MEMORANDUM
2007年01月


◆ 大晦日にあわてて年賀状を作成した。時間もないので、去年撮った写真から適当に一枚を選んで、それに 「STILL ALIVE 2007」 と文字を入れた。まだ青々としている落ち葉を見ていると、そんなコトバが浮かんだのだった。なぜこの葉っぱは枝から落ちてしまったのだろう? なにかの間違い? きまぐれ? それとも自分の意思で? その他大勢の枝にしがみついている葉っぱたちの 「ひとりで生きてはいけないよ」 という嘲笑を背に受けながら、自らの意思で枝から離れていった一枚の葉っぱ。まさか。どんな理由があったにせよ(なかったにせよ)、それでも、まだ葉っぱは生きている。そんな気がした。葉脈というコトバなんかも思い出しつつ。いいかげんなワタシの来し方にもちょっぴり重ね合わせつつ。

◆ 年賀状っぽくない色彩であることを除けば、短時間で作ったわりにはわるくない出来だと満足し、急いでポストに投函したあとに、喪中だったことに気がついた。

◆ 正月、実家に帰省中、ふと思い立って、となりに住んでいたおっちゃん、岩本敏男の 『赤い風船』 を読み返す。その著者略歴にはこうあった。

◇ ちらちらと雪の降る日に生まれる。立命館大学〈定時制〉文学部国文科に入学したが、すぐやめる。以後、病気。左肺と肋骨四本を失う。まだ生きている。
岩本敏男 『赤い風船』(理論社,1971)

◆ おっちゃんは2002年に亡くなったけれど、そのコトバはまだ生きている。妙な一年の始まり。今年もよろしく。

◆ ワタシのとなりのおっちゃんは、若いときに、詩を書いていたそうな。以下、岩本敏男の 「三月」 と題された詩の全文。昭和30年。

 ぼくの一白水星の
 三月の凶運を
 「眉毛に火のつくような苦痛の月」 と
 かあさん
 鼻をすすって
 暦によむのはよしなさい
 マッチ箱に貼りつける
 ラッキー印のレッテルがゆがみます
 ぼくたち 一日何千枚かこれを貼って
 末日までに拇印を押して
 市民税の誓約書と
 とりかえなければならない

 かあさん
 糊をたいてください

◆ 友人には 「まるで貧しいことが正義みたいな詩だな」 と評されたらしい。なるほど、そんなふうな詩でもあるようだが・・・。詩そのものの批評はさておいて、最後の二行 「かあさん / 糊をたいてください」 の意味がわかるかどうか。

◆ 「炊く」 といえば、ごはん。だが、関西では、その対象がやや広い。

◇ 私は現在、京都に住んでいますが、コンビニのお惣菜などでも 「おあげと水菜の炊いたん」 とかがあったりして、普通に 「煮る」 ことを 「炊く」 って言いますね。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=129940402

◇ 大根を炊くときに、最初にとぎ汁でさっと下ゆでをしておくと、大根の苦みがとれます。
www.kyt-ysc.co.jp/olchie/riyou/syoku.htm

◆ 関西では、大根も炊くし、糊(のり)も炊く。糊を炊く(煮る)といえば、「舌切り雀」 のおばあさん。以下は、その近江の高島ヴァージョン(《民話でたどる滋賀の風景》 より)。

◇ 「おじい、おじい、きょうはどうするの」
て、おばあさんがいうたんやて。
ほしたら、おじいさんは、
「どうするて、山へ炭焼きに行くんよ」
おばあさんは、
「ほんなら、わしはせんたくして、のりつけしよう」
おじいさんは、山へ行くし、
おばあさんは、のりつけののりをたいといて、せんたくに行ったんやて。

www.pref.shiga.jp/minwa/51/51-movie.html

◆ この糊の原料は何か? いまでは化学糊というのもあるけれど、

◇ 昔々、お婆さんが障子紙の張替えの為に用意した白ボンドを、スズメは毒と見破り近付こうともしませんでした・・・。これでは舌切り雀のお話は成立しません。
homepage3.nifty.com/sparrows/med-dm06.html

◆ 化学糊ではお話にならない。といって、天然の糊ならなんでもいいわけでもない。デンプン(澱粉、Starch)を含んでいれば、トウモロコシ(コーンスターチ)、ジャガイモ、サツマイモ、タピオカ、小麦など、なんでも糊にできるけれど、「舌切り雀」 のお話では、雀の好物の米から糊を作るのでなければ、それこそお話にならない。

◇ そういえば幼い頃おばあちゃんが障子貼り用の糊を煮るのを、目を丸くして眺めていたっけ。「おばあちゃん。糊はお米からできるの?」 と聞くと 「そうだよ。昔は家で使う糊はみんな自分で作ったんだよ」 と教えてくれて・・・。
www.ne.jp/asahi/mon/know/COLUMN/bkup13.html

◆ では、マッチ箱のラベルを貼るのに適した糊の原料は何だったろう?

 かあさん
 糊をたいてください

◆ 「かあさん」 が炊いたのは、小麦粉だったろうか? よくわからない。

◆ 以下、おまけ。「炊く」 と 「煮る」 のハナシに戻って、炊飯器クッキング。

◇ 炊飯器で大根を炊くと、本当に美味しいのです。鶏肉を炊くと、これまたほろほろ美味しく煮上がるのです。ということで、手羽先と大根を一緒に炊きました。ほーら、コラーゲンたっぷりのつやつやの煮物が炊けましたよ。
allabout.co.jp/gourmet/cookingabc/closeup/CU20051113A/index.htm

◆ この文章の 「炊く」 は、ちょっと微妙。炊飯器で調理するから 「炊く」 と言っているのか(炊飯器で 「煮る」 とは言いにくいか?)、作者が関西人だから 「炊く」 と言っているのか、よくわからない。「煮物が炊け」 るというのも、ちょっと変?

◆ いま林芙美子の本を数冊、図書館から借りて読んでいる。なぜかというと、去年の11月12日、中野区上高田あたりを散歩中、万昌院功運寺という寺の門前の案内に林芙美子(女流作家)の菩提所とあったので、寄ってみた。それがきっかけ。それ以前に、林芙美子の本を読んだことはなかった。本を読んだことはなかったが、文章を一部読んだことはある。それが墓を訪れる数日前。ネットである語句(マロニエ)を検索していたら、青空文庫に収録してある文章がヒットしたので、ちらっと読んでみた。そんなこともあったりしたので、「林芙美子」 という名前が目につき、墓所に立ち寄る気になったのかもしれない。こんな細かいことを書きとめておくのも、おそらく数年もすればことの前後関係がおぼろげになって、林芙美子の愛読者として墓を訪れたというふうに記憶が改変されてしまうような気がするからで。と、それくらいに、林芙美子の文章はおもしろい。

◆ 林芙美子といえば、『放浪記』(1930) が有名であるが、その冒頭に書きつけられた 「私は宿命的に放浪者である」 という簡潔なコトバほど、林芙美子という一個の人間を雄弁に語っているものはない。旅こそはすべて。

◇ この放浪記では、何だか随分印税を貰ったような気がしてうれしかった。長い間の借金や不義理を済ませて、私は一人で支那に遊びに行った。ハルピンや、長春、奉天、撫順、金州、三十里堡、青島、上海、南京、杭州、蘇州、これだけを約二ヶ月でまわって、放浪記の印税はみんなつかい果たして、上落合の小さい家に帰って来た。
林芙美子 『落合町山川記』 (青空文庫

◇ 支那に遊んだ翌年の秋、私は一冊の本を出して欧洲へ一ヶ年の旅程で旅立った。
Ibid.

◆ 昭和6年(1931)、林芙美子はシベリア鉄道経由で巴里(パリー)へと向かう。以下、『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』(立松和平編,岩波文庫)の 「西比利亜(シベリア)の旅」 からの引用(行程順ではない)。

◆ 汽車の長旅に備えて、哈爾賓(ハルビン)であれこれ買い出し。

◇ まず葡萄酒を一本買いましたが、吝(けち)をしてしまって哈爾賓出来を買ったものですから、苦味(にが)くてとても飲めたものではありませんでした。
『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』(立松和平編,岩波文庫,p.59)

◆ この 「吝をしてしまって」 という言い回しが、なんともいえずチャーミング。ハルビン産の不味いワインはどうなったかというと、

◇ 十六日の夕方、ノボォーシビルスクと云うところへ着きました。そろそろ持参の食料品に嫌気がさして来て、不味い葡萄酒ばかりゴブゴブ呑んでいました。
Ibid. p.67

◆ シベリア鉄道の三等車内にて。

◇ 鰊くさい漁師が一人いて、ヤポンスキーの函館はよく知っていると云って、日本を説明するのでしょう、盛(さかん)にゲイシャ、チブチブチブ・・・・・・と云うのです。そのチブチブが解らなかったのですけれど、チブチブと云うのはゲイシャの下駄の音の形容なのでした。私が、カラカラだろうと云ってみせると、そうだと云って、また、皆に説明をするのです。何の事はない信州路へ行く汽車の三等と少しも変りありません。
Ibid. p.71-72

◆ いとも簡単に、シベリア鉄道を 「信州路へ行く汽車」 に変えてしまうのは、もちろん林芙美子の力量であって、だれもが同じ経験を味わえるわけではない。これはどうでもいいけれど、多用される 「~ですけれど」 という言い回しもチャーミングだと思ったり。

◆ 車内で知り合いになり、銀座で買った紙風船をプレゼントしたロシアの婦人とのハイラル駅での別れ。

◇ 窓のカーテンは深くおろしたままです。海拉爾(ハイラル)には朝十時頃着きました。もう再び会う事はないでしょうこの深切なゆきずりびとを、せめて私は眼でだけでも見送りたいものと、握手がほぐれると私はすぐカーテンの隙間からホームに歩いて行く元気のいいお婆さんの後姿を見ていました。巴里(パリー)へ行くまで・・・・・・行ってからも、私は沢山の深切なゆきずりのひとたちを知りました。いまだに何もして報いられないのですけれど、そのままお互いがお互いを忘れて行ってこのままになるのでしょう。[下線は原文傍点]
Ibid. p.62

◆ 書き写したい文章はまだまだあるけれど、図書の返却期限もかなり過ぎてしまっているので、引用もこの辺にしておきゃなきゃいけない。

◆ そうそう、おともだちの(rainer 改め)rororo さんが、ハイラル駅のすてきな写真をアップされていて、しばし見とれる。低く垂れ込めた雲。CCCP(ソビエト社会主義共和国連邦)の車輌には、「МОСКВА - ПЕКИН」 (モスクワ - 北京)と書かれた行先板。ホームには、「海拉尔」 と書かれた駅名標。赤レンガの(?)駅舎。いつの日にかぜひとも。

◆ 《Yahoo!知恵袋》 に、こんな質問。

◇ ジャポニカ学習帳を大人になっても使っていいですか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=139659763

◆ 質問の意図がいまひとつわからないが、いいに決まっているではないか、恥ずかしくさえなければ。というわけで、先日、とある100円ショップでノートを探していたら、ジャポニカ学習帳があったので、その自由帳というのを買ってきた。定価は150円らしいから、ずいぶん安い。

◇ ジャポニカ学習帳…この響きを聞くと、小学生の頃の日々が懐かしくよみがえってきませんか? きっと誰もが幼い頃にお世話になった、表紙に花や虫のキレイな写真がある日記帳や漢字帳に国語や算数のノート。あの頃、ノートを手にしただけで勉強ができるようになった気になって、誰もが 「いつかはT大に・・・」 なんて夢と希望に満ち溢れていたはずです(ホントに?)。
www.senmaike.net/color/html/mono/showa.html

◆ ジャポニカ学習帳、なつかしい気はするけれど、使った記憶はない(使わなかった記憶もないが)。だから、ジャポニカ学習帳について、書くべきことはなにもない。というわけでもなくて、買った自由帳を開くと、「学習百科 ― 南の国の植物」 というシリーズの読み物があって、ランブータンのことが書いてあった。

◇ ランブータンは、ムクロジという木の仲間の植物で、原産地はマレー諸島です。マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアなど、東南アジアの、暑くて雨の多い国ぐにやオーストラリア、メキシコなどでさいばいされています。(中略) ランブータンという名前は、マレーシアの言葉で 「毛(とげ)の生えたくだもの」 という意味です。

◆ ランブータン Nephelium lappaceum。2004年6月にスリランカに行って、初めて食べた。それまでは名前も知らなかった。いまだに写真の整理ができていない。とりあえず、コロンボの市場で撮ったランブータンの写真をアップ。むせかえるニオイがなつかしい。

◆ ムクロジ Sapindus mukurossi。2004年2月に北本市本宿の多聞寺境内に、埼玉県指定天然記念物のムクロジがあり、実がたわわになっていた。このとき、初めてこの木のことを知った。おともだちのめめさんが、この写真にこんなコメントを寄せてくれたのを思い出す。

◇ 種は羽根つきの羽根の重りになりますが、まわりの半透明っぽい部分は石鹸の代わりになるそうです。伯母が 「昔は洗濯に使った」 と申しておりました。[2004/04/22 19:27]

◆ 英語でも Soapberry (石鹸の実)と言うんだとか。ジャポニカ学習帳にハナシを戻して、

◇ 僕だけかもしれませんが、ジャポニカ学習帳というと思い出すのが、名ドラマ 『スクールウォーズ』 の1シーンなんですよね。ラグビー部で不良グループの一員だった内田くんが滝沢先生に 「先生、俺に勉強を教えてくれねぇか。昨日先生の話聞いてよぉ、俺もなんつうか将来の事考えちまってよ。あぁ、ノートも買ってきたんだけどよぉ」 とジャポニカ学習帳を取り出す。そして高校生に 『花』 という漢字の書き方を教える滝沢先生。
ameblo.jp/psychic/entry-10001723473.html

◆ そんな細かいところまで憶えているひとがいるものだと感心することしきり。ワタシもこのTVドラマは見ていたはずだが、そのシーン自体の記憶がまったくない。

◆ ああ、それから、ジャポニカ学習帳を作っているのはショウワノートという会社。本社工場があるのが富山県高岡市。2006年10月、イトコの結婚式が高岡であった。高岡といえば、鋳物(銅器)が有名。大仏も銅製。

◆ と、ジャポニカ学習帳と関係があるようなないようなハナシをあれこれ書いてしまいましたが、せっかく105円で買った自由帳はまだ白紙のまんまで・・・。

◇ 競馬好きには二種類ゐて、それは一年の競馬を有馬記念で締め括るヒトと東京大章典で締め括るヒト、
kermit.pos.to/fozzie/archives/2005/12/post_203.html

◆ 中央競馬はディープインパクトが快勝した有馬記念で一年の幕を閉じたが、地方競馬に休みはない。年末は大晦日までやっているし、新年は元日からやっている。12月29日、中央交流のGI東京大章典の日。仕事を半ドンで終わらせ、餅代でも稼ごうと大井競馬場に出かける。ワタシが軸馬にしたのは、JRAのハードクリスタル。単勝6番人気の人気薄。この馬から手広く流す。当たるとデカイ。そんな獲らぬタヌキの皮算用をしているときが一番楽しかったりもするのだが、結果は、いつもと同じである。勝ったのはブルーコンコルド(JRA)。2着には、

◇ 単勝9番人気の伏兵クーリンガーが、積極的な競馬でシーキングザダイヤを競り落とし、大波乱を演出した。
www.nikkansports.com/race/p-rc-tp0-20061230-136631.html

◆ 配当は馬連複 28,510円。あ~あ。中央から参戦した5頭のうち4頭が、4着までを独占。残る1頭がワタシが軸馬にしたハードクリスタル。まったく見せ場もなく7着に惨敗。あ~あ。

◆ それから数日後。スポーツ新聞にこんな記事が載った。「ハードクリスタルが予後不良に」。

◇ 29日の東京大賞典・交流G1(大井)で7着に敗れたハードクリスタル(牡6歳、栗東・作田)は、レース後のレントゲン検査で右第3手根骨骨折と診断され予後不良となった。
www.daily.co.jp/horse/2006/12/31/0000204666.shtml

◆ あ? レース中に骨折していたのか? それなら仕方がない。馬が餅に見えていた自分を少し反省する。それにしても予後不良とは・・・。ちょっと悲しい。

◆ 予後不良といっても、競馬を知らない方にはあまり縁のないコトバだろうから、すこし解説。予後不良とは、競馬においては、人間にたいして用いられる、

◇ 病気の経過や結末の予測がよくないこと。回復する見通しの少ないこと。
小学館『大辞林』

◆ という意味ではない。予後不良とは、

◇ 競走馬については治療の余地がない故障や病気による不可避的殺処分(安楽死)をオブラートに包んだ言葉。
d.hatena.ne.jp/keyword/予後不良

予後不良(よごふりょう)とは競馬用語の一つ。主に競走馬が競走中や調教中などに何らかの原因で主に脚部に故障を発生した際、回復が極めて困難で、薬物を用いた安楽死の処置が適当であると診断された状態の婉曲的表現。
ja.wikipedia.org/wiki/予後

◆ つまり、新聞記事の「予後不良となった」という表現は、即「安楽死処分になった」という意味なので、「予後不良となった」馬が、「懸命の治療により一命をとりとめた」などということは、残念ではあるけれど、ほとんどありえない。JRAの表現はこうである。

◇ 平成18年東海テレビ杯東海ステークス(GII)に優勝したハードクリスタル号(牡6歳【当時】 栗東・作田誠二きゅう舎)は、平成18年12月29日に行われた東京大賞典(大井競馬場)の競走中に故障を発症し、死亡しましたのでお知らせいたします。なお、同馬は平成18年12月29日付けで競走馬登録を抹消されております。
www.jra.go.jp/news/200701/010506.html

◆「競走中に故障を発症し、死亡しました」、こんな表現も競馬を知らないひとにとっては、ピンとこないだろう。

◇ 競馬の馬が骨折した場合は、ほとんど薬殺で処分されるようですが、そんな競馬を見て感動したという人が多数いますが(芸能人にも)何に感動するのでしょうか。無理に競争させて下手をすれば怪我をさせて薬殺してしまうのに理解できません。
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1310382903

◆ もちろん、このように思うひとがいても不思議ではない。

◆ 競馬における 「予後不良」 とは、「安楽死」 を婉曲的に表現したものである、と書いた。けれど、あるいは、この「安楽死」 という表現もまた一種の婉曲語法かもしれなくて、より明確に書くとすれば 「薬殺」 になるだろうか。

◆ 生物の死にかんして、「死ぬ」 とか 「殺す」 とかいったコトバは生々しすぎるので、しばしば婉曲的な別のコトバに置き換えられる。「あの世へ行く」 あるいは 「あの世へ送る」、「永眠する」 あるいは 「永眠させた」などなど。

◆ 性(器)にかんするコトバや排泄にかんするコトバも、また同じ。「下腹部」 というコトバにはいまだに慣れない。山では、「雉撃ち」「お花摘み」などというコトバもある。

◆ 死や性や排泄に関連するコトバを遠回しに表現するのは、なにも日本語だけにかぎらない。英語ではその種の婉曲語法を euphemism と呼ぶ。オンライン辞書 Encarta World English Dictionary [North American Edition] に、euphemism の少し詳しい説明があった。ほどよくまとまっているので、やや長いが引用(euphemism の実例をグリーンで強調した)

◇ Euphemisms make the unpalatable more palatable. People use euphemisms chiefly to conceal feared things, for example, death; to conceal the reality of unthinkable crimes; to conceal references to sex, body parts and fluids, and excrement; and to elevate otherwise lowly sounding or derogatory occupational titles and institutional names. For instance, there are hundreds of euphemisms used daily for to die, a few of which are pass on/away, go to one's final rest, and depart/depart this life. Similarly, water landing is often used by airlines in lieu of the terrifying on-water ditching. Two of the most notorious euphemisms for genocide are, of course, the Final Solution and ethnic cleansing. Euphemistic references to sex and physiology are legion: sleep with for have sex with and break wind for fart are typical, as is social disease for sexually transmitted disease. Euphemisms that elevate the language of occupational titles include, for example, sanitation engineer for garbage collector, and those that elevate rather harsh-sounding institutional names include correctional facility for prison. The capacity of a euphemism to conceal tends to diminish over the years, as it becomes more and more closely associated with its referent, and if the taboo against talking about the referent remains in force, a fresh euphemism needs to be found for it. For instance, toilet was once a euphemism (it had previously referred to a dressing room with washing facilities), but it has long since become a plainly understood term for "a place of urination and defecation," a term now needing its own euphemism: rest room and powder room for the room itself, and commode for the plumbing fixture.
encarta.msn.com/dictionary_1861609379/euphemism.html

◆ 近年は、politically correct (PC) の影響もあって、euphemism が著しく増えている。garbage collector (ゴミ屋)のことを sanitation engineer (公衆衛生専門家)、prison (牢屋)のことを correctional facility (矯正施設)。

◆ 婉曲語法の極めつけの例は、ジェノサイドの言い換えとしての、「最終解決」 (Final Solution) と 「民族浄化」 (ethnic cleansing)だろう。ナチスドイツとユーゴ紛争で生まれたこれらふたつのコトバの見事なまでの白々しさ!

◆ ウマのハナシを書いていて、思い出した。「生き馬の目を抜く」 という表現がある。

◇ 生き馬の目を抜くほど、素早く事をするさま。他人を出し抜いて素早く利を得るさま。生き馬の目を抉(くじ)る。生き牛の目を抉る。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ 来歴は知らないが、どうして生きたウマの目を抉(えぐ)り出さなければならないのかがわからない。

◇ 証券会社のメッカである兜町と北浜は、生き馬の目を抜く街と言われており、他人を出し抜いてでも儲けようとする人たちがひしめき合っており、情報とガセネタ、嘘と真、人情と非情、幸運と不運、明と暗が渦巻いております。何の世界でも人一倍金儲けしようとする人は、生き馬の目を抜くようなすばしっこさ、ずるさ、せちがらさがあるだけに、それだけの覚悟を持って挑まなければなりません。
www.nagareboshi.jp/form/kakugen.php

◇ しかし、そんなことでは生き馬の目を抜くような小売業界ではとうていやっていけない!という、著しく極度に危機感を激しくもった私は、こうやって、陸軍中野学校生徒の如く、日夜人知れず販売促進に奮励努力をしております・・・
niftystore.moe-nifty.com/eokaimono/2006/12/post_4837_1.html

◇ 今まで自分に作品を与えてくれて、育ててくれたエージェンシーから離れるのは日本では恩知らずだと思われるが、生き馬の目を抜くハリウッドでは、その様な事は美徳とはされない。
ja.wikipedia.org/wiki/芸能人

◇ 「生き馬の目を抜くような ファッション雑誌の業界」 「生き馬の目を抜くようなスピード感や情報の鮮度が求められる金融や不動産業界」 「生き馬の目を抜くような熾烈な競争環境にある中国企業」 「生き馬の目を抜くようなアメリカの一般民間テレビ局」 「生き馬の目を抜く600万人アクセス400万アイテム市場のヤフオク」 「生き馬の目を抜く受験戦争」 「生き馬の目を抜くような動きの速い厳しいゲーム業界」 「生き馬の目を抜く観の長距離トラック運転手の世界」 「首都圏という生き馬の目を抜く厳しい環境」 「生き馬の目を抜くといわれる香港の映画業界」 「生き馬の目を抜くような国際弁護士の世界」 「生き馬の目を抜く飲食業界」 「生き馬の目を抜く総合商社」 「生き馬の目を抜くブログ界」 「生き馬の目を抜くような東京砂漠」 「生き馬の目を抜くような、システム半導体業界」 「生き馬の目を抜くサッカーワールドカップ」

◆ どうしてこんなにまで生き馬の目が抜かれる必要があるのだろう? 世界はそんなに血に飢えているのだろうか? 以前、おともだちのめめさんが、

◇ 生き馬の目を抜くような緊張感やスピードに満ちた職場
04.members.goo.ne.jp/home/meme_dans_le_metro/diary/a/205.html

◆ と書いたとき、ワタシは思わず、

◇ 生き馬の目を抜いてはいけない。痛いから。馬の好きなワタシはまずそう思ってしまったのでした。比喩であるとわかってはいても、こんなコトバはワタシには使えない。生々しすぎるので。もしも現実がそんな風であったなら、生き馬の目を抜かねばならないなら、そんな社会とはおさらばしたい。(あるいは、生き馬の目を抜かなくてもすむように努力するか?) 2004 12/05 19:04

◆ というピントはずれなコメントを(いくぶんは皮肉を込めて)寄せてしまった。いつも冷静なめめさんには、

◇ まさに、その、生々しさや痛ましさを感じるが故に 「生き馬」 を使うのです。残酷な表現でしか、表現できないものもありますよね。

◆ とやさしく諭されてしまったのだが・・・。

◆ ワタシの住むところからほど近い場所で、続けて2件のバラバラ殺人事件が起こった。血まみれの世界は遠いようで近い。

◇ 「民族浄化」 という言葉がなければ、ボスニア紛争の結末はまったく別のものになっていたに違いない。
高木徹 『戦争広告代理店』 (講談社,p.88)

ethnic cleansing 民族浄[純]化《ボスニア‐ヘルツェゴビナ紛争(1992‐95)でセルビア人がボスニアからのモスレム人やクロアチア人の武力追放を図ったことなど》.
大修館書店 『ジーニアス英和辞典』

民族浄化【みんぞくじょうか】 複数の民族集団が共存する地域において一つの多数派民族集団が他の少数民族集団を同化・強制移住,また大量虐殺によって抑圧する行為。エスニック-クレンジング。
〔1990 年代前半,ボスニアの外務大臣の依頼により,セルビア非難の語としてアメリカの広告会社が造語。マスコミを通じて広く用いられ,コソボ空爆への道を開いた〕

三省堂 『デイリー 新語辞典』

◇ 次に第二の定義の意味における 「民族浄化」 は、ボスニア=ヘルツェゴヴィナおよびコソヴォで、諸集団により相互的に行なわれた。ボスニア=ヘルツェゴヴィナで最初の引き金を引いたのはセルビア人勢力だったかもしれないし、暴行の正確な規模の確定と比較は難しいが、ともかく大きな構図としては、ここにおける暴行の数々は一方的というよりは相互応酬的である。ところが、ある時期、欧米のマスメディアは専らセルビア人によるものとして 「民族浄化」 を概念化した。その後、そうした一面性への批判も次第に増大したが、《民族浄化=セルビア人による暴行》 という一面的図式も今なお完全に消えてはいない。
《塩川伸明:「民族浄化」 という言葉について》
www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/notes/ethniccleansing.htm

◆ 「やられたらやり返すという考えを持っています」 と小学校の卒業文集に書いた 「とても勝ち気な女の子」 がいた。

◆ わからないことにコメントはできない。

◆ 中島みゆきの 「クレンジングクリーム」 という歌を思い出す。

♪クレンジングクリームひと塗り 醜い女現われる
クレンジングクリームひと塗り 汚れた女現われる
クレンジングクリームひと塗り 卑しい女現われる

◆ クレンザーを使うたびに、その威力に驚く。ちょっと暴力的な洗剤だとも思ったり。

◆ 千葉県鎌ヶ谷市で 「鎌ヶ谷大仏」 なるものを見た。大仏とは言い条、かなり小さい。鎌ヶ谷市指定文化財第1号。

◇ 安永5年(1776)、鎌ケ谷宿の大国屋(福田)文右衛門が、祖先の供養のために、江戸神田の鋳物師に鋳造させたもの。高さ1.8mの露坐の大仏である。豪勢な開眼供養の様子が伝えられ、鎌ケ谷宿の盛時の有り様がうかがえる。
www.city.kamagaya.chiba.jp/kakuka/kakuka-kyoikuiinkai/bunka/bunkazai.html

◇ 大仏と言っても高さ1.8mしかない、本来の大仏の規定をはるかに下回る小さな像であるため、地元では 「鎌ヶ谷ミニ仏」 とも呼ばれることもある。また、鎌ヶ谷大仏駅まで延長した当時の新京成電鉄が行楽客の呼び込みのポスターを張り出したところ、実物を見た行楽客に非難を浴びせられたというエピソードもある。
ja.wikipedia.org/wiki/鎌ヶ谷大仏

◆ では、「本来の大仏の規定」とは?

だいぶつ【大仏】 丈六(高さ1丈6尺、すなわち約4.8メートル)以上の大きな仏像。奈良東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)、鎌倉高徳院の阿弥陀如来などが有名。
小学館 『大辞泉』

daibutsu 大仏 Also jourokubutsu 丈六仏. The term used to describe a very large statue of Buddha. Originally any statue more than twice life-size was referred to as daibutsu. The size expressed the greatness and superhuman quality of the Buddha. The height of the statue was measured in traditional Japanese units of length; the shaku 尺 (30.3cm) and the jou 丈 (10shaku). A daibutsu was higher than 1 jou 6 shaku, or 4.85m, known in Japanese as jouroku 丈六. This figure was used because it was said to be the actual height of Buddha.
www.aisf.or.jp/~jaanus/deta/d/daibutsu.htm

◆ あれこれ調べると、お釈迦様の身長が一丈六尺(約4.8メートル)であるとされており、仏像としては等身大のものが標準で、これを丈六仏というが、この丈六仏より大きいものを大仏と呼ぶらしい。奈良の大仏は10倍(NHKの 「その時歴史が動いた」 のサイト参照)。

◇ 当時、仏像の大きさの基準は、立像で一丈六尺(いわゆる丈六仏、1尺は約30cmなので高さ4.8m)、座像の場合はその半分の八尺(高さ2.4m)とされていました。華厳経では 「10倍の大きさ」 を無限大とされ、その場合大仏の高さは24m(座像の場合)に設定されるべきですが、巨像を制作する際には1尺が約20cmの「周尺」を使うこととされていました。そのため、16mに定められたといわれます。(香取忠彦 『奈良の大仏』 p.15)
www.nhk.or.jp/sonotoki/2006_05.html

◆ ところで、お釈迦様の身長は一丈六尺だったかもしれないが、奈良の大仏も鎌倉の大仏も(それから鎌ヶ谷の大仏も)、お釈迦様ではない。奈良の大仏は盧舎那(毘盧遮那)仏だし、鎌倉(と鎌ヶ谷)の大仏は阿弥陀如来で、お釈迦様とは別人(仏)。もしかすると、阿弥陀様は背が低かったのかもしれない。

◆ ドラえもんはのび太にこう言った(《ことばの中のお釈迦様探し》)。

◇ のび太:「また0点だ。」
ドラえもん:「君の努力もお釈迦だったね・・・。」

www.shopro.co.jp/dora/tanken/index2-2.html

◆ 「お釈迦(になる)」 というコトバがある。その民間語源。

◇ 物が壊れたとき、ダメになった時に 「おしゃか」 「おしゃかになった」 と言いますが、これは昔 「仏様を作ってくれ」 と頼んだのに出来上がったものはお釈迦様だったため、「お釈迦じゃねーか」 と言ったのが語源だとか。
oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2034920

◆ ? これは意味不明。辞書を引くと、

◇ 〔もと鋳物職人の隠語で、地蔵を鋳るのに誤って釈迦を鋳たことからという〕出来損ないの品。役に立たない品。「―を出す」 「―にする」 「―になる」
三省堂 『大辞林 第二版』

◇ 作り損ねた製品。不良品。また、使いものにならなくなったもの。「―にする」 「傘が―になる」 ◆阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまったことから出た語とされ、鋳物・製鉄工場などで使われ始めたという。
小学館 『大辞泉』

◆ 地蔵? それとも阿弥陀?

◇ (地蔵や阿弥陀の像を鋳るのに誤って釈迦像を鋳てしまったことからいう) つくりそこなうこと。つくりそこなったもの。不良品。「―にする」 「―になる」
岩波 『広辞苑』

◆ 地蔵や阿弥陀? 『広辞苑』 はちょっとズルイ。阿弥陀だとしても、

◇ よく、物が壊れることを 「お釈迦になる」 って言いますが、あれの元ネタは、「阿弥陀像(後光付き)を作るつもりが、失敗して(後光が欠けて)釈迦像になっちゃった」 って意味ですから。
ufcpp.net/memo/2006/07.html

◆ ? これは意味不明。

◇ 平安末の末法時代に阿弥陀如来による、来迎と往生にあこがれ救われたいと、裕福者は阿弥陀如来の造立を思い立ち、仏師に依頼しました。仏師は指先で輪を作る阿弥陀印にしなければならないのに、指を広げた釈迦の定印に作ってしまったので、依頼主に像の引き取りも製作料も断られてしまいました。そこから、阿弥陀を頼んだのにお釈迦様にしてしまったと、目的を間違えて駄目になってしまったことを 「お釈迦になった」 と言うようになりましたとさ。
homepage2.nifty.com/katohjuk/bukkyou-main.htm

◆ これならありそうだ。また、まったく別の説もある。

◇ 余談ですが 「お釈迦になる」 という言葉がありますがこれには色んな説がありその一つに江戸時代、飾り細工の制作行程で半田付けをする場合こてを温める火の温度を調節しないと半田が金銀の材料にうまく溶着しないだけでなく貴重な材料まで駄目にしてしまうことがあります。その失敗の原因は 「火が強かった」 のでありますが江戸っ子は 「ひ」 が 「し」 と訛るので 「火が強かった」 が「しがつよかった」 「しがつようか」 「四月八日」 となりました。その 「四月八日」 は釈迦如来の誕生日であたりますのでそれになぞらえて物が不良品になることを 「お釈迦になる」 といわれるようになったらしいです。
www.eonet.ne.jp/~kotonara/syakanyoraino.htm

◇ 「おシャカにする」 とは、もともと鋳物師が失敗作を作ったときに使う職人言葉。鋳物が失敗するのは鉄を溶かす温度が高すぎた、つまり 「火が強かった」 時。江戸っ子は 「ヒ」 を 「シ」 と発音する事から、「シがつよかった」 となり、これが 「四月八日」 に転じた。四月八日はお釈迦様の誕生日で、ここから 「おしゃかになる」 と言う表現が生まれた。つまり江戸っ子のダジャレから生まれたようだ。

◆ なんともよくできたハナシである。少なくとも、お釈迦様の誕生日を覚えておくのに役に立つ。4月8日は 「花まつり」。

◇ 紀元前565年の4月8日、お釈迦様がご誕生されました。その時、竜王が天から甘露の雨を降らせ、その雨で梵天・帝釈天がお釈迦様を洗い、地面からは花の香がしたと説話にあります。花まつりはこれにならい、お堂を花で一杯に飾り花御堂として、その中に水盤に乗せた誕生仏を置き、竹の柄杓で甘茶を掛け祝います。
www.kusatsu-onsen.ne.jp/event/

◇ 「花まつり」 は第二次大戦後に広まった名前で、本来は灌仏会かんぶつえ仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)降誕会(こうたんえ)竜華会(りゅうげえ)などと言います。
www.tctv.ne.jp/members/tobifudo/newmon/gyoji/hanamaturi.html

◆ 鎌ヶ谷大仏のことをネットで調べていたら、《ほぼ日刊イトイ新聞-ジモティーズ観光案内》「おらの大仏じまん。千葉県鎌ヶ谷市から」 というスタッフの金澤さんが書いた文章があった。なかなかおもしろい。新京成電鉄の鎌ケ谷大仏駅付近には、「大仏不動産」 に 「きそば大仏庵」 に 「大仏整形外科」 に 「大仏内科クリニック」 に 「ヘアーサロン大仏」、と見事なまでの大仏づくし。

◆ 大仏というコトバにはかなりのインパクトがあるのだろう、ワタシも高岡大仏のそばに大仏旅館があるのを発見して思わず写真を撮ってしまった。

◆ もちろん、鎌ヶ谷にしても高岡にしても、ワタシはただの通りすがりだから、そこでの暮らしを知っているわけではない。たとえば、ヘアーサロン大仏が、

◇ 散髪がおわって支払いのとき、さりげなくセブンスターを1本すすめてくれるサービスに、少年時代の私は、ちょっと大人の気分を味わったものです。
www.1101.com/village/2000-02-29.html

◆ というマスターのいるような店だというようなことは、外からではわからない。

◆ 12月25日(クリスマス)、埼玉県蓮田市愛宕神社。本殿だか拝殿だかを覗いてみると、「健康標語」 なるものが目についた。25日の 「一日一言」 は、

妊娠中絶は生涯の不健康と、不幸の原因と知るべきである。 受胎調節、家族計画、優生保護などの美名によって妊娠中絶が盛んに行われたのは、最も破廉恥な行為である。そのため心臓を病む者(これ本人にしか分からぬ) 眼を病む者、足を病む者(本人またはその子が病む) 腰から足にかけての神経痛に悩む者、わが子が憂うつになって、親の苦痛の種になる者等が無数であるが、その因果解消の道を知らぬのは憐れむべきである。[拡大画像

◆ この 「健康標語」 なるもの、いったいだれがどこで印刷・出版しているのか知らないが、なんともいえず後味の悪さが残る文章である。覗きこんだワタシが悪いといえば悪いのは承知のうえで、なんだか見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がする。

◆ 「受胎調節」 「家族計画」 「優生保護」 と、みごとに並列された四文字熟語がはたして 「美名」 になるのかどうかは知らないが、「破廉恥」 というコトバはもはや死語ではあるまいかと思って、ネットで検索してみると、「里谷多英」 という固有名が頻出してしまい、そういえばそんな事件もあったのだなぁと・・・。

◆ この種の文章にワタシは弱い。弱いというのは苦手という意味だが、文章のクセがありすきて、すなおに文意をたどれない。宗教がらみの人物が書きそうな文章だ。そういえば、ここは神社だったけれども・・・。

◆ ホントに見なきゃよかった。

◇ 優生保護法 第1条: この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

◇ 母体保護法第1条: この法律は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする。

◆ 1996年(平成8)、優生保護法は一部の優生思想にもとづく文言を変更のうえ、母体保護法に法律名が変更された。第2条第2項(定義)はどちらも変らず、

◇ この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。

◆ どうでもいいけど、ちかごろネットであれこれ検索していると、《Yahoo!知恵袋》 という質問サイトがやたらにヒットする。で、その内容を読むたびに、これまた後味の悪さといったらない・・・。

◇ 優生保護法がなくなって障害児が多くなりますよね? 色々なところでバリアフリーが蔓延して日本人の体力の低下を招き、高齢化が進む中どんどん寝たきり老人が増え、若い人は障害児がどんどん増えて、国家を揺るがしかねない問題と私は考えるのですが皆さんどう思いますか?
detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1310385343

◆ 「健康標語」 の日本語に似ていないこともない。

◆ やや時間に余裕があったので、ワタシのおっちゃんの書いた文章の一部を E-TEXT 化してみた(《岩本敏男ことば館》)。その途中で、ちょっと調べもの。

◆ Masaccio はイタリアルネサンスの画家。マザッチョ、マサッチオ、マサッチオ。

◇ フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画がことに著名である。同壁画のなかでも有名な 「楽園追放」 のアダムとイヴの像は、 「マサッチオ」 という画家の名は知らずとも、誰もが一度は図版で見たことがあるに違いない。
ja.wikipedia.org/wiki/マサッチオ

◆ 図版でも見た記憶のないひとのために(ワタシだ)、この有名らしい 「楽園追放」 のフレスコ画とはどんなのかというと、こんなのだった。

◇ ぼくは、かわいそうな、裸のアダムとイブの図版をながめなおした。アダムははずかしさとかなしさに、両手で顔をおおっていた。イブは、すこしあおむいて、ああ、といっていた。右の手は左の乳に、左の手は前をおおって、なにかの葉っぱがのびてきていた――ぼくは、にわかに顔を赤くした。
岩本敏男「アダムとイブ」

◆ こんなのだった。というのは、いまではこんなのではなくなってしまっているからで、1980年代に修復が行われて、後世の加筆とみなされた部分がきれいさっぱり除去された。

◇ The fig leaves were added three centuries after the original fresco was painted, probably at the request of Cosimo III de' Medici in the late 17th century, who saw nudity as disgusting. During restoration in the 1980s the fig leaves were removed along with centuries of grime to restore the fresco to its original condition.
en.wikipedia.org/wiki/Image:Masaccio-TheExpulsionOfAdamAndEveFromEden-Restoration.jpg>

◆ いまではイチジクの葉っぱはもうなくて、アダムのちんぽこが堂々と露出している。となると、おっちゃんの書いた 「アダムとイブ」 の少年の努力も無駄だったということになりかねない。なにしろ、イブの 「そこをみたいとおもった」 少年は、好奇心を抑えきれずに、画集の図版を目を皿のようにして斜めから覗いてみたりしたのだから。

◇ ぼくはイブに顔をちかづけた。葉っぱのかげからのぞいた。なにもみえなかった。
Ibid.

◆ いや、ワタシにも憶えがあるようなことで、こちらまで赤面してしまう。そんな少年の努力もいまでは、ほとんど無用な時代になった。夜が更けるのを待って、両親が寝静まったのを見計らい、近所の 「ビニ本自動販売機」 まで忍び足で出かけていくなんて少年は、いまではもういないだろう。

◆ そんなことを考えながら、いま一度修復された 「楽園追放」 の壁画の画像を見てみる。ああ、なんということだろう、モニターを上から覗いても、横から覗いても、やっぱりイブの 「そこ」 ははっきりとは見えないではないか。そのことに、ちょっと安心したり、いややっぱり残念だったり・・・。

◆ さっき、ビールを買おうと近所の酒屋に寄ったら、レジ横のテレビがついていて、ふと見ると雪景色。どこかなあと思っていたら、みのもんたが出てきて、「この巨大な遊園地はなんですかねえ」みたいなことを言っていた。夕張だった。

◆ みなが「あれはハコモノ行政のツケがまわったんですな」としたり顔でいう。そんなひとには、「あなたは自分の住んでいる自治体の財政状況を詳しくご存知なんですか? 無駄なハコモノのチェックなんかもきちんとしてるんですか?」と聞いてみたい気がする。

◆ だれもいない遊園地はさびしい。けれど、遊園地のない町もまたさびしくはないか?

◆ 2003年2月2日、夕張で見かけたアパート、「Espo warl Ⅰ」。エスポワールとはフランス語で「希望」のことだ。だが、つづりがきわめてあやしい。この写真に、当時、こんなコメントをつけた。

◇ 希望(espoir)のない希望(Espowarl)

◆ あるいは、Espoir を追い求めていたはずなのに、どこでどう間違ったのか、しらないまに Espo warl というわけのわからないものに変じていたのかもしれない。いまになって、この希望はまったくデタラメなものだった、と指摘するのは簡単だけれども・・・。

◆ 以下、おまけ。たわむれに、「espoir yubari」 で検索してみると、ヒットするのは Go-Go Yubari ばかり。

◇ クエンティン・タランティーノは、自身の監督作品「キル・ビル Vol.1」(2003)において、このゆうばり映画祭へのオマージュから、登場人物の一人、栗山千明演じる女子高生の殺し屋にゴーゴー夕張という役名を与えた。
ja.wikipedia.org/wiki/ゆうばり国際ファンタスティック映画祭

◆ 映画祭といえば、こんなニュースもあった。

◇ 北海道夕張市の財政破たんによって、昨年で幕を下ろした「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」が、夕張を愛する映画関係者らによって今年1回限りの “復活” をすることになった。
www.mainichi-msn.co.jp/photo/news/20070119k0000m040109000c.html

◆ ガレージのシャッターに、こんな注意書き。「駐車禁止」 が 「馬車 車 林/止 止」。4つの漢字に2つの間違い。ちょっと珍しいかと思ったら、そうでもないらしい。〔こういった独自な文字をパソコンで表示するには、左右に2つ(以上)の部分が並んで構成される漢字(「駐」)なら、それぞれの部分を並べておけば(「馬車」)、やや横に間延びしてしまうにしても、読めないことはないだろうが、上下に2つ(以上)の部分が並んで構成される漢字(「禁」)の場合は、ちょっとやっかいなので、ここでは便宜的に、分数の 「2分の1」 を 「1/2」 と表記するような仕方で、「/」 を使用して、「/」 の左に上の部分、「/」 の右に下の部分を置くことにする。以下の引用も同様。〕

◇ 街中の看板や貼り紙のたぐいには、第三者の行動を抑止するためのものが少なくない。その中でも、「馬主 車」 が 「車主 車」、「林/示 止」 が 「林/止 止」 と書かれていることがしばしばある。「駐車」 するのは確かに今や馬ではなく車だからと納得できなくもないが、多くは単に次に書く 「車」 が先走って現れたものであろう。「馬車 車」 と書かれることもしばしばあり、一枚の地図にこれと 「車馬 車」 とが同じ筆跡で書かれていたのを見たこともある。「林/止」 は 「示」 を次の、しかも 「シ」 と日本語で同音の漢字を代入させてしまったものであり、これは熟語でなくとも現れることがある。
笹原宏之 『日本の漢字』 (岩波新書,p.73-74)

◆ 似たような例では、

◇ 現在では、「連絡」 が部首をそろえ、「車」 と似た部分をもつ 「レン」 に置き換わり 「練絡」 となりがちである。「講義」 を 「講議」 と書く学生がきわめて多い。これは 「会議」 などとの混淆も考えられるが、江戸時代の安藤昌益もそう書いている。
Ibid., p.74

◆ なにもおそれることはない。江戸時代の安藤昌益もそう書いている。

◆ 街を歩いていて、子どもたちの書初めの展示に思わず足をとめる。「いるかの会」 (アポロ園卒園児親の会)とある。アポロ園とは中野区の障害児向けの療育センターであるらしい。「お正月」 「いのしし」 「まっすぐ」 「おもち」 「初夢」。どれもみなステキな字。なかでも、「まっすぐ」 がいい。亥年だからまっすぐ。猪突猛進というというよりはまっすぐ。ワタシも今年の個人的キーワードを 「まっすぐ」 にしようかしらん、などと思ってみたり・・・。

◆ 書初めといえば、こんなニュースもあった。

◇ 安倍晋三首相は17日午前、自民党大会のオープニングセレモニーで、縦80センチ、横6メートル30センチの紙に 「美しい国、日本」 と、書道家とともに揮毫(きごう)し、自らが掲げるスローガンを訴えた。
 演壇ではまず、書道家の川又南岳氏が 「美しい国」 と豪快に書き上げた後、首相が一画ずつ丁寧に「日本」としたためた。書は演壇中央の壁に掲げられた。
 ただ、川又氏の書体に比べて首相の文字はやや小さく、線も細め。これには「首相の線の細さがにじんでいる」(中堅議員)との声も出ていた。

www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007011700454

◆ ちょっと気になったので、同じハナシを別のサイトで見てみると、

◇ また、大会冒頭、首相は自ら大筆をとり、書道家川又南岳氏が大会看板に 「美しい国」 と書いたのに続き、「日本」 と記した。
www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070117i103.htm

◆ これは読売新聞。

◇ オープニングセレモニーでは、安倍総裁と書道家の川又南岳氏が 「美しい国、日本」 と揮毫。
www.jimin.jp/jimin/daily/07_01/17/190117b.shtml

◆ これは自民党のサイト。また、鈴木馨祐という衆議院議員のブログでは、

◇ ちなみに後ろにかかっているのは書道家の川又南岳氏(美しい国)と安倍総理(日本)がその場で書きあげたものです。ものすごく大きな字なのに総理も非常にいい字だと思いませんか?字をくださいと言われることも多い業界ですから、これから書道の練習もしないといけませんねぇ。。
blog.livedoor.jp/suzuki_keisuke/archives/50681070.html

◆ 「業界」って、アナタねえ、とまた別のことが気になったりもするが、なにがちょっと気になったのかというと、「書道家」 というコトバ。書道の先生のことはふつう 「書家」 というのではないか? そう思ったのだが、ざっと見てみたところ、肩書きを 「書家」 としているのは、茨城新聞だけだった。

◇ 東京都内で十七日開かれた自民党の第七十四回定期党大会のオープニングで、水戸市の書家、川又南岳さん(69)が、党総裁の安倍晋三首相とともに 「美しい国、日本」 と揮毫(きごう)した。
www.ibaraki-np.co.jp/47news/20070118_05.htm

◆ 川又南岳氏は水戸の出身であるらしい。

◆ ついでだが、書(道)家のことを、中国語では 「书法家」 (簡体字)というらしい。

◇ “美丽的国家.日本”是安倍政治理念的浓缩,连在党大会的台上都不忘秀出这个标语。名书法家川又南岳先在一张大纸上挥毫写下“美丽的国家”,再由安倍添上“日本”两字,象征着安倍想领导日本一步步迈向“美丽的国家”。
news.phoenixtv.com/world/200701/0118_16_65006.shtml

◆ 繁体字では 「書法家」 と書く。

◇ 1月17日,日本自民黨大會開幕。開幕式上,安倍和書法家川又南岳合作完成了書法作品《美麗的國家,日本》。書法家一氣呵成地寫完前面幾個字後,安倍小心翼翼地添出了“日本”二字。這幅記載著安倍治國方針的書法作品隨即被懸挂到了會場講台的牆壁上。
www.aladding.com/view/postDetail.cfm?lv=big5&topicid=1&postid=371448

◆ 「小心翼翼」という表現に、思わずニヤリ。

◆ 「不眠症のクマ、ついに眠りに落ちる モスクワ動物園」 こんなニュースの見出しを目にして、近ごろは動物園のクマもあれこれ悩みを抱えて不眠症にかかっているのだろうか、などと考えてしまったが、なんのことはない、記録的な暖冬でこの時期になっても冬眠できずにいたクマのハナシだった。

◇ [モスクワ 9日 ロイター] 記録的に暖かい冬のせいで何カ月も冬眠に入らずにいたモスクワ動物園のクマが、ついに眠りに落ちた。
www.excite.co.jp/News/odd/00081168365796.html

◇ MOSCOW (Reuters) - Russian bears at Moscow Zoo have finally dropped off into their hibernation slumber despite months of insomnia caused by a record mild start to winter, zoo officials said on Tuesday.
au.news.yahoo.com/070109/15/120g8.html

◆ インソムニア。ワタシは不眠症とはまったく縁がないので、モスクワのクマの気持ちはわからない。こどものころに、眠りについたが最後、二度と起きることなく眠り続けてしまうではないか、とわけもなく考えてぞっとしたことがあった。あるいは、クマも、このままもう二度と冬眠はできないのではないか、と考えてぞっとしたかもしれない。

◆ 不眠症。最近読んだ本にこんなことが書いてあった。

◇ 不眠症とは終夜営業の旅行代理店だ。遠くの地を宣伝するポスターが何枚も貼ってある。そこでは海はいつも青く、空もしかり。
[Insomnia is an all-night travel agency with posters advertising faraway places. There the sea is always blue and so is the sky.]

チャールズ・シミック 『コーネルの箱』 (柴田元幸訳,文藝春秋,p.128)

◆ 最近は夜更かしすることも少なくなって、こんなふうに 「眠らずに夢を見ること」 さえできない。

◆ クマ。最近読んだ本にこんなことが書いてあった。

◇ いまでもアイヌの人々は、「熊送り(イオマンテ)」の儀式で、熊の頭蓋骨をこんなふうにきれいにお化粧して、霊の世界に送ることをしています。そこでも、きれいに化粧してあげることで、熊が霊の世界に戻ってから、自分がどんなに人間たちから尊敬をこめて殺されて、丁寧にからだを解体され、お化粧をほどこされて、大切にもてなされたかを親戚の熊たちに話して、それなら自分たちも怖がらずに人間の村へ行ってこようという気を、親戚の熊たちにおこしてもらおうとしています。
中沢新一 『熊から王へ』 (講談社選書メチエ,p.64)

◆ 尊敬をこめて殺される。ああ、なんというコトバだろう。すこし思考が混乱する。子猫を殺した直木賞作家。妹あるいは夫のバラバラ殺人。ゴミ捨て場に捨てられたプーさんのぬいぐるみ。それから・・・

◆ 冒頭のニュース記事に戻って、そこにはこうも書いてあった。

◇ 強いがときに気まぐれなクマは、ロシア人たちに愛されている。また、クマは国家のシンボルでもある。
Russians have a soft spot for powerful but sometimes erratic bears -- their national symbol.

◆ 英語の勉強。have a soft spot for : to feel a lot of affection for (someone or something), often without knowing why; to have a weakness for (someone or something) because of great affection.