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◆ 引越という仕事は奇妙なもので、少し遠くの知らない町に出かけると、もはや旅との区別がつかない。お客さんを観光案内人と勘違いをして、「この近くになにか見どころはありませんか?」 と尋ねたり、地図を広げて、お客さんの家を探しているつもりが、いつしかその近くに温泉マークを発見し、その道順を検討し始めていたり。なんとも楽しい仕事である。 ◆ というわけで、これまでにも仕事のついでに造り酒屋を訪れたことが何度かあって、過去の写真をパソコンからひっぱり出して、どこかに杉玉が写っていやしないかと見直してみると、あるわあるわ、ここにも、ここにも(画像をクリックすると多少は大きいのがご覧になれます)。 ![]() ![]() ![]() ◆ 〔左〕 2003年6月5日、滋賀県高島郡マキノ町海津、吉田酒造。こんなに堂々と飾られた杉玉になぜ気がつかない? ◆ 〔中〕 2004年5月12日、神奈川県厚木市七沢、黄金井酒造。建物の左奥に。 ◆ 〔右〕 2005年5月7日、埼玉県秩父市宮側町、武甲酒造。写真を拡大してみると、なんと5個の杉玉。 ![]() ![]()
◆ 〔右〕 2007年3月6日、会津若松市日新町、末廣酒造(嘉永蔵)。 ◇ 威風堂々とした姿で大和町通りに趣を添える末廣酒造・嘉永蔵。大輪の酒林に圧倒されながら酒香に誘われ木扉を開くと、そこには吹き抜けの大空間が広がる。
◆ ほかにもまだあるかもしれない。それにしても、過去にこんなにたくさんの杉玉を目にしていたはずなのに、なんにも目にはいっていなかった自分をちょっぴり反省しつつ(大いに反省すべきであるか?)、あらためて写真というのはすごいものだなあと。 |
◆ おともだちの 《おタネさん》 がこんなニュースを紹介していた。 ◇ 「遠心力で身長が伸びる。1センチ当たり105万円」。そんな説明を信じて身長を3センチ伸ばす施術を受けたのに効果がなかったなどとして、愛知県内の20代の女性が13日までに、整体施設を営むコジマ身長伸ばしセンター(旧ケイピーシー、本社・東京)を相手取り、施術料の返還など345万円の支払いを求める訴訟を名古屋地裁に起こした。 ◆ おタネさんのコメント。 ◇ 身長だいたい170センチという男性は168cmくらい、というのはホントだと思う。ワタシは155だけど、何故かついつい156と詐称している、我ながらケチな見栄張りだと思う。 ◆ そういえば、「小さな大打者」 と称えられたヤクルトの若松勉も、入団当初は公称170センチであったらしい。 ◇ 最後には、「お前、(身長)いくつあるんだ?」と歩み寄った若松監督と石川投手が背比べするシーンも。公称169センチの石川投手ですが、「1センチサバ読んでるだろ?」の突っ込みに絶句? 「俺は入団当時、(公称)170センチだったんだよ。それを1センチ下げ、また1センチ下げして・・・」と若松監督の“経験談”も飛び出す笑顔の絶えない打撃特訓でした。 ◆ 「1センチ下げ、また1センチ下げして」 その結果、何センチ下げれば実身長に追いつくのか? ◇ 私はヤクルトファンなのですが、かつて偉大な選手がいました。若松勉 現ヤクルト監督です。168cmだそうですが、ほんとはもっと小さいと思います。 ◇ 身長166.7センチと小柄ながら、天才的なミートのうまさと勝負強さで、ヒットを量産した典型的なアベレージヒッターであるが、通算220本塁打を放ってもいる。そのため、「小さな大打者」 との異名があるが、堅実な守備と肩にも定評があった。 ◆ そういえば、ワタシの身長も170センチ(実寸)なのだった。 |
◇ 普通、言語というのは、呼気音を使って音を出します。それが自然だし、その方が楽だから。まれに吸気音を使う言語もあるらしいですが、少なくとも、標準的な日本語や英語にはありません。 ◇ 謝るときに吸気音 [s:] を使えばよいという指摘はおもしろい。『言語学大辞典6 術語編』 の 「吸気音」 にも記述( 「日本人はあらたまった席で話をするような場合に……」 )があります。ほかでも読んだかもしれませんが忘れてしまいました。一方、元アナウンサーの鈴木健二氏が、この 「スー」 は下品だからやめるべきだ、とテレビで言うか著書に書くかしていたという記憶があります。日本語教師が 「スー」 を口癖にしていたため、留学生がみなこの 「スー」 を使うようになってしまった、という話もどこかで読みました。 ◇ うちの兄貴は良くため息をつくときに 「ちぇしぃーーーっ。はぁー」 と、ため息の前にtut音と、寒さに震えるときに日本人がやる 「しぃー」 という吸気音を作る。あれはあれで、弁別的な、しかも非常に意味をもった音の単位。 ◇ 外国から日本に来た多くの人が気づくことなのですが、日本の若い女の人が話しているときに、ちょっと驚いたりすると、「(ひっ)」 と息を吸ってかすかな声を出すんです。この 「(ひっ)」 は、日本語の単語には含まれていないでしょう? しかし多くの人が同じパターンの声を出すんですね。辞書を見てもそんな単語は載っていないし、まず日本語に息を吸い込む音があるとはみんな夢にも思わない。 ◆ いつか機会があったら、日本の若い女の人ととりとめのないおしゃべりをして、「(ひっ)」 という声を確認してみたいと思っているのだが・・・。 |
◆ 「NIKKEIプラスワン」 に 《夫に言われて傷ついた一言》 というアンケート調査の結果が載っている。ところで、「NIKKEIプラスワン」 というのは、 ◇ 「NIKKEIプラスワン」 は土曜の朝刊とともにお届けしている生活情報週間紙です。 ◆ ということで、日経新聞のおまけらしいが、よくはしらない。週間紙というのは週刊紙の誤植のような気もするが、新聞社がそう書いているのだから、あるいは正しい表現かもしれない。それはともかく、このアンケート調査の1位は 「君も太ったね」 で、2位は(体調が悪いのに) 「ごはんはないの?」 で、3位は 「家にいるんだからヒマだろ」、だそうだ。それもともかく、面白いと思ったのは、9位の 「で、結論はなに?」。 ◇ 男女の会話手法の違いが如実に出たのが 「うるさい」 (6位) 「しつこいな」 (7位) 「で、結論はなに?」 (9位)。〔東京学芸大学教授で精神科医の〕 田村 〔毅〕 さんによると、男性は報告や結論を求めて話すが、女性は過程に重点を置くので結論はなくてもよいことが多い。それを理解せずに夫が話を遮ると妻は不満を感じる。 ◆ ワタシは独身なのでよくわからないが、夫もたいへんなようで、誰だって 「で、結論はなに?」 と言いたくなることがあるものらしい。以下、2chのスレッドから。 ◇ 629 : とりあえず特に結論を求めない話を聞かせたいなら、風呂上がって、酒とツマミを十分に用意してからにしてくれ。それなら付き合う。お帰りも言わずに開口一番やられるなら誰だって 「で、結論は何?」 だ ◇ 673 : 疲れてる時に結論のない過程話を延々と聞かされるのは地獄だろ。それも半分怒りながらしゃべられるとたまらん。誰だって 「で、結論は何? おまえは何を言いたいんだ?」 と言いたくなる。 ◇ 749 : 1時間で話が3周すれば誰だって 「で、結論は?」 と言いたくなる。 ◆ 考えてみれば、ワタシもここであれこれどうでもいいようなことばかり書き連ねているわけで、ほとんどの場合にこれといった結論はない。なんとかオチをつけようとすることもあるが、たいていはうまくいかない。「で、結論はなに?」 と問われれば、「そんなものはない」 と答えるしかない。まあ、これは会話ではないから、事情はだいぶ違うけれども。で、結論はなに? |
◆ むずかしいこともわからないが、かんたんなこともわからない。《長崎市長選、長女号泣も市民世襲NO》 というニュースを読んだ。 ◇ 現職の伊藤一長氏(享年61)が選挙運動中に射殺された長崎市長選で、伊藤氏の後継として立候補した娘婿の新聞記者、横尾誠氏(40)が、同じく補充立候補した元市課長、田上富久氏(50)に敗れた。「悔しさを表すには私が出るしかなかった」 と述べたが、世襲への批判は予想以上に強かった。妻で伊藤氏の長女優子さん(36)は 「長崎市民に、父はその程度の存在だったのか。父が浮かばれない」 と叫び、ショックのあまり倒れ込んだ。 〔中略〕 4選を目指していた伊藤氏は、圧勝が予想されていた。それだけに、落選の報に支援者も、放心状態。「殺された上に負けるなんて。むごすぎる」。男性支援者は涙ながらにつぶやいた。 ◆ 殺された上に負けるなんて。もちろん殺された人物が選挙に負けたのではない。選挙に落選したのはまた別の人物である。それを同一視させるような風土があるところにはあるのかもしれないが、長崎市においては今回、それが絶対多数ではなかった。 ◆ 被害者感情というコトバがある。被害者の感情という意味だろうと思う。これはむずかしくない。だが、《【主張】 少年法改正案 犯罪低年齢化でやむなし》 とする社説(産経新聞)を読むと、とたんにわからなくなる。 ◇ 平成9年の神戸の連続児童殺傷事件を契機に、まず少年法が改正され、刑事罰の対象が、16歳以上から14歳以上に引き下げられた。次に16年の佐世保市での小6女児同級生殺害事件など14歳未満の少年の凶悪犯罪が相次ぎ、今回の法改正の動きにつながった。 〔中略〕 また、時代の流れでもある被害者感情に配慮したことも、改正案可決に結びついた。18日の衆院法務委員会で、改正案を野党の猛反対を押し切って与党だけで可決したことについて、安倍晋三首相は 「被害者の気持ちも踏まえれば、やむを得ない」 との感想を述べた。その通りであろう。 ◆ ここでの被害者感情とはなんだろう? 殺人事件の被害者の感情という意味だろうか? 殺されたものの気持ちをどのようにして斟酌し 「踏まえる」 ことができるのか? それがわからない。それともこの被害者というのは殺された本人ではなく、その遺族のことなのだろうか? 遺族も被害者といえば被害者だが、自らを殺されたという被害と身内のものを殺されたという被害では、その被害というコトバの意味がまったく異なっているだろう。 ◇ 「被害者感情を考えれば死刑存置もやむをえない」 という意見をよく聞きます。また、私たちに「被害者の人権をどう考えているのか」 と詰問してくる人も、ときどきいます。 ◆ 「被害者の人権」 というコトバもよくわからないが、殺人事件にかんして言われる 「被害者感情」 というのは、おおむね遺族の心情のことであるようだ。 ◇ 死刑存置論者が最後にぶちあたる難問は誤判の問題だと言われ、廃止論者の最後の壁は被害者感情だと言われ続けている。殺人者を死刑にしなくては、遺族の気持ちは収まらないというのである。 ◆ 殺された本人の気持ちと遺族の気持ちとは同じではない。同じかもしれないが、それを知る術はない。さらに、生きている遺族の気持ちでさえも、容易にはわからないはずなのだ。 ◇ さらに、被害者感情といっても、それ自体マスコミ等により作られることも無視できない。 ◆ 他人の気持ちは、そうかんたんにはわからない。 ◇ 死刑制度は必要です。あなたのような、かっこつけているような意見を見ると、むかつきますね。自分の妻子が残酷な方法で殺された人の気持にも少しは思いを至らせるべきだと思います。 ◆ いくら思いを至らせても、わからないものはわからない。それにしても、殺された本人の気持ちはいったいどこへ行ってしまうのだろう。「おいおい、殺されたのはこのオレだろ? なんだい、オレの気持ちを聞きもしないで・・・」 |
◇ 良く慣れた手乗りです。「むかし、むかし・・・」 と言うと、興味津々に寄って来ると思います。 ◆ 「むかし、むかし・・・」 とビジューがお話するのかと思ったら、そうではなくて、お話を聞くのが好きなインコであるらしい。インコにもいろんなのがいる。 ◆ そういえば、ちょっと前に、《逃げたインコ戻った! 飼い主の老夫婦大喜び》(高知新聞)というニュースがあった。 ◇ インコのピーちゃん、無事生還――。高岡郡越知町内の駐車場で2月、1羽のセキセイインコが保護された。飼い主が分からなかったがある日、インコが 「越知町1区、西川ピーちゃん」 と “自己紹介”。これを手掛かりに地元郵便局長らの協力もあり、10日ぶりに飼い主の元に届けられた。愛鳥がいなくなって落胆していた老夫婦は 「本当によかった」 と、笑顔を取り戻している。 〔中略〕 西川さん夫妻は昨年からインコを飼い始め、いろいろな言葉も教えてきた。自分の住所や名前のほか、「1足す1は2。2足す2は、分からん」 「好き好き大好き」 と軽快にしゃべるピーちゃんは、2人の “家族” だった。 ◆ ビジューが、西川ピーちゃんみたいに 「むかし、むかし・・・」 としゃべってくれるのなら、手がかりとしては十分で、発見するのもたやすかろうが、こちらが 「むかし、むかし・・・」 と語りかけなければいけないとなると、少々やっかいな気がする。 ◆ もしそれらしき水色黄色のセキセイインコをみかけたときには、そっと近づいて、「むかし、むかし・・・」 と言えばいい。けれど、そのあとどうすればいい? 「むかし、むかし、あるところに・・・」、その続きは? 浦島太郎のハナシをすればいいのか、桃太郎のハナシをすればいいのか、それともかぐや姫のハナシ? あれこれ昔話を思い出してはそのあらすじをアタマのなかでちゃんとつながるようにと努力してみるが、ほとんどの場合はうまくいかない。 ◆ よけいな心配をした。もしビジューを見かけたら、「むかし、むかし」 と言えばいい。どのみち、それしか言えないのだから。それでも、そのコトバに興味津々近寄ってきたインコを前にして、お話の続きをうまく話してやれないのは、申し訳ないことだろう。「ごめんね、つづきはしらないんだ」、そう言うと、がっかりして、またインコは逃げていくかもしれない。 |
◆ 先日、こんなニュース記事を目にした。《長岡市の男性が毒草食べ死亡》(新潟日報 2007年4月16日) ◇ 県によると、男性は12日、市内の妻の実家の畑で栽培されていたイヌサフランと山菜のギョウジャニンニクを採取。翌日夜にいためたりして食べた後、下痢や嘔吐(おうと)の症状が出た。長岡市の病院に入院したが、16日午後4時すぎ、血液低下と多臓器不全で死亡した。一緒に食べた妻は病院で治療を受け、既に回復している。
◇ ヒトビロ、キトピロとも言うものの、それよりも 「アイヌネギ」 と言うのがメジャーな北海道を代表する山菜、それが行者大蒜、つまり 「ギョウジャニンニク」 であります。ちなみに、道産子にとって 「アイヌネギ」 が一番言いやすく使い慣れていることもあって、よく聞きますが、差別用語だと主張する方もいるため、ギョウジャニンニクに統一したいと思います。
◆ 北海道観光連盟の 《アイヌ文化理解の手引き》 には、 ◇ 正式名称はギョウジャニンニク。「中国茶」 「タイ米」 のように国や地域の付いた呼び名は多く、その意味ではアイヌの人々の長年の食材のひとつをアイヌネギと呼ぶこと自体は、本来は悪いことではない。しかし、「アイヌは汚い、くさい」 などと差別を受けてきた人々の中には、強い匂いをもつものをアイヌネギと呼ぶことに対して差別の意識をもっての発言であるとして不快感を持つ人が多い。従って、こうした差別が解消されるまでは、アイヌネギという言葉は避け、ギョウジャニンニクと呼ぶ方が良い。なお、北海道内のスーパーなどでは 「きとびる」 「ひとぴろ」 等の名称で売られていることもある(どちらも日本語の 「祈祷びる」 からきている)。 ◆ ワタシも 「中国茶」 「タイ米」 のような組み立てのコトバとしてアイヌネギを理解していたが、考えてみれば、アイヌは地名ではない。エゾネギではどうだろう? 蝦夷も蔑称か? 関係ないが、支那そばにシナチク。
◆ アイヌ語にはプクサというコトバもある。 ◇ ギョウジャニンニクのことを沙流川ではプクサといい、旭川や阿寒のアイヌはキトというが、プクサという言い方でもわからないことはないし、二風谷アイヌもキトという言い方は知っている。 ◆ 面倒だから、とりあえずは標準和名のギョウジャニンニクを用いておけばなんの問題もないのだが、それでもひっかかるのは、この山菜が、 ◇ ニンニクと言うよりは、ネギとニラを足しような感じ。 ◆ であるところ。ニンニク、ネギ、ニラ。これも考えてみれば、どれも似たような植物で、食用にする部分が、ニンニクとネギ・ニラでは違うというだけのこと。そういやニンニクの茎も喰うもんなあ。とやっぱり結論は出ない。とりあえず、食中毒にはご用心。 |