◆ ある夜ネットで炭鉱関連のことをあれこれ調べていて、とある 「炭鉱まち」 を舞台にした映画がいつの間にか製作され、しかもその映画がロードショーの真っ最中であることを知り、なんだかタイムリーなことだなとは思いつつも、そのうち二番館に流れてきたら観てみようかと記憶の片隅に留めて寝てしまったその翌日、仕事が意外に早く終わり、しかも直帰できる状況にあり、さらには仕事が終わった府中という街でたまたまその映画を上映している映画館があったので、早速 『フラガール』 という映画を観た。
◇ 昭和40年代初め、斜陽化する炭鉱の町を救おうと、炭鉱の娘たちが必死にフラダンスに挑戦した--そんな実話を基にした映画 「フラガール」 (李相日(リサンイル)監督)が話題だ。モデルとなったのは 「常磐炭礦(たんこう)」 (現常磐興産)と、同社設立の 「常磐ハワイアンセンター」 (現スパリゾートハワイアンズ)。産業構造変化の大波のなか、炭鉱の人々はどのように転身をはかったのか……
www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20060927dde012040029000c.html
◆ 日本の産炭地といえば、北海道か九州。常磐炭田の存在も(地理で習ったかもしれないが)知らなかった。
◇ 最初に開発されたのは、筑豊、三池などの九州の炭鉱である。明治29年には官営八幡製鉄所が創業し、日本一の製鉄会社に成長していく。北海道の炭鉱は、九州に遅れて開発され、昭和20年の終戦までは九州の産炭量に遠く及ばなかったが、戦後は小規模炭鉱が多く生産量にかげりの見えた九州に代わって、道内の石炭生産が急速に増加した。大正元年から平成11年までの累積生産量の構成比を見ると、北海道43%、九州50%となっており、両地域で国内産出量の大半を占める。常磐や宇部など他の地域は、合わせても1割に満たない。
www.hokkaido-jin.jp/heritage/17.html
◆ もちろん、北海道と九州を除いてしまえば(!)、常磐炭田を日本有数の炭田だと言うこともできる。
◇ 富岡町付近から茨城県北部までの範囲にわたり、石狩、筑豊炭田に次ぐ日本有数の大炭田だった。最盛期には130余りの炭鉱が稼働していた。1976年8月までにすべて閉山した。
www.minyu.co.jp/omoide/0528om.html
◇ いわき市は炭坑の街だった。福島県富岡町からいわき市を経て、茨城県日立市付近までに広がる炭田は常磐炭田と呼ばれ、本州では最大、日本でも北海道の石狩、九州の筑豊に次ぐ大規模な炭田であった。
www.f-banchan.net/fukushima/onahama/onahama2.htm
◇ 昭和30年代の福島県いわき市は、本州最大の規模を誇った常磐炭田があり、そこで採掘された石炭は、常磐線を経由して京浜工業地帯に送られ、日本経済を支えていました。
www.iwaki-fc.jp/hulagirl/
◆ ともかく、常磐という産炭地があって、その炭鉱から石炭の代わりに掘り出されたのが 『フラガール』 のモノガタリ。
◇ 常磐興産は、炭鉱の斜陽化による収益の悪化を観光業に転換することで生き残りを図った。かつては炭鉱の坑道から温泉が湧出し、労働者を悩ませただけでなくいわき湯本温泉を湯枯させてしまったが、その温泉を利用して常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)を建設し成功を収めた。また鉱床をボーリングしていわき湯本温泉の安定した源泉を確保している。また地場の大企業である日立製作所関連企業が石炭産業従事者の大部を吸収し、自治体としての基盤の維持に貢献した。他の産炭地域の人口の激減・地域振興策の失敗による無惨な状況に鑑みれば、奇跡的とすらいえる。2006年公開の映画 『フラガール』 は、閉山前後のこの地域を描いている。
ja.wikipedia.org/wiki/常磐炭田
◆ 映画はといえば、適度におもしろかった。