MEMORANDUM
2006年12月


◆ 11月28日、三の酉の日。車椅子のKさんと浅草田圃の鷲神社の酉の市を見に行った。と書くとやや正確さに欠ける。そもそもKさんの住まいが鷲神社のすぐとなりなので、窓を開ければ露店の喧騒が聞こえ、ベランダに出れば熊手を手にした人たちの雑踏が見え、また縁日特有のさまざまなにおいがする。だから、見に「行く」というほどのことでもない。とりあえず神社で縁起物の熊手の一番ちいさいのを買って、しばらく延々と続く露店を冷やかして歩いた。そのなかにカルメ焼きの店があった。ちょっと珍しいと思ったので、ひとつ買って帰った。

◆ 実は、このカルメ焼きなるもの、ワタシは食べたことがない。さだまさしの「木根川橋」という歌で、その名前を聞いたことがあるだけだ。

♪ もんじゃ焼きのコツ 忘れちゃいませんよ
  カルメ焼き冷やすより易しかったもの

  さだまさし 「木根川橋」(作詞:さだまさし)

◆ ついでに、もんじゃ焼きの方も東京に来るまでは食べたことなかったし、そのコツもいまだに会得していない。で、このカルメ焼きは地方によってはカルメラ焼きともいうらしい。

◇ 戦後の物資欠乏のおり、なぜかキザラ(ザラメの砂糖)が配給になっていました。台所にあるお玉杓子にキザラを入れ少しの水を差します。炭火の七輪にかけてよくかき混ぜて飴状になったら火から下ろし、割り箸に重曹を少しつけすばやくかき混ぜます。うまく膨らんだらもう一度軽く火にかけお玉を裏返しにしてポンとはずします。うまく行くと大きく膨らみ甘くてさくさくした食感のおいしいカルメラ焼きが出来あがります。先日、人形町(東京)水天宮門前の駄菓子屋さんできれいに焼きあがったカルメラ焼を見つけました。子供の頃カルメラ作りの名人と褒められていたことを思い出しながらカルメラ焼に挑戦してみましたが一個もうまく膨らみませんでした。
www2s.biglobe.ne.jp/~tkame/newpage8.html

◆ なるほど、きれいに作るにはかなりの熟練が必要なようだ。また、宮沢賢治はカルメ焼きのことを「カリメラ」と書いている。

◇  ひとりの子供が、赤い毛布(けつと)にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾(すそ)を、せかせかうちの方へ急いで居りました。
(そら、新聞紙(しんぶんがみ)を尖(とが)つたかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。ぼくはカリメラ鍋(なべ)に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。) ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。

宮沢賢治 『水仙月の四日』(青空文庫

◆ そうそう、買って帰ったカルメ焼き、けっきょく食べることができませんでした。なぜって、Kさんが食べたそうにしてたから。その代わり、Kさんのカルメ焼きの思い出話をたくさん・・・。

♪ 愛したらなんでも手に入る気がする
  今は世界中が箱庭みたい

  松任谷由実 「手のひらの東京タワー」(作詞:松任谷由実)

◆ 先日のこと。地下鉄の都営大江戸線を赤羽橋で降りて、地上へと向かうエスカレーターに乗ると、前には修学旅行らしい制服姿の中学生の男女が五六人。地上に出たとき、そのなかの女の子がそうにこう言った。

◇ 「わたし、東京タワー見るの初めて!」

◆ 初めて東京タワーを見るのに、このシチュエーションは悪くない。なにぶん東京タワーは高いものだから、ある程度の地点にいれば見る気がなくても目に入ってしまう。遠くから東京タワーを眺めて、それでも東京ワターを見たことには変わりないだろうけれど、それではすこし悲しい。東京タワーがまだ見えない場所から地下鉄に乗って、東京タワーがそそり立つその脚元まで一気に近づいてから、地上に出る。初めて見る東京タワーはこんなにも大きい!

◆ 先日の先日、虎ノ門にできた新しいタワーマンションの36階から、星屑のような無数のビルの明かりとともに、東京ワターがひときわキレイに浮かんで見えた。

◆ そういえば、2011(平成23)年には、こんな高さ約610メートルの新東京タワーが墨田区にできる予定なのだった。〔画像は東武鉄道・新東京タワー提供〕
www.tobu.co.jp/news/2006/11/061124.pdf

◆ 以下、おまけ。冒頭に引用したユーミンの「手のひらの東京タワー」は『昨晩お会いしましょう』というアルバムに収められていて、歌詞を確認するために、このアルバムの歌詞カードを見ていたら(ホントはネットで調べただけだが)、別の曲の歌詞をまったくカン違いして覚えていたことに初めて気がついた。それは「タワー・サイド・メモリー」の次の箇所。

♪ 霧雨に誘われてタワーサイドに出れば
  最終モノレールが東の空を流れ

◆ この「最終モノレールが」という部分をワタシはずっと「最終も乗れるが」だとばっかり思い込んでいた。「最終電車にはまだ間に合うけれど、電車に乗るのは止めて、一晩中ここにいたい」といった意味なのだろうと思っていた。それでは次の「東の空を流れ」の部分とうまくつながらないはずだが、なんとなくわかった気になっていたのだから、おそろしい。

◆ たまたま 「だぼはぜ」 という店の前を通りかかって、「だぼはぜ」 とはなんだろうと思った。「だぼはぜ」 というコトバを知らないわけではない。かといって、「だぼはぜ」 について明確に何かを知っているわけでもない。

◇ ―― ダボハゼってなんだ?どっかの方言?
―― 「だぼはぜ」 は勝鬨橋のそばにある立飲み屋の名店。

music.2ch.net/classical/kako/1018/10188/1018850180.html

◆ でも、勝鬨橋そばの立飲み屋 「だぼはぜ」 にはもう入れない。

◇ そのだぼはぜ、もうすぐ閉店してしまうのだそうだ。とにかく値段がリーズナブルでうまいのになぁ。さかな系はめっちゃ新鮮で、そのへんのすし屋行くよりずっとすばらしい。いいお店だなあ。閉店したら、マスターの奥さんの故郷、新潟に戻ってお店を開くのだそうだ。新潟のみなさん、だぼはぜをよろしく!!
blog.sotokoto.net/sotokoto/2004/12/post_1e33.html

◆ なるほど。それなら一度くらい入ってみたかった、とも思ったが、この店の存在を知ったときにはもう店をたたんでいたのだから、どうしようもない。勝鬨橋の立飲み屋はさておき、「だぼはぜ」 とは何か?

だぼはぜだぼ鯊】 小形のハゼ類の俗称。関東・東海地方では、河口付近にすむチチブをさすことが多いが、ドロメ・アゴハゼ・ヨシノボリなどをいうこともある。地方により、ゴリまたはドンコとも呼ぶ。簡単にいくらでも釣れる下らない小魚というほどの意で、軽んじて呼ばれる。佃煮(つくだに)にして食用とする。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 「簡単にいくらでも釣れる下らない小魚というほどの意」とは、辞書の定義としてはかなり手を抜いた表現ではないだろうか? 「いうほどの」 なんてコトバを安易に使用してもらっては困る。そもそも 「だぼ」 とは何なのか?

◇ だぼハゼは、辞書にのっていますが、だぼはのっていません。だぼって方言ですか?
chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=7152458

◆ こんな質問があって、こんな回答がある。

◇ だぼハゼ=(何でも食いついて、誰にでも釣れる魚です。小さいハゼ類を軽んじた呼び方。だぼ・あほ、ばか、の意味ですね。方言のようです。
Ibid.

◆ 回答者もよくわかっているようには思えない。

◇ だぼ 「アホ」 の意味。主に神戸・播磨地方で使われる。
www2g.biglobe.ne.jp/~gomma/ajiten.html

◇ 私は、神戸生まれなので、小さい時は 「だぼ」 である。ところが、大阪の祖父がこれを聞いて 「なんと汚い言葉か」 と憤慨していたと母から聞いた。「だぼ」 はおそらく 「どあほ」 のなまったもので、耳に汚く響くのだろうなどと勝手に解釈していた。
www.kyoto-su.ac.jp/~nadamoto/work/199406.htm

◇ 播磨の方言が嫌な感じを与えることはありませんでした。「だぼ」 など汚い言葉は使いませんが、播州弁を使うことにためらった事は一度もありません。
www.kobe-np.co.jp/chiiki/rensai/200401talk/09.html

◆ 神戸・播磨地方には 「だぼ」 という方言があって、「アホ」 「バカ」 といった意味であることは確かなようだけれども、それが 「だぼはぜ」 の 「だぼ」 なのかどうかはワタシにはわからない。一地方の方言が全国的に普及したのだとすれば、その理由は何なのか? まあ、こんなことは詳しい辞典を参照すればすぐ解明できるのかもしれないが、あいにく手元にない。

◆ 語源など知らなくても、「だぼはぜ」 は元気にあちこちのサイトを泳ぎ回っている。

◇ 前日、「だばはぜの会」 に参加しました。いろんな業種のかたの交流会です。だぼはぜとは、魚の名前で、針を食らえ付いたら、はなさいそうです。経営にも、この 「くらい付いて離さない・・・」、これが大事と先輩の社長が離されていました。
kawashima-y.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/__a481.html

◇ その日、石井先生は、喫茶店のルオー(現在は画廊になっている)の前で足を止め、「夕食の時間だし、カレーを食べませんか」 とおっしゃった。どんな餌でも食らいついてくる 「だぼはぜ」 状態だった僕は、少し遠慮しつつも、お言葉に甘えることになった。
www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/curry.htm

◇ 【だぼはぜ】 何にでも喰いつく雑食性の、技科大生を指す(句点の位置に注意)。ゲテモノ好みという言いかたもある。技科大生は、女性に対する耐性が低いため、びっくりするような女性とつきあていたりする。
cclub.cc.tut.ac.jp/lib/gikajiten/

◇ 東浦町は年の歴史の中で、国・県のさまざまな制度を利活用して 「町づくり」 を進めてきました。町職員のある人は、私のことを 「だぼはぜ」 だと県の人が言っていると聞かされました。何でも飛びつく男という意味だそうです。多くの方々のおかげで東浦町ができ、そして淡路市に引き継がれるわけです。心から感謝申し上げ、すばらしい市になることを願って筆を置きます。
www.city.awaji.hyogo.jp/higashiura/tyoutyou_memo/16nendo/memo1703.htm

◇ 武部の次男がやばい事業に手を出して会社をこかしてしまい、武部が必死に尻ぬぐいしていたのは事実である。その弱みにつけ込んで堀江は自民党にラブコールを送った、それが衆議院選挙出馬である。武部堀江が提示し金に目がくらんでだぼはぜのように食らいついたのかもしれない。
blogs.yahoo.co.jp/warabidani/27263544.html

◇ 【ダボハゼ投資家】 材料などに無節操に飛びつき、いつも損をするダメな投資家のこと。魚のダボハゼはなんにでも食らいつき、ときには釣り針にエサがなくても食らいつくといわれる。ダボハゼは 「主体性がなく」 「判断が場当たり的」 という意味の蔑称として使われるが、株式市場では極めてまともな常識を持った人までがそういう行動を取る。それだけ値動きというものは激しく、錯覚に陥ることが普通の心理であることが理解できる。
www.h-iro.co.jp/yougo/yougo.cgi?cmd=show&id=286

◆ こう並べてみると、「だぼはぜ」 というコトバを使うひとの文章には(ワタシを含めて)どれも、心なしか、やや妙なところがあるような気がする。やはり 「だぼはぜ」 だからだろうか?

◇ T字路(ティーじろ)は、道がアルファベットのTの形のように枝分かれしている交差点である。本来の名前は 「丁字路(ていじろ)」 であり、法律用語としてもこちらが正しいが、「丁」 の字の発音、字形ともにアルファベットのTに似ているため混同され、現在 「T字路」 の方が一般的である。道路標示はT字型の白線で描かれる。似たものに、Y字路がある。
ja.wikipedia.org/wiki/T字路

◆ T字路ではなくて、「似たもの」 のY字路。以前 「奇妙に魅力的な家」 というハナシを書いたときに、横尾忠則がY字路の連作を描いているのを知ったが、それがいまでは画集になっている。『横尾忠則 Y字路』(東方出版,2006)。とはいえ、この本、まだ見たことがない。なにせ5250円もする。てっとりばやく横尾忠則のY字路の作品をご覧になりたい向きには、コチラ が便利。便利などころか、「こんなにいっぱいネットで見せちゃっていいの?」 と心配になるくらいの大盤振る舞いである。この大盤振る舞いのページは、《ほぼ日刊イトイ新聞》 の 「Y字路談義。― 横尾忠則・タモリ・糸井重里が語る芸術? の付録のページ。その 「Y字路談義。」 のなかで、こんな会話が・・・、

横尾 〔・・・〕 ただ、Y字路そのものを好きっていう人は、会ったことがなかったなぁ。ぼくの作品を見て、興味を持ってくれる人はいるとしても、Y字路そのものを好きな人って、いるのかねぇ……。タモリさんみたいに、Y字が好きな人なんて、初めて聞いた。
糸井 いるんじゃないですか。独特の気持ち悪さがあるから……。心を騒がせるようなイヤな感じというか。
タモリ Y字って、実に奇妙なんですよ。妙な 「居心地の悪い気持ちよさ」 があるんだよね。

www.1101.com/yokoo_tamori/2004-07-12.html

◆ 「居心地の悪い気持ちよさ」、か。そんな気もする。

◇ 前にも書いたと思うけれど、私の調子の悪さのバロメーターは、改札口またはバスの乗降でマンションの鍵を取り出し、反対にマンションのドアの前でウイズユーカードを取り出すこと。今朝も、バスの中で鍵を取り出し、「これはまずいぞ!」 と気づいた。ともあれ、昨日は自宅で日本ハムの試合を観戦。首尾よく勝ったのだからご機嫌なのだけれど…。
wada.alicesha.co.jp/?eid=298939

◆ ちょっと前に、玄関のカギを閉めようとして、財布からなぜだか120円を出してしまったハナシを書いた(「としをとるのは」)。そのときは、その間違いを歳のせいだということにしたのだけれど、ほんとうは、こんな間違いは若いころからよくしでかしていたのだった。ただ、それをひとにいうのは、たんなるおバカさんだと思われそうで、遠慮していただけのこと。同じような間違いをするひとがほかにもいるとはゆめにも思わなかった。「調子の悪さのバロメーター」 か、これはまったくいい表現だな。

◆ 冒頭の文章を引用したのは、似たような間違いをするひとがいることを知ってただうれしかったからだが、それだけで終わるのもなんなので、べつなハナシにして続ける。

◆ たいていの場合、ネット上での出会いは自己紹介もなく唐突に始まる(出会い系のハナシではない)。ある個人の日記を、性別も年齢も住所も知ることなしに、いきなり読み始める。

◆ 冒頭の引用に戻って、「マンションのドアの前でウイズユーカードを取り出すこと」。「ウイズユーカード」 を知らないひとは、気にもとめないだろうけれど、知っているひとは、この文章を書いたひとは、札幌在住なのかと思う。「日本ハムの試合を観戦」 ということろで、間違いないぞと思う。この 「ウイズユーカード」、正式には 「共通ウィズユーカード」 というらしい(もともとあった 「ウィズユーカード」 と 「共通乗車カード」 を統合したため、さらに 「イ」 ではなく 「ィ」 )。

◇ ウィズユーカードとは、北海道札幌市内の複数の交通機関で利用できるプリペイドカードである。
ja.wikipedia.org/wiki/ウィズユーカード

◆ つぎは、ある病院ののサイトから。MRI検査を受けるときには、以下のものを 「身につけたり持ち込んだりできません」。

◇ 磁気カード:キャシュカード・テレホンカード・クレジットカード・ウイズユーカード・診療カードなど
www.jrsapporohosp.com/new_setsubi/setubi/MRI.html

◆ これも 「ウイズユーカード」 と記載されていることから、この病院が札幌のあることがわかる(札幌鉄道病院)。

◆ ウィズユーカードの画像を友人から送ってもらった。来年、「FISノルディックスキー世界選手権」 がアジアで初めて札幌で開催されるらしい。ウィズユーカードにはプレミアムがついている。10000円で、1500円分のプレミアム。たいへんお得。ワタシが日常使っているのは「パスネット」。

◇ 関東の私鉄各社で共通に使えるプリペイドカードです。発行元の鉄道会社によって名称が異なりますが共通に使えます。1,000円・3,000円・5,000円の各カードがありますが、おまけはびた一文ついていません。〔下線筆者〕
www.kenketsu.com/ken/k1333.html

◆ ああ、そうそう。冒頭の文章を書いたのは、札幌の出版社 《亜璃西社》 の代表、和田由美さんでした。

◆ 愛国学園という学校法人があるそうだ。愛国中学校、愛国高等学校、愛国学園大学附属龍ヶ崎高等学校、愛国学園大学附属四街道高等学校、愛国学園保育専門学校、愛国学園短期大学、愛国学園大学。あまり聞いたこともないので、どこにあるのかと思って調べてみると、愛国学園大学は千葉県四街道市、愛国高等学校は東京都江戸川区西小岩にあるらしい。《愛国学園大学》のサイトには少々驚いた。いまどきこんな「手作り」のホームページが大学の公式サイトだとは! いかにも作りがホームページビルダーっぽいと思って、ソースをのぞくと、ほんとにそうだった。

◇ <META name="GENERATOR" content="IBM WebSphere Studio Homepage Builder Version 8.0.0.0 for Windows">
www.aikoku-u.ac.jp/

◆ おそらくパソコン好きの職員でもつかまえて、「おまえ、ウチのホームページを作れ」とでも言ったのだろう。「ただし、金はあんまり出せん」。これでは、

◇ 開学以来定員割れが常態化しており、入試の倍率が1倍に満たない低倍率に悩む。
ja.wikipedia.org/wiki/愛国学園大学

◆ のも、無理はない。ついでに、愛国高等学校のサイトのソースものそくと、

◇ <META content="Microsoft FrontPage 4.0" name=GENERATOR>
www.aikokugakuen.ac.jp/senior-high/

◆ こちらは、Microsoft FrontPage 4.0。これまた、おそらくパソコン好きの職員をつかまえて・・・

◆ 愛国学園の理事長・学長であるらしい三浦亮一というひとは、自らの学園の「建学精神」についてこう書いている。

◇ 法、秩序を重んじ、礼儀正しく、公衆道徳を守り、人に迷惑をかけず自分の仕事に精を出し、進んで社会に奉仕する。このような愛と真を発露し、この美しい自分の国を更に一層美しくしてゆくことを生活の信条とする。私達はこれを正しい愛国心ととなえる。
www.aikokugakuen.ac.jp/senior-high/002-01.koukoukenngakuseisin.htm

◆ 「正しい愛国心」もいいけれど、もう少しホームページにお金をかけたほうがいいのでは、とよけいなおせっかい。

〔追記:2010/01/31 10:18〕◆ ホームページを久しぶりに訪問したら、ずいぶんと洗練されたデザインのサイトになっていた。

◆ 自分のアパートにはにはテレビがないので、テレビを見るのはきまって他人の部屋ということになって、他人のテレビの選局権がワタシにあるわけではないから、いつもテレビの所有者が選んだ番組をぼんやり見ている。ある日、そんなふうにしてテレビを見ていると、歌番組にチェリッシュが出ていた。チェリッシュのふたり(夫婦)もずいぶんと歳をとったものだと思った。松崎好孝、1949年11月1日生まれ。松崎悦子、1951年3月11日生まれ。

◆ はじめてのコンサートがチェリッシュだったような気がする。なに、親に連れられて行っただけだが、こどものころに憶えた歌の歌詞はなかなか忘れないもので、たとえば、「なのにあなたは京都へ行くの」の、

♪ なのにあなたは京都へ行くの
  京都の町はそれほどいいの
  この私の愛よりも

  (作詞:脇田なおみ,1971)

◆ 当時、京都の町に住んでいたこどものワタシにとって、この歌詞で歌われている京都の町というのはどこか別なところにある別の町のような気がしたものだった。また、たとえば、「だからわたしは北国へ」の、

♪ 朝はまだ眠ってる
  北国の静寂(しじま)の中をつきぬけて
  一番列車がいま走りぬける

  (作詞:林春生,1972)

◆「しじま」というムズカシイコトバを覚えたのはこの曲からだった。あるいはまた、「てんとう虫のサンバ」の、

♪ 照れてるあなたに虫たちが
  くちづけせよとはやしたて
  そっとあなたはくれました

  (作詞:さいとう大三,1973)

◆「くちづけ」というコトバがなんとも大人っぽくて、こどものワタシにはそれだけでじゅうぶんに刺激的だった。この「てんとう虫のサンバ」、かつては(あるいは今でも?)結婚式の定番ソングだった。

◇ とりあえずチェリッシュといったら「てんとう虫のサンバ」が有名ですが、あれって未だに結婚式でイマイチ派手じゃない女友達3人組とかが歌っているんでしょうか? たぶんもう過去形かと思いますが、あの曲ってのはカラオケ以前の結婚式定番曲で、無伴奏あるいはエレクトーンで「♪照れてるあなたに虫たちが 口づけせよと囃し立て」の「口づけせよと」の部分を何度も繰り返し、新郎新婦がキスをするまで延々繰り返すというのが昔懐かしい昭和の定番でした。
tisen.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/index.html

◇ 私がまだ小学生の頃、親戚の結婚式で、新郎の友人たちが「てんとう虫のサンバ」を唄い、「口づけせよとはやしたて~」の部分を何度も繰り返して、新郎新婦にキスをさせるという寒い&ベタな演出を見ていらい、自分は披露宴をしないことを固く心に決めました。
life.2ch.net/sousai/kako/992/992887003.html

◇「♪口づけせよとはやし立て、口づけせよとはやし立て……」
 まさにみんなにはやし立てられ、彼からそっと頬にキスをされた彼女はとてもうれしそうだった。

www.ognet.jp/honkan/essay/essay21.html

◇ それから、「てんとう虫のサンバ」を歌う余興があったんですが、かわいいダンスとともに、この歌詞の「口づけせよとはやしたて~」という歌の歌詞でストップ、その歌詞だけを何度も何度も繰り返し、新郎新婦にキスをさせるということで盛り上がってました。
ameblo.jp/acchan/entry-10005066141.html

◆ 歌詞が「くちづけ(口づけ)」となっているのに、地の文ではみんな「キス」と書いているのがちょっとおもしろい。

◇ あの瀬戸物はどこで出来るんだと博物の教師に聞いたら、あれは瀬戸物じゃありません、伊万里ですと云った。伊万里だって瀬戸物じゃないかと、云ったら、博物はえへへへへと笑っていた。あとで聞いてみたら、瀬戸で出来る焼物だから、瀬戸と云うのだそうだ。おれは江戸っ子だから、陶器の事を瀬戸物というのかと思っていた。
夏目漱石 『坊っちゃん』 (青空文庫

◆ 瀬戸といっても、瀬戸内海の瀬戸じゃないよ。念のため。

◇ 一般的には 「せともの」 や 「やきもの」 は 「陶磁器」 と同じ使われ方をする総称です。特に東日本では代表的な産地である愛知県瀬戸市の地名により古来から 「せともの」 と呼ばれています。西日本では同じ理由で 「からつもの」 と呼ばれることもあります。
www.mpstpc.pref.mie.jp/mag/back/14/020501.htm

◆ 瀬戸物と唐津物。ワタシが以前から疑問に思っていることがある。愛知の瀬戸のひとはセトモノのことをなんと呼び、佐賀県唐津のひとはカラツモノのことをなんと呼んでいるのか? たとえば、ラーメン。札幌でラーメン屋に入り、ラーメンを注文すれば、出てくるのが、ほかならぬ札幌ラーメンなので、それをわざわざ 「札幌ラーメン」 と注文するバカはいない。あるいは、日本酒。日本にいて、居酒屋に入り、酒と注文すれば、間違いなく(ビールやワインではなく)日本酒が出てくる。いや、これには例外があって、九州では焼酎が出てくるわけだが・・・

◇ 四十数年前、博多で酒を注文して、出された徳利の中身はなんと焼酎。友人の 「九州で酒と言えば、前日から水と馴染ませた焼酎を燗して出す。日本酒と注文すればお望みの酒が出てくる。」 との解説が懐かしいが、今では全国商品だ。
www.aikeikyo.com/employer/0409emp.html

◇ 九州で酒といえば、通常は焼酎のこと。「酒」 を注文して、あつかんを日本酒のつもりでグイッとあおってのけぞった経験がある。
www.iwate-np.co.jp/fudokei/f200604.htm

◆ (直前の引用は 『岩手日報』 のコラム 「風土計」 から。これまでにも、あれこれ検索していて、この地方紙のコラムに行き着くことが何度かあった。「グイッとあおってのけぞった」 などとコラムに書ける新聞も悪くはない。) とにかく、九州で酒を注文するときには注意が必要で、それを怠ると、

◇ 『お客さん、“酒をくれ”って言ったじゃないですか。清酒が飲みたいのならきちんと“清酒をくれ”って言ってくれなきゃ、あたしにゃわかりませんよ。』
home.att.ne.jp/zeta/marti/e_shouchuu.htm

◆ てなコトになる。セトモノのハナシに戻ろうと思ったが、もう戻れない。九州ついでに、サツマイモのハナシに移る。やはり気になるのが、薩摩(鹿児島)ではサツマイモのことをなんと呼んでいるのか? これは鹿児島出身の友人に聞いてみたことがあるので知っている。カライモと呼ぶのだそうだ。

◇ サツマイモといえば、名前の通り 「薩摩」 (鹿児島)のお芋ですよね? しかし、私が子供の頃、鹿児島ではサツマイモとは呼んでいませんでした。当時(30年以上前)の呼び方はカライモ(唐芋)です。唐から来た芋の意味だったのでしょう。
okinawa.blog.anahotels.com/archives/article/1403.html

◇ サツマイモといっても何となく馴染みがない。やはり、私にとってはカライモである。子どもの頃いやという程カライモを食べた。おやつといえばカライモだったのである。学校から帰ると、水屋にふかしたカライモがある。どんぶりに山盛り。それを幾つも食べていたらしい。母がそういうので間違いあるまい。
keishintei.exblog.jp/4607933/

◆ そういえば、サツマアゲというものあった。

◇ この 「さつま揚げ」、地元鹿児島では 「つけあげ」 って言うんですよ。サツマイモのことを鹿児島では 「唐いも(カライモ)」 って言うのと同じようなものですね(サツマイモは中国の唐から渡って来たので・・・)。でも最近は、鹿児島でも 「さつま揚げ」、「サツマイモ」 っていいますけどね。
www.chance2.ne.jp/tour-pc/sugoi/s-55.htm

◆ なんだかあちこち旅した気分だが、けっきょく瀬戸でセトモノのことをなんと呼ぶかはわからずじまい。

◆ 井上陽水に(小椋佳に、と言ってもいいが)、「白い一日」 という曲がある。

♪ ある日 踏切の向こうに君がいて
  通り過ぎる 汽車を待つ
  遮断機が上がり ふり向いた君は
  もう大人の顔をしてるだろう

  井上陽水 「白い一日」(作詞:小椋佳/作曲:井上陽水)

◆ このあたりの歌詞がなんともいい。と思っていたが、いま読み直してみると、ちょっと変な気もする。踏み切りで列車の通過を待っているこの 「君」 は、そもそもどちらに顔を向けていたのだろうか? ふつうは踏み切りの方を向いて立っているものだと思うのだが、そうすると、遮断機が上がって 「君」 が振り向くとすれば、当然その方向は踏み切りの後ろ側ということになって、踏み切りの反対側にいる 「僕」 からは顔を逸らすことにならないだろうか? あるいは、夢のハナシで、この 「君」 には顔の後ろにもうひとつの 「顔」 があったりしたのだろうか? それとも、列車が通過する前には 「君」 とは踏み切りの反対側にいたはずの 「僕」 が、遮断機が上がったときには、なぜだか 「君」 の背後に瞬間移動していて、振り向いた 「君」 の顔を見たのだろうか? あるいは、列車の通過を待つあいだ、なぜだか 「君」 は踏み切りを背にして立っていて(そんなひとがいるだろうか?)、遮断機が上がって踏み切りの方に振り向いたのだろうか? そんなつまらないことを考えて、「今日も一日が過ぎてゆく」 のだった。と、そんなことを書きたいのではなかった。でも、書きたいこともこれと似たようなもので、

♪ まっ白な 陶磁器を
  ながめては 飽きもせず
  かと言って 触れもせず
  そんなふうに 君のまわりで
  僕の一日が 過ぎてゆく

◆ これは 「白い一日」 の冒頭部分だが、このなかの 「陶磁器」 というコトバが以前から気になってしようがない。「僕」が眺めているのは複数の陶磁器なのだろうか? そうではないだろう。「まっ白な陶磁器」=「君」 というふうに読めるから、おそらく陶磁器はひとつしかない。だとすれば、その陶磁器は陶器なのか磁器なのか? はっきりしてほしい。それが気になる。

◇ 陶磁器(とうじき)は、土を練り固め焼いて作ったものの総称。
ja.wikipedia.org/wiki/陶磁器

◆ 「総称」 だといえば 「総称」 かもしれないが、「総称」 であるにしても、形態としては、陶磁器というのは陶器と磁器を合成しただけの不完全な 「総称」 であると思う。似たような語に、国公立大学とか欧米人とか動植物とか。

・私は国公立大学の3年生です。
・私は欧米人です。
・イチョウは動植物です。

どれも間違いではない。けれど、どれも気に入らない。

・陶器は陶磁器です。磁器も陶磁器です。

この文章はおかしく思えないだろうか?

◆ そもそも陶器と磁器ではそのイメージが全然違うと思うのだが、どうなのだろう?

◇ 陶磁器という言葉を知ったのも、かなり大きくなってからだ。小椋佳の 「白い一日」 あたりではないだろうか。
♪ 真っ白な 陶磁器を 眺めては あきもせず ・・・
陶器と磁器が違うものだと知ったのは、更にあとのことで、既に20歳代後半だったと思う。陶器と磁器の違いを聞かれたら、すぐに答えられるだろうか。

www.edita.jp/ehagakiml/one/ehagakiml793317.html

◆ 陶器と磁器の区別がつかなければ、陶磁器というコトバにたいする違和感も少ないだろう。

◇ 私たちは一口に陶磁器と言うが、実は、陶器と磁器は異なるものである。陶器とは、陶土を轆轤で造形し、低い温度で焼成したもので、吸水性があり、温もりを感じされる。他方、磁器は、磁土を轆轤で薄く造形し、高い温度で焼いたもので、ガラス化した表面は吸水性がなく、輝いている。
www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200407/zhuanwen54.htm

◆ まあ、違うにしても、たいした違いではないというひともいるのかもしれないが・・・。

◇ 有田焼は、真っ白な陶磁器でツルツルとした質感がとても上品です。
www.ysk-1.com/syokki.html

◆ 有田焼は磁器に分類されるということを知らなければ、このように書いても不思議はない。そもそも、真っ白なヤキモノはたいていが磁器だ(もちろん、白い釉薬をかければ陶器でも白くなるが)。

◇ 磁器を、わかりやすくひと言で言うと、「白くて硬くて、しかも透明性のあるやきもの」 ということになる。
www.koransha.co.jp/umi/1-3.htm

◆ プランナー兼陶芸家の林寧彦(やすひこ)さんという方が、FMラジオでこんなハナシをしたらしい。

◇ 思いついて、小椋 桂〔ママ〕の歌、「白い一日」 の話をした。

「真っ白な陶磁器を ながめてはあきもせず・・・」

「陶磁器」 というのは陶器と磁器の総称だから、ひとつの焼きものを指して、「これは陶磁器だ」 というのはおかしい。したがって、眺めている焼きものはふたつ以上なければいけない。

「かといってふれもせず そんな風に君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく・・・」

そうすると、「君」 というのは一人ではないわけで、主人公は気の多い男ということになってしまう。でも、「真っ白な磁器を」 では確かに歌いにくい。そんな話をした。
www.ne.jp/asahi/yasuhiko/hayashi/toujirou/tou7/tou7.htm

◆ というわけで、歌詞が 「まっ白な陶磁器」 ではなく、「まっ白な焼き物」 とか 「まっ白な瀬戸物」 なら、気にならなかっただろうと思う。でも、それでは歌詞にならなかっただろうとも思う。そんなことなら、いっそのこと、「まっ白なトウジキ」 を 「まっ白なソウジキ」 にしてしまって・・・

◇ そう言えば、『白い一日』 はあの武田鉄矢も大好きな曲らしい。彼は 「陶磁器」 を 「掃除機」 と長い間、聞き間違えていたらしく、さすが小椋佳さんともなれば、掃除機を一日中見つめ続けても飽きもせず、それを詩にまで歌い上げることができるんだ、と思いこんでいたらしい。「真っ白な掃除機を眺めては飽きもせず…」 が武田鉄矢風 『白い一日』。そんなバカな…。
ashida.sakura.ne.jp/blog/2006/03/post_133.html

◇ ・・ここまではわりと有名な話だと思うけれど、これを聞いた我らが中島みゆきサン・・ 深夜放送で、真っ白な陶磁器はトイレの便器で、これは2日酔いで一日中トイレから出られない状態を歌っている曲なのだという説を大展開(深夜に大爆笑・・名曲のイメージが・・・)
d.hatena.ne.jp/sakichin/20051205

◆ 「まっ白な陶磁器」 に適当な写真が見あたらなかったので、とりあえず便所の小便器。♪まっ白な小便器を~ こりゃ失礼!

《テレビる毎日》 というサイトに 「直訳ネーム!」 というコーナーがある。

◇ 有名人や番組名などの名前を無理やり直訳しよう!
cozalweb.com/ctv/asobo/chokuname.html

◆ という趣旨らしい。どんなのかというと、こんなのだ。「赤井英和 → レッド・イングリッシュディクショナリー」 「五輪真弓 → Olympic True Archery」 「平井堅 → Flat Well Hard」 「水戸黄門 → Water Door Yellow Gate 」 「座頭市 → Sit-down Head City」 ・・・。

◆ 街を歩けば、おもしろいかどうかは別にして、アパート・マンションの名前にも似たようなのがゴロゴロしている。たいていは英語風だが、ときにフランス語も混じる。最近の採取例を3つ。

◆ 2006/10/16 「BITTER VALLEY HONMACHI」 というマンションがあったのは、渋谷区本町。そのまんまである。でも、はたして 「渋」 は 「BITTER」 だろうか?

◇ 「渋谷」 を1文字ずつ英語に訳した "bitter valley" と情報量の単位の 「ビット」 からアメリカのシリコンバレーになぞらえて 「ビットバレー」 と呼ばれることがある。
ja.wikipedia.org/wiki/渋谷

◆ 「ビットバレー」 など一度も聞いたことは一度もなかったけれども、そんな時代もあったらしい。

◆ 2006/11/24 群馬県多野郡吉井町吉井。上信電鉄吉井駅の近くに介護老人保健施設 「グッドウェル」。人材派遣会社は「グッドウィル(Goodwill)」。グッドウェルは good well。well は井戸。「よい井戸」 とは、どうやら 「吉井」 のことらしい。

◆ 2006/12/18 池袋に 「ロワ・リビエール」 というワンルームマンションがあった。Roi Rivière との表記もあった。綴りは正しい。それぞれの単語はフランス語で 「王」 と 「川」 の意。大家さんが殿川さん。でも、はたして 「殿」 は「王」 だろうか?

◆ タイのバンコクを流れるチャオプラヤ川は 「王の川」 と称されているらしい。「Royal River」 というホテルもある。

◇ The Royal River Hotel is an International first class hotel, located right on the western bank of the Chao Phraya River, or the "River of Kings".
www.royalrivergroup.com/group_04location.htm

◆ また、ロンドンを流れるテムズ川も 「王の川(The Royal River)」 と称される。以下、スイスのサイトより(フランス語、ドイツ語、イタリア語の順)。

◇ La Tamise, surnommée la "rivière Royale", est l'une des vallées les plus représentatives de toute l'Angleterre: les noms de Windsor, Hampton Court, Oxford ou Marlow figurent sur tous les livres d'histoire. La concentration de monuments historiques y est telle que l'on pourrait facilement prétendre que la Tamise est le berceau de l'Angleterre.
www.tcs.ch/main/fr/home/tourismus/reisen/hausboote/england.html

◇ Die Themse, "The Royal River" fliesst durch ein Tal das aus der englischen Geschichte nicht wegzudenken ist. Windsor, Hampton Court, Oxford und Marlow sind Namen, die in jedem Gesichtsbuch stehen. Die zahlreichen, geschichtlichen Monumente lassen uns annehmen, dass die Themse die Wiege Englands ist.
www.tcs.ch/main/de/home/tourismus/reisen/hausboote/england.html

◇ Il Tamigi, soprannominato "il fiume Reale", è una delle valli più rappresentative di tutta l'Inghilterra: i nomi di Windsor, Hampton Court, Oxford o Marlow figurano su tutti i libri di storia. La concentrazione dei monumenti storici è talmente importante che si potrebbe facilmente affermare che il Tamigi è la culla dell'Inghilterra.
www.tcs.ch/main/it/home/tourismus/reisen/hausboote/england.html

◆ テムズ川は、英語で the (River) Thames、仏語で la Tamise、独語で die Themse、伊語で il Tamigi、というのであるらしい。ひまつぶしのネタは尽きない。

◆ 11月14日に、それまで使っていた320万画素(ピクセル)のデジタルカメラ CANON IXY DIGITAL 30a を、600万画素の IXY DIGITAL 70 に買い換えた。正確に記すと、2816×2112=5947392(ピクセル)。こんなにたくさんのピクセルがあっても、プリントにすることはほとんどない。また、いま使っているパソコンのモニターの解像度は 1024×768=786432(ドット〔ピクセルに同じ〕)なので、600万画素すべてを表示しようとすると、画面から大幅にはみ出てしまうことになる。さらには、PhotoDiary としてアップするさいには、さらに(最大でも) 520×320=202800(ピクセル)に画像を縮小しているので、単純に考えれば20万画素のデジカメでも一向に問題はない(げんに、PhotoDiary をはじめたときは、30万画素のトイカメラだった)。トリミングすることを考慮しても、まあ100万画素もあれば十分なわけだけれども・・・。

◆ こんな写真を撮った。この画像をいくら拡大しても見えないはずだが、元の画像を拡大して見ると(原寸大?)、「ここで小便をしないでください」と書かれた荒川区の看板がはっきりと読める。こんなときぐらいか、600万画素が役に立つのは。1000万画素を超えるデジカメも出ているようだけど、そんなのを買ってしまった日には、パソコンもついでに買い換えなければ、とてもじゃないが、まともに画像編集できたものではない。まあ、そのうち買ってしまうんだろうけど。

  檸檬

♪ただひとつだいじな想い
抱いているならだいじょうぶさ

PSY・S 「Lemon の勇気」 (作詞:サエキけんぞう)

◆ はずかしながら、亀田の試合結果が知りたくて、《2ちゃんねる》 のニュース速報を見ていたら、「丸善が札幌大通に再出店計画」 というヘッドラインに目がいった。

◇札幌市大通地区から昨秋に撤退した書店大手の丸善(東京)は、同地区に売り場面積3千平方メートルを超える大型書店を再出店させる方針を決めた。
mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000612190003

◆ 気になって、《2ちゃんねる》 の当該スレッドをのぞくと、こんなレスが・・・、

◇京都にも復活してくれ
news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1166617564/

◆ えっ? 京都の丸善、いつなくなったの? 初耳でちょっとびっくり。で、丸善のサイトものぞいてみると、

◇京都河原町店は、2005年10月10日を持ちまして閉店いたしました。長年のご愛顧ありがとうございました。
www.maruzen.co.jp/home/tenpo/kawaramachi.html

◆ いやいや、まったく知らなかった。京都の丸善といえば、国語の教科書で(多分)おなじみの 『檸檬』 (梶井基次郎)の主人公がレモンを爆弾のように置いて立ち去った書店(閉店になった店舗とは場所が違うらしいけれども)。

◇ 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕(むしば)んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土塀(どべい)が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるような向日葵(ひまわり)があったりカンナが咲いていたりする。
梶井基次郎 『檸檬』 (青空文庫

◆ てっとりばやく、《青空文庫》 で読み返して、抜き書きしたくなったのが上の文章。ワタシはいまでもそんな気分だ。いったいいくつになったら、人並みに、新築の小奇麗なタワーマンションの部屋、バカラのグラスとかウェッジウッドのティーカップといった舶来のこれまた小奇麗な食器、あるいは・・・(きりがないので、以下省略)といったものを嫌悪せずにすむ日が来るのだろうか? そういえば、京都の丸善の一階には、バーバリーの売り場があったっけ。

◆ 以前 「薔薇」 というハナシを書いたけど、この檸檬ってのも、ふつうは漢字で書けないよな。

◆ かつて PSY・S (サイズ)という音楽ユニットがあって、「Lemon の勇気」 という曲があった。

♪忘れてしまおう Gray な季節

◇Lemon の勇気・・・ずっと 「~忘れてしまおう無礼な季節~」 と思って聞いてた・・・つい最近カラオケで違うことに気づいた。そんな37歳の春。
music4.2ch.net/test/read.cgi/legend/1093297773/441

◆ 青春と呼ばれるような時期が、無礼な季節であることは確かなことだろう。

  めめ

◆ 最近、歳のせいだか、目の調子がよくない。パソコンに向かっているとすぐ疲れる。医者に行くほどでもないと勝手に思っているので、目薬をしょっちゅうさしては、はやくよくならんかなあ、とあとは神頼み。

◆ 川越のシンボル 「時の鐘」 の奥には小さな薬師堂があって、そこで 「めめ」 と書かれたたくさんの絵馬が、「母の目が良くなりますように」 などの願いを添えて奉納されているのを見た。案内板を読むと、

◇ 当神社は以前、瑞光山医王院常蓮寺という寺であったが、明治維新の折、薬師神社となった。明治二十六年、川越大火により時の鐘と共に消失。翌年再建された。御本尊は薬師如来の立像で、高さ六十糎行基菩薩の作という。五穀豊穣・家運降昌・特に病気平癒のご利益があり、眼病には著しい効果がある。〔句読点を適宜補った。〕

◆ この薬師堂、現在は神社と呼ばれているにせよ、そのご本尊の薬師如来は古くから病気平癒に霊験あらたかな仏として広く民衆の信仰を集めてきた。

◇ 薬師如来さまは東方浄瑠璃世界の仏さまで、現世において私たちの病苦を救う医薬の仏さまとして、古くから信仰されてきました有り難い仏さまです。
www.d4.dion.ne.jp/~saijuji/oyakusi.html

◇ 全国には薬師堂と呼ばれる建造物が数多くありますが、その数だけ人々に信仰されていたのではないでしょうか。又、病気や難病に対しての恐れが多くの薬師信仰に結びついたとも言えますね。 / 薬師如来に祈るときは、「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」 と真言を唱えてください。
www.daikannon.com/aitabg/index.php?eid=112

◆ 薬師如来を祀った寺院(神社)では、病気のなかでも、とくに眼病にご利益があるとするところが多いようだ。ワタシの住んでいる中野区には新井薬師があって(何度が訪れたこともあるが)、ここもまた 「目の薬師」 と呼ばれ、あの 「めめ絵馬」 もあるのだとは、はじめて知った。(画像は 《新井薬師》 のサイトより)

◇ 薬師如来は病気平癒を司る仏であるが、この如来より啓示を受けた第五世玄鏡が元和3年(1617)に作り上げたという小児薬 「夢想丸」 がこどものあらゆる病気に効くと評判になり、子育て薬師として知られるようになった。その後、二代将軍秀忠の第五子和子が眼病を患ったときもこの薬は効能を発揮し、以来、「目のお薬師さん」 として信仰を集めてきた。
www.geocities.jp/hottetsu/arai/arai-top.htm

◆ あるいは、つくば市の照明院。

◇ ここの薬師様は、目の病気に効き目があるので知られていました。目を治してくださいとお願いする者は、小さな魚を薬師様の池に放しました。すると、目はたちまち治ったそうです。しかし、祈願者に放たれた魚はその人に代わって失明したと言い伝えられています。
cms.city.tsukuba.ibaraki.jp/etc/modules/tinyd0/index.php?id=17

◆ またあるいは、横浜市戸塚区の専念寺。

◇ 深谷町の専念寺には、景政が心を込めて祈ったところ、合戦で受けた目の傷が癒えたという伝説のある 「深谷目薬師」 と呼ばれる薬師如来があり、目の病気に霊験あらたかな仏様とされています。
www.city.yokohama.jp/me/totsuka/tmtnl/017.html

◆ その他、全国の眼病に効くとされる寺社の一覧が、健康アイマスクを製造する 《名和里商事》 のサイト内 「目にまつわるお寺・神社の情報」 というページにある。

◆ また、《新紀元社》 の戸部民夫 『日本の神々』 によると、薬師如来とは別に、日本には雨夜尊(あまよのみこと) という目の神さまがいたらしい。

◇ 雨夜尊は、そもそも琵琶法師などの盲人の守護神であり、そこから目の病気に悩む人々に霊験ありとして信仰されている神さまである。雨夜という変わった名前の由来は定かではないが、おそらく目の不自由なことと “雨の夜の闇” との連想からきたものであろう。盲人関係の伝書などによると、雨夜尊というのは仁明天皇(833~85O)の第四皇子で第五十八代光明天皇の弟の仁康親王であるという。親王は生来、両目が不自由だったため、42歳で亡くなるまで京都の盲人たちがそばに仕えて身の回りの世話をした。
w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-324-0p.html

◆ もう少し引用を続けると、

◇ 歴史的にみると雨夜尊は、目の神としてはもっとも古くから力を発揮してきた神さまだったといえそうである。ただ、その後、薬師如来や不動尊、地蔵尊などが目の守り神として庶民の信仰を集めるようになると、その役割を譲った形になった。実際に、今日でも全国に目の神さまは数多く祀られているが、そのなかでも眼病平癒祈願の代表的な存在は薬師如来である。 / ついでに眼病平癒祈願の方法についてみてみると、薬師如来を祀る寺や薬師堂などでよくみかけるのが 「め」 の字を書いて奉納する習慣だ。たとえば 「め」 の字2つを目に模して(左が逆さ字、右が正字)書いた絵馬や願掛けの半紙を本納するのも1つの例。
Ibid.

◆ ちょっと目が疲れてきたので、ここで終わり。

◆ 神楽坂の赤城神社の境内に、螢雪天神なるものができていた。「螢雪」 といえば、

♪螢の光 窓の雪

◆ の 「螢雪の功」 だが、より直接的に旺文社の受験雑誌 「螢雪時代」 を思い出される方も多いのではないかと思う。まさにその通り。

◇ 江戸中期、学問の神として崇められている菅原道真公を祀り、(新宿区)横寺町に鎮座して 「北野神社・朝日天満宮」 と称されていたが、明治9年3月、赤城神社境内に遷座。その後、昭和20年の戦災により焼失したものを、平成17年10月、横寺町にある旺文社より、全国の受験生への合格祈願の守護神 「螢雪天神」 として、赤城神社内に復興したものである。 / 「螢雪天神」 の 『螢雪』 は、旺文社の発行する受験雑誌 「螢雪時代」 の名称にちなんで名づけられたものである。
passnavi.evidus.com/goukaku/tenjin/keisetsutenjin.html

◆ この 「螢雪時代」、本屋でもとんと見かけないので、とっくに廃刊になったものと思っていたが、まだあるらしい。

◇ 本屋で雑誌を眺めていたら 「螢雪時代」 という名前の本が目に付いた。なんと、懐かしい響きの名前だ。昔、学生時代に目にふれた大学受験用雑誌だった。今でも現役として残っていたのだ。さすがに、内容は現代化しているが、よくぞ旺文社は残してくれたものだ。
blogs.yahoo.co.jp/ja4whc/25692752.html

◆ 旺文社の大学受験サイト 《パスナビ》 に螢雪天神を紹介したページがあって、

◇ ●『螢雪天神』 (「赤城神社」 内に併設)にお参りすると、全国の大学はもちろん、特に近隣の大学の合格への御利益(ごりやく)がありそう…
Ibid.

◆ と記されているが、この 「~はもちろん」 の使い方、入試の小論文で減点されないだろうか? ちょっと心配。

◆ 合格祈願の絵馬。かわいい天神様の絵柄。その背後に、「早稲田大学(慶應)・・・」 と書かれたもう一枚の絵馬。よく見ると、慶應の 「應」 の字があやしい。「心」 が 「灬」 になっているようだ。第一志望は早稲田のようだから慶応はどうでもいいのかもしれないが、大学名をまちがえて神様にお願いするのは失礼なことだろう。まあ、他人の絵馬をのぞき見するのも失礼だけれども・・・。

◆ 余談だが、赤城神社には最近カフェバーもできたらしい。神社とカフェのコラボだそうだ。

◇ 神楽坂の赤城神社のなかにカフェバーができました! 昼はランチのできるカフェ、夜はライブもやっているおしゃれなバーです。 それにしても、カフェと神社のコラボレーションがすごい。さすが神楽坂です。
www.enjoytokyo.jp/id/chocochipcookie/108464.html

◆ いささか節操がないように思う。とはいえ、駐車場よりはまし。

◆ 「赤レンガ」 という喫茶店だかスナックがあった。たしかに外壁にはレンガのようなものがないではないが、もちろんこれはホンモノのレンガではない。縦に貼られているのがいかにもうそっぽい(Rがあるのでこうしたのだろう)。コンクリートに貼られたレンガ風タイル(レンガタイル)。マンションやなんかでよく見かける。ワタシのきらいなもの。もっとも、店の名前が 「赤レンガ風タイル」 では、客も来ないだろうが・・・。

◇ 天然石やレンガ風タイルを張り分けたヨーロッパの町並みを思わせるユーロデザインの個性的な外観。
www.major7.net/jump.php?j=00000010000348

◇ 賃貸併用住宅を感じさせないレンガ風タイルの瀟洒な外観デザインが街並に調和する。
property.mitsuihome.co.jp/jitsurei/12/12.html

◇ 外壁には素焼きレンガ風タイルを採用。レンガ風タイルは歴史と文化を象徴し、縦に伸びゆく白色系タイルとバルコニーのガラスは発展と進化を表現しています。
www.home-plaza.jp/mansion/k30000025-229/index.html

◇ 歴史と新しさが共存する川沿いの街に、古材レンガ風タイルと現代的なガラス、コンクリートの組合せが絶妙のハーモニーを醸し出す外観。コンセプトはアムステルダム・モダン。
www.works-space.com/detail/54

◇ 味わい深い枕木調のモールと、上品で穏やかな石積調のレンガタイルが客人を優しく出迎えます。
sumai.nikkei.co.jp/hbuild/hsearch/picture/000247/1/index.html

◇ 古びた質感がやわらかい表情と風格を醸しだすレンガタイルの外観。
www.dc-skillup.com/t/news69.html

◆ と、列挙しているだけで、虫唾が走る。うすぺっらいレンガ風タイルとうすぺっらいコトバが絶妙のハーモニーを奏でてる。まったくいいコンビだ。けれど、

◇ ダミーとかフェイクについて考える事が有る。テレビの木目、プリント合板、レンガ風壁材等々世間に溢れてる。それって、どうなん? プラスチックにはそれにしか出せない色や質感が有る、金属にもそれなりの良さが有るはずだけれども木目風の印刷をする。いっそのこと木目プリントの車とか、レンガ風タイルを貼った電車を作ってみたら? それの方が笑えるのにね… 日本人ってどうしても既存の材質や質感から抜けられない、でも金額やメンテのこと考えると難しい、だから印刷でごまかす。だから町並みも映画のセットみたいにインチキくさい。人間もダミーやフェイクが街に溢れてる…
diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/genn/?Y=2003&M=11

◆ こんな風に考えるひとは少ないようだ。

  箪笥

◇ 神楽坂から市ヶ谷方面に少し足をのばすと 「箪笥町」 「納戸町」 「細工町」 といったなんとも風情の有る町名に出くわします。
ladoclub.lado-blog.jp/2006/07/post_87.html

◆ で、箪笥町(たんすまち)。この町名、単純にタンスを作る家具職人が住んでいた名残かと思っていたら、どうも違うらしい。

◇ 東京都新宿区に箪笥町という地名があります。もちろん箪笥を作っていた町ではなく、江戸城四谷門の甲州街道の警護の町でありました。箪笥には武器を意味することもあったようです。武器を管理するお役人を御箪笥奉行とよんでいました。
scn-net.easymyweb.jp/member/uf_uehara/default.asp?c_id=3900

◇ 「箪笥」 と聞くと、引き出しのある 「タンス」 を思い浮かべますが、この、箪笥町の 「箪笥」 は、“家具” ではなく、“武器” に関係するものです。江戸時代、箪笥町の辺りには、幕府の武器をつかさどる具足奉行・弓矢鑓奉行組同心の拝領屋敷がありました。幕府の武器を総称して、「箪笥」 と呼んだことから、正徳3年(1713)年、町奉行支配となった際、町が起立し、牛込御箪笥町となりました。その後、冠称の 「牛込」 がとれ、現在の箪笥町という名前に至ったのです。
www.soumu.metro.tokyo.jp/01soumu/archives/edo_town_name.htm

◆ 箪笥といえば、『箪笥』 という韓国のホラー映画があった。この映画を見ると(見てないが)、a skeleton in the[one's] closet という英語の表現を思い出す(と思う)。クローゼットの中のスケルトン。世間に知られでもしたら、とんでもないことになるだろう秘密。

◇ a secret that would cause embarrassment if it were known. People almost always have skeletons in their closets, parts of their lives they don't want to reveal.
Cambridge Dictionary of American Idioms

◆ あるいは、カップボードの中のスケルトンともいう。カップボードもいまではそのまま日本語として流通しているような気もするが、それを食器棚と訳してしまえば、骸骨が入れられる食器棚とはどんなだろうと気になりはしないか?

◇ 英語のイディオムに “a skeleton in the cupboard [closet]” という言い方があるのをご存じですか。世間に公表するのをはばかる一家の秘密のことをこう言うのですが、文字どおりには 「戸棚(あるいは押し入れ)の中の骸骨」 という意味です。考えてみるとなかなか味のある表現ではありませんか。まるで、誰かを殺害しておいて、死体を押し入れのような暗い場所に隠しておく、そのうちに時間がたって死体が白骨化し、すっかり骸骨になってしまう、一族の者はそのことに堅く口を閉ざして生涯をおくる、ふとした折そのことで一族の間に争いが起こり、自分の家系が呪われていることをあらためて思い知らされる・・・ ちょっとしたミステリーが組み立てられそうな不気味な言い方ですよね。
engserve.edu.mie-u.ac.jp/eg5005/frame1F.html

◆ 死体を入れておくとすれば、日本ではやはり押入れだろうか。

◆ 現代美術作家の嶋田美子に 「箪笥の中の骨」 という作品がある(が見てない)。

◇ 1996~7年の一連の展覧会でも引っ張りだこだった 嶋田 美子 の 『箪笥の中の骨』 (2004)は、英語の成句 “skelton in the cupboard” (食器棚の中の骸骨=家庭の秘密)をそのまま形にした作品だ。家庭のミクロポリティスクをマクロなポリティクスに繋いでいくような所は相変わらずで、悪くはない。しかし、この箪笥にしまわれていた 「家庭の秘密」 を読んでいて、ミクロポリティクスの現実を突きつけられるというより、インターネット上の匿名の掲示板 「発言小町」 (大手小町, YOMIURI ON-LINE)を読んでいるような気分になってしまった。もはや 「家庭の秘密」 は 「箪笥の中の骨」 のようなものではなくなってしまっているのかもしれない。
www.kt.rim.or.jp/~tfj/DoH/05031201

◆ ワタシの部屋にはちいさな整理ダンスがひとつあるだけで、これに骸骨ははいりそうもない。

◆ 嫌いなことを書くよりは好きなことを書いていたいと思う。つい嫌いな 「レンガ風タイル」 のことを書いてしまったので、今度は好きなもののことを書いて帳尻を合わせておきたい。

◆ レンガ風タイルのことを書いていて、ふと気になったのは、

◇ 日本では、セラミックのレンガ風タイルを外壁に貼っているのをよく見かける。レンガ造りといっても本当は薄いレンガタイルを貼っているだけだと思われている。
blog.zaq.ne.jp/fjmacihouse/article/372/

◆ のではないかということで、もしかしたら、赤レンガで知られる東京駅の丸ノ内駅舎や北海道庁の旧本庁舎なんかも、外壁にレンガを貼っただけのものだと思われていたりするのかもしれない。そんなことがふと気になったので、念のため。東京駅も北海道庁も(規模はケタ外れに大きいにせよ)、『三匹の子豚』 の3番目のブタがレンガをひとつずつ積み上げて家を造ったのと同じように、レンガを積み上げて造られたものだ。上海の高層ビルなんかは、いまでもレンガ造りのものがあるそうで、

◇ 先日、ある道を歩いていていたんです。建設中のビルがありました。20階建てくらいでしょうか。ここでも建ててるんだ、と何気なくそのビルを見たんです。すると‥‥ え?壁が、レンガ? 本当に、レンガを積み重ねて、壁を作っていくんですねぇ。
w269.o.fiw-web.net/china&chinese/37.htm

◇ 実は現在建設中の多くのビルも、基本的にレンガを積み上げて建設されています。
angel.ap.teacup.com/world_report/28.html

◆ とはいえ、上海には行ったことがないので、真偽のほどはわからない。たぶんホントだろうけど。ともかく、レンガ造りといえば、文字通りレンガで造られているので、鉄筋コンクリートで造って、レンガを貼りつけたわけではない。で、その気になれば、レンガで高層ビルでも建ててしまえるわけだけれど、そこまでいくと、高所恐怖症のワタシにはちょっと目がくらむので、たとえばレンガ塀(これくらいだと安心して語れる)。

◆ 11月17日、港区虎ノ門。ホテルオークラの近くで見かけたレンガ塀。この塀はレンガ造りだが、その上に補強のために塗られたモルタルが一部剥がれて、赤レンガが露出している。

◆ あるいは、11月12日、中野区上高田。このあたりは寺町で、ちいさなお寺が立ち並ぶ。そのうちのひとつ、浄土真宗の願正寺。この本堂の基礎部分がレンガ造り。これもまたその上に塗られたモルタルが剥がれて、赤レンガが露出。

◆ コンクリートの表面に化粧として貼られたレンガ風タイルと、表面に塗られたモルタルの下から露出した骨組み(躯体)としての本物のレンガ。内と外の関係がまったく正反対。レンガは生き物ではないから、その気持ちを斟酌するというのも変なハナシだが、もしワタシがレンガなら、高級マンションに見てくれのために薄く貼られるよりも、とるに足らない建造物でもその基礎となってモルタルに覆われていたいと思うのだ。

◆ ちなみに、レンガ造りの建物でも、レンガをそのまま露出させているのがふつうというわけでもない。

◇ ヨーロッパでは煉瓦は多くの建物に用いられているが、本格的な建物の場合、構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることが多い。赤煉瓦のままの建物はよほど古風なものか、工場、倉庫など簡素なものである。しかし、イギリスなどで中世趣味のため、あえて赤煉瓦のままとすることがある。
ja.wikipedia.org/wiki/煉瓦

◆ レンガがそのまま露出しているレンガ建築も見ごたえがあるものだが、剥がれたモルタルから垣間見えるレンガというのも、奥ゆかしい気がして悪くはない。そうしてワタシはそういうものが好きなのだ。

◆ 東海道ではなく中山道を(仕事で)旅した、おともだちのおタネさんがこんなコトを書いていた。

膝栗毛ってどーいう意味だよ
blog.goo.ne.jp/otane-2/e/3d5232159498bc1ce39368f2a8ed2b3f

◆ そんなことワタシに聞かれても・・・、いやべつにワタシに聞いているわけでは全然ないのだったが、

◇ わからないことは調べましょうね

◆ とおタネさんがおっしゃるので、調べてみた。

◇ 〔膝を栗毛の馬の代用とする意から〕徒歩で旅行すること。
三省堂 『大辞林 第二版』

◇ 膝を栗毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること。
小学館 『大辞泉』

◆ これではなにもわからない。と思うのだが、わかってしまうひとも多いらしい。

◇ 膝栗毛とは、自分の足を栗毛の馬の変わりに使うこと、つまり歩いて旅をすることです。
blog.goo.ne.jp/goo6223/e/fb9d34f1af22f263dac34ed96c921a14

◇ 『東海道中膝栗毛』 のことは知っていましたが、膝栗毛が自分の膝を栗毛の馬にたとえたものだなんて知りませんでした。
www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/koma_kokugo2006.html

◇ あの 『東海道中膝栗毛』 の膝栗毛は、「ポックリポックリ歩く栗毛の馬のように、自分の足で歩いて旅をする」 という意味です。
www.city.chuo.lg.jp/koho/150501/12-02.html

◆ ??? ワタシにはまったくわからない。一般的なイメージでは、馬は歩くより走るものではないか? そもそも、なぜ馬一般ではなく栗毛の馬なのか?

◇ 「栗毛」 は馬のことですが、馬に乗っての旅行(徒歩よりも費用がかかる、お金持ちの旅)ではなく、「膝」 (人間の足)で旅をする、と貧乏旅行を駄洒落っぽく言ったもの、です。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?queId=7439791

◆ まず、「栗毛は馬のこと」 という説明は正確さに欠ける。栗毛とは栗毛の馬のことで、馬一般を指すのではない。さらに、上記の説明では、どこに駄洒落があるのかがさっぱりわからない。

◇ 長らく膝栗毛の意味が判らなかったのだが、これは馬の栗毛に引っかけた駄洒落なのだそうだ。栗毛の馬で旅をするのではなく、自分の膝小僧に乗っかって旅をする。とまぁ、そんな意味である。
ultegra.web.infoseek.co.jp/bic/toukaidou/kanwa_01.html

◆ これもまた、どこに駄洒落があるというのか?

栗毛とは馬のことを指すので、「膝栗毛」 とは 「自分の膝を馬として旅行する」 という意味で、徒歩旅行を洒落て言ったものである。
www5a.biglobe.ne.jp/~kota-k/new_page_19.htm

◆ この 「洒落て」 というのは、もしかすると駄洒落の意味ではなく、お洒落の意味かもしれないが・・・。では、膝栗毛のどこがオシャレか?

◆ と、ここまで似たような(ほどんど同一の)文章を引用してきて、ふと合点がいったことがある。そもそも、多くのひとにとって、栗毛というコトバはまったくなじみのないものだったのだろう。だから、栗毛が馬のことだとはじめて知って、それだけで満足して、なんとなくこの膝栗毛というコトバを理解したような気になってしまった。そういうことなのかもしれない。

◆ ふつうのひとは栗毛というコトバを聞いても、それが馬のことだとは思いもよらないのだろう。このコトバに即座に反応するのは、競馬好きのひとたちだけかもしれない。

◇ サラブレッドにおいては鹿毛、栗毛、黒鹿毛、芦毛、青鹿毛の順に多い。栃栗毛、青毛はまれで、白毛、粕鹿毛も極めてまれに認められる。
ja.wikipedia.org/wiki/馬の毛色

◆ 栗毛を知らないひとは、当然 「鹿毛(かげ)」 も知らないだろう。だから、十返舎一九の作品のタイトルが 『東海道中膝栗毛』 ではなく、『東海道中膝鹿毛』 であったとしても、もし辞書に、「膝を鹿毛の馬の代わりにして旅をすること。徒歩で旅行すること」 とあれば、それはそれで納得してしまうかもしれない。

◆ ところが、ワタシは競馬好きだから、なぜ(鹿毛でも芦毛でもなく)栗毛なのかがわからないかぎり、膝栗毛というコトバが理解できた気がしない。

◇ ちなみに、『ひざくりげ』 は、滑稽無類の旅行小説ですが、この題名の由来も洒落心いっぱいです。歩くときは、膝(ひざ)小僧を繰り返して行くので、膝くりとしゃれてみせ、くりを栗毛の馬にごろあわせ、あわせて膝栗毛。なんて遊び心いっぱいでしょう。
www.rakuten.co.jp/ehime-hamaya/471442/508188/

◆ なるほど、とこれを読んで初めてワタシは膝を打ったのだった。

◇ 栗毛の馬に揺られる代わりに自分の膝を馬に見立てて徒歩の旅をしよう
これは正にそのとおりなんですが、歩くという意味の 「膝を繰る」 と道中馬の 「栗毛」 とを掛けた洒落言葉とい点に御注目。繰るというのは交互かつ順次に出してゆくことです。歩く動作は左右の足を繰り出してゆくことで成立します。「膝栗毛」 という言葉の早い用例は一九が 「東海道中膝栗毛」 の初編を出した前年の享和元年(1801A.D.) 「恵比良濃梅」 に見える 「ぱっちなしの尻はしょり膝栗毛を飛ばして大磯の廓へいそぐ道すがら」 とあるのが知られています。

www.geocities.co.jp/Bookend/4373/sub5_12.htm

◆ 「膝を繰る」、「膝繰り」 というコトバがあって初めて、それを馬の栗毛と掛けた 「膝クリ毛」 というコトバが(駄)洒落として成立するのであった! たぶん、これが正解だろう。ああ、すっきりした。

◆ 最後に、せっかくだから栗毛の馬の写真でも載せようと思ったが、すぐには見あたらない。そもそも馬の毛色の違いは微妙なもので、実際に目の前で見るのならともかく、写真で正確な色合いが出せるものでもないから(こちらで時間をかけて色修正したとしても、見る側のパソコンのモニターごとにずいぶん違って見えるだろうから)、サラブレッドの毛色としては、栗毛よりも一般的な鹿毛の馬の写真で、代用することに。被写体は、ナイスナイスナイス号、東京競馬場にて。タイトルは「サラブレッドテール」。ポニーテールの洒落のつもりだが、これは洒落になっているだろうか?