◇ 境内では、なぜかチャボが放し飼いになってたりして、郊外ののどかさが感じられます。 ◆ そうそう、チャボがいたのだった。ニワトリには詳しくないので、チャボだかどうだかホントは知らないけど、そういうことにしておく。で、なぜチャボがここにいるのかというと、 ◇ 約30年前に、例大祭で使う獅子頭の毛(鳥の毛でできている)が足りなくなった。ところが、それが何の鳥の毛なのか分からない。そこで色々な鳥を飼い始めたのが、チャボが住み着く始まりだった。そのチャボは放置されて自然に繁殖しているが、最近はカラスに卵を襲われているからそんなに増えることはないそうだ。「チャボにたいした意味はないですよ。むしろ天神様のお使いは牛ですからね」。 ◆ なんだ、たいした意味はないのか。こんなに簡単に答えが出てしまってはおもしろくないので、もう少し続けると、 ◇ 夜明けを告げる鶏の声にせき立てられて道真は大宰府へ旅立った、だから天神社の氏子は鶏を飼わない、という話は各地に伝わっていますが、有名なのは「菅原伝授手習鑑」の東天紅《とうてんこう》でしょう。 ◆ そう、「天神様は鶏ぎらい」 のはずだったのに・・・。まあ、仕方がない。いろんな事情があるんだろう。福岡県の大野城市(こんな市があったのか)に伝わるハナシでは、 ◇ この祠に隣接していた家では、道真公の徳をしたう心が特に厚く、家族との別れを断ち切った鶏の声をにくんで、代々鶏を飼うことを禁じられておりましたが、農家であるため雑穀の処理に困り、近年になって鶏を飼うようになったということです。 ◆ また兵庫県尼崎市の長洲天満宮では、 ◇ こ近所の氏子総代の西村さん(80歳)にお話を伺いました。当時、村人達が集って「罪もないのにかわいそうだ」と同情したこと、翌朝一番鶏がいつもより早く時を告げたので出発が早まり、それからこの地域では鶏を飼わない風習が始ったこと、そして戦後物資のない時に氏神様に御祈とうして鶏を飼うようになったことなど氏子のみなさんの信仰心に強く心をうたれました。 ◆ というように、「チャボにたいした意味はないです」どころのハナシではない。おおありである。 |
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