◆ 広くディベートといった類のものが好きではない。もちろん、狭い意味でのディベートも嫌いである。「ディベート甲子園」なるものもあるらしい。 ◇ ディベートは、議論の仕方を学ぶための教育的なゲームで、「ことばのスポーツ」とも言われます。高校野球の"甲子園"が強い身体と鍛えられた技の闘いだとすれば、ディベート甲子園はしなやかな頭脳と練り上げられた論理の競い合いです。ディベートも若い情熱を燃やすに値するチャレンジングなゲームなのです。 ◆ ワタシにはゲームであろうが、とても楽しめそうにない。どうでもいいが、「強い身体と鍛えられた技」? 鍛えるのは身体で、技は磨くものだろう。 ◇ 若いころはそうでもなかったのだが、歳を重ねるごとに議論というものが嫌いになった。争論に勝とうとするかけひきも、知識のひけらかしもうんざりする。 ◆ とは、他人のコトバだが、まったく同感する。ワタシももう若くはない。 ◇ きょうび、いいよどまずに語れることなど、全体、世界のどこにあろう。ありゃしない。おそらく、そのように心の底で私は確信しているのだと思う。 ◆ これにも、まったく同感する。できるかぎり、うだうだと、いいよどみつつ、わからないと何度もつぶやきながら、あれこれのことを、これからも書いていくことになるだろう、と思う。 |
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