんだ。と半分は言い訳だけれども。

◆ デジカメの便利なところはメモ帳代わりにもなるところで、ついでに撮っておいた案内板の説明を拡大して読んでみると、

◇ 大岡政談の一つとしても有名である 「しばられ地蔵尊」 は昔より、盗難除け、足止め、厄除け、あらゆる願いごとを叶えるとして祈願するものが多く、祈願者は先ず地蔵尊を荒縄でしばり成就の暁には、これを解く風習となっている。

◆ なるほど、有名だったのか、このお地蔵さんは。もちろんワタシは知らなかったので、先日カゼで仕事を休んだときに、図書館へ行って東洋文庫の 『大岡政談』 を借りてきて読んでみた。あらすじはこんなふう。

◇ お地蔵さんの前で寝ていた商人が反物を置いたまま眠ってしまいました。すると反物は盗賊に盗まれてしまったのです。 / 「お地蔵さんはだまって見ていたのか!」と怒った大岡越前は、グルグル巻きにしてしまいました。 / しかし、そのあと盗賊団が捕まったのでお地蔵さんは祭られるようになったのです。
www.kfm789.co.jp/report0401.html

◆ これでは短すぎてよくハナシがわからない? という方は、コチラのサイトが詳しいです。
《珍獣の館:今昔かたりぐさ:大岡裁き(二)縛られ地蔵》

◆ と、なかなかよくできたお話なのでした (読んでないひとにはわからない)。

◆ 大岡越前の名セリフをふたつ。まず、お地蔵さんのそばでついうたた寝をして反物を盗まれ、駆け込み訴えをした荷担ぎ弥五郎に向かって曰く、

◇ 「その方、地蔵菩薩は国土を守る仏なれば、ここへ置く時は気遣いなしと安堵して居眠りたるゆえ、荷物を取られしと見えたり。これ油断とはいえども名に負う地蔵に似合わず、盗まれるを知らぬとは仏たりともそのままに差し置き難し。江戸に居る仏は我が支配なればゆるし難し。早速地蔵を召し捕って吟味すべし。同類かも計り難し」 と同心へ地蔵召し捕り方を申しつけられける。
『大岡政談 2』(辻達也編,平凡社,p.250)

◆ 「江戸に居る仏は我が支配」 とは、なかなか言えないセリフではある。ワタシが地蔵ならヘソ曲げちゃうところだ。つづいて、縄で召し捕らえたお地蔵さんを前にお白州で曰く、

◇ 「いかにその方、名高き仏にして、諸人に南無地蔵大菩薩と尊敬を受け、衆生利益する身にありながら、越後屋八郎右衛門の荷担ぎ弥五郎が木綿荷を盗まるるを知らずして居たりしこと不埒千万なり。但し得心づくにて盗ませしなれば同類と申す者、まっすぐに申せ」 と言われしに、地蔵一言の答えなし。
Ibid.p.251

◆ 答えるわけないよな、地蔵だもの。それにしても、やるな大岡越前。テレビが観たくなったけど、いまは放送してないのかしら?

◆ あ、そうそう、このお地蔵さん、震災後の昭和4年に寺の移転にともなって、本所中之郷(墨田区吾妻橋)からいまの葛飾へ引っ越してきたそうな。そのときは、縄でしばられて来たんだかどうだか。

◆ それから、このお地蔵さん、ワタシが見たときはわりとほどよい 「しばられぐあい」 だったけれど、さらにつぎつぎ祈願者が来て縄をぐるぐる巻き続けると、ミイラさながら顔まで見えなくなってしまうのは必定で、そんな状態の写真がコチラに。
《珍獣の館:今昔かたりぐさ:しばられ地蔵の縄解き供養》
なんでも大晦日の夜にに、すべての縄を解かれてさっぱりするのだとか。でも年が明けるとすぐさま元通りのぐるぐる巻きになってしまうのだとか。

◆ 最後に実際にしばられ地蔵をしばったひとの体験談。

◇ しばられ地蔵は、すでに縛られまくっていた。 / 「俺は、どちらかといえばSではないが……」 ぶつぶつ言いながら俊晴は一本の縄を買い、地蔵を縛った。 / 縛られた縄の中には、相当にテクニカルな縛り方のものがみえる。 / 「痛ッ!」 荒縄のトゲが指に刺さってしまったらしい。 / 金町のしばられ地蔵の次は、巣鴨のとげぬき地蔵に行くのが良いコースかもしれない。
www.geocities.com/hutarour/teito.html

◆ 左の写真。2004年8月30日、葛飾区東金町。「しばられ地蔵」の近くで見かけた「みんなたのしいようちえん」、これがホントの名前かと思ったら、《東江幼稚園》というのが正式名称みたいで、ちょっと残念。でも縦割りクラスとかいろいろ工夫をしてるみたい。ちなみに、この看板は川元信泰という版画家の作品のようです(《愛のある版画》)。


◆ 中央の写真。2003年11月14日、府中市住吉町。「みんなたのしいようちえん」で思い出したのが、この《府中おともだち幼稚園》。その看板には、課外教室ってのがいっぱい書いてあって、「幼児ルーム・体操教室・バレエ教室・造形教室・公文教室・英語教室」。こりゃたいへんそうだ。たのしくなさそう。最近は幼稚園でもホームページをもってるんだな。

◆ 右の写真。2005年2月21日、渋谷区笹塚。「保育園うさぎとかめ分園」。ここはいつもその前を通ってるところ。こどもたちが散歩してるのをよく見かける。さて、このみっつのなかで通うならどこがいいかと考えたんだけど、やっぱり「みんなたのしいようちえん」かな。

◆ 2004年8月15日、港区新橋。新橋駅に「ポン・ヌッフ」という立食いそば屋があった。ポン・ヌッフとはフランス語で新しい橋、つまりは新橋ということだから、ここにあっても全然おかしくはない。むしろ正当である。おかしいのはフランス語であることで、ここは現実にはパリではないし、イメージ的にもかなりずれる。だからあちこちのサイトで話題になりもして・・・

◇ 映画『ポン・ヌフの恋人』でおなじみのパリのポン・ヌフ。和訳すると『新橋』。新橋の名がパリと東京にあるのは偶然めいたことなのだろうか?いずれにせよこの2つの橋はどちらも古くからある。店名はそれに因んだものであるのには口を挟むまでもない。だがこういった洒落た名前がどういうわけか立ち食いソバ屋に用いられるのにはちょっと考えさせられる。
www.geocities.co.jp/HeartLand-Kaede/5785/Feast/Delic.htm

◇ 爆笑です。立ち食いそば屋に「ポンヌッフ」とは! ポンヌフといえばフランス、映画「ポンヌフの恋人」で有名なあの「ポンヌフ」ですよ。サラリーマンのメッカ=新橋の立ち食いそば屋風情が語る名前じゃありません。
www.doblog.com/weblog/myblog/1639/14932

◇ そういえば先日、JR新橋駅のガード下で、個性的な名の立ち食いそば屋を発見しました! その名も「ポン・ヌッフ」。フランス・パリのセーヌ川にかかる、パリ最古の橋の名ではありませんか。直訳すると「新橋」。ふうむなるほど。いったいどんなお味のそばが出てくるのか?? 知りたい、と思ったけれど、今ひとつ中に入る勇気が足りませんでした。まさか「立ち食いそば フランスパン添え」が出てくるはずはない? その味をご存知の方はぜひ、教えてください。
www.melma.com/mag/81/m00039581/a00000008.html

◇ ポンヌッフとは、フランス語で、新しい橋と言う意味の事だそうです。この店を含めた、鉄道ガード下は、洒落た店が多くなり、ドトールコーヒーポンヌッフ店とか店名に使う店もあるほどです。汁は、キレの冴え渡る辛口関東風で、もちもち感のある麺と相性バッチリ。かき揚げは、多少、べタツキ感があるものの海老の香ばしい香りが良い。丼も大きく、麺の量も多い。
e.z-z.jp/b/121973/log/8.html

◇ ・・・さんによればポンヌフとはフランスの橋の名前で、日本語に訳すと「新橋」だそうです。で、新橋と言えば新橋駅の北口にはポンヌフという名前の立ち食いソバ屋があり、昔はうまかったのに最近はつゆの煮詰め過ぎかまずいとのこと。
www.k-inet.com/~brown/newsarc/00Jul/news.html

◆ 最後にひとこと注意。

◇ そば屋のおばちゃんに“かけそばシルブップレ(sil' vousplait)”と、間違っても言わぬ事
www.tokyo-japan-guide.com/weekly-tokyo25.htm

◆ なるほど。ちゃんと "S'il vous plaît" って言わないとね。ちなみにパリのポン・ヌフ、いまでは最古の橋になっちゃって・・・

◇ Despite its name, the Pont-Neuf, which was built from 1578 to 1604, is the oldest of the Paris bridges (others predate it but have been rebuilt). Its sturdiness has become axiomatic: Parisians still say, “Solid as the Pont-Neuf.”
www.britannica.com/eb/article?tocId=60490

◆ 2004年2月26日、大田区洗足池。この写真にタイトルあるいはキャプションをつけるとしたら、どうなるだろう。かんたんに「洗足池のカモ」、ちょっと修辞をほどこして「洗足池で戯れる鴨たち」、こんなところが一般的だろうか。あるいは「洗足池のオナガガモ」としてもいいかもしれないが、野鳥のページでもなければ少しこだわりすぎかもしれないし、鳥好きと思われて余計な質問が増える危険性もある。かといって、「池にいた鳥」では小学生ではあるまいし、カモを知らないのではと疑われるのもシャクである。こんなことを考えてみたのは、先日目にした一枚の写真がきっかけだった。「川に佇む鳥」と題されたその写真には、サギが一羽写っていた。あまり鮮明ではないにしても、どこからみてもサギであるものに、「鳥」とは名づけにくいなと思ったのである。サギもカモも鳥類であることには間違いないから、別段とやかく言う理由もないのだが、たとえば、境内のハトの写真に「お寺の鳥たち」というタイトルがつくことはあまりなさそうな気がするし、公園のスズメの写真に「公園で楽しく遊ぶ小鳥」というキャプションもつけにくいだろうと思う。

◆ こういったことは、もちろん写真にかぎった問題ではないので、デートの最中に池でハクチョウを見て「あの鳥、キレイね」と女性が言ったとすれば、ワタシなら少し考え込んでしまうと思う。また、鳥にかぎったことでもないので、アジサイを見て、「今日キレイな花を見ました」と日記に書く子どもには、「あれはね、アジサイっていうんだよ」と親なら教えたくなるだろうと思う。

◆ もちろん、ネコ好きのひとは、どんな種類のネコもネコと十把一絡げに呼ぶひとをバカにするだろうし、ワタシもブルドッグはイヌではなくて、ブルドッグと言ってやりたい気もする。

◆ などなど。さまざまなジャンルにおいて、総称(generic name)と種名(specific name)を使い分ける一般的なボーダーラインがどのあたりにあるのかをいろいろ調べればおもしろいかと思う。

◆ 2003年2月2日、夕張市日吉。BBSで高倉健にふれた書き込みがあったので、思い出した。かつて炭鉱の街として知られた夕張はいまでは映画の街である。山田洋次監督の映画 『幸福の黄色いハンカチ』 のロケ現場跡地が夕張にあって、現在 「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」 として整備され、一般公開されている。ロケで使われた炭住 (炭鉱労働者向け長屋) の内部が資料館になっていて、

◇ 古い建物の中に入るとおびただしい黄色のメッセージが目を引きます。神社の絵馬みたいに願い事を黄色い紙に書いて張ってあるのです。
f18.aaa.livedoor.jp/~ogino/hokkaidou/furano/

◆ 絵馬でもそうだが、ワタシはこういったものを読むのが好きなので、その無数の黄色い紙を一枚一枚読んでいて、ふと目にとまったのが、「健さんのように生きる。昿多」。「生きたい」 でもなく 「生きよう」 でもなく、「生きる」 とあるのが直球勝負という感じで小気味いい。いかにも高倉健に似合いそうである。オトコならだれでも健さんに憧れるだろう。ワタシもひそかに健さんのように生きたいと思っていて・・・おっと、健さんなら、そんなコトは口にしないだろう。だから、なるべく無駄口は叩かぬように、用心用心。

◆ (左) 「消えて なくなり そうだ」 2003年1月16日、目黒区上目黒。だれもいない公園の便所のうしろに書かれた落書き。もちろん落書きはいけないことだけれど、ワタシが書いたわけではないので、その点については触れないことにして、だれかにあてたメッセージというわけでもなさそうな、こういった落書きを目にすると、なぜだか不思議と心が揺れる。相田みつをというひとの作品なんかよりも、よっぽど出来がいい。もとより落書きというものは匿名の作者により書かれるものであるが、その匿名性にぴったりのセリフではないか? あんがい都会にはこうして 「消えて」 いくひともいるのかもしれぬ。それは不思議なことではないだろう。

◆ (右) 「希望をすてるな!!」 2004年4月28日、中野区江原町。そもそもこんなセリフをドラえもんに言われたくはないが、「左」 への応答として読んでみると (とはいえ、そんな可能性はあるはずもない)、それはそれで味わい深いコトバにも思える。とりあえず漢字も間違っていないようだし、意外といいヤツなのかもしれない。ドラえもん。

◆ 2005年2月24日、中野区中野のマンション「EspoiR(エスポアール)」。フランス語で「希望」。エスポワールとも。

◆ エスポアールもしくはエスポワールというコトバは、アパートやマンションの名称に使われているのをよく見かけるし、レストランや喫茶店の店名としてもありふれたものである。各種サークル、あるいは結婚相談所、あるいは・・・、

◇ エスポワールは、会員制高級交際クラブです。紳士淑女の皆様に素敵な出会いを提供したいと願っています。
www.h-planning.com/

◆ あるいは小学校・幼稚園受験のための幼児教室にも。

◇ エスポワールはお子さまの「お受験」を否定はしません。幼児に受験のための勉強をさせるのは、ある意味で社会悪かもしれませんが、現実には「お受験」をしなければ国立や私立の小学校に入学できないのです。エスポワールの存在は誤った教育に警鐘を鳴らし、あらゆる情報を公開して、楽しくのびのびと学ぶ方法を受験を志す全ての親御さんに提供するものです。
www.o-juken.net/etc/espoir.html

◆ あるいは音楽団体にも。

◇ エスポワール吹奏楽団は、1961年12月、花園高等学校OB吹奏楽団として25名のメンバーにより発足、翌年には他校卒業生や一般社会人も参加し、名称も「明日に希望を」という意味でフランス語の 「エスポワール」 と名づけました。
www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/4116/

◆ あるいは高知県の町営住宅。

◇ (三浦敏孝議長) たとえばですね、池川町一ノ谷の町営住宅の名称を決めるときに、いろいろ候補を出していったんですよ。ところが、たった一つしかなかったエスポワールというのがでたんです。エスポワールの意味が分からないので辞書で引くと、フランス語で希望とかいう意味なんです。結局、選定委員会の中では、たくさんの意見がありましたが、たった一票のエスポワールに決まったんです。そういう方法もいいかなって。
www.vill.agawa.kochi.jp/~agawa30/gappei/kaigi/giji/machi03.pdf

◆ あるいは医療センター。

◇ 精神科デイケアセンター名称について公募しましたところ、皆様から多数の応募(総数100通)をいただき、ありがとうございました。いずれも、すばらしい名称ばかりでしたが、厳正に検討した結果、「ケアフル」「ハートフル」「エスポワール」の3名称がノミネートされ、最終的には「エスポワール」と決まりました。仏語で「希望」を意味し、未来志向で最適な名称だと思います。この名称の名づけ親は 作業療法士の宮崎理恵さんです。
www.aso-group.co.jp/aih/kouhou/Innaiho/0408/04.html

◆ そして、富山県では特別養護老人ホームにまで!

◇ 去る7月、小杉町の特別養護老人ホーム「エスポワールこすぎ」において、生活指導員であった職員が入所者の預かり金を使い込んでいたという、あってはならない事件が発生しました。この元職員は、平成4年から平成10年2月ごろにかけ、入所者約40人から預かった通帳と印鑑を使い、約3,800万円を使い込んだことが判明いたしております。
minshutou.jp/sakano/gikai/gikai1.html

◆ どこに「希望」があるというのだ!

◆ 2005年2月26日、京王線笹塚駅。最近、あちこちの駅で 「教えて! goo」 の特大ポスターを目にする。その一枚をたまたま読んでみると、質問が 「別れの日にふさわしいメイクは?」 とあって、そんなことが質問として可能であることに驚いた。自分で考えれば、とミもフタもない感想をひとりごちたあとで、女性というものはやはりわからない、とタメイキひとつ。ポスターにある質問のオリジナルがこちら。

《教えて! goo:別れの日にふさわしいメイク》

◆ 多くの回答が寄せられてるかと思ったら、たったの2件。ところで、ウォータープルーフマスカラってなに? ウォータープルーフだから、涙が出てもダイジョウブってこと? あたしきっと泣いちゃうから、ってこと? よくわからん。オトコには化粧用語はIT用語なみに難解である。

◆ 「別れの日」 的状況にかんして思い出した歌ふたつ。

♪ 化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
  今夜死んでもいいから きれいになりたい
  こんなことなら あいつを捨てなきゃよかったと
  最後の最後に あんたに思われたい

  中島みゆき 「化粧」 (作詞:中島みゆき)

♪ 冷たくされて いつかは
  みかえすつもりだった
  それからどこへ行くにも
  着かざってたのに
  どうしてなの 今日にかぎって
  安いサンダルをはいてた

  松任谷由実 「DESTINY」 (作詞:松任谷由実)

◆ まあ、いずれにしても、ワタシはそもそも化粧というものがあまり好きではないのだった。