MEMORANDUM
2005年03月


◆ WINDOWS のパソコンを買ったひとは、インターネットでウェブページを見たいと思ったら、Internet Explorer が最初から組み込まれているので、まずはそれを使うことになって、とくに不満がなければ、それを使い続けているはずだが、ホントに不満はないのか? ちょっとネットサーフィンをすれば、あっという間に、ウィンドウがいくつも開いてわけがわからなくなる、なんてことはないだろうか? そんなときには 「タブブラウザ」 が便利。

◇ InternetExplorer(以下 IE)を使いいくつかのサイトをブラウジングしたとしよう。恐らく画面には3つも4つものIEが起動し、また小さなウィンドウは別のウィンドウの下に完全に隠れてしまうこともあろう。タブブラウザではそれらのウィンドウを全て一つのウィンドウに納め、切り替えにはタブをクリックするだけで済むようにしてくれる。
tabbrowser.ktplan.jp/telperion.html

◆ そのタブブラウザにも多くのソフトが出回っているけれど、これまで InternetExplorer を使っていたのなら、InternetExplorer をベースにして作られたタブブラウザを使えば、「お気に入り」 もそのまま利用できる。たとえば、「Sleipnir」(スレイプニル) というのがある。

《タブブラウザ Sleipnir 公式ページ》

◆ 多機能なので、慣れるまでに時間がかかるかもしれないが、一度ダウンロードして使ってみてはいかが?

  仁王

◆ 2005年1月2日、京都・仁和寺。仁王が好きである。たまたま訪れた寺院にたまたま仁王がいるとコトのほかウレシイ。理由がいくつかあるが、その1その2は省略して、

◇ その3。寺の入り口にあるので、時間があまりないときには好都合。時間がほとんどないときには仁王だけ見て帰る。

◇ その4。寺の入り口にあるので、無料で見られる。拝観料が必要なところでも、受付が仁王門の外側にあることはまずない。

◇ その5。野外も同然のところにいるので、写真撮影が禁止されていない。

◆ というわけで、仁王の写真を撮るのも好きである。が、しかし・・・。

◆ 2005年2月28日、文京区・護国寺。(仁王のつづき) が、しかし、仁王の写真を撮るのは簡単ではない。

◇ 金剛力士像そのものはなかなかなんだけど、鳩害防止のためと思われる金網で囲まれているのがちょっと興ざめです。まあ、どこの仁王様も同じような理由で金網で囲われているので、仕方のないことなのですが。
bird.way-nifty.com/diary/2004/10/post_4.html

◆ そう、仁王のまわりには金網が張ってあることが多く、そのために写真を撮るには苦労する。

◇ お寺の山門や総門にある仁王像は、なかなか良い被写体になります。仏像、特に国宝に指定されているような貴重な仏像は、大抵撮影禁止になっているので、撮影可能な仏像はありがたいです。でも、大抵金網や柱が邪魔して、なかなか良いアングルで撮れないんですよね。この写真も、両端に柵が写りこんでしまっています。
home.att.ne.jp/omega/mshibuya/ichimai/ichimai_20020602.htm

◇ 近所のお寺の仁王像です。鳩よけの金網が邪魔ですね。
keiko.parfe.jp/diary-001-2004-009.html

◆ というわけで、この金網があるかぎり仁王を捕るのは至難の業である。仁王にピントを合わせれば金網がほどよくぼけて目立たなくなるが、最近のカメラはオートフォーカスなので、たいていは金網の方にピントが合ってしまう。あるいは、金網のスキマから撮ればいいのではと思われるかもしれないが、レンズがすっぽり入るほど金網の目が粗いといころも多くはない。もちろんカメラにも大小さまざまなサイズがあるから、コンパクトなカメラなら問題はない。そうして、ワタシが使っている Canon IXY DIGITAL 30 もわりとコンパクトにできているので、なんとかなる。

◆ なんとか金網をクリアしたとしても、これまた仁王を取り囲んでいる木の柵がこれまた問題になる。この柵は仁王の足元を囲っているだけだが、なにしろ仁王はデカイので、カメラを構える位置では柵がジャマをする。手を上に伸ばせば柵を越えるが、そうするとモニターを見ることができないので、デタラメにシャッターを押すことになる。柵をよじ登るのが一番いい方法だと思うが、人目が気になり気がひける。そういうわけで、柵のスキマになんとかカメラを突っ込んで、さらに金網の目をよけるポジションを見つけてカメラを押しつけ、手がつりそうになりながらレンズの向きを修正したうえで、ようやくシャッターを押すことができる。撮った写真をモニターで確認。運よく上手に撮れていれば、にやりと笑う。仁王を撮った、捕った、獲った、盗った。してやったり、苦労したカイがあった、そんな気分。

◇ 仁王像、やっぱり撮りたくなるけど、金網の向こうにいてはるのが多くてなかなか撮れません。こちらの仁王さんは囲まれてなくてよかったです。
malion.exblog.jp/1418158

◆ そうそう、なかには 「金網の向こうにいてはらへん」 場合もあって、そんな仁王さんは、コチラが 「なんと無防備な」 と余計な心配をしてしまうほどに、あけっぴろげで男らしい。「わしゃ、ハトのフンなんて細かいこと気にせいへん」 と主張しているようでもある。たとえば、仁和寺がそうだった。さえぎるものはなにもなく、写真も撮り放題。だけど、なんだかすこしもの足りないような・・・。おかしなものである。

◆ 台東区の区長がこんな文章を書いている。

◇ 8月のアテネオリンピックが近づいてきました。
www.city.taito.tokyo.jp/taito-co/kuchou/konnichiwa16-6.html

◆ もちろんこの文章が書かれたのは去年のこと。来年のハナシをすると鬼が笑うそうだから、去年のハナシをすると仁王が笑うやもしれぬ。というわけで、またまた仁王のハナシ。区長の文章の途中を端折って、先を急ぐ。

◇ 浅草から世界へのアピールといえば、アテネオリンピック・女子レスリング72キログラム級に、浅草生まれ浅草育ちで、台東区区民栄誉章を受けている浜口京子選手が出場します。浜口選手が試合で着るユニフォームには阿吽(あうん)一対の仁王が描かれています。気合を入れるセコンド、その気合を受ける選手を表現しているそうです。お父さんのアニマル浜口さんの「気合だあー!」という力強くも温かい檄が聞こえてきそうなユニフォームですね。/ 台東区の皆さんとともに、浅草寺宝蔵門の仁王様も浜口選手を応援していると思いますので、お父さんとの歓喜の肩車がアテネでも見られることを心から願っています。
Ibid.

◆ そして、これが浜口選手を応援していた仁王様(ちと応援が足りなかったか?)。これはちょっとだけ柵によじ登って撮りました。これがほかの寺ならバチアタリな行為に思えて気がひけるんだけど、浅草寺というところは、観光客だらけで、なんとなく一種のテーマパークみたいで、あんまり崇高な感じがしないもので、まあいいか、と。どうもすいません。それはともかく、この仁王さん、見てのとおりそんなに古いものではない。

◇ 仁王門は、平安中期からあったが、慶安二年(1649)建立の木造最後の楼門は、昭和二十年三月の戦火で焼失、現在の宝蔵門は昭和39年に大谷米太郎氏の寄進により竣工されたもの。
www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/meisyo/sensouji.html

◆ 昭和39年というとワタシの生まれた年で、と書き出すと長くなるので、さらに先へ。この鉄筋コンクリート製の宝蔵門の落成とともに安置された仁王さんであるが、

◇ 制作は錦戸新観(左、”あ”と口を開いている阿形(あぎょう)像)・村岡久作(右、”ん”と口を閉じている吽形(うんぎょう)像)両仏師の彫刻により、大相撲の北の湖現理事長が入門間もないころと吊出しが得意技だった明武谷をモデルに制作されました。総檜造り高さは5.45mあり、重さおのおの1トンあります。
ginjo.fc2web.com/72sisyuku_nohe/sisyuku.htm

◆ なるほど、相撲取りがモデルだったか。北の湖といえば、輪島のファンだったワタシにとってはにっくき敵役でホントに強かった、などというハナシもどうでもよろしい。もうひとりの明武谷は知らない。関脇までいったらしい。

◇ 上位に強く、無敵を誇っていた大鵬に関脇以下では最も対抗して大関昇進を期待されたが、体力不足で果たせなかった。浅草観音の宝蔵門に立っている右側の仁王の原型になった。真面目な性格。キリスト教「エホバの証人」に入信して廃業し、船橋の村田工業所の行員を勤めた後にビル清掃業「日本美装」を共同経営しながら布教活動を行った。
www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19590701.htm

◆ ここに書かれた廃業後の人生にも興味をひかれるけれども・・・。とにかく、この写真の仁王は 「真面目な」明武谷という力士の似姿だったのである。このコトを知ったあとで、もう一度、写真を見てみると、さっきまでヒョウキンな感じしかしなかった仁王の顔に、すこしだけ哀しみの表情がのぞいているようでもある。

◆ 最後におまけ。先にも書いたが、この宝蔵門のある浅草寺、とにかく観光客が多くて、外国人の姿も目につく。そんな外国人相手のガイドのためのジョーク集を見つけた。たとえばこんなコトが書いてある。

◇ ○誘導していて道に迷ってしまった。
  We need another guide.(←あまり口にしたくないセリフ)

  www8.plala.or.jp/y-naka/j-file.html

◆ そのなかで、いちばんおもしろかったのがコレ。

◇ ○浅草雷門の仁王像は阿吽の呼吸。
  My wife and I have no harmony. We're both open mouths.

  Ibid.

◆ 雷門に仁王はいない。We need another guide.

◆ 浅草寺の仁王について、おもしろい記述を見つけたので、メモしておく。

◇ 江戸時代からの言い伝えによると、子供に仁王さまの股をくぐらせると天然痘(疱瘡)が軽くすむとされていた。また紙を噛んで投げつけ、仁王さまの身体に貼り付くと願いがかなうという俗信もあり、昭和の初めまで行われていた。
gohero-web.hp.infoseek.co.jp/asakusa/kaminarimon.html

◆ 仁王の股くぐり。してみると、当時は金網がなかったわけで、ハトもいなかったのかな?

◆ 『週刊文春』(3月3日号)、林真理子の連載 「夜ふけのなわとび」 より。

◇ 日本の男は、つまるところ女性の最大の価値を若さにおく。それは肌が美しい農耕民族の宿命だと私は思う。 / そこへいくとアングロサクソン狩猟民族の方々は、女性の肌が多少こわばって皺があっても気にしないのではないか。ヨーロッパのマダムたちの、皺、シミだらけの肌に宝石をじゃらじゃらつけたあの迫力は、我々とはまるで違う美意識があると教えてくれているようだ。

◆ 中年女性の悲哀といったようなハナシの流れはどうでもいい。ただ、このあまりに単純な二項対立にアゼンとし、二の句がつげない。ワタシにはまったく理解不能である。

◆ もうひとつ、『週刊文春』(3月3日号) の記事は、話題のライブドア社長について、

◇ ホリエモンの生き様を見るにつけ、作家・山口瞳の名文が思い出される。

◆ と書く。『少年達よ、未来は』(新潮社) 所収のその 「名文」 とは、

◇ 現代は、田舎者の全盛時代である。 / 威張る奴が全盛をきわめている。 / 田舎にいると書籍や雑誌で勉強する。書籍や雑誌には理論が書いてあり、新しいことが書いてある。 / 従って地方出身者は観念的たる傾向をまぬかれない。前衛的になる。新しがりであり、理論家になり、居丈高になる。そのバイタリティと頑張りはすばらしい。 / (中略)田舎者とは威張る奴である。スタンド・プレイをする奴である。他人に迷惑をかえりみぬ奴である。

◆ 引用箇所だけでは、いまひとつ文章全体のポイントがわからないし、またどこが 「名文」 であるのかもわからない。さだめし記者がたまたま読んだ本からピックアップしただけのことだろうと思うが、もちろんこれは推測である。ホリエモンのこととはまったく無関係に、田舎者について書いてみたいことがあるので、そのうち書くことにして、とりあえずメモ。

◆ 2005年3月2日、中央区勝どき。「世界チーズ」 ってなんだろう? 世界地図がなまってる? それとも世界チーズってブランドのチーズがあるの? やっぱり世界各国のチーズってことなのかしら? 「世界りんご」 や 「世界猫」 なんてのもあったりするかな? めずらしく満員の通勤電車に乗ったあと (3駅だけだが)、それでも覚めないアタマでぼんやり考えてると、世界がすこし違って見える。すてきな一日の始まりだった。イエに帰って調べると、輸入チーズの老舗 《世界チーズ商会株式会社》 の東京支店だった。ああ、おいしい世界チーズが食べたい。

◆ 2005年3月4日、浦安市堀江。東京に雪が降った。千葉にも降った。たぶんよそでも降っただろう。ところで、この犬、ヘンなハナシで申し訳ないが、ウンコをしようとふんばっていたのである。出たかどうかはわからない。

◆ 雪の上で野糞をしたことがあったような気がしてならない。山の中だっただろうか? だぶんそうだろう。でも、いつどこの山で? もしかすると街の中だったかもしれない。そんなことはなかったと思いたいが、断言はできない。雪の情景は時間と場所とをアイマイにしてしまうから。

◆ 雪の上ではないが、べつなとき、だれもいない山で野糞をしたことがある。だれもいないはずだったのに、まさにそのとき登山者がワタシのすぐわきを通り過ぎた。ワタシがしゃがんでいたところは、あまりに登山道に近すぎたのだった。なさけない顔をしてワタシはその登山者を見送った。ワタシの表情は おそらく「うんこをしているところを人に見られたときの」 犬そっくりだったと思う。

◆ 矢野顕子のたぶん 『ごはんができたよ』 というアルバムのたぶん 「DOGS AWAITING」 という犬のことを歌った曲があって、その歌詞にたぶん 「うんこする時は前を向く」 というフレーズがあった。あるいは 「前を見る」 だったかもしれない。確かめようと、ネットで検索してみたけれど、うまく見つからない。カセットテープがあったなと思って、探すと出てきた。けれども、カセットを再生する装置がなにもないのだった。いや、あるけど壊れてる。それにしても、どうしてうんこの歌詞なんかを思い出そうとしているのだろう。

◆ 保育園に通っていた遠いむかし、自宅の玄関前でうんこを垂れたことがある。これはいまでも忘れない。やばいと保育園から走って帰って、もう少しで救われるところだったのに。ここまで来ればもう安心と、すこし緊張を解くのが早すぎた。

◆ 3月4日、東京に雪が降った。千葉にも降った。白い雪の記憶はなぜだかすっかりうんこまみれ。みんなあの犬のせいだ。

◇ 宅配便が発達してから、ナワやヒモで荷造りすることはなくなり、ガムテープを貼ってすます。かく書きながらわが家を見回しても、しばってあるのは。エー、明日の朝出す分別ゴミの雑誌の山と、あとないか、ひとつあった。蛍光灯のプルスイッチのヒモ。読者にも、自分が最後にしばったのはいつなのか思い出していただきたい。たいてい遠い日のことにちがいない。
藤森照信 『天下無双の建築学入門』(ちくま新書,p.14)

◆ 宅配便のせいかどうかはしらないけれど、たしかに荷造りのダンボール箱にヒモをかけるひとはめっきり減った気がする。いまでも几帳面にひとつひとつの箱にヒモをかけてあるのはたいてい、いや100%、年配の方である。境界は六十前後といったところだろう。引越屋にとっては、正直なところ、ガムテープだけで十分で、ヒモがかけてあると却ってジャマになったりする。トラックの荷台で、前方に押しやろうとしてもすべりが悪いし、重ねて積もうとするとすぐ引っかかる。それでも、お客さんの部屋に入って、丁寧にヒモがかけてあるダンボール箱の山を目にすると、キチンと荷造りをしてくれたことに対して思わず感謝したくなる。ダンボール箱にヒモをかけるようなひとの荷物はいつも整然として美しい。細かいところまで整理整頓されていて無駄なところがない。くわえて言えば、そうしたひとの多くが、写真の 「桃源荘」 のようなところで質素な暮らしをされており、たいした家財道具はないにしても、それを大切に使っておられることはそのモノを見れば一目瞭然である。掃除をするときは、電気掃除機など使わず、ホウキとチリトリで事足りるようなそんな暮らし。それが一人暮らしの男性であったりすると、そんなときには、ワタシもこんな風に年をとりたいと、思ったりもする。そういう方の引越をやるのはとても楽しい。

◇ 先日の日本アカデミー賞で映画「血と骨」で主演女優賞を受賞した鈴木京香(36)。女優として最高の栄誉を手にしたばかりなのにまた大役が回ってきた。TBSが3月21日と22日に2夜連続で放送するドラマ「青春の門―筑豊篇―」で主役のタエ役を演じるのだ。炭鉱町でたくましく生きる人間像を描いた作家・五木寛之氏のベストセラーのドラマ化だ。 // 「青春の門」の映像化は今回で5回目。映画化が2回、ドラマ化が2回で主役は吉永小百合、小川真由美、松坂慶子、黒木瞳と、いずれ劣らぬ大物が演じてきた。京香は大役に抜擢されたことに対して「身震いする」とコメント。これまでは原作の内容をよく理解していなかったようで、「ボタ山って何のことかわからなかった」などと語り、あらためて原作を読み直してロケに臨んだという。
news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story.html?q=03gendainet07116611

◆ このドラマ、トヨエツも出るらしいので、ぜひ観たいものだが、ウチにはテレビがないのがちょっと問題。それはともかく、鈴木京香の 「ボタ山って何のことかわからなかった」 というコメントにすこしコメント。

◇ 世代によっては、福岡といえば筑豊、ボタ山を連想される方もいるかもしれません。青春の門のイメージとしてボタ山が浮かんでくるという方もいらっしゃるでしょうね。
www.geocities.jp/hokutoflag1/simetanko.htm

◆ そもそもボタ山とはなにかというと、

◇ 採掘された鉱石から除かれた不要の捨石を「ボタ」、あるいは「ズリ」と言い、これらを捨てた場所が山となってボタ山と呼ばれた。ボタ山を漢字にすると「硬山」と書き、正式名は鉱山保安法で「捨石集積場」と呼ぶ。 // なお、三池炭鉱においてはボタを海に捨てていたのでボタ山というものは無い。
www.miike-coalmine.net/memo.html

◆ そのボタ山もいまは多くが消え失せた。消え失せてどこへ行ったのかというと、

◇ 新幹線の走る盛り土は、筑豊の象徴であるボタ山を崩して作られたものだ。全国でも例がなく、盛り土の沈下が懸念され、開業後の小倉~博多駅間では、トンネル区間を除いて徐行運転を余儀なくされていた。
kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/gatagoto/gatagoto04/gago040804.htm

◆ なんと新幹線の下敷きになっていたのだった。あるいは、「第145回国会 石炭対策特別委員会 第5号平成11年5月26日(水曜日)」 の会議録で自民党の山本幸三がこんな発言をしている。

◇ ボタ山というのは今、平たくして木が生えていまして、何となくいいじゃないか、ゴルフ場にも使えるんじゃないかということなんですが、実は、これがまた厄介者でして、野焼きしたりすると地中に火がついてしまうんですよ。
www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/002314519990526005.htm

◆ どうしてボタ山跡にゴルフ場を作る必要があるのかわからないけれど、ワタシはゴルフというものがキライなので、ゴルフ場にならなくてまったく幸いである。

◆ ところで、このボタ山という呼び方は九州のものであって、北海道ではズリ山と呼んだ。北海道には新幹線がまだないので線路の下敷きにはなっていない。緑地化され公園として整備されているところが多い。たとえば、ワタシの友人の住む万字というところでは、ズリ山が万字炭山森林公園となっている。写真の雪に覆われた白い 「山」 が万字のズリ山 (2003年2月5日)。

◇ 平成10年にオープンした万字炭山森林公園。園内には、ずり山の直線階段775段を含む2,468段の階段があり、ずり山公園としては日本一を誇ります。周辺には、ツツジやシャクナゲなどの花や実のつく樹木が15,000本植栽されており、春の開花時期や秋の紅葉時期が見頃です!
www.dosanko.co.jp/kurisawa/park/manji/index.html

◆ 実のところ、ワタシは20代前半を北海道で過ごしたというのに、当時はズリ山というコトバを知らなかった。炭鉱のことなどなにも気にかけずに、ただただ遊びほうけていたのだった。

◆ 今日のお客さん。20代半ばくらいの娘さんがいるということは、おかあさんは50過ぎかな。わかりやすくいえば、庶民的なおばさん。よくしゃべる。おばあちゃんは入院中だからいまはいない。二日も徹夜したんだけど、それでも片付かない荷物と悪戦苦闘中に、ポツリとひとこと。

◇ おとうさん、引越の時にはいつもいないねえ。この前は**さんのお葬式だったし、今回は、自分であの世へ行っちゃって。

◆ そうだよ、おとうさん。おかあさんが苦労するから、引越のときぐらいちゃんといないとダメだよ。でも、考えてみれば (考えてみるまでもなく)、おとうさんが今いてくれたら、引越す必要もなかったんだ!

◆ 2005年3月10日、川崎市高津区下作延。こんな偶然があるのだろうか? もちろんあるのである。べつにたいしたことではない。きのう読んだ本にホオズキにかんする記述があって、そのことをあれこれ考えながら歩いていたら、道端になぜだかホオズキが落ちているのを見つけた。いかなる天の配剤かはしらないけれど、もっけのさいわい、これをイメージ写真に利用させてもらうことにして・・・

◇ ホオズキ (鬼灯) の茎に交尾したカメムシがズラリと一列に並んでついているのを見たことがあるだろう。このカメムシはホオズキカメムシといってホオズキが大好きなのである。ところで、ホオズキというの名の語源は 「頬付」 ともいわれるが、もう一つの説がある。それは 「ホオ付」 であって、この場合のホオはカメムシの古名である。つまり、ホオズキという植物は、ホウ (カメムシ) がたくさんついているから 「ホオズキ」 となったというのである。
青木淳一他編著 『虫の名、貝の名、魚の名』(東海大学出版会,p.34)

◆ この語源説にしたがうなら、ホオズキカメムシとは、「カメムシがたくさんつく植物につくカメムシ」 の意味であることになって、なんのことやらわからない。こういうのを修辞学の用語で 「冗語法」 ( pleonasm, pléonasme) と呼ぶ。たとえば、「馬から落馬する」 といった表現がそうであり、同じ意味をもつコトバがひとつの表現のなかに複数あってダブっているわけで、「同義語反復」 ( tautology, tautologie) に近い。

◆ そんなわけで、植物の名前で、冗語的なものはほかには・・・というようなことを歩きながら考えていたのである。たとえば、トウモロコシはどうか。

◇ そもそも、『トウモロコシ』 というネーミングそのものがフザケていて、『トウ=唐』 & 『もろこし=唐土』 で、結局 『中国から来た』 という程度の意味でしかないようです。
marukyo.exblog.jp/495384/

◆ トウモロコシは唐唐土ではないという説もある。もっとフザケているのは、「オミオツケ」 (御御御付) で・・・、いや失礼、オミオツケは植物の名前ではなかった。削除(また、オミオツケは御御御付ではないという説もある)。

◆ 「リンゴの木」 と言ってもべつにおかしくはないが、「リンゴの木の木」 ではさすがにへんだろう。「ハナミズキの木」 と書けば気にならないが、「花水木の木」 とは書きにくいだろう。「楠」 という漢字は 「クスノキ」 と読ませることもあるが、「楠の木」 と書いて、これはなんと読むのか。「クスノキ」、それとも 「クスノキノキ」 ?。では、「ケヤキの木」 はどうだろう。

◇ 語源は、「(他のものと比べ) 異様だ」 「際立っている」 から転じて 「素晴らしい」 という意味を持つ古語 「けやけし」 から来ている。すなわち、「けやけし木」 素晴らしい木という意味。
news7a1.atm.iwate-u.ac.jp/~uforest/keyaki.htm

◆ あるいは、ヒノキは? ヤナギは? スギは? いろいろあるけれども、木の名前の末尾についている 「キ」 や 「ギ」 はもともと 「木」 の意味であることが多いので、さらに「~の木」を加えると、すこし冗長な感じがする。ではサツキは? ヤマブキは? これらの 「キ」 は、あいにく 「木」 とは関係がない。

  献名

◆ 新種の動植物を発見した場合、学名・和名をつけるにあたって、当該分野での先達に敬意を表し、その人名を織り込むことが少なくない。これを献名という。で、なかにはこんな献名も。

◆ イノウエイレコダニ。学名 Hoplophthiracarus inoueae。ダニの分類学者の青木淳一が、新種のダニを発見して、世話になった女性へのお礼のつもりで、献名したハナシ。

◇ 箱根の仙石原に箱根湿生花園というのがある。そこの湿原植物の面倒をみている植物の専門家、井上香世子さんという人がいる。その人の案内で湿原の中のダニを調べさせてもらったところ、かわいらしいイレコダニのなかまの新種が見つかった。そこで、イノウエイレコダニという名前をつけてあげた。ところが、彼女はあまり喜んだ顔をしてくれない。「ダニなんかに、私の名前をつけてもらっても、うれしくないわ」 ということらしい。美しい蝶では、もう新種は見つからないし、困ったものだ。
青木淳一他編著 『虫の名、貝の名、魚の名』(東海大学出版会,p.44)

◆ アッコヒメシモフリヤチグモ。学名 Coelotes acco。女性研究者のニックネームに由来。命名者は日本蜘蛛学会会長も務めた西川喜朗。

◇ 発見者の名にちなんだ献名というのはクモの学名・和名でも多いのだが、斎藤明子さんのニックネームに 「姫」 までつけてしまったのは、1987年命名とはいえ、ナウいといえよう (西川喜朗)
www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/3684/fact4.html

◆ おともだちの monicca さんのブログにこんな記事があった。

Cream in my Coffee : 白い帽子のソプラニスト

◆ そこにはワタシの知らない鳥の写真。白い帽子をかぶってる。調べてみると、日本では沖縄にしかいないシロガシラ (白頭) という鳥のようだ。道理で知らないわけである。このシロガシラ、

◇ 中国中南部と台湾、日本の一部に分布する。日本では、沖縄本島南部、八重山諸島に留鳥として見られる。
www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/hiyodori/sirogasira.htm

◆ ということだが、本島にいるシロガシラは八重山諸島にいる在来種(ヤエヤマシロガシラ Pycnonotus sinensis orii) とは、すこしタイプが違うようで、こちらはタイワンシロガシラ Pycnonotus sinensis formosae が帰化したしたものらしい。鳴き声も違うとか。

◇ 姿も美しいが声も美しく、沖縄本島のは、♪チョッ、コレイト(チョコレイト)、 チョッコレイト♪と鳴き。八重山のヤエヤマシロガシラは♪ジビール(地ビール)、ジビール♪と鳴く。
homepage1.nifty.com/kunigami/sirogasira.htm

◆ 本島でこのシロガシラを目にするようになったのは、1976年 (糸満市) 以降のことであり、それほどむかしのことではない。

◇ 当初、その鳥は「チョコレートくれ」と繰り返し鳴く、と評判だった。いや、「借金返せ」のほうが、より近い鳴き声だと言い出す者までいて、話題は尽きなかった。
www.ryukyushimpo.co.jp/kinkou/kin/k970303.htm

◆ これは、1997年3月3日の『琉球新報』のコラム「金口木舌」。

◇ 生息域が北上するにつれ、食害も急速に拡大した。「チブルシルー」(頭白)という方言名も付いたが、怒った農家の中にはこっそり薬殺する者まで出た。そして、ついに本島北部に到達、先月対策会議が開かれた。
Ibid.

◆ 最近は個体数も減少傾向というハナシもあるが、よくわからない。だれかによそから連れてこられて、いきなり害鳥扱いでは、シロガシラも立つ瀬がない。

◇ かわいい声で 根は好い奴なんです。
www.cosmos.ne.jp/~otk/Groom/042.htm

◆ おともだちのおタネさんのサイトの掲示板を眺めていたら、おタネさんがこんなことを書いていた。

◇ 渋温泉のとある旅館で 入り口と更衣室が別で 中が一緒だった

◆ 渋温泉がどこにあるのかも知らないけれど、このようなツクリになっている温泉は意外と多いのではないかと思う。基本的に混浴ではあっても、脱衣所だけは男女別にする。発想としては悪くないと思う。以下は入浴剤投入事件で有名になった白骨温泉郷の、コチラは入浴剤とは無関係に有名である泡の湯旅館にかんする記述。

◇ 混浴初心者でも楽々の露天風呂。男女別脱衣所あり、不透明な白濁湯、そして脱衣所から直接異性に見られずにお湯の中に入ることができるため、とても混浴難易度が低い。
spa.s5.xrea.com/broom/nagano/awanoyu.htm

◆ なるほど、混浴難易度か。ワタシとしては、混浴でもなんでもいいが、できればワタシ以外にはだれもいないような露天風呂に心ゆくまで浸かっていたい。温泉のコトを書くと長くなりそうなので、とはいえそもそも温泉のコトを書くつもりだったのだが、別なコトを急に書きたくなったので、温泉のハナシはここまでにして、ここからは便所のハナシになる。

◇ ここは部屋のなかに、台所と便所がついていた。ただし一穴式の便所は隣室と共用で、両方の部屋から入れるようになっている。だから用を足すときには、まず戸をノックして先客がいないことを確かめ、なかに入って向うの戸の鍵を内側から締めてから、おもむろに事を始めることになる。 / 隣室に住んでいたのは、若い一人暮らしの女性であった。暮夜ひそかに行っている若い女性の用便の音を聞くのは、かなり切ないことだった。 / また、相手が隣室にいると判っていて、こっちが用を足さなければならないときも切なかった。いくらひそかに行いたいとおもっても、あの音響だけは、自分の意のままになるものではない。
長部日出雄 「引越し人生」『日本の名随筆 別巻24 引越』(中村武志編,作品社,p.166)

◆ ことによったら、ワタシもこうしたツクリの便所のあるアパートに住み、切ない思いをするハメになったかもしれない。というのも、15年ほど前、部屋を探していたとき、下北沢に下見に行ってこうした部屋に出くわしたことがあるからで、風呂はなくてもいいが、玄関別でトイレ付きというワタシの条件に合った物件のひとつがそこだった。たしかにトイレがついてはいたが、それはトナリと共用なのだった。隣人が若い女性であったかどうかは定かではない。トイレの時間が重なることもあまりないだろうから、まあいいかとも思ったが、便所を通してお互いの部屋がつながっているという構造がうす気味悪い気がして、やはり借りるのを遠慮した。用をすましたあと、うっかり間違えて相手の部屋に出てしまうこともときにはあるかもしれないと、そのことを心配したのである。それともやはり用便中のことを考えて、不安になったのだったか? ドアがふたつもあるトイレではリラックスできず、それゆえ用も足せず、ということになりかねないと思ったのだったか? こんなトイレなら共同便所の方がまだ安心できる。そもそも、便所掃除はだれがするのか?

◆ この便所が共用のまるでシャム双生児のような不思議なアパートのことを、ときおりなぜだかふと思い出すことがあって、そうしたときには、思い出したあとで、あれは現実ではなくて夢の光景だったのだろうか、と悩むのが常だった。それほど非現実的な雰囲気のただよう部屋だった。だから最近、長部日出雄の文章を読んで、ほっとしている。あの部屋の記憶は偽りではなかったのだ。

◆ 3月26日、繁忙期にもかかわらずたまたま仕事が早く終わったので、新宿は都庁の裏手にある十二社(じゅうにそう)温泉に行ってみた。マンションの地階にあって、入浴料は1900円とチト高いが、湯のヌルヌル感が心地よかった。

◇ お湯は真っ黒。東京でも一番の黒さで、重曹が多く含まれで効能抜群。まるで、 濃いコーヒーのなかに入っているような気分である。
onsenbaka.jp/tokyo/onsenpage.php?id=10

◇ 湯の色は、コーヒー、というか、急須の中に番茶を入れてお湯を注いだまま3日くらい忘れて置いてあったような色。これほどの濁り湯を見たことがない。ある意味究極の濁り湯だと思う。土方の人が30人くらい入った後の銭湯でもこんな濁り湯にはならないだろう。
homepage2.nifty.com/and-/onsen/onsendiary/tokyo.htm

◆ ここで、「土方」 というコトバが気になり、ハナシは温泉から逸れる。コレは差別用語だろうか? 放送禁止用語ではあるらしい。では、建設作業員とでも書くべきか?
《松岡正剛の千夜千冊》 にこんなハナシが出ていた。

◇ 美輪明宏さんに「長いあいだ、『ヨイトマケの唄』が流れなかったでしょう。どうしてですか」と聞いたことがある。美輪さんが吐き捨てるように言った、「あれね、ほんとにバカな話なのよ。“土方”っていう言葉がダメだっていうのね」。土方が差別用語だというのだ。「聞こえてくるよ、あの唄が、働く土方のあの声が、貧しい土方のあの声が」という箇所だ。
www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0845.html

◆ 学生のころ、ハワイ旅行に行った女ともだちから絵葉書が来て、その文面には、

◇ 土人のように真っ黒です。

◆ とあった。引越屋は土方とは違うけれども、場所によっては土のニオイが染みつくことがある。そんな仕事のあとの風呂の気持ちのいいことといったらない。土星人は土の人でもあるか。まとまりのないハナシで恐縮。