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◆ ホリエモンが自己のホームページ《六本木で働いていた元社長のアメブロ》で、 ◇ 栄枯盛衰。諸行無常です。 ◆ と、小室哲哉の逮捕にかんして、コメント。どうせなら、「栄枯盛衰」ではなくて、(ワタシがちょっと前に「盛者必哀」という記事を書いたという個人的な理由から)「盛者必衰」と(書くのではなく)発言してくれれば、なおのこと、よかったのだが。 ◆ 《四字熟語データバンク》によれば、「栄枯盛衰(えいこせいすい)」の類義語として、 ◇ 栄枯浮沈(えいこふちん) / 盛者必衰(じょうしゃひっすい) / 一栄一辱(いちえいいちじょく) / 一栄一落(いちえいいちらく) / 一盛一衰(いっせいいっすい) / 栄枯転変(えいこてんぺん) / 興亡盛衰(こうぼうせいすい) / 七転八起(しちてんはっき) / 消長盛衰(しょうちょうせいすい) / 消長遷移(しょうちょうせんい) / 盛衰興亡(せいすいこうぼう) ◆ が挙げられており、ずらりと並んだ四字熟語に、見とれてしまうが、まあ、自分でこれらのコトバを使うことは今後まずないだろう。 ◆ 以下、おまけ。ホリエモンのホームページの当該記事にたいする読者のコメントに、こんなの。 ◇ 悪い事かも しれませんが/皆さんも何度か小室さんの曲で救われませんでしたか? 芸術かや天才といわれる人は人生を踏み外すことはしばしばある/小室さんもプライドがあるとは 思いますが国民に 頭をさげて お金を集めれば10億 20億すぐに 集まると思います(別にファンではない)/自分も小室さんの曲に勇気をもらった事があります これは お金にはかえれない 時間です/小室さんの寄付金を集めてはいかがでしょうか/そして日本が誇る音楽をもう一度作ってくれるはずだと信じます |
♪ だけど今は 貴方への愛こそが 私のプライド ◆ ついでにもうひとつ。1996年のヒット曲。華原朋美「I'm proud」(作詞・作曲:小室哲哉)。今井美樹「PRIDE」(作詞・作曲:布袋寅泰)。いろんな意味で、似てる。 ◇ 朋ちゃんこと華原朋美さんの「I'm proud」、良く聞いてました。1996年のヒット曲です。/ 歌詞の「街中で寝る場所なんて どこにもない 身体中から涙こぼれていた」とか「最善をつくしても わかりあえない人もいた」とかいう部分が好きだったんですよね~。作詞はご存知小室哲哉さんです。/ で、同じ年に今井美樹さんが「PRIDE」をヒットさせています。森山直太朗さんと河口恭吾さんの「さくら(桜)」と似た状態ですよね。この時も友達とヒット曲の話をしていて勘違いしたりしてた記憶があります。「PRIDEって華原朋美の歌でしょ」とか(^-^; ◆ 「PRIDE」の、 ◇ 歌詞の内容は、恋をした女性が、「今は恋人を愛することが私自身のプライドだ」と考え生きていくというもの。歌詞のテーマがOLなどの若い女性層に高い人気を集め、カラオケでの定番曲となった。 ◆ 「I'm proud」も、ほぼ同じ。いや、受容層がだいぶ違うか? さらに、 ◇ 「PRIDE」も「I'm proud」も、男性が作詞していることに注意しておきたい。 ◆ しかも、たんなる「男性」ではなく、歌い手の女性にとって「特別な」男性が曲を提供していることに注意しておきたい。いや、提供したから「特別な男性」になったのか。それにしても、小室哲哉×華原朋美+布袋寅泰×今井美樹、たった4人の人間なのに、脇役も多数いて、かれらの人生を追いかけるだけでめまいがする。みなとてつもないエネルギーの持ち主なんだろう。 ◇ 「第57回NHK紅白歌合戦」が12月31日、東京都渋谷区のNHKホールで行われた。今年の目玉の1つだった今井美樹(43)、布袋寅泰(44)の夫婦共演。「PRIDE」の中奏で布袋のギターソロが始まると、それまで緊張気味だった今井の表情が思わず緩んだ。終演後、今井はコメントを避けたが、「楽しく歌えた?」の問いに「ハイ」と笑顔を見せた。 ◇ それにしても布袋は浮気したのに今井美樹はよく許しましたね。共演までしちゃって。―― やっぱ今井美樹のプライドでしょう。。。 ◆ まあ、いろんなプライドがあるんだろう。あと、徳永英明がVOCALISTシリーズで「PRIDE」を歌っていて、その歌詞をネットで検索すると、 ♪ だけど今は 貴女への愛こそが 私のプライド ◆ と、「貴方」が「貴女」になっていたが、これはどういうことなのだろう? よくわからない。 |
◇ 『プロジェクトX』で感動している人というのは、ほとんど初めから泣くためだけに見てるんだろう。中島みゆきの歌が聴こえてきただけで、涙ぐむ人もいるそうだ。パブロフの犬だね。黒部ダム秘話で泣いている一方で、ニュースを見ながら「長野県にダムを作るのはけしからん」なんて言いかねない。目的は知識を仕入れることとか、考えることではないから、矛盾していても構わない。
◇ 条件反射で有名なパブロフの犬ですが、普通はポチとかジョンとか固有名があるはずです。ご存知の方がいたら教えてください。 ◆ ポチとかジョンか。まあ、ポチはないだろな。この質問者に限らず、「パブロフの犬」の名前を知りたいひとは意外と多いようで、ほかにも《パブロフが実験に使った犬の名前を教えてください。 - 人力検索はてな》とか《「パブロフの犬」の犬の名前を教えてください。。。。 - Yahoo!知恵袋》とか。 ◆ 後者の質問者は、「特定の一頭に対しての実験ではなかったようで、飼い犬の名前に関する記述は見当たらない」という回答に対し、 ◇ 考えてみれば、実験動物に名前を付けるアホはいませんね。 ◆ とコメント。質問しといて、それはないんじゃない? フランス語のサイトでも、《Comment s'appelait le chien de Pavlov ? - Yahoo! Questions/Réponses》とか《Quel était le nom du chien de Pavlov ? - LYCOS iQ》とか。どうも、パブロフの犬は1頭(匹)だと思い込んでるひとが多いようだ。物書きの Dave Fox さんも、 ◇ Anyway, what I was thinking about Pavlov's dog is that he (or she) is one of the most famous dogs in history. I mean, name some other famous dogs: Snoopy, Lassie, Benji -- they were all either cartoons or actor dogs. Pavlov's dog was a real, non-fictitious doggie. Yet nobody knows what his (or her) name was. We don't even know the dog's gender. We just know him (or her) as "Pavlov's Dog." It's kind of a shame. The dog did all that salivating, and it got no credit for it's contribution to science. ◆ と書いて、漫画や映画の犬にだって、スヌーピーやラッシーやベンジーみたいに、ちゃんとした名前がついているのに、実在し科学の進歩に多大の貢献をしたパブロフの犬に名前がないのは(おまけに性別もわからないのは)、恥ずべきことだ、と憤慨している。 ◆ けれど、パブロフの犬(たち)に名前がなかったわけではない。パブロフ博物館の展示品のひとつに、革表紙のアルバムがあって、 ◇ アルバムに並んでいるのは、研究所で飼われていた犬たちの写真だった。これは研究所のスタッフが、パブロフの誕生日に贈ったものだという。〔中略〕 すべての犬たちには、ちゃんと名前があったようで、それぞれの写真の下に美しいデザイン文字が記されていた。ドゥルジョーク(友だち)、チョールヌィ(黒)、ジャック、イカール(イカロス)、ムラーシュカ(蟻)、レックス、ノールカ(ミンク)、クラサヴェッツ(美男子)、ノールト(北風)、カロース、ツングース、ルィージィ(赤毛)――。 ◆ 「プロジェクトX」で始まり、「プロジェクト・ドッグス」で終わるとは、なんともよくできた構成だこと、と自画自賛しておいて、終わらずに続ける。Tim Tully という科学者もパブロフ邸(パブロフ博物館)でそのアルバムを見たそうで、 ◇ After several dead ends, and on the final day of his visit, Tully was invited for a private tour of Pavlov's home. There he struck gold when the curator showed him a photo album inside which were photographs of forty of Pavlov's Dogs, along with their Russian names (e.g. Rosa, Mirta, Norka, Trezor, Visgun, Jurka, Jack, John. Photographs and complete list of names is available at http://www.cshl.edu/PDogs/). ◆ パブロフの犬たちの写真と名前のリストが、"http://www.cshl.edu/PDogs/" で見られる、ということで、さっそくその URL をたどってみたが、「Web ページが見つかりません」。ちっとも available ではない。《Internet Archive Wayback Machine》というのを使って、なんとかリストだけは見ることができた。 ◇ 01 - valiet-1, 02 - tungus, 03 - iks, 04 - umnitza, 05 - valiet-2, 06 - barbos-1, 07 - laska, 08 - valiet-3, 09 - ikar, 10 - rogdai, 11 - arleekin, 12 - krasavietz, 13 - postrel, 14 - norka, 15 - beck-1, 16 - beck-2, 17 - toi, 18 - rafael, 19 - milkah-1, 20 - avgust, 21 - ruslan, 22 - milkah-2, 23 - murashka-1, 24 - bely-1, 25 - rex, 26 - mampus, 27 - novichok, 28 - mirta, 29 - pingiel, 30 - bely-2, 31 - rijiy I, 32 - diana, 33 - milord-1, 34 - zolotisty, 35 - rosa, 36 - gryzun, 37 - chingis khan, 38 - chyorny, 39 - baikal, 40 - box, 41 - molodietz, 42 - milord-2, 43 - barbos-2, 44 - dikar, 45 - nord, 46 - drujok, 47 - trezor, 48 - jurka, 49 - jack, 50 - murashka-2, 51 - martik, 52 - premjera, 53 - joy, 54 - visgun, 55 - arap, 56 - zlodey, 57 - rijiy II, 58 - lis, 59 - lady, 60 - john ◆ このリストもじっくり見るとおもしろそうだが(チンギス・カンなんてのもいる)、ちょっと疲れたので、また今度。ああ、そうそう、「ポチとかジョンとか」のジョンまでホントにいたよ。驚いた。ポチはやっぱりいないけど。 |
◇ 船頭烏賊は保輔をみて怒った。いきなり、墨を噴きかけて来た。だが、的(あた)らない。船頭烏賊は焦った。宇宙工学の超精密機器を思わせるようにしきりにメラニン色素を変化させた。薄い皮膜の下で赤や黄や黒、紫などの厖大な数の色素粒が一瞬間のうちに天文学的数値で移り変わった。――結局、船頭烏賊は周りの磯の色に溶け込むことはできなかった。焦りすぎて計算が狂ったのだと保輔は思った。/ そのときの船頭烏賊の自身の計算ちがいか、または訪れた運命への哀しみをこめた眸(め)を、保輔は忘れることができない。あるいは怒りの眸だったかもしれない。 ◇ 何故、自分が泣いているのか、萌絵は必死で考える。慌ててバックミラーの死角に顔を隠して、手で目を擦った。瞬時に感情を抑える機能は、うまく働かなかった。 ♪ 鏡の中で ほほえんでみる ほっぺたがちょっぴり ひきつるけれど |
◆ 札幌市北区麻生町。 ◇ 札幌の麻生という地名は何と読むのですか? 札幌市の麻生は「あざぶ」ですか?「あさぶ」ですか? 大学生の息子が札幌にいますが、「あさぶ」と言う人と「あざぶ」と言う人がいるそうです。どちらが本当なのですか?
◇ 俺生まれてから麻生を離れた事ないけど、思いっきり「あざぶ」だよ。 ◇ 僕はその麻生に住んでいますが、これは「あそう」ではなくて、「あざぶ」もしくは「あさぶ」と読みます。麻生周辺とか北区民は殆どは「さ」を濁らせて「あざぶ」と読んでいる。しかし地下鉄に乗ると、「つぎはーあさぶーあさぶー」と言っている。小学校高学年くらいで地下鉄に乗ったときにあれ?アナウンスは「あさぶ」って言っているな、と初めて気がついて、ああ、ホントは「あさぶ」なんだな、と思いつつ、言い慣れた「あざぶ」を使っている。これ、おそらく殆どの地元民がそうだろうと思う。 ◆ 《札幌市北区役所ホームページ》に地名の由来についての記載がある。 ◇ 麻生町 「あざぶ」と読む人が意外に多いが、「あさぶ」が正式呼称である。かつて、この地域の大部分が帝国製麻琴似製線工場だったことから、住民の要望で亜麻工場の昔をしのぶ、「麻生町」の名がついた。 ◆ 同じページに、「赤ん坊川」というのもあって、なにかと思ったら、 ◇ 篠路赤坊川 この川は、明治二十一(1888)年ころ、苗穂刑務所の囚人たちが掘ったかんがい溝である。当時の囚人は赤い獄衣を着ていたので、人々に赤ん坊と呼ばれていた。このことから、「篠路赤坊川」の名が付いた。 ◆ こちらの方がおもしろいかも。 |
◇ それにしても睫毛の睫って綺麗な漢字だね ◇ 睫(まつげって漢字で書くとちょっと恐いよネっ) ![]() ![]() ◆ 《語源由来辞典》によれば、 ◇ まつげの「ま」は、「まぶた」「まゆ」「まばたき」などの「ま」と同じ「目」の意味で、複合語の中で用いられる時の形。まつげの「つ」は、古形の格助詞で「の」の意味。つまり、まつげは、「目の毛」の意味である。 ◆ なるほど。「まつげ」の「つ」は「遠つ国」「沖つ白波」の「つ」と同じだったのか。 ◇ 現在では殆ど使われなくなり、「まつげ(目つ毛)」「おとつい(遠(をち)つ日)」などに化石的に残っているばかりである。 ◆ 「化石的」か。「睫」のついでに「瞼」。「瞼」は、『瞼の母』なんてのもあったから、「まぶた」と読むには造作はないが、「まぶた」が「目の蓋(ふた)」ということに、ある日突然(独力で)、気がついたときには、ちょっと感動してしまった。また、「唇」が「口の蛭」だということに気がついたのは、川端康成の『雪国』で、 ◇ 駒子の唇は美しい蛭の輪のように滑らかであった。 ◆ でも、「くちびる」の語源は「口の蛭」ではないらしい。 ◇ くちびる(唇)とひる(蛭)は、直接には関係ないようです。くちびるは、もとくちべり(口縁)で、唇になったというのが、大言海などの通説です。 ◆ だそうで、なんとも残念。 |
◆ 久しぶりに大型書店に寄って、帰りのバスのなかでなにか読む本はないかと、しばし時間をつぶした。新書と文庫の棚のあたりをうろうろし、 ◆ 三土修平 『株とギャンブルはどう違うのか』(ちくま新書)←「株式投資に夢を見る前に知っておくべき基礎がある。資産価値はどう決まるのか。その値上がり益とは何か。値動きの背後にある法則を経済学の視座から平明に説く。」←タイトルに釣られ、立ち読みしたが、いたってマジメな内容で、ギャンブルの話はほとんど出てこない。 ◆ 坂口孝則 『営業と詐欺のあいだ』(幻冬舎新書)←「一流の営業マンは、絶妙なタイミングで商品を薦め、必殺の決めゼリフを持ち、相手を褒め倒して必要のないモノも買わせる。詐欺師と一流営業マンは紙一重。きわどい営業のコツと心得を伝授!」←これもタイトルに釣られ、立ち読みしたが、とくにきわどいハナシはない。 ◆ 神仏霊場会編 『神と仏の道を歩く』(集英社新書ビジュアル版)←「西国(近畿)の名だたる古社名刹が手を結び、「神仏和合」にもとづく新しい組織「神仏霊場会」を設立、「巡拝の道」が誕生した。参加社寺は一五〇に及ぶ。江戸時代まで盛んに行なわれた伊勢参りや熊野詣のように、神仏を同時に崇拝していた精神風土を現代に取り戻し、末永く百年千年の規模で展開する巡礼ルートだ。本書はその巡拝の道、唯一の公式ガイドブックである。解説に加えて、現代日本の鉛筆画壇の最高峰の作家たちが、全社寺の姿を描き下ろした。細密鉛筆画特有の柔らかさ、精神性が、世界遺産を抱え、美しい景観の保護も目指す「神仏霊場 巡拝の道」に彩りを添えている。」←東国編だったら、買ったかもしれない。鉛筆画が美しい。《木原和敏 Web美術館》で、その細密鉛筆画の一部が見られる。 ◆ けっきょく、なにも買わずに店を出た。 |
◆ たとえば、1日の日記を書くのに3日かかる、というようなことは、どう考えても、経済的・生産的ではないが、それだけの時間が必要になるような特別な日もある。 ◆ というようなこととはなんの関係もないが、ラーメンのつづき。ラーメン好きなひとが大勢いるようで、どこの街でも、飯時になにか食べようかと思って見渡したときにかならず目につくのが、まずラーメン屋。ワタシは、定食屋のほうが好きなので、見つかれば定食屋にはいるが、ないことも多いので、そんなときには、ラーメンを食べる。たいていの場合、おいしい。凝ったスープに具だくさん。食った、食った、満足、満足・・・、しない。なにかもの足りない。なぜだろうかと考えた。 ◇ ラーメンは、それ単体で「主食」「具」「スープ」がすべて含まれた完全食。いわばフルコースと同じものと考えても問題ない。 ◆ ははん、そういうことかもしれないな。全部がひとつになってるというのが、ワタシは逆に気にいらない、ということか。ラーメンに小ライス無料という店があるが、ライスの食べ方にいつも困ってしまう。ラーメンはあまりにも独立して完成された料理なので、その他のものを受け入れない、って感じ。完全でなくていいから、いろんなものをたくさん食べたい。ぜいたくなのはどっちだろう? 欲張りなのは? |
♪ ラーメンたべたい ◆ ラーメンのさらにつづき。矢野顕子の「ラーメンたべたい」の歌詞の「うまいのたべたい」の部分。「ことばのレベル」が合っていないところが、微妙に魅力的でもあるのだろう。「おいしいの食べたい」でもなく、「うまいの食いたい」でもなく、「うまいの食べたい」。奥田民生なら「うまいの食いたい」の方がいいかもしれないが、ふだんはラーメン屋にひとりで行かないような女性のことを歌った歌であるなら、「おいしいの食べたい」ではややもの足りず、すこし乱暴に「うまいの」と言ってみせることで、「つらい」気持ちをなんとか打破しようとする女性の健気な努力を、言外に伝えることに成功している、と評論っぽくなってしまった(ので、あとで書き換えることにする)。 ◆ で、思い出したのが、「ハラ減った、メシ食わせ」。 ◇ 食事の準備をしている母親の後ろで「腹減ったー。飯食わせー」なんて、何か近くにあるものを叩いてリズムを取りながらよく言っていましたから、 ◇ 大阪の千里山の洟垂れ小僧や娘達は、昼前には「腹減った、飯食わせ」と大合唱して先生達を困らせたものです。 ◇ 「はら減ったぁ~飯食わせぇ~♪」っていうのは、関西の子供が、お腹がすいた時に節をつけて唄って、必ずお母さんに叱られる唄です。これ、関西だけだよね? ◆ えっ、これは関西限定? 子ども時分、夕食時に、茶碗を箸で叩きながら、「ハラ減ったァ~、メシ食わせェ~」と連呼する。わざと下品なコトバを使うのがなんとも楽しかった。そんな記憶はありませんか? これが「おなか減ったァ~、ごはん食べさせてェ~」だったら、ほんとに貧乏な気がしてきて(ほんとに貧乏だとしても)、救われませんね。 |
◇ 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。 ◆ 以下はドイツに留学したひとのエッセーの一部。 ◇ 〔私が借りることになった〕 住居というのは、マールブルクから凡そ5キロ離れたケルベ村の小高い丘の上にある造園業者、シェーファー家の3階である。この家の住所がFriedhofstrasse 10番地だったのである。私は初めこの通りの意味を知らなかった。Friedeというのは「平和」であり、Hofというのは「中庭」であること位は知っていたので、それを組み合わせれば「平和の庭」となり、中々良い響きの町名であると思っていた。ところが、ドイツに行ってから友人より指摘され、「墓場通り」という意味であることが分かったのである。ある休みの日に家族連れで、この通りを丘の上に向かって3~400メートル程歩いて行くと、紛いもなく、沢山のお墓があるのを見つけて納得したが、別に悪い気はしなかった。というのも、この墓場は丘の上の広々とした場所にあり、明るく美しかったので、印象は悪くなかったからである。 ◆ なお、「但し語原学には関係がない」と注記されているように、Friedhof を「平和の庭」と解釈するのは、民間語源(Volksetymologie)で、一種の語呂合わせにすぎないのだけど。 ◇ Unser "Friedhof" entstand aus dem mittelhochdeutschen "vrithof", welches nicht den Frieden, sondern einen eingefriedigten Platz um die Kirche herum bedeutete. |
◆ 先に引用した三木清の『人生論ノート』の続き。 ◇ 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。/ 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病氣の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなからうか。これは青年の健康感とは違つてゐる。恢復期の健康感は自覺的であり、不安定である。健康といふのは元氣な若者においてのやうに自分が健康であることを自覺しない状態であるとすれば、これは健康といふこともできぬやうなものである。 ◆ 「恢復期」convalescence というコトバはいろいろなことを考えさせる。回復するというのは、マイナスがゼロに戻るだけのはなしだが、ひょっとすると、まちがってプラスになることもあるのかもしれない。たとえば、借金のように。よそから金を借りて、それを返そうというマイナスからの努力は、プラスをさらに増やそうという動機のなさに比べれば、そのエネルギーには圧倒的なものがあるだろう。また、中年以降の恢復期は、少年少女のそれとは質的にすいぶん異なっているだろう。恢復期をテーマにした文学作品は数多いが、たまたま読んでいたのが、三好達治訳のアナトール・フランスの掌編集『少年少女』。そのなかに「回復期」。 ◇ ジェルメーヌは病気になりました。どうして病気になったのかはわかりません。熱病の種をまく手も、毎晩やってきて子供たちの目に睡気を催させる、砂をいっぱい握りしめたあの老人の手と同じように、人の目にはとまりません。けれどもジェルメーヌは、それほど永い間病気になっていたのではありません。彼女はたいへん苦しみもしませんでした。そして今ではもう回復期に入っています。回復期というものは、それより前の健康な時よりも、いっそう気持ちの楽しいものです。 ◇ Germaine est malade. On ne sait pas comment cela est venu. Le bras qui sème la fièvre est invisible comme la main, pleine de sable, du vieillard qui vient, chaque soir, verser le sommeil dans les yeux des enfants. Mais Germaine n'est pas restée longtemps malade et elle n'a pas beaucoup souffert, et voici qu'elle est convalescente. La convalescence est plus douce encore que la santé qu'elle précède. |