◆ 最近、歳のせいだか、目の調子がよくない。パソコンに向かっているとすぐ疲れる。医者に行くほどでもないと勝手に思っているので、目薬をしょっちゅうさしては、はやくよくならんかなあ、とあとは神頼み。 ◆ 川越のシンボル 「時の鐘」 の奥には小さな薬師堂があって、そこで 「めめ」 と書かれたたくさんの絵馬が、「母の目が良くなりますように」 などの願いを添えて奉納されているのを見た。案内板を読むと、 ◇ 当神社は以前、瑞光山医王院常蓮寺という寺であったが、明治維新の折、薬師神社となった。明治二十六年、川越大火により時の鐘と共に消失。翌年再建された。御本尊は薬師如来の立像で、高さ六十糎行基菩薩の作という。五穀豊穣・家運降昌・特に病気平癒のご利益があり、眼病には著しい効果がある。〔句読点を適宜補った。〕 ◆ この薬師堂、現在は神社と呼ばれているにせよ、そのご本尊の薬師如来は古くから病気平癒に霊験あらたかな仏として広く民衆の信仰を集めてきた。 ◇ 薬師如来さまは東方浄瑠璃世界の仏さまで、現世において私たちの病苦を救う医薬の仏さまとして、古くから信仰されてきました有り難い仏さまです。 ◇ 全国には薬師堂と呼ばれる建造物が数多くありますが、その数だけ人々に信仰されていたのではないでしょうか。又、病気や難病に対しての恐れが多くの薬師信仰に結びついたとも言えますね。 / 薬師如来に祈るときは、「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」 と真言を唱えてください。 ◆ 薬師如来を祀った寺院(神社)では、病気のなかでも、とくに眼病にご利益があるとするところが多いようだ。ワタシの住んでいる中野区には新井薬師があって(何度が訪れたこともあるが)、ここもまた 「目の薬師」 と呼ばれ、あの 「めめ絵馬」 もあるのだとは、はじめて知った。(画像は 《新井薬師》 のサイトより) ◇ 薬師如来は病気平癒を司る仏であるが、この如来より啓示を受けた第五世玄鏡が元和3年(1617)に作り上げたという小児薬 「夢想丸」 がこどものあらゆる病気に効くと評判になり、子育て薬師として知られるようになった。その後、二代将軍秀忠の第五子和子が眼病を患ったときもこの薬は効能を発揮し、以来、「目のお薬師さん」 として信仰を集めてきた。 ◆ あるいは、つくば市の照明院。 ◇ ここの薬師様は、目の病気に効き目があるので知られていました。目を治してくださいとお願いする者は、小さな魚を薬師様の池に放しました。すると、目はたちまち治ったそうです。しかし、祈願者に放たれた魚はその人に代わって失明したと言い伝えられています。 ◆ またあるいは、横浜市戸塚区の専念寺。 ◇ 深谷町の専念寺には、景政が心を込めて祈ったところ、合戦で受けた目の傷が癒えたという伝説のある 「深谷目薬師」 と呼ばれる薬師如来があり、目の病気に霊験あらたかな仏様とされています。 ◆ その他、全国の眼病に効くとされる寺社の一覧が、健康アイマスクを製造する 《名和里商事》 のサイト内 「目にまつわるお寺・神社の情報」 というページにある。 ◆ また、《新紀元社》 の戸部民夫 『日本の神々』 によると、薬師如来とは別に、日本には雨夜尊(あまよのみこと) という目の神さまがいたらしい。 ◇ 雨夜尊は、そもそも琵琶法師などの盲人の守護神であり、そこから目の病気に悩む人々に霊験ありとして信仰されている神さまである。雨夜という変わった名前の由来は定かではないが、おそらく目の不自由なことと “雨の夜の闇” との連想からきたものであろう。盲人関係の伝書などによると、雨夜尊というのは仁明天皇(833~85O)の第四皇子で第五十八代光明天皇の弟の仁康親王であるという。親王は生来、両目が不自由だったため、42歳で亡くなるまで京都の盲人たちがそばに仕えて身の回りの世話をした。 ◆ もう少し引用を続けると、 ◇ 歴史的にみると雨夜尊は、目の神としてはもっとも古くから力を発揮してきた神さまだったといえそうである。ただ、その後、薬師如来や不動尊、地蔵尊などが目の守り神として庶民の信仰を集めるようになると、その役割を譲った形になった。実際に、今日でも全国に目の神さまは数多く祀られているが、そのなかでも眼病平癒祈願の代表的な存在は薬師如来である。 / ついでに眼病平癒祈願の方法についてみてみると、薬師如来を祀る寺や薬師堂などでよくみかけるのが 「め」 の字を書いて奉納する習慣だ。たとえば 「め」 の字2つを目に模して(左が逆さ字、右が正字)書いた絵馬や願掛けの半紙を本納するのも1つの例。 ◆ ちょっと目が疲れてきたので、ここで終わり。 |
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