MEMORANDUM
2008年10月


◆『 週刊文春』10月9日号、「阿川佐和子のこの人に会いたい」の対談相手は甲斐よしひろ。見出しに、

◇ ジェロも氷川君もロックな感じでいいね。

◆ とあって、思わず笑ってしまった。これまでずっと、甲斐バンドにはなんだか演歌っぽい感じの曲が多いな、と思っていたから。まあ、演歌ロックも悪くはない。たまたま同じ週刊誌の「近田春夫の考えるヒット」の見出しに、

◇ 英語の発音に懐かしい香りがあるGLAYに歌謡曲を歌ってほしい!!

◆ とあって、そういえば、甲斐バンドの曲には「英語の発音がGSみたいで、ちょっと最近のJポップにはない懐かしい香り」がテンコ盛りなのだった。たとえば、「安奈」という曲。

♪ 安奈 クリスマスキャンドルの灯はゆれているかい
 安奈 おまえの愛の灯はまだもえているかい

◆ ていねいにカタカナ英語として(つまりは日本語として)発音される「ク・リ・ス・マ・ス・キャ・ン・ド・ル」の箇所などは、すばらしく演歌っぽい。ついでに、「~かい」「~かい」ってところが、自己アピールみたいな気がして仕方がなかったり。安奈という女性名は、Anna という外国人なのかどうか。たとえば、ロシア人のアンナさんであったとしても、「あんなあ~」と歌われると、とたんに、着物でも着ていてほしくなる。あるいは、こうしたチャンポン具合こそが、和製ロックの真髄でもあったりするか?

甲斐 だから、曲はほとんどツアー先で書いてます。『安奈』は函館のバーで、コースターの裏に一番の歌詞を書いて、二番、三番は渋谷のバーで。一年後に函館の同じバーに行ったら、サラリーマンのおじさんが座ってて、酔っ払って『安奈』を口ずさんだんです。俺、そのとき涙出た。

◆ まさしく演歌の世界である。また、こんなこともあった。小学生のころだと思うが、歯医者に通っていたときに、有線から、

♪ テレフォン・ノイローゼ~、アハ

◆ という甲斐バンドの曲が流れていたことがあって、治療台に座りながら、虫歯の痛みがさらに強まった気がしたものだった。もうひとつだけ。甲斐よしひろは左利きで、

◇ ギターも左弾きですが、右利き用のギターをそのまま左で(弦が上下逆になった状態で)弾かれているようです。このような「右用ギターを左弾き」というのは甲斐よしひろさんだけの弾き方というわけではなく、松崎しげるさん、ベイビーフェイス、オーティス・ラッシュなど何人か拝見しています。
homepage1.nifty.com/hidex/left2/kai_y.html

◆ とはいえ、ギターという楽器は左利きにとくべつ不便にできているというわけでもなくて、むしろ、

◇ ギターを覚えるとき最初に苦労するのは左手です。右利きの人は不器用な左手を必死になって訓練するのです。
glife.aki-f.com/column/lefty.shtml

◆ じゃあ、どうして?

 ♪ 片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
  どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

  スピッツ 『ロビンソン』(作詞:草野正宗)

◆ 新宿中央公園。座ろうと思ったベンチの下にネコがいたので、写真を撮って、そのベンチに腰掛けた。逃げ出すだろうと思ったベンチの下のネコは、予想に反し、ベンチの上に上がってきて、ワタシのとなりに座り、ベンチの上のネコとなった。食い物でもねだりにきたのかと思ったが、そうではなかったらしい。となりのワタシを無視して、毛づくろいを始めた。よく考えれば、そのベンチにもともといたのは(ベンチの下であれ)、そのネコのほうなのだった。無視されたワタシは、すこし気が抜けて、1メートルほど隔ててとなりにいるネコを凝視した。鼻の上、耳の裏に皮膚病が見られた。ワタシは無視されたことに深く安堵した。優しくなれない。

◇ 旅先で、ある親子に道を尋ねたことがあった。〔中略〕 教えてもらったバス亭に行き、間もなくやって来たバスに乗った。
page.cafe.ocn.ne.jp/profile/foghorn/diary/d1098

◆ と、おともだちの霧さんが書いていた。乗ったバスが間違っていて、その親子があわてて車でバスを追いかけてきてくれた・・・と続く。どんな旅にも、そうした数々の失敗がふくまれているはずで、あるいは、そうしたハプニングにこそ、旅の醍醐味が隠れているのかもしれない。

◆ と、これくらい書いておかないと、続きが書きにくい。さて、引用したなかの「バス亭」という単語は、もちろん「バス停」と綴られるべきで、たんなる誤変換の結果だろうけど、山形市には「バス亭」という焼鳥屋があり、北九州市には「バス亭」というラーメン屋がある(らしい。もちろんネットで調べただけで、行ったことはない)。どちらもバス停のそばにあるのだろう。ラーメン屋と焼鳥屋というのが、なんともバス停に似つかわしく思える。これが「停車場」であったりすると、とたんに純喫茶とかバーの雰囲気がしてくるから不思議なものだ。

◆ じつは、ウチの近所にも、「バス亭」(正確には場巣亭と綴られる)という焼鳥屋があって、まさしくバス停の目の前(後?)に位置している。2年前にオープンして、すぐにつぶれるかと思ったが(その前はジンギスカン屋で、その前の前はたしかラーメン屋だった)、わりと繁盛しているようで、いまなお健在である。そのうち寄ってみることにしよう。

◇ 小さな頃からかけっこが早かった為末は、中学時代には100m、200mで日本一になるなど、ずっと将来を期待されていた。
 彼がブレイクしたのは1996年、高校3年の時に地元で行われた広島国体。その記録は、日本トップランクに入る記録。世界の20歳以下の大会でも4位となる好成績を収めた。世界4位になるも、為末は、そのとき世界の壁を痛感したという。
「この差は永久に埋まらない……。しかし、400mハードルを見たときなぜか穴が見えた」

www.jump.co.jp/bs-i/chojin/archive/018.html

◆ 〔この記述には多少の混乱がみられるようだ。為末が広島国体で出場したのは、400mハードルだったし、「世界の20歳以下の大会」で4位になったのは400mだった。「高校3年の時に地元で行われた広島国体」の箇所を「高校3年の時のインターハイ」とすれば、事実としては整合する。それはともかく、〕 「彼がブレイクした」と書かれている広島国体で為末大が出たのは400mハードルだった。「中学時代には100m、200mで日本一」だった選手が、なぜ400mハードルを走ったのか? 走るようになったのか? 走らなくてはならなかったのか?

◇ けれども、私は、残念ながら「カール・ルイス」になることはできませんでした。そこから伸びなかったのです。早熟だった私の体は、中3時に、身長170cm、体重65kgで、現在もこの数字はほとんど変わりません。つまり、15歳にしてすでに、私の体はピークを迎えていたわけです。
 高校に進学してからは、伸び悩む私と、伸び盛りのライバルたちとの差は、じりじりと縮まっていきました。こんなはずじゃないと、焦りました。だれにも負けたことがなかっただけに、私は負けることを心底恐れました。
 「だれよりも速く走れる」という唯一の自負を失ってしまったら、何を拠り所に、何を目指して生きていったらいいのでしょう?
 トラックで負けることは、自分の人格を全否定されることのように思えたのです。
 私は追い詰められ、そして、ついにその日がやって来ました。
 高校3年のときです。県大会の200m決勝で、2年生の選手に私は負けました。走ることで初めて負けたのです。
 初めて味わう敗戦のショック。もう伸びしろのない自分に突きつけられた「限界」の二文字。

為末大『日本人の足を速くする』(新潮新書,p.10-11)

◆ 100m、200mから400mへ。

◇ もちろん挫折感はありました。しかし、打ちひしがれたりくよくよしたりしているヒマなどなかった、という感じです。とにかく、トラックで負けることだけは絶対に受け入れられなかったのです。100m、200mの短距離でこれから先、見通しが暗いのなら、違う種目でもいいから、人よりも速く走らなければならない。それが自分なりのプライドでした。
 高校3年のインターハイで私は400mにエントリーし、首尾よく優勝することができました。そしてその後に行われた世界ジュニア選手権では4位に入賞しました。この距離では、まだ私のポテンシャルには貯金があるようでした。
 とはいえ、早熟型の宿命で、いずれは追いつかれ追い抜かれてしまう恐れは、100mと同様にあるわけで、私はその世界ジュニア選手権で行われていた他の競技を見回して、何かいい種目はないかと物色することを忘れませんでした。
 もっと自分に向く種目、自分が勝ち続けられる競技はないか。

Ibid. p.12

◆ 400mから400mハードルへ。

◇ そこで物は試しと、国体で400mハードルに出場してみたところ、49秒09で優勝してしまいました。特別な練習もしないで臨んだ初レースでのこのタイムは、なんとジュニア(20歳未満)では日本新記録で、当時世界ジュニア歴代2位の好記録でしたから、自分でもビックリしました。よほど向いていたのでしょう。
Ibid. p.13

◆ こうした「前史」を経たのち、ようやく「侍ハードラー」が誕生することになった。

◆ 古い写真の整理をしていたら、2004年9月の写真に、こんなのが。

◇ 殺人事件捜査にご協力を/平成八年九月九日夕方柴又三丁目で女子大生が殺され放火される事件が発生しました。現場付近で不審な人車又は犯人に心当りある方、情報等ありましたらご連絡ください。/亀有警察署殺人放火事件特別捜査本部

◆ この事件、解決したのかどうかが気になって調べると、《Wikipedia》に「柴又女子大生放火殺人事件」という項目があって、

◇ 1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女性(当時21歳)の遺体が発見された。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていた事から警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われたが、2008年9月現在、犯人逮捕に至っていない。/事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という造園業(造園業では「からげ結び」を「かがり結び」とも呼ばれる)や和服の着付けなどで使われる特殊な方法だった事、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見された事が公開された。
ja.wikipedia.org/wiki/柴又女子大生放火殺人事件

◆ と、いまも解決してないようだ。警視庁のページには、有力な情報提供者に「謝礼金500万円」とある。ところで、先の立看板の写真をどこで撮ったか記憶がない。写真を拡大して、通りの向こう側にある店の看板を読む。「Marquis」(何屋だろう?)「美容室シンデレラ」「リーチ麻雀タイム」「パソコンワープロ5Fグローリージャパン」。あれこれ検索して、葛飾区京成金町駅前であることが判明。多少の記憶もよみがえる。こちらは無事解決。

◆ 先日(10月20日)、座ったベンチのうしろにツユクサが咲いているのに気がついて、写真を撮った。ツユクサを漢字で書けば「露草」で、「梅雨草」ではないが、そう思っている(いた)ひとも少なからずいるようで、10月にツユクサが咲いているのを見れば、なんと季節外れなことかと思うことだろう。

◇ 8月も終わりなのに、梅雨草が沢山咲いています。
mblog.excite.co.jp/user/akanesizuk/entry/detail/?id=9556464

◇ やっと梅雨らしい雨の1日になりました。梅雨の時に花が咲くので梅雨草かと思っていましたが露草なのですね。
blog.goo.ne.jp/momo2303/e/9b94cf10021cb061061fee3620cdcdcd

◇ 梅雨はやっぱりツユクサでしょう。でも、梅雨だから「梅雨草」ではなくて「露草」なんですね。ちょっと間違って覚えてました。
nazarene-fujisawa.blog.drecom.jp/archive/168

◇ 露草はずっと6月の花だと思ってました。頭の中では梅雨草と変換してたのでしょうか(*≧m≦*)
aa-taro.blog.so-net.ne.jp/2007-09-26

◆ パソコンで「つゆくさ」と入力して、漢字に変換しようとすると、変換リストに「梅雨草」はないから(と思う)、その時点で、ツユクサは「露草」であることに気がつくひともいるかもしれない。だから、「つゆ」と入力しては変換し、「くさ」と入力しては変換するようなこまめなひとは、思い違いに気づく機会をみずから逃しているという点で、すこし損をしているかもしれない。

◆ 日本語学習者にとって、同音異義語の多さは悩みの種でもあるだろう。英語のサイトにも、「つゆ」を「梅雨(rainy season)」だと解釈している例がある。

◇ In Japan it is referred to as "Monsoon Flower" because it blooms in the rainy season; it is considered to be a major weed in Tokyo.
www.hiltonpond.org/ThisWeek030829.html

◇ Known as "Tsuyukusa" (Monsoon Weed) in Japan, because it blooms during the rainy season.
davesgarden.com/community/forums/t/375635/

◇ In Japanese it is called Tsuyukusa ( 露草 or つゆくさ) or rainy season plant.
www.printsofjapan.com/Hiroshige_II_Edo_Beauty_2_aizuri-e.htm

◆ 《Wikipedia》の英語版では、"tsuyukusa" は "dew herb" の意味だと正しく記載してあった。

◆ 左の写真。トマトのような柿を見て、イタリアのカーキ(Cachi)はこんなかなあ、と思った。なんでも完熟にしたのをスプーンですくって食べるそうだ。

◇ 柿と言えば、イタリアの柿はほとんど渋柿ですよ~ イタリア人はその渋柿をグニャグニャになるほど熟させて食べます。(私には、腐った柿にしか見えない・・・)
4travel.jp/traveler/rita_c/album/10099214/

◇ イタリアで食べられる柿は日本の柿とはちょっと違い、最初に食べ方を見たときは驚いてしまいました。熟しすぎいて、果実がもうほとんどドロドロ状態を食べるのです
escala.jp/lifestyle/oversea/2007/11/post_30.html

◇ イタリアでは、完熟の柿しか食べない。柿はトロトロに、熟してからのみ食べるモノだと捉えられており、その結果、果物屋さんやスーパーで見かける柿は、既に、トロトロの完熟のみ。八百屋さんやスーパーで見かける柿も、既に、トロトロ。
ameblo.jp/italiamania/entry-10019988858.html

◇ イタリアの柿はブヨブヨと熟した物しかないと思っていたのですが、カキりんごという種類があることを発見。
musicamusica.hp.infoseek.co.jp/photo1.html

◇ 柿はイタリア語でも「カキ」と呼ばれる。そのことから分かる通り柿はもともとイタリアにはなく、昔日本から持ち込まれたもので、ほとんどすべてが渋柿である。/そのままでは食べられないから、イタリア人は容器や袋に密封して暗がりに置き、実がヨーグルトのようにとろとろになるまで熟成させてから食べる。そうすると渋みがなくなって甘くなる。たまに外国産の硬い甘柿が売られているが、彼らはそれもわざわざ完熟させて極端に柔らかくしてから食べる。要するにこの国の人々にとっては柿とは、液状に柔らかくなった実をスプーンですくって食べる果物のことなのである。
ryukyushimpo.jp/news/storyid-17489-storytopic-4.html

◇ 実はイタリアの柿は90パーセントが「渋柿」。甘柿はvaniglia(ヴァニリャ)と呼び、渋柿の中に偶然生まれる貴重な甘柿を「ありがたや、ありがたや」と、家族全員で分け合って食べる。〔中略〕 甘柿は一個でも見つけたら硬いうちにみんなで分け合って食べる。では90パーセントを占める渋柿はというと、グズグズに溶けるまで熟すのを待って、スプーンですくって食べる。
madonga.blog87.fc2.com/blog-entry-90.html

◇ 普通のカーキはジュクジュクに熟していて、どろどろの実をスプーンですくって食べるのです・・・
www.museo500.com/ita/yasai.htm

◇ もっともっと本当にグジュグジュです。「腐ってる」風にしか見えないので、始めはコワゴワでしたが…。
firenze.blog.so-net.ne.jp/2006-01-17

◆ 「ドロドロ」あるいは「トロトロ」で、また「ブヨブヨ」で「グニャグニャ」で、「グズグズ」あるいは「ジュクジュク」あるいは「グジュグジュ」したイタリアの柿。

◆ 右の写真(左の写真の2日後)。血糊が地面に滲みこんだような柿を見て、あまり楽しい連想はしないから、書くのはやめよう。さらに2日後の今日、雨が降っている。きっとあの柿はきれいに洗い流されて、跡形もなくなっていることだろう。わずかにヘタを残して。

◆ 墓地のブロック塀に書かれた落書き。雨でブロックが濡れていたので、落書きがあるとわかったが、乾いているときには、読むのに苦労するのではないかと思う。そんなやや控えめな落書きとして書かれている文字はというと、「盛者必哀」。そのあとに「理」の文字が見え、その下には「因果応報」と書かれているように思える。もちろん、だれが書いたのかは知らない。鋭いナイフのごとくに書かれた「必」(および「哀」)の字の「ノ」の部分に、「夜露死苦」「喧嘩上等」「唯我独尊」などといった四字熟語を好むひとたちに共通するものを感じないではないが、総体として丁寧に書かれた文字を見ると、そんなにトガったひとではなさそうな気もする。

◆ それにしても、「盛者必哀」とは! 「盛者」であったためしがないので、よくわからないが、案外そんなものかもしれない。いつだって盛者は哀しい・・・

◆ など、多少の皮肉を書きつけているまさにそのとき、不意打ちのように、哀しいのはほかならぬ自分であることに気づかされた。「盛者必哀」ならぬ「盛者必衰」をパソコンで漢字変換しようとしたところが、変換されない。なんと入力したかというと、「せいじゃひっすい」。えっ、違うの?

◇ 昨日のことです。メールを書いていた私は「せいじゃひっすい」とタイプしました。しかし、期待した変換結果は得られませんでした。嫁に聞いたところ「じょうしゃひっすい(盛者必衰)」のようですね、お恥ずかしい。
d.hatena.ne.jp/turing_pattern/20080916/1221571613

◇ 昨夜のフジTVのネプリーグで盛者必衰の読みを初めて知った。恥ずかしながら吾輩は「せいじゃひっすい」と思っていたし平気で人に「せいじゃひっすい」と話していた。
また、それで通じていた。もし会話中に「じょうしゃひっすい」と言われたら無知な吾輩は乗車したら必ず眠ってしまうのだと勘違いするだろう。

qin.seesaa.net/article/27434644.html

◇ それよりも「盛者必衰」が「じょうしゃひっすい」と読むと知って今さら驚いた.それまで「せいじゃひっすい」と読んでたからだ.うーん,覚えることはまだまだ多い…
ueno.cocolog-nifty.com/ueno/2005/01/post_8.html

◇ この間まで『盛者必衰』を、『じょうしゃひっすい』ではなく、『せいじゃひっすい』と読んでいたと言えば、×××がどのくらい低レベルな人間なのか分かることでしょう((((((〃 ̄З ̄)ノ ウヒヒヒヒ♪
blog.livedoor.jp/clodius/archives/12695975.html

◆ とはいえ、「せいじゃ」と読む慣わしがないことはないようで、

◇ 仏教語は、普通呉音で「じゃうしゃ」と読みます。「しゃうじゃ」「しゃうしゃ」「じゃうじゃ」とも。百二十句本は、漢音で「せいじゃ」と読んでいます。
www.hikoshima.com/bbs/heike/100587.html

◆ のだそうだ。百二十句本(国会図書館本)で、平家物語の冒頭を読むと、

◇ 祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)有(あ)り。沙羅双樹(しやらさうじゆ)の花の色、盛者必衰(せいじやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。奢(おご)れる者も久(ひさ)しからず、唯(ただ)春の夜の夢の如(ごと)し。たけき者も遂(つひ)には亡(ほろ)びぬ、偏(ひとへ)に風の前(まへ)の塵(ちり)に同じ。
www.j-texts.com/heike/120k/h120k01.html

◆ 墓地のブロック塀の向こう側には、卒塔婆が見える。墓地のなかにいるひとたちへ向けられた「盛者必哀」および「因果応報」のコトバ。だれか特定の故人に個人的な恨みつらみがあったのでなければ、それはそれで、この場所に似つかわしい落書きなような気がしないでもない。

◆ 別段これといった理由もないが、ふとスペイン語でも学習してみようかという気になり、適当に買った参考書の一冊に、こんな例文があった。

◇ 北極へペンギンを見に行きましょうか? ¿Vamos al Polo norte a ver los pingüinos?
桜庭雅子 『スペイン語会話パーフェクトブック』(ベレ出版,p.233)

◆ 北極にペンギン? もしかすると「ペンギンを見に北極に行く」という成句がスペイン語にはあって、たとえば「わずかな可能性に挑戦する」といった意味になるのかもしれないが、初心者なのでよくわからない。おそらくないだろう。

◆ No hay pingüinos en el Polo Norte. 北極にペンギンはいない。しかし、

◇ ペンギンが居るのは南極で、北極にペンギンなんて居ないよ。きっと、そう思っている人は多いんじゃないでしょうか。でも、南極に居るのはペンギンに似た動物で本当のペンギンは北極に居たんだよって言ったら、信じられます?
www.geocities.co.jp/Milkyway-Gemini/6165/zak2.html

◆ 北極のペンギン。いまはいないが、かつてはいたらしい。

◇ かつて北大西洋と北極海に分布していたが、乱獲が主原因で1844年6月3日を最後に絶滅した。
ja.wikipedia.org/wiki/オオウミガラス

◇ 昔は、北極にも、ペンギンにそっくりな鳥が棲んでいました。オオウミガラスという鳥です。〔中略〕 もともと、「ペンギン」という名は、オオウミガラスに対して付けられたものです。ヨーロッパ人が南極へ探検に行った時、見慣れた「ペンギン」=オオウミガラスにそっくりな鳥を見つけました。そのため、その鳥にもペンギンと名付けました。
blog.zukan.net/blog/2006/06/22-post_20.php

◆ オオウミガラスについては、《THE ANIMALS:絶滅動物記》に詳しい。

◇ もともと『ペンギン』という名前は、この地方に訪れたヨーロッパの船乗り達がオオウミガラスにつけた名前でした。更にその呼び名が後の時代に発見された、オオウミガラス達と姿がそっくりな現在のペンギンたちにも用いられたといわれています。
animals.web.infoseek.co.jp/extinction/greatauk1.html

◆ ジャイアントパンダの出現で、主役を奪われたレッサーパンダみたいなハナシ。【→ MEMORANDUM : レッサーパンダ

◇ つゆ草を花と思うは誤りである。花では無い、あれは色に出た露の精である。
徳冨健次郎 『みみずのたはこと』(青空文庫

◆ ツユクサのつづき。ツユクサの「つゆ」は「露」で「梅雨」ではないと書いたが(【→ MEMORANDUM : 梅雨草)、では、どうして「露」草なのだろうということが、さらに気になった。というのも、ことさらツユクサの露の意味について考えをめぐらしたことがあるわけではないが、漠然と、

◇ 朝早くに露に濡れながら花を咲かせるところから、この名がついたのだろう。
田中修 『雑草のはなし』(中公新書,p.92)

◆ くらいに思っていたのだが、

◇ The Japanese name means "dewy herb". Life time of the flower is a half of day. Dew disappears in midday, so the plants are call TSUYU(dewy) KUSA(herb
(日本語で、ツユクサとは「露の草」の意。その花の寿命は半日。露も昼には消えてしまう。だから、「露草」と呼ばれる。)

davesgarden.com/community/journals/viewentry/7185/

◆ という英文を(ミスタイプを頭で修正しながら)読んで、なるほど、露と草は別物ではなくて、露=草(花)ということなのかもしれないと思った。

◇ 朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから「露草」と名付けられたという説がある。英名の Dayflower も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持つ。
ja.wikipedia.org/wiki/ツユクサ

◆ 早朝に咲くので朝露が似合う花という意味合いを越えて、その花自体が露なのだ、と考えると、より詩的な感じがしてくる。

◆ ツユクサは「露の精」だと書いた徳富蘆花(健次郎)のコトバのとおり、

◇ 寿命も短くて、本当に露の間である。然も金粉を浮べた花蕊(かずい)の黄に映発して惜気もなく咲き出でた花の透き徹る様な鮮やかな純碧色は、何ものも比ぶべきものがないかと思うまでに美しい。
徳冨健次郎 『みみずのたはこと』

◆ 最近、虫の写真が多くて、敬遠されている方もおられるかと思う。ことさら虫に興味があって撮っているわけではなくて、たまたまそうなってしまってる。たとえば、歩道の植え込みのところで一休みしたら、たまたまそこにワラジムシとダンゴムシがいたので撮ってみた。というわけで、ワラジムシとダンゴムシ。

◇ ワラジムシは湿った場所にいる嫌われ者ですが、良く似たダンゴムシは丸くなってかわいいためか人気があります。両者は体の作りもほとんど同じ近い仲間ですが、丸くなるものがダンゴムシ、ならないものがワラジムシと呼ばれています。
www.tsm.toyama.toyama.jp/public/wadai/nendo2001/wadai277/wadai277.html

◆ そう、丸くなるのがダンゴムシ、丸くならないのがワラジムシ。あるいは、ワラジムシは丸くならないダンゴムシ。だが、ダンゴムシを丸くなるワラジムシ、とは言わないだろう。

◇ ――あれは背中が黒っぽいから丸まるダンゴ虫だね。
――えっ、丸まらないダンゴ虫もいるの!?
――いるよ!知らないのぉ?
――うっそ。初めて知った。
――丸まらないダンゴ虫は背中がちょっと白っぽいんだよ。正式にはワラジ虫って言うんだよ。〔一部改変〕

ameblo.jp/osharecat2and4/entry-10116141271.html

◇ 丸まる団子虫と丸まらない団子虫。同じように見えていて、実は違う種類です。丸まるものたちは、正式名もダンゴムシ(オカダンゴムシ)。敵に襲われると丸くなって身を守ります。丸まらないものたちは、正式名ワラジムシ。ダンゴムシにくらべると、逃げ足が早く、体表が柔らかめです
www.insects.jp/hiroba/hiroba58.htm

◇ あれはわらじ虫というのか。ずっと「団子虫の丸まらない奴」って呼んでた。丸まらないから気持ち悪いと思ってたなあ
gimpo.2ch.net/test/read.cgi/goki/1171330058/1-36

◆ ワラジムシは、便所虫と呼ばれたり、ダンゴムシと間違われて無理やり丸められたりと散々だ。

◇ ダンゴムシはまるまるけど、ベンジョムシはまるまらないんだよ。ベンジョムシはきたなくて、ダンゴムシはきれい。
homepage2.nifty.com/e-mon/dango/dannwara.html

◇ 「Aちゃんのダンゴムシは元気で丸まらないね」と保育者が言うと「丸まるよ」と手で丸めてみるが、すぐにまっすぐに戻ってしまう。「あれ?変」何度やっても保育者のダンゴムシは伸ばしても丸まり、A児のダンゴムシ(ワラジムシ)は手で丸めても、伸びてしまう。
www.sony-ef.or.jp/preschool/webmagazine/webmag_jirei/jirei47_02.html

◇ ワラジ虫はダンゴ虫とは違い、突いても丸くならない。そして、こちらでは別名便所虫とも言われ、ひじょうに忌み嫌われる虫でもあった。
otabu.tea-nifty.com/otabu/2005/week38/index.html

◇ ダンゴムシと言えば、ダンゴムシに酷似している便所虫。子供の頃なんでか便所虫と言ってましたが、ワラジムシのことです。ダンゴムシより柔らかく、危険が迫っても丸まれないワラジムシ。ダンゴムシは平気なんですが、どうにもこの柔らかさがいや~んなワラジムシ。
black.or.tv/orebako/phk/bn/bn2003_08.html

◇ ね、なんかだんご虫はころんとしてカワイイのにわらじ虫はのぺーっとしてて何か気持ち悪いでしょ? え?あんまり変わらない?? だってわらじ虫、丸まらないんだよ!?
blog.livedoor.jp/girlstalk/archives/24322204.html

◇ 聞くところによると、ワラジムシをダンゴ虫と思いこみ、いつ丸くなるかとつつきまわし、あげくには丸まらせようとして背中を折って死なせてしまった人もいるとか…
engaru.jp/~insect/musi9905.htm

◇ 子供の頃、団子虫だと思ってワラジムシを丸めようとしたら バキッと真っ二つになったのを思い出した
s.s2ch.net/test/-/life9.2ch.net/goki/1171330058/n

◆ 北海道にダンゴムシはあんまりいないから、ワラジムシの天下。道外から来たひとは、ちょっと驚く。

◇ 北海道ではダンゴムシによく似たワラジムシがたくさんいますが、ワラジムシを見るたびに、どうしてこれは丸まらないのかと思ってしまうのです。でも、ダンゴムシはどうしてあんなふうに丸くなるようになったのでしょうね?/ちなみにわが娘は、子供のころワラジムシをつついては、「どうしてこのダンゴムシは丸くならないのだろうか?」と、不思議でしかたがなかったとのこと。
onigumo.kitaguni.tv/e403418.html

◇ 九州に住んでいた頃には、ちょっと大きい石をゴロンとひっくり返すと沢山ダンゴ虫が出てくるのを楽しんでいたものです。が、北海道に来てみたら、わ~いダンゴ虫!と思うとちょっと艶がない、触っても丸まらない『うわ~、なんで!?』そう、ダンゴ虫ではなくワラジ虫が圧倒的に多いんであります。
jungle-kb.net/2008/06/post-475.html

◇ ワラジムシは、ダンゴムシに比べ体が平らで、そのままスタコラ逃げます。逃げ足がけっこう速い!です。北海道へ引っ越して来たばかりの時は、形が似ているので、足の速い必殺技を身につけたダンゴムシかと思っていました。^^ゞ
tyo-ma.at.webry.info/200606/article_6.html

◆ ダンゴムシとワラジムシをくらべれば、丸まるダンゴムシのほうがかわいいかもしれないけど、ダンゴムシがいなけりゃ、ワラジムシでもかわいいと思うかな?

◇ ワラジムシ、かわいい! ゴキブリ、なまらおっかないっしょ! 北海道人はこんな感覚でしょうか。
g-g.seesaa.net/article/47154738.html

◇ KOTOKOさん〔札幌出身のシンガーソングライター〕、昔、幼少のみぎり、ワラジムシをお飼い遊ばれていたそうです。「マジでー!」と、こむちゃ関係者一同びっくり。で、KOTOKO姫は、ワラジムシが何を食べるかわからなかったので、キュウリを上げたそうです。・・・食べないんじゃないのかな・?ワラジーは、キュウリは・・・。KOTOKOさんは、基本的に虫は平気みたいです。北海道にゴキブリはいないそうなんですが、ワラジムシとかの害虫を見つけても、そっと包んで外に逃がしてあげるそうです。
www.comcha.net/blog/archives/2005/06/kotoko_1.html

◆ どうしてもワラジムシがイヤだってひとには、北海道・東北地方限定発売の「ワラジ虫コロリ」(アース製薬)なんてのも。

◇ 子供の頃、触るとまん丸になって転がして遊んでた・・・のはダンゴムシ。ワラジムシはその名の通り、わらじのようにひらべったくて丸くなりません。まぁ、決して可愛いヤツではないけど、別に気持ち悪いってほどでもないかな・・・。他では知りませんが、僕の仲間内では「ワラジィ」などと呼ばれ、「ウチはワラジィだらけなんだよねぇ~。今年はワラジムシコロリ(殺虫剤)を撒いてやろうか・・・」なんて会話がよく聞かれます。
www.forestrek.com/blog/archives/2008/04/18184634.php

◇ 最近はワラちゃんも暮らしづらくなったようだ。家のまわりに市販の「ワラジムシコロリ」をまかれたり、キャーキャー悲鳴をあげて追いかけられる。近くでワラちゃんを見かけたら、そっとしておいてあげましょう。
www5d.biglobe.ne.jp/~shigeo/yuyu/file65.htm

◆ 『週刊文春』の「新・家の履歴書」で、作家の小川洋子が語っている。

◇ 廃墟も好きです。少し前に雑誌の企画で夕張炭鉱を巡ったのですが、全部廃墟になっているんですよ。特に小学校が魅力的でしたね。なぜだかわからないけれど、建物が円形なんです。中に入ると、かつてその学校に通っていた何百人もの子どもたちの声が聞こえてくる。そこからイメージが膨らむんですね。小説を書くことは、今はここにいない人、つまり死者について想像することであるのかもしれません。
『週刊文春』(10月23日号,p.93)

◆ 夕張に円形校舎はあっただろうか、と思ってネットでちょっと調べてみたが、見あたらない。美唄の沼東小学校のことだろうか? 円形校舎も調べると奥が深そうなので、さわりだけ。

◇ 「円形校舎」とは、昭和30年代に多く建てられた、円筒形をした校舎のことです。上から見るとドーナツ状で、バームクーヘンを切り分けたような形に教室が配置されています。全国で、約100棟ほど建てられたとも言われています。しかし、現在、その多くが築50年を経て、解体が進んでいます。
www.jmam.net/b/kindai/enkei.htm

◆ 円形でなくても、廃校になった小学校の校舎というのは十分に魅力的なものだろう。

◆ 左。夕張市立青陵小学校。平成2年閉校。6年生で学級委員だった佐藤美樹さんと稲垣圭介くんは、いまどこでなにをしているだろう。生活委員だった本間有紀さんと加藤武志くんは。

◆ 右。栗沢町立万字小学校。平成2年閉校。「みんなで守りましょう」と書かれた手洗い場の注意書き。「えんぴつの太さで出しましょう」「水いたずらは、やめましょう」「カップはふせておきましょう」「じゃ口はきちんとしめましょう」。

◆ その他いろいろ。

◆ 最近の写真が新宿近辺ばかりなのを訝しく思われる方もおられるかもしれないので、少し近況報告をしておくと・・・

◆ 何の前触れもなく社長が出奔してしまい、と書くと嘘になる。お人よしのわれわれはその夜逃げ的引越まで手伝ったのだから。まあ、ことの仔細は省略するとして、ともかく元いた引越屋が経営難から3月末で営業を停止してしまったので、その後、知り合いのいる別の引越屋で働かせてもらっているが、それほど仕事があるわけでもないので、仕様がなしに8月から平日は宅配便の助手みたいなことをして糊口を凌いでいる。そんなわけで、毎日、新宿近辺をぐるぐる回っている。ぐるぐるぐるぐるぐる。

◆ カラダもあちこちガタがきているようで、力仕事もそろそろ限界なような気もするが、事務仕事に向いているとも思えないので、今後の余生をいかに過ごすべきかについて日々悩んでいるところ。

◆ なにかいい仕事はありませんかね?

◇ 平安期、国司(受領)になる公家どもの貪婪さというものは「受領は倒るる所に土を摑め」といわれたほどに、ひどかった。
司馬遼太郎 『街道をゆく10 羽州街道、佐渡のみち』(朝日文庫,p.107)

◆ この「受領は倒るる所に土をつかめ」というコトバは、司馬遼太郎の本で読む数日前に、たまたま別な本でも目にしていたということもあって、なんとはなしに強く印象に残ることになったコトバで、日本史の教科書にも載っているらしいが、そんなことは覚えていない(そもそも日本史は選択してないのだった)。辞書によると、

◇ 受領はどんな場合でも、もうけになるように立ち回れ。受領の強欲ぶりをたとえた当時のことわざ。転んでもただは起きるな。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ という意味だそうだ。「つかめ」というのは「つかむ」の間違いではないかと思ったが、上の辞書でも「立ち回れ」とか「起きるな」とか命令形で解釈している。でも、どうも腑に落ちない。

◇ 「受領は倒るる所に土をつかめ」とは、どういう意味に解すべきか。「つかめ」を命令形と解するなら「受領たる者は倒れてもその場所で土をつかめ」という意味になろうし、「倒るる所にこそ土をつかめ」の係助詞「こそ」が脱落したものと解するなら、「受領というものは(一般的に)倒れてもその場所で土をつかむものだ」という意味になるだろう。両者の意味は異なる。これを曖昧にしたまま、当時世間に通用していた諺だろうなどと説明されても、わかったつもりにはなれないのである。
home.kobe-u.com/lit-alumni/hyouronn1.html

◆ (「これを曖昧にしたまま、~と説明されても、わかったつもりにはなれないのである」という箇所に、一般的なハナシとして共感しつつ、)そういえば、係り結びというものがあった。「係り」のない「結び」というのもありなんだろう。「受領というものは(一般的に)倒れてもその場所で土をつかむものだ」という解釈のほうがすっきりする。

◆ そんなこんなで、引越屋の成れの果ては、「倒るる所に土をつかめ」とばかりに、今日もまたワラジムシの写真やなんかを撮っているわけなのだった。

◇ ただ、転んでもただは起きないお角が、駒井甚三郎の男ぶりに打込んで、これに入れ上げようとして通うものではなく、かえって駒井を利用するの意味で御機嫌を伺っているのだということだけは、どちらにもよくわかっているはずです。
中里介山 『大菩薩峠 小名路の巻』(青空文庫

◆ 「受領は倒るる所に土をつかめ」と似たようなことわざに「こけた所で火打ち石」「こけても馬の糞」なんてのもあるそうだが、もっとも一般的なのは、「転んでもただ(で)は起きない」だろう。

◆ 小説からではなく、現実からの用例を挙げると、

◇ 友人にも「今はお金がないので、まだ離婚するときではない。いかに自分が有利な条件で離婚できるか考えている。そのときまで待つ」などと打ち明けたことも。また、祐輔さんと夫婦げんかをした際、仲裁にやってきた友人には「離婚はする。でも、私がこの人の尻をたたいて、今の会社に入り、これだけの名誉や収入を得るようになったのに、どうして私だけが泣きを見て別れなくちゃいけないの。私は転んでもただでは起きない」などと話していました。
sankei.jp.msn.com/affairs/trial/071220/trl0712201208012-n1.htm

◆ 渋谷バラバラ殺人事件の被告の発言だそうで。

◆ たまたま、東京電力のCMを見たら、これがなかなかおもしろかった。若い女性のロボット(関めぐみ)が、

◇ 「わからない、わからない、わからない」

◆ と、言いながら、頭から湯気を出していた。ショートしてしまったらしい。「日常のふとした会話」がロボットには理解できない。たとえば、風呂から上がって気持ちよくなった妻夫木聡が思わず、「しっかり汗かけて、カラダの中からきれいになって、生まれ変わったみたいだ」と言うと、ロボットは、

◇ ーー生まれ変わった?
ーーうん。
ーー誰に?
ーー僕に。

◆ ここでまた、ロボットは理解不能になってショートしてしまう。そうして最後に、ロボットは一日を反省するように、屋根の上で夜空を見上げながら、

◇ 「人間って、わからない」

◆ と、つぶやく。

◆ 似たようなことは日常茶飯事だ、とロボットに共感しながら、そう思う、「人間って、わからない」。そもそも同じものに生まれ変わることができるのかどうか? これはロボットの言い分が正しいのではないか?(そんなことはどうでもいいが)

◆ 人間って、わからない。世の中、わからないことばかりで、土星人のワタシの頭もショート寸前。