MEMORANDUM

  廣野新聞店

◆ 2006年07月24日、宮城県気仙沼市八日町、廣野新聞店。「朝日新聞専売所」とあるが、サンケイ新聞をはじめ他紙もあれこれ扱っているようである。この廣野新聞店での新聞配達の思い出をブログで書いているひとがふたりいる。

◇ 私は中学3年になった昭和41年4月から高校1年終了の昭和43年3月まで丸2年間新聞配達のアルバイトをしていました。日本全体が豊かになったこの頃は、小中学生の新聞配達は殆ど見かけなくなりましたが、昭和30年代、40年代は全然珍しい存在ではなく、新聞配達の殆どは小中学生或いは高校生だったように思います。〔中略〕 幼児時代から虚弱体質でしょっちゅう病気ばかりしていた私は、少しでも虚弱体質改善になればと思い、また小遣い稼ぎもしたく、中学3年の時再度同じクラスになったA君の勧めもあり、A君と同じ宮城県気仙沼市八日町の広野新聞店に昭和42年4月からアルバイトとして勤め始めました。〔中略〕 当時広野新聞店では、気仙沼の地元紙の三陸新報と朝日新聞、日刊スポーツ、それに岩手県の地元紙岩手日報、更に産経新聞と産経スポーツまで扱っていたように記憶しています。私の配達地区は気仙沼市中心部の南町1~3丁目の朝日新聞と三陸新報を中心とした100数十部でした。朝日新聞と三陸新報を合わせて取っている家庭も多く、配達戸数は100戸を少し上回るくらいで、幸い平地が多く、殆どを自転車で回ることが出来、配達自体は30分前後で終わったように記憶しています。
www.trkm.co.jp/kenkou/07032501.htm

◇ この五年生の途中からいわゆる本当の給食が始まった。欠食児童はいなかったが、弁当の代わりに学校が出す給食を食べるのは私にとって画期的な出来事だった。私の弁当のおかずは常に魚が中心だったが、給食は肉もある。人が残す分までもらって食べた。学校以外ではこの学年から新聞配達のアルバイトを始めた。廣野新聞店へ早朝に出かけて、店の奥さんからその日の新聞とチラシ広告を渡される。チラシ広告を折りたたみ、新聞に挟んで出来上がりだ。出発前に奥さんから点検を受けてから出発する。おもに大田、陣山方面を配達した。廣野新聞店は朝日新聞を取り扱っていたが、1軒だけ日刊スポーツを購読する家庭があった。日刊スポーツは一日前の版なので、古い新聞を購読する人を子ども心に珍しいと思った。また、一度だけ号外を配ったことがある。学校から帰ると廣野新聞店から連絡があり、号外を配るとのことだった。"ケネディ暗殺"の号外だった。アルバイト料は1500円ぐらいだった。このお金を何に使ったのかはよく覚えていない。
ayumi.hk3.jp/Lists/Posts/Post.aspx?ID=6

◆ さらに、この廣野新聞店、『自虐の詩』という中谷美紀・阿部寛主演の映画にも登場しているのだとか。

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