MEMORANDUM
2006年11月


◇  私の場合、ブラジャーとパンツは必ずセットで買うんですよね。上下がバラバラだとなんだか落ち着かないから、毎日絶対 「上下セット」 なんですよ。
 ところが先日、会社のみんなで下着の話になった時、他のコが 「ブラは3回使ってからじゃないと洗わない」 とか 「ブラ1枚に対してパンツは3枚の割合で買う」 とか 「ウチの彼氏はブラとパンツがバラバラの方が生活感があるからイイって言う」 とか言い出したから驚いちゃって。

「OLの告白」 『日刊ゲンダイ』 (2006年11月2日付25面)

◆ って記事を読んだから、驚いちゃって。だってワタシ、ブラとパンツをセットでなんて一度も買ったことがないんです。っていうか、ブラを買ったことさえ一度もないんですけど。

◇ 自分の場合、上下セットの下着は一応何組か持ってはいるが、セットになるのは 「偶然」。というのも、新しくパンツをはくのは夜、風呂上りのとき。いっぽうブラは翌朝、トップスの色や襟ぐりの形などに合わせて選ぶため、パンツとそろえることまでは考えてあげられないのだ。たまたま揃ったときに 「ビンゴ!」 と、一人ほくそえむ程度のもの。
www.excite.co.jp/News/bit/00091140974471.html

◆ こういうのが一般的かと思ったら、そうでもないらしい。

◇ 下着もブラジャーとパンツが同じ種類じゃないと嫌です。だからパンツ3Pいくらみたいなのとかブラジャー単一買いみたいなことは出来ません。
gobuffalo.exblog.jp/272729/

◇ 私は、必ずセット買いして、セットで身に付けます。片方が傷めば、もう片方も一緒に処分します。バラバラに身に付けることは、ありません。20代前半。女
knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=1582383

◆ ううん、もったいない。水着じゃあるまいし、セットで着用しても他人に見えるわけでなし、どうでもいいように思うのだけれど、これは最近の風潮でしょうか? 下着メーカーの巧妙な戦略の結果でもあるのだろう。セットで売れば、下着屋は確実に儲かるのだから。

◇ 以前、旅行に行ったとき、大浴場で脱いだときの友達の下着が、上は赤、下は黒 で、ギャッ!!ってなりました。 衝撃でした。 バラバラにも程がある。
applecider.exblog.jp/4234287

◆ たしかにここまでバラバラだと、?っていう気にもなるか。あまり関係ないけど、先日、引越作業終了後、トラックのコンテナ内の掃除でもしようかと思って、ホウキを探したら、見つからなくて、代わりにチリトリだけが見つかった。ホウキのないチリトリもなんだかなあ、と思った。それを思い出して、パンツのないブラジャーみたいなものかと考えてみたけれど、やっぱり関係がない。

◆ ある夜ネットで炭鉱関連のことをあれこれ調べていて、とある 「炭鉱まち」 を舞台にした映画がいつの間にか製作され、しかもその映画がロードショーの真っ最中であることを知り、なんだかタイムリーなことだなとは思いつつも、そのうち二番館に流れてきたら観てみようかと記憶の片隅に留めて寝てしまったその翌日、仕事が意外に早く終わり、しかも直帰できる状況にあり、さらには仕事が終わった府中という街でたまたまその映画を上映している映画館があったので、早速 『フラガール』 という映画を観た。

◇ 昭和40年代初め、斜陽化する炭鉱の町を救おうと、炭鉱の娘たちが必死にフラダンスに挑戦した--そんな実話を基にした映画 「フラガール」 (李相日(リサンイル)監督)が話題だ。モデルとなったのは 「常磐炭礦(たんこう)」 (現常磐興産)と、同社設立の 「常磐ハワイアンセンター」 (現スパリゾートハワイアンズ)。産業構造変化の大波のなか、炭鉱の人々はどのように転身をはかったのか……
www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20060927dde012040029000c.html

◆ 日本の産炭地といえば、北海道か九州。常磐炭田の存在も(地理で習ったかもしれないが)知らなかった。

◇ 最初に開発されたのは、筑豊、三池などの九州の炭鉱である。明治29年には官営八幡製鉄所が創業し、日本一の製鉄会社に成長していく。北海道の炭鉱は、九州に遅れて開発され、昭和20年の終戦までは九州の産炭量に遠く及ばなかったが、戦後は小規模炭鉱が多く生産量にかげりの見えた九州に代わって、道内の石炭生産が急速に増加した。大正元年から平成11年までの累積生産量の構成比を見ると、北海道43%、九州50%となっており、両地域で国内産出量の大半を占める。常磐や宇部など他の地域は、合わせても1割に満たない。
www.hokkaido-jin.jp/heritage/17.html

◆ もちろん、北海道と九州を除いてしまえば(!)、常磐炭田を日本有数の炭田だと言うこともできる。

◇ 富岡町付近から茨城県北部までの範囲にわたり、石狩、筑豊炭田に次ぐ日本有数の大炭田だった。最盛期には130余りの炭鉱が稼働していた。1976年8月までにすべて閉山した。
www.minyu.co.jp/omoide/0528om.html

◇ いわき市は炭坑の街だった。福島県富岡町からいわき市を経て、茨城県日立市付近までに広がる炭田は常磐炭田と呼ばれ、本州では最大、日本でも北海道の石狩、九州の筑豊に次ぐ大規模な炭田であった。
www.f-banchan.net/fukushima/onahama/onahama2.htm

◇ 昭和30年代の福島県いわき市は、本州最大の規模を誇った常磐炭田があり、そこで採掘された石炭は、常磐線を経由して京浜工業地帯に送られ、日本経済を支えていました。
www.iwaki-fc.jp/hulagirl/

◆ ともかく、常磐という産炭地があって、その炭鉱から石炭の代わりに掘り出されたのが 『フラガール』 のモノガタリ。

◇ 常磐興産は、炭鉱の斜陽化による収益の悪化を観光業に転換することで生き残りを図った。かつては炭鉱の坑道から温泉が湧出し、労働者を悩ませただけでなくいわき湯本温泉を湯枯させてしまったが、その温泉を利用して常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)を建設し成功を収めた。また鉱床をボーリングしていわき湯本温泉の安定した源泉を確保している。また地場の大企業である日立製作所関連企業が石炭産業従事者の大部を吸収し、自治体としての基盤の維持に貢献した。他の産炭地域の人口の激減・地域振興策の失敗による無惨な状況に鑑みれば、奇跡的とすらいえる。2006年公開の映画 『フラガール』 は、閉山前後のこの地域を描いている。
ja.wikipedia.org/wiki/常磐炭田

◆ 映画はといえば、適度におもしろかった。

◆ 日本のハワイといえば、東日本では福島県の 「常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート・ハワイアンズ)」、西日本では鳥取県の 「はわい温泉」 ということになっているらしいけれども、ワタシは残念ながら、そのどちらにも行ったことがない。というか、日本にハワイがあるということさえ知らなかった。ホンモノのハワイはさらに縁遠い。

◆ 関西生まれのワタシは、映画 『フラガール』 を観て初めて、「常磐ハワイアンセンター」 なるものの存在を知った。

◇ 常磐ハワイアンセンターは、現在はスパリゾート・ハワイアンズと名称を変更して営業している。TBS 「ザ・ベストテン」 の中継先だったり、東京ではTVコマーシャルが流れたりと、関東以北の人たちにはなじみがあるようだけど、関西以西の人たちには 「ほら、あの 『常夏のハワイ、常磐ハワイアンセンター』 ってあるでしょう?」 といってもまったくピンとこないことは、大学入学で上京してから知った。
diary.jp.aol.com/zhggn3z/198.html

◇ 「ハワイみたいなとこなのよー」 と、常磐ハワイ体験者でハワイに行ったことのない母は言ってました。本当かよ!と思うのですが私は両方行ったことがないので、何も言えないんですけどね。
www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/month?id=23547&pg=200303

◇ 常磐ハワイアンセンターといえば、私が小学生のころ同級のコが夏休みに常磐ハワイアンセンターに行ってきたいうのを聞いて、仲間何人かと常磐ハワイアンセンターとハワイは同じものなのかどうかを真剣に話し合ったことを思い出します。たとえば日本語は使えるのかとか、飛行機や船で行くのかということをです。私たち仲間は夏休みに出かけるところといっても、精々、お盆に田舎のおじいちゃんおばあちゃんちに行くくらいでした。
www.geocities.jp/maki_and_ryo/papa/papa01.html

◇ ハワイといえば、ハワイアン常磐センターに一度も行ったことがない。子供の頃、近所おじさんたちがハワイに行くか、と誘ってくれたがなんどなくかっこわるい感じがして行かなかった。
sendagipanda.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/collon_from_haw_e1ce.html

◇ 栃木県で育った私にとって、子供のころ 「ハワイ」 には二つの意味があった。ある子が 「うちは夏休みに家族でハワイへ行くんさ」 と自慢する。すると周囲の子供が決まって混ぜ返した。「おめえが行くのは、本物のハワイじゃなく常磐(じょうばん)ハワイアンセンターだべ」 (これらは栃木弁)。
www.mainichi-msn.co.jp/chihou/miyazaki/hyouron/news/20061002ddlk45070091000c.html

◇ 昔は“ハワイ”という所も今ほど身近ではなく、小さなころ父に「ハワイ行ってみたいなぁ(゚o゚)」と言うと「おっ、連れてってやるぞ(^o^)丿・・いわきのハワイに。」と言われたものでした(笑)
www.daitokumaru.com/mail-magazine/m39.htm

◆ 二十年近く東京に住んでいても、こういったタグイの情報は意外と知る機会がない。関東出身の同僚数人に 「常磐ハワイアンセンターって知ってる?」 と聞いてみると、みな一様に 「ああ、日本のハワイね」 といったコトバのあとに、上記の引用と同じような個人的な楽しいエピソードを懐かしそうに披露してくれるのだった。

◆ 『下流喰い』(須田慎一郎著、ちくま新書) という本を買った。サブタイトルが示すとおり 「消費者金融の実態」 をルポしたものだが、内容はともかく、タイトルに惹かれた。だれがつけたのかは知らないけれども(出版社サイドのような気もする)、その思惑とはおそらくは関係がないところで、このタイトルはワタシを魅了した。

◆ 加納光於に 「稲妻捕り」 と題されたリトグラフの連作がある。もちろん 「稲妻捕り」 は「下流喰い」 のようにたやすく買うというわけにはいかないので、展覧会の図録でも眺めて満足するほかないけれども、このタイトルも長い間ワタシを魅了し続けた。

◆ で、ハナシはまったく変わることになるのだが、これらのタイトルをアタマのなかで反響させつつ、ワタシは自分が 「思い出喰い」 ではないかということに、もしくはやや上品に 「思い出捕り」 ではないかということに、ふと思い当たった。獏が他人の夢を喰うように、ワタシは他人の記憶や思い出を食べて自らの栄養としているのではないか?

◆ パソコンでネットサーフィンをする。さまざまなキーワードで検索をし、その検索結果にしたがっていくつかのサイトを訪れる。ブログの流行もあって、個人のサイトであることも多い。そこには intimate な空間が無造作に広がっていて、カギのかかっていない他人の部屋を覗き見るような後ろめたさがないわけでもない。しかし、そんなことさえ気にしなければ、そこで語られる思い出は、けっしてワタシのものではないけれども、もしかするとワタシのものでもよかったはずのものではないか? そんな気がし始めると、もういけない。アカの他人の思い出を、ワタシは自らのものにしてしまおうと不埒な考えがアタマをよぎり、すかさずコピー&ペーストをして、他人の貴重な思い出の数々を無断で掠め取ってしまう。いったい思い出というものに所有権は認められているのだろうか? できることなら、ワタシも、他人の思い出を喰ったり捕ったりしているぐらいには、自らの思い出を他人に提供したい気持はあるのだが、いかんせん、ワタシには、そのような思い出がいちじるしく欠けているように思われて、すこし悲しい。

◆ とある街を歩いていたら、こんな求人募集の看板があった。

フロアレディ ¥1800~
バニーガール ¥1800~
ホール係   ¥1500
時間 7:00~12:00
時間、曜日、時給、応相談

◆ なんとなく気になったので、写真に撮っておいたら、おともだちのタネさんがコメントをくれた。

◇ この7~12時って当然午後ですよね (笑)
いえ、なんだか時給がさほど、って感じがしたから もしや・・
バニーガールのあの服って 女の子も密かに「着てみたい」ってあるですよ、たぶん

◆ ワタシが気になったのもおおよそそのようなコトで、フロアレディ(というのも何をする係なのかよく知らないが)とバニーガールが同じ時給っていうのはどうなんだろうとか、いずれにしても安すぎやしないかとか、ほんとに朝からやってるのかもしれないなあとか、時給まで相談に応じてくれるとは奇特な店だなあとか。あるいは、バニーガールのいるような店には行ったことがないので、そもそもバニーガールというのは店で何をしているんだろうとか。とりあえず、辞書を引いてみると、

◇ キャバレーやクラブなどで、ウサギの耳と尾を模した衣装をつけて働くホステス。
小学館 『大辞泉』

◇ 酒場で、うさぎをかたどった水着ふうの服装で給仕する女性。
三省堂 『デイリーコンサイス国語辞典』

◇ クラブやキャバレーなどで、うさぎをかたどった衣装をつけて、タバコを売ったり、注文を取り次いだりして、客の接待をする女性。
三省堂 『大辞林 第二版』

◆ まあそういうことなんだろう。辞書を作るのもたいへんなことだな。スピッツに「バニーガール」という曲がある。

♪ 寒そうなバニーガール 風が吹いた
  意地悪されて 震えていた

  スピッツ 「バニーガール」(作詞:草野正宗)

◆ ほんとかどうか知らないけれども、

◇ バニーガールは欽ちゃんの仮装大賞を見ていた時にバニーガール寒そうなだな~って思った事から、この曲ができたらしいです。
citrus.lv3.net/test/read.cgi/spitz/1134293420/

◆ バニーガールについて、草野正宗がどこかでこんな発言をしているらしい。

◇ やっぱりあれは男の幻想を満たすような格好ですよね。欽ちゃんの仮装大賞で、あれ家族揃ってみる番組で、しかも子供とかが仮装してるんだけど、そのアシスタントの女性がバニーガールの格好だってのが、もうすっごい、いかがわしいような気がしちゃって。(笑)
www4.ocn.ne.jp/~jamboree/kotoba.html

◆ いつのまにか、日本でバニーガールといえば、「欽ちゃんの仮装大賞」ということになってしまっているようで、

◇ どうも自分はバニーガール見ると、「欽ちゃんの仮装大賞」思い出してしかたがない。
comic6.2ch.net/test/read.cgi/cosp/1071952601/

◇ いや、普段生活しててバニーガールを見る機会なんて、欽ちゃんの仮装大賞のメダル渡す人くらいですから(笑)。
www113.sakura.ne.jp/~kotatsuga/cgi-bin/anews/a-news.cgi?date=2006.01.16

◇ そういやバニーガールも見たことないなぁ。あるとすれば欽ちゃんの仮装大賞の時に見たくらいか。
rikizo.blog.shinobi.jp/Entry/32/

◇ なかにいるのは噂のバニーガール!! まだ存在したんですね。バニーガールって。欽ちゃんの仮装大賞くらいでしか見かけないと思ったら、こんなところにもいたのか。
homepage3.nifty.com/poptrip/gourmet/costume.html

◇ 欽ちゃんの仮装大賞を見ていて、普通に見ているのが子供。ネタに感心して見ているのが普通の大人。気がつくと出演者そっちのけでバニーガールしか見ていないのが本当のオトナ。
www.maruten.com/digest/20010922.html

◇ 巫女さんのいない神社なんか、バニーガールのいない欽ちゃんの仮装大賞じゃねえかよ。
urawa.cool.ne.jp/hiskondo/diary0107.htm

◇ バニーガールに憧れ、終に面接に行った。欽ちゃんの仮装大賞で微笑むバニーガール。高級クラブで分厚い絨毯を音もなく歩くバニーガール。サテンの耳とバニーコートを着て真っ白なカフスをつけてみたい。
plaza.rakuten.co.jp/kubire/diary/200501170000/

◇ さて、バニーガールといえば「欽ちゃんの仮装大将」。あれってもう全然見てないけど、まだいるの? 多分いないと思うんだけど、女性の権利なんたらの会の圧力で。〔中略〕 僕はあんまりコスプレには造詣も理解もあまりない為、あの特異な服装の魅力が解らない。露出度の高いあの服はそれはそれでいいと思うが。
www.deztec.jp/x/03/0119/kosupure.htm

◆ ワタシも同意見。特に耳とシッポはどうもいただけない。

養老 飛行機から見るかぎり、緑が続いているのは東北地方だけ。あとはもうズタズタですね。
奥本 ゴルフ場が昔の水田ぐらいある。
養老 ひどいよ。あれは。何を馬鹿なことをやっているんだ、といつも思う。
池田 僕はゴルフをやらないから言うけど、ほんとうにひどいよね。ゴルフやれば別のことをいうかもしれないけど。

養老孟司・奥本大三郎・池田清彦 『三人寄れば虫の知恵』 (新潮文庫)

◆ ゴルフはやらない。これまでも、たぶんこれからも。やればおもしろいとみながいう。だが、おもしろいことはほかにもある。

◆ 最近のこと。実姉の再婚相手と従妹の結婚相手の趣味がゴルフだそうで。そういえば、これまでまわりにゴルフ好きは奇跡的にひとりもいなかった。

◆ よく晴れた日に飛行機に乗って、たとえば北関東の上空から地面を見下ろせば、わざとらしいグリーン色をした細長い腸のようなものがあちこちにのたうっていて、気持ちが悪い。

◆ さらに気持が悪いのは、どこのだれがひねくりだしたのか、陳腐な美辞麗句をこれでもかというくらいに貼り合わせただけのゴルフ場の宣伝文句。

◇ 美しい日本の四季の移ろいのなかで、ジャパンエースゴルフ倶楽部は静かに年月を重ね、彩りを深めています。大いなる自然に溶けこみ、そして自然と語らう、そんなゴルフの魅力を思う存分楽しんでいただきたいと思います。自然を大切に愛する心は、私たちが創設当初から願ってやまない思いです。
www.ayaha.co.jp/jace/

◇ 豊かな自然を手の内にする新潟で、ひときわ雄大な丘陵に包まれた、ここ安田の地。この丘に、ゴルフを愛してやまぬプレーヤー達のための聖地があります。自然と闘うのではなく、対話するゴルフ本来の歓びを鮮やかに見つけださせてくれるロケーション。
www11.ocn.ne.jp/~easthill/

◇ ゴルフの真髄は自然を満喫しながらプレイを楽しむこと。日本三名山の1つ霊峰白山を遙かに眺め、日本海を眼下に一望できる辰口丘陵地に格好のゴルフコースがある。
www.incl.ne.jp/golf/haku/haku1.html

◇ 高原を吹き抜ける風、緩やかなアンジュレーション。朝一番のナイスショットを心に描き、スタート前のはやる心を富士山が静めてくれる。この地にこだわり、ここにしかない倶楽部を大自然の中で、充実した時間を…。
www.ajirospa.com/golf/index.htm

◇ 四季折々に豊かな表情をみせてくれる信楽の里・朝宮には、一千年の歴史の時空を越えて今もゆったりとした時が流れています。自然をこよなく愛し、その自然に溶け込みながら親しい友とゴルフを楽しむ、そしてコースが一望できる落ち着いた雰囲気のクラブハウスで過ごす心豊かなひととき・・・。
www.ayaha.co.jp/gr-asamiya.htm

◆ ふたたび養老・奥本・池田による鼎談にもどって、

池田 ゴルフ場というのは、一見緑に見えるから、かえっていけないんだ。巨大なコンクリートの建物だったら、誰が見てもこれは自然にとってはヤバイというのがわかるんだけど。
奥本 ゴルフをしながら、「自然はいいなぁ」 なんて言っていたりするけど、ひどい勘違いですね。
池田 ほんとうですね。生えてる木も、もとからあった木ではなくて、全部外から持ってきた木でしょう。一回緑を全部剥がして、そこに違うものを植えてるわけですから、どうしようもないですよ。剥がしてそのままにしておいたほうが、まだマシです。すると勝手に雑草が生えてきますから。ゴルフ場は雑草をとにかく全部除草剤で枯らしてしまいますしね。
奥本 日本人の潔癖症というか、目の細かさが災いしてますよね。その点、アメリカ人なんかはもう少し大雑把でしょう。日本人はどんな下手クソでも、プロ並みのきれいなゴルフ場でないと満足しない。
養老 オリジナリティというのが全然ないんですね。僕は、「雑木林でススキの生えてるところでやれるようなゴルフをかんがえろ」 とよく言うんです。

養老孟司・奥本大三郎・池田清彦 『三人寄れば虫の知恵』 (新潮文庫)

◆ はらたいらが63歳で亡くなった。宇崎竜童は60歳で阿木燿子は61歳だそうだ。今日のスポーツ新聞に阿木燿子のインタヴュー記事が載っていた。

◇  怒涛(どとう)のように押し寄せる加齢症候群。これを次から次へ受け入れるってことはかなりつらい。年齢なんか聞かれても、ある時から、あんまり言いたくない。
 「そう。わたしも、パキスタンを旅したことがあって。その時、地元の子供たちと一緒になって。そしたら、ワタシを囲んだ子供たちが、すぐ聞いてくるの。“いくつ、いくつ。おばさん、いくつ” って」
 ――言えました?
 「言えなかった。なんだか向こうの人って、私ぐらいの年だと、本当にお年寄りって感じなのね。そんなこともあって。言えなかった。言いたくない気持ち、よーくわかる。でも、本当は自分の年を肯定するというか、受け入れるようになりたい」

「日曜日のヒロイン:阿木燿子」 『日刊スポーツ』 2006年11月12日付30面

◆ ついでに松任谷由実は52歳で中島みゆきは54歳だそうだ。中島みゆきの歌にこんなのがある。

♪としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
  忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

  中島みゆき 「傾斜」(作詞・作曲:中島みゆき)

◆ 夭逝に憧れた過去があるわけでもなし、近頃の自殺の方法のハヤリはどうして首吊りなのだろうということが気になったりはするけれど、特に死ぬべき理由もないので、なんとなく生き続けてきて、はや四十余年。歳をとるのがステキなことだと思えるのは、以下のようなときだったりもする。

◆ ある朝、ワタシは玄関の外で、なぜだか財布から120円を出していたのだった。しばらくその120円で自分がなにをしたいのかが理解できなかった。ワタシがいま玄関の外にいるのは、仕事に出かけるためで、と自分の行動をいま一度復習してみると、アパートの部屋から出たのだから、しなければいけないのはカギを閉めること。だから、財布からカギを出して・・・、ああカギ出してないや。カギを出さずに120円を出してるや。なにやってんだか。でも、どうして120円。ああ、缶コーヒーを買おうとしたんだな。でも玄関の前には自動販売機はない。ちと順番を間違えた。ただそれだけのこと。ははは。

◆ 先日(10月17日)逝去された西洋史学者の木村尚三郎の講義は、ナニがナニしましてですね、といった調子の固有名がいちじるしく欠如したハナシが延々と続くので、ナニがナニやらさっぱりわからなかったとか。

◆ アイルランドの詩人イエーツに “Men Improve with the Years” という詩があって、それを大江健三郎がどこかの小説の引用していたのを読んだ記憶があるけれど、どこだか思い出せない。「人間は歳月とともによくなっていく」 のだとしても、ワタシは土星人だからどうだかなあ!

◆ 去年のいまごろ、「ギンナン」 にまつわるエピソードを書いたことがあったが、ギンナンのハナシふたたび。

♪つま先たてて海へ モンロー・ウォークしてゆく
南佳孝 「モンロー・ウォーク」 (作詞:来生えつこ)

◆ 今月7日、台東区下谷の小野照崎神社の境内にはだれもいない。イチョウの葉はまだ青々としているけれど、地面にはすでに無数のギンナン。この日は風の強い日で、ポタポタと音を立てて次から次から落ちてくる。踏むと臭いが面倒なので、地面のギンナンを巧みなステップでよけながら、歩く。歩きながら、ふと疑問が湧いた。こんなにたくさんギンナンが落ちているのに、なぜだれも拾いにこないのか?

◇ うあっ もったいない! 大好きなのにぎんなん 誰も拾いにこないのかしら 勝手に拾ったらダメって書いてあるのかなあ

◆ とはタネさんのコメントだが、ワタシもまたそう思ったのだった。もしかして、神社でのギンナン拾いは禁忌(タブー)なのかしら? そんなことが気になって、ネットでギンナン拾いならぬ思い出拾いをしてみると、あるわあるわ。

◇ その神社の境内のギンナン、とってもたくさん採れるんです。そして、境内の一部が駐車場になっていたため、落ちたギンナンを車が踏んで、それはもう、臭いました~~!歩き始めた頃の息子と 「ギンナン、ホイーホイ!」 と言いながら拾い集めたこと、今でも時々思い出します。
echo-art.seesaa.net/article/26600828.html

◇ 昨年の秋、奥津温泉に行った時、道の駅の真後ろに小さな神社がありました。神社の側を歩いていると、小さな境内を埋め尽くすように銀杏が落ちていました。最近では拾う人もいないのでしょうか。同行した友人達が大喜びで拾って帰りました。珍しい光景でした。こんなにたくさんの銀杏を見たのは初めての事でした。
www2.kct.ne.jp/~monohito/ginnan.html

◇ 子どもの頃よく神社の境内のギンナンを拾ってきて、土に埋め、外皮が取れたところで掘り出し、火鉢で焼いて食べました。食料難のころのよいおやつでした。東高の校庭にも大きな銀杏があり、落ちたギンナンを教職員の方が集めておられた記憶があります。今、飲み屋で注文するとけっこう高価です。
harumi-sunrise.g-1.jp/archives/2006/01/post_153.html

◇ 街路樹から落ちたギンナンを拾ってきた。拾いながら、子供の頃台風の後にバケツと火バサミをもって近くの神社へ拾いに行った事を思い出した。近所のばー様たちと早起きの競争をして拾ったものだ(苦笑)。
www.himawarinet.com/blog/kamecha/my_top.cgi?article_id=1574

◇ 幼い頃の秋というと、母に連れられて神社の境内にギンナンを拾いに行ったのは懐かしい想い出の一つです。当時はギンナン独特の匂いなどを気にすることも無く、ゴミ袋一杯に詰めて持ち帰ったものでした。
(中略)
いつしか私は、ギンナンの匂いに鼻をつまみながらイチョウの樹の下を歩くようになりました。

www.k2.dion.ne.jp/~half/pastHP/kon/031128.htm

◇ 私は今でも苦手です。というのも、小学生のころ。私の通っていた小学校の児童会には 「保健委員会」 や 「図書委員会」、「給食委員会」 といった委員会とまったく同じレベルで 「資金調達委員会」 という謎の委員会が存在し、その委員会がやることといえば、「秋のぎんなんの収穫」 だったのです。秋の日の放課後は、委員会の子どもたちが学校のすぐ東側にある神社に乱入し、ぎんなんをひろってひろってひろいまくる! 私の記憶では、神社のイチョウの木に向かって先生が校舎から、サッカーボールを投げてぎんなんを落としていたような・・・子どもは 「きゃっきゃ」 と喜びながら、当然ぎんなんまみれ。壮絶です。私もどういうわけか、その委員会に所属していてえらい目にあいました。
blog.honeyrockets.com/?eid=564743

◇ ちょっと前の話ですが、火曜日は校内写生大会でした。2年生は、とある神社に描きに行きました。その神社はギンナンが多く、とても臭いです。僕が絵を描いていると、とある男子生徒が潰したギンナンを投げてきました。僕の顔面に当たって、跳ね返って僕の絵にもあたりました。思わずこう言いました。「ちょ来いや!」 (ちょっと来いや。)
wind.ap.teacup.com/applet/iyotyu/20061022/archive

◇ むかーし、私が七五三のお参りに行った時にも、神社にギンナン落ちてまして、凄い臭いの中、伯母と母が拾いまくってました。私も手を出そうとしたら 「あなたは着物が汚れるからやめなさいッ」 と怒られ、おかーさんだって着物じゃーん(・3・)と思った記憶があります……
castelha.blog69.fc2.com/blog-entry-92.html

◇ 近くの神社が抜け道になっていてよく通る。今の時期境内はギンナンの臭いがすごい。境内には何本もあるので、ものすごい臭いだ。決められた日にギンナン拾いがあるそうで、たくさんの人が集まり賑やかになる。あんなにたくさん拾ってみんなどうするんだろうか?食べるのかな。
kitaarupusu-hakuba.cocolog-nifty.com/kitayatsu3/2006/10/post_4343.html

◇ 西津屋から帰宅して、ついでに山の幸もと、近くの神社に 「ギンナン」 を拾いに行ってみました。小さい頃は親父に言われて、よく拾いに行った(親父の酒の肴)ものでしたが、本当に何十年ぶりのことでした。とりあえず100個ほど拾ってきましたが、これからが大変です。しばらく水につけ実の部分を腐らせてからの種取りです。
tsushima-anbow.cocolog-nifty.com/shizen/2005/11/post_39d8.html

◆ みんな神社でギンナンを拾っているようだから、大丈夫なんだな。今度また行って拾ってくることにしよう。まだ残っていれば。

♪ 燃え殻つぶしのモク拾い
  年老いたというには早すぎるけど
  僕達はつかれてしまった

  小椋佳 「モク拾いは海へ」(作詞:小椋佳)

◆ ギンナン拾いのことを書いていて、ギンナンとはなんの関係もないが、モク拾いというコトバを思い出した。路上に捨てられたモク、つまりタバコ(の吸殻)を拾う行為、さらにはその行為者を指すコトバだが、なんのために拾うのかによって、かなりニュアンスが異なってくる。近年はこんなふうに使うらしい。

◇ 木住野社長は、地元の五日市で「ゴミを拾って歩こう会」を6年前よりたった独りからはじめ、小中野から五日市橋まで、ゴミ拾いやモク拾いの奉仕活動を毎週実践している。
www.akiruno.com/repo/wshop/wshopwoodman.htm

◇ 私は以前から、自宅から駅まで毎日100本の吸殻拾いをしてきたが、いくら拾ってもきりがないので、お茶やジュースの空き缶を針金を通して100個ぶらさげた。そうしたら、歩き喫煙者が協力してくれて、路上にポイステが減った。1日100本拾うことは珍しくなり40~50本以下になった。(中略) まだまだ元気なので、モク拾いはこれからも続けたい。
www.koganei.com/bikai/kaihou13.htm

◆ 拾ったモクはどうなるか? もちろんゴミとして捨てられるのだろう。

◆ また、自分で吸うためにモクを拾う場合もあるだろう。

◇ その先生は煙草が好きで好きで、しかしあまりお金が無かったので、思うように煙草が買えなかった。で、その先生がどうしたかというと、野球の試合が終わった後の野球場へ行って、落ちている煙草を沢山拾い、その吸いさしを家に帰ってからばらして一つにまとめ、そうやって吸っていた、というんですね。いわゆる「モク拾い」ですな。
plaza.rakutenco.jp/professor306/diary/200510070001/

◇ タバコが切れるとシケモク拾いに行きます。シケモクだったら、コインランドリーがお薦めですよ。灰皿をめったに取り替えないので、イイのが残ってるんですよ(そんなレクチャーいらん)。
mimi33.exblog.jp/2546976

◆ けれども、この「モク拾い」というコトバのよりスタンダードと思われる用法は、その目的が街の清掃でも自らの喫煙でもなく、現金を得るための生活手段としてのものであって、その場合の「モク拾い」は一種の歴史用語といえる。

◇ 終戦直後、道に捨てられた吸い殻を拾い集める「モク拾い」という商売があった。拾った吸い殻をほぐして巻き直し、また、新しいたばこに再生させるのである。こうして作られたたばこは「シケモク」と呼ばれ、味は悪かったがたばこ不足の折柄、ヤミ市などでよく売れた。篠竹の先に針をつけた「モク拾い」専用の道具も登場した。
www.jti.co.jp/Culture/museum/tokubetu/eventDec/sikemoku.html

◇ 売札のおばさんから、こんな話を聞いたことがあります。戦後、上野には浮浪児がいっぱいいました。モク拾いや靴みがきをやってて、食べるためとはいえ、評判は悪かった。その子たちは動物園に行きたいけど、お金がないから隠れて入って行く。それを見た古賀さんは売札場のおばさんに、黙って入れてやりなさいとおっしゃった。お母さんと一緒にキリンを見ている子どもたちの目と、真っ黒に汚れた浮浪児たちが夢中になってキリンを見ている目とは同じだと。そして、「この子たちのために」という古賀さんの思いが、上野動物園のいち早い復興につながるんです。
www.1101.com/fujin-ido/13.html

◇ 終戦後、浮浪児などがやっていたモク拾い(タバコの吸い殻拾い)は吸い殻三本で一本のタバコになり1円20銭で引き取られ、月収3000円(当時)にもなった。そのメッカは後楽園球場。
tanu2sfiles.gozaru.jp/knowledge10.html

◇ 当時の内職にモク拾いというのがあった。棒の先に釘の尖ったほうを先にして、落ちている外国製のたばこ、すなわち洋モクを拾っては、家でカミを破いて煙草の葉を集め、インディアン紙でくるんで売買するのだ。
www.tamagawa-np.co.jp/machinohi/78.html

◇ こうして集めた吸い殻はどうするかと言うと、全部ほぐして、新しい紙に巻き換えるのである。その頃は政府もモク拾いを奨励していたのかどうか知らないが、煙草の粉を簡単に紙に巻ける機械を専売局が作って、煙草屋で売っていた。紙も専売局のを売っていた。併しそんなのを買っては高く付くから、紙はその時々の手に入り具合で各種のものを使用した。極上は、昔の三省堂の英和辞典を破いたものであるが、字引き一冊分の紙は直ぐになくなる。白水社の仏和辞典は、これに較べれば少し質が落ちる。併し何もなければ、古い障子の紙を使っても、その客は文句を言わなかった。
吉田健一 『三文紳士』(講談社文芸文庫)

◇ 瓢箪池の前には、モク(タバコ)売りが並んでいる。ピースや光の箱を並べてあるが、中味は云わずと知れた手巻き、それもモク拾いから買った吸殻をバラして捲いたものだ。そのわきで三十五、六の乞食パンスケが胸をはだけ、ダラリと垂れ下がった乳房もあらわに、しきりにシラミとりをやっていた。
平野斗史「浅草の朝から夜まで」(山田太一編 『浅草 土地の記憶』,岩波現代文庫)

◆ こんなのもある。昭和25年4月、第7回国会参議院本会議における日本共産党の参議院議員・岩間正男(北原白秋に師事した歌人でもあった)の発言。

◇  数千がモクを拾いて生きており
    一人が安定をうそぶけるとき
 最近は文芸の領域にも、このような失業苦と税金によるところの苦しい生活を歌つた、そういうような素材を主題にしたところの作品が非常に多くなつている。私は歌を毎月見ておりますが、その中の一首に今のような歌があつたのであります。モクというのは、これは政府の諸公は御存じないかも知らんけれども、煙草の吸殻のことである。上野や浅草に行けば、モク拾いが群がつているのであります。数千がモクを拾つて生きており、一人が安定をうそぶくとき、安定をうそぶいている池田蔵相に対して、予算委員会において、あなたはこれに対してどういう御感想をお持ちになるかということを聞いた。ところがこれに対して蔵相は答えることができなかつたことは当然でありましよう。じたばた論議であの物議を醸した蔵相としては、当然この歌に対して答えることはできなかつた筈であります。併しながら、このような姿が現在の吉田内閣、安定をうそぶいている吉田内閣の足許に起つているところの実情であるということをはつきり申上げなければならないのであります。(拍手)

kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0512/00704030512037c.html

◆ そうそう、これは前にも書きましたが、

◇ タバコをモクと言うのは、かつては煙がモクモク出るからと思っていましたが、雲の倒語であるそうです。煙を雲に見立てたのです。
www.nikkoku.net/ezine/asobi/asb19_02.html

◆ ここ最近で(といってももう半年前になる)、一番驚いたのがキノコだった。6月16日の夜のこと。仕事を終えて電車に乗り、渋谷駅に着いたのは9時くらいだったろうか。西口バスターミナルに向かう。あとは家まで中野駅行のバスに乗るだけだ。あいにくバスはまだ到着していなかった。いや、すでに停車していたのかもしれない。その辺の記憶はあいまいだが、その場合でも、バスはここが始発なので、空席がなさそうな場合には、つぎのバスを待つことにしているのだ。ともかく、タバコを一服することにして、東急プラザ前の喫煙所(灰皿が置いてあるだけだが)に行く。小雨が降っていた。先客が数人いたので、灰皿の間近の混雑を避け、となりの植え込みの縁石あたりで、傘をさしながらタバコを吸うことにする。そこには雑草潅木のたぐいが勝手気ままに生い茂り、本来植えられているはずの樹木はない。代わりに切り株が無残な姿をさらしている。病気のせいで切られてしまったのだろうか? 観察していたわけではない。ぼんやり眺めていただけだ。さらにしばらくぼんやり眺めていると、ふと不意に、潅木のほの暗い茂みの陰に、なにやら妖しいものがはびこっているのに気がついた。酔っていたのだろうか? 電車に乗る前に缶ビールを飲んだような気もする。いや、茂みの陰だけではない。よく見ると、縁石で囲われた二畳くらいの方形の土壌の上ををほとんど覆うようにして、青白く得体の知れないものが群生していた。これまで幾度もここでタバコを吸ってきたというのに、こんな光景は見た記憶がない。近づいて見てみる。何百いや何千の小さなキノコが窮屈そうに寄り添って傘を広げていた。こんな街中のひどく限定された空間に、道行く人間たちとはまったく無関係に傘を広げている幾千のキノコ。それを見ているのはワタシしかいない。しばらく茫然としてその光景に見とれていた。写真を撮ろうと思ったが、あまりに暗すぎるので諦めて、タバコの火をもみ消しその場を離れた。

◆ その翌日、キノコの写真を撮りに同じ場所を訪れてみると、なんたることか、そこにあったはずの無数のキノコは跡形もなく忽然と消えうせていた。そんなことがあるだろうか? 昨夜見た光景は幻だったのだろうか? ああそうだ、電車に乗る前に飲んだのは缶ビールではなかった。駅前の居酒屋で少なくとも中ジョッキを二杯・・・。でも二杯くらいで酔っ払うわけはない。疲れていたせいかもしれない。などと訝しく思いながら、諦めきれずに、よくよく見てみると、「跡形」 は少しだけ残っていた(ここには何種類ものキノコが生えているようでもあり、昨夜のキノコがこれだったという確証はないが)。けれど、その残骸は昨夜の光景には比べるべくもなかった。

◆ キノコについてはなにも知らなかった。あの幻のキノコが気になって、あれこれ調べてみると、どうもヒトヨタケ科の一種であるようだが、正確にはわからない。ヒトヨタケ、あの雨の夜の幻のキノコにはいかにもふさわしい・・・。

◇ ヒトヨタケの仲間の菌糸はどれも成長が早く、きのこが大きくなるのも、とけるのも早い。ヒトヨタケというのはきのこが一晩で育ち、消えてしまうことろからきた名前である。もっとも、ヒトヨタケそのものは一日半ほどでとけ、ネナガノヒトヨタケは朝開いて、数時間でとける。種類やその時どきの条件で、きのこののび方やかさのとけ方が変わる。
小川真 『きのこの自然誌』 (築地書館,p.90)

◆ 溶けるキノコがあるなんてことも知らなかった。自己消化というらしい。

◇ 成熟した子実体の傘は周縁より中心部に向かって自己消化により次第に液化し、ついには柄のみ残し、一夜で溶けて黒色の胞子(担子胞子)を含んだ黒インクのような液と化してしまう。これがヒトヨタケの名の由来である。
ja.wikipedia.org/wiki/ヒトヨタケ

◆ また、ヒトヨタケ科にはイヌセンボンタケという種もある。このキノコの傘は液化しないようだが、千本茸というだけあって、群生の数がすごいらしい。もしかしたらこれだったかもしれない。

◇ 「千本」の名を冠する菌類には何かと群生するものが多いが,イヌセンボンタケはそんな手合いの中では極めつけともいえる存在である。比較的遭遇しやすい上に,群生の規模が桁違いに大きいからだ。数百本程度のまとまりは本種としては珍しくも何ともない。
www.geocities.jp/primulakisoana/mushrooms/inu1000.html

◇ 切り株や杭の根元などで、湿り気のあるときに発生します。小型の菌ですが、いっせいに何百何千本と出現するので幻想的です。
park18.wakwak.com/~fungiman/urayama/inusenbo.htm

◇ 群生のすごさで言えば、このきのこはかなり上位に位置することでしょう。ただし、ヒトヨタケの仲間なので短命。ものすごい群生に出会うためには、余程日ごろの行いを良くしないとダメかもしれません。
babu.com/~gyu_suke/inusenbontake.html

◆ イヌセンボンタケの群生の画像には、どれも圧倒される。《イヌセンボンタケ - Google イメージ検索》

◆ あの幻のキノコを見てからというもの、バスに乗る前には切り株のそばで一服しながら、キノコを見ている。あの夜の群生キノコにふたたびお目にかかることはないけれど、いつでも数種類のキノコに会うことができる。相変わらず名前はわからないままなのだが・・・。

◆ そんなふうにして、しばらくのあいだ、つかの間のキノコ観察がちょっとした日常の楽しみだったのだが、先日(10月15日)、ここを訪れてみると、雑草はきれいさっぱり引っこ抜かれ土も新しく入れ替えられて、キノコはもう見当たらない。でも、キノコのことだから、またすぐに顔を出すのではないのかなあ、と思ったり。

◆ 東京浴場組合の 《最新銭湯マップ発行後の廃業浴場》 のリストによると、今年の11月9日現在で、「最新銭湯マップ発行」 以降、都下の銭湯が215軒廃業したということだ。なるほど。いやいや、最新の銭湯マップがいつ発行されたかがわからないとハナシにならなので、調べてみると、どうも2002年版が最新であるようだ。ということは、この4年間で一度も銭湯マップの改訂がされていないのか・・・、とコチラの事実に驚いている場合ではない。驚くべきなのは、4年間で200軒以上の銭湯が廃業に追い込まれていることで、これは、風呂なしアパートに住んでいるワタシにとっては、死活問題である。とは、ちと大げさと思われるかもしれないが、内風呂がないということは、ワタシのアタマのなかでは、即 「銭湯はみなワタシのものだ」 ということを意味するので、少しも大げさなハナシではない。ワタシの資産がつぎづぎと勝手に減じていくのは、実に腹立たしい限りである。少なくとも、ワタシの許可を取ってからにしてほしい。

◆ 先日も、ふらりと別荘にでも行く気分で、台東区入谷にある光月湯に赴いたところが、開いていなかった。定休日が変わったのかとも思ったが、「次の定休日は」 のあとに文字はなく、してみると、永遠に定休日になってしまったのだろう。その下の 「さわやかに・・・今日の疲れを・・・流しましょう・・・」 というコトバが白々しい。

◆ とはいえ、この光月湯には一度しか入ったことがない。2005年3月15日 のことだ。なかな気に入ったので、それ以降も訪れようとしたが、道に迷ってたどり着けなかったこと数回。なんとかたどり着いたが時間がなくなってしまい、下足箱を写しただけで帰ったこと一回(2005年10月18日)。それくらい目立たないところにあるのである。そもそも初めて行ったのも、この辺りをぶらついていてたまたま見つけたのだった。そして入るのには多少の勇気が必要だった。

◇ マンションも目立つ下町に、ひっそりと忘れ去られたように佇むレトロな銭湯。周りの喧騒の中で、ここだけ時間が止まっているようである
www21.ocn.ne.jp/~spa-mich/todofuken/tokyo/063_kogetsuyu.htm

◆ そして、ほんとうに時間が止まってしまった。今年の8月27日のことらしい。

◇ もうすぐ廃業という話を聞いて、今回は何かのついでではなく、光月湯に入るために、入谷までやってきました。(中略) 好きだった銭湯がなくなるというのは、本当に寂しいものです。私とて日常的に通っていたわけではないのですが、かっぱ橋あたりに来るたびに寄っていたので、かなり愛着のある鉱泉銭湯でした。これも時代の流れで仕方のないものなのかもしれません。最後にご主人と女将さんにお礼を言うことが出来てよかったです。今まで本当にお疲れ様でした。そして、度々の入浴、本当にありがとうございました。光月湯の建物はなくなっても、この近くに来るたびに思い出すことでしょう。
yudetako.com/kougetsuyu.html

◆ さいわい建物自体はまだなくなってはいないので、運がよければ(?)、中に入れて、浴場床の亀甲タイルを見ることができるかもしれない。

◇ ここの銭湯を訪問した最大の理由は、正六角形の白い亀甲タイルがあるから。床は亀甲タイル。男女境側の入浴道具を置く台には竹割タイルもある。いずれも新しい銭湯では見ることができない。
www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/kougetsuyuiriya.html

◆ 亀甲タイル? 写真を見直すと、たしかに正六角形の白いタイルが写っている。撮ったときには、もちろん亀甲タイルの存在に気がついていたはずもない。まったく写真というのはおそろしいものだ。

◆ お客さんチの玄関のそばにこんな虫がいた。写真を撮ろうとして近づくと、うろちょろ地面をはいずりまわるので、ピント合わせがむずかしい。こちらも疲れたが、虫の方も疲れたのだろう、一休みしたところを、なんとか撮ることができた。みな苦労しているようで、

◇ ものすごい速さで移動するので、写真撮影には苦労しました。カメラを構えて追いかけながら、フラッシュを焚いてみたり、マクロモードにしてみたりと。20枚くらい撮って、ちゃんと写ってたのはわずかに3枚。
sorairo-net.com/insect/osamushi/001.html

◆ この虫はアオオサムシ Carabus insulicola。関東ではごくふつうに見られるオサムシの仲間だそうだ。

◇ 肉食性で、ミミズ類やネズミなどの死骸も食べます。色彩は、緑、緑銅色、金色、黒色などさまざまです。後翅は退化して飛ぶことはできません。
www.chiba-muse.or.jp/UMIHAKU/shizen/risokyo/08-aug/8-aoosamusi.htm

◆ 飛べない? だから、ちょこまか逃げ回っていたんだな。理由も分からず人間に追い回されて、そのときコイツは、オレにも羽があったらなあ、と思ったかどうか?

◇ これらのオサムシの仲間は、昼間は落ち葉や石の下などに隠れていて夜になると活動を開始する。このため私達のごく身近に生息しているにもかかわらず、見たことが無い方が多いようである。最も普通に見られるアオオサムシは緑色の金属光沢を持つ美しい甲虫で、主にミミズを食べると言われ、時には地面に接して噴き出しているクヌギの樹液を吸っていることもある。冬期は後述するように、朽ち木や土の中で成虫で越冬する。
michibatashizen.sakura.ne.jp/mushiniki-55.htm

◆ このアオオサムシ、キノコ好きにも有名らしい。オサムシタケ Tilachlidiopsis nigra というキノコのホスト(寄生主)が関東ではおもにアオオサムシ。

◇ 甲虫の一種オサムシに寄生する冬虫夏草の一種です。冬虫夏草の中では比較的一般的で、都内の公園で数十個見つけたこともあります。写真のきのこはオサムシの成虫に寄生していますが、幼虫に寄生することもあります。
yokohama.cool.ne.jp/benitengu/osamusi.htm

◇ 冬虫夏草はその気で捜すとクモタケやオサムシタケは明治神宮でも代々木公園でもけっこう見つけられます。
isao.web.infoseek.co.jp/zukanall/fnpi07-4.html

◆ ワタシはその気になったことがないので、オサムシタケ、いや冬虫夏草そのものをまだ見たことがないが、画像を見るだけでもびっくりする(《オサムシタケ - Google イメージ検索》)。

◆ あるブログのコメントにこんなのがあった。ある夫婦のエピソード。

◇ 大宮の氷川神社近くの駐車場で 「銀杏(ぎんなん)」 が売られていたのですが、都会育ちの主人は 「落ちてるもん売ってんの?」 と買う気まんまんの私を反対してました。銀杏てもともと落ちてるもんじゃないのかしら? スーパーの銀杏は販売用に栽培してるのですか???
yumidesu.exblog.jp/5984862

◆ これが全文なので、詳しい事情はわからないが、あれこれ想像してみるのは楽しい。

都会育ちの主人は 「落ちてるもん売ってんの?」 と買う気まんまんの私を反対してました。

◆ 主人は 「都会育ち」 とわざわざ記していることを考えれば、妻は都会育ちではないということになる。その都会育ちではない妻が、神社のイチョウから収穫した(=落ちているものを拾った)ギンナンを買おうとしている。どちらが都会人な発想だろうか? それにそもそもイチョウ自体が都会の木である(自生種ではない)。主人が 「あちこちに落ちているものをなにもお金を出して買う必要はない」 と思ったのだとすれば、それを買おうとしている妻の方がより都会的だということにならないだろうか?

◆ おそらく妻は 「落ちてるもん売ってんの?」 という主人の発言の趣旨を誤解している。妻は主人がギンナンという食べ物がイチョウの木から落ちるものであることを知らないとでも思ったのではないか? 主人は 「都会人」 だから。でも私は自然に親しんでいたから、ギンナンがイチョウから生ることも知っているし、秋になると、イチョウの木からギンナンが落ちて、その果肉を落とせば、食べられるギンナンになることも知っている。主人は都会育ちだから、なんにも知らない。

◆ たしかに主人は大宮の氷川神社の境内でギンナンがたくさん落ちているのを見て驚いたかもしれない。知識では知っていたが、実際にこんな光景を見るのは初めてだ。ここに落ちているのが、あの焼き鳥屋で食べているものなのか? そう思ったかもしれない。その落ちているものが近くの駐車場で売られているのを見て、拾えばタダなのにと思ったかもしれない。

◆ 妻の 「銀杏てもともと落ちてるもんじゃないのかしら?」 という発言によって、さらにもうひとつの誤解の可能性を読み取れる。妻は、食品として販売されているギンナンが、自然に生えているイチョウから自然に落ちてきたものを拾い集めて売っているのだと思っているらしい。

◇ スーパーの銀杏は販売用に栽培してるのですか???

◆ もちろん、販売用に栽培しているのである。

◆ 昨夜、パソコン(デスクトップ)のキーボードが壊れた。赤ワインをこぼしてしまったのだから、無理もない。

♪とっても大事にしてたのに こわれて出ない音がある
フランス民謡 「クラリネットをこわしちゃった」 (訳詩:石井好子)

◆ てな感じだったのが、しだいに

♪ドとレとミの音が出ない

◆ てな感じになり、しまいに、

♪ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない

◆ てな感じになるに及んで、もしかして分解してキレイにすれば直るかも、という幻想をきっぱり捨てた。仕方がないので、今日キーボードを1700円で買ってきた。ああ、もったいない!

◆ もったいないのは、キーボードではない。赤ワインの方だ。それが 「Château Mouton Rothschild」 であったりすれば。Rothschild は英語風に読めば、

◇ 日本ではロスチャイルドの名で知られている名家ですが、一族が世界中に移り住んだことで、各国の言葉で発音されるようになりました。フランス読みではロートシルト。ボルドーにはロートシルトの名の付く格付け1級のワイナリーはふたつ存在します。ひとつは、ここシャトー・ラフィット・ロートシルト。そしてもうひとつが、シャトー・ムートン・ロートシルト。
www.tapor.uvic.ca/cocoon/katakana/docs/doc.xq?id=waraku_wine_dtd

◆ 「フランス読みではロートシルト」 というのは間違い。フランス人は Rothschild をロートシルトとは読まない。ロ(ー)トシルドと読むことはある。でも、たいていはロ(ッ)チルドだろう。

◇ ちなみにフランス音では 「ロッシルド」 か 「ロッチルド」 になります。それがなぜかロートシルト(ドイツ音)やロスチャイルド(英音)をごちゃまぜに使用するので素人には解らないでしょうね。ちなみにソムリエの田崎氏はフランス語のロッチルドを使用するので私もそうしています。つまり、ボルドー1級のだったら、シャトー・ムートン・ロッチルドやシャトー・ラフィット・ロッチルドですね!
diary.fc2.com/cgi-sys/ed.cgi/moriyuki/?Y=2005&M=5

◆ で、シャトー・ムートン・ロッチルド。あるいは、シャトー・ムトン・ロチルドとは、

◇ フランスボルドーワイン格付け第1級ワインのひとつ。5つの第1級格付けワインの中で、唯一第2級から昇格したワインにもかかわらず、その知名度は高い。ワインの味わいもさることながら、毎年、ワインのエチケット(ラベル)を著名な芸術家に依頼していることでも有名。ジャン・コクトー、マリー・ローランサン、サルヴァトール・ダリ、ミロ、シャガール、カンディンスキー、アンディ・ウォーホル、キース・へリング等がオリジナルの絵を提供している。そのため、ワイン愛好家以外にもコレクターが存在し、芸術的価値も高い。
keyword.livedoor.com/w/シャトー・ムートン・ロートシルト

◇ 毎年、著名な芸術家の絵で飾られることで有名な、シャトー・ムートン・ロートシルト。ボルドー1級格付けのワインのラベル画は、ムートンの紋章である羊や、ブドウ、ワインを題材とし、ピカソやシャガールなど個性溢れる巨匠によって描かれてきました。
www.tokyu-dept.co.jp/foodshow/t/backnumber/w/w_20040901/

◆ 当代 「1級」 の芸術家によるムートンのラベル画は、たとえば 《Chateau Mouton-Rothschild - The Artist Labels》 でみることができる。

◇ The artists are paid no money for their work, but given instead a certain number of cases of wine of two different years, obviously including the year they provided the label.
www.halter.net/cmstory.html

◆ ラベル画を描いた芸術家に報酬の支払いはない。その代わり、ムートンのボトルがプレゼントされるとか。

◆ ムートンのラベル画にまつわるエピソードは事欠かない。たとえば、1993年のバルテュス。

◇ このワインには2種類のラベルがあるのでご注意を。元のラベルはバルテュスによる、繊細だが少しもいやらしくはない少女のヌードのポートレートだったのだが、アメリカではネオ・ピューリタンの反対によって使用されなかった。結果として起こったのが、最初のラベルの思惑買い。アメリカに輸入されたムートン=ロートシルトの「公式」ラベル、何も描かれない乳白色のラベルのものより何と50ドルも高い。
パーカー 『ボルドー 第3版』(講談社,p.324-325)

◆ 詳しくは、《ムートンに愛された画家たちを求めて - 第5回バルテュス夫妻》

◆ 上の画像は1964年(ワタシが生まれた年)のラベル。イギリスの彫刻家ヘンリー・ムーアの作品。パーカーによれば、この年のムートンは 「大失敗作」 だとか。残念。

◆ 蕪村の「春の海 ひねもすのたり のたりかな」の「ひねもす」を、こどものころ怪獣かなにかの名前だと勘違いしていた人がいたそうだ。怪獣にしてはなんだか弱そうな名前だけれど、どこかにいないか怪獣ヒネモス。

◆ と思っていたら、谷山浩子に「ここは春の国」という曲があるらしい。その歌詞はというと、

♪ あれはなんですか あれはひねもすですよ
  ひねもすってなんですか 知りませんか 知りませんね
  春の海 砂浜沿いに ひねもすのたのた
  波のきれいな あわしぶき ひねもすのたのた 打ち寄せる

  谷山浩子「ここは春の国」(作詞:森田荘平、作曲:谷山浩子)

◆ この歌詞は、彼女がDJをしていたラジオ番組でリスナーから募集したものだとか。今日、海を見た。

◆ と、ここまでを以前(2002/09/01[2003/06/06])に書いた。はて、どこの海を見たのだったか? 以下、追加。

◇ ひねもす… 思えば不思議な言葉だ 「ヒネモス」…昔の人は一体何を思って「終日」と書いて「ヒネモス」なんて読んだのかな…ヒネモス その単語から連想できそうなものなんて普通化け物の類いくらいだろう
www.alfoo.org/diary1/movemove/

◆ ヒネモスを生き物だと想像するひとは意外に多いようで、その場合、ヒネモスは怪獣であるよりも海獣であるかもしれない(というわけで、初出のタイトル「怪獣ヒネモス」を「海獣ヒネモス」に改題)。

◇ 「春の海 ひねもすのたり のたりかな」 一度は聞かれた事があるのでは? そうです蕪村の俳句です。私が初めて聞いたのは、小学生の頃だったと思います。その時に先生が句の意味を説明されたと思うんですけど、興味を引くためか「とある大学生が、この俳句を説明する時に、ヒネモスと言う怪獣がのたりのたりと波間を漂っている情景と言った事があるんですよぉ」という話しをされ、その時点で私の頭の中ではネッシーのような怪獣が波間に見え隠れしている情景が記憶領域のほとんどを占めてしまいました。そのため、後の説明を全く聞いておらず「ひねもす」がなんなのかそれ以来の謎となってしまったのです。
www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/4966/nanntonaku0403gatu.html

◇ 多くの人がこの「ヒネモス」をイルカの仲間だと勘違いしているようだけど、知ってる人は知ってるようにヒネモスはイルカではなくアシカ科の海獣です。春になると黒潮に乗って日本の沿岸の浅いところまでやってくるので相模湾でも今の季節はよく見かけます。
www.unseido.com/kayak/log002.htm

◇ 糸井重里はアタマが良い。知識も豊富である。海の生物にも造詣が深い。『私は嘘が嫌いだ』という著書には、春の海で一日中プカプカ浮いているだけという謎の生物「ヒネモス」についての記述があるが、この『ペンギニストは眠らない』にも、香川県堂浦沖の「ナルト」について触れている文章がある。この「ナルト」の生態もまた、海に浮かんで昼寝をしているとのことなので、「ヒネモス」と同類である可能性もある。
cfm.txt-nifty.com/blog/2006/05/__1ad2.html

◇ 春の海には / おかしな動物がいて / 穏やかな波にねそべって / ひなたぼっこをしている / 鰭を口にあてて / あくびなどもするから / 魚類ではないらしい / おっとせい? / 似ているが / ちがう / あれが / ほら / 南蛮から漂流してきた / ヒネモスだ / (春の海ひねもすのたりのたり哉)
辻征夫「春の海」『ヴェルレーヌの余白に』

◆ 春以外の季節、ヒネモスはどこにいるのだろう? 春になったら、ヒネモスのいそうな海に行って、ヒネモスが波間に寝そべっているのをぜひとも写真に撮りたいものだ。

◆ 池袋を歩いていたら、あるビルのショーウィンドーに、ピラミッド状に積み重ねられ 「サクマドロップ」 の缶。すこし通り過ぎてから、気になったので、戻って写真を撮った。佐久間製菓ビル。こどものころは 「サクマドロップ」 と呼んでいたように思うが、缶をしげしげ眺めると、「サクマドロップ」 と書かれている。語尾の 「ス」 をすっ飛ばしていたのはよいとして(タバコの Seven Stars をセブンスターズと言うひとはいない)、「式」 を飛ばして覚えていたのは、「式」 の一字の存在に気がついていなかったからだろう。漢字が読めなかったのかもしれない。いや、そんなことではなくて、そもそも缶をじっくり見てみたことなど一度もなかったのだろう。こどもの関心は缶の中身にしかないのだから。などと思っていたら、こんな記事。

◇ 実はこの缶入りのアメには 「サクマ式ドロップス」 と 「サクマドロップス」、2つの種類があることをあなたはご存知でしょうか。
www.excite.co.jp/News/bit/odd/00051078286091.html

◆ あれれ、そうだったの?

◇ 「サクマ式ドロップス」 の方は赤色の缶に入っており 「佐久間製菓」 が作っていますが、「サクマドロップス」 の方は緑色の缶に入っていて 「サクマ製菓」 が作っています。
Ibid.

◆ あれれ、そうだったの?

◇ そもそもこの2つの会社、もともとは同じ会社だったのですが、戦時中に砂糖の供給が止まり、「アメなぞ役に立たないモノ作るとはナニゴトか」 と解散せざるを得なくなり、戦後に会社が分裂。イロイロあったすえに、戦前の社長の息子さんがおこした会社のアメが 「サクマドロップス」、番頭さんがおこした会社のアメが 「サクマ式ドロップス」、ということに落ち着いたそうであります。
Ibid.

◆ この両者の缶の中身は微妙に異なるらしい。「サクマドロップス」 にはワタシが一番好きだったチョコレート味がない!( 《(サクマ|サクマ式)ドロップスの研究》

◇ 飴がドロップスと呼ばれ、缶に入つてゐた時代。どの色のドロップが出てくるか期待しながら、カラカラと音をたてて出したドロップが、白いハッカや茶色のチョコレートだつた瞬間は、一寸うれしいものでした。
kan-chan.stbbs.net/retro/sakuma/

◆ そうそう、とほとんどこの文章に同意しながら、でもなあ、と思ってしまうのがハッカ味。気がつくといつも最後まで残っているのがハッカ味だった。ほかのひとはどうなのだろう?

◇ ハッカとチョコレートが苦手でしたが、最近では好きになってきました。
ハッカだと思って口に入れたのが、レモンだった時がとても嬉しいです。ですが近頃では口に入れる前に見分けられるようになってしまってワクワクが半減。

annajack.s16.xrea.com/drop/main.html

◇ そんな昔からある味の中で嫌いな味、ハッカ味。小さい頃に食べた時はすごく嫌いでティッシュに 「ペっ」 した覚えがあります。今でも捨てはしないけど、あまり好きじゃない味。この味が出た時はハズレを引いた気分です。
yaplog.jp/oubo-siseikatu/archive/13

◇ 当時から、ハッカだけは、なぜ仲間入りしているのか非常に不服で、出てくるとよく缶に戻したものです。
www.yonebayashi.com/yoneja/archives/000825.php

◇ こどもの頃、缶を振って白いハッカが出て来たら、こっそり元に戻したものです。そうしてだんだんと残り少なくなるにつれハッカの確率が高くなってくるのが嫌でした。
blog.kansai.com/osanji/95

◇ 小さい頃、自分の中でハッカとコーヒーが“ハズレドロップ”と決めていたので、友達からもらうときはドキドキした。なんでかというと、コロンと一回だけ転がして出てきたドロップを食べることになっていたからだ。
millefiori.at.webry.info/200510/article_4.html

◆ 食べ物のハナシでは、いつでも好きなものより嫌いなもののハナシのほうが盛り上がる。もちろん、ハッカ好きも大勢いるのだけれど・・・

◇ 私もサクマドロップスのハッカ好き。よく友達がハッカ嫌いって残してるの見るとやるせないよ。
food6.2ch.net/test/read.cgi/candy/1026509412/1-63

◇ 私、白いハッカと茶色いチョコレートが好きでさぁ、よく、オネエチャンと取り合いになってケンカしたっけなぁ。
blog.asanuki.com/archives/50154472.html

◆ キリがないのでこの辺で。

  風邪

◆ めったにカゼをひかない。その 「めったに」 がいまなので、カゼをひいている。ノドが痛い。セキが出る。サムケがする。

◇ 風邪の原因はウイルス感染で、寒さは風邪の誘因に過ぎないが、古代の中国医学では、風邪(ふうじゃ)の侵入が原因と考えており、風邪と表すのはこれに由来しているそうだ。先人は人体に影響を与える環境を 「風(ふう)」 「寒(かん)」 「暑(しょ)」 「湿(しつ)」 「燥(そう)」 「火(か)」 の六つに分類し、「六気(ろっき)」 と称した。この度合いがひどくなると病気が引き起こされると考え、それぞれを 「風邪」 「寒邪」 「暑邪」 「湿邪」 「燥邪」 「火邪」 と呼んだ。風邪が侵入するツボが風門(ふうもん)だ。背筋が 「ぞくっ」 として、風邪を引きそうになった時、風門を刺激すると予防効果があるという。www.asahi-net.or.jp/~au2t-situ/coramu/huumon.htm

◆ 風邪を 「ふうじゃ」 と読むと、どんなにかわいらしい邪鬼だろうかといろいろイメージしてみるけれど、あいにくまだその姿を見たことがない。〔と書いてしまったあとで、邪鬼と邪気は違うことに気がついたが、これも風邪のせいにして知らぬふり。〕

◆ 風邪といえば、寺田寅彦に 「半分風邪を引いていると風邪を引かぬ話」 というエッセイがあって、一部を引用すると、

◇ 流感が流行るという噂である。竹の花が咲くと流感が流行るという説があったが今年はどうであったか。マスクをかけて歩く人が多いということは感冒が流行している証拠にはならない。流行の噂に恐怖している人の多いという証拠になるだけである。
寺田寅彦 『変った話』 (青空文庫

◇ 流行の初期に慌(あわ)てて罹る人は元来抵抗力の弱い人ではないかと思う。そういう弱い人は、ちょっと少しばかり熱でも出るとすぐにまいってしまって欠勤して蒲団(ふとん)を引っかぶって寝込んで静養する。すればどんな病気でも大抵は軽症ですんでしまう。ところが、抵抗力の強い人は罹病(りびょう)の確率が少ないから統計上自然に跡廻しになりやすい、そうしてそういう人は罹っても少々のことではなかなか最初から降参してしまわない。そうして不必要で危険な我慢をし無理をする、すれば大抵の病気は悪くなる。そうしていよいよ寝込む頃にはもうだいぶ病気は亢進(こうしん)して危険に接近しているであろう。実際平生丈夫な人の中には、無理をして病気をこじらせるのを最高の栄誉と思っているのではないかと思われる人もあるようである。

◇ 危険線のすぐ近くまで来てうろうろしているものが存外その境界線を越えずに済む、ということは病気ばかりとは限らないようである。ありとあらゆる罪悪の淵の崖の傍をうろうろして落込みはしないかとびくびくしている人間が存外生涯を無事に過ごすことがある一方で、そういう罪悪とおよそ懸けはなれたと思われる清浄無垢(むく)の人間が、自分も他人も誰知らぬ間に駆足で飛んで来てそうした淵の中に一目散(いちもくさん)に飛込んでしまうこともあるようである。心の罪の重荷が足にからまって自由を束縛されている人間は却(かえ)って現実の罪の境界線が越えにくいということもあるかもしれないのである。

◇ 今に戦争になるかもしれないというかなりに大きな確率を眼前に認めて、国々が一生懸命に負けない用意をして、そうしてなるべくなら戦争にならないで世界の平和を存続したいという念願を忘れずにいれば、存外永遠の平和が保たれるかもしれないと思われる。もしも、いつも半分風邪を引いているのが風邪を引かぬための妙策だという変痴奇論(へんちきろん)に半面の真理が含まれているとすると、その類推からして、いつも非常時の一歩手前の心持を持続するのが本当の非常時を招致しないための護符になるという変痴奇論にもまたいくらかの真実があるかもしれないと思われる。

◆ カゼをひいても、こんな考えにたどり着けるなら、カゼをひいたかいもあったといえそうだが、ワタシのアタマでは少々無理がある。せいぜい(ぜいぜいしながら)思いつくのは、

◇ 風が吹けば、風邪を引く。

◆ かんたんに桶屋は儲からないということである。

♪ 時間旅行のツアーはいかが いかがなもの?
  突然夢がそこで途切れた

  原田真二 「タイム・トラベル」(作詞:松本隆)

◆ インターネットの世界とは、なんと奇妙な過去のアーカイブだろう。ネットサーフィンというのはいつでも過去への時間旅行であるが、その旅行先である日付をわれわれ旅行者自身があらかじめ知ることはできない。われわれは目的地にダイレクトに到達する。心の準備などできようもない。だから、いつだって、とつぜん思い知ることになる。

◇ ・・・急速にアルコールへの依存が深まったこともあり、自分の能力はどんどん低下、何もできなくなりつつあります。こんな形で決着をつけるのは卑怯と思いますが、ほかに手段は思い浮かびません。〔中略〕 アルコール依存は「ゆっくりとした自殺」といいますが、ゆっくりなどしていなかったようですね。 本当にごめんなさい。
www.bund.org/news/20061115-1.htm

◆ 2003年11月26日、大学の学生寮で同室だった後輩が鉄道自殺をした。そのことを3年後のいま、まったく関係のないことをあれこれネットで調べている途中で初めて知った。3年前に戻って、遅ればせながら、キミの笑顔に哀悼の意を表したいと思う。