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◆ 雨の朝、スポーツ新聞を買いにコンビニまで行く途中、片手で傘をさし、片手でレインカバーをかけたベビーカーを押している女性を見かけた。見ている方がおっかない。 ◆ 有線(USEN440)の K-25 チャンネルは 「エスカレーター乗降時の事故防止コメントの雨天時用バージョン」 であるらしい。 ◇ 「エスカレーターにお乗りの際は、お足元に充分注意し、ベルトにおつかまりになり、黄色い線の内側にお乗りください。小さいお子様をお連れの方は、お手を取ってステップの中央へお乗せください。ベビーカーは大変危険ですので、エスカレーターにはお乗せにならないようお願いいたします。また、エスカレーターでは走ったり、手すりから体を乗り出さないようお願い申し上げます。本日は雨の為、お足元が大変滑りやすくなっておりますのでご注意ください」 ◆ こんな放送、なんど繰り返してもだれも聞いてやしない。 |
◆ ふと、雨模様とはどんな模様だろう、と思った。 ◇ この雨模様という言葉。ところで、雨は降っているのでしょうか? 降っていないのでしょうか? 実は、雨模様は 「今にも雨が降りそうな空のけしき」 と辞書にあり、まだ降っていない状態をさしているのです。しかし、雨が降っている状態を思い浮かべる人が多いように思います。辞書にも 「降りそう」 と 「降っている」 の両方を載せているものがあるようです。 ◆ と、NHKの 「ことばおじさん」 こと梅津正樹アナウンサーが書いている。 ◇ このように、雨模様は受け取り方が分かれる言葉だといえます。そのため、天気予報やニュースなど、情報の正確さが求められる場合には使わないようにしています。 ◆ NHKでは使わないようにしているのかもしれないが、他のマスコミではそのようにはみえない。 ◇ 秋雨前線の活動が活発になった13日、全国的に雨模様となった。都心では日中も気温 が上がらず、10月下旬並みの肌寒い1日となった。 ◆ 以下、山陽新聞のコラム「滴一滴」から。 ◇ きのうは全国的に雨模様だったが、晴れ渡った高原を吹き抜ける秋風のようなさわやかな雰囲気が日本列島を包んだ。秋篠宮妃紀子さまが第三子の男子を出産された。 ◆ 妙な文章を引用してしまった。雨模様はどこへやら、「晴れ渡った高原を吹き抜ける秋風のようなさわやかな」 レトリックを前にしては、もう何も書く気がない。 |
◆ 野中広務は33歳で園部町長に当選すると、町民には不便きわまりない役所特有の縦割り組織の弊害を改善しようとして、役場の玄関につぎのような掲示をさせた。 ◇ 窓口には仕事のもちばに違いはありません。何でも相談に応じます。 ◆ 役所とたらいまわしは、いまもむかしも、切っても切れない関係だろうと思うけれども、それとは別に、「たらいまわし」 という慣用語を使うときに、現実の 「たらい」 のイメージが脳裏に浮かぶひとはどれぐらいいるだろうか?(ほとんどいないだろう。盥製造業者くらいだろうか?) さらに、アタマのなかで、たらいがぐるぐるまわって目を回してしまうようなひとは?(さらに、ほとんどいないだろう) いないだろうけれど、こういうことを想像するのは楽しい。想像しているあいだに目がぐるぐる回ってくる。(それは酒のせいでもあるが) ◆ で、ワタシが目を回した 「たらいまわし」 のイメージは、曲芸の皿回しのように、盥自体がぐるぐる回っているといった状況で、よく考えると、これでは、「たらいまわし」の意味をなさない。では、「たらいまわし」 とはいったい何なのか? ◇ 本来は、仰向けに寝て足で盥を回しながら受け渡す曲芸のことであったが、回る盥の方はちがっても、それを回す方の足は変わらずに同じであるところから、馴れ合いで順番に回す意になったものと考えられる。歌舞伎 『伊勢平氏栄花暦』 に、「嫌だ、盥回しめ、無くなりゃあがれ」 という例が見える。 ◆ なるほど。でもいまひとつイメージがつかめない。仰向けに寝ている人は何人くらいいて、どのような隊形になっているのか。大人数で円形に寝て盥を回すのだろうか? とにかく、盥自体も回っていることは間違いない。それに加えて、さらにその回っている盥が人の足から足へと回っていくということなのだろう。地球が自転しつつ、太陽のまわりを公転しているようなものだろうか? 盥を回すのもたいへんなことなのだろう。 |
◇ 全ての人間は2種類に分けられる。スウィングする者と、スウィングしない者だ。 ◆ とは、映画 『スウィングガールズ』 (矢口史靖監督)のなかで、高校球児の井上君が発したセリフ。この井上君、ことあるごとに 「全ての人間は2種類に分けられる…」 とのたまうが、その二分法の基本は、××する者と××しない者式のものであって、Aでなければ非Aであるのは当たり前だから、分類遊びとしてはいささかおもしろみに欠ける。それならば、まだ ◇ All people can be divided into two groups. Tomatoes and Cucumbers. He and I are both Tomatos . All the successful relationships he knows are composed of one Cucumber and one Tomato. ◆ といった分類の方が、なにを言ってるのかよくわからないにしても、まだおもしろい(トマト+キュウリ=全ての人間?)。 ◆ 「全ての人間は2種類に分けられる。ネコ好きとネコ嫌いだ」 という排中律にしたがう真っ当な分類よりも、「全ての人間は2種類に分けられる。ネコ好きとイヌ好きだ」 という大雑把な分類の方が、論理的には杜撰であっても(では、ネズミ好きはどうなるのだ?)、おもしろいと思う。そんな例をあとふたつ。 ◆ 全ての人間は2種類に分けられる。並列型と直列型だ。 ◇ で、ほら、先生が並列と直列の二種類で、電球の明るさを確認させるでしょう? まず並列つなぎをして、それから直列にする。ぱあっと電球が明るくなる。その瞬間、生徒たちから賛嘆の声があがり、先生は自分の発明でもないのに得意げな顔をする。そこまでは、いいですね? ええ、と彼はほとんど機械的に言葉を継いだ。たしかに、おおっという声があがって、教室がしばし華やいだ記憶が彼にもあったのだ。でも、ぼくには納得いかなかったんです、ぼくがびっくりしたのは、並列のつなぎのほうだったんですよ、足し算が足し算にならない、そんな不思議なことが起こるのかって。ところが並列つなぎに魅せられたのは、クラスでぼくひとりだった。それが不可解でね。考えてみれば、明るくなるほうがやっぱり見栄えもいいし、わかりやすいし、まあ華やかなんです。並列はすなわち現状維持ってやつですよ。直列の夢に毒されて容量を度外視し、やみくもに足し算をつづければコイルが焼き切れる。それなら電池を節約しながら現状を維持したほうがいいのではないかと思うんです。だからあの基礎的な実験でどちらに声をあげるかが、ひとを判断するぼくのごく個人的な基準になってるんですよ。怒るかもしれないけれど、きみは並列でしょう? ◆ 全ての人間は2種類に分けられる。ヘビ嫌いとクモ嫌いだ。 ◇ 世には蛇型と蜘蛛型と二つの原型があると聞く。性質ではない。人が最も嫌惡する禽獣蟲魚の、特に蟲の類を大別しての呼名である。蛇は他の爬蟲類一切を含み、蜘蛛は一廳昆蟲すべてをも含めての大別である。私は蛇は寫眞を見ても鳥肌立つが、蜘蛛や蛾など身體に觸れてゐてもさして氣にならない。對照的に妻は蝶でも燈火に迷ひこんで來ようものなら、徹底的に追ひ拂ひ、私には見えない鱗粉の痕跡を氣の濟むまで清拭する。そして、蛇や蜥蜴(とかげ)は別に好みもしないが、たとへ目の前に來ても悲鳴を上げるほどではないと言ふ。親しい友人の一人は蟷螂(かまきり)を見るとそれから三、四時間食慾を喪ひ、蟬も蝗(いなご)も沙汰の限り、蜚蠊(ごきぶり)が怖ろしいので貧乏質に置いて家を新築し、書齋に使ふべき金を廚房の完全武装用に廻したといふ。一人一人去り嫌ひは異にし、蜘蛛を愛育しながら蛞蝓(なめくじ)一匹に腰を抜かす美丈夫もゐるし、錦蛇に手づから餌を與へるくせに、蚰蜒(げじげじ)が出たと言つて顫へる髭男もゐる。 |
◇ オムライス ¥820 ◆ 「焼魚(煮)定食」 とあるのは、意味不明なので、もしそうならば、「焼(煮)魚定食」 と正確に書くべきではないか、と思ったり、「牛もやし定食」 とあるのは、巷の定食屋に飛び込んで 「肉野菜定食」 を注文したはいいが、出てきたのが 「もやしたっぷり肉少量定食」 だったりすることがしばしばのワタシにとっては、JAROに表彰状を進呈するように進言したい気にもなったり、はたまた、いかんせん、専門店でもあるまいし、これでは総じて値段が高すぎるだろう、と不満になったりして、結局のところは、入ってみるのを躊躇したのだったが、さて、750円の 「スパゲテイ」 も捨てがたい。この 「スパゲテイ」 なるもの、はたして、なにものだったのだろうか? ◇ 小学生のころ、スパゲティは給食の人気メニューだった。にゅるっと軟らかい麺(めん)にタマネギ、ニンジン、ピーマン、ハムを入れたケチャップ味のナポリタン。ミートソースのひき肉もケチャップで煮込んでいた。スパゲティといえば家庭でも店でも、この二つだった。 ◇ スパゲティといえば、ミートソースを連想する人も多いのではないでしょうか。学校給食でスパゲティといえばミートソースだったりして、このときの記憶がスパゲティとミートソースを不可分のものとしたのでしょう。トマトベースの挽肉のソース、イタリアではボローニャ風――ボロネーゼといいます。 ◇ ナポリタン以外のスパゲティがあると知ったときの驚きは今でも忘れない ◇ 昔スパゲッティといえばナポリタンかミートソースくらいしかなかった時代、初めて食べたのが喫茶店のナポリタンだったような気がします。 ◇ 小生が子どもの頃のスパゲティといえば、ゆで上げた麺にひき肉入りのソースをかけた 「ミートソース」。もしくは、ケチャップ炒めの 「ナポリタン」 しかなかった。スパゲティ料理が、たったの2種類だけ。後にも先にも、これで終わり。(それが数十年でこの変わりよう。いつの間に、日本人はこんなにスパゲティ好きになったんでしょう?) ◇ 10年くらい前までは、スパゲッティを食べるといえば喫茶店のランチや洋食のレストランでミートソースやナポリタンを食べるということだった。今ではそういう所でスパゲッティを食べる人は少ないのではないだろうか。 ◇ そう、かつて日本には 「アルデンテ」 など存在しなかった。日本のおかん達は 「マ・マースパゲティ」 をうどんのように芯まで茹で、ケチャップで味付けをしてナポリにはないというナポリタンを作ったりしていたわけだ(あんかけスパゲティの項で書いたように、名古屋のナポリタンは特殊らしいが)。ナポリタンでなければミートソースだ。この二つ以外のスパゲティは 「アルデンテ以後」 になるまでごく限られた人々の口にしか入ることはなかった。 ◇ 今でこそ、パスタの種類はぺペロンチーノやカルボナーレ、ボンゴレなど数多くあるけれど、私が高校生だった頃(さて、何年前でしょう?)は、専門店のメニューにミートソースとナポリタンのたった2種類しかなかった。しかも、呼び名はスパゲッティしかなく、パスタなんて言葉が普及するのはずーっと後の話である。 ◆ 手当たり次第にあれこれ引用してみたが、まとめるのが面倒なので、『スウィングガールズ』 の井上君に倣って、「全てのスパゲティは2種類に分けられる。ミートソースとナポリタンだ」。たしかにそんな時代があったのだった。ちなみにワタシの小学生時分の記憶では、給食のスパゲティはナポリタンでしたね。ミートソースなど出された覚えがありません。 |
◆ 10月に入ると、さすがにセミの声も聞こえない。けれど、耳のなかには、夏のあいだじゅう、響いていたその声のカケラがまだ残っているらしくて、ときおり夜中に、夏の思い出のように鳴いては、ポロリとこぼれ落ちる。そんなことが何度か繰り返されて、ある日、夏が完全に終わる。 ◆ 作家の川上弘美が、《ほぼ日刊イトイ新聞》の 「虫は好きですか」 という座談会で、こんな発言。 ◇ 私、最近、耳鳴りがするんですが、これがジーッというから、セミが夜に鳴いているのかと思っちゃって。音が一緒で区別がつかないんです、耳鳴りとアブラゼミ。困りますね。(笑) ◆ 同じ座談会で、昆虫学者の矢島稔が、こんな発言。 ◇ 上野動物園で昔、ドイツのハーゲンベック動物園からゾウを買い、飼い方の指導のためドイツ人の飼育係が2ヵ月ほど日本に滞在したんです。いよいよ帰国というとき、園長さんが 「お礼を差し上げたい」 と言うと、彼はアオギリの木を指して、「あの鳴く木をください」 と答えたんですよ。夏中、木から何かの鳴き声が聞こえていた。だけど鳥の姿はない。それで彼はてっきり、木が音を出してると思ったんですね。 ◆ 似たようなハナシに、こんなのもある。 ◇ 細菌学者のコッホが日本に来たとき、歓迎会の席上、彼が日本の学者らに奇妙な質問を発した。「クリハマ」 というのは一体どんな鳥か、その姿が見たいというのである。列席の学者中にもそんな鳥の名を知る者はおらず、コッホ博士に詳しく問いただしてみると、浦賀で船を降りて東京に来る途中、松林を通りかかると、大きな声で鳴く鳥を聞いた、人力車夫にその名を問うと、 |
◇ フロアーに立ちこめる臭いは、まさに博物館のそれである。世界中どこでも共通の、専門家ならば知っている、ほこり、防虫剤、保存液のホルムアルデヒドなどの臭いである。 ◆ これは、グールドがライデン自然史博物館を訪問したときの記述だが、場所にはそれぞれ固有のニオイがあって、そのニオイがその場所の魅力の一部をなしていることがある。ほとんどの場合、ニオイは意識されずに、記憶の奥底にまぎれてしまうけれども、なにかの拍子に、そのニオイを思い出してしまい、錯綜したさまざまな記憶のなかからそのニオイそれ自体を単体で取り出すことに成功すると、 に見られるような、余人には計り知れない魅惑のニオイリストの一部を構成するに至る。 |
◇ 北海道日本ハムファイターズ。巨人と同じ東京ドームが本拠地だった3年前までパ・リーグのお荷物球団とまで呼ばれた。81年を最後に優勝がなく、人気も低迷。春季キャンプでは、あまりの観衆の少なさに犬までカウントし「水増し」。試合後の監督会見で報道陣が2、3人しか集まらず、球場職員に「サクラ」を依頼したこともあった。そんなチームだった。
◇ 日本ハムと言えばブンタッタが好きだったなぁ(誰も知らないって^^;) ◇ 【ぶんたった】 商品名が分からないけど、我が家でこう呼んでたお子様ソーセージ。確かメーカーは日本ハム。ブタのイラストのシールがおまけに入ってて、友達の家に遊びに行くと大抵、机や鉛筆削り、そこんちの冷蔵庫にそのシールが貼ってあった。 ◇ 子供の頃に懸命に集めていたシールがあります。CMでもやっていたのですが「日本ハム」のブンタッタソーセージの、ブンタッタ(豚なのですが)シールを自分の部屋の壁にペタペタ。物凄い数を貼っていたっけ。何故にあんなにハマっていたのか、今では全く不明…。 ◇「ブンタッタ」とは昔流行った4本~5本が箱に入った子供用ウインナーです。その箱にはもれなく一枚シールが入っていたのです。70~80年代当時の、そこら辺の家庭では、冷蔵庫のドアや、ちゃぶ台やテーブルの足、子供用の木の小さい椅子の背もたれの裏側などに貼ってありました。 ◇ 子供の頃、日ハムが勝つと給食にブンタッタソーセージがついてました。ヤクルトが勝ったら、牛乳の横にヤクルトがついてました(笑) ◇ 昔、30年くらい前のブンタッタソーセージと言うのが商品名ですが、日本ハムから販売されていたのですが、周りの人に聞いても全く記憶に無いと言われます。ソーセージの中にチーズのブロックが入っていて長さは現在よく見られる子供用のソーセージと同じ位です。 ◆ ブンタッタシールの画像がないかと探してみたら、《Fighters Collection》のなかの1ページにありました。ああ、なつかしい。 |
◆ 23時過ぎ、銭湯帰りにタバコを買おうと24時間営業のコンビに立ち寄った。雑誌の陳列棚のあたりには、ケイタイでおしゃべりに夢中のスーツ姿のサラリーマン。いまとなってはよくある風景。レジにはひとり先客がいて、ソフトクリーム一個を注文したらしく、レジスターには189円の表示が緑色に光っている。ところが、その先客である、いかにも冴(さ)えないといった感じの20代後半の女性は(とあからさまにトゲのある表現をするけれども)、189円の支払いをするのに、腕時計をしばし眺めて1分30秒(ワタシが腕時計をもっているとしてのハナシだが)、それでもまだ財布のなかを(いくら入っているのかは知らないが)ガチャガチャひっくり返している様子。おいおい早くしろよ、とほんの数分も待てない自分の度量のなさをほったらかしにして、憤(いきどお)る。と、背後のワタシの気配を察したのか(それともそもそも財布に188円しか入ってなかったのか)、あらぬ方に向かって大声を(だが低声で)はりあげる。 ◇ 「ナカムラさん、1円もってませんか?」 ◆ 誰だよナカムラって(ならびになんで1円もってないんだよ)、と訝(いぶか)るワタシの前に現れたのが、さっきのケイタイ男。なんだオマエは彼女と電話してたんじゃなかったのか? このオンナとどういう関係なんだよ? とあれこれ考える間もなく、ナカムラさんはさいわい1円をもっていたようで、無事188円プラス1円の支払いは終了し、ふたりはワタシの前から去っていったのだった。ナカムラさんとそのいかにも冴えない女性は、こんな終電に間に合わなくなるような時間に二人してどこに行くのだろうと、思ってはみたけれど、まったく大きなお世話である。おかげでワタシは1箱だけ買おうと思っていたタバコを2箱買ってしまった。まったく健康によくない。 |
◇ さて、いましがた、私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、深くつき刺さっていた。それが根であることを、もう思いだせなかった。言葉は消え失せ、言葉とともに事物の意味もその使用法も、また事物の表面に人間が記した弱い符号もみな消えった。いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひとりで私は、その黒い節くれだった、生地そのままの塊とじっと向いあっていた。その塊は私に恐怖を与えた。 ◆ と、これはサルトルの小説 『嘔吐』 の有名な一節。以下、そのフランス語原文。 ◇ Donc j'étais tout à l'heure au Jardin public. La racine du marronnier s'enfonçait dans la terre, juste au-dessous de mon banc. Je ne me rappelais plus que c'était une racine. Les mots s'étaient évanouis et, avec eux, la signification des choses, leurs modes d'emploi, les faibles repères que les hommes ont tracés à leur surface. J'étais assis, un peu voûté, la tête basse, seul en face de cette masse noire et noueuse entièrement brute et qui me faisait peur. ◆ が、この四角い木の根はマロニエではないし、またワタシのアタマにサルトル(ロカンタン)ほどの高尚な思考が宿りうるはずもない。 ◆ サルトルといえば、こんなエピソードがある。 ◇ 石の町パリで育ったサルトルの自然ぎらいは徹底していて、野菜はおろか果物も食べず、昆虫や魚は大きらいで、日本に来たときサシミを食べさせられて 「嘔吐」 したという話が残っている。むきだしの木の根が嘔吐を誘ったのもむべなるかなである。 ◆ サルトルのことはさておき、ワタシがこの四角い木の根から、イメージの連想によって感じることといえば、たとえば、「四角いトマト」 であったり、「纏足」 であったり・・・。「四角いトマト」 あるいは 「纏足」 については、またそのうち項を改めて書くつもり。 |
◆ 札幌に5年も住んでいたというのに、北海道のことはなにも学ばなかったに等しい。大学生というのは概して頭デッカチなものだが、空気のように暮らしていた気がする。身の回りのことにはほとんど興味がなかった。デレッキもオンコも、輓馬も炭住も、当時はなにも知らなかった。 ◆ おともだちの 《rainer さん》 が、オンコについて書いている。 ◇ かつて暮らしていた家の庭にも、オンコの大木がありました。秋になると赤い実をたわわにつけてくれます。つい食べたくなるでしょう?(でも緑色の核の部分は噛んではいけません。
◇ 北海道では庭にたくさん植えられていて、庭木の中心的存在である。果実は甘くて美味しいので、子供のころに庭木に登ってよく食べたが、今は食べているのをあまり見かけなくなった。 ◇ 小学生の頃、学校への通学路の途中にオンコの木があって、実が生る時期にはよく食べたものである。子供ながらに、その甘くとろっとした食感に妙に戸惑ったのを覚えている。この実は食べ過ぎるとダメらしい‥‥。 ◇ オンコの実の果肉はとても甘~くて、子供のころに結構食べた記憶がある。もちろん野鳥たちにも大好評で、実が熟すとたくさんの野鳥がやって来る。ヒマワリ大好きのシメでさえ、エサ台のヒマワリをシカトしてオンコの実にご執心だ。 ◇ 小さい頃は、いいオヤツだったのに、今は食べても美味しいと思わなくなった。ちょっと寂しい感じかな・・^^; ◆ この 「今は食べても美味しいと思わなくなった」 という文章さえ、ワタシにはうらやましく思えてしまう。幼時の記憶がなければ、寂しくも感じはしないのだから。 ◇ オンコの実は、種の周りにうすい真っ赤な果肉がついている。とろみのある、ほのかな甘み。小さいころ、隣の家に背の低い大きなオンコの木があり、みんなでおやつ代わりにたくさん食べた。しかし、いくらたくさん食べても、地面が種で一杯になる割には、お腹はまったくふくれることはなかった。 ◆ いまからでは遅すぎるのだろう。こんなことを夢想してみる。どこかに魔法のオンコの実があって、その実を食べたら、存在しなかったはずの 「遠い昔の、甘酸っぱい、懐かしい思い出」 がワタシにも次々とよみがえる。そんな魔法のオンコの実は、どこかにないか? ◆ 最後に、「オホーツクの日刊紙」 北海民友新聞(本社:紋別市)のサイト 《みんゆうWeb》 内、小野哲社長のコラムから。 ◇ 庭のオンコの木に赤い実がいっぱい付き、秋の深まりを感じさせてくれる。フッと子供の頃を思い出した。あのオンコの実を夢中になって食べた日々のことを…▼お菓子など自由に手に入らなかった時代。もちろん小遣いなどない小学生時代。秋になると、近所の庭に赤いオンコの実が太陽の光を浴びて艶々と輝き、とても魅力的だった。口に含むと、甘い少しの液体がフワーと広がってきて、一粒一粒食べ続けた▼友達と一緒に「こんにちわ、オンコの実食べさせて」とお願いして、種をプッと飛ばしながら、おやつ代わりにしたものだ。時には無断で木によじ登り、その家の人に怒られたこともあった ◆ ああ、まったくウラヤマシイ。 |
◆ 「たんじゅう」 とは何か? 辞書で 「たんじゅう」 を引けば、複数の語が該当する。 たんじゅう 【胆汁】 ◆ ここでは 【炭住】 のことを書きたいのだが、その響きには常に 【胆汁】 のねっとりした感触がつきまとって離れない。というのはもちろん、ワタシの個人的なイメージに過ぎないのだが・・・。 ◇ たんじゅう 【炭住】 〔炭鉱従業員住宅の略〕 炭鉱で働く人たちとその家族のために会社が建てた住宅。 ◆ 「炭鉱従業員住宅」 の略という解釈にはやや疑念が残る。一般的には、よりシンプルに 「炭鉱住宅」 の略語と見なされているだろう。 ◇ 炭鉱住宅(たんこうじゅうたく)とは、主に炭鉱周辺に形成された、炭鉱労働者用の住宅のことである。往時の石狩炭田や筑豊炭田などの炭鉱都市周辺には数多くの炭鉱住宅が存在した。これらは炭鉱会社により建設され、光熱費を含め住宅費は無料であり、現物給与・福利厚生的な側面も強かった。炭住(たんじゅう)との略称がよく用いられる。 かつては木造の長屋形式が主体であったが、戦後には急速にアパート形式の集合住宅が建てられた。
◆ 以下、炭住に関連する文章をいくつか並べる。 ◆ 五木寛之の旧い対談集を読んでいたら、寺山修司との対談(初出:『情況』 1975年4月号)で、こんなことを言っているのが目に留まった。 ◇ で、なぜ自分が流民に固執するのかと言えば、ぼくは自分の家に住んだことがないんですね、親父が公務員だった関係で、官舎とか公舎とか借家に住んでいたでしょう。自分の家というものがわからない。福岡に帰ってきて、ぼくは筑後のひじょうに豊かな地域に非土地所有者、非家屋所有者として住みつく。で、ぼくは筑豊へ行くことに憧れるわけです。普通は筑後地方では筑豊へ行くということは地獄へ落ちるということを意味するんですがね。にもかかわらずなぜ憧れたかと言えば、あそこには炭住というのがあって、やはり土地を持たない家を持たない人間がどんなに苦しい生活をしていても、ある意味では持たざるもののカタロニアなわけです。だから中農の土地所有者のなかで非土地所有者として紛れ込んでいるよりは、筑豊のような場所の方が憧れだったわけです。 ◆ 《カムイミンタラ》 1984年5月号、伊藤みえ子 「山の神様」 より。 ◇ この山もかつては、ぎっしり炭住の長屋が並び、朝起きて 「何かないかあ」 といえば 「アイヨッ!」 とばかり、つっかけ姿で家の前からワサビをひきぬき、熱いごはんをワサビじょうゆで食べるような生活があったのである。 ◆ 夕張の炭住が舞台の映画 『幸福の黄色いハンカチ』 の山田洋次監督の発言。 ◇ 「炭住ではなく、六本木ヒルズに暮らすことは進歩でしょうか」 ◆ 炭鉱については書きたいこともいろいろあるのだけれど、あれこれ考えが広がってまとまらない。 |