◆ 最近の写真が新宿近辺ばかりなのを訝しく思われる方もおられるかもしれないので、少し近況報告をしておくと・・・
◆ 何の前触れもなく社長が出奔してしまい、と書くと嘘になる。お人よしのわれわれはその夜逃げ的引越まで手伝ったのだから。まあ、ことの仔細は省略するとして、ともかく元いた引越屋が経営難から3月末で営業を停止してしまったので、その後、知り合いのいる別の引越屋で働かせてもらっているが、それほど仕事があるわけでもないので、仕様がなしに8月から平日は宅配便の助手みたいなことをして糊口を凌いでいる。そんなわけで、毎日、新宿近辺をぐるぐる回っている。ぐるぐるぐるぐるぐる。
◆ カラダもあちこちガタがきているようで、力仕事もそろそろ限界なような気もするが、事務仕事に向いているとも思えないので、今後の余生をいかに過ごすべきかについて日々悩んでいるところ。
◆ なにかいい仕事はありませんかね?
◇ 平安期、国司(受領)になる公家どもの貪婪さというものは「受領は倒るる所に土を摑め」といわれたほどに、ひどかった。
司馬遼太郎 『街道をゆく10 羽州街道、佐渡のみち』(朝日文庫,p.107)
◆ この「受領は倒るる所に土をつかめ」というコトバは、司馬遼太郎の本で読む数日前に、たまたま別な本でも目にしていたということもあって、なんとはなしに強く印象に残ることになったコトバで、日本史の教科書にも載っているらしいが、そんなことは覚えていない(そもそも日本史は選択してないのだった)。辞書によると、
◇ 受領はどんな場合でも、もうけになるように立ち回れ。受領の強欲ぶりをたとえた当時のことわざ。転んでもただは起きるな。
三省堂 『大辞林 第二版』
◆ という意味だそうだ。「つかめ」というのは「つかむ」の間違いではないかと思ったが、上の辞書でも「立ち回れ」とか「起きるな」とか命令形で解釈している。でも、どうも腑に落ちない。
◇ 「受領は倒るる所に土をつかめ」とは、どういう意味に解すべきか。「つかめ」を命令形と解するなら「受領たる者は倒れてもその場所で土をつかめ」という意味になろうし、「倒るる所にこそ土をつかめ」の係助詞「こそ」が脱落したものと解するなら、「受領というものは(一般的に)倒れてもその場所で土をつかむものだ」という意味になるだろう。両者の意味は異なる。これを曖昧にしたまま、当時世間に通用していた諺だろうなどと説明されても、わかったつもりにはなれないのである。
home.kobe-u.com/lit-alumni/hyouronn1.html
◆ (「これを曖昧にしたまま、~と説明されても、わかったつもりにはなれないのである」という箇所に、一般的なハナシとして共感しつつ、)そういえば、係り結びというものがあった。「係り」のない「結び」というのもありなんだろう。「受領というものは(一般的に)倒れてもその場所で土をつかむものだ」という解釈のほうがすっきりする。
◆ そんなこんなで、引越屋の成れの果ては、「倒るる所に土をつかめ」とばかりに、今日もまたワラジムシの写真やなんかを撮っているわけなのだった。