MEMORANDUM

  四角い木の根

◆ ここ何年にもわたって、ほぼ一週間に一度、この四角い木の根にお目にかかっている。日暮里駅東口の駅前広場に(いまではモノレールの新設工事で広場とはもはや呼べないほど狭くなってしまったが)この四角い木の根はあって、数年前の2003年1月28日にもこの四角い木の根の写真を撮っていたのだったが、なんど見ても見飽きない。というか、自然と目が向いてしまう。けして好きなわけではない。そうではなくて、日常のなかに不意に(望みもしないのに)暴力的ななにものかが飛び込んできて、それがワタシの寝ぼけたアタマを bang bang bang と激しくノックするのである。もちろん、これは愉快なことではない。ロカンタンなら、間違いなく吐き気を催して卒倒してしまうに違いない。

◇ さて、いましがた、私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの真下の大地に、深くつき刺さっていた。それが根であることを、もう思いだせなかった。言葉は消え失せ、言葉とともに事物の意味もその使用法も、また事物の表面に人間が記した弱い符号もみな消えった。いくらか背を丸め、頭を低く垂れ、たったひとりで私は、その黒い節くれだった、生地そのままの塊とじっと向いあっていた。その塊は私に恐怖を与えた。
サルトル 『嘔吐』 (白井浩司訳,人文書院,1994年改訳,p.208-209)

◆ と、これはサルトルの小説 『嘔吐』 の有名な一節。以下、そのフランス語原文。

◇ Donc j'étais tout à l'heure au Jardin public. La racine du marronnier s'enfonçait dans la terre, juste au-dessous de mon banc. Je ne me rappelais plus que c'était une racine. Les mots s'étaient évanouis et, avec eux, la signification des choses, leurs modes d'emploi, les faibles repères que les hommes ont tracés à leur surface. J'étais assis, un peu voûté, la tête basse, seul en face de cette masse noire et noueuse entièrement brute et qui me faisait peur.
Jean-Paul Sartre, La Nausée

◆ が、この四角い木の根はマロニエではないし、またワタシのアタマにサルトル(ロカンタン)ほどの高尚な思考が宿りうるはずもない。

◆ サルトルといえば、こんなエピソードがある。

◇ 石の町パリで育ったサルトルの自然ぎらいは徹底していて、野菜はおろか果物も食べず、昆虫や魚は大きらいで、日本に来たときサシミを食べさせられて 「嘔吐」 したという話が残っている。むきだしの木の根が嘔吐を誘ったのもむべなるかなである。
鹿島茂 『フランス歳時記』 (中公新書,p.59)

◆ サルトルのことはさておき、ワタシがこの四角い木の根から、イメージの連想によって感じることといえば、たとえば、「四角いトマト」 であったり、「纏足」 であったり・・・。「四角いトマト」 あるいは 「纏足」 については、またそのうち項を改めて書くつもり。

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