|
◆ ある個人サイトのあるページを読んでいて、 ◇ 九州で“北海道物産展”を見ても 旅行者は悲しい ◆ という文章に出くわした。九州に旅行に行った非九州人が、たまたま地元のデパートにはいってみたら、「北海道物産展」をやっていたというわけで、たしかに、これは「悲しい」気がする(かもしれない)。 ◆ そういえば、似たようなことがあったようななかったような。で、思いだしたのはこんなこと。ずいぶんムカシ、パリでカキを食べたことがあった。カキといっても、柿じゃないよ。ブルゴーニュの牡蠣だよ。街の牡蠣屋さんで、生牡蠣をナイフでくいっとこじ開け(開けてもらったんだが)、ちゅるっとすすると、えも言われぬ美味。ううん、生きていてよかったなあ、とさえ思いたくなる。さすがはフランスの牡蠣だ。そんなこんなで、店の主人に「この牡蠣はうまいねえ」と言ったら、その返事にとつぜん悲しくなった。 ◇ 「おいしいでしょ。なんたって、これは日本の牡蠣だからね」 ◆ どういうことかというと、こういうことだ。 ◇ 今ではフランスでも大量に養殖され食べられているこのカキ、実はもともと日本産、しかも宮城産のカキなのです。 / それまで養殖していたカキが1967年に病気により全滅してしまったフランスでは、宮城県石巻湾で育てられている種ガキを大量に輸入して養殖しました。宮城種とよばれるこの種ガキは、水温が低くても成長が早く、病気にも強くて、なによりおいしいというすばらしい条件を備えていたのです。 ◆ 旅行者は悲しい。でも、いま気づいたけれど、これはちょっと違うハナシだな。これから、最初の引用に似た例をゆっくり思い出すことにしよう。 |
◆ ワタシのアパートのネット環境は劣悪で、PHS 接続なんである。入居したとき、部屋に電話のソケットがなかったので、電話回線も引かずにいたから。なので、自分でアップした自分のサイトの写真を見るのも一苦労なんである。というわけで、仕事の帰りに、よくマンガ喫茶に立ち寄る。いまもマンガ喫茶にいて、こちらは光接続で快適。エアコンもあるしね。そんなときには、ネットラジオを聴きながら、ネットサーフィンやら、サイトの更新やら、あれこれ楽しんでいる。そうそう、だから、MIDI の流れるサイトは少々具合が悪い。ワタシは聖徳太子じゃないからね。 ◆ さっきから Europe2 というフランスのネットラジオを聴いているのだけれど、なかなか選曲がいい。Joan Osborne - One of Us、The Calling - Our Lives、U2 - Sunday Bloody Sunday。 いまは、Lenny Kravitz。そろそろ帰ろう。 |
◆ 先日、風呂屋の帰り、コンビ二に寄って、ビールを買った。のはずだったが、レジで支払いをしようとしたら、財布が見当たらない。風呂屋にあわてて戻ると、ロッカーの中にあった。 ◆ その数日前、腹の調子がおかしいので、仕事が終わってすぐ、駅の近くの図書館のトイレの個室に駆け込んだ。多少すっきりして、駅で切符を買った。のはずだったが、これまた財布が見当たらぬ。さきほどのトイレにあわてて戻ると、トイレットペーパーホルダーの上にあった。 ◆ スリランカから帰国するとき、コロンボ空港の免税店で、土産にアラック(酒)を買った。のはずだったが、なんたることか、パスポートがない。どこで落としたものかと思案する間もなく、それまで座っていたベンチのわきの床の上に見つかった。 ◆ ああ、ワタシはなんと運がいいのだろう。などと喜んではいられない。はずである。いやはや、なにやってんだか。 |
◆ トラックのラジオも、いつのころからか忘れたけれど、FMが聴けるようになっていて、ドリカムの 「7月7日、晴れ」 が流れていたので、今日が七夕だということを思い出した。どうやら七夕にちなんで、リスナーから思い出の曲のリクエストを募っていたらしいのだが、そのつぎにかかった曲が、LOOK の 「シャイニン・オン~君が哀しい~」だったのには驚いた。 ありゃ、真冬の歌じゃないか。 ◆ で、七夕のハナシでも書こうと思ったのだが、あいにく何も思いつかない。たいした思い出もない。 ◆ ドリカムの 「7月7日、晴れ」 に戻って、同タイトルの映画まであったということを(検索して)はじめて知った。 ◇ ふつうの男の子と超国民的アイドルの恋を描いた同名映画の主題歌でした。かつては男性二人、女性一人のグループのことを 「ドリカム状態」 と言ったんです、けどねぇ。今やLe coupleと代わりありませんもんね。 ◇ これに全編に流れるドリカムメロディがダメ押しで、ユーミン・サザンと並ぶような位置にドリカムが立ったんだな、ということだけはよくわかりましたがね。 ◆ ユーミン・サザンと並ぶような位置、か。これはハードルが高いよ。ともかく、ワタシはドリカムの歌が苦手である。オオゲサすぎる気がする。おまけに(なんの関係もないが)、小室哲也、宇多田ヒカルも苦手である。いずれもワタシには歌詞が理解できない。 |
◆ ネットで知り合った人の素顔は知らない。とくに知りたいとも思わない。けれども、知らないことの空白を無意識は埋めようとするものらしい。デタラメに「あんな人だろう」というイメージが勝手にできあがっている。 ◆ 先日、ネットで知り合った人とはじめて実際に会った。その人が出演している劇を観に行って、そのまま帰って来ようと思っていたのだが、渡すものがあったので、受付の人に渡してくれるように頼んだら、直接渡すように言われ、その通りにした。問題はなんと名のればいいのかということで、ワタシは Saturnian ということになっているけれど、これは実際に発音したことがない。自分の名前の発音練習をするのも変なものである。ええままよ、デタトコ勝負。そう決心したのだけれど、結局 Saturnian は発音されずじまい。言わなくてもわかってもらえたから。ああ緊張した。 ◆ で、わるくはないなと思った(といっても、二言三言話しただけだが)。土星人からひさしぶりに地球人に戻った気分。さて、つぎはあるだろうか? |
◆ 昨日、暑い夕暮れの町を歩いていたら、不意に「赤い風船」の歌が頭の中で流れ始めた。ご存知かな、浅田美代子の「赤い風船」。
◆ 調べてみると、作詞は安井かずみ、1973年のヒット曲。で、この「赤い風船」が突然脳内で再生されたわけをワタシに聞かれても困る。たぶん夕暮れだったからだろう。あんまり暑かったので、ちょっとおかしくなったのかもしれない。こんなことはだれにも一度はあることだろう。小林秀雄だって、「或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついてゐた時、突然、このト短調シンフォニイの有名なテエマが頭の中で鳴つた」(「モオツァルト」)そうであるから。まあ、ワタシは浅田美代子で、モーツァルトというわけにはいかなかったけれど、それは措くとして、この「赤い風船」の歌詞はなかなかいい(と書くのも気恥ずかしいが、そう思う)。手にした赤い風船、しっかり握っていたはずだったのに、「なぜだかこの手をするりとぬけ」てしまった。 ♪ 小さな夢がしぼむ どこか遠い空 ◆ この「小さな夢がしぼむ」というところがいい。小さな赤い風船に託した小さな夢がしぼんでしまった。小さな後悔、こころが小さく痛む。 ◆ 赤い風船で、もうひとつ思い出したこと。京都の実家のとなりに、かつてワタシが「おっちゃん」と呼んでいたひとが住んでいた。おっちゃんは、ワタシの大叔父で岩本敏男という児童文学者だった。そのおっちゃんの作品のひとつのタイトルが『赤い風船』だった。《児童文学書評》というサイトで、この本の批評(松田司郎)を見つけたので、リンクしておきます。 |
|
◆ スリランカには行ったけれど、よく考えてみると、スリランカのことはなにも知らない。たとえば、その歴史。もちろん、スリランカがかつてセイロンと呼ばれていたことは知っているけれど、インドの属国であった時期があったのかどうか、となるとよくわからない。在日スリランカ大使館のサイトによれば、 ◇ スリランカは古代から、様々な名前で知られている。ギリシャ人は「タプロバネー」と、アラブ人は「セレンディブ」と呼んでいた。昔の植民地時代は、ポルトガル、オランダ、イギリスはそれぞれ、「セイラオ」、「ゼイラン」、「セイロン」と呼んでおり、おそらく「シンハラドゥウィーパ」に由来している。スリランカは古代の「輝く島」という土地固有の意味がある。 ◆ ポルトガル、オランダ、イギリス。これが、16世紀以降、セイロン島を支配してきた国々の名前。 ◇ Occupied by the Portuguese in the 16th century and the Dutch in the 17th century the island was ceded to the British in 1802. As Ceylon it became independent in 1948; its name was changed in 1972. ◆ 1948年にイギリスから独立し、スリランカとその国名を変えたのは1972年のことである。 ◇ インドの南にぽっかりと浮かぶ島・スリランカは北海道を一回り小さくしたほどの大きさで、1972年の新憲法公布とともに「セイロン」から現在の名前に改名されている。 / 世界地図を見てのカタチからして、「インド洋に落ちた一滴の涙」とか「インドから落ちたマンゴー」などと揶揄されるが、実際には語源通りの「光り輝く島」、「歴史ある国」というのがぴったりの印象だ。 ◆ 「インド洋に落ちた一滴の涙」、あるいは 「インドから落ちたマンゴー」、どちらもなんとも美しい詩的表現で、けっして「揶揄」などではない。とくにマンゴーの比喩が秀逸だと思うけれど、日本語以外でこの表現を見つけることができないでいる。涙の方が一般的なようで、英語では「Teardrop of India」という表現をよく見かける。 ◇ Sri Lanka is shaped like a giant teardrop falling from the southern tip of the vast Indian subcontinent. ◆ それにしても、北海道より小さな島だったのか。外務省のデータによると、 ◇ 65607km2(北海道の約0.8倍) ◆ おまけに、《国土地理院》 のデータ(平成15年10月1日時点)によると、北海道の面積は 77982.31km2、九州 36733.48km2、四国 18298.14km2 だそうだ。なるほど。なんとも正確そうな数字である。 ◆ おまけのおまけ。「教えて! goo」の質問より。 ◇ 知り合いがこの冬に北海道を旅行したときに聞いた話らしいのですが・・・。 / 北海道の面積は実は本土の面積とそんなに変わらない。ただ日本地図はバランスを考えて今の様に描かれているというのです。 // このことについて詳しくご存知の方がいらっしゃったら教えてください。 |
◆ いや、忍者のハナシをしようと思ったのではなかった。「○○駅前郵便局」、なんの変哲もない郵便局の名前なんだけど、半蔵門駅というのは地下鉄の駅なので、あたりまえのように駅(の本体)は地下にあるんである。ということは地上には駅はないんである。あるのは出入口だけである(4つある)。とすると、地下鉄の駅の駅前って、どこだろう? と思っちゃったんである。もしかすると、ほんとうは駅の真上にあったりするのかもしれないし・・・。まあ、駅上郵便局というわけにもいかないんだろうけどね。それでも、やっぱり「駅前」というコトバには、ちゃんと表玄関みたいな駅舎がなきゃいけないって、気分にさせるところがある(とワタシは思う)。駅前旅館があれば、なおのこと、よい。 ◆ ついでに、地下鉄丸の内線の「東京」駅。まあJR東京駅の下にあるから、しようがないんだけども、東京の地下鉄なんだから、みんな東京なんじゃないの、と思ってしまうのは、ひねくれてますかね。 |
◆ 若さというものが苦手である。過剰なエネルギーが疎ましい。だから、過去の自分もあまり好きではない。 ◇ 涼しい北海道からクールなぼくが暑中お見舞い申し上げます。 ◆ これはハタチのころ、あちこちに出しまくった暑中ハガキの文面で、まったくもって鼻持ちならないイヤな文章である。過去を消せる消しゴムがあれば、消してしまいたいくらいだ。とはいえ、こうして(なぜか思い出し)書きつけているところをみると、いまもむかしとナンニモ変わってはいないのだろう。 ◆ というわけで、みなさま、ほんとに暑いここ東京から、レトリックではなく心から、暑中お見舞い申し上げます。暑いけど、今夜はなんとか眠れそうな予感。 |
◆ 昨日もたしかに暑かったけれども、 ◇ 夏の高気圧に覆われた20日の関東地方は、朝から気温がぐんぐん上がり、気象庁のある東京都千代田区大手町では午後0時58分に39・5度を観測、平年の最高気温より10・1度も高く、観測史上最高を記録した。 ◆ それほどまでとは思わなかった。その時間には横浜にいたので、関係ないといえば関係ないのだが、東京でも大手町は特別だったんだろうという気がする。 ◆ 39.5度か、もう少しで、40度だったのに、と思ったひとも少なくないはずで、これは、こどものころに、風邪をひいて熱が出て、体温計で計ってみて、なんだ37度もないのか、とがっかりしたことに似ている。 ◇ 「水銀柱がうなぎのぼり」-僕らの時代には良く聞いた言葉ですが今の子供達には理解できない言葉かも知れません。 / そうです、僕らの時代温度計には水銀が入っていたのです、体温計にも。 ◆ 体温計を腋にはさんで、しばらくじっとしている。36度8分しかない。もう一度、腋にはさみ直す。さっきよりも念入りに待ってみる。それでも、36度9分どまりだ。しようがないので、ちょっとズルをする。いささか斜めに目盛を読むと、37度0分になっている。これでよし。あとはお母さんに報告するだけだ。自分で体温計を振って、膨張した水銀を元の鞘へと戻そうとする。が、うまくいかない。なんどやっても、温度は下がらない。そこにお母さんがやって来て、体温計を取り上げる。あら36度8分しかないわね、よかった。そして、体温計を振る。いとも簡単に目盛は下がり、薬箱のなかへとしまわれる。 |
◆ 京都に「青少年科学センター」という、市内の小中学生が科学の勉強をしに来るところがあって、ワタシも学校から何度か行ったことがある。そこで、温度計を作ったことがある。水銀ではなく、「アルコール温度計」だった。 ◇ 最も一般的な100℃まで測定できるアルコール温度計に入っている赤い液は,色をつけた灯油です(写真現像の暗室用に青い色をつけた温度計もあります。)。200℃まで測定できる棒温度計には,より沸点が高い軽油が入っています。メタノールやエタノールは沸点が100℃以下ですから,使えないのです。 ◆ なるほど。それはともかく、「アルコール温度計」を作ったのである。棒状のガラス管に「アルコール」を詰めて、栓をする(くわしくは憶えていない)。それから、0度のものに漬けて(なんだったのかは憶えていない)、そのときの「アルコール」の位置に線を引く。100度のもの(なんだったのかは憶えていない)に漬けて同じことをする。ついで、それらを基準にできるだけ等間隔に目盛を振っていく。これで温度計のできあがり。自分で作った温度計を家に持って帰り、お湯の温度を計ろうとしたら、あっという間に破裂した。 |
◆ 引越当日、引越屋が来て、作業中に、こう言ったとする。どうやら、タンスかなにかを運び出そうとしているらしい。 ◇ ぞうきん、ありますか? ◆ あなたなら、なんと答えるか。「ありません」? これは問題外だ。生活そのものを見直したほうがいい。とはいえ、こういうひとも案外多いようで、「ふつう」なら雑巾を使うべきところも掃除機を使ってしまっているので、雑巾がそもそもないのである(これは女性に多い)。もちろん、掃除をまったくしないから、雑巾が必要ないというひともいるが(これは男性に多い)。 ◆ 「ありません」と答えられた日には、仕事をやる気も失せてしまう。そこらへんに落ちている(見つけるのに造作はない)布切れ(Tシャツでも可)を拾って、ホコリを適当に払って(もちろん自分が汚れないためである)、運ぶ。 ◆ 「ぞうきん、ありますか?」にたいする対応でいちばん多いのが、雑巾を持ってきて、「はい、どうぞ」というパターンである。とくに問題はない。これまた、適当にホコリを払って(やはり、自分が汚れないためである)、運ぶ。 ◆ しかし、引越屋(すくなくともワタシが)が「ぞうきん、ありますか?」と聞くときには、まったく違う答えを期待しているのである。お気づきでいらっしゃらない方も多いだろうから、お教えしよう。 ◇ あっ、すいません。汚れてましたか? いま拭きますから。 ◆ これである。こういう対応のできるひとも少なからずいる(いや、少ないかな)。そう言われた場合には、 ◇ いやいや、こちらで拭きますから。 ◆ という流れになって、はじめて、自分のためだけでなく、そのお客さんのためにも、いくぶん念入りに、ホコリを拭き、汚れを落として、運び出す。 ◆ げに日本語は難しくもあり。 |
◆ あるとき、あるコンビニに入って、こう尋ねたことがある。 ◇ トイレ、ありますか? ◆ そのときの、年配の店員 (店長っぽかった) の返答がまったく 「ふるって」 いた。 ◇ はい、あります。 ◆ ただ、それだけしか言わないのである。おいおい、こっちは日本語の勉強をしに来たんじゃないぞ! こんなところへは二度と来るもんか、と思ったが、どこだか忘れてしまった。 |
◆ いつだったか、goo の新着日記をパラパラ見ていて、気になった文章がある。 ◇ 今日、原宿の公園でルンペンに追いかけられました。 ◆ 気になったは(もちろん)「ルンペン」というコトバで、いまどき誰がこんなコトバを使うのかと思って、この日記の作者の profile を見ると、19歳、男性、大学生。なおさら、なんともいえない気分になる。 ◇ 遠い昭和の時代の事です。「ルンペン」という言葉がありました。ボロ切れという意味のドイツ語ですが、日本では、浮浪者の事を指して言いました。その人もルンペンと呼ばれていました。方々で食べ物や小銭などを恵んで貰いながら日本中を放浪して回ったのです。 ◆ これは山下清のこと。どうして、ルンペンなんてドイツ語が輸入されたのかというと、これは、もちろん、マルクス主義の影響で、ルンペンプロレタリアートというコトバがあった。 ◇ The Lumpenproletariat (directly translated: rag-proletariat) is a term used by Marxists to describe the section of the proletariat that can't find legal work on a regular basis. These may be prostitutes beggars or homeless people. ◆ 「goo 辞書」には、 ◇ 社会の最下層に位置し、労働意欲を失った浮浪的無産者。労働者階級から脱落した極貧層。 ◆ とある。いまでは、ルンペンというコトバが死語であるより前に、プロレタリアートというコトバの方がとっくに死語になってしまっている。 ◆ 「19歳、男性、大学生」がどうして、ホームレスではなく、浮浪者ではなく、ルンペンというコトバを選択したかが、ワタシにはやはり気にかかる。他愛のない理由であっても。 |
◆ 自己責任「論」などというものがあるそうで、どんな論だか知りたいと思って探してみたのだが、よくわからない。「自己責任」というコトバになんとなく「論」を付け足しただけなのかもしれない。その「自己責任」というコトバも、最近の文脈では、ワタシには「自己負担」の婉曲表現としか読めない。 ◆ 自己責任というコトバからワタシが連想するのは、「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」というタバコのパッケージに以前書かれていたコトバ。現在の文言は「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」で、微妙に異なる。なんでも、たばこ事業法という法律があって、その第39条で、注意表示が義務付けられているらしい。 ◇ 会社又は特定販売業者は、製造たばこで財務省令で定めるものを販売の用に供するために製造し、又は輸入した場合には、当該製造たばこを販売する時までに、当該製造たばこに、消費者に対し製造たばこの消費と健康との関係に関して注意を促すための財務省令で定める文言を、財務省令で定めるところにより、表示しなければならない。 ◆ 法律の条文はよくわからないが、この「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」というコトバがワタシは好きだった。とても優しいコトバのように思えた。 ◆ [ここまでを4月19日に書いて、ほったらかしていた。続きを書こうと思ったが、うまくいかないので、やめておく。「自己責任論」はいったいどこに行ったのか?] |
◇ 昨年の夏には一家で二週間、タイへ旅行されている。眞子さま、佳子さまには初めての外国訪問で、巨大なナマズや水牛にカルチャーショックを受けられたようだ。 ![]() ◆ 巨大ナマズもやはりカルチャーだろうか? そんな疑問はあとにして、秋篠宮家はわりと外遊されてるようで、スリランカにもその足跡を残されていた。写真はデヒワラ動物園で見かけたプレートで、 ◇ MESUA NAGASARIUM / THIS TREE WAS PLANTED BY / HIS IMPERIAL HIGHNESS PRINCE AKISHINO / ON THE OCCASION OF THE VISIT OF / THE PRINCE AND PRINCESS / TO THE ZOOLOGICAL GARDENS / ON 8TH NEVEMBER 1992 ◆ 1992年に当地を訪問された秋篠宮ご夫妻が MESUA NAGASARIUM という樹木を植樹されたと書いてある。NAGASARIUM ではなく NAGASSARIUM が正しいと思われる。。この木はシンハラ語で Na-mal。mal は木のことだから、ナーの木。スリランカの national tree だそうだ。 ◇ The “Na Tree” botanically known as “Mesua Nagassarium” was adopted as the National Tree of Sri Lanka on 26 February 1986. ◆ 学名 Mesua nagassarium は Mesua ferrea のほうが通りがよいようで、英語では ironwood tree、日本語ではセイロンテツボク(セイロン鉄木)。 ◇ The wood of Mesua ferrea is very heavy it is used for railroad ties and building needs. Its resin is slightly poisonous but many parts have medicinal properties. ◆ とにかく役に立つ木なんだそうだ。 |