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◆ 日本のハワイといえば、東日本では福島県の 「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート・ハワイアンズ)」、西日本では鳥取県の 「はわい温泉」 ということになっているらしいけれども、ワタシは残念ながら、そのどちらにも行ったことがない。というか、日本にハワイがあるということさえ知らなかった。ホンモノのハワイはさらに縁遠い。 ◆ 関西生まれのワタシは、映画 『フラガール』 を観て初めて、「常磐ハワイアンセンター」 なるものの存在を知った。 ◇ 常磐ハワイアンセンターは、現在はスパリゾート・ハワイアンズと名称を変更して営業している。TBS 「ザ・ベストテン」 の中継先だったり、東京ではTVコマーシャルが流れたりと、関東以北の人たちにはなじみがあるようだけど、関西以西の人たちには 「ほら、あの 『常夏のハワイ、常磐ハワイアンセンター』 ってあるでしょう?」 といってもまったくピンとこないことは、大学入学で上京してから知った。 ◇ 「ハワイみたいなとこなのよー」 と、常磐ハワイ体験者でハワイに行ったことのない母は言ってました。本当かよ!と思うのですが私は両方行ったことがないので、何も言えないんですけどね。 ◇ 常磐ハワイアンセンターといえば、私が小学生のころ同級のコが夏休みに常磐ハワイアンセンターに行ってきたいうのを聞いて、仲間何人かと常磐ハワイアンセンターとハワイは同じものなのかどうかを真剣に話し合ったことを思い出します。たとえば日本語は使えるのかとか、飛行機や船で行くのかということをです。私たち仲間は夏休みに出かけるところといっても、精々、お盆に田舎のおじいちゃんおばあちゃんちに行くくらいでした。 ◇ ハワイといえば、ハワイアン常磐センターに一度も行ったことがない。子供の頃、近所おじさんたちがハワイに行くか、と誘ってくれたがなんどなくかっこわるい感じがして行かなかった。 ◇ 栃木県で育った私にとって、子供のころ 「ハワイ」 には二つの意味があった。ある子が 「うちは夏休みに家族でハワイへ行くんさ」 と自慢する。すると周囲の子供が決まって混ぜ返した。「おめえが行くのは、本物のハワイじゃなく常磐(じょうばん)ハワイアンセンターだべ」 (これらは栃木弁)。 ◇ 昔は“ハワイ”という所も今ほど身近ではなく、小さなころ父に「ハワイ行ってみたいなぁ(゚o゚)」と言うと「おっ、連れてってやるぞ(^o^)丿・・いわきのハワイに。」と言われたものでした(笑) ◆ 二十年近く東京に住んでいても、こういったタグイの情報は意外と知る機会がない。関東出身の同僚数人に 「常磐ハワイアンセンターって知ってる?」 と聞いてみると、みな一様に 「ああ、日本のハワイね」 といったコトバのあとに、上記の引用と同じような個人的な楽しいエピソードを懐かしそうに披露してくれるのだった。 |
◆ 『下流喰い』(須田慎一郎著、ちくま新書) という本を買った。サブタイトルが示すとおり 「消費者金融の実態」 をルポしたものだが、内容はともかく、タイトルに惹かれた。だれがつけたのかは知らないけれども(出版社サイドのような気もする)、その思惑とはおそらくは関係がないところで、このタイトルはワタシを魅了した。 ◆ 加納光於に 「稲妻捕り」 と題されたリトグラフの連作がある。もちろん 「稲妻捕り」 は「下流喰い」 のようにたやすく買うというわけにはいかないので、展覧会の図録でも眺めて満足するほかないけれども、このタイトルも長い間ワタシを魅了し続けた。 ◆ で、ハナシはまったく変わることになるのだが、これらのタイトルをアタマのなかで反響させつつ、ワタシは自分が 「思い出喰い」 ではないかということに、もしくはやや上品に 「思い出捕り」 ではないかということに、ふと思い当たった。獏が他人の夢を喰うように、ワタシは他人の記憶や思い出を食べて自らの栄養としているのではないか? ◆ パソコンでネットサーフィンをする。さまざまなキーワードで検索をし、その検索結果にしたがっていくつかのサイトを訪れる。ブログの流行もあって、個人のサイトであることも多い。そこには intimate な空間が無造作に広がっていて、カギのかかっていない他人の部屋を覗き見るような後ろめたさがないわけでもない。しかし、そんなことさえ気にしなければ、そこで語られる思い出は、けっしてワタシのものではないけれども、もしかするとワタシのものでもよかったはずのものではないか? そんな気がし始めると、もういけない。アカの他人の思い出を、ワタシは自らのものにしてしまおうと不埒な考えがアタマをよぎり、すかさずコピー&ペーストをして、他人の貴重な思い出の数々を無断で掠め取ってしまう。いったい思い出というものに所有権は認められているのだろうか? できることなら、ワタシも、他人の思い出を喰ったり捕ったりしているぐらいには、自らの思い出を他人に提供したい気持はあるのだが、いかんせん、ワタシには、そのような思い出がいちじるしく欠けているように思われて、すこし悲しい。 |
◆ はらたいらが63歳で亡くなった。宇崎竜童は60歳で阿木燿子は61歳だそうだ。今日のスポーツ新聞に阿木燿子のインタヴュー記事が載っていた。 ◇ 怒涛(どとう)のように押し寄せる加齢症候群。これを次から次へ受け入れるってことはかなりつらい。年齢なんか聞かれても、ある時から、あんまり言いたくない。 ◆ ついでに松任谷由実は52歳で中島みゆきは54歳だそうだ。中島みゆきの歌にこんなのがある。 ♪としをとるのはステキなことです そうじゃないですか ◆ 夭逝に憧れた過去があるわけでもなし、近頃の自殺の方法のハヤリはどうして首吊りなのだろうということが気になったりはするけれど、特に死ぬべき理由もないので、なんとなく生き続けてきて、はや四十余年。歳をとるのがステキなことだと思えるのは、以下のようなときだったりもする。 ◆ ある朝、ワタシは玄関の外で、なぜだか財布から120円を出していたのだった。しばらくその120円で自分がなにをしたいのかが理解できなかった。ワタシがいま玄関の外にいるのは、仕事に出かけるためで、と自分の行動をいま一度復習してみると、アパートの部屋から出たのだから、しなければいけないのはカギを閉めること。だから、財布からカギを出して・・・、ああカギ出してないや。カギを出さずに120円を出してるや。なにやってんだか。でも、どうして120円。ああ、缶コーヒーを買おうとしたんだな。でも玄関の前には自動販売機はない。ちと順番を間違えた。ただそれだけのこと。ははは。 ◆ 先日(10月17日)逝去された西洋史学者の木村尚三郎の講義は、ナニがナニしましてですね、といった調子の固有名がいちじるしく欠如したハナシが延々と続くので、ナニがナニやらさっぱりわからなかったとか。 ◆ アイルランドの詩人イエーツに “Men Improve with the Years” という詩があって、それを大江健三郎がどこかの小説の引用していたのを読んだ記憶があるけれど、どこだか思い出せない。「人間は歳月とともによくなっていく」 のだとしても、ワタシは土星人だからどうだかなあ! |
◆ 去年のいまごろ、「ギンナン」 にまつわるエピソードを書いたことがあったが、ギンナンのハナシふたたび。 ♪つま先たてて海へ モンロー・ウォークしてゆく
◇ うあっ もったいない! 大好きなのにぎんなん 誰も拾いにこないのかしら 勝手に拾ったらダメって書いてあるのかなあ ◆ とはタネさんのコメントだが、ワタシもまたそう思ったのだった。もしかして、神社でのギンナン拾いは禁忌(タブー)なのかしら? そんなことが気になって、ネットでギンナン拾いならぬ思い出拾いをしてみると、あるわあるわ。 ◇ その神社の境内のギンナン、とってもたくさん採れるんです。そして、境内の一部が駐車場になっていたため、落ちたギンナンを車が踏んで、それはもう、臭いました~~!歩き始めた頃の息子と 「ギンナン、ホイーホイ!」 と言いながら拾い集めたこと、今でも時々思い出します。 ◇ 昨年の秋、奥津温泉に行った時、道の駅の真後ろに小さな神社がありました。神社の側を歩いていると、小さな境内を埋め尽くすように銀杏が落ちていました。最近では拾う人もいないのでしょうか。同行した友人達が大喜びで拾って帰りました。珍しい光景でした。こんなにたくさんの銀杏を見たのは初めての事でした。 ◇ 子どもの頃よく神社の境内のギンナンを拾ってきて、土に埋め、外皮が取れたところで掘り出し、火鉢で焼いて食べました。食料難のころのよいおやつでした。東高の校庭にも大きな銀杏があり、落ちたギンナンを教職員の方が集めておられた記憶があります。今、飲み屋で注文するとけっこう高価です。 ◇ 街路樹から落ちたギンナンを拾ってきた。拾いながら、子供の頃台風の後にバケツと火バサミをもって近くの神社へ拾いに行った事を思い出した。近所のばー様たちと早起きの競争をして拾ったものだ(苦笑)。 ◇ 幼い頃の秋というと、母に連れられて神社の境内にギンナンを拾いに行ったのは懐かしい想い出の一つです。当時はギンナン独特の匂いなどを気にすることも無く、ゴミ袋一杯に詰めて持ち帰ったものでした。 ◇ 私は今でも苦手です。というのも、小学生のころ。私の通っていた小学校の児童会には 「保健委員会」 や 「図書委員会」、「給食委員会」 といった委員会とまったく同じレベルで 「資金調達委員会」 という謎の委員会が存在し、その委員会がやることといえば、「秋のぎんなんの収穫」 だったのです。秋の日の放課後は、委員会の子どもたちが学校のすぐ東側にある神社に乱入し、ぎんなんをひろってひろってひろいまくる! 私の記憶では、神社のイチョウの木に向かって先生が校舎から、サッカーボールを投げてぎんなんを落としていたような・・・子どもは 「きゃっきゃ」 と喜びながら、当然ぎんなんまみれ。壮絶です。私もどういうわけか、その委員会に所属していてえらい目にあいました。 ◇ ちょっと前の話ですが、火曜日は校内写生大会でした。2年生は、とある神社に描きに行きました。その神社はギンナンが多く、とても臭いです。僕が絵を描いていると、とある男子生徒が潰したギンナンを投げてきました。僕の顔面に当たって、跳ね返って僕の絵にもあたりました。思わずこう言いました。「ちょ来いや!」 (ちょっと来いや。) ◇ むかーし、私が七五三のお参りに行った時にも、神社にギンナン落ちてまして、凄い臭いの中、伯母と母が拾いまくってました。私も手を出そうとしたら 「あなたは着物が汚れるからやめなさいッ」 と怒られ、おかーさんだって着物じゃーん(・3・)と思った記憶があります…… ◇ 近くの神社が抜け道になっていてよく通る。今の時期境内はギンナンの臭いがすごい。境内には何本もあるので、ものすごい臭いだ。決められた日にギンナン拾いがあるそうで、たくさんの人が集まり賑やかになる。あんなにたくさん拾ってみんなどうするんだろうか?食べるのかな。 ◇ 西津屋から帰宅して、ついでに山の幸もと、近くの神社に 「ギンナン」 を拾いに行ってみました。小さい頃は親父に言われて、よく拾いに行った(親父の酒の肴)ものでしたが、本当に何十年ぶりのことでした。とりあえず100個ほど拾ってきましたが、これからが大変です。しばらく水につけ実の部分を腐らせてからの種取りです。 ◆ みんな神社でギンナンを拾っているようだから、大丈夫なんだな。今度また行って拾ってくることにしよう。まだ残っていれば。 |
◆ キノコについてはなにも知らなかった。あの幻のキノコが気になって、あれこれ調べてみると、どうもヒトヨタケ科の一種であるようだが、正確にはわからない。ヒトヨタケ、あの雨の夜の幻のキノコにはいかにもふさわしい・・・。 ◇ ヒトヨタケの仲間の菌糸はどれも成長が早く、きのこが大きくなるのも、とけるのも早い。ヒトヨタケというのはきのこが一晩で育ち、消えてしまうことろからきた名前である。もっとも、ヒトヨタケそのものは一日半ほどでとけ、ネナガノヒトヨタケは朝開いて、数時間でとける。種類やその時どきの条件で、きのこののび方やかさのとけ方が変わる。 ◆ 溶けるキノコがあるなんてことも知らなかった。自己消化というらしい。 ◇ 成熟した子実体の傘は周縁より中心部に向かって自己消化により次第に液化し、ついには柄のみ残し、一夜で溶けて黒色の胞子(担子胞子)を含んだ黒インクのような液と化してしまう。これがヒトヨタケの名の由来である。 ◆ また、ヒトヨタケ科にはイヌセンボンタケという種もある。このキノコの傘は液化しないようだが、千本茸というだけあって、群生の数がすごいらしい。もしかしたらこれだったかもしれない。 ◇ 「千本」の名を冠する菌類には何かと群生するものが多いが,イヌセンボンタケはそんな手合いの中では極めつけともいえる存在である。比較的遭遇しやすい上に,群生の規模が桁違いに大きいからだ。数百本程度のまとまりは本種としては珍しくも何ともない。 ◇ 切り株や杭の根元などで、湿り気のあるときに発生します。小型の菌ですが、いっせいに何百何千本と出現するので幻想的です。 ◇ 群生のすごさで言えば、このきのこはかなり上位に位置することでしょう。ただし、ヒトヨタケの仲間なので短命。ものすごい群生に出会うためには、余程日ごろの行いを良くしないとダメかもしれません。 ◆ イヌセンボンタケの群生の画像には、どれも圧倒される。《イヌセンボンタケ - Google イメージ検索》
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◆ 東京浴場組合の 《最新銭湯マップ発行後の廃業浴場》 のリストによると、今年の11月9日現在で、「最新銭湯マップ発行」 以降、都下の銭湯が215軒廃業したということだ。なるほど。いやいや、最新の銭湯マップがいつ発行されたかがわからないとハナシにならなので、調べてみると、どうも2002年版が最新であるようだ。ということは、この4年間で一度も銭湯マップの改訂がされていないのか・・・、とコチラの事実に驚いている場合ではない。驚くべきなのは、4年間で200軒以上の銭湯が廃業に追い込まれていることで、これは、風呂なしアパートに住んでいるワタシにとっては、死活問題である。とは、ちと大げさと思われるかもしれないが、内風呂がないということは、ワタシのアタマのなかでは、即 「銭湯はみなワタシのものだ」 ということを意味するので、少しも大げさなハナシではない。ワタシの資産がつぎづぎと勝手に減じていくのは、実に腹立たしい限りである。少なくとも、ワタシの許可を取ってからにしてほしい。
◆ とはいえ、この光月湯には一度しか入ったことがない。2005年3月15日 のことだ。なかな気に入ったので、それ以降も訪れようとしたが、道に迷ってたどり着けなかったこと数回。なんとかたどり着いたが時間がなくなってしまい、下足箱を写しただけで帰ったこと一回(2005年10月18日)。それくらい目立たないところにあるのである。そもそも初めて行ったのも、この辺りをぶらついていてたまたま見つけたのだった。そして入るのには多少の勇気が必要だった。 ◇ マンションも目立つ下町に、ひっそりと忘れ去られたように佇むレトロな銭湯。周りの喧騒の中で、ここだけ時間が止まっているようである ◆ そして、ほんとうに時間が止まってしまった。今年の8月27日のことらしい。 ◇ もうすぐ廃業という話を聞いて、今回は何かのついでではなく、光月湯に入るために、入谷までやってきました。(中略) 好きだった銭湯がなくなるというのは、本当に寂しいものです。私とて日常的に通っていたわけではないのですが、かっぱ橋あたりに来るたびに寄っていたので、かなり愛着のある鉱泉銭湯でした。これも時代の流れで仕方のないものなのかもしれません。最後にご主人と女将さんにお礼を言うことが出来てよかったです。今まで本当にお疲れ様でした。そして、度々の入浴、本当にありがとうございました。光月湯の建物はなくなっても、この近くに来るたびに思い出すことでしょう。
◇ ここの銭湯を訪問した最大の理由は、正六角形の白い亀甲タイルがあるから。床は亀甲タイル。男女境側の入浴道具を置く台には竹割タイルもある。いずれも新しい銭湯では見ることができない。 ◆ 亀甲タイル? 写真を見直すと、たしかに正六角形の白いタイルが写っている。撮ったときには、もちろん亀甲タイルの存在に気がついていたはずもない。まったく写真というのはおそろしいものだ。 |
◇ ものすごい速さで移動するので、写真撮影には苦労しました。カメラを構えて追いかけながら、フラッシュを焚いてみたり、マクロモードにしてみたりと。20枚くらい撮って、ちゃんと写ってたのはわずかに3枚。 ◆ この虫はアオオサムシ Carabus insulicola。関東ではごくふつうに見られるオサムシの仲間だそうだ。 ◇ 肉食性で、ミミズ類やネズミなどの死骸も食べます。色彩は、緑、緑銅色、金色、黒色などさまざまです。後翅は退化して飛ぶことはできません。 ◆ 飛べない? だから、ちょこまか逃げ回っていたんだな。理由も分からず人間に追い回されて、そのときコイツは、オレにも羽があったらなあ、と思ったかどうか? ◇ これらのオサムシの仲間は、昼間は落ち葉や石の下などに隠れていて夜になると活動を開始する。このため私達のごく身近に生息しているにもかかわらず、見たことが無い方が多いようである。最も普通に見られるアオオサムシは緑色の金属光沢を持つ美しい甲虫で、主にミミズを食べると言われ、時には地面に接して噴き出しているクヌギの樹液を吸っていることもある。冬期は後述するように、朽ち木や土の中で成虫で越冬する。 ◆ このアオオサムシ、キノコ好きにも有名らしい。オサムシタケ Tilachlidiopsis nigra というキノコのホスト(寄生主)が関東ではおもにアオオサムシ。 ◇ 甲虫の一種オサムシに寄生する冬虫夏草の一種です。冬虫夏草の中では比較的一般的で、都内の公園で数十個見つけたこともあります。写真のきのこはオサムシの成虫に寄生していますが、幼虫に寄生することもあります。 ◇ 冬虫夏草はその気で捜すとクモタケやオサムシタケは明治神宮でも代々木公園でもけっこう見つけられます。 ◆ ワタシはその気になったことがないので、オサムシタケ、いや冬虫夏草そのものをまだ見たことがないが、画像を見るだけでもびっくりする(《オサムシタケ - Google イメージ検索》)。 |
◆ 昨夜、パソコン(デスクトップ)のキーボードが壊れた。赤ワインをこぼしてしまったのだから、無理もない。 ♪とっても大事にしてたのに こわれて出ない音がある ◆ てな感じだったのが、しだいに ♪ドとレとミの音が出ない ◆ てな感じになり、しまいに、 ♪ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない ◆ てな感じになるに及んで、もしかして分解してキレイにすれば直るかも、という幻想をきっぱり捨てた。仕方がないので、今日キーボードを1700円で買ってきた。ああ、もったいない!
◇ 日本ではロスチャイルドの名で知られている名家ですが、一族が世界中に移り住んだことで、各国の言葉で発音されるようになりました。フランス読みではロートシルト。ボルドーにはロートシルトの名の付く格付け1級のワイナリーはふたつ存在します。ひとつは、ここシャトー・ラフィット・ロートシルト。そしてもうひとつが、シャトー・ムートン・ロートシルト。 ◆ 「フランス読みではロートシルト」 というのは間違い。フランス人は Rothschild をロートシルトとは読まない。ロ(ー)トシルドと読むことはある。でも、たいていはロ(ッ)チルドだろう。 ◇ ちなみにフランス音では 「ロッシルド」 か 「ロッチルド」 になります。それがなぜかロートシルト(ドイツ音)やロスチャイルド(英音)をごちゃまぜに使用するので素人には解らないでしょうね。ちなみにソムリエの田崎氏はフランス語のロッチルドを使用するので私もそうしています。つまり、ボルドー1級のだったら、シャトー・ムートン・ロッチルドやシャトー・ラフィット・ロッチルドですね! ◆ で、シャトー・ムートン・ロッチルド。あるいは、シャトー・ムトン・ロチルドとは、 ◇ フランスボルドーワイン格付け第1級ワインのひとつ。5つの第1級格付けワインの中で、唯一第2級から昇格したワインにもかかわらず、その知名度は高い。ワインの味わいもさることながら、毎年、ワインのエチケット(ラベル)を著名な芸術家に依頼していることでも有名。ジャン・コクトー、マリー・ローランサン、サルヴァトール・ダリ、ミロ、シャガール、カンディンスキー、アンディ・ウォーホル、キース・へリング等がオリジナルの絵を提供している。そのため、ワイン愛好家以外にもコレクターが存在し、芸術的価値も高い。 ◇ 毎年、著名な芸術家の絵で飾られることで有名な、シャトー・ムートン・ロートシルト。ボルドー1級格付けのワインのラベル画は、ムートンの紋章である羊や、ブドウ、ワインを題材とし、ピカソやシャガールなど個性溢れる巨匠によって描かれてきました。 ◆ 当代 「1級」 の芸術家によるムートンのラベル画は、たとえば 《Chateau Mouton-Rothschild - The Artist Labels》 でみることができる。 ◇ The artists are paid no money for their work, but given instead a certain number of cases of wine of two different years, obviously including the year they provided the label. ◆ ラベル画を描いた芸術家に報酬の支払いはない。その代わり、ムートンのボトルがプレゼントされるとか。 ◆ ムートンのラベル画にまつわるエピソードは事欠かない。たとえば、1993年のバルテュス。 ◇ このワインには2種類のラベルがあるのでご注意を。元のラベルはバルテュスによる、繊細だが少しもいやらしくはない少女のヌードのポートレートだったのだが、アメリカではネオ・ピューリタンの反対によって使用されなかった。結果として起こったのが、最初のラベルの思惑買い。アメリカに輸入されたムートン=ロートシルトの「公式」ラベル、何も描かれない乳白色のラベルのものより何と50ドルも高い。 ◆ 詳しくは、《ムートンに愛された画家たちを求めて - 第5回バルテュス夫妻》。 ◆ 上の画像は1964年(ワタシが生まれた年)のラベル。イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの作品。パーカーによれば、この年のムートンは 「大失敗作」 だとか。残念。 |
◆ 蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の「ひねもす」を、こどものころ怪獣かなにかの名前だと勘違いしていた人がいたそうだ。怪獣にしてはなんだか弱そうな名前だけれど、どこかにいないか怪獣ヒネモス。 ◆ と思っていたら、谷山浩子に「ここは春の国」という曲があるらしい。その歌詞はというと、 ♪ あれはなんですか あれはひねもすですよ ◆ この歌詞は、彼女がDJをしていたラジオ番組でリスナーから募集したものだとか。今日、海を見た。 ◆ と、ここまでを以前(2002/09/01[2003/06/06])に書いた。はて、どこの海を見たのだったか? 以下、追加。 ◇ ひねもす… 思えば不思議な言葉だ 「ヒネモス」…昔の人は一体何を思って「終日」と書いて「ヒネモス」なんて読んだのかな…ヒネモス その単語から連想できそうなものなんて普通化け物の類いくらいだろう ◆ ヒネモスを生き物だと想像するひとは意外に多いようで、その場合、ヒネモスは怪獣であるよりも海獣であるかもしれない(というわけで、初出のタイトル「怪獣ヒネモス」を「海獣ヒネモス」に改題)。 ◇ 「春の海 ひねもすのたり のたりかな」 一度は聞かれた事があるのでは? そうです蕪村の俳句です。私が初めて聞いたのは、小学生の頃だったと思います。その時に先生が句の意味を説明されたと思うんですけど、興味を引くためか「とある大学生が、この俳句を説明する時に、ヒネモスと言う怪獣がのたりのたりと波間を漂っている情景と言った事があるんですよぉ」という話しをされ、その時点で私の頭の中ではネッシーのような怪獣が波間に見え隠れしている情景が記憶領域のほとんどを占めてしまいました。そのため、後の説明を全く聞いておらず「ひねもす」がなんなのかそれ以来の謎となってしまったのです。 ◇ 多くの人がこの「ヒネモス」をイルカの仲間だと勘違いしているようだけど、知ってる人は知ってるようにヒネモスはイルカではなくアシカ科の海獣です。春になると黒潮に乗って日本の沿岸の浅いところまでやってくるので相模湾でも今の季節はよく見かけます。 ◇ 糸井重里はアタマが良い。知識も豊富である。海の生物にも造詣が深い。『私は嘘が嫌いだ』という著書には、春の海で一日中プカプカ浮いているだけという謎の生物「ヒネモス」についての記述があるが、この『ペンギニストは眠らない』にも、香川県堂浦沖の「ナルト」について触れている文章がある。この「ナルト」の生態もまた、海に浮かんで昼寝をしているとのことなので、「ヒネモス」と同類である可能性もある。 ◇ 春の海には / おかしな動物がいて / 穏やかな波にねそべって / ひなたぼっこをしている / 鰭を口にあてて / あくびなどもするから / 魚類ではないらしい / おっとせい? / 似ているが / ちがう / あれが / ほら / 南蛮から漂流してきた / ヒネモスだ / (春の海ひねもすのたりのたり哉) ◆ 春以外の季節、ヒネモスはどこにいるのだろう? 春になったら、ヒネモスのいそうな海に行って、ヒネモスが波間に寝そべっているのをぜひとも写真に撮りたいものだ。 |
◇ 実はこの缶入りのアメには 「サクマ式ドロップス」 と 「サクマドロップス」、2つの種類があることをあなたはご存知でしょうか。 ◆ あれれ、そうだったの? ◇ 「サクマ式ドロップス」 の方は赤色の缶に入っており 「佐久間製菓」 が作っていますが、「サクマドロップス」 の方は緑色の缶に入っていて 「サクマ製菓」 が作っています。 ◆ あれれ、そうだったの? ◇ そもそもこの2つの会社、もともとは同じ会社だったのですが、戦時中に砂糖の供給が止まり、「アメなぞ役に立たないモノ作るとはナニゴトか」 と解散せざるを得なくなり、戦後に会社が分裂。イロイロあったすえに、戦前の社長の息子さんがおこした会社のアメが 「サクマドロップス」、番頭さんがおこした会社のアメが 「サクマ式ドロップス」、ということに落ち着いたそうであります。 ◆ この両者の缶の中身は微妙に異なるらしい。「サクマドロップス」 にはワタシが一番好きだったチョコレート味がない!( 《(サクマ|サクマ式)ドロップスの研究》 ) ◇ 飴がドロップスと呼ばれ、缶に入つてゐた時代。どの色のドロップが出てくるか期待しながら、カラカラと音をたてて出したドロップが、白いハッカや茶色のチョコレートだつた瞬間は、一寸うれしいものでした。 ◆ そうそう、とほとんどこの文章に同意しながら、でもなあ、と思ってしまうのがハッカ味。気がつくといつも最後まで残っているのがハッカ味だった。ほかのひとはどうなのだろう? ◇ ハッカとチョコレートが苦手でしたが、最近では好きになってきました。 ◇ そんな昔からある味の中で嫌いな味、ハッカ味。小さい頃に食べた時はすごく嫌いでティッシュに 「ペっ」 した覚えがあります。今でも捨てはしないけど、あまり好きじゃない味。この味が出た時はハズレを引いた気分です。 ◇ 当時から、ハッカだけは、なぜ仲間入りしているのか非常に不服で、出てくるとよく缶に戻したものです。 ◇ こどもの頃、缶を振って白いハッカが出て来たら、こっそり元に戻したものです。そうしてだんだんと残り少なくなるにつれハッカの確率が高くなってくるのが嫌でした。 ◇ 小さい頃、自分の中でハッカとコーヒーが“ハズレドロップ”と決めていたので、友達からもらうときはドキドキした。なんでかというと、コロンと一回だけ転がして出てきたドロップを食べることになっていたからだ。 ◆ 食べ物のハナシでは、いつでも好きなものより嫌いなもののハナシのほうが盛り上がる。もちろん、ハッカ好きも大勢いるのだけれど・・・ ◇ 私もサクマドロップスのハッカ好き。よく友達がハッカ嫌いって残してるの見るとやるせないよ。 ◇ 私、白いハッカと茶色いチョコレートが好きでさぁ、よく、オネエチャンと取り合いになってケンカしたっけなぁ。 ◆ キリがないのでこの辺で。 |
◆ めったにカゼをひかない。その 「めったに」 がいまなので、カゼをひいている。ノドが痛い。セキが出る。サムケがする。 ◇ 風邪の原因はウイルス感染で、寒さは風邪の誘因に過ぎないが、古代の中国医学では、風邪(ふうじゃ)の侵入が原因と考えており、風邪と表すのはこれに由来しているそうだ。先人は人体に影響を与える環境を 「風(ふう)」 「寒(かん)」 「暑(しょ)」 「湿(しつ)」 「燥(そう)」 「火(か)」 の六つに分類し、「六気(ろっき)」 と称した。この度合いがひどくなると病気が引き起こされると考え、それぞれを 「風邪」 「寒邪」 「暑邪」 「湿邪」 「燥邪」 「火邪」 と呼んだ。風邪が侵入するツボが風門(ふうもん)だ。背筋が 「ぞくっ」 として、風邪を引きそうになった時、風門を刺激すると予防効果があるという。www.asahi-net.or.jp/~au2t-situ/coramu/huumon.htm ◆ 風邪を 「ふうじゃ」 と読むと、どんなにかわいらしい邪鬼だろうかといろいろイメージしてみるけれど、あいにくまだその姿を見たことがない。〔と書いてしまったあとで、邪鬼と邪気は違うことに気がついたが、これも風邪のせいにして知らぬふり。〕 ◆ 風邪といえば、寺田寅彦に 「半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話」 というエッセイがあって、一部を引用すると、 ◇ 流感が流行るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るという説があったが今年はどうであったか。マスクをかけて歩く人が多いということは感冒が流行している証拠にはならない。流行の噂に恐怖している人の多いという証拠になるだけである。 ◇ 流行の初期に慌(あわ)てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少しばかり熱でも出るとすぐにまいってしまって欠勤して蒲団(ふとん)を引っかぶって寝込んで静養する。すればどんな病気でも大抵は軽症ですんでしまう。ところが、抵抗力の強い人は罹病(りびょう)の確率が少ないから統計上自然に跡廻しになりやすい、そうしてそういう人は罹っても少々のことではなかなか最初から降参してしまわない。そうして不必要で危険な我慢をし無理をする、すれば大抵の病気は悪くなる。そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進(こうしん)して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。 ◇ 危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄無垢(むく)の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散(いちもくさん)に飛込んでしまうこともあるようである。心の罪の重荷が足にからまって自由を束縛されている人間は却(かえ)って現実の罪の境界線が越えにくいということもあるかもしれないのである。 ◇ 今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論(へんちきろん)に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくらかの真実があるかもしれないと思われる。 ◆ カゼをひいても、こんな考えにたどり着けるなら、カゼをひいたかいもあったといえそうだが、ワタシのアタマでは少々無理がある。せいぜい(ぜいぜいしながら)思いつくのは、 ◇ 風が吹けば、風邪を引く。 ◆ かんたんに桶屋は儲からないということである。 |
♪ 時間旅行のツアーはいかが いかがなもの? ◆ インターネットの世界とは、なんと奇妙な過去のアーカイブだろう。ネットサーフィンというのはいつでも過去への時間旅行であるが、その旅行先である日付をわれわれ旅行者自身があらかじめ知ることはできない。われわれは目的地にダイレクトに到達する。心の準備などできようもない。だから、いつだって、とつぜん思い知ることになる。 ◇ ・・・急速にアルコールへの依存が深まったこともあり、自分の能力はどんどん低下、何もできなくなりつつあります。こんな形で決着をつけるのは卑怯と思いますが、ほかに手段は思い浮かびません。〔中略〕 アルコール依存は「ゆっくりとした自殺」といいますが、ゆっくりなどしていなかったようですね。 本当にごめんなさい。 ◆ 2003年11月26日、大学の学生寮で同室だった後輩が鉄道自殺をした。そのことを3年後のいま、まったく関係のないことをあれこれネットで調べている途中で初めて知った。3年前に戻って、遅ればせながら、キミの笑顔に哀悼の意を表したいと思う。 |