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◆ イタリアの鳩事情を調べていたら、こんなブログ記事に出くわした。「AVA JALコレクション よくばりイタリア夢紀行 10日間」という団体旅行に参加したひとが、ローマで「僕ら夫婦が3泊した部屋」を写真入りで紹介していて、絵文字だらけの文章なので、それは全部省略し、句読点を打ち直して採録すると、 ◇ 左側のトイレの写真ですが…。なんとトイレの横に良く分からないトイレ。2日目の朝、添乗員のOさんに聞いたところ、なんと「お尻洗い」らしい。早速2日目夜から使用開始。使い方がイマイチ分からず使いましたが…。日本のウォシュレットの方が断然良い←正直な意見(゚3゚) ◆ 思わず笑ってしまったが、ビデを知らなかったからといって、なにも笑うことはない。 ◇ わたしが初めてビデを見たのは、10年前、イタリアのホテルで。ビデとはつゆ知らず、「イタリアには大用と小用の便器があるのか!?」と軽くパニックになったことを思い出す。一緒にいた友人もビデを知らず、ちょうどいいからと、果物をビデの中で冷やしていた。その後、友人はひんやり冷えたリンゴを皮ごと食べていたが、わたしは本能的に「それは違う。それはあかん」と、しっかり皮をむき、食べたのだった。 ◆ ビデにまつわるハナシは、ちょっと調べただけでもいろいろとおもしろいエピソードが出てきて、きりがない。 |
◆ ビデで思い出したが、こんなハナシがある。トイレのことを、フランスのフランス語では、たとえ便器がひとつであっても、「les toilettes」と複数形で表現する。だから「トイレに行く」は、フランスでは「aller aux toilettes」となるが、ベルギーのフランス語では、トイレを単数形にして、「aller à la toilette」となる。なぜか? ◇ On en trouve en France, pas en Belgique. Il est vrai qu'en France, on va 'aux toilettes', tandis qu'en Belgique, on va 'à la toilette'. La différence doit venir de la :-) ◆ 別な答え。 ◇Réponse : parce qu'en France il faut en visiter plusieurs pour en trouver une qui est propre. ◆ ほんとうの答えは知らない。単数形では直接的すぎるから、という説もある。 |
◆ 「めぐる」をめぐる。「めぐる」は、巡る、回る、廻る。
◆ 「岬めぐり」という歌がある。1974年にヒットした山本コウタローとウィークエンドのフォークソング。
◆ 「岬めぐり」の歌詞は、三浦半島が舞台だというハナシもあるそうだ。その場合、「三浦半島=岬」なのか、半島の複数の岬を回るという意味なのか? それとも三浦半島の特定の岬のことなのか? 疑問はめぐりめぐる。 ◆ 以前「三浦岬」という記事を書いて、ユーミンの「海を見ていた午後」の歌詞に出てくる三浦岬のことを話題にしたが、これも「岬めぐり」と同じく1974年の歌だった。岬がちょっとしたブームだったのだろうか。さらには、その記事で、ついでに「知床旅情」の「知床の岬」についても触れたが、そういえば森繁久弥がさいきん亡くなった。亡くなったといえば、「岬めぐり」の歌詞に出てくる「あなたがいつか話してくれた」の「あなた」は死んでしまったのかどうか? さらに疑問はめぐりめぐる。 |
◆ 画家・斎藤真一、1922(大正11)年、岡山県児島郡味野町に生まれる。味野町はその後、1948(昭和23)年、児玉市味野に、さらに、1967(昭和42)年、倉敷市児島味野に。 ◇ 山陽線の岡山駅で宇野線に乗り換えると、急に車中の人の言葉が変ってくる。まったくの岡山弁である。岡山に二十年住んで、岡山を離れてまた二十年、故里を離れるたびにも帰郷のたびにも、その懐かしさは言葉では言いあらわせない。宇野線沿いの、広々とした藤田新田を車窓に眺め、岡山から四つめの駅、茶屋町で下車、陸橋を渡って下津井線のコッペルに乗り換える。この鉄道がまた懐かしい。線路は本線よりもずっと狭く、車輌は二つか三つ繋がったマッチ箱のようで、長い煙突のついた蒸気機関車がそれをひっぱる。茶屋町から下津井まで片道六里、私の生ま故郷は下津井の一つ手前、味野というところである。 ◇ 汽車は猫のひたいのような盆地の間を縫うように走って、線路の音が座席のうす板をとうしてカタカタと頭にひびく。機関車は古くて小さいがクラウスと言って、馬力だけはあった。大正の初年開通当時ドイツから買ったもので当時は自慢の一つであったが、私の中学時代、暴風雨の或る日、山の登りカーブで煙突が落ちて、車中の通学生がみんなで谷を探しまわったことがあった。登り坂では焼玉のようになって火の粉を吹き上げるこの煙突もついにこと切れた感じであった。 ◆ 下津井線とは、下津井軽便鉄道(のちに下津井鉄道、さらに下津井電鉄に社名変更)のこと。《Wikipedia》によると、
◆ 上記引用中の「陸橋を渡って下津井線のコッペルに乗り換える」と「機関車は古くて小さいがクラウスと言って」の、コッペルとクラウス。どちらもドイツの機関車製造メーカーだが、下津井鉄道にコッペル製蒸気機関車が在籍していたという記録は見当たらない。軽便鉄道のことを「コッペル」と呼ぶ習慣があったのかもしれない。クラウス製蒸気機関車は、《下津井電鉄株式会社:歴史資料館》に、写真があった。
◆ 細長い煙突の蒸気機関車にマッチ箱のような客車。いかにも「汽車ポッポ」という感じだ(一瞬、鳩ポッポが頭をよぎる)。機関車の煙突がとれてしまって、乗客みんなで探しまわったというエピソードが微笑ましい。マッチ箱のような客車はもうない。マッチ箱そのものもあまり見かけなくなった。 |
◆ ちょっと前に、ブックオフで、司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズの文庫本を10冊買ったときのこと。そのうちの9冊は100円の特価本だったが、のこりの1冊は定価の半額に近い250円だった。まとめて10冊をレジに出すと、ごく自然にすべて100円になった。店員が250円の値札を見落としたわけではない。店員はすべての値札をきちんと確かめたうえで、250円の値札が貼られた1冊を示し、 ◇ 「これは、100円のシールがはがれてしまったみたいですね」 ◆ とていねいに言った。ワタシはなにも言わなかった。それで、すべてが100円になった。 |
◆ 東京スポーツの 《「公衆便所」は女性蔑視?》という記事(一部省略)。 ◇ 〔東京スポーツ:2010年03月04日〕 日本が誇る世界のアスリート北島康介の出身地として知られる東京・荒川区で、なんとも珍妙な「トイレ論争」が勃発、関係者は大マジで激論を戦わせている。「公衆便所」の4文字が不潔なイメージだとして、呼称を「公衆トイレ」に変更する条例案が提出されたのが事の発端。紛糾する区議会では、アングラな女性蔑視用語が飛び出すトンデモ事態にまで発展している。 ◆ 「東スポ」とはいえ、いろいろと(内容も文章も)おもしろい。まず、荒川区の「枕詞」として「日本が誇る世界のアスリート北島康介の出身地として知られる」か、なるほど。たしかに、 ◇ 荒川区で真っ先に思い浮かぶものがありません。「荒川区といえば○○○」というものを作ることが大事なのでは ◆ という意見もあって、そういえばそうだな、と思え、「世界の北島」が生まれなかったら、冒頭の文章はどうなっていたのかが気になりもする。 ◇ 荒川区の観光資源といえば、あらかわ遊園、都電、日暮里繊維街等である。 ◆ ううん、なんとも地味である。ということであれば、やはりしばらくは「世界の北島」に頼っておくのが無難というものだろうか(有効期限はいつまでだろう)。架空の人物でよければ、「巨人の星」の星一家が住んでいた長屋は荒川区内という設定らしい。永遠に生き続けることを宿命づけられた星一徹・飛雄馬親子のほうが、生身の人間よりは評価が安定しているように思えるけれども、これもどうだかわからない。すでに有効期限が切れているかもしれない。 ◇ アニメ版において星一徹宛ての郵便物に「荒川区町屋9-16」という宛て先が示されていた。ただし、町屋は8丁目までしかなく、9-16は架空の地。泪橋も飛雄馬親子のランニングシーンに登場する。 ![]() ![]() ![]() ◆ 町屋からは都電荒川線に乗って終点の三ノ輪橋電停で降り、浄閑寺あたりを抜けてぶらぶら歩けば、15分ほどで、泪橋交差点に着く。泪橋といえば、「あしたのジョー」にも登場するが(というか、こちらのほうが有名だが)、とうの昔に橋はなく、明治通りの交差点名としてのみその名を残す。岡林信康の「山谷ブルース」で知られる日雇い労働者の街、山谷はこの辺り。 ◇ 泪橋(台東区・荒川区境)はかつて江戸の境界で、近くに小塚原刑場や遊女の投込み寺(浄閑寺)があった。また、山谷地域西南部の近隣には、ソープランド街である吉原(ここも1966年の住居表示制度の実施により、正式地名としては消滅。現在は台東区千束の一部)がある。
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◆ 「芋は哀し」で引用した塚本邦雄の文章をもう一度引用すると、 ◇ 平凡なシルーエットは大嫌いだ。たとえば世界地図を展げるなら、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、マダガスカル等、芋を転がしたような単純で鈍重な形象には全く興味を持たず、鼠に噛まれる窮猫の形のセレベス、毒を吐く蜥蜴の形のパプア、毀れたギヤマンの瓶と甕をばら撒いたかのフィリッピン群島各島、日本でなら乾鱏の北海道など面白いものに属し、自分の地図にも大いに採り入れた。〔原文は旧字旧仮名〕
◇ 〔ウェブシティさっぽろ:カスベ(ガンギエイ)〕 カスベというのは一般的にガンギエイの地方名とされています。北海道では、ほぼ一年中漁獲されています。漁獲量が増えるのは冬で、春の産卵期を前に脂がのります。札幌に住む私たちにとって、カスベはなじみの深い魚で、人によっていろいろいな食べ方や思い出があります。 ◇ カスベと聞いて北海道の人でも知らない人がいる。カスベはガンギエイ科のエイの一種で、北海道ではメガネカスベ(本カスベ又は真カスベ)とドブカスベ(水カスベ)が食用とされている。食用とは言ってもヒレ部分だけが水揚げされ、他の部分は海上で投棄されている。そのエイのヒレ部分を砂糖醤油で煮たものが「カスベの煮付け」である。
◇ まずは北海道ではエイ(魚)を食すとの事。地元では「カスベ」と呼ばれている、ガンギエイというエイらしい。バラエティ故、仕方がないのであるが、エイを食べると聞いたときの出演者の反応が異常ってか、騒ぎ過ぎ。(笑) 〔中略〕 面白かったのは、エイを食べることよりも、カスベを食べている人たちが、エイだとは知らなかった事。魚そのものを見せられても、それが何の魚なのかわからないという人がニュースになった時代から数年が経ちますが、高齢者と言われる年齢の人までが、それがエイだと知らなかったのには驚き。逆に言えば、それだけ昔から「カスベ」として食べられているということでしょう。テレビでは魚屋さんの店頭にエイが一匹まるまま並んでいるのが映ってましたが、エイだと知らないということは昔から切り身で売っていたのでしょうか? ◆ カスベのヒレだけしか目にしないひとは、残念ながら、北海道の形に似ていると思うことはできない。 ◇ ”かすべ”とは、”えいひれ”のことです。えいひれとは言っても、居酒屋さんにある、アタリメのような炙って食べるおつまみではありません。最近は、スーパーでもたまに見かけるようになりましたよね。 ◆ カスベ=エイヒレだと思っているひとも多いようだ。まあ、食べるだけなら問題はないが、カスベはエイだがヒレではない。正確には、カスベヒレと言うべきだろう。いずれにしても、食べているひとには、その部分が宗谷岬か襟裳岬の区別はつかない。大雪山はそこにはない。カスベと北海道の形の類似に言及しているひとがいないわけではない。 ◇ 〔丸鮮千代水産(札幌二条市場)〕 北方のガンギエイ科に属するエイをカスベと呼びます。ちょっと北海道にも似たひし形のひらぺったい体で、口の先にはとんがった吻がついています。成長すると1mにもなるそうです。 ◇ 北海道の形してる魚。カスベ。 ◆ そのひとりが、なんと加藤登紀子だった。 |
◇ 〔珍獣の食卓〕 カスベといえば、何かの本で北海道を「カスベの形をした土地」だと表現しているのを見たことがあります。前々から、北海道は生き物っぽい形をしていると思っていたのでやっぱりねーと感心しまくり。函館があるあたりが尾ヒレで積丹と室蘭のあたりが尻ビレ。ガンギエイにはないけど、イトマキエイだと頭に小さなヒレがあって角みたいに突き出してるから、これが羅臼と根室のあたりでしょ。もうピッタリ、エイの形そっくり。 ◆ イトマキエイの画像は長崎大学附属図書館が電子化した《グラバー図譜》から。萩原魚仙画。腹面からの図もある。 ◇ 〔グラバー図譜〕 グラバー図譜は通称で、正式な名称は「Fishes of Southern and Western Japan 日本西部及び南部魚類図譜」と言います。これらの図譜は、明治末から昭和初期の約25年間の間に、倉場富三郎(Thomas Albert Glover)により編纂されたもので、中村三郎などの手による主として海産の魚介類約800図、全32集から構成されています。 ◆ グラバー邸で有名なトーマス・ブレーク・グラバー(Thomas Blake Glover)の息子が、倉場富三郎。母親は日本人。イトマキエイ(Mobula japanica)に戻って、知床半島と根室半島のふたつの突起は、耳ではなくてヒレで、頭鰭(とうき・あたまびれ)という。 ◇ 頭部前端の左右にコウモリの耳のような形のひれ(頭鰭(とうき))があり,これが糸巻を連想させることに由来した名称。胸びれを広げたときの形から英名は devil fish または devil ray という。南日本の沿岸や沖合に生息し,南はハワイまで分布する。頭鰭をもつこと以外に,尾部がむち状でたいへんに長く,体板の3倍以上あるのが特徴。尾部には毒針があるが小さい。体板長2.5mに達する。〔中略〕 イトマキエイは食用とされず,せいぜい肥料に利用されるくらいである。(谷内透) ◇ 〔グラバー図譜〕 長崎魚市には東シナ海で操業する大型巻網でアジ、サバ類にまじってとれたものがときどき入荷し、クロエイ、バンゾエなどの方言で呼ばれている。肉は食用になるが不味で、かまぼこ材料として用いられている。 ◆ 不味いのか。でも、知らずにかまぼことして食べているかも。
◇ 球団創設は1998年。アリゾナ・ダイヤモンドバックスと共に、球団拡張(エクスパンション)の一環として「タンパベイ・デビルレイズ」として誕生した。この「デビルレイズ」という愛称は、フロリダ湾に多く棲息するイトマキエイに由来する。〔中略〕 デビルレイズ時代の10年間の通算成績は645勝972敗(勝率.399)で、2004年の地区4位以外は球団創設からすべてのシーズンで地区最下位だった。勝ち越したシーズンすら一度もなく、シーズン70勝に達したのも2004年のみだった(同時期に創設されたダイヤモンドバックスは創設翌年に地区優勝を果たし、2001年にはワールドチャンピオンにも輝いている)。 ◆ 悪魔に呪われているせいだと思ったのかどうか、2008年、 ◇ 愛称から「Devil」の文字を取り、「タンパベイ・レイズ」と改称された。球団シンボルは、同じく「Ray」だが、これまで同様エイとともに光線も意味するものに変わった。 ◆ すると、同年、悪魔祓いが功を奏したのか、 ◇ 球団創設11年目で初の地区優勝・リーグ優勝を達成し、ワールドシリーズにまで進出。アメリカ全土に「レイズ旋風」を巻き起こす大躍進を遂げた。 ◆ なんともできすぎたハナシではある。イトマキエイといえば、近縁種に、ダイバーに人気の「マンタ」ことオニイトマキエイがいる。いずれにしても、イトマキエイは南方の魚だから、北海道にはあまり似合わないか。シッポもあまりに長くて細すぎる。 |
◆ 「芋は哀し」で引用した塚本邦雄の文章を、さらにもう一度引用すると、 ◇ 平凡なシルーエットは大嫌いだ。たとえば世界地図を展げるなら、ボルネオ、スマトラ、ジャワ、マダガスカル等、芋を転がしたような単純で鈍重な形象には全く興味を持たず、鼠に噛まれる窮猫の形のセレベス、毒を吐く蜥蜴の形のパプア、毀れたギヤマンの瓶と甕をばら撒いたかのフィリッピン群島各島、日本でなら乾鱏の北海道など面白いものに属し、自分の地図にも大いに採り入れた。〔原文は旧字旧仮名〕 ◆ ここに挙げられた島の名前は、北海道をのぞいてワタシにはなじみがなく、その形をはっきりとイメージすることができないものばかりだけれど、「鼠に噛まれる窮猫の形」とか「毒を吐く蜥蜴の形」と書いてあるのを読むと、どうにもその形を確かめたくなる。こんなことをしていると、時間がいくらあっても足りなくなって、図書館の返却期限に遅れてしまう。
◆ 見立ての初心者は、この島の形を「K」に例える。これならわかりやすい。 ◇ インドネシア中部に位置するK字形の島。 ◆ また、シバ神が手にする「三叉戟」(trident)にも例えられる。これは中級だろうか。フランス語版の Wikipédia によると、
◆ セレベス、セレベスと書いてきたが、現在はスラウェシと書くのが「政治的に正しい」行為である。とはいえ、スラウェシという名をいままで知らなかったのだから仕方がない。いま日本でセレベスといえば、芋のことだろうか? ◇ 〔野菜図鑑〕 セレベス(Celebes)は、サトイモ(里芋)の仲間のサトイモ目サトイモ科サトイモ属(コロカシア属)の非耐寒性イモ類です。インドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)から伝来したサトイモの一種で、千葉が主要な産地となっており早生栽培されます。 ◆ セレベス芋! ああ、今度は島の形が、芋に見えてきた。親芋に小芋が4つ! |
♪ はるかな はるかな見知らぬ国へ ◆ 殺風景な部屋の壁に世界地図でも貼ってみようか。 ◇ そもそも島は地図に描きやすいし、その意欲を強く掻き立てるものだろう。私の個人史を振り返っても、奥尻島、知夫里島、真鍋島などで、気が付いたら地図づくりに励んでいた。もっとも、島では、ほかに何もすることがなかったからだが……。 ◆ 旅行の嫌いだった塚本邦雄は自室で空想の島の地図を描き、旅好きな木下直之は島に遊んで現地でその島の地図を描いた。ううん、ワタシの「個人史」に、島の地図を描いたというページは、残念ながら、ないなあ。ときに、おもしろいなと思う島の形にも出会うけれど、思うだけなので、すぐに忘れてしまう。ところで、奥尻島が北海道にあるのは知っているけど、知夫里島、それから真鍋島というのは、いったいどこにあるのだろう。 |
ゴメゴメと声高らかに歌う子も
◇ 〔石狩市:市鳥《カモメ(ゴメ)》〕 カモメは、魚の群れを追って海上を優美な姿で群れ飛ぶ海鳥です。80キロメートルにも及ぶ美しい海岸線を持つ私たちのまちでは、一年中この白く輝きながら飛ぶ数種類のカモメの姿を目にすることができます。漁師達は、カモメ(類)のことを親しみを込めてゴメと呼びます。ニシン漁の盛んだった頃は、歌にあるように、ゴメが鳴き騒ぐ場所を目印にして網をかけたといわれています。 ◆ ゴメとは北海道の浜言葉でカモメのこと。そう書いても間違いではなさそうだが、カモメにもいろいろな種類がいるので、そこまで考え始めるとよくわからなくなる。 ◇ 「鴎が凄いね」と私が言うと、
♪ 海猫(ごめ)が鳴くから ニシンが来ると ◆ ネット上で「ゴメ(ウミネコ)」と書かれた紀行文も多く目にしたが、ほとんどが「石狩挽歌」の影響によるものではないかと思う。 ◇ 〔アクティブレンジャー日記(北海道地区・賀勢朗子 )〕 稚内市周辺では夏の間では、ウミネコやオオセグロカモメが多く見られるのですが、冬期には主にオオセグロカモメ、ワシカモメ、シロカモメ、ミツユビカモメが見られるようになります。体の配色パターンが似通っていて識別しづらいからか、港周辺ではあまりに普通に見られるためか、一緒くたに「ゴメ」と呼ばれているカモメ類はちょっとかわいそうです。 ◆ ネット上で見たかぎりでは、ウミネコを含めたカモメの類はみな「一緒くたに」ゴメと呼ぶのが一般的であるような気がする。ゴメとはアイヌ語でカモメのことだと書いてあるサイトもあったが、アイヌ語ではなさそうだ。 ◇ カモメが訛って「カゴメ」、さらに縮めて「ゴメ」。 ◆ もっとも、 ◇ 和名は幼鳥の斑紋が籠の目(かごめ→カモメ)のように見える事が由来とされる。 ◆ という説もある。いずれにしても、カゴメ(カモメ)がゴメになったのだろう。 |
◆ 《Yahoo!知恵袋》にこんな質問。 ◇ 「かもめ」と「ウミネコ」の違いは何ですか? 松島を世界遺産にしようとの活動があるそうですが、松島の遊覧船に乗ると「ウミネコ」か「かもめ」が山ほど寄ってきます。 ◆ 「ウミネコ」と「かもめ」の違い? もしかして、「カタカナ」と「ひらがな」? これが小学校の理科のテストであったら、こう答えると何点もらえるか? やっぱり零点か? この質問者が「ウミネコ」と「かもめ」で「カタカナ」と「ひらがな」を使い分けている理由はなんだろう? おそらく本人に聞いてもわからないだろう。 ◆ 「かもめ」あるいは「ウミネコ」を市町村の「鳥」に定めている自治体も多い。そのひとつに熊本県天草市。市の鳥は「ひらがな」で「かもめ」。 ◇ 海岸などに生息する飛翔力の強い鳥で、体は白色、背・翼は青灰色。魚の水揚げをする港などで、よく見ることができます。海をイメージさせるため、海に囲まれた天草を象徴する鳥です。 ◆ 以下は、「市の鳥」を決定するにあたって、「平成20年11月4日(金)」に「天草市役所庁議室」で開催された「第5回市民憲章等審議会」の会議録の一部。 ◇ 【天草市の鳥「かもめ」の表示方法について】 ◆ ちなみに、天草「市の魚」は「鯛」と漢字表記になっていて、これが、 ◇ (委員)○「たい」は魚の王様であるため、格調の高さを感じさせる漢字表示が良い。 ◆ といった理由によるものであるのだとすれば、「かもめ」はヘソを曲げるかもしれない。あ、鳥にヘソはないと思うので、……、ううん、なんだろ、怒って「鯛」を食べちゃうかもしれない。「オレらだって、海鳥の王様みたいなもんだ。バカでかいアホウドリは阿呆だし。ぜひ漢字で「鴎」にしてほしい、いや、この「鴎」という字体は気に入らないので、ぜひ「鷗」にしてもらいたい。さもなきゃ、魚をぜんぶ食っちゃうぞ」と言ったかどうか。 ◆ もっと、ヘソを曲げているのは、ウミネコだろう。いや、猫にはヘソがあるはずだが見たことはない(見たことある?)。いやいや、海猫は猫ではなくて鳥なので、ヘソはない。「市の鳥が『かもめ』に決まったって? 『かもめ』といったって、いろいろいるわな。そんなかで一番めだっているのが、オレたちじゃないか。なんで市の鳥を『ウミネコ』にしないんだ。魚をぜんぶ食っちゃうぞ。ついでに、ほかの『かもめ』も食っちゃうぞ」と言ったかどうか。 ◆ 天草市に行ったことはないので、どんな「かもめ」がいるのかホントはしらない。でも、「ウミネコ」が多いんじゃないの? ああ、猫のヘソが見たい。 |
◇ 〔はてなキーワード〕 岩手県のお菓子メーカー、さいとう製菓が販売しているお菓子。岩手土産として非常に美味だが、近年では全国のスーパーマーケットで販売されるため多くの人が知っている。全国的に類似品が多いお菓子の一つである。 ◇ 〔Wikipedia〕 岩手のお土産の定番であったが、コンビニで売られるなど全国展開した結果、県内の売り上げは激減。現在は県内限定での季節商品が販売されている。季節によって限定の味がある。 ◇ 〔さいとう製菓〕 大船渡の小さな菓子店だった「齊藤菓子店」が昭和二十七年に開発を始め、いまや東北を代表する銘菓に成長した「かもめの玉子」。 ◆ 《さいとう製菓:銘菓誕生物語~かもめの玉子誕生秘話~》によると、 ◇ 知恵をしぼり、そして思いついたのが、観光みやげとしてのお菓子でした。俊雄は三陸の美しい海をもつ観光地大船渡の魅力は何だろうかと思案しました。思い浮かんだのは、青い海原の上を颯爽(さっそう)と飛ぶカモメの姿でした。そしてすぐに、「鴎の玉子」「沖のかもめ」「五葉松」「うにの子」と、一挙に5つもの商品名を考えついたのです。俊雄はさっそく「鴎の玉子」(のち平成11年に「かもめの玉子」と改称)の商品化に取りかかりました。昭和26年のことです。 ◆ もし、このとき「俊雄」が思い浮かべたのが「うみねこの玉子」だったなら、どうなっていただろう? ◇ ちなみに、大船渡湾にはたくさんの「うみねこ」はいますが「かもめ」はほとんどいないそうですが、かもめはいなくても、三陸海岸らしさを表現するさいとう製菓の銘菓「かもめの玉子」の名前は「うみねこの玉子」よりも「かもめの玉子」がいいですね。 ◆ どうなんだろう、よくわからない。「全国的に類似品が多い」ということらしいから、おそらく「うみねこの玉子」もどこかにあるのだろう。 ◆ 「ねこのたまご」ならご存知の方も多いだろう。「ねこたま」こと、北海道釧路市・松竹屋製菓の「ねこのたまご」。 ◇ 〔All About〕 東京のとあるコンビニエンスストアで「ねこのたまご」という一風変わった商品が並んでいます。手にとってレジで精算を済ませ、中身を確認するとそれは大福のような生菓子。ひとくち口に運ぶと外のモチっとした食感の次にふんわりとしたレアチーズの甘みを抑えた上品な味が舌を楽しませてくれます。製造元である松竹屋製菓のサイトを訪れると「ねこのたまご」は今回購入したレアチーズだけでなく、十勝ワインや古川さんの馬鈴薯、苺みるくなど実に21種類。味もバラエティに富んでいます。そもそもなぜこのような商品に「ねこのたまご」という奇抜な名前をつけたのか? ◆ ワタシもそのネーミングの由来が知りたくて、松竹屋製菓のサイトを訪れると…… ◇ このプログラムではこの Web ページを表示できません ◆ どうやら、去年の7月に自己破産したらしい。 ◇ さて、ねこたまで有名な「㈲松竹屋製菓」は7月6日に自己破産しました。つまり「ねこたま」は食べられなくなりました。地元で全国的に有名な企業が倒産するのは非常に寂しいものです。潰れる前にもう一度食べたかったです(>_<) ◆ 「ねこのたまご」の由来は、 ◇ モデルになったのは猫の「パセリ」(女の子)。他界した「パセリ」が大好きなテニスボールを抱いている写真をみて、卵を抱いているように見え、ネーミングを思いつきました。「ねこのたまご」を親しみを込めて「ねこたま」と呼んでくださいね! ◆ ということであったらしいのだが。「ねこたま」も「パセリ」と同じ天国へ行ってしまった。 |