◆ 先日、谷中霊園を散歩する機会があった。ネコがいて、ネコがいて、ネコがいた。なんとも平和な墓地で、気持ちがいい。 ◇ 思ひがけなく來る通信に黒枠のものが次第に多くなる年齡に私も達したのである。この數年の間に私は一度ならず近親の死に會つた。そして私はどんなに苦しんでゐる病人にも死の瞬間には平和が來ることを目撃した。墓に詣でても、昔のやうに陰慘な氣持になることがなくなり、墓場をフリードホーフ(平和の庭――但し語原學には關係がない)と呼ぶことが感覺的な實感をぴつたり言ひ表はしてゐることを思ふやうになつた。 ◆ 以下はドイツに留学したひとのエッセーの一部。 ◇ 〔私が借りることになった〕 住居というのは、マールブルクから凡そ5キロ離れたケルベ村の小高い丘の上にある造園業者、シェーファー家の3階である。この家の住所がFriedhofstrasse 10番地だったのである。私は初めこの通りの意味を知らなかった。Friedeというのは「平和」であり、Hofというのは「中庭」であること位は知っていたので、それを組み合わせれば「平和の庭」となり、中々良い響きの町名であると思っていた。ところが、ドイツに行ってから友人より指摘され、「墓場通り」という意味であることが分かったのである。ある休みの日に家族連れで、この通りを丘の上に向かって3~400メートル程歩いて行くと、紛いもなく、沢山のお墓があるのを見つけて納得したが、別に悪い気はしなかった。というのも、この墓場は丘の上の広々とした場所にあり、明るく美しかったので、印象は悪くなかったからである。 ◆ なお、「但し語原学には関係がない」と注記されているように、Friedhof を「平和の庭」と解釈するのは、民間語源(Volksetymologie)で、一種の語呂合わせにすぎないのだけど。 ◇ Unser "Friedhof" entstand aus dem mittelhochdeutschen "vrithof", welches nicht den Frieden, sondern einen eingefriedigten Platz um die Kirche herum bedeutete. |
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