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◇ Henriette Theodora Markovitch alias Dora Maar (November 22, 1907 – July 16, 1997) was a French photographer and painter, best known for being a lover and muse of Pablo Picasso. ◆ 父はクロアチア人、母はフランス人。フランスで生まれ、アルゼンチンで育つ。で、「泣く女」。 ◇ 〔・・・〕ドラ・マールがモデルの 『泣く女』 なんて、いったい何の恨みがあればこんなひどい描き方ができるのか? と思われるほど恐ろしい醜さだ。写真のドラはエキゾチックな美人なんだけど、絵のほうが有名になってしまった以上、『ゲルニカ』 の製作過程を撮影した彼女も、末代まで子供たちに笑われ続けるだろう。 ◆ 上記の引用は 《偉人道》 というサイトから。さらに続けて引用すると、 ◇ ピカソは言った。「私にとってドラは、常に泣く女だった。だから彼女を泣く女として描いたのだ」 そしてさらに、こう付け加えている。「女性は苦しむ機械だ。私は本質を捉えたわけだ」 ◆ この 「女性は苦しむ機械だ」 というコトバの出典が知りたくなって、ネットで検索したら、 ◇ “Les femmes sont des machines à souffrir”, experter på att lida, så ungefär har Picasso uttryckt sig i samtal med Malraux. ◆ と、いきなりスウェーデン語のサイトがヒットしてしまって、これでは皆目わからないので、さらにウェブ翻訳をしてみると、どうやら、作家のアンドレ・マルローがピカソから聞いたハナシとして、どこかにそう書いているらしい。“Les femmes sont des machines à souffrir”、「女性とは苦しむ機械である」。フランス語の “machines à souffrir” (苦しむ機械)の部分をスウェーデン語で “experter på att lida” (experts on suffering)、「苦しむことの専門家」 と補足的に訳しているのは、やはり 「機械」 (machine)という表現が奇抜だったせいだろうか? 英語で、「苦しむ機械」は、“machine for suffering” あるいは “suffering machine”。「泣く女」 ドラ。だが、彼女を泣かしたのは誰なのか? ◇ But who made her cry? (“Women are machines for suffering,” he once remarked.) ◆ ワタシはピカソではないので、女性が苦しむ機械であるかどうかはわからないが、「苦しむ機械」 などというコトバにたどりついたのは、もちろん、先だってのこと、女性を “birth-giving machines”、“child-bearing machines”、あるいは “machines à faire des enfants” に例えた Yanagisawa とかいう大臣がいたからで、これが問題発言であることはワタシにでもわかって、大いに憤慨しもしたのだが、よくよく考えると、この 「産む機械」 というコトバのどこが問題なのかがいまひとつわかっていないということに気がついて、愕然とした。まったく間の抜けたハナシだが、ワタシは単に 「機械」 というコトバがよろしくないのかと思っていただけだったのだが、あれこれのコメントを目にするにつけ、どうやらそうではなくて、むしろ 「産む」 というコトバの方に問題があって、こちらはもっぱら 「産む/産まない(産めない)」 の対比において問題にされているのらしかった(Takaichi とかいうこれまた大臣の、「私は“broken product”か?」 という発言など)。もちろん、「産む+機械」 の両方が問題なのだろうけれども。 ◆ ふたたび、《Wikipedia》 からドラの記述。 ◇ Dora Maar became the rival of blonde Marie-Thérèse Walter who had given a daughter named Maya to Picasso. Picasso often painted beautiful sad Dora (she suffered because she was sterile) and called her his "private muse." ◆ “she suffered because she was sterile”。ああ、彼女もやはりまた! ◇ Ha ha ha c'est ça si je suis un machine à faire des enfants alors mon mari est une machine à faire de l'argent... ;) lol ◆ 「ワタシが子どもを産む機械なら、ダンナは金を産む機械ってことに・・・(笑)」 ってなハナシでは、どうやらすまないらしい。やはり、わからないコトには口をつぐんでいるべきなのだろう。 |
◇ 『お父さん金魚が死んだよ、水鉢の金魚が。 ![]() ![]() ![]() ◆ 毎週火曜日に行く銭湯の脱衣場には水槽があって、金魚が泳いでいる。べつに風呂屋に金魚を見に行くわけではないから、それほど気にしていたわけではないけれど、ときどき写真に撮っていた。今週の火曜日、その水槽に金魚はいなかった。番台のアンちゃんに聞くと、先週死んだという。さいきんはずっと水槽に金魚は一匹しかいなかった。その金魚が死んだのだった。そういえば、番台のおばちゃんも久しく見ない。 ◇ 金魚と死 ◆ 〔追記:2009/06/04〕 上に「番台のおばちゃんも久しく見ない」と(失礼なことを)書いたが、その後、ときどき見かける。元気そうでなにより。 |
◇ 子供のころ、私は運動会がきらいでした。理由は簡単です、駆けっこ(徒競走)があるから。私は運動オンチで、特に駆けっこはいつもビリでした。あのピストルの、パーンという音も恐かった。びくっとして、それだけでスタートが遅れました。運動会なんて、雨が降ってなくなればいい、といつも思っていました。そんな私に両親はいつもこう言いました。「ビリでも、一生懸命走ればいいんだ」 そんなこと子供の私にもわかっていました。でも 「結果は二の次、努力することに意義がある」 というのは大人の理屈で、一生懸命走ってもビリだったときのみじめな気持ちは、忘れられません。 ◇ 私は小さい頃から運動会が大っきらいだった。埃っぽい校庭もきらい。ピストルの合図もきらい。雑音だらけのスピーカーから流れる音もきらい。『クシコスの郵便馬車』 も。 ◆ かけっこほど残酷な競技はない。結果がすべてを物語る。言い訳はきかない。自分のぎこちない体の動きが白日のもとにさらされる。童謡 「サッちゃん」 の作詞で知られる(芥川賞作家)阪田寛夫に 「びりのきもち」 という詩がある。 びりのきもちが わかるかな
みんなのせなかや 足のうら じぶんの鼻が みえだすと びりのつらさが ビリビリビリ だからきらいだ うんどうかい まけるのいやだよ くやしいよ おもたい足を 追いぬいて びりのきもちが ビリビリビリ ◇ 宝塚歌劇団の元トップスター大浦みずきさんは運動神経に恵まれ、駆けっこなら小中学校を通じて1位の記憶しかない。でも不思議なことに、家族はそろって運動音痴だった。▼特に父は瞬発の才に乏しく、運動らしい運動をする姿を見たことがない。この春、79歳で亡くなった阪田寛夫さんである。いとこで幼時から親しかった作曲家の大中恩 [めぐみ] さん(81)も 「彼の運動神経には同情した。走るのも投げるのも滑るのも苦手でした」 と話す。 ◆ 以下は蓮實重彦が東大総長時代に 『運動会会報』 (東大ではスポーツ系クラブの団体を 「体育会」 ではなく 「運動会」 と呼ぶ)に寄せた 「愛と矛盾」 という文章。 ◇ スポーツを愛することは、あらゆる人に許された平等な権利であります。気に入った種目があるなら率先してやってみるのもいいだろうし、他人の競技ぶりを眺めてみるのもよい。そうすることの自由を禁じるものは、原則として何ひとつ存在しません。その意味で、スポーツは優れて 「民主的」 な体験だとひとまずいうことができます。 ◆ もちろん、このあとには、「だが」 と始まる文章が続いて、スポーツは 「民主的」 であると同時に 「非民主的」 でもあると指摘されることになる。 ◇ あらゆる人がスポーツに愛されているとはかぎらないのであります。実際、いったん競技が始まってしまうと、誰がスポーツに愛され、誰がスポーツに愛されていないかは一目瞭然なのです。いかにも残酷なことですが、スポーツを愛することとスポーツに愛されることとは、僥倖として、選ばれた個体のうちで、ごくまれにかさなりあうものにすぎません。 / スポーツに愛されていない人が、スポーツが好きだという理由で必死に演じてみせる身振りは、ほとんどの場合、目を蔽わんばかりに醜い。 ◆ 目を蔽わんばかりに醜い。救いはどこにもない。 |
◆ 以下は、寺田寅彦のエッセーからの引用。 ◇ しかし、また一方から考えると、元来多くの鳥は天性の音楽家であり、鴉でも実際かなりに色々の 「歌」 を唄うことが出来るばかりでなく、ロンドンの動物園にいたある大鴉などは人が寄って来ると “Who are you ?” と六(むつ)かしい声で咎めるので観客の人気者となったという話である。そんなことから考えると、鴉がすぐ耳元で歌っている歌に合わせて頸を曲げるぐらいは何でもないことかもしれない。
◇ 最近の学生は漢字を知らないという。ある新聞社の入社試験に 「鴉」 にふりがなをつけさせる問題をだしたところ、答えが六十何通りかにわかれたそうだ。だが、そんなことに驚いてはいけない。カラスがからすだとわかり、烏によってあの黒い鳥をイメージできればそれで充分である。これを恰好の材料として、今日の学生の漢字の知識の欠落ぶりを嘆いたりするよりは、いったい、どんな種類の学生が 「鴉」 をカラスと読めたかを追跡調査することの方が、はるかに有意義ではないか。その調査の結果は目に見えている。学校で暗記を強いられたわけではない二つの人の名前に親しんできた者たちだけが、「鴉」 を正確に読みえたことは間違いない。その二つの人の名前とは、いうまでもなく長谷川伸と加藤泰である。ところで、ある大新聞社がその全集を刊行している前者はともかくとして、あなたは、加藤泰を知っているか。 |
◇ お銀様もまた、昔から、この 「新月」 が好きなのでありました。特に今まで、お銀様が 「新月」 が好きだという記録はこの作中には書いてなかったが、それは書く場所を見出さなかったから現われなかったまでのことで、かつて武州小仏の峠から、上野原方面へ迷い入った時に、たしかこの月影を西の空にうちながめたことがあったはずです。「新月」 を好くお銀様は当然、「満月」 というものを好かないのです。 ◆ いままで新月というものは目に見えないものだと思っていたが、どうもお銀様には見えるらしい。見えない方がおかしいのだろうか? ◇ 新月とは月が欠けて完全に見えなくなっている月のこと。 ◇ 新月とは月が太陽の方向にあるときのことで、月は見えません。 ◆ どうしてお銀様には見えない月が見えるのだろう? 辞書を引くと、まず 「朔に同じ」 とあり、次に、 ◇ 陰暦で、月の初めに見える細い月。 ◆ とあった。なんのことはない、むかしの新月は見える月だったのだ。よく考えると、こちらの用法の方が、コトバとしてはすなおに感じる。見えない月を月とは呼びにくい。新しい月ならなおさら見えた方がいい。 ◇ 新月は、本来は朔の後に初めて見える月のことである。グレゴリオ暦採用以後の日本の旧暦で二日または三日に見える。太陰太陽暦では、新月の日を以て月初としていた。「ついたち」 というのも元は 「月立ち」 であり、新月のことを指していると考えられる。漢字の 「朏(ひ)」 も同様である。 ◇ 新月 (new moon) 朔のこと。ただし古代には朔のあと、最初に見えるようになった月を 「新月」 と呼んだ。そして 「朔」 はそこから 「遡って」 完全に月が見えていなかった日として推算していた。現代では朔と同じ意味で使用する。 ◆ 見えない新月は、英語の new moon の訳語だというハナシもある。 ◇ 新月はもともと new moon の訳語として日本語に導入されました。 ◆ けれども、英語の new moon も、辞書を引くと、 ◇ 1. The phase of the moon occurring when it passes between the earth and the sun and is invisible or visible only as a narrow crescent at sunset. ◆ と、(見えない月と見える月の)ふたつの語義があって、日本語とほぼ同様の混乱を引き起こしている。 ◇ New Moon is often considered to occur at the time of the appearance of the first visible crescent of the Moon, after conjunction with the Sun. ◆ そりゃそうだろう。やっぱり見えないものを moon とは呼びにくい。 ◆ ようするに、新月というコトバの新しい意味(見えない月である「朔」)が普及したのは、天文学にもとづく科学教育の結果なのだろう。ワタシもその意味を小学校の教室で教わったのだった。 |
◆ 新月のつづき。英語の new moon をあれこれ調べていたら、『ハックルベリー・フィンの冒険』 (1885)に出くわした(10章)。he は黒人奴隷のジム。 ◇ He said he druther see the new moon over his left shoulder as much as a thousand times than take up a snake-skin in his hand. ◆ druther などというわけのわからない単語があるが、これは方言で would rather が訛ったものらしい。この the new moon が日本語でどう訳されているのかが気になって、図書館にあった文庫本で確かめると、 ◇ 三日月を左の肩越しに一〇〇〇回も見るほうが、ヘビの皮を手にとるよりもまだマシなんだそうだ。 ◆ 「三日月」、そう訳されていた。そのことがわかってとりあえず満足したわけだけれど、ジムのハナシがおもしろそうなので、べつな話題としてつづける。ヘビの皮はさておき、比較の対象とされている 「三日月を左の肩越しに見る」 というのがまた気にかかるわけで。new moon (以下、訳者にならって三日月の訳語をあてておく)を左の肩越しに見るとどうなるのか? ジムのハナシを(原文は抜きにして日本語訳で)つづけると、 ◇ もっとも、おいらのいつもの考えじゃあ、三日月を左の肩越しに見るってえことは、恐ろしくウカツなことでバカげていて、誰だってそんなことはしねぇはずなんだ。ハンク・バンカーじいさんは、あるときそれをやって、自慢していた。ところが、二年もたたねぇうちに、酔っ払ってショット・タワーから落っこって、ペシャンコになっちまった。ちょうど、センベイみてえにな。だから、みんなは納屋の扉を二枚かさねて、そのあいだにじいさんを滑り込ませて、棺桶がわりにして、そのまんま埋めたんだそうだ。だが、おいらはそれを見たわけじゃあねぇ。おとうが話してくれたのさ。だが、とにかく、それもみんな、月をそんな具合に見たからなんだ、バカみてえにな。 ◆ 三日月を左の肩越しに見ることは、とんでもなくいけないことらしい。もちろん迷信にきまってる。だが、右ではなく、左の肩越し。いつだって、左は不吉なサインにされちまう。 ◇ Look at the new moon for the first time over your right shoulder; that brings good luck. Looking over your left shoulder, of course, is bad luck. ◆ 「of course」 てのはなんなんだ。「もちろん」 ってのは! Timothy Harley, Moon Lore (1885) って本にも、 ◇ In Devonshire it is lucky to see the new moon over the right, but unlucky to see it over the left shoulder; and to see it straight before is good fortune to the end of the month. ◆ デボンシャーってのがどこにあるのかさっぱり知らないが(イングランド?)、どいつもこいつもつまらん迷信しんじやがって。バカじゃねえのか? と、むかしの人間に文句を言ってもしようがない。Robert Green Ingersoll という実証主義者が Superstition (1898) という本でこう言っている。「月を右の肩越しで見ようが見まいが左の肩越しで見ようが見まいが、そんなことはお月様にこれっぽっちの影響も及ぼさない」。 ◇ To see the moon over the right or left shoulder, or not to see it, could not by any possibility affect the moon, neither could it change the effect or influence of the moon on any earthly thing. Certainly the left-shoulder glance could in no way affect the nature of things. All the facts in nature would remain the same as thought the glance had been over the right shoulder. We see no connection between the left-shoulder glance and any possible evil effects upon the one who saw the moon in this way. ◆ ところで、ワタシは迷信が下らないと腹を立てているわけじゃあない。いやいや迷信はなかなかおもしろい。ただ、ワタシは左利きなもんで・・・。 |
◆ 新月というコトバが気になって、そのことを書いたら、おともだちの rororo さんの 「新月といえばラマダン?」 というささやきが聞こえたので、ラマダンの新月について。またまた、《Yahoo!知恵袋》 の質問から。 ◇ イスラム教のラマダン(断食月)は、新月を確認してから始まる(終わるときも同じ)、と聞いたのですが、それって個人個人が確認するわけじゃないですよね? やはり大きな教会の聖職者とかが確認するんですか? また、日本に住むイスラム教徒の場合、ラマダンに入ったかどうか、どこに確認してるんでしょう? やはり、自分の国の大使館とかですか? ◆ その一回答。 ◇ 日本では、東京・代々木のイスラミックセンター・ジャパンがいちおうの統一見解を出しています。ただし、去年のラマダン明けでは、日本の大部分が曇っていて、月の有る無しが確認できず、最も近いイスラム国・マレーシアの大使館に問い合わせていました。結局、マレーシア本国から「ラマダン明けはまだ」という見解が届いて、思っていたより1日伸ばしたところが多かったようです。 ◆ イスラム社会で用いられている暦はヒジュラ暦と呼ばれる太陰暦。 ◇ イスラーム暦の一日は日没に始まって日没に終る二十四時間から成り、各月は新月の出る日を第一目とします。 ◆ だから、第9番目のラマダン月の開始も、「新月」 を目で見て決める。 ◇ 世界のイスラム教国ごとにイスラム学者や天文学者らがイスラム暦9月の新月を確認し、イスラム教最高権威が断食月入りを宣言する。このため、国によって開始がずれる場合がある。天候により新月が確認できない場合、サウジアラビアの決定に従うが、サウジも悪天候なら天文学上の計算に従う慣例だ。 ◇ ラマダンは、イスラム教の開祖の預言者ムハンマドがメッカからメディナに移住した西暦622年を元年とする陰暦(ヒジュラ暦)の第9の月にあたり、毎年11日ほど早くなる。始まりは各国のイスラム機関が月を見て決定し、今年はおおむね9月23日か24日に始まった。イラクではスンニ派の開始日は23日でシーア派は24日だった。 ◇ イスラム教のラマダンは、毎年決まった日ではなく、新月が見えた翌日から一ヶ月間行うものだと知りました。 / その開始日を決めるため、日本在住のイスラム教徒たちが都庁の展望台に上って新月が見えるか目を凝らす様子を、昨日のTVで見ました。あいにく曇り空で月が見えなかったので、福岡のイスラム教徒に空を見てもらいましたが、やはり見つからなかったと携帯で連絡を取り合っていました。 / さらに、日本と経度が近いイスラム国のマレーシアに国際電話をして月の出具合を聞いていましたが、やはりわからないとのことで、最終的にはラマダン開始は明日ではなく明後日から、ということに決まったようでした。 ◇ ラマダンはイスラム暦9月。イスラム暦は月が基準となっているので太陽暦よりも1ヵ月が短く、ラマダンも毎年少しずつずれていきます。1ヶ月の始まりは新月の日。これは実際に目視で確認されます。従ってラマダンの開始もこの 「月見判定委員会(?)」 が新月を確認の上、アナウンスします。 ◆ このように、あちこちで、あたりまえのように 「新月を見る」 と書かれているけれども、新月というコトバを天文学用語として理解しているひとにとっては、新月とは見えない月(朔)のことであるから、見えない月が見えるわけがない。だから、少々まわりくどい言葉づかいになる。 ◇ イスラーム暦では、新月のあとに月が最初に肉眼で観察された日から新しい月が始まることになっており、実際に観察されるまではラマダン月が始まったとか終ったとかは公式に言えないのである。 ◆ これを書いたのは、やはりコトバの厳密な使用を要求される職業である大学の先生だった。つぎはアメリカ海軍天文台(United States Naval Observatory)のサイトから。 ◇ The Islamic calendar is based on lunar months, which begin when the thin crescent Moon is actually sighted in the western sky after sunset within a day or so after New Moon. ◆ 「新月(New Moon)」が、朔ではなくて、朔のあと初めて見える月のことを指すのであったなら、この文章は、 ◇ The Islamic calendar is based on lunar months, which begin with the New Moon. ◆ と書けばすんだはず。つづきの文章もおもしろいので、もう少し。 ◇ The visibility of the lunar crescent as a function of the Moon's "age" - the time counted from New Moon - is obviously of great importance to Muslims. The date and time of each New Moon can be computed exactly but the time that the Moon first becomes visible after the New Moon depends on many factors and cannot be predicted with certainty. In the first two days after New Moon, the young crescent Moon appears very low in the western sky after sunset, and must be viewed through bright twilight. It sets shortly after sunset. The sighting of the lunar crescent within one day of New Moon is usually difficult. The crescent at this time is quite thin, has a low surface brightness, and can easily be lost in the twilight. Generally, the lunar crescent will become visible to suitably-located, experienced observers with good sky conditions about one day after New Moon. However, the time that the crescent actually becomes visible varies quite a bit from one month to another. The record for an early sighting of a lunar crescent, with a telescope, is 12.1 hours after New Moon; for naked-eye sightings, the record is 15.5 hours from New Moon. These are exceptional observations and crescent sightings this early in the lunar month should not be expected as the norm. For Islamic calendar purposes, the sighting must be made with the unaided eye. ◆ 朔のあと、はじめて月が見えるまでの所要時間の最短記録は、望遠鏡で12.1時間、肉眼で15.5時間だそうだ。その月はどれほどか細い月なのだろうか? |
◆ ちかごろは納豆だのなんだのとマスメディアがせっせと迷信の大量生産に精を出しているようだが、迷信といえば、こんな迷信がある。 ◇ 【三の酉まである年は火事が多い】 ◆ 「三の酉ってなに?」 というひとも多いだろうから、とりあえず辞書を引く(「酉の市」)。
◆ 酉の市は主に関東の行事であるらしい。「三の酉まである年は火事が多い」 ということにかんして、台東区千束の 《鷲神社》 の公式サイトの説明によれば、 ◇ 三の酉の年は火事が多いといわれますが、これは地方などに宵に鳴かぬ鶏が鳴くと「火事が出る」といわれたことから出た俗信です。鶏は神の使いであるとされ「時」を知るために飼われました。三の酉の頃になると次第に寒さを増し、火を使う機会も増えることから火に対する戒め、慎みからいわれたのでしょう。 ◆ なるほどそうなのか、というわけにはいかなくて、これではよくわからない。「宵に鳴かぬ鶏が鳴く」 ことがあったとして、それが11月に酉の日が3回あることにどう関係するのだろう? またべつの説明もある。 ◇ というのは、お酉さまの参詣の帰りに、男性が吉原に寄ることが多く、留守をあずかる女性としては、何とかして亭主などを家に引きもどさなければなりません。まして、3回もお酉さまがあったのではたまったものではありませんから、三の酉のあるときは 「火事が多い」 とか 「吉原遊廓に異変が起こる」 という俗信を作って、男性の足を引き止めようとしたのだろうと考えられます。 ◆ この解説は 《東京消防庁》 のサイトから。これもまた、いまひとつ腑に落ちないが、「実際に、三の酉のときに火事が増えたという記録もありません」 との記述がいかにも消防庁のページらしい。そもそも、火事が増えるもなにも、三の酉まである年というのが、珍しいことでもなんでもない。 ◇ 通常2回なのですが、暦の関係で3回(三の酉)ある年があります。で、この三の酉がある年は火事が多いなどと昔聞いたことがあります。 ◇ 通常一の酉、二の酉までなのだが、年によっては三の酉まであるらしい。「三の酉まである年は火事が多いらしいですよ」と彼が言う。 ◆ 「通常」 と書くことで、三の酉まである年がいかにも例外であるかのように思えるけれども、そうではなくて、ほぼ2年に1度は11月中に酉の日が3回ある。算数は苦手なので、詳しい計算は省略するが、100年に1度の閏年の例外を考慮しないとすると、十二支のひとつである酉の日は16年のサイクルで11月の同じ日にめぐってくることになって、その16年のうち、二の酉までの年が8回、三の酉まである年が8回。つまり、2分の1の確率なのだから、「三の酉まである年は火事が多い」 というのは 「2年のうちの1年は火事が多い」 ということと変わりがない。もしかしたら、そういうこともあるのではないか? といわれてしまえば、それまでなのだが・・・。 |
◆ 2006年6月15日、東急東横線都立大学駅のホームに突然ハトが落ちてきた。なぜかは知らない。近づいてみると、なんとも見事に翼を開き、赤い脚を前後に構えたまま、ひっくり返って動かない。こんな格好のハトを見るのは初めてだ。動かないのをこれさいわいに写真を数枚。すっかり満足した気分でハトのもとから立ち去って電車を待っていると、あとからホームに上がってきた青年が、やはりハトに気がついて、ハトに近づいた。ワタシと違って、カメラは取り出さない。その代わりに、ハンカチを取り出して、それでハトをやさしく包み、そうして、ハトを胸に抱えていま来たばかりのホームの階段を下りていった。駅の事務室に届けるのだろう。 ◆ ああ、なんとこころやさしい青年! それにくらべてワタシときたら! ◆ ちょっと言い訳。そのハトに外傷はまったくなかったから、おそらく電線に触れて感電して地上に落ちてしまったのだろう。ショックで気絶してはいるが、そのうちにまたなにもなかったかのように飛び立ってゆく・・・。そうワタシはそう思ったのだ。だが、それはほんとうだろうか? そのハトがもし血を流して苦しんでいたとしたら、ワタシはあのやさしい青年になれただろうか? そのへんはよくわからない。おそらく、なにもしなかったのではないかと思う。ハトの生きている世界はワタシの生きている世界とは違う。自然の動物の生死にむやみに介入すべきではない。そんなことを考えてしまったワタシは冷たい。 |
◇ 言わずと知れた東京土産の代名詞、ひよ子。もったりした餡子と香ばしい皮が絶品。コーヒーに良く合う。味だけでなく、このシンプルで愛らしい体型と切なく訴えるような表情がまた良い。 ◆ だが、福岡土産であるというハナシもある。 ◇ 名菓「ひよ子」。これ、東京みやげと思ってらっしゃる方もいらっしゃいます。違うんですよ。ひよ子まんじゅうは、福岡のひよ子本舗吉野堂。福岡のおみやげです。 ◇ ひよこは絶対東京です!!! と思っていたときに主人が九州の出張の折に買ってきて、「九州出張・・って・・どこで何やってたの?」と思ってしまった思い出があります。よく見たら福岡の銘菓って・・。。違うよ・・絶対、東京! ◇ 実家に帰って、親に「お土産買うてきたばい!」といって東京名物(笑)ひよこを見せたところ、不思議そうな顔で私の方を見ました。親「どこで買おてきたと?」 私「東京駅やけど・・・なんで?」 親「ひよこは福岡の銘菓やないね、東京の名物買ってこな~」 私「ばってん、東京の友達が名物っていうけんさ~(笑)」 結局のところ、その時も銘菓ひよこは東京名物なのか、福岡の名物なのか、どっちつかずで混乱しました。 ◇ 僕は知らないで東京に福岡みやげで「ひよこ」を買っていったら、東京土産よとバカにされ、頭にきました。 ◆ 韓国銘菓でもあるらしい。 ◇ 2003年(平成15年)7月16日発行の西日本新聞夕刊1頁には「韓国に「偽ひよ子」味、形、名物菓子“パクリ”「勝手にまねた」」と題して、「福岡や東京の土産用菓子として有名な「ひよ子」にそっくりの商品が韓国内で売られていることが分かった。」などの記事が掲載され、 ◆ いや、「ひよ子」が東京土産か福岡土産という裁判ではなく、こんな裁判。《「ひよ子」の立体商標はダメ 知財高裁判決》 ◇ 福岡市の菓子メーカー「ひよ子」が特許庁に登録していた鳥形まんじゅう「ひよ子」の立体商標の取り消しを求める訴訟の判決が2006年11月29日、知的財産高裁であった。中野哲弘裁判長は「(ひよ子が登録した)立体商標それ自体は、未だ全国的な周知性を獲得するまでには至っていない」として、立体商標を認めた特許庁の審決を取り消した。この訴訟は、ひよ子と同じ福岡市にある菓子会社・二鶴堂が提訴したもの。 ◆ 判決全文をちょっとのぞいてみると、 ◇ 本件立体商標と同様の形状を有する鳥の菓子は,全国各地に多数存在し,これらと被告の菓子「ひよ子」とを並べて対比しても区別がつかない。 ◆ ふむふむと読んで、「名古屋コーチン」なんてのものがあることを知ったりもするのだった。また、2004年には、「ひよこちゃん」裁判なんてのもあった。 ◇ インスタントラーメンの名称「ひよこちゃん」を商標登録出願した日清食品(大阪市)が、土産物として知られる菓子「ひよ子」に類似しているとして登録を拒んだ特許庁の審決取り消しを求めた訴訟の判決で、東京高裁は請求を認めた。 ◆ ひよこをめぐるいろんな裁判があったようだけど、ワタシなら、こんな裁判を傍聴してみたい。「ひよこを食べることは動物愛護法かなんかの法律に ◇ ところで、幼少の頃に食べるのが可哀相で頭だけ残したりしてませんでした? よく考えたら頭だけ残して齧ると言うのも残酷だったような... ◇ さて、この地域〔下関〕で育った子供が一度は、悩んだことがあるのは、「ひよ子」を頭から食べるか、お尻から食べるかということ。因みに、俺は、「お尻から派」で、やはりいきなり頭から食べるのは、耐えられない。今でも必ず、お尻から、食べて、最後に「ごめんね」と「ひよ子」の瞳に話しかけて、頭を食べる。 ◇ 小学生の頃は「ひよ子」どうやって食べる?と友達に聞いたりして「頭から食べる」と答えると「残酷だね><;」、「お尻から食べる」と答えると「エッチだね><;」などと会話していた記憶があります。(回答への評価には若干の地域差あり) ◇「いやぁぁぁぁぁ。ママって残酷っ! こんなかわいいひよ子ちゃんを頭から食べるなんて酷いっ」 いやいや、確かに可愛いけど、ただの饅頭ですから。 ◇ かわいいひよ子なので食べるのがかわいそうな感じがしますが、とてもおいしいです。 ◆ いや、まったく。かわいいものはおいしい。みなさんおししく召し上がっておられるようで、これなら「アタマから食べるかオシリから食べるか」裁判の方がいいかも。 ◆ 以前、おともだちのめめさんが、「ひよこ」という文章を書いていた。とってもおいしい文章だった。 |
◆ バリバリ夕張、ボロボロ羽幌。 ◇ 僕が高校時代に夕張のPRのために 「バリバリ夕張」 というフレーズがあったが、羽幌出身みのや雅彦のアタックヤングというラジオ番組の中の葉書ネタで 「ボロボロ羽幌」 というのがあって、うまいこと考える人がいるんだなあなんてヘンな感心をしたことがある。 ◆ 20年以上も前のはなし。若かりしころロマンチスト(バカという意味だが)だったワタシは、わけもなく北に憧れ、札幌の大学に入学した最初の冬に、さらに北を目指して、稚内へと旅立ったのだったが・・・。 ◆ 鉄道で稚内に行くのなら、宗谷本線経由が一般的だろうが、学生というのは時間だけはたっぷりあるので、時刻表の路線図を眺めて、日本海沿いを走る羽幌線経由で行くことにした。その羽幌線もいまはない。 ◇ 羽幌線(はぼろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道留萌市(留萌支庁管内)の留萠駅で留萠本線から分岐して日本海に沿って北上し、天塩郡幌延町の幌延駅で宗谷本線に接続する。国鉄再建法の施行により特定地方交通線(第2次)に指定され、民営化直前の1987年に廃止された。〔中略〕 もともとは羽幌町の炭鉱開発と運炭、そしてニシンの輸送を主な目的として建設された路線だったが、炭鉱の閉山とニシン漁の不振、沿線人口の減少によって貨物・旅客の輸送量が減り、道路(国道232号)もよく整備されていたため存在意義を失い、第二次廃止対象路線となった。国鉄最後の廃止路線である。 ◆ 留萠(るもい)から、羽幌線のディーゼルカーに乗車。ここからは延々と日本海に沿って北上する。真冬の日本海はどんなだろう。すっかり旅人気分で、鈍行列車から窓の外を見る。だが、海は見えない。海どころか、なにも見えない。いや、目はしっかり開けているのだから、なにも見えないはずはない。正確に記そう。雪しか見えない。白い雪しか見えない。外は猛吹雪だった。 ◆ 真っ白な世界。これまた北海道の冬らしくていい。若さというのは物事を楽観的に考えさせるもののようだ。そとの景色はいつまでも変わらない。それでも列車はひた走る。ほどよい振動が眠りを誘う。いつしかワタシは夢のなか・・・。 ◆ ふと目覚めると、列車が止まっている。窓の外に目をやるが、どこにもホームはない。そうこうするうちに、車内放送が流れる。どうやら、雪の吹き溜まりに突っ込んだらしい。前進できないので、しばらく待てという。しばらく待ったが、状況に変化はない。そうこうするうちに、また車内放送が流れる。現状では前に進めないので、前の駅まで戻るという。列車はすごすごと南へと引き返し始める。だが、またすぐに止まってしまう。しばらくして、申し訳なさそうな車掌の声が、「前にも後ろにも進めません」。後ろにも吹き溜まりがあるんです。なるほど。それではしかたがない。 ◆ 列車はあいかわらず停車したままだ。並行する国道では、なにごともないかのように車が走っている。ようやく待ちきれなくなった乗客のひとりが、ここで降りるからドアを開けてくれと車掌に頼む。「歩いて帰るから」。 ◆ そんなふうにして、近くのひとが何人か列車を降りていった。のこされた乗客は遠くまでいくひとたち。こんなところで降ろされても困る。何時間かたって、もう暗くなってから、駅までなんとか歩けるところまで列車は進み、そこで止まった。今日はもう列車は動きません。駅には職員用の宿泊施設があります。ご希望の方はそこでお泊りください。 ◆ その駅が羽幌駅だった。何人かの乗客とともに、その夜は職員用の二段ベッドで寝た。たしかおにぎりが出た。高校受験の帰りの中学生と話をした。つぎの朝、羽幌の駅前の 「駅前食堂」 という名の食堂で、朝食を食べたような覚えがある。けっきょく北の稚内へ向かうことをあきらめて、札幌へ戻ることにした。なにも見ていない。ただ羽幌まで行って帰ってきただけのローカル線の旅。もちろん、運賃は払い戻し。まあタダならいい。 ◆ 羽幌を訪れたのはその一度しかない。留萌支庁苫前郡羽幌町。 ◇ 町の本格的な開拓は近隣の苫前町、初山別村より遅い明治中期以降であるが、大正期に優良な石炭を産出する羽幌炭鉱が発見されて以来、石炭中心のモノカルチャー都市として発展。しかし、炭鉱閉山の1971年(昭和46年)以降は過疎化が著しい。〔中略〕 炭鉱閉山後の1971年(昭和46年)、人口がついに3万人を割り込み、あわてて市制施行を実施したが、自治省の指導により市制施行が取り消される珍事が有った。 ◆ 当時、羽幌に炭鉱があったことなど知るよしもなかった。いま 《羽幌町ホームページ》 を見ると、映画上映会のお知らせ。3月9日(金)、中央公民館大ホールにて。 ◇ 昭和40年代の福島県・常磐炭鉱の閉山危機を迎えた街を変貌させた 「常磐ハワイアンセンター」。実話を元に閉山危機に揺れる街、そこに生きる人々の交流を、地域の再生と絡ませて感動的に描かれた作品です。 ◆ 上映されるのは 『フラガール』。羽幌のひとたちはどんな気持ちでこの映画を観るのだろう。 ◆ そうそう、ちょっと北海道に行ってきます。羽幌は行かないけど。 |
◆ 旭川の旭山動物園。ジェンツーペンギン(右)がイワトビペンギン(左)にちょっかいを出すとどうなるか? ![]() ◆ 強いのはイワトビペンギンの方。こんなことを100回ほど繰り返して(画像も100回で止まります)、イワトビペンギンは一歩も譲らず、ジェンツーペンギンはとぼとぼと引き上げる。 ◆ しばらくすると、懲りずにまたジェンツーペンギンがイワトビペンギンにちょっかいを出しにやってきて、また負ける。 |
◆ こんなことがあってもいいのだろうか? というほどのことでもないのだけども・・・。今日の引越の相棒が佐藤で、午前のお客さんが佐藤さんで、午後のお客さんも佐藤さん。今日はなぜだかみんな佐藤さんなんですよ、というハナシを午後のお客さんの佐藤さんにしたら、エアコンを外しに来たひとも佐藤さんだったそうな。いやはや日本で一番多い姓だとはいえ、ちょっとびっくり。ちなみにワタシは佐藤ではない。 |
◆ タバコを吸い始めたころに、ぼけっとタバコの煙を見ていて、その煙がうすく紫がかっていることに気がついて、ちいさな感動をした。ああ、ほんとうに紫煙なんだな、と思ったのだった。 ◇ し‐えん【紫煙・紫烟】 紫色の煙。紫色のもや。また、特に、タバコの煙。「―をくゆらす」 ◆ 紫煙というコトバは知っていたけれど、じっさいのタバコの煙の色を注視したのは、あとにもさきにもその一度しかない。 ◆ タバコの煙がどうして紫がかって見えるのかについての説明を、タバコとはあまり縁のなさそうなところから見つけた。ネット証券会社 《マネックス証券》 の社長 「松本大のつぶやき」 から。 ◇ 煙草の煙は紫煙ですが、一旦吸われて吐かれた煙は白煙です。これは気管の中で水分が煙の粒子に付着して粒子が大きくなるためです。吸う前の小さな粒子は波長の短い紫色だけを反射し、吸った後の大きな粒子は長い波長も含めて反射するので白く見えます。 ◆ 辞書にもこれくらいの説明があっていい。 |