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◇ Il faut toujours être ivre. ― Baudelaire ◆ 「いつでも酔っていなければならぬ」とボードレールは言った。それを真に受けて、できるかぎりは酔っていよう、と殊勝にも心がけているワタシは、たまたま目にした、《発言小町》の、 ◇ 30代前半の既婚女性です。主人はお酒が大好きです。逆に私はお酒が飲めないのでアルコールの事が全くといって良いほどわかりません。主人の普段の生活はというと、夜ご飯を食べるときに必ず ◆ というトピを読んだりすると、「週に連続2日は休肝日」だとぉ?、そもそも「休肝日」などというふざけたネーミングが気にいらない、新聞の休刊日だってせいぜい月に1度だろう、などと考えてしまうので、 ◇ 全然OKな範囲です。晩酌程度の量って感じがしますが・・。 ◆ というレスには、大いに賛同するけれども、 ◇ トピ主さんのご夫君は適度を超えてますね。依存症かどうかの判断は摂取量には関係ありません。欲望をコントロールできないのが依存症です。「飲んじゃダメ?」とトピ主さんに尋ねるご夫君に「自分で我慢できないのはアルコール依存症よ。」とおっしゃってみてはいかがでしょう。 ◆ などというレスを読んだりするともういけない。「自分で我慢できないのはアルコール依存症よ」などと言われる筋合いなどどこにあるというのか? 酒の飲めない嫁が勝手に作った基準に合わないからといって、アルコール依存症扱いされるとは! 経済的な事情で「休肝日」というならわからないでもないけれども。 ◆ ちょっと気分転換。 ◇ 東京のソバ屋のいいところは、昼さがり、女ひとりでふらりと入って、席に着くや開口一番、「お酒冷やで一本」といっても、「ハーイ」としごく当たり前に、つきだしと徳利が気持ちよく目前にあらわれることだ。 ◆ たかだか「缶ビール350ml1本」「缶サワー350ml1本」を、酒の飲めない嫁を前にひとりで飲むよりも、どうせひとりで飲むなら、ソバ屋でちょっとひっかけてから帰宅したほうがいいのでは? なに? そんな小遣いはもらっていない? なに? 「缶ビール」とあるのはウソで、ホントは発泡酒? ◆ そういえば、こんな短歌もあった。 ◇ 「アルコール依存症」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの ◆ いや、違ったか? |
◆ 《発言小町》のアルコール依存症がらみのトピにこんなのも。 ◇ 一人暮らしの独身アラフォ?女です。朝、会社へ行く前缶ビールを一本飲んでしまいます。もともとお酒は好きですが、朝から飲むなんて・・・ まして平日に・・・ 〔中略〕 これってアルコール依存症ですよね。 ◆ 知り合いにこんな女性がいたら、ワタシなら、 ◇ 仕事や心身に支障がないのであれば無理してやめる必要はないと思いますよ。『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物『葛城ミサト』さんのようで、とっても魅力的です。 ◆ とでも、答えてしまうのではないかと思うけれども、本人がそのことに後ろめたさを感じているようなので、やめた方がいいのだろう。こんなレスもあった。 ◇ まともな会社なら飲酒して通勤なんて即クビですよ? 社会人失格です。 ◆ 「まともな会社」に勤めたことがないので、そんなものかなと思うばかりだが、「まともな会社」を「即クビ」になることと「社会人失格」になることとの関係がよくわからない。「会社人失格」なら、よくわかるけれども。《Wikipedia》に「社会人」という項目があったので見てみると(デキはあまりよくない)、 ◇ 現代日本のような会社社会(会社と社会が同一視されるような社会)にあっては、社会人になることは会社員になることとほぼ同義化されており、会社組織に所属して一定の雇用上の地位を得ること(例えば正社員となること)を指し示すことも多い。 ◆ それにしても、「社会人」を失格になったら、いったい何になるのだろう? 「社会」が取れて、「人(ひと)」に戻るのだろうか? そのことが気にかかる。 |
◇ 〔シネマトゥデイ映画ニュース〕 映画『欲望という名の電車』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したベテラン俳優カール・マルデン氏が、ロサンゼルスの自宅で老衰のため亡くなった。97歳だった。 ◆ たまたまこのニュースを目にして驚いた。驚いたのはワタシだけではないだろう。マイケル・ジャクソン死亡のニュースにも驚いたが、これとはわけが違う。死んだことに驚いたのではない。彼がつい最近まで生きていたことに驚いたのだった。あたりまえだが、だれでも死ぬまでは生きている。そして、これもあたりまえだが、ただ生きているだけではニュースにならない。 ◇ 〔Telegraph〕 When Karl Malden died last week, at the age of 97, I was shocked – not least because I hadn’t known he was still alive. He was already middle-aged in Elia Kazan’s wonderful A Streetcar Named Desire (1951), where, at 39, he won an Oscar for his role as Blanche DuBois’s awkward, idealising suitor Mitch. His friend Marlon Brando, 12 years his junior, died a while ago, as had all the other leading figures in the film. ◆ 12歳年下のマーロン・ブランドが死んだのは、2004年7月1日。5年前の同じ日だった。 |
◆ 気象庁のコトバ。 ◇ 気象庁は14日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した。平年より6日、昨年より5日早かった。 ◇ 「入梅(にゅうばい)が明けたね」 ◇ 降リ初メテ、凡ソ三十日間ニシテ、雷鳴アリテ絶ユ ◇ 「オープニング・ツユ!」 ◆ 東京も梅雨が明けた。毎年(というかここ数年)、「梅雨明けしたとみられる」という気象庁独自の言い回しを使ったニュースを聞きいたあと、車椅子のKさんの「入梅が明ける」という(ワタシにはいまだになじめない)表現を耳にし(「入梅」)、さらには、『言海』の「梅雨」の語義解説のなかの「雷鳴アリテ絶ユ」という爽快な一節を思い出して(「『言海』」)、ほんとうに梅雨が明けたんだなと実感する。 ◆ 今年は、それにもうひとつのコトバがはさまることになった。トラックのラジオが梅雨明けを告げたあと、ドライバーのMくんはそのニュースにすかさず反応して、「オープニング・ツユ!」と叫んだのだった。Mくんはファンキーな若者だから、いつもこのような調子で、おどろくほどのことはなにもない。ただ、せっかく梅雨が明けたというのに、「オープニング・ツユ!」はないだろう、そう思ったのだった。とにかく「ツユ・イズ・オーヴァー!」。 |
◆ 梅雨は明けたが、「ツユ・イズ・オーヴァー」はまだ終わらない。ある国語辞典の「明ける」の項に、こんな解説があった。 ◇ 「夜が―/朝が―」「旧年が―/新年が―」のように、古いものと新しいものの両方を主語にとる。前者は現象の変化に、後者は新しく生じた変化の結果に注目していう。同種の言い方に「水が沸く/湯が沸く」などがある。 ◆ 梅雨明けを「オープニング・ツユ」と迷訳したMくんのあたまのなかもわからなくはない。「明ける」は「開ける」でもあって、「open」というコトバに直結してもなんの不思議もない。 ◆ 「梅雨が明けた!」というのは「夏が来た!」というのとほぼ同義だろう。 ◆ 西洋には「王様は死んだ! 王様万歳!」という言い回しもある。(以下、今日の宿題) |
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◆ 暑い、暑い、蒸し暑い。ニューオーリンズの夏も、とんでもなく蒸し暑いらしい。 ◇ 気候は、とにかく蒸し暑い。ジメジメ・ジリジリした空気が、肌にねっとりとくっつく感じ。昼過ぎには、1時間ほど大雨がドカーンと降って、降り止んだあとは更にジメジメ感が増す。とてもじゃないけど、日中は歩き周れやしない。 ◇ 昨年、真夏のニューオーリンズへ行ったとき、凄まじい湿度に数時間歩いてはホテルへ戻ってシャワーを浴び、着替えてはまた出掛けることを繰り返し、
◇ 北緯30度(日本の屋久島と同緯度)にあるニューオリンズは、メキシコ湾の暖流の影響により、4~10月は高温多湿で湿度100%の日もあり、年によっては5月でも気温が摂氏40度近くまで上昇することがある。 ◆ 以下は、オレゴン州ユージンのローカル新聞《The Register-Guard》の1939年6月24日付の紙面から、Madeleine Gilbert Christenson さんの投稿記事。なかなかおもしろい。 ◇ When I started my job in New Orleans on Sept. 1, the thermometer was hovering around 98 degrees and the humidity wasn't far behind. If this happened at home. I thought to myself, we would have sense enough to retire to our basements, or take time off for a swim, but everybody was carrying on with the aid of electric fans just as if nothing were the matter. Unfortunately it doesn't stop with the heat and dampness. Your shoes begin to mould and your pillow takes on a musty smell. Your laundry bill mounts because you can't wear a dress more than one day or a shirt more than half a day. a doctor friend of ours calls it "stewing in your own juice." I always mean not to look at that giant thermometer mounted on top one of the buildings on Canal street, but it has a horrible fascination for me. ◆ 気温が華氏98度(摂氏36.7度)で、湿度も90パーセントはあるのだろう。これがオレゴンの地元だったら、地下室に引っ込むか、泳ぎにでも行くところ。とても仕事ができる環境じゃない。それなのに、ニューオーリンズのひとたちときたら、扇風機を回して涼しい顔で仕事をしてる、云々。エアコンのないワタシは、1939年のニューオーリンズのひとたちに、ぐっと親近感がわく。でも、やっぱり暑い。 |
◆ Madeleine Gilbert Christenson さんの投稿記事からもうすこし。 ◇ The distinctions between negroes and whites impress westerners most. In the office in which I worked there was a reception room barely big enough for six chairs, and yet on one side of the room was the neatly lettered sign "colored" and on the other, "white." The streetcars have movable wooden contraptions that clamp on the back of the seats and say: "for colored patrons only." If an unsuspecting northerner fails to notice the sign as did my mother when she was visiting me, the conductor will usually ask that the person move to another seat. A colored passenger never makes this mistake. ◆ 1939年ごろのニューオーリンズの路面電車には、「for colored patrons only」と書かれた木製の移動式表示板が車内中ほどの座席のうしろに付けられていて、それより後ろが黒人用、それより前が白人用と、人種によって座る席が決められていた。そんなルールを知らない北部のひとが表示に気づかずに黒人席に座ると、車掌に席を移るように注意される。わたしの母がそうだった。黒人はそんなミスはしない、云々。
◇ 〔同志社大学名誉教授・榊原胖夫〕 そのころ〔1955年〕の南部は人種隔離(セグリゲーション)が原則で、ホテルもレストランも学校も公衆便所も白人と黒人は別であった。都市バスは中ほどに「黒人のお客さまだけ」という掛札があり、黒人はそれより後ろの席と決められていた。黒人の乗客が増えると、掛札は前へ、白人が増えると後ろへ移された。東洋人は前か後ろかと聞く同僚の学生もいたが、もちろん前である。黒人は、かつて奴隷だったが故に差別されているのであって、肌の色が黒くても頭にターバンを巻いていれば白人扱いであった。 ◆ もちろん、いまはこんな表示板はない。 |
◆ 何年たってもケイタイに慣れない。操作の仕方がわからない、といったことではない。当人にとってはふつうの会話でも、パブリックな空間では、それをたまたま耳にした他人にしてみれば、ひとりごとにしか聞こえない、という状況の異常さにいつまでたっても慣れない。さきほど、風呂屋の帰りに、コンビニの前で、60がらみの女性が、ケイタイで話している声を聞いた。 ◇ 「リツ子みたいに性格悪くなきゃいいんだけど」 ◆ あるいは、「リツ子みたいに性格悪くないからいいんだけど」と言ったのかもしれない。べつに聞き耳を立てて聞いていたわけではないので、断言はできない。近ごろは、風呂屋の脱衣場でケイタイで会話しているバカもいるくらいだが、風呂上りというのは、日常の緊張状態とは正反対なぐらいに極度のリラックス状態にあるものなので、騒音を遮断せよと脳が指示を出しても身体がなかなか反応しない。それどころか、ふだんより数倍の感度でその騒音が耳に入ってきたりもする。 ◆ で、リツ子というのはいったい誰なんだ? 娘なのか? 自分の娘はそんな性格が悪いのか? 育て方が悪かったせいじゃないのか? それとも妹なのか? それとも、息子の嫁なのか? リツ子ってのは? どういう字を書くんだ? 律子なのか? もう、せっかくの風呂上がりも台なしだ。 ◆ そんなわけで、家に帰ってから、個人的な思い出として、高校の同級生の律子さんを思い出し、そういえばあの律子さんはいまごろどうしてるかなあ、と考える。性格はまったく悪くなかった。悪かったのはもちろんワタシの方で……。 |
◆ こんなニュースの見出し。 ◇ 「そういうことだったのか」…マンションで男女2人刺される ◆ これだけで、なんとなく、そういうことなんだろうな、とわかった気がしまうのが不思議といえば不思議。どんな事件かというと、 ◇ 〔MSN産経ニュース:2009.7.22 00:37〕 2009.7.22 00:37 21日午後10時35分ごろ、東京都北区豊島のマンション3階で、「男に刺された」と110番通報があった。警視庁王子署員が駆けつけたところ、男女2人が刃物で刺され、病院事務の女性(38)が腹などを刺され重傷、医師の男性(26)が腕を刺されたが、いずれも命に別状はないという。同署は殺人未遂事件として男の行方を追っている。 ◆ いかにもワイドショーが好みそうな情痴事件。「そういうことだったのか」とつぶやいて(あるいは叫んだのか?)逃走した男。以前、「そういうことだったのか」という記事を書いたのを思い出した。その最後にこう書いていた。 ◇ 「そういうことだったのか」という納得の仕方には、いつでも深い諦念が畳み込まれているようで、切ない。 ◆ あいかわらず、そう思う。 |
◆ 広くディベートといった類のものが好きではない。もちろん、狭い意味でのディベートも嫌いである。「ディベート甲子園」なるものもあるらしい。 ◇ ディベートは、議論の仕方を学ぶための教育的なゲームで、「ことばのスポーツ」とも言われます。高校野球の"甲子園"が強い身体と鍛えられた技の闘いだとすれば、ディベート甲子園はしなやかな頭脳と練り上げられた論理の競い合いです。ディベートも若い情熱を燃やすに値するチャレンジングなゲームなのです。 ◆ ワタシにはゲームであろうが、とても楽しめそうにない。どうでもいいが、「強い身体と鍛えられた技」? 鍛えるのは身体で、技は磨くものだろう。 ◇ 若いころはそうでもなかったのだが、歳を重ねるごとに議論というものが嫌いになった。争論に勝とうとするかけひきも、知識のひけらかしもうんざりする。 ◆ とは、他人のコトバだが、まったく同感する。ワタシももう若くはない。 ◇ きょうび、いいよどまずに語れることなど、全体、世界のどこにあろう。ありゃしない。おそらく、そのように心の底で私は確信しているのだと思う。 ◆ これにも、まったく同感する。できるかぎり、うだうだと、いいよどみつつ、わからないと何度もつぶやきながら、あれこれのことを、これからも書いていくことになるだろう、と思う。 |
◆ 痴漢電車、痴漢電車、痴漢電車、それから、ああ、そうだ、『おくりびと』の監督だったんだ。 |