|
◆ 金沢市野町、犀川大橋のほど近くに神明宮はあった。 ![]() ![]() ![]() ◇ 〔るるぶ.com〕 樹齢1000年の大ケヤキがそびえる神社。前田家の手厚い保護を受けた金沢旧五社の一つで、地元の人には「おしんめさん」の愛称で親しまれている。詩人・中原中也が子供の頃、境内で開かれたサーカスによく出かけたとか。5月と10月に行われるあぶり餅祭は、300年以上続く厄除けの伝統特殊神事。一家揃ってお祓いの火であぶった餅を食べ、厄を祓う。 ◆ そもそも中原中也が金沢にいたことさえ知らなかったのだが、「サーカス」という詩は、幼少時にこの神明宮で見たサーカスの光景がモチーフになっているらしい。 頭倒(さか)さに手を垂れて
地球が二つに割れゝばいい、 ◆ ワタシが神明宮を訪れたのは11月1日。朝はまだ青空も見えていたが、午後から土砂降りになった。 |
◇ ペンギンとホッキョクグマの赤ちゃん誕生 ◆ というニュースの見出しにびっくり。よく読むと、 ◇ 〔MSN産経ニュース〕 和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」で、ホッキョクグマとエンペラーペンギンの赤ちゃんが相次いで生まれた。〔中略〕 生まれたのは今月13日。北極と南極に住む動物がくしくも同じ日に生まれた。 ◆ なんのことはない、ある動物園(ではなく、レジャー施設?)で、シロクマの赤ちゃんとペンギンの赤ちゃん(ひな)が同じ日に生まれたというだけのことだった。そうした偶然にも驚くべきであったのかもしれないが、なにしろワタシは、一瞬とはいえ、シロクマとペンギンとのあいだに子どもが生まれた、と思ってしまったのだから、シロクマの子ととペンギンの子が「くしくも」同じ日に生まれたという偶然など、もはやたいしたこととは思えなかった。もちろん、哺乳類と鳥類が番(つが)って子を産むなどということがあろうはずもないので、読み間違うほうがどうかしているのではあるが。 ◆ シロクマとペンギンは交配不可能だが、シロクマとヒグマは交配が可能であるらしい。 ◇ ホッキョクグマは分岐分類学的にヒグマに極めて近い位置にあり、互いに交配して生殖能力のある子孫を残せる。野生でも稀にこのような個体が存在している。このためヒグマとホッキョクグマの生殖的隔離は不完全である。昨今では温暖化の影響もあり、北上してきたヒグマと陸地に上がってきたホッキョクグマの生息域が重なり「ハイブリッド」と呼ばれるヒグマとホッキョクグマの交配種が確認されている。 ハイブリッドは体毛はホッキョクグマのように白いが、盛り上がった肩と土を掘るための湾曲した長い爪などヒグマの特徴を強く受け継いでいる。 |
◇ 「大阪城を建てたのは誰?」「豊臣秀吉!」「違うよ、大工さんだよ」「ぎゃふん」 ◆ 毎日、写真を撮っている。そう書いても間違いではないだろうが、プロの写真家であるわけでもないので、ワタシがしているのはシャッターを押すことくらいで、写真をほんとうに写しているのはカメラだ、という意識が強い。写真を撮ってほしい場所にカメラを連れていって、カメラに「ここの写真を撮ってください」とお願いをする。「準備ができたから、シャッターを押せよ」とカメラが言うのに「はい、わかりました」と応えてシャッターを押す、いつもそんな感じで写真を撮っている。 ◆ カメラが撮った写真を、パソコンのディスプレイで改めて見て、「PhotoDiary」用に編集をする。写真を撮ったのはワタシではなくてカメラだ、とつくづく思い知らされるのはそのときで、シャッターを押したのが自分であることなど忘れて、ときどき「この写真、いいなあ」とか思ったりする。一般的には、「いいなあ」とワタシが思った写真を撮ったのもワタシということになるので、それでは自己満足になるほかないが、写真を見ているときには、ワタシはたんなる鑑賞者なので、だれが撮ったのかということは気にならない。ただ、好きな写真とそうでない写真があるばかりである。 ◆ 前置きが長くなってしまったので、前置きだけにしておく。 |
◆ 東京はいま、雨が降っている。けして雪ではない。文庫本を読みながら、ときおり、雨音を聞いている。 ◇ 気温がゆるんで霙(みぞれ)まじりの雨が降る日もあったが、やがて牡丹雪(ぼたんゆき)が舞い、それも粉雪に変った。かれらは戸外に出ることもせずに炉の近くで身を寄せ合ってすごしていた。 ◆ 粉雪といえば、以前コブクロの歌詞のことをしつこく書いていた時期があったが、そのときに「粉雪」という記事で、コブクロの「NOTE」とレミオロメンの「粉雪」を取り上げて、歌詞のなかの「粉雪」の使い方がおかしいのではというハナシを書いた。あたりまえといえばあたりまえだが、小説家は「粉雪」をおかしく使わない。それを確認してほっとした。こんなのもある。 ◇ 青空に粉雪が舞っていた。冬の太陽を受けた小さな破片が、白一色に埋もれた大地にきらきら光りながら落ちてくる。銀色にそそり立つ山嶺も、山々に囲まれた盆地の村も、粉雪を浴びて明るく輝いている。 ◆ 雨だって「空の涙」だろう、というのは負け惜しみ。 |
◇ 欠伸(あくび)がしたくてたまらない。
◆ おともだちの自転車女さんの言うとおり、 ◇ 知らない人間のアクビを見てもうれしくもなんともないけれど、ネコやイヌのアクビを見ると何となく微笑んでしまいます……
◇ 〔教えて!goo〕 時代の流れとでもいうのでしょうか、電車に乗っていて女性で口に手もやらず大あくびをする人がこのところ増えたように感じています。 ◇ 近頃電車で手で覆うことなく欠伸をする女性を見かけるようになりました。 ◆ ワタシもそう思う。なにも電車のなかにかぎらない。あくびをしながら歩いている女性をさいきんよく見かける。このようなことを書くと、 ◇ 女が、男より行儀をよくしなければならないということ。人前で足を出してはいけない、欠伸をしてはいけない、思うことを云ってはいけない。そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度(た)いと思うことは沢山ある。疲れやすいこと欠伸をしたいことなどは、むしろ男より女の方がよけいかもしれない。それだのに、なぜ、昔から男は、食後でも人前でも勝手に足を出し欠伸をし、云い度いことも云えるのに、女にそれが許されないのだろう。
|
◆ 『殺人現場を歩く』(文:蜂巣敦,写真:山本真人,ちくま文庫)という本を買った。以下、目次。
◆ いくつ憶えているだろう? 何人かに聞いてみたが、ほとんど憶えているひとからほとんど憶えていないひとまでいろいろ。ワタシはというと、せいぜい半分といったところか。 |
![]() ![]() ![]() ◆ 山手通りから「ふどう通り」に入るとすぐに、美容室「Persimmon」がある。persimmon とは、「柿」の英語で、「パーシモン」と名のつく店には、たいていの場合、その近くに柿の木が見つかる。ということを、ワタシはこれまでの散歩経験から学んでいたので、さっそく柿の木を探すと、すぐ裏手に、やっぱり1本の柿の木があった。そうだろう、そうだろう。 ◆ ところが、である。家に帰って、パソコンを開き、念のため住所を確認しようと、「Persimmon 渋谷区本町」で検索をすると、この美容室自体のホームページがあるようで、のぞいてみると、「当サロンは長年、ここ渋谷区本町で家族で営んでおりますので、アットホームな感じです」とあり、続けて、 ◇ パーシモンの由来は我々の名前が柿木と申しまして、そこから英語で柿とはpersimmon(パーシモン)と言う事からこの名前を付けさせて頂きました。 ◆ ああ、「柿木」さんだったのか。そういえば、あの柿の木はとなりの敷地にあったような気もするなあ。 ◆ ついでに、不動通りの入口にある「ふどう通り」と書かれたアーチ。柿のことを考えていたからというわけでもなくて、いつ見ても、この「ふどう」が「ぶどう」に読めてしかたがない。アーチにはブドウの粒のようなものもあるし。 |