◆ 「たんじゅう」 とは何か? 辞書で 「たんじゅう」 を引けば、複数の語が該当する。 たんじゅう 【胆汁】 ◆ ここでは 【炭住】 のことを書きたいのだが、その響きには常に 【胆汁】 のねっとりした感触がつきまとって離れない。というのはもちろん、ワタシの個人的なイメージに過ぎないのだが・・・。 ◇ たんじゅう 【炭住】 〔炭鉱従業員住宅の略〕 炭鉱で働く人たちとその家族のために会社が建てた住宅。 ◆ 「炭鉱従業員住宅」 の略という解釈にはやや疑念が残る。一般的には、よりシンプルに 「炭鉱住宅」 の略語と見なされているだろう。 ◇ 炭鉱住宅(たんこうじゅうたく)とは、主に炭鉱周辺に形成された、炭鉱労働者用の住宅のことである。往時の石狩炭田や筑豊炭田などの炭鉱都市周辺には数多くの炭鉱住宅が存在した。これらは炭鉱会社により建設され、光熱費を含め住宅費は無料であり、現物給与・福利厚生的な側面も強かった。炭住(たんじゅう)との略称がよく用いられる。 かつては木造の長屋形式が主体であったが、戦後には急速にアパート形式の集合住宅が建てられた。 ◆ 筑豊炭田の九州と並んで、日本の主たる産炭地であった北海道に住んだことがありながら、学生だった当時のワタシは 「タンジュウ」 というコトバを耳にしたことがなかった。「炭鉱住宅」 と言われれば、そのコトバ自体は 「炭鉱」 というコトバと 「住宅」 というコトバを知っていさえいれば、その意味するものを想像するのになんの困難もないので、たとえば富良野にクルマで遊びに行く途中、止まることもなく通過した歌志内や赤平や芦別あたりに、そういえば古びた一群の長屋住宅が点在していたことを思い出し、ああ、あれのコトかと理解はできただろうけれど、それは 「ケイタイ」 というコトバが 「携帯電話」 の略語であることを知ってからでないと 「ケイタイ」 の意味するモノがわからない、といったような一種迂遠な理解の仕方であって、いまの若者にとって 「ケイタイ」 といえば、それはダイレクトに 「ケイタイ」 なので、いちいち 「携帯電話」 の 「電話」 が省略されたコトバだとはだれも考えはしないだろう。実際の 「タンジュウ」 を知るひとにとっては、「タンジュウ」 はあくまでも 「タンジュウ」 にほかならず、けして 「炭鉱従業員住宅」 の略語というようなものではなかった。ワタシがこの 「タンジュウ」 というコトバが話されるの聞いたのは、わずか数年前のことで、そのときワタシのアタマは 「タンジュウ」 の音にまず 「胆汁」 の意味を重ね合わせ、それが間違いであることに気がついて、そののち 「炭鉱住宅」 という用語をなんとか導きし、その略語が 「タンジュウ」 というコトバである、という道筋をたどって、ようやくこのコトバを理解したのだった。〔なにを言っているのかよくわからないと思うので、アタマをもう少しすっきりさせて書き直したいと思います。〕 ◆ 以下、炭住に関連する文章をいくつか並べる。 ◆ 五木寛之の旧い対談集を読んでいたら、寺山修司との対談(初出:『情況』 1975年4月号)で、こんなことを言っているのが目に留まった。 ◇ で、なぜ自分が流民に固執するのかと言えば、ぼくは自分の家に住んだことがないんですね、親父が公務員だった関係で、官舎とか公舎とか借家に住んでいたでしょう。自分の家というものがわからない。福岡に帰ってきて、ぼくは筑後のひじょうに豊かな地域に非土地所有者、非家屋所有者として住みつく。で、ぼくは筑豊へ行くことに憧れるわけです。普通は筑後地方では筑豊へ行くということは地獄へ落ちるということを意味するんですがね。にもかかわらずなぜ憧れたかと言えば、あそこには炭住というのがあって、やはり土地を持たない家を持たない人間がどんなに苦しい生活をしていても、ある意味では持たざるもののカタロニアなわけです。だから中農の土地所有者のなかで非土地所有者として紛れ込んでいるよりは、筑豊のような場所の方が憧れだったわけです。 ◆ 《カムイミンタラ》 1984年5月号、伊藤みえ子 「山の神様」 より。 ◇ この山もかつては、ぎっしり炭住の長屋が並び、朝起きて 「何かないかあ」 といえば 「アイヨッ!」 とばかり、つっかけ姿で家の前からワサビをひきぬき、熱いごはんをワサビじょうゆで食べるような生活があったのである。 ◆ 夕張の炭住が舞台の映画 『幸福の黄色いハンカチ』 の山田洋次監督の発言。 ◇ 「炭住ではなく、六本木ヒルズに暮らすことは進歩でしょうか」 ◆ 炭鉱については書きたいこともいろいろあるのだけれど、あれこれ考えが広がってまとまらない。 |
このページの URL : | |
Trackback URL : |