MEMORANDUM
2009年07月


◇ Il faut toujours être ivre. ― Baudelaire

◆ 「いつでも酔っていなければならぬ」とボードレールは言った。それを真に受けて、できるかぎりは酔っていよう、と殊勝にも心がけているワタシは、たまたま目にした、《発言小町》の、

◇ 30代前半の既婚女性です。主人はお酒が大好きです。逆に私はお酒が飲めないのでアルコールの事が全くといって良いほどわかりません。主人の普段の生活はというと、夜ご飯を食べるときに必ず
・缶ビール350ml・・・1本
・缶サワー350ml・・・1本
は必ず飲みます。これに芋焼酎だったりハイボールだったりを少ないときでグラス1杯、多いときで2杯は飲みます。1週間のうち週に連続2日は休肝日を設けさせています。まず1つはこれが飲みすぎか?そうでないのか?ということを聞きたいです。それと、主人は何かあるごとに毎日のように「ビール飲みたい」とか「お酒が・・・」とかを口に出します。主人は料理を作るのが好きなんですが、何で作るかといえば「お酒のつまみになるから」という理由です。休肝日の日にも「ビール飲みたいなぁ」とか「お酒飲んじゃダメ?」と聞いてくるので「休肝日なんだからダメ」と言って飲ませることはしませんが、そんなに毎日のように「ビールが」とか「お酒が」と言われるとアルコール依存症なんじゃないか?と疑いたくなります。主人に「毎日アルコールの事ばかり言うなんてアルコール依存症なんじゃないの?」と言った事があります。そしたら主人は「アルコール依存症ってのは手が震えたり、お酒を飲むときに手じゃなくて口を先に持っていく人だ。自分はそんな事しないからアルコール依存症じゃない。それに健康診断をしても悪いところなんて全く無いから大丈夫。」と怒って言いました。

komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0430/237339.htm

◆ というトピを読んだりすると、「週に連続2日は休肝日」だとぉ?、そもそも「休肝日」などというふざけたネーミングが気にいらない、新聞の休刊日だってせいぜい月に1度だろう、などと考えてしまうので、

◇ 全然OKな範囲です。晩酌程度の量って感じがしますが・・。

◆ というレスには、大いに賛同するけれども、

◇ トピ主さんのご夫君は適度を超えてますね。依存症かどうかの判断は摂取量には関係ありません。欲望をコントロールできないのが依存症です。「飲んじゃダメ?」とトピ主さんに尋ねるご夫君に「自分で我慢できないのはアルコール依存症よ。」とおっしゃってみてはいかがでしょう。

◆ などというレスを読んだりするともういけない。「自分で我慢できないのはアルコール依存症よ」などと言われる筋合いなどどこにあるというのか? 酒の飲めない嫁が勝手に作った基準に合わないからといって、アルコール依存症扱いされるとは! 経済的な事情で「休肝日」というならわからないでもないけれども。

◆ ちょっと気分転換。

◇ 東京のソバ屋のいいところは、昼さがり、女ひとりでふらりと入って、席に着くや開口一番、「お酒冷やで一本」といっても、「ハーイ」としごく当たり前に、つきだしと徳利が気持ちよく目前にあらわれることだ。
杉浦日向子「昼の酒」(杉浦日向子とソ連編『もっとソバ屋で憩う』,新潮文庫,p.192)

◆ たかだか「缶ビール350ml1本」「缶サワー350ml1本」を、酒の飲めない嫁を前にひとりで飲むよりも、どうせひとりで飲むなら、ソバ屋でちょっとひっかけてから帰宅したほうがいいのでは? なに? そんな小遣いはもらっていない? なに? 「缶ビール」とあるのはウソで、ホントは発泡酒?

◆ そういえば、こんな短歌もあった。

◇ 「アルコール依存症」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

◆ いや、違ったか?

《発言小町》のアルコール依存症がらみのトピにこんなのも。

◇ 一人暮らしの独身アラフォ?女です。朝、会社へ行く前缶ビールを一本飲んでしまいます。もともとお酒は好きですが、朝から飲むなんて・・・ まして平日に・・・ 〔中略〕 これってアルコール依存症ですよね。
komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0607/244349.htm

◆ 知り合いにこんな女性がいたら、ワタシなら、

◇ 仕事や心身に支障がないのであれば無理してやめる必要はないと思いますよ。『新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物『葛城ミサト』さんのようで、とっても魅力的です。

◆ とでも、答えてしまうのではないかと思うけれども、本人がそのことに後ろめたさを感じているようなので、やめた方がいいのだろう。こんなレスもあった。

◇ まともな会社なら飲酒して通勤なんて即クビですよ? 社会人失格です。

◆ 「まともな会社」に勤めたことがないので、そんなものかなと思うばかりだが、「まともな会社」を「即クビ」になることと「社会人失格」になることとの関係がよくわからない。「会社人失格」なら、よくわかるけれども。《Wikipedia》に「社会人」という項目があったので見てみると(デキはあまりよくない)、

◇ 現代日本のような会社社会(会社と社会が同一視されるような社会)にあっては、社会人になることは会社員になることとほぼ同義化されており、会社組織に所属して一定の雇用上の地位を得ること(例えば正社員となること)を指し示すことも多い。
ja.wikipedia.org/wiki/社会人

◆ それにしても、「社会人」を失格になったら、いったい何になるのだろう? 「社会」が取れて、「人(ひと)」に戻るのだろうか? そのことが気にかかる。

◆ 2009年7月1日、カール・マルデン(Karl Malden)死去。

〔シネマトゥデイ映画ニュース〕 映画『欲望という名の電車』でアカデミー賞助演男優賞を受賞したベテラン俳優カール・マルデン氏が、ロサンゼルスの自宅で老衰のため亡くなった。97歳だった。
www.cinematoday.jp/page/N0018681

◆ たまたまこのニュースを目にして驚いた。驚いたのはワタシだけではないだろう。マイケル・ジャクソン死亡のニュースにも驚いたが、これとはわけが違う。死んだことに驚いたのではない。彼がつい最近まで生きていたことに驚いたのだった。あたりまえだが、だれでも死ぬまでは生きている。そして、これもあたりまえだが、ただ生きているだけではニュースにならない。

〔Telegraph〕 When Karl Malden died last week, at the age of 97, I was shocked – not least because I hadn’t known he was still alive. He was already middle-aged in Elia Kazan’s wonderful A Streetcar Named Desire (1951), where, at 39, he won an Oscar for his role as Blanche DuBois’s awkward, idealising suitor Mitch. His friend Marlon Brando, 12 years his junior, died a while ago, as had all the other leading figures in the film.
telegraph.co.uk

◆ 12歳年下のマーロン・ブランドが死んだのは、2004年7月1日。5年前の同じ日だった。

◆ 朝からでも昼からでも、酒を飲んでいたいと思うが、なかなかそうもいかない。なにしろ店が開いてない。だから、写真だけ。郷土料理屋の看板。左:「越中郷土料理 魚津」。右:「郷土料理 能登路」。

◆ 郷土料理屋では、やはり地酒を飲みたい。「黒部の地酒 銀盤」とか「伏見の銘酒 源べヱさんの鬼ころし」とか。うん? どうして、能登路に伏見の酒? まあ、店内には能登の地酒もあるんだろうけど、ほんのわずか、入る気が失せる、そんなひともいるのでは? とも思ったり。

◆ あざみ野というところで、アザミのような花を見て、ここはあざみ野だから、この花はやっぱりアザミだろうか? でも、アザミは7月に咲くのだったっけ?

〔国立科学博物館〕 日本の秋の野山を彩るアザミ。古くから私たち日本人に親しまれてきた植物です。
research.kahaku.go.jp/botany/azami/index.html

◆ まだ秋じゃないけど、この花はそれでもアザミだろうか?

♪ 春は菜の花 秋には桔梗
  そしてあたしは いつも夜咲く アザミ

  中島みゆき 「アザミ嬢のララバイ」(作詞:中島みゆき)

◆ いまは昼だけど、この花はアザミにそっくりだから、やっぱりアザミなんだろう。

◆ あざみ野でアザミを見たことで、そういえば、と思い出したのが、藤が丘のフジ。

◆ フジといえば、藤色の学ランを着て「忍ぶ雨」を歌ったイガグリ頭の藤正樹、というのもいたが、アザミのつづきのハナシとしては、いまではもっぱら宇多田ヒカルの母として知られる藤圭子を思い起こすことにして、

♪ 赤く咲くのは けしの花
  白く咲くのは 百合の花
  どう咲きゃいいのさ この私
  夢は夜ひらく

  藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(作詞:石坂まさを)

◆ 藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」と中島みゆきの「アザミ嬢のララバイ」をならべて聞いてみる。

♪ 赤く咲くのは けしの花
  白く咲くのは 百合の花
  どう咲きゃいいのさ この私
  夢は夜ひらく

  藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」(作詞:石坂まさを,1970)

♪ 春は菜の花 秋には桔梗
  そしてあたしは いつも夜咲く アザミ

  中島みゆき 「アザミ嬢のララバイ」(作詞:中島みゆき,1975)

◆ ちょっと意外な気がしたのは、これらの曲の時間的な隔たりがわずか6年しかないこと。その短い間にいろんなことが変わってしまったのだろう。とはいえ、

◇ 藤圭子が旭川で小・中学校時代を過ごしている同時期に、中島みゆきは帯広で小・中学校 時代を過ごしている。二人の天才が晴れた空の下、同じ空気を吸っていたんですね・・・ 余談^^ このレコード出たときはみゆきは、藤女子大学に進学。コラボしてほしい・・・かなり暗いけど、必ずいい作品になると思います♪ 念のため・・・北海道の人は明るいですよ。
www.youtube.com/watch?v=9SOUDUOZylY

◆ ふたりの生年月日を調べてみると、藤圭子は1951年7月5日生まれ。中島みゆきは1952年2月23日生まれ。そうか、同学年か。

◆ 東急田園都市線に「あざみ野」駅があり、3つ先には「藤が丘」駅がある。ともに横浜市青葉区。この距離は近いのか遠いのか?

◆ あざみ野や藤が丘のある横浜市の青葉区は、青葉区というだけあって(その前は緑区だったというだけあって)、植物にちなんだ町名が多い。

◇ 青葉台・あかね台・あざみ野・梅が丘・榎が丘・柿の木台・桂台・桜台・さつきが丘・すすき野・たちばな台・千草台・つつじが丘・藤が丘・松風台・みすずが丘・緑山・もえぎ野・もみの木台・若草台

◆ 多すぎる。~台、~野、~が丘。

◇ しかし、「丘」があるってことは『谷』もあるんだよな。それについて触れないのが東急。
hobby10.2ch.net/test/read.html/rail/1194017275/

◆ こうした地名を作ったのが、東急なのか、役所なのか、住民なのか、しらないけれども、自然には山あり谷あり。人生には楽ありゃ苦もあるさ。

◆ 日本のどこかに嵐が丘なんて地名はないだろうか? ヒースの寂寞とした荒野。あれば行ってみたい。すこしは涼しく思えることだろう。

◆ 気象庁のコトバ。

◇ 気象庁は14日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した。平年より6日、昨年より5日早かった。
www.asahi.com/national/update/0714/TKY200907140149.html

◇ 「入梅(にゅうばい)が明けたね」
車椅子のKさんのコトバ(東京生まれ、68歳)

◇ 降リ初メテ、凡ソ三十日間ニシテ、雷鳴アリテ絶ユ
大槻文彦 『言海』(「梅雨」の項,ちくま学芸文庫,p.938)

◇ 「オープニング・ツユ!」
仕事仲間のMくんのコトバ(33歳)

◆ 東京も梅雨が明けた。毎年(というかここ数年)、「梅雨明けしたとみられる」という気象庁独自の言い回しを使ったニュースを聞きいたあと、車椅子のKさんの「入梅が明ける」という(ワタシにはいまだになじめない)表現を耳にし(「入梅」)、さらには、『言海』の「梅雨」の語義解説のなかの「雷鳴アリテ絶ユ」という爽快な一節を思い出して(「『言海』」)、ほんとうに梅雨が明けたんだなと実感する。

◆ 今年は、それにもうひとつのコトバがはさまることになった。トラックのラジオが梅雨明けを告げたあと、ドライバーのMくんはそのニュースにすかさず反応して、「オープニング・ツユ!」と叫んだのだった。Mくんはファンキーな若者だから、いつもこのような調子で、おどろくほどのことはなにもない。ただ、せっかく梅雨が明けたというのに、「オープニング・ツユ!」はないだろう、そう思ったのだった。とにかく「ツユ・イズ・オーヴァー!」。

◆ 梅雨は明けたが、「ツユ・イズ・オーヴァー」はまだ終わらない。ある国語辞典の「明ける」の項に、こんな解説があった。

◇ 「夜が―/朝が―」「旧年が―/新年が―」のように、古いものと新しいものの両方を主語にとる。前者は現象の変化に、後者は新しく生じた変化の結果に注目していう。同種の言い方に「水が沸く/湯が沸く」などがある。
大修館書店 『明鏡国語辞典』

◆ 梅雨明けを「オープニング・ツユ」と迷訳したMくんのあたまのなかもわからなくはない。「明ける」は「開ける」でもあって、「open」というコトバに直結してもなんの不思議もない。

◆ 「梅雨が明けた!」というのは「夏が来た!」というのとほぼ同義だろう。

◆ 西洋には「王様は死んだ! 王様万歳!」という言い回しもある。(以下、今日の宿題)

◆ 『欲望という名の電車』の舞台であるニューオーリンズのことが気になって、どんな町かとあれこれネットで調べたりもしているのだが、先日、仕事仲間のMくんと映画のハナシをしていて、Mくんが『ペリカン文書』みたいなサスペンスが好きだと言ったので、そういえば、ずいぶん以前にオーストラリアでバスを待つ時間つぶしに観た映画が、たしか『ペリカン文書』だった。そんな気がしたが、なんという町で、いつのことだったのか、を思い出すことができず、そもそも映画の内容にかんする記憶がなにも残ってはいない。で、DVDを借りてきて、観た。それでもやっぱりなにも思い出さないので、もしかしたら、オーストラリアで観たのは別な映画だったかもしれない。それはともかく、DVDを観たことで、『ペリカン文書』の舞台(のひとつ)もニューオーリンズであることを知り、それからジュリア・ロバーツが左利きであることを知った。

◆ 『ペリカン文書』に続いて、これもまたニューオーリンズが舞台の映画『エンゼル・ハート』(監督:アラン・パーカー,1987)のDVDを借りてきて観た。公開当時に観ているはずだが、これもまた、どこの映画館にだれと行ったものやら思い出せない。出演しているミッキー・ロークとロバート・デ・ニーロのふたりが、これもまた左利きらしいのだが、ミッキー・ロークは、手帳にメモをする場面では、万年筆を右手にもっているし、ロバート・デ・ニーロは、字を書く場面がない(『タクシードライバー』では、右手で書いているらしい)。だから、ふたりが左利きであるのかどうかは、この映画からはよくわからない。右利きなのかもしれないし、字だけは右で(も)書くのかもしれないし、もしかすると、画像の右手は、ミッキー・ロークのものではないのかもしれない。ま、どうでもいいんだけど。

◆ 暑い、暑い、蒸し暑い。ニューオーリンズの夏も、とんでもなく蒸し暑いらしい。

◇ 気候は、とにかく蒸し暑い。ジメジメ・ジリジリした空気が、肌にねっとりとくっつく感じ。昼過ぎには、1時間ほど大雨がドカーンと降って、降り止んだあとは更にジメジメ感が増す。とてもじゃないけど、日中は歩き周れやしない。
www.iris.dti.ne.jp/~ntai/travel08.htm

◇ 昨年、真夏のニューオーリンズへ行ったとき、凄まじい湿度に数時間歩いてはホテルへ戻ってシャワーを浴び、着替えてはまた出掛けることを繰り返し、
http://www.jpda.or.jp/friendship/la/la_13.html

◆ 『エンゼルハート』のミッキー・ロークも、ニューオーリンズの駅に降り立つとすぐに、顔をしかめて上着を脱いでいた。その下のYシャツはすでに汗まみれ。

◇ 北緯30度(日本の屋久島と同緯度)にあるニューオリンズは、メキシコ湾の暖流の影響により、4~10月は高温多湿で湿度100%の日もあり、年によっては5月でも気温が摂氏40度近くまで上昇することがある。
www.junglecity.com/travel/neworleans/basicinfo/weather.htm

◆ 以下は、オレゴン州ユージンのローカル新聞《The Register-Guard》の1939年6月24日付の紙面から、Madeleine Gilbert Christenson さんの投稿記事。なかなかおもしろい。

◇ When I started my job in New Orleans on Sept. 1, the thermometer was hovering around 98 degrees and the humidity wasn't far behind. If this happened at home. I thought to myself, we would have sense enough to retire to our basements, or take time off for a swim, but everybody was carrying on with the aid of electric fans just as if nothing were the matter. Unfortunately it doesn't stop with the heat and dampness. Your shoes begin to mould and your pillow takes on a musty smell. Your laundry bill mounts because you can't wear a dress more than one day or a shirt more than half a day. a doctor friend of ours calls it "stewing in your own juice." I always mean not to look at that giant thermometer mounted on top one of the buildings on Canal street, but it has a horrible fascination for me.
Eugene Register-Guard - Jun 24, 1939

◆ 気温が華氏98度(摂氏36.7度)で、湿度も90パーセントはあるのだろう。これがオレゴンの地元だったら、地下室に引っ込むか、泳ぎにでも行くところ。とても仕事ができる環境じゃない。それなのに、ニューオーリンズのひとたちときたら、扇風機を回して涼しい顔で仕事をしてる、云々。エアコンのないワタシは、1939年のニューオーリンズのひとたちに、ぐっと親近感がわく。でも、やっぱり暑い。

◆ Madeleine Gilbert Christenson さんの投稿記事からもうすこし。

◇ The distinctions between negroes and whites impress westerners most. In the office in which I worked there was a reception room barely big enough for six chairs, and yet on one side of the room was the neatly lettered sign "colored" and on the other, "white." The streetcars have movable wooden contraptions that clamp on the back of the seats and say: "for colored patrons only." If an unsuspecting northerner fails to notice the sign as did my mother when she was visiting me, the conductor will usually ask that the person move to another seat. A colored passenger never makes this mistake.
Eugene Register-Guard - Jun 24, 1939

◆ 1939年ごろのニューオーリンズの路面電車には、「for colored patrons only」と書かれた木製の移動式表示板が車内中ほどの座席のうしろに付けられていて、それより後ろが黒人用、それより前が白人用と、人種によって座る席が決められていた。そんなルールを知らない北部のひとが表示に気づかずに黒人席に座ると、車掌に席を移るように注意される。わたしの母がそうだった。黒人はそんなミスはしない、云々。

◆ 1955年に時代設定された『エンゼルハート』にも、ニューオーリンズの路面電車が登場して、ミッキー・ロークが座った座席の前に「for colored patrons only」の文字が読める。ということは、ミッキー・ロークは黒人席に座っていることになるが、車掌はなにも言わない。この表示板は1939年のものとは形状が違うようだし、木製ではないかもしれないが、まあ同じようなものだろう。バスにも同様の表示板があった。

〔同志社大学名誉教授・榊原胖夫〕 そのころ〔1955年〕の南部は人種隔離(セグリゲーション)が原則で、ホテルもレストランも学校も公衆便所も白人と黒人は別であった。都市バスは中ほどに「黒人のお客さまだけ」という掛札があり、黒人はそれより後ろの席と決められていた。黒人の乗客が増えると、掛札は前へ、白人が増えると後ろへ移された。東洋人は前か後ろかと聞く同僚の学生もいたが、もちろん前である。黒人は、かつて奴隷だったが故に差別されているのであって、肌の色が黒くても頭にターバンを巻いていれば白人扱いであった。
www.dohkenkyo.com/kikansi/ronhyo/05-12_2.html

◆ もちろん、いまはこんな表示板はない。

◆ 何年たってもケイタイに慣れない。操作の仕方がわからない、といったことではない。当人にとってはふつうの会話でも、パブリックな空間では、それをたまたま耳にした他人にしてみれば、ひとりごとにしか聞こえない、という状況の異常さにいつまでたっても慣れない。さきほど、風呂屋の帰りに、コンビニの前で、60がらみの女性が、ケイタイで話している声を聞いた。

◇ 「リツ子みたいに性格悪くなきゃいいんだけど」

◆ あるいは、「リツ子みたいに性格悪くないからいいんだけど」と言ったのかもしれない。べつに聞き耳を立てて聞いていたわけではないので、断言はできない。近ごろは、風呂屋の脱衣場でケイタイで会話しているバカもいるくらいだが、風呂上りというのは、日常の緊張状態とは正反対なぐらいに極度のリラックス状態にあるものなので、騒音を遮断せよと脳が指示を出しても身体がなかなか反応しない。それどころか、ふだんより数倍の感度でその騒音が耳に入ってきたりもする。

◆ で、リツ子というのはいったい誰なんだ? 娘なのか? 自分の娘はそんな性格が悪いのか? 育て方が悪かったせいじゃないのか? それとも妹なのか? それとも、息子の嫁なのか? リツ子ってのは? どういう字を書くんだ? 律子なのか? もう、せっかくの風呂上がりも台なしだ。

◆ そんなわけで、家に帰ってから、個人的な思い出として、高校の同級生の律子さんを思い出し、そういえばあの律子さんはいまごろどうしてるかなあ、と考える。性格はまったく悪くなかった。悪かったのはもちろんワタシの方で……。

◆ こんなニュースの見出し。

◇ 「そういうことだったのか」…マンションで男女2人刺される

◆ これだけで、なんとなく、そういうことなんだろうな、とわかった気がしまうのが不思議といえば不思議。どんな事件かというと、

〔MSN産経ニュース:2009.7.22 00:37〕 2009.7.22 00:37 21日午後10時35分ごろ、東京都北区豊島のマンション3階で、「男に刺された」と110番通報があった。警視庁王子署員が駆けつけたところ、男女2人が刃物で刺され、病院事務の女性(38)が腹などを刺され重傷、医師の男性(26)が腕を刺されたが、いずれも命に別状はないという。同署は殺人未遂事件として男の行方を追っている。
 同署などによると、男と刺された女性は顔見知りだった。男は室内に入り、「そういう事だったのか」などと言って台所にあった包丁で突然、2人を刺し、そのまま逃走したという。

sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090722/crm0907220039000-n1.htm

◆ いかにもワイドショーが好みそうな情痴事件。「そういうことだったのか」とつぶやいて(あるいは叫んだのか?)逃走した男。以前、「そういうことだったのか」という記事を書いたのを思い出した。その最後にこう書いていた。

◇ 「そういうことだったのか」という納得の仕方には、いつでも深い諦念が畳み込まれているようで、切ない。

◆ あいかわらず、そう思う。

◆ 広くディベートといった類のものが好きではない。もちろん、狭い意味でのディベートも嫌いである。「ディベート甲子園」なるものもあるらしい。

◇ ディベートは、議論の仕方を学ぶための教育的なゲームで、「ことばのスポーツ」とも言われます。高校野球の"甲子園"が強い身体と鍛えられた技の闘いだとすれば、ディベート甲子園はしなやかな頭脳と練り上げられた論理の競い合いです。ディベートも若い情熱を燃やすに値するチャレンジングなゲームなのです。
nade.jp/koshien/

◆ ワタシにはゲームであろうが、とても楽しめそうにない。どうでもいいが、「強い身体と鍛えられた技」? 鍛えるのは身体で、技は磨くものだろう。

◇ 若いころはそうでもなかったのだが、歳を重ねるごとに議論というものが嫌いになった。争論に勝とうとするかけひきも、知識のひけらかしもうんざりする。
辺見庸『新・屈せざる者たち』(角川文庫,p.5)

◆ とは、他人のコトバだが、まったく同感する。ワタシももう若くはない。

◇ きょうび、いいよどまずに語れることなど、全体、世界のどこにあろう。ありゃしない。おそらく、そのように心の底で私は確信しているのだと思う。
Ibid.

◆ これにも、まったく同感する。できるかぎり、うだうだと、いいよどみつつ、わからないと何度もつぶやきながら、あれこれのことを、これからも書いていくことになるだろう、と思う。

◆ 7月22日。こんなことはいままで一度もなかったから、どうしてなんだか。夜、ウチに帰ると、パソコン机のうえに、テントウムシがいたんである。いや、正確にいうと、コタツのうえなんだけども(そこにパソコンを置いている)。見たこともない黄色いテントウムシ。見たこともないから、ほんとにテントウムシかどうかはよくわからないんだけども。そのキイロテントウ(と勝手に名づける)は、机(コタツ)のうえで動かない。寝てるんだろうか? テントウムシは天道虫というくらいだから、まさか夜行性じゃないだろう。夜だから、寝ていてもあたりまえ。まさか死んでるじゃ? ちょっとつっつくと、動いた。でも逃げない。すぐ近くでまるくなる。いやもとからまるいんだけども。よっぽど眠いんだろう。しようがないので、パソコンでこいつの名前を調べる。テントウムシは種類も多くないだろうから、すぐにわかるだろう。と思ったら、案の定。すぐにわかった。おやおや、このキイロテントウは、そのまんま「キイロテントウ」だった! ちょっとびっくり。なんともわかりやすい名前。

◆ 7月22日。何十年ぶりとかいう日食の日だった。午前中は休みだったが、東京の空はくもっていたので、どうせ見えやしないだろうとあきらめて、部屋で寝ていた。あとでいろんなひとから、くもっていたから逆に肉眼でもよく見えた、というハナシを聞いて、ちょっと悔しい思いをした。その日食の日の夜に、キイロテントウ。もしかしたら、日食を見そこなったワタシのために、「その代わりと言ってはなんだが、俺でどうだい」とばかり、わざわざワタシの部屋を訪れてくれたのだったりして。でも、ワタシがいなかったので、そのまま寝てしまった……。そんな妄想をふくらませながら、キイロテントウを、ティッシュにくるんで、そっと玄関のそとに放す。

◇  デートをした。
 男の人と、である。なにも念を押すこともないのだが、なかなかこの年この境遇(既婚)になると、こういう機会はめぐってこないので、念を押しておきたい。
 上野の、国立博物館に行った。平等院展をやっている。前の日まで来ていた台風が去って、気温がどんどん上がっている。ひざしは強く、影は濃い。
 わたしは暑さに弱いので、日陰をつたって歩く。まっすぐに歩いていると日陰に入れないので、くねくねと妙なみちすじを辿る。デートの相手は、遠まわりしてみたりじぐざぐに歩いてみたりするわたしにあわせて一緒に歩いてくれる。でも、ちょっと困っているみたいだ。

 川上弘美 『なんとなくな日々』(新潮文庫,p.98-99)

◆ 以前は「ひざし」に無頓着だったので、こんな人とデートをしたら、「ちょっと困」るどころか、いらいらしてしようがなかっただろうと思う。けれど、去年あたりから、ときどき暑さに負けそうになる。川上弘美のように、日陰をつたって歩きたくなったりもする。これまで他人の日傘や帽子を見ても、ファッションとしか思えなかったが、さいきんはつくづく、ああ、あれは実は日除けだったんだな、とあたりまえのことに気づくようになった。年をとるのも悪くはない。今日もまた暑いだろうか?

◆ 新宿国際劇場。なにが国際なのかよくわからないが、2Fの新宿国際劇場では、「折檻調教 おもちゃな私」「淫らな果実 もぎたて白衣」「熱い肉体、濡れた一夜」の3本立て。B1Fの新宿国際名画座では、「痴漢電車 聖子のお尻」「エロスの冒険 快楽まみれの女たち」「熟女 濃密な不倫」の3本立て。さて、どれにしよう? 

◆ 「痴漢電車 聖子のお尻」はどうだろうかと、ポスターに近づく。「日本映画史に燦然と輝く密室殺人トリック!」とあり、「滝田洋二郎監督作品」とある。どこかで聞いたことのある名前だ。《Wikipedia》で、どんな映画の監督をしているのかをみてみると、

  • 痴漢女教師 (1981年)

  • 痴漢電車 もっと続けて (1982年)

  • 官能団地 上つき下つき刺激つき (1982年)

  • 痴漢電車 満員豆さがし (1982年)

  • 痴漢電車 ルミ子のお尻(1983年)

  • 痴漢電車 けい子のヒップ(1983年)

  • 痴漢電車 百恵のお尻(1983年)

  • 連続暴姦(1983年)

  • 痴漢電車 下着検札(1984年)

  • 痴漢電車 ちんちん発車(1984年)

  • グッバイボーイ(1984年)

  • OL24時 媚娼女(1984年)

  • 真昼の切り裂き魔(1984年)

  • 痴漢電車 極秘本番(1984年)

  • 痴漢保険室(1984年)

  • ザ・緊縛(1984年)

  • 痴漢電車 聖子のお尻(1985年)

  • 桃色身体検査(1985年)

  • 痴漢電車 車内で一発(1985年)

  • 痴漢通勤バス(1985年)

  • 痴漢電車 あと奥まで1cm(1985年)

  • 絶倫ギャル やる気ムンムン(1985年)

  • ザ・マニア 快感生体実験(1986年)

  • 痴漢宅配便(1986年)

  • はみ出しスクール水着(1986年)

  • タイム・アバンチュール 絶頂5秒前(1986年)

  • コミック雑誌なんかいらない!(1986年)

  • 愛しのハーフ・ムーン(1987年)

  • 木村家の人びと(1988年)

  • 病院へ行こう(1990年)

  • 病は気から 病院へ行こう2(1992年)

  • 僕らはみんな生きている(1993年)

  • 眠らない街 新宿鮫(1993年)

  • 熱帯楽園倶楽部(1994年)

  • シャ乱Qの演歌の花道(1997年)

  • お受験(1999年)

  • 秘密(1999年)

  • 陰陽師(2001年)

  • 壬生義士伝(2003年)

  • 陰陽師II(2003年10月)

  • 阿修羅城の瞳(2005年4月)

  • バッテリー(2007年3月)

  • おくりびと(2008年)

  • 釣りキチ三平(2009年)

◆ 痴漢電車、痴漢電車、痴漢電車、それから、ああ、そうだ、『おくりびと』の監督だったんだ。