MEMORANDUM

  恢復期

◆ 先に引用した三木清の『人生論ノート』の続き。

◇ 私はあまり病氣をしないのであるが、病床に横になつた時には、不思議に心の落着きを覺えるのである。病氣の場合のほか眞實に心の落着きを感じることができないといふのは、現代人の一つの顯著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病氣の一つである。/ 實際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病氣の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなからうか。これは青年の健康感とは違つてゐる。恢復期の健康感は自覺的であり、不安定である。健康といふのは元氣な若者においてのやうに自分が健康であることを自覺しない状態であるとすれば、これは健康といふこともできぬやうなものである。
三木清 「死について」『人生論ノート』(青空文庫

◆ 「恢復期」convalescence というコトバはいろいろなことを考えさせる。回復するというのは、マイナスがゼロに戻るだけのはなしだが、ひょっとすると、まちがってプラスになることもあるのかもしれない。たとえば、借金のように。よそから金を借りて、それを返そうというマイナスからの努力は、プラスをさらに増やそうという動機のなさに比べれば、そのエネルギーには圧倒的なものがあるだろう。また、中年以降の恢復期は、少年少女のそれとは質的にすいぶん異なっているだろう。恢復期をテーマにした文学作品は数多いが、たまたま読んでいたのが、三好達治訳のアナトール・フランスの掌編集『少年少女』。そのなかに「回復期」。

◇ ジェルメーヌは病気になりました。どうして病気になったのかはわかりません。熱病の種をまく手も、毎晩やってきて子供たちの目に睡気を催させる、砂をいっぱい握りしめたあの老人の手と同じように、人の目にはとまりません。けれどもジェルメーヌは、それほど永い間病気になっていたのではありません。彼女はたいへん苦しみもしませんでした。そして今ではもう回復期に入っています。回復期というものは、それより前の健康な時よりも、いっそう気持ちの楽しいものです。
アナトール・フランス 「回復期」『少年少女』(三好達治訳,岩波文庫,p.54)

◇ Germaine est malade. On ne sait pas comment cela est venu. Le bras qui sème la fièvre est invisible comme la main, pleine de sable, du vieillard qui vient, chaque soir, verser le sommeil dans les yeux des enfants. Mais Germaine n'est pas restée longtemps malade et elle n'a pas beaucoup souffert, et voici qu'elle est convalescente. La convalescence est plus douce encore que la santé qu'elle précède.
fr.wikisource.org/wiki/Filles_et_garçons

関連記事:

このページの URL : 
Trackback URL : 

POST A COMMENT




ログイン情報を記憶しますか?

(スタイル用のHTMLタグが使えます)