◆ 1月2日、太秦広隆寺。今年の初仁王。金網の隙間から写真を撮ろうと半時間ばかり苦労しているあいだに、正月だからそれほどの数ではないが (みんな神社に行くのだろう)、参拝者 (観光客) たちがハナシをしながらワタシのうしろを通り過ぎてゆく。背中で聞いているのでよくはわからないが、二人づれのひとり (中年の男性) がもうひとり (おそらくカミサン) にこう云う。
◇ ア、こっちのはクチを開けてる。あっちのは口を閉じてる。「アウンの呼吸」 っやつだ、ウン。
◆ さらにウンチクが続くのかと思ったら、これでオシマイ。連れの反応はない。しばらくすると、また別のグループがやって来て、中年の男性がほかの連中に (コドモたち?) にこう話しかける。
◇ これは 「アウンの呼吸」 だぞ、聞いたことあるか?
◆ やはりそれ以上の説明はなく、反応もない (そもそも聞いてもいないのだろう)。思わず笑ってしまった。仁王を見かけると、思わず 「アウンの呼吸」 と云ってしまうひとがかなりの割合でいるようである。なんという条件反射だろう。しかしどうせなら、
◇ 仁王は金剛力士あるいは密迹 (みっしゃく・仏に近侍して秘密の奇跡を知るという意味) 金剛などとも呼ばれ、寺社の山門に安置されていることがほとんどです。この仁王像は、寺域や仏像、更に神社などを悪霊から守ることを目的として造立されています。したがって、寺社の入口に当たる山門に配され、二体の像が息を合わせて悪霊が進入してくることを防いでいるわけです。昔から二人の息がぴったりと合うことを阿吽の呼吸といっていますが、この言葉はここから生まれたものです。仁王の一体は口を開いた阿形、もう一方は口を閉じた吽形。この吸う息と吐く息とがぴったりと合えば、その気迫によっていかなる神仏の敵も寄せ付けない。このことから阿吽の呼吸という言葉が生まれ、何か事を行う時、語らずとも互いに意志を通じさせて行うことのたとえとして使われるようになったと思われます。
www2.city.usuki.oita.jp/kyouiku/mamoru/saihakken/simominami/niouzou.htm
◆ と、これくらいのウンチクを語ることができなくては、相手が無反応なのもいたし方なところ。