|
◆ 1月中に書いておきたいこともたくさんあったのだけれど・・・、と思っているうちにもう2月になってしまって、、今年もまた年末にはできなかったことをあれこれ数え上げて、ため息をつくことになるのだろうなあ、と今からため息をついてしまう。 ◆ それはさておき、けさ地下鉄丸の内線を南阿佐ヶ谷駅で降りて、青梅街道ぞいの自動販売機でタバコを買い、おつりを財布に入れて数十メートル歩いたところで、買ったタバコを取り忘れたことにはたと気がついた (よくあることだ)。取りに戻ると、ちょうどつぎにタバコを買っていた男性が立ち去るところだった。手元を見ると、タバコが二箱。種類が違う。どうみても、ワタシのタバコである。「ああ、すみません、そのタバコ!」 と云うと、あっさり渡してくれたが、申し訳ないことをした。さぞかしバツがわるかったことだろう。そそくさとどこかへ行ってしまった。ささいなことで、今日は朝からついてるな、と思ったりするささやかなシアワセをワタシはカレから奪い取ってしまったのだった。もう一度、どうもすみません。 |
◆ このサイトは、いまのところ、PhotoDiary とこの Memorandum のふたつが軸になっているように自分では感じていて、その両方を定期的に更新していくのが理想的だと思っていたりもするのだけれど、どうもうまくいかない。写真の方をやり始めると、コトバを書こうとしてもすぐにはでてこないので、あきらめてまた写真の編集に戻ってしまうし、文章を書き続けているときには、自分の撮った写真を眺めてみても、どれもつまらない写真に思えて、見るのをやめてしまう。写真とコトバでは、どうもアタマの使う箇所が違っていて、ワタシは器用にそれを切り替えることができないらしい。いまはどちらかというと、アタマが写真モードになっているので、あれこれ思うことはあるのだけれど、それがうまく文章にならない。 ◆ そんなことをぼんやり考えていて、思い出したことがある。こどものころの草野球のハナシで、ワタシはスイッチヒッターだった。スイッチヒッターというのは、打つときに、左右どちらでも打てるひとのことで、定石として、投手が右投げのときは左打席で、左ピッチャーのときは右のバッターボックスで打てば、有利とされる。ところが、ワタシはたんに (ピッチャーの左右にはおかまいなく)、右で調子が悪ければ左で、左で打てなくなれば右打席に入ってみるという、きわめていい加減なスイッチヒッターだったので、なんの意味もなかった (というか、そもそも能力がなかったのだが)。 ◆ そんなわけだから、最初の段落の文章を修正する必要があるかもしれなくて、写真の編集に疲れてくるとコトバを書き始めたくなり、コトバを書くのに飽きると写真をいじってみたくなるというのがホントのところ。われながら情けないハナシだが、少なくとも、やるべきことがひとつではなくて、ふたつあってよかったと思っている次第。 |
◇ 境内では、なぜかチャボが放し飼いになってたりして、郊外ののどかさが感じられます。 ◆ そうそう、チャボがいたのだった。ニワトリには詳しくないので、チャボだかどうだかホントは知らないけど、そういうことにしておく。で、なぜチャボがここにいるのかというと、 ◇ 約30年前に、例大祭で使う獅子頭の毛(鳥の毛でできている)が足りなくなった。ところが、それが何の鳥の毛なのか分からない。そこで色々な鳥を飼い始めたのが、チャボが住み着く始まりだった。そのチャボは放置されて自然に繁殖しているが、最近はカラスに卵を襲われているからそんなに増えることはないそうだ。「チャボにたいした意味はないですよ。むしろ天神様のお使いは牛ですからね」。 ◆ なんだ、たいした意味はないのか。こんなに簡単に答えが出てしまってはおもしろくないので、もう少し続けると、 ◇ 夜明けを告げる鶏の声にせき立てられて道真は大宰府へ旅立った、だから天神社の氏子は鶏を飼わない、という話は各地に伝わっていますが、有名なのは「菅原伝授手習鑑」の東天紅《とうてんこう》でしょう。 ◆ そう、「天神様は鶏ぎらい」 のはずだったのに・・・。まあ、仕方がない。いろんな事情があるんだろう。福岡県の大野城市(こんな市があったのか)に伝わるハナシでは、 ◇ この祠に隣接していた家では、道真公の徳をしたう心が特に厚く、家族との別れを断ち切った鶏の声をにくんで、代々鶏を飼うことを禁じられておりましたが、農家であるため雑穀の処理に困り、近年になって鶏を飼うようになったということです。 ◆ また兵庫県尼崎市の長洲天満宮では、 ◇ こ近所の氏子総代の西村さん(80歳)にお話を伺いました。当時、村人達が集って「罪もないのにかわいそうだ」と同情したこと、翌朝一番鶏がいつもより早く時を告げたので出発が早まり、それからこの地域では鶏を飼わない風習が始ったこと、そして戦後物資のない時に氏神様に御祈とうして鶏を飼うようになったことなど氏子のみなさんの信仰心に強く心をうたれました。 ◆ というように、「チャボにたいした意味はないです」どころのハナシではない。おおありである。 |
◆ 1月13日、高円寺の古本屋で3冊100円のカバーなし文庫本を買った。今井通子 『続私の北壁』(朝日文庫)、山根一眞 『変体少女文字の研究』(講談社文庫)、日本ペンクラブ編 『ことばよ花咲け』(集英社文庫)の3冊。まあ、どんな本にだって33円ぐらいの価値はあるもので、 ◇ 「そっちは五リラ」 / 「おお、ゴリラか」 / 「いやちがうぜ、クジラが書いてあるぜ」 / 「イルカじゃないか」 / (イタリアのリラ、その五リラのコインにはイルカの絵が書いてある) ◆ これは1969年のハナシだが、このころは5リラなんてのがまだ流通してたのか。イルカの5リラコイン、いちど見てみたかったな。 ◇ 昭和五八年四月、東京都内にある高校に入学したその少女は、奇行の持主だった。 / 学校に来ている間は、色とりどりのマーカーやサインペンを机の上に走らせることにしか興味をもっていなかった。机の上はキャンバスと化し、ペンギンやカモメ、ヤシの木、雲などのトロピカル風の絵と変体少女仮名が綾なす“作品”の完成に夢中だった。 / 注意を受けても「わかりました」と言うカラ返事で、自分の机に描く場所がなくなってからは他の生徒の机、窓ガラス、教室前の廊下に置かれたロッカーにまで描き始めた。 / 遅刻やエスケープの常習者で成績も進級の基準に満たなかったこの少女は、六〇年三月に自主退学していったが、〔・・・〕 ◇ 町かどを曲がったすぐ向うにときどき ◆ 以上で、100円分の価値はあるだろうから、これで心置きなくゴミ箱行き。 |
◆ 知り合いのサイトの日記に、インフルエンザにかかって39度以上の熱が出て数日寝込んでいた、というようなことが書いてあって、ネマキを6回着替えたという記述に、ああネマキを六着以上もっているひともいるんだな、と軽い衝撃を覚えつつ、掲示板にお見舞いを書いた。いや、お見舞いを書こうとしていたのだったが、 ◇ そういえば、かぜ(含インフルエンザ)、北海道時代からひいた記憶がないなあ。たまには39度も体験したいなあ。 ◆ などというだれが読んでも気分を害する文章に化けてしまった。すると、今度はコチラが風邪気味である。しばらく忙しい日が続いて、そのあとほっとして疲れが出たのか、カラダがどうも熱っぽい。寝込むほどでもないので、仕事に出ると、冷たい雨に当たった。これでは、治るものも治らない。ノロウィルスに感染したという同僚と数日前に仕事をしたのも、ちょっと気になる。それともインフルエンザ? あれこれ考えてはみたが、病院には行かない。とりあえず市販の風邪薬を飲んで、体温でも計ろうと思ったが、つい先日こわれていたので捨てたのだった。新しい体温計を、女性用と間違わないようにして、買ってきて、ワキにはさむ。しばらくして、取り出してみると、ああやっぱり37.0度しかないよお! これではズル休みもできぬ。39度への道はまだまだ遠い。 |
◆ 図書館で、『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社) を借りて読んだ。なかでも津島祐子の文章に惹かれた。 ◇ 赤ん坊だった頃の記憶はないから、この十歳の時の引越しが事実上、私にとってはじめての引越し体験だった。私の家の引越しのためにわざわざ細い路地の奥まで入ってきてくれた、長い間憧れの的だった引越しトラック、がらんどうになった家のなか、引越し前に取り払われてしまった板塀、ダンボール箱二個にまとまってしまった私の荷物、台所の食器を片づける前に母親が大量に作っておいたいなり寿司の包み、積み上げた荷物のなかで窮屈に寝たその家最後の晩、こうした光景に加えて、引越しの当日、最後に家族が移る時、走り出したタクシーに怯えて、私の膝から窓を越えて外に飛び出しトラックに轢き殺された犬、更に半年後、その家で病死した兄のことまで、引越しの体験に加わるのだ。 |
◆ デジカメの便利なところはメモ帳代わりにもなるところで、ついでに撮っておいた案内板の説明を拡大して読んでみると、 ◇ 大岡政談の一つとしても有名である 「しばられ地蔵尊」 は昔より、盗難除け、足止め、厄除け、あらゆる願いごとを叶えるとして祈願するものが多く、祈願者は先ず地蔵尊を荒縄でしばり成就の暁には、これを解く風習となっている。 ◆ なるほど、有名だったのか、このお地蔵さんは。もちろんワタシは知らなかったので、先日カゼで仕事を休んだときに、図書館へ行って東洋文庫の 『大岡政談』 を借りてきて読んでみた。あらすじはこんなふう。 ◇ お地蔵さんの前で寝ていた商人が反物を置いたまま眠ってしまいました。すると反物は盗賊に盗まれてしまったのです。 / 「お地蔵さんはだまって見ていたのか!」と怒った大岡越前は、グルグル巻きにしてしまいました。 / しかし、そのあと盗賊団が捕まったのでお地蔵さんは祭られるようになったのです。 ◆ これでは短すぎてよくハナシがわからない? という方は、コチラのサイトが詳しいです。 ◆ と、なかなかよくできたお話なのでした (読んでないひとにはわからない)。 ◆ 大岡越前の名セリフをふたつ。まず、お地蔵さんのそばでついうたた寝をして反物を盗まれ、駆け込み訴えをした荷担ぎ弥五郎に向かって曰く、 ◇ 「その方、地蔵菩薩は国土を守る仏なれば、ここへ置く時は気遣いなしと安堵して居眠りたるゆえ、荷物を取られしと見えたり。これ油断とはいえども名に負う地蔵に似合わず、盗まれるを知らぬとは仏たりともそのままに差し置き難し。江戸に居る仏は我が支配なればゆるし難し。早速地蔵を召し捕って吟味すべし。同類かも計り難し」 と同心へ地蔵召し捕り方を申しつけられける。 ◆ 「江戸に居る仏は我が支配」 とは、なかなか言えないセリフではある。ワタシが地蔵ならヘソ曲げちゃうところだ。つづいて、縄で召し捕らえたお地蔵さんを前にお白州で曰く、 ◇ 「いかにその方、名高き仏にして、諸人に南無地蔵大菩薩と尊敬を受け、衆生利益する身にありながら、越後屋八郎右衛門の荷担ぎ弥五郎が木綿荷を盗まるるを知らずして居たりしこと不埒千万なり。但し得心づくにて盗ませしなれば同類と申す者、まっすぐに申せ」 と言われしに、地蔵一言の答えなし。 ◆ 答えるわけないよな、地蔵だもの。それにしても、やるな大岡越前。テレビが観たくなったけど、いまは放送してないのかしら? ◆ あ、そうそう、このお地蔵さん、震災後の昭和4年に寺の移転にともなって、本所中之郷(墨田区吾妻橋)からいまの葛飾へ引っ越してきたそうな。そのときは、縄でしばられて来たんだかどうだか。 ◆ それから、このお地蔵さん、ワタシが見たときはわりとほどよい 「しばられぐあい」 だったけれど、さらにつぎつぎ祈願者が来て縄をぐるぐる巻き続けると、ミイラさながら顔まで見えなくなってしまうのは必定で、そんな状態の写真がコチラに。 ◆ 最後に実際にしばられ地蔵をしばったひとの体験談。 ◇ しばられ地蔵は、すでに縛られまくっていた。 / 「俺は、どちらかといえばSではないが……」 ぶつぶつ言いながら俊晴は一本の縄を買い、地蔵を縛った。 / 縛られた縄の中には、相当にテクニカルな縛り方のものがみえる。 / 「痛ッ!」 荒縄のトゲが指に刺さってしまったらしい。 / 金町のしばられ地蔵の次は、巣鴨のとげぬき地蔵に行くのが良いコースかもしれない。 |
![]() ![]() ![]() ◆ 左の写真。2004年8月30日、葛飾区東金町。「しばられ地蔵」の近くで見かけた「みんなたのしいようちえん」、これがホントの名前かと思ったら、《東江幼稚園》というのが正式名称みたいで、ちょっと残念。でも縦割りクラスとかいろいろ工夫をしてるみたい。ちなみに、この看板は川元信泰という版画家の作品のようです(《愛のある版画》)。
◆ 右の写真。2005年2月21日、渋谷区笹塚。「保育園うさぎとかめ分園」。ここはいつもその前を通ってるところ。こどもたちが散歩してるのをよく見かける。さて、このみっつのなかで通うならどこがいいかと考えたんだけど、やっぱり「みんなたのしいようちえん」かな。 |