MEMORANDUM
2009年11月


◆ 2009年11月1日の写真の編集をいま終えた。金沢に半日。その半日分の写真を編集するのに、ほぼ1週間かかった。まるで、ジョイスの『ユリシーズ』を読んでるみたいだった。この日を要約すると、朝、09:40、金沢寺町の本長寺で石のカエルを見て、夜、22:04、東京に戻ってきて、ゴミ置き場のそばにいるヒキガエルを見た、ということになるだろうか。金沢のカエルの横には「雨の夜はヒキガエルに注意」と書かれた看板があり、東京でヒキガエルを見たのは、たしかに雨の夜だった。まさか、金沢からはるばるやって来たわけでもあるまいが。

◆ 金沢市野町、犀川大橋のほど近くに神明宮はあった。

〔るるぶ.com〕 樹齢1000年の大ケヤキがそびえる神社。前田家の手厚い保護を受けた金沢旧五社の一つで、地元の人には「おしんめさん」の愛称で親しまれている。詩人・中原中也が子供の頃、境内で開かれたサーカスによく出かけたとか。5月と10月に行われるあぶり餅祭は、300年以上続く厄除けの伝統特殊神事。一家揃ってお祓いの火であぶった餅を食べ、厄を祓う。
www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A3200720

◆ そもそも中原中也が金沢にいたことさえ知らなかったのだが、「サーカス」という詩は、幼少時にこの神明宮で見たサーカスの光景がモチーフになっているらしい。

  頭倒(さか)さに手を垂れて
  汚れた木綿の屋根のもと
  ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

  中原中也 「サーカス」(『山羊の歌』所収,青空文庫

◆ たしか国語の教科書にも載っていたが、中学だったか高校だったか。神明宮の境内の隅には摂社の蛭児太神宮。エビスと読むのかヒルコと読むのか。五体満足な体に生まれなかったため、葦船に載せて流されたという蛭児の神話。そういえば、中也も長男をわずか2歳で亡くしている。「亡き児文也の霊に捧ぐ」という副題が付された詩集『在りし日の歌』の「この小児」という詩。

  地球が二つに割れゝばいい、
  そして片方は洋行すればいい、
  すれば私はもう片方に腰掛けて
  青空をばかり ――

  中原中也 「この小児」(『在りし日の歌』所収,青空文庫

◆ ワタシが神明宮を訪れたのは11月1日。朝はまだ青空も見えていたが、午後から土砂降りになった。

◆ 天然温泉の大型健康ランド「テルメ金沢」にシロクマ。おまけに、アデリーペンギン。そこに、こんな注意書き。

◇ しろくま(北極熊)は名前の通り北極周辺の陸地およびおよび氷上に生息しています。そして、ペンギンは南半球の広い緯度範囲に生息しています。と言う事は、実際にはこのように一緒になる事は無いのです。でも、しろくまがさみしそうだったので、一緒にさせていただきました。

◆ おおよそこのような内容。語句の正確さは保障しかねる。撮った写真を拡大して見てみたが、細かい漢字までははっきりと読めなかった。《Wikipedia》に似たような文章があったので、それを参考にした(原文もそれを参考にしたのだろう)。

◆ ところで、なぜこのような注意書きがあるのだろう。だれか利用客が「シロクマとペンギンがどうして一緒にいるんだ」とクレームをつけたのだろうか。教育上の配慮によるものだろうか。よくわからないが、「しろくまがさみしそうだったので」というところがいい。『さみしいシロクマ』という童話でも書きたくなる。

◇ 北極にひとりぼっちのシロクマがいました。シロクマは絵本を読むのが好きでした。あるとき、いつものように絵本を読んでいると、北極と似たような風景のなかに、とってもかわいらしい動物がよちよち歩いている絵がありました。それがペンギンでした。シロクマはひと目でペンギンが好きになりました。あたりをいっしょうけんめい探してみましたが、ペンギンには出会えません。いったいどこにいるのだろう? アザラシなら知っているかもと思って、アザラシに近づくと、アザラシはこわがって逃げてしまいました。しようがないので、出版社に手紙を書きました。手紙を書くなんて、うまれて初めてです。「このてがみをペンギンさんにとどけてください。ともだちになりたいです。それから、いちどあいたいです。シロクマ」。首を長くして返事を待っていたシロクマのもとに、ある日、郵便やさんのキョクアジサシがやってきて、一通の手紙を届けました。ペンギンからでした。「シロクマさん、こんにちは。ぼくたちもあいたいです。できれば飛んであいにいきたいのですが、ぼくたちは飛べません。地図を書いたので、あいにきてください。まってます。ペンギン」。シロクマはさっそく旅支度を始めました。はるばる南極までの長旅です。

◆ つづきはどうなる?

◆ 『さみしいシロクマ』のつづきを楽しく考えながら、もしシロクマがペンギンに会ったら、やっぱり食べちゃうかなあ? と、ふと思ったり。いかん、いかん、こんな結末は。

◆ "Do polar bears eat penguins?"(シロクマはペンギンを食べるんですか?)とか、"Why don't polar bears eat penguins?"(どうしてシロクマはペンギンを食べないんですか?)とかいった質問がネット上のあちこちで見つかる。たとえば、

◇ Do polar bears eat penguins? my little sister says they dont but i think they do
〔シロクマはペンギンを食べますか? 妹は食べないと言ってますが、私は食べると思います。〕

answers.yahoo.com/question/index?qid=20080301092439AAaKjjB

◆ こうした質問にたいする回答の大半は、もちろん、「シロクマは北半球に、ペンギンは南半球に住んでいるので、シロクマはペンギンを食べられません。安心してください」といったものだが、こんなのも。

◇ But as everyone in the UK knows, the real reason polar bears don't eat penguins is because their paws are too big to get the wrappers off
〔イギリスならだれでも知ってるけど、シロクマがペンギンを食べない本当の理由は、シロクマの手(paws)が大きすぎて、包み紙を破れないから。〕

everything2.com/title/Why+don%2527t+polar+bears+eat+penguins%253F

◆ なんでも、イギリスには、ペンギンというチョコレートビスケットがあるのだそう。ということになると、シロクマはペンギンを食べないけど、ニンゲンはペンギンを食べてるということになって、それならば、ニンゲンはシロクマも食べている。とても美味しい。

◇ ペンギンとホッキョクグマの赤ちゃん誕生

◆ というニュースの見出しにびっくり。よく読むと、

〔MSN産経ニュース〕 和歌山県白浜町のレジャー施設「アドベンチャーワールド」で、ホッキョクグマとエンペラーペンギンの赤ちゃんが相次いで生まれた。〔中略〕 生まれたのは今月13日。北極と南極に住む動物がくしくも同じ日に生まれた。
sankei.jp.msn.com/life/trend/091023/trd0910232121020-n1.htm

◆ なんのことはない、ある動物園(ではなく、レジャー施設?)で、シロクマの赤ちゃんとペンギンの赤ちゃん(ひな)が同じ日に生まれたというだけのことだった。そうした偶然にも驚くべきであったのかもしれないが、なにしろワタシは、一瞬とはいえ、シロクマとペンギンとのあいだに子どもが生まれた、と思ってしまったのだから、シロクマの子ととペンギンの子が「くしくも」同じ日に生まれたという偶然など、もはやたいしたこととは思えなかった。もちろん、哺乳類と鳥類が番(つが)って子を産むなどということがあろうはずもないので、読み間違うほうがどうかしているのではあるが。

◆ シロクマとペンギンは交配不可能だが、シロクマとヒグマは交配が可能であるらしい。

◇ ホッキョクグマは分岐分類学的にヒグマに極めて近い位置にあり、互いに交配して生殖能力のある子孫を残せる。野生でも稀にこのような個体が存在している。このためヒグマとホッキョクグマの生殖的隔離は不完全である。昨今では温暖化の影響もあり、北上してきたヒグマと陸地に上がってきたホッキョクグマの生息域が重なり「ハイブリッド」と呼ばれるヒグマとホッキョクグマの交配種が確認されている。 ハイブリッドは体毛はホッキョクグマのように白いが、盛り上がった肩と土を掘るための湾曲した長い爪などヒグマの特徴を強く受け継いでいる。
ja.wikipedia.org/wiki/ホッキョクグマ

◇ 「大阪城を建てたのは誰?」「豊臣秀吉!」「違うよ、大工さんだよ」「ぎゃふん」
www.potalaka.com/potalaka/potalaka226.html

◆ 毎日、写真を撮っている。そう書いても間違いではないだろうが、プロの写真家であるわけでもないので、ワタシがしているのはシャッターを押すことくらいで、写真をほんとうに写しているのはカメラだ、という意識が強い。写真を撮ってほしい場所にカメラを連れていって、カメラに「ここの写真を撮ってください」とお願いをする。「準備ができたから、シャッターを押せよ」とカメラが言うのに「はい、わかりました」と応えてシャッターを押す、いつもそんな感じで写真を撮っている。

◆ カメラが撮った写真を、パソコンのディスプレイで改めて見て、「PhotoDiary」用に編集をする。写真を撮ったのはワタシではなくてカメラだ、とつくづく思い知らされるのはそのときで、シャッターを押したのが自分であることなど忘れて、ときどき「この写真、いいなあ」とか思ったりする。一般的には、「いいなあ」とワタシが思った写真を撮ったのもワタシということになるので、それでは自己満足になるほかないが、写真を見ているときには、ワタシはたんなる鑑賞者なので、だれが撮ったのかということは気にならない。ただ、好きな写真とそうでない写真があるばかりである。

◆ 前置きが長くなってしまったので、前置きだけにしておく。

◆ また前置きが長くなると困るので、一枚の写真を先に掲げておこう。テルメ金沢の写真。剥製のシロクマ、手前に仮眠室からあぶれて背もたれのない椅子にだらしなく寝ている男、その横にすでに起きて新聞を読む男。この写真が、さいきんの「お気に入り」の一枚。見ていて飽きない。見ているあいだにいろんなことがアマタをよぎる。たとえば、

◇ 草がこいの小舎(こや)に住むかれらは、穴居生活をしてい時代の人間たちと大差ない生活をしている。それは、地上に棲息する動物の一種属として、自然の変化に容赦なくさらされた生活であった。穴居していた人間たちは、強大な力をもつ肉食獣の食欲を満たす存在にすぎなかったはずである。が、生命を守る手段として刀槍を手にし、遂には銃器を得ることによって、獣類と対抗し打ち克(か)つことができるようになった。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.43-44)

◆ これは、いま読んでいる吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』という小説の一節だが、上の写真を見ながら、「よくもまあ、クマの目の前で、(銃も持たずに)のんびりと寝ていられるものだなあ」と思ったり、男の寝相に「ニンゲンもどうぶつなのだなあ」と感心したり。その他いろいろ。

◆ 一枚の写真に、たとえば、そのようなことを思ったりする。この「たとえば」が多ければ多いほど、「いい写真だなあ」と思うのだと思う。

◆ 先に書いたとおり、いま吉村昭の『羆嵐(くまあらし)』という小説を読んでいる。タイトルでは「クマ」と読ませている「羆」という漢字、これは「ヒグマ」のことで、ふつうの内地の)「熊」とは異なる。

◇ 東北地方からの移植者であるかれらには、羆が恐ろしい肉食獣であるという意識は薄く、熊はどことなく愛らしく、動作の飄々(ひょうひょう)とした動物のようにも感じていた。しかし、渡道して以来かれらは、多くの先住者たちから羆が内地の熊とは異なった野生動物であることを知らされていた。内地の熊が最大のものでも三十貫(110キロ余)程度であるのに、羆は百貫を越えるものすらある。また内地の熊が木の実などの植物を常食としているのとは異なって、羆は肉食獣でもある。その力は強大で、牛馬の頚骨(けいこつ)を一撃でたたき折り内臓、骨まで食べつくす。むろん人間も、羆にとっては恰好の餌にすぎないという。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.30)

◆ この「羆」という漢字を、ワタシは西村寿行の小説で覚えた。羆の登場する作品は数多くあるが、たとえば、『赤い鯱(しゃち)』から、

◇  黒褐色の体毛を持った羆を金毛(きんげ)と呼ぶ。金毛は凶悪、獰猛な正確を有する。人間を喰う羆といえば、金毛である。
 人家の板壁を掻き破って侵入し、妊娠中の主婦の腹を喰い、家族をつぎつぎと叩き殺した羆がいる。北海道はじまって以来の凶悪な羆だった。結局、七人を殺し、三人に重傷を負わせた羆は射殺されたが、これが金毛だった。

西村寿行 『赤い鯱』(講談社文庫,p.10)

◆ それで、この「北海道はじまって以来の凶悪な羆」の事件を小説化したのが、いま読んでいる吉村昭の『羆嵐』というわけ。大正4年12月、この開拓民を襲った未曾有の大惨事は「三毛別羆事件」と呼ばれている。

三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん、六線沢熊害事件苫前羆事件とも)とは、1915年12月9日~12月14日にかけて、北海道留萌苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した日本史上最大最悪の熊害(ゆうがい)事件。冬眠に失敗した空腹のヒグマが数度にわたり民家を襲い、当時の開拓民7名が死亡、3名の重傷者を出すという被害があった。
ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件

◆ そういえば、「北海のヒグマ」と呼ばれた代議士がいて、謎の死を遂げた。彼の息子も先月死去したが、その理由ははっきりしない。いや、それよりも、ここしばらくマスコミをにぎわせている鳥取の女性。週刊誌でその容貌を見たが、彼女はもしかして「鳥取のヒグマ」と呼ばれてはいなかっただろうか。なんでも、彼女のまわりでは七人もの男性が変死しているということらしいのだが。どうにも、ハナシが血腥(なまぐさ)くなってしまって、いけない。こんなときには、札幌千秋庵の「山親爺」でも食べてくつろぐにかぎる。

◆ 東京はいま、雨が降っている。けして雪ではない。文庫本を読みながら、ときおり、雨音を聞いている。

◇ 気温がゆるんで霙(みぞれ)まじりの雨が降る日もあったが、やがて牡丹雪(ぼたんゆき)が舞い、それも粉雪に変った。かれらは戸外に出ることもせずに炉の近くで身を寄せ合ってすごしていた。
吉村昭 『羆嵐』(新潮文庫,p.12)

◆ 粉雪といえば、以前コブクロの歌詞のことをしつこく書いていた時期があったが、そのときに「粉雪」という記事で、コブクロの「NOTE」とレミオロメンの「粉雪」を取り上げて、歌詞のなかの「粉雪」の使い方がおかしいのではというハナシを書いた。あたりまえといえばあたりまえだが、小説家は「粉雪」をおかしく使わない。それを確認してほっとした。こんなのもある。

◇  青空に粉雪が舞っていた。冬の太陽を受けた小さな破片が、白一色に埋もれた大地にきらきら光りながら落ちてくる。銀色にそそり立つ山嶺も、山々に囲まれた盆地の村も、粉雪を浴びて明るく輝いている。
 空の涙みたいだ。

坂東真砂子 『山妣』(新潮文庫

◆ 雨だって「空の涙」だろう、というのは負け惜しみ。

◇ 欠伸(あくび)がしたくてたまらない。
夏目漱石 『吾輩は猫である』(青空文庫

◆ と述べているのは「名前はまだ無い」ネコで、たまたま(タマではない)このネコの飼い主がこのネコの写生を始めたものだから、このネコは主人のためにあくびも我慢せざるをえななくなってしまったというあんばい。ふつうのネコなら、あくびをしたいときにしてなんの問題もない生活を日々送っている(のだと思う)。「のだと思う」と付け加えたのは、こちらが間近で写真を撮っていたりすると、あくびをしたあとで、ちらとこちらを見て、ちょっと恥ずかしそうなそぶりをすることもあるからだ(たぶん、気のせいであるのだろうけど)。

◆ おともだちの自転車女さんの言うとおり、

◇ 知らない人間のアクビを見てもうれしくもなんともないけれど、ネコやイヌのアクビを見ると何となく微笑んでしまいます……

◆ もちろん、ネコやイヌのあくびにかぎらない。たとえば、シカのあくびだって、微笑むには十分だ。問題は「知らない人間」のあくび。

〔教えて!goo〕 時代の流れとでもいうのでしょうか、電車に乗っていて女性で口に手もやらず大あくびをする人がこのところ増えたように感じています。
oshiete1.goo.ne.jp/qa2466286.html

◇ 近頃電車で手で覆うことなく欠伸をする女性を見かけるようになりました。
jjig2.exblog.jp/9599648/

◆ ワタシもそう思う。なにも電車のなかにかぎらない。あくびをしながら歩いている女性をさいきんよく見かける。このようなことを書くと、

◇ 女が、男より行儀をよくしなければならないということ。人前で足を出してはいけない、欠伸をしてはいけない、思うことを云ってはいけない。そんな不公平なことはありません。女だって男と同じように疲れもする、欠伸もしたい、云い度(た)いと思うことは沢山ある。疲れやすいこと欠伸をしたいことなどは、むしろ男より女の方がよけいかもしれない。それだのに、なぜ、昔から男は、食後でも人前でも勝手に足を出し欠伸をし、云い度いことも云えるのに、女にそれが許されないのだろう。
岡本かの子 『女性の不平とよろこび』(青空文庫

◆ というふうな文脈でハナシが進みそうになるが、あくびを手で隠すかどうかというのはあくまでマナーの問題であって、これにはあまり関心がない。気になっているのは、かくも頻繁にあくびが出てしまうような身体の状態のほう、ひいては、多くのひとをそのような状態にさせてしまうような社会のアリカタのほうなのだが、こんなことを考えはじめると、いくら時間があってもたりなくて、すぐに眠たくなって、ついあくび。もう寝よう。あしたの朝は早いから。

◆ 千葉県に落花生で有名な八街(やちまた)という市がある。ふと地名の由来が気になって調べてみると、

〔八街タウン〕 明治政府の政策によって、放牧地だった小金・佐倉両牧が開墾され、最初に開墾された地は初富と名付けられました。以降、開墾地には着手の順序と吉祥の意味をもつ文字を組み合わせた名が付けられ、二和、三咲、豊四季、五香、六実、七栄、八街、九美上、十倉、十余一、十余二、十余三の地が開墾されました。つまり、開墾が8番目だったことから「八街」と名付けられたのです。
www.yachimata-town.com/history/

◆ 明治維新によって職にあぶれた武士の失業対策として、明治政府は北海道をはじめ全国各地に武士を入植させ、農地の開拓にあたらせた。千葉では、幕府の馬牧場だった土地の開墾が計画され、その八番目の開墾地が「八街」と名づけられた、ということらしい。つまり、八街は開墾地八番という意味。

  • 初富(はつとみ) 現在鎌ケ谷市の一部
  • 二和(ふたわ)・三咲(みさき) 現在船橋市の一部
  • 豊四季(とよしき) 現在柏市の一部
  • 五香(ごこう)・六実(むつみ) 現在松戸市の一部
  • 七栄(ななえ) 現在富里市の一部
  • 八街(やちまた) 現在八街市
  • 九美上(くみあげ) 現在香取市の一部
  • 十倉(とくら) 現在富里市の一部
  • 十余一(とよいち) 現在白井市の一部
  • 十余二(とよふた) 現在柏市の一部
  • 十余三(とよみ) 現在成田市、香取郡多古町の一部
ja.wikipedia.org/wiki/八街市

◆ 開墾地1番から13番まで、仕事がらなじみの地名も多い。これまで一連のものとして考えたことはなかったので、つなげてみると、妙にすっきりした気分。

◆ 開墾地四番は豊四季(とよしき)。3年前、豊四季を通ったとき、「豊四季駅前四軒横丁」には、2軒しか飲食店がなかった。いまはどうなっているだろうか?

◆ 『殺人現場を歩く』(文:蜂巣敦,写真:山本真人,ちくま文庫)という本を買った。以下、目次。

  • 綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件
  • 目黒不動バラバラ殺人事件
  • 埼玉愛犬家連続殺人事件
  • 市川市一家四人殺害事件
  • 新宿西口バス放火事件
  • JR東京駅コンビニエンス店店長刺殺事件
  • 新宿タバコ店経営者連続殺人事件
  • 池袋通り魔連続殺傷事件
  • 宮崎勤事件(連続幼女誘拐殺人事件)
  • 世田谷一家四人殺害事件
  • 東電OL殺人事件
  • 浅草女子短大生刺殺事件
  • 柴又女子大生殺人放火事件
  • 八王子スーパー強盗殺人事件
  • つくば母子殺害事件
  • 板橋スナック四人密室殺人事件
  • 井の頭公園バラバラ殺人事件

◆ いくつ憶えているだろう? 何人かに聞いてみたが、ほとんど憶えているひとからほとんど憶えていないひとまでいろいろ。ワタシはというと、せいぜい半分といったところか。

◆ 山手通りから「ふどう通り」に入るとすぐに、美容室「Persimmon」がある。persimmon とは、「柿」の英語で、「パーシモン」と名のつく店には、たいていの場合、その近くに柿の木が見つかる。ということを、ワタシはこれまでの散歩経験から学んでいたので、さっそく柿の木を探すと、すぐ裏手に、やっぱり1本の柿の木があった。そうだろう、そうだろう。

◆ ところが、である。家に帰って、パソコンを開き、念のため住所を確認しようと、「Persimmon 渋谷区本町」で検索をすると、この美容室自体のホームページがあるようで、のぞいてみると、「当サロンは長年、ここ渋谷区本町で家族で営んでおりますので、アットホームな感じです」とあり、続けて、

◇ パーシモンの由来は我々の名前が柿木と申しまして、そこから英語で柿とはpersimmon(パーシモン)と言う事からこの名前を付けさせて頂きました。
www.geocities.jp/hairpersimmon/persimmon.html

◆ ああ、「柿木」さんだったのか。そういえば、あの柿の木はとなりの敷地にあったような気もするなあ。

◆ ついでに、不動通りの入口にある「ふどう通り」と書かれたアーチ。柿のことを考えていたからというわけでもなくて、いつ見ても、この「ふどう」が「ぶどう」に読めてしかたがない。アーチにはブドウの粒のようなものもあるし。

◆ 2006年07月24日、宮城県気仙沼市八日町、廣野新聞店。「朝日新聞専売所」とあるが、サンケイ新聞をはじめ他紙もあれこれ扱っているようである。この廣野新聞店での新聞配達の思い出をブログで書いているひとがふたりいる。

◇ 私は中学3年になった昭和41年4月から高校1年終了の昭和43年3月まで丸2年間新聞配達のアルバイトをしていました。日本全体が豊かになったこの頃は、小中学生の新聞配達は殆ど見かけなくなりましたが、昭和30年代、40年代は全然珍しい存在ではなく、新聞配達の殆どは小中学生或いは高校生だったように思います。〔中略〕 幼児時代から虚弱体質でしょっちゅう病気ばかりしていた私は、少しでも虚弱体質改善になればと思い、また小遣い稼ぎもしたく、中学3年の時再度同じクラスになったA君の勧めもあり、A君と同じ宮城県気仙沼市八日町の広野新聞店に昭和42年4月からアルバイトとして勤め始めました。〔中略〕 当時広野新聞店では、気仙沼の地元紙の三陸新報と朝日新聞、日刊スポーツ、それに岩手県の地元紙岩手日報、更に産経新聞と産経スポーツまで扱っていたように記憶しています。私の配達地区は気仙沼市中心部の南町1~3丁目の朝日新聞と三陸新報を中心とした100数十部でした。朝日新聞と三陸新報を合わせて取っている家庭も多く、配達戸数は100戸を少し上回るくらいで、幸い平地が多く、殆どを自転車で回ることが出来、配達自体は30分前後で終わったように記憶しています。
www.trkm.co.jp/kenkou/07032501.htm

◇ この五年生の途中からいわゆる本当の給食が始まった。欠食児童はいなかったが、弁当の代わりに学校が出す給食を食べるのは私にとって画期的な出来事だった。私の弁当のおかずは常に魚が中心だったが、給食は肉もある。人が残す分までもらって食べた。学校以外ではこの学年から新聞配達のアルバイトを始めた。廣野新聞店へ早朝に出かけて、店の奥さんからその日の新聞とチラシ広告を渡される。チラシ広告を折りたたみ、新聞に挟んで出来上がりだ。出発前に奥さんから点検を受けてから出発する。おもに大田、陣山方面を配達した。廣野新聞店は朝日新聞を取り扱っていたが、1軒だけ日刊スポーツを購読する家庭があった。日刊スポーツは一日前の版なので、古い新聞を購読する人を子ども心に珍しいと思った。また、一度だけ号外を配ったことがある。学校から帰ると廣野新聞店から連絡があり、号外を配るとのことだった。"ケネディ暗殺"の号外だった。アルバイト料は1500円ぐらいだった。このお金を何に使ったのかはよく覚えていない。
ayumi.hk3.jp/Lists/Posts/Post.aspx?ID=6

◆ さらに、この廣野新聞店、『自虐の詩』という中谷美紀・阿部寛主演の映画にも登場しているのだとか。