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◆ ワタシのとなりのおっちゃんは、若いときに、詩を書いていたそうな。以下、岩本敏男の 「三月」 と題された詩の全文。昭和30年。 ぼくの一白水星の かあさん ◆ 友人には 「まるで貧しいことが正義みたいな詩だな」 と評されたらしい。なるほど、そんなふうな詩でもあるようだが・・・。詩そのものの批評はさておいて、最後の二行 「かあさん / 糊をたいてください」 の意味がわかるかどうか。 ◆ 「炊く」 といえば、ごはん。だが、関西では、その対象がやや広い。 ◇ 私は現在、京都に住んでいますが、コンビニのお惣菜などでも 「おあげと水菜の炊いたん」 とかがあったりして、普通に 「煮る」 ことを 「炊く」 って言いますね。 ◇ 大根を炊くときに、最初にとぎ汁でさっと下ゆでをしておくと、大根の苦みがとれます。 ◆ 関西では、大根も炊くし、糊(のり)も炊く。糊を炊く(煮る)といえば、「舌切り雀」 のおばあさん。以下は、その近江の高島ヴァージョン(《民話でたどる滋賀の風景》 より)。 ◇ 「おじい、おじい、きょうはどうするの」 ◆ この糊の原料は何か? いまでは化学糊というのもあるけれど、 ◇ 昔々、お婆さんが障子紙の張替えの為に用意した白ボンドを、スズメは毒と見破り近付こうともしませんでした・・・。これでは舌切り雀のお話は成立しません。 ◆ 化学糊ではお話にならない。といって、天然の糊ならなんでもいいわけでもない。デンプン(澱粉、Starch)を含んでいれば、トウモロコシ(コーンスターチ)、ジャガイモ、サツマイモ、タピオカ、小麦など、なんでも糊にできるけれど、「舌切り雀」 のお話では、雀の好物の米から糊を作るのでなければ、それこそお話にならない。 ◇ そういえば幼い頃おばあちゃんが障子貼り用の糊を煮るのを、目を丸くして眺めていたっけ。「おばあちゃん。糊はお米からできるの?」 と聞くと 「そうだよ。昔は家で使う糊はみんな自分で作ったんだよ」 と教えてくれて・・・。 ◆ では、マッチ箱のラベルを貼るのに適した糊の原料は何だったろう? かあさん ◆ 「かあさん」 が炊いたのは、小麦粉だったろうか? よくわからない。 ◆ 以下、おまけ。「炊く」 と 「煮る」 のハナシに戻って、炊飯器クッキング。 ◇ 炊飯器で大根を炊くと、本当に美味しいのです。鶏肉を炊くと、これまたほろほろ美味しく煮上がるのです。ということで、手羽先と大根を一緒に炊きました。ほーら、コラーゲンたっぷりのつやつやの煮物が炊けましたよ。 ◆ この文章の 「炊く」 は、ちょっと微妙。炊飯器で調理するから 「炊く」 と言っているのか(炊飯器で 「煮る」 とは言いにくいか?)、作者が関西人だから 「炊く」 と言っているのか、よくわからない。「煮物が炊け」 るというのも、ちょっと変? |
◆ 林芙美子といえば、『放浪記』(1930) が有名であるが、その冒頭に書きつけられた 「私は宿命的に放浪者である」 という簡潔なコトバほど、林芙美子という一個の人間を雄弁に語っているものはない。旅こそはすべて。 ◇ この放浪記では、何だか随分印税を貰ったような気がしてうれしかった。長い間の借金や不義理を済ませて、私は一人で支那に遊びに行った。ハルピンや、長春、奉天、撫順、金州、三十里堡、青島、上海、南京、杭州、蘇州、これだけを約二ヶ月でまわって、放浪記の印税はみんなつかい果たして、上落合の小さい家に帰って来た。 ◇ 支那に遊んだ翌年の秋、私は一冊の本を出して欧洲へ一ヶ年の旅程で旅立った。 ◆ 昭和6年(1931)、林芙美子はシベリア鉄道経由で巴里(パリー)へと向かう。以下、『林芙美子紀行集 下駄で歩いた巴里』(立松和平編,岩波文庫)の 「西比利亜(シベリア)の旅」 からの引用(行程順ではない)。 ◆ 汽車の長旅に備えて、哈爾賓(ハルビン)であれこれ買い出し。 ◇ まず葡萄酒を一本買いましたが、吝(けち)をしてしまって哈爾賓出来を買ったものですから、苦味(にが)くてとても飲めたものではありませんでした。 ◆ この 「吝をしてしまって」 という言い回しが、なんともいえずチャーミング。ハルビン産の不味いワインはどうなったかというと、 ◇ 十六日の夕方、ノボォーシビルスクと云うところへ着きました。そろそろ持参の食料品に嫌気がさして来て、不味い葡萄酒ばかりゴブゴブ呑んでいました。 ◆ シベリア鉄道の三等車内にて。 ◇ 鰊くさい漁師が一人いて、ヤポンスキーの函館はよく知っていると云って、日本を説明するのでしょう、盛(さかん)にゲイシャ、チブチブチブ・・・・・・と云うのです。そのチブチブが解らなかったのですけれど、チブチブと云うのはゲイシャの下駄の音の形容なのでした。私が、カラカラだろうと云ってみせると、そうだと云って、また、皆に説明をするのです。何の事はない信州路へ行く汽車の三等と少しも変りありません。 ◆ いとも簡単に、シベリア鉄道を 「信州路へ行く汽車」 に変えてしまうのは、もちろん林芙美子の力量であって、だれもが同じ経験を味わえるわけではない。これはどうでもいいけれど、多用される 「~ですけれど」 という言い回しもチャーミングだと思ったり。 ◆ 車内で知り合いになり、銀座で買った紙風船をプレゼントしたロシアの婦人とのハイラル駅での別れ。 ◇ 窓のカーテンは深くおろしたままです。海拉爾(ハイラル)には朝十時頃着きました。もう再び会う事はないでしょうこの深切なゆきずりびとを、せめて私は眼でだけでも見送りたいものと、握手がほぐれると私はすぐカーテンの隙間からホームに歩いて行く元気のいいお婆さんの後姿を見ていました。巴里(パリー)へ行くまで・・・・・・行ってからも、私は沢山の深切なゆきずりのひとたちを知りました。いまだに何もして報いられないのですけれど、そのままお互いがお互いを忘れて行ってこのままになるのでしょう。[下線は原文傍点] ◆ 書き写したい文章はまだまだあるけれど、図書の返却期限もかなり過ぎてしまっているので、引用もこの辺にしておきゃなきゃいけない。
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◆ 競馬における 「予後不良」 とは、「安楽死」 を婉曲的に表現したものである、と書いた。けれど、あるいは、この「安楽死」 という表現もまた一種の婉曲語法かもしれなくて、より明確に書くとすれば 「薬殺」 になるだろうか。 ◆ 生物の死にかんして、「死ぬ」 とか 「殺す」 とかいったコトバは生々しすぎるので、しばしば婉曲的な別のコトバに置き換えられる。「あの世へ行く」 あるいは 「あの世へ送る」、「永眠する」 あるいは 「永眠させた」などなど。 ◆ 性(器)にかんするコトバや排泄にかんするコトバも、また同じ。「下腹部」 というコトバにはいまだに慣れない。山では、「雉撃ち」「お花摘み」などというコトバもある。 ◆ 死や性や排泄に関連するコトバを遠回しに表現するのは、なにも日本語だけにかぎらない。英語ではその種の婉曲語法を euphemism と呼ぶ。オンライン辞書 Encarta World English Dictionary [North American Edition] に、euphemism の少し詳しい説明があった。ほどよくまとまっているので、やや長いが引用(euphemism の実例をグリーンで強調した)。 ◇ Euphemisms make the unpalatable more palatable. People use euphemisms chiefly to conceal feared things, for example, death; to conceal the reality of unthinkable crimes; to conceal references to sex, body parts and fluids, and excrement; and to elevate otherwise lowly sounding or derogatory occupational titles and institutional names. For instance, there are hundreds of euphemisms used daily for to die, a few of which are pass on/away, go to one's final rest, and depart/depart this life. Similarly, water landing is often used by airlines in lieu of the terrifying on-water ditching. Two of the most notorious euphemisms for genocide are, of course, the Final Solution and ethnic cleansing. Euphemistic references to sex and physiology are legion: sleep with for have sex with and break wind for fart are typical, as is social disease for sexually transmitted disease. Euphemisms that elevate the language of occupational titles include, for example, sanitation engineer for garbage collector, and those that elevate rather harsh-sounding institutional names include correctional facility for prison. The capacity of a euphemism to conceal tends to diminish over the years, as it becomes more and more closely associated with its referent, and if the taboo against talking about the referent remains in force, a fresh euphemism needs to be found for it. For instance, toilet was once a euphemism (it had previously referred to a dressing room with washing facilities), but it has long since become a plainly understood term for "a place of urination and defecation," a term now needing its own euphemism: rest room and powder room for the room itself, and commode for the plumbing fixture. ◆ 近年は、politically correct (PC) の影響もあって、euphemism が著しく増えている。garbage collector (ゴミ屋)のことを sanitation engineer (公衆衛生専門家)、prison (牢屋)のことを correctional facility (矯正施設)。 ◆ 婉曲語法の極めつけの例は、ジェノサイドの言い換えとしての、「最終解決」 (Final Solution) と 「民族浄化」 (ethnic cleansing)だろう。ナチスドイツとユーゴ紛争で生まれたこれらふたつのコトバの見事なまでの白々しさ! |
◆ ウマのハナシを書いていて、思い出した。「生き馬の目を抜く」 という表現がある。 ◇ 生き馬の目を抜くほど、素早く事をするさま。他人を出し抜いて素早く利を得るさま。生き馬の目を抉(くじ)る。生き牛の目を抉る。 ◆ 来歴は知らないが、どうして生きたウマの目を抉(えぐ)り出さなければならないのかがわからない。 ◇ 証券会社のメッカである兜町と北浜は、生き馬の目を抜く街と言われており、他人を出し抜いてでも儲けようとする人たちがひしめき合っており、情報とガセネタ、嘘と真、人情と非情、幸運と不運、明と暗が渦巻いております。何の世界でも人一倍金儲けしようとする人は、生き馬の目を抜くようなすばしっこさ、ずるさ、せちがらさがあるだけに、それだけの覚悟を持って挑まなければなりません。 ◇ しかし、そんなことでは生き馬の目を抜くような小売業界ではとうていやっていけない!という、著しく極度に危機感を激しくもった私は、こうやって、陸軍中野学校生徒の如く、日夜人知れず販売促進に奮励努力をしております・・・ ◇ 今まで自分に作品を与えてくれて、育ててくれたエージェンシーから離れるのは日本では恩知らずだと思われるが、生き馬の目を抜くハリウッドでは、その様な事は美徳とはされない。 ◇ 「生き馬の目を抜くような ファッション雑誌の業界」 「生き馬の目を抜くようなスピード感や情報の鮮度が求められる金融や不動産業界」 「生き馬の目を抜くような熾烈な競争環境にある中国企業」 「生き馬の目を抜くようなアメリカの一般民間テレビ局」 「生き馬の目を抜く600万人アクセス400万アイテム市場のヤフオク」 「生き馬の目を抜く受験戦争」 「生き馬の目を抜くような動きの速い厳しいゲーム業界」 「生き馬の目を抜く観の長距離トラック運転手の世界」 「首都圏という生き馬の目を抜く厳しい環境」 「生き馬の目を抜くといわれる香港の映画業界」 「生き馬の目を抜くような国際弁護士の世界」 「生き馬の目を抜く飲食業界」 「生き馬の目を抜く総合商社」 「生き馬の目を抜くブログ界」 「生き馬の目を抜くような東京砂漠」 「生き馬の目を抜くような、システム半導体業界」 「生き馬の目を抜くサッカーワールドカップ」 ◆ どうしてこんなにまで生き馬の目が抜かれる必要があるのだろう? 世界はそんなに血に飢えているのだろうか? 以前、おともだちのめめさんが、 ◇ 生き馬の目を抜くような緊張感やスピードに満ちた職場 ◆ と書いたとき、ワタシは思わず、 ◇ 生き馬の目を抜いてはいけない。痛いから。馬の好きなワタシはまずそう思ってしまったのでした。比喩であるとわかってはいても、こんなコトバはワタシには使えない。生々しすぎるので。もしも現実がそんな風であったなら、生き馬の目を抜かねばならないなら、そんな社会とはおさらばしたい。(あるいは、生き馬の目を抜かなくてもすむように努力するか?) 2004 12/05 19:04 ◆ というピントはずれなコメントを(いくぶんは皮肉を込めて)寄せてしまった。いつも冷静なめめさんには、 ◇ まさに、その、生々しさや痛ましさを感じるが故に 「生き馬」 を使うのです。残酷な表現でしか、表現できないものもありますよね。 ◆ とやさしく諭されてしまったのだが・・・。 ◆ ワタシの住むところからほど近い場所で、続けて2件のバラバラ殺人事件が起こった。血まみれの世界は遠いようで近い。 |
◇ 「民族浄化」 という言葉がなければ、ボスニア紛争の結末はまったく別のものになっていたに違いない。 ◇ ethnic cleansing 民族浄[純]化《ボスニア‐ヘルツェゴビナ紛争(1992‐95)でセルビア人がボスニアからのモスレム人やクロアチア人の武力追放を図ったことなど》. ◇ 民族浄化【みんぞくじょうか】 複数の民族集団が共存する地域において一つの多数派民族集団が他の少数民族集団を同化・強制移住,また大量虐殺によって抑圧する行為。エスニック-クレンジング。 ◇ 次に第二の定義の意味における 「民族浄化」 は、ボスニア=ヘルツェゴヴィナおよびコソヴォで、諸集団により相互的に行なわれた。ボスニア=ヘルツェゴヴィナで最初の引き金を引いたのはセルビア人勢力だったかもしれないし、暴行の正確な規模の確定と比較は難しいが、ともかく大きな構図としては、ここにおける暴行の数々は一方的というよりは相互応酬的である。ところが、ある時期、欧米のマスメディアは専らセルビア人によるものとして 「民族浄化」 を概念化した。その後、そうした一面性への批判も次第に増大したが、《民族浄化=セルビア人による暴行》 という一面的図式も今なお完全に消えてはいない。 ◆ 「やられたらやり返すという考えを持っています」 と小学校の卒業文集に書いた 「とても勝ち気な女の子」 がいた。 ◆ わからないことにコメントはできない。 ◆ 中島みゆきの 「クレンジングクリーム」 という歌を思い出す。 ♪クレンジングクリームひと塗り 醜い女現われる ◆ クレンザーを使うたびに、その威力に驚く。ちょっと暴力的な洗剤だとも思ったり。 |
◆ ドラえもんはのび太にこう言った(《ことばの中のお釈迦様探し》)。 ◇ のび太:「また0点だ。」 ◆ 「お釈迦(になる)」 というコトバがある。その民間語源。 ◇ 物が壊れたとき、ダメになった時に 「おしゃか」 「おしゃかになった」 と言いますが、これは昔 「仏様を作ってくれ」 と頼んだのに出来上がったものはお釈迦様だったため、「お釈迦じゃねーか」 と言ったのが語源だとか。 ◆ ? これは意味不明。辞書を引くと、 ◇ 〔もと鋳物職人の隠語で、地蔵を鋳るのに誤って釈迦を鋳たことからという〕出来損ないの品。役に立たない品。「―を出す」 「―にする」 「―になる」 ◇ 作り損ねた製品。不良品。また、使いものにならなくなったもの。「―にする」 「傘が―になる」 ◆阿弥陀像を鋳るはずが、誤って釈迦像を鋳てしまったことから出た語とされ、鋳物・製鉄工場などで使われ始めたという。 ◆ 地蔵? それとも阿弥陀? ◇ (地蔵や阿弥陀の像を鋳るのに誤って釈迦像を鋳てしまったことからいう) つくりそこなうこと。つくりそこなったもの。不良品。「―にする」 「―になる」 ◆ 地蔵や阿弥陀? 『広辞苑』 はちょっとズルイ。阿弥陀だとしても、 ◇ よく、物が壊れることを 「お釈迦になる」 って言いますが、あれの元ネタは、「阿弥陀像(後光付き)を作るつもりが、失敗して(後光が欠けて)釈迦像になっちゃった」 って意味ですから。 ◆ ? これは意味不明。 ◇ 平安末の末法時代に阿弥陀如来による、来迎と往生にあこがれ救われたいと、裕福者は阿弥陀如来の造立を思い立ち、仏師に依頼しました。仏師は指先で輪を作る阿弥陀印にしなければならないのに、指を広げた釈迦の定印に作ってしまったので、依頼主に像の引き取りも製作料も断られてしまいました。そこから、阿弥陀を頼んだのにお釈迦様にしてしまったと、目的を間違えて駄目になってしまったことを 「お釈迦になった」 と言うようになりましたとさ。 ◆ これならありそうだ。また、まったく別の説もある。 ◇ 余談ですが 「お釈迦になる」 という言葉がありますがこれには色んな説がありその一つに江戸時代、飾り細工の制作行程で半田付けをする場合こてを温める火の温度を調節しないと半田が金銀の材料にうまく溶着しないだけでなく貴重な材料まで駄目にしてしまうことがあります。その失敗の原因は 「火が強かった」 のでありますが江戸っ子は 「ひ」 が 「し」 と訛るので 「火が強かった」 が「しがつよかった」 「しがつようか」 「四月八日」 となりました。その 「四月八日」 は釈迦如来の誕生日であたりますのでそれになぞらえて物が不良品になることを 「お釈迦になる」 といわれるようになったらしいです。 ◇ 「おシャカにする」 とは、もともと鋳物師が失敗作を作ったときに使う職人言葉。鋳物が失敗するのは鉄を溶かす温度が高すぎた、つまり 「火が強かった」 時。江戸っ子は 「ヒ」 を 「シ」 と発音する事から、「シがつよかった」 となり、これが 「四月八日」 に転じた。四月八日はお釈迦様の誕生日で、ここから 「おしゃかになる」 と言う表現が生まれた。つまり江戸っ子のダジャレから生まれたようだ。
◇ 紀元前565年の4月8日、お釈迦様がご誕生されました。その時、竜王が天から甘露の雨を降らせ、その雨で梵天・帝釈天がお釈迦様を洗い、地面からは花の香がしたと説話にあります。花まつりはこれにならい、お堂を花で一杯に飾り花御堂として、その中に水盤に乗せた誕生仏を置き、竹の柄杓で甘茶を掛け祝います。 ◇ 「花まつり」 は第二次大戦後に広まった名前で、本来は灌仏会かんぶつえ仏生会(ぶっしょうえ)浴仏会(よくぶつえ)降誕会(こうたんえ)竜華会(りゅうげえ)などと言います。 |
◆ もちろん、鎌ヶ谷にしても高岡にしても、ワタシはただの通りすがりだから、そこでの暮らしを知っているわけではない。たとえば、ヘアーサロン大仏が、 ◇ 散髪がおわって支払いのとき、さりげなくセブンスターを1本すすめてくれるサービスに、少年時代の私は、ちょっと大人の気分を味わったものです。 ◆ というマスターのいるような店だというようなことは、外からではわからない。 |
◆ 12月25日(クリスマス)、埼玉県蓮田市愛宕神社。本殿だか拝殿だかを覗いてみると、「健康標語」 なるものが目についた。25日の 「一日一言」 は、
◆ この 「健康標語」 なるもの、いったいだれがどこで印刷・出版しているのか知らないが、なんともいえず後味の悪さが残る文章である。覗きこんだワタシが悪いといえば悪いのは承知のうえで、なんだか見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がする。
◆ この種の文章にワタシは弱い。弱いというのは苦手という意味だが、文章のクセがありすきて、すなおに文意をたどれない。宗教がらみの人物が書きそうな文章だ。そういえば、ここは神社だったけれども・・・。 ◆ ホントに見なきゃよかった。 ◇ 優生保護法 第1条: この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。 ◇ 母体保護法第1条: この法律は、不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護することを目的とする。 ◆ 1996年(平成8)、優生保護法は一部の優生思想にもとづく文言を変更のうえ、母体保護法に法律名が変更された。第2条第2項(定義)はどちらも変らず、 ◇ この法律で人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。 ◆ どうでもいいけど、ちかごろネットであれこれ検索していると、《Yahoo!知恵袋》 という質問サイトがやたらにヒットする。で、その内容を読むたびに、これまた後味の悪さといったらない・・・。 ◇ 優生保護法がなくなって障害児が多くなりますよね? 色々なところでバリアフリーが蔓延して日本人の体力の低下を招き、高齢化が進む中どんどん寝たきり老人が増え、若い人は障害児がどんどん増えて、国家を揺るがしかねない問題と私は考えるのですが皆さんどう思いますか? ◆ 「健康標語」 の日本語に似ていないこともない。 |
◆ やや時間に余裕があったので、ワタシのおっちゃんの書いた文章の一部を E-TEXT 化してみた(《岩本敏男ことば館》)。その途中で、ちょっと調べもの。 ◆ Masaccio はイタリアルネサンスの画家。マザッチョ、マサッチオ、マサッチオ。 ◇ フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂ブランカッチ礼拝堂の壁画がことに著名である。同壁画のなかでも有名な 「楽園追放」 のアダムとイヴの像は、 「マサッチオ」 という画家の名は知らずとも、誰もが一度は図版で見たことがあるに違いない。
◇ ぼくは、かわいそうな、裸のアダムとイブの図版をながめなおした。アダムははずかしさとかなしさに、両手で顔をおおっていた。イブは、すこしあおむいて、ああ、といっていた。右の手は左の乳に、左の手は前をおおって、なにかの葉っぱがのびてきていた――ぼくは、にわかに顔を赤くした。 ◆ こんなのだった。というのは、いまではこんなのではなくなってしまっているからで、1980年代に修復が行われて、後世の加筆とみなされた部分がきれいさっぱり除去された。 ◇ The fig leaves were added three centuries after the original fresco was painted, probably at the request of Cosimo III de' Medici in the late 17th century, who saw nudity as disgusting. During restoration in the 1980s the fig leaves were removed along with centuries of grime to restore the fresco to its original condition.
◇ ぼくはイブに顔をちかづけた。葉っぱのかげからのぞいた。なにもみえなかった。 ◆ いや、ワタシにも憶えがあるようなことで、こちらまで赤面してしまう。そんな少年の努力もいまでは、ほとんど無用な時代になった。夜が更けるのを待って、両親が寝静まったのを見計らい、近所の 「ビニ本自動販売機」 まで忍び足で出かけていくなんて少年は、いまではもういないだろう。 ◆ そんなことを考えながら、いま一度修復された 「楽園追放」 の壁画の画像を見てみる。ああ、なんということだろう、モニターを上から覗いても、横から覗いても、やっぱりイブの 「そこ」 ははっきりとは見えないではないか。そのことに、ちょっと安心したり、いややっぱり残念だったり・・・。 |