◆ ウマのハナシを書いていて、思い出した。「生き馬の目を抜く」 という表現がある。 ◇ 生き馬の目を抜くほど、素早く事をするさま。他人を出し抜いて素早く利を得るさま。生き馬の目を抉(くじ)る。生き牛の目を抉る。 ◆ 来歴は知らないが、どうして生きたウマの目を抉(えぐ)り出さなければならないのかがわからない。 ◇ 証券会社のメッカである兜町と北浜は、生き馬の目を抜く街と言われており、他人を出し抜いてでも儲けようとする人たちがひしめき合っており、情報とガセネタ、嘘と真、人情と非情、幸運と不運、明と暗が渦巻いております。何の世界でも人一倍金儲けしようとする人は、生き馬の目を抜くようなすばしっこさ、ずるさ、せちがらさがあるだけに、それだけの覚悟を持って挑まなければなりません。 ◇ しかし、そんなことでは生き馬の目を抜くような小売業界ではとうていやっていけない!という、著しく極度に危機感を激しくもった私は、こうやって、陸軍中野学校生徒の如く、日夜人知れず販売促進に奮励努力をしております・・・ ◇ 今まで自分に作品を与えてくれて、育ててくれたエージェンシーから離れるのは日本では恩知らずだと思われるが、生き馬の目を抜くハリウッドでは、その様な事は美徳とはされない。 ◇ 「生き馬の目を抜くような ファッション雑誌の業界」 「生き馬の目を抜くようなスピード感や情報の鮮度が求められる金融や不動産業界」 「生き馬の目を抜くような熾烈な競争環境にある中国企業」 「生き馬の目を抜くようなアメリカの一般民間テレビ局」 「生き馬の目を抜く600万人アクセス400万アイテム市場のヤフオク」 「生き馬の目を抜く受験戦争」 「生き馬の目を抜くような動きの速い厳しいゲーム業界」 「生き馬の目を抜く観の長距離トラック運転手の世界」 「首都圏という生き馬の目を抜く厳しい環境」 「生き馬の目を抜くといわれる香港の映画業界」 「生き馬の目を抜くような国際弁護士の世界」 「生き馬の目を抜く飲食業界」 「生き馬の目を抜く総合商社」 「生き馬の目を抜くブログ界」 「生き馬の目を抜くような東京砂漠」 「生き馬の目を抜くような、システム半導体業界」 「生き馬の目を抜くサッカーワールドカップ」 ◆ どうしてこんなにまで生き馬の目が抜かれる必要があるのだろう? 世界はそんなに血に飢えているのだろうか? 以前、おともだちのめめさんが、 ◇ 生き馬の目を抜くような緊張感やスピードに満ちた職場 ◆ と書いたとき、ワタシは思わず、 ◇ 生き馬の目を抜いてはいけない。痛いから。馬の好きなワタシはまずそう思ってしまったのでした。比喩であるとわかってはいても、こんなコトバはワタシには使えない。生々しすぎるので。もしも現実がそんな風であったなら、生き馬の目を抜かねばならないなら、そんな社会とはおさらばしたい。(あるいは、生き馬の目を抜かなくてもすむように努力するか?) 2004 12/05 19:04 ◆ というピントはずれなコメントを(いくぶんは皮肉を込めて)寄せてしまった。いつも冷静なめめさんには、 ◇ まさに、その、生々しさや痛ましさを感じるが故に 「生き馬」 を使うのです。残酷な表現でしか、表現できないものもありますよね。 ◆ とやさしく諭されてしまったのだが・・・。 ◆ ワタシの住むところからほど近い場所で、続けて2件のバラバラ殺人事件が起こった。血まみれの世界は遠いようで近い。 |
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