MEMORANDUM
2005年11月


◆ 札幌の神宮温泉という天然温泉ではないふつうの銭湯の浴室内でみかけた田村隆一の文章。

◇ 銭湯すたれば 人情もすたる
  銭湯を知らない子供たちに
  集団生活のルールとマナーを教えよ
  自宅にふろありといえども
  そのポリぶろは親子のしゃべり合う場
  にあらず、ただ体を洗うだけ。
  タオルのしぼり方、体を洗う順序など、
  基本的ルールは だれが教えるのか。
  われは、わがルーツをもとめて銭湯へ。

◆ ワタシははじめてこの文章を目にしたが、「銭湯界では有名な詩」 でだそうで、あちこちの銭湯や温泉に掲げてあるものであるらしい。

◇ 〔東京都品川区・武蔵小山温泉清水湯〕 脱衣場の真ん中の柱には 「銭湯すたれば、人情もすたる・・・」 という有名な詩が掲げてありました。
geocities.jp/enpituonsen15/shimizuyu.html

◇ 〔大阪府守口市・南天温泉〕この詩を額に入れて店内に飾っておりますが、近年本当に銭湯を知らない人が沢山いられると思います。アパートや文化住宅が減少して、時代の流れと共に周りの環境も様変わり、高い建物ばかりで核家族になり、それぞれ生活している今日この頃、政治不信や経済不安を抱え、この先どうなるのだろうかと不安に思っている方が大勢 (私達も) いると思います。
moriyoku.web.infoseek.co.jp/h_backnumbers.html

◇ 〔青森県五所川原市・西北温泉〕 脱衣場の壁に、「銭湯すたれば人情もすたる。・・・」 という詩 (田村隆一作) が掲げてあり、銭湯は子供とのスキンシップやマナーの教育に役立つと書いてあった。
www5.airnet.ne.jp/hiromi/publicspa/02aomori/htdoc-aomori/gosyo1.htm

◇ 〔大阪市東淀川区・庄栄温泉〕 男女間仕切り上の天井には、2枚羽の大きな扇風機、正面には神棚。ロッカー上には、「銭湯すたれば・・・」 の額入り。置かれたテーブル代わりには、インベーダーのゲーム機。
michikene.ld.infoseek.co.jp/syoueionsen.htm

◆ たしかに 「有名」 ではあるようだ。とはいえ、これは 「詩」 なんだろうか? 書いたのは、詩人でもあった田村隆一であるけれども。五七五でありさえすれば交通標語だろうがなんだろうがみな俳句になるのであれば仕方がないが、ワタシにはたまらない。

◇ 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
  言葉のない世界
  意味が意味にならない世界に生きていたら
  どんなによかったか

   田村隆一 「帰途」 『言葉のない世界』

◆ 銭湯へ行っても女湯に入ることはまずないので、女性がそこでどのようにふるまっているかについてはこれまで考えたこともなかった。

◇ 東京じゃ、洗い場では立て膝が原則。古い銭湯では、女湯に椅子を置かない。
杉浦日向子 『入浴の女王』 (講談社文庫,p.46)

◆ なるほど。でも、確かめようがない。

◇ ―― 昔は銭湯の女湯にはイスは置いてなかったよ。(男湯には置いてあった・・・子供の時は両方行ける) 女性は立膝で座って身体を洗っていたから 「丸見え」 っていうのはなかったわ。
―― 昔の銭湯の方が奥ゆかしい感じがします。母からイスは使わないようにと指導されました。
―― ワタクシ、椅子使ってました~。鏡に向かって丸みせでした~~(反省)

www.kissnet.ne.jp/usr2/yukityan/253.html

◇ 一応)女として、女湯に入って見られる状況をお知らせしたいと思います。(ちなみに岐阜県ですが) 女湯では、あまり椅子を使う方はお見かけいたしません。私と同世代(20代)くらいの女性はほぼ100%に近いほど使われていますが、おばさま・おばあさまの世代になりますとほとんどが地べたに座られます。なぜかは私ではわかりませんが昔の方のたしなみなのでしょうね。
cgi3.bekkoame.ne.jp/cgi-bin/user/b86729/yhsc/lounge1/wwwlng.cgi?print+200105/01050001.txt

◇ また、驚いたことに、東京の 「女湯」 にはイスさえもない。女性がイスに座って足を広開げて体を洗うというのは、はしたないということらしい。片ひざを立てて洗う。
www5c.biglobe.ne.jp/~moritaka/sub30.htm

◆ 最後に女湯にはいったのはいつのころだったろう? 遠い記憶は湯気の向こうにかすんで見えない。

◆ 10月20日三鷹市井の頭、六鹿さんチ。ロクシカさんか、ムツシカさんか、ムツガさんか。歩いているときにたまたま表札が目にはいっただけなので、正確な読み方はわからない。愛知や岐阜に多い苗字であるようだ。このあと仕事がはやく終わって井の頭公園の動物園に行くことになったのも、たまたま。

◆ 六鹿さんチ。あるいはムシカさんかもしれない。ムシカといえば、九州に無鹿という地名があって、遠藤周作に 『無鹿』 という短篇がある。

◇ 「豊後ん、戦国大名だった大友宗麟が大分に来た宣教師かいはじめて西洋音楽を聴かされてよ、その何と言えん調べにひったまけちゃが、それでよ、その音楽のごと美しか、きよらかん町作ろうと考えて選んだんが、今の無鹿の場所じゃったちやが。じゃけん宗麟が無鹿に移り住んだばっかりん時、薩摩の島津義弘かい攻められって、大負けてしもて、逃げてしもたっです。西郷隆盛も大友宗麟もそれぞれん夢賭けて、そん夢が破れたのが無鹿。今は何もねいき。北川という川だけが昔んのまま流れちょっとですきね」
遠藤周作 『無鹿』 (文藝春秋,p.11-12)

◆ また、同じく遠藤周作に、大友宗麟の人生を描いた長編 『王の挽歌』 があって、そこにも無鹿が出てくる。

◇ 「ここを余は無鹿(ムジカ)と名づけたいのだ。その昔、この修道士(イルマン)アルメイダが余に聞かせてくれた音色の美しさを忘れたことはない。その思い出にその名をこの地に与えたいと思う」
遠藤周作 『王の挽歌』 (新潮文庫,下,p.90)

◆ そもそもワタシがムシカという地名を知ったのは、谷川健一の本が最初で、

◇ 宗麟は無鹿(むしか) (宮崎県延岡市) に陣営を置き、日向を制圧したのち、ここに教会を建て、理想都市を建設するつもりであった。仮の会堂や宣教師の居館も作ったとされているが、その一方で付近の寺社をつぎつぎに焼き払ってもいる。それも束の間、大友軍は島津軍とたたかって大敗し、宣教師やキリシタン将兵も豊後へひきあげた。かくして大友宗麟が目指したキリスト教にもとづく理想王国の夢はあっけなく消えた。宗麟の行為は理想に燃えながら、その反面、寺社を徹底的に破壊するというキリスト教の不寛容さを露骨に示しているところに特徴がある。そうした歴史の名残をしのばせるものとして、無鹿の地名がただ一つ、残されている。無鹿はムジカ、すなわちラテン語の音楽 (musica) を意味するものとされ、この地で西洋音楽が奏でられいたためにその地名がつけられたと推測されている。
谷川健一 『続 日本の地名』 (岩波新書,p.171)

◆ 引越のトラックはコンテナ車なので、左に寄せすぎると、歩道から枝を広げた街路樹にぶち当たる。しばらく前、仕事が遅くなったので、同僚にトラックで送ってもらった。自宅近くの中野通りで停車する直前に、車道の端に寄せすぎて、コンテナの角に街路樹が当たった。降りてコンテナを確認すると、たいしたキズもないようである。「大丈夫」 と同僚を見送り、そのまま帰ろうと歩道を歩き始めると、おばちゃんの声に背後から呼び止められた。なにかと思って近づくと、おばちゃんが竹箒を手にして、地面を指さしている。「これ、あんたでしょ?」。見ると、おやまあ! ギンナンが歩道一面に (そして車道にも) 散乱しているのであった。「すいません」 と平謝りしつつ、箒を借りようとしたら、「いいのよ、でも気をつけてよ」 ということで、掃除は免れたのだが・・・。

◆ おばちゃんは通り沿いで食堂をしている。毎年この時期になると、ギンナンのせいで憂鬱になるという。ニオイがすごいので毎日の掃除は欠かせない。だから、「ニオイがする前にギンナンをたくさん落としてくれたから、かえってよかったかも」 ということになり、結局、わるいことをしたのやら、いいことをしたのやら・・・。

◆ それにしても、こんなところにギンナンのなるイチョウの樹があったとは! もう十年も近所に住んでいるというのに知らなかった。先日、明るいうちに、ギンナンを落としたイチョウの樹を見に行った。見上げると、あるある。まだまだある。ギンナンギンナン。わがトラックもおばちゃんの苦労をほんの少ししか減らさなかったようで・・・。

◇ 東京都の木はイチョウであることもあって、明治神宮外苑などの街路樹としてイチョウが植えられている。雌雄異株であるイチョウの雌にはいわるギンナンがなるが、道路を汚すということもあって、街路樹に雌の銀杏が植えられることはまずない。
www.hs.reitaku-u.ac.jp/print/tokosibe077.html

◇ 街路樹のイチョウは実をつけないのはご存知でしょうか? イチョウの実であるギンナンは美味しく茶碗蒸しなどで珍重されますが、路上に落ちると臭くて汚いといって苦情が来ます。走行中の車のフロントガラスにも落ちるかも知れない。そのためイチョウを街路樹として植栽するときには雄の株だけが選択されます。雌株は除かれるのです。
takmi.ciao.jp/archives1/000348.html

◇ イチョウの樹には雌雄があり実が成るのは雌の樹である。街路樹に実がなると車道に落ちた実を拾う人がいて危険なので一般的には雌樹は避けて植えられているようだ。でも大阪の御堂筋の見事な並木では沢山の実がなるようでその収穫権を入札していたような話を聞いている。
www007.upp.so-net.ne.jp/metaseko/room12-myessay.html

◇ また、この並木、イチョウの雌雄選別ができていなかったために、あちらこちらで大量の銀杏が落ちているのが見られ、それらを目当てに多くの人が拾いに訪れます。しかし一部は通行者に踏まれ、独特の臭い匂いが辺りに広がっていたりします。うっかり踏んでしまうと自宅の玄関までもが臭くなりますから、どうぞご注意を。
www.geocities.jp/tokyowood/icho/icho21.html

◆ 街路樹としてギンナンのなる雌の樹が避けられる理由もさまざまなようで・・・

  鴨脚

◇ イチョウを漢字で書く場合、古い世代の人なら 「公孫樹」、「銀杏」、そしてまれに 「鴨脚(樹)」、若い世代の人ならもっぱら 「銀杏」 と書くでしょう。日本語では、全て 「イチョウ」 と読みます。ただし、「銀杏」 はイチョウと読む(発音する)場合と、ギンナンと読む(発音する)場合とがあり、日本人は一瞬にしてそれをかぎ分けて発音します。一般にはイチョウは 「木」 を指し、ギンナンは実を指します。この3つの漢字名は全て、中国の古い(11世紀以降に限られる)文献の中に見出すことができます。
www.biol.tsukuba.ac.jp/tjb/Vol3No10/TJB200410TH.html

◆ イチョウの漢字表記の 「銀杏」 は果実のギンナンに由来するが、葉の形に着目したのが 「鴨脚」 で、なるほどイチョウの葉はミズカキのついた鴨の脚に似ている。写真はアヒルだが、アヒルは漢字で書けば、家鴨。れっきとした鴨である。李時珍の 『本草綱目』 によると、

◇ 銀杏原生江南....,葉似鴨掌,因名鴨腳。宋初始入貢,改呼銀杏。因其形似小杏而核色白也,今名白果。
cn-ginkgo.com/ReadNews.asp?NewsID=248

◆ だから、大相撲の力士が結う 「大イチョウ」 を 「大銀杏」 と書くと、なんだか特大サイズのギンナンを思い浮かべないでもない。といって、「大鴨脚」 と書くのもどうか。

◇ 銀杏は鴨脚とも書くんですよね。中学の時鴨脚(イチョウ)先生っておられました。
mentuyu.exblog.jp/1187269/

◆ この鴨脚先生はどこの出身かわからないけれども、京都には有名な鴨脚さんが住んでいて、たまたま家の前を通りかかったことがある。

◇ 現在も下鴨の地に居する唯一の下鴨神社の社家です。鴨脚家は,祝家(はふりけ)として代々賀茂社に仕しました。祝とは,神に仕えるのを職とする者のことをいい,普通には禰宜の次位で祭祀などに従った人のことを指します。近世中期以降は,下地人(じげにん)として御所へも出仕されました。
www.kyobunka.or.jp/kaiho/Vol_16_images/sub_002.html

  北国

◆ 歩いていて、「北国」 という名のラーメン屋がふと目にとまる。そういえば、明日から北国へ行くのだった。一週間ほど北海道にいます。寒ければいいな。

◆ 北海道に飛行機で行くときには、安いので、きまってエア・ドゥに乗る。この小さな航空会社には4機しか飛行機がない。

◇ B767-300(3機)、B737-400(1機)の4機体制で東京-北海道を運航しております。
www.airdo21.com/flight/airplane/airplane.html

◆ で、今回帰りに乗ったのが、ずいぶんと小さな飛行機で、調べてみると「ボーイング737-400」という機種だった。座席数が155席で、「ボーイング767-300」3機の286、288、289席に比べると約半分である。ワタシが座ったのは21Fという席だったが、エア・ドゥのサイトの情報によると、このB737-400には欠番があって、

◇ *座席番号について:4番が欠番となっております。
Ibid.

◆ また、B767-300のうちの1機にも欠番があって、

◇ *座席番号について:4番・13番が欠番となっております。
Ibid.

◆ ちなみにB767-300の他の2機には欠番がない。

◇ いくら縁起が悪いといっても航空機内のことである。墜落すれば座席番号に関わりなく全員絶望となる可能性が非常に高い。にもかかわらず「4番」や「13番」は嫌だという乗客が居るのだろうか。そんなことを気にするくらいなら飛行機に乗るなと言いたいくらいだ。
www.geocities.jp/hasep_diary/_4/09/06.htm

◆ それはそうだと思いつつ、世の中には、

◇ あんなに巨大で重たいモノが空を飛ぶなんて信じられないよね。浮力だとか揚力だとかで説明してもらってもイマイチ理解できずに終わってます。
taiyo-do.seesaa.net/article/6267808.html

◆ という人や、

◇ 正直言って飛行機が怖いです。どう考えてもこんな形した物体が空を飛ぶなんて信じられないんですよね。プロペラがついてれば少しは納得できるんですけど。
www.yokonavi.jp/syuzai/snow/haneda.html

◆ という人が意外に多いようなので、「4番」や「13番」の座席番号が気になる人がいてもおかしくはない。そんな人たちに糸井重里の一言。

◇ 信じようが信じまいが、今日も飛行機は飛んでるぜ。
www.1101.com/darling_column/3_0827.html

◆ 6月に鎌倉を散策したときに、長谷寺門前の対僊閣(たいせんかく)という旧い旅館が気になって、玄関のガラス戸越しになかを覗いてみたことがある。東京に住んでいると、鎌倉で一泊するというのは贅沢な気がして、いつも日帰りになってしまうのだが、そのうち泊まってみたいと思わせる旅館だった。

◆ つげ義春の『新版 貧困旅行記』(新潮文庫)という本を読んでいたら、1986年(昭和61)6月にかれが妻と息子の三人で行った鎌倉旅行の記述があって、対僊閣に泊まったとある。なるほど家族というものがあれば、旅行にも行かなければならず、お金に余裕がなければ、必然的に旅行は近場になって、東京に住んでいながらも、鎌倉に泊まれるという寸法なのだった。

◇ いつの間にかまた長谷寺参道の入口に戻っていた。古めかしい木造の対僊閣という宿屋に投宿した。先ほど目にとまっていたのだが、見ためにはちょっと物足らなく思え、ためらっていた。しかし夕暮れて正助は疲れた様子なので、夕食なしの朝食のみという味気ないのもやむを得ず泊ることにした。鎌倉の宿屋は、女性専門が多いだけでなく、夕食ぬきも多いようだ。京都へ行ったときもその例で、古都の人は晩めしを食わないのだろうか。
つげ義春『新版 貧困旅行記』(新潮文庫,p.74)

◆ 古都の人が晩めしを食わないかどうかは知らないが、いまでも 「夕食なしの朝食のみ」 らしい。

◇ 一泊朝食付きで7500円。朝食は、、、新米とお味噌汁、お新香、卵焼き、鎌倉名物の畳いわし、ご近所のかまぼこやさんで作られた練り物、そして黒々とした海苔。どれも懐かしい香りがするものばかりです。
www.j-wave.co.jp/original/lohas/sense/contents-091.htm

◇ 朝食の献立は、ご飯に豆腐の味噌汁、玉子焼き、海苔、タタミイワシ、乾物、香の物といった純和風でした。
www8.plala.or.jp/y-naka/jishu4-daibutsu.htm

◇ 夕食はつかず朝食のみ。先代から伝わるぬか床を使用したぬか漬け、ちょっと甘めの玉子焼きに、思わずごはんが進む。
www.hanako-net.com/omise/detail.jsp?id=80904104&gosu=0

◆ こうして献立を引用するだけで、雰囲気が味わえる気がする。いや味わうべきは朝食だった。つげ義春は朝食についてはふれていないけれど、なかなか気に入ったようで、

◇ 対僊閣はなかなか感じの良い宿だった。明治の建築とかで、玄関には私の丈より大きな柱時計が据えられ、電話室も昔のままで珍しく見た。二階の通された部屋は、古びてはいても十二畳と広くさっぱりとして、浜風が吹き抜け心地好い。初老のおかみさん(女中さんか?)も物静かでひかえめで感じが好い。私は掘出し物をしたようで嬉しくなった。宿の向いにはうなぎ屋、その隣りに骨董屋、二、三軒おいて食堂もあり、夕食なしでも不自由しない。私たちの他に客はなく、モダン好みの女性客にはうけそうにない宿だが、それがかえって穴場かもしれないと思った。
つげ義春『新版 貧困旅行記』(新潮文庫,p74)

◆ 建物が建て替えられたりしないうちに、ぜひ行っておかねば。ちなみに門限は10時、風呂は薪だそうで。

Hokkaido International Airlines (北海道国際航空), better known as Air Do (エア・ドゥ) is an airline in Japan. Air Do - Hokkaido International Airlines is a low-fare airline based in Sapporo, Hokkaido,Japan. It operates services on routes between Tokyo and cities in Hokkaido. Its main base is Tokyo International Airport. / 'Do' is pronounced like the English word "do" (rhyming with "blue") and not like the "dō" in "Hokkaidō".
en.wikipedia.org/wiki/Air_Do

◆ Air Do の 'Do' はホッカイドーの「ドー」ではなくて、「ドゥ」と発音する。引用の最後にそうあるのを読んで、はじめて、Air Do の Do が Hokkaido の do にひっかけてあることに気がついた。なるほど。

◆ さて、エア・ドゥのことを書いていて思い出したのだが、エア・ドゥというのは通称で正式な会社名は北海道国際航空株式会社という。「国際」の文字がはいっているけれども、いまのところ路線は国内線のみで国際線はない。そのかわりといってはなんだが、パイロットが International である。どうやら人件費のためであるらしい。

◆ 以下は、あるサイトで見つけた 《日本経済新聞に掲載されている「やさしい経済学」の戸崎助教授の論文からの転載》 の転載(原文は未確認)。

◇ 日本のパイロットの賃金水準は国際的にも高いとされるが、退役軍人が多く転職してくる欧米と異なり、人材の供給システムは不完全だ。現状では賃金を高めに設定しないとパイロットを確保できないが、雇用規定の改定、免許制の見直しによる外国人パイロットの効率的な登用で賃金引き下げが可能になるだろう。
www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2319/Airline8.html

◇ 確かパイロットは外国人で軍人上がりっぽくラフな操縦だった。民間機、ボーイング767なんてのは機体がデカくて、構造的にも客席を稼ぐ必要が有って柔なわけだし、丁寧に操縦して欲しいって思った。
chronos.mentai.org/1999/d990903.htm

◆ なるほど。では、このひとも退役軍人だったのだろうか? エア・ドゥのパイロットが外国人だからといって、べつにどうということはないだろう。同じ人間が操縦していることには変わりはない。堕ちなければいい。

◆ ところで、ここだけのハナシ、エア・ドゥのパイロットは人間だけではない。これが北海道ならではのスゴイところで、パイロットに熊がいるのである。その名もベア・ドゥ。ワタシはたしかにかれが操縦席に座っているのをこの目で見た。まんざらでもない。

◆ 集中力というものがまったく欠けているので、ある本を手にとって読み始めて五分後にはまたべつの本に手を出している。だからいまなんの本を読んでいるのかと聞かれても、答えるのが難しい。読み始めたが読み終えていない本が山積みで、まさかそれらの本のすべてを挙げるわけにもいくまい。またおすすめの本はと聞かれて、あれこれおもしろかった本はあるけれども、じつはおもしろかった部分というのは、その本のテーマとはなんの関係もないところだったりもするので、これまた答えるのが難しい。集中の反対語はなんだろう? 散漫だろうか? 散漫な読書。たとえば、

◇ 一九八〇年代から九〇年代にかけてしばしばモロッコを訪れたわたしは、街角のいたるところで子供たちからブルース・リーと呼ばれたり、路地に立ち塞がって 「アチョー!」 と叫ばれたりすることがあった(もちろんこちらがポーズをとって、より大きい声で 「アチョオチョオ!」 と叫ぶと、急に真剣な表情になって後ろに退いてしまうのが常であったが)。
四方田犬彦 『ブルース・リー 李小龍の栄光と孤独』(晶文社,p.15-16)

◆ 五分後。

◇ 向こうのレストランに行ったらさあ、「ピカソ」「ピカソ」 と言われるんですよ。イタリーのテレビのインタビューで、他の作家で言うと自分は誰に当たるかって訊かれたから、苦しまぎれに 「ピカソ」 って答えたの。そんで、レストランのコックさんたちが俺を見て 「ピカソ」 と言ってんのかと思ったら、やつらは 「ピカチュウ、ピカチュウ」 って言ってたんだよ。参ったネ~。
荒木経惟 『天才アラーキー 写真ノ方法』(集英社新書,p.124)

◆ ブルース・リーにピカチュウ。あとは、おしんかなあ?

◆ じょうずに待つということはとても難しいことだと思う。

◆ そもそも待つとはなんだろう? オンライン辞書では、

◇ 物事・人・時が来るのを予期し、願い望みながら、それまでの時間を過ごす。また、用意して備える。(『大辞泉』)

◇ 人が来たり、物が届けられたり、物事が実現したりするのを、今か今かと望みながら時を過ごす。(『大辞林』)

◆ 待っているからといって、なにかをしてはいけないということはないのだから、本を読んだりもする。傍から見れば、それは読書をしているようにしか見えず、待っているようには見えないかもしれない。それでもやはり待っていることには変わりはない。

◆ 釣りという行為は、魚が針にかかるのをひたすら待ち続けること。待つことのない釣りなんてのは、もはや釣りではないだろう。

◆ たいていのひとは、たいていの場合、機が熟すのを(なにかをしながら)待っているのである。なかには待っていることに気がついていないひともいるかもしれない。

◆ 待つということで、中国の故事を思い出した。守株待兎。株のそばでウサギをずっと待っていた農夫を笑う気にはなれない。

◆ ゴドーが待っていたのは何か、ということには関心がない。問題はどのように待っていたか。はたして、ゴドーはじょうずに待つことができただろうか?

◆ たとえば、ふらりとどこかに旅立ってしまった恋人の帰りをずっと待っているひともいることだろう。そして、ある日ふらりと恋人が帰ってきたときに、たまたま買い物にでかけていて、会うことができずに、また恋人はふらりと旅に出てしまう。そんなこともないとはいえない。あるいは、

♪ 冷たくされていつかは 見返すつもりだった
  それからどこへ行くにも 着飾ってたのに
  どうしてなの? 今日に限って 安いサンダルを履いてた

  松任谷由実「DESTINY」(作詞・作曲:松任谷由実)

◆ なんてこともあるかもしれない。

◆ バス停に着いて、時刻表を見ると、あと10分はバスが来ないはずだから、もうひとつ手前のバス停まで歩いてみることにして、ぶらぶら歩いているいるうちにしばらくは来ないはずのバスが横を通過してしまう。そんなこともあるだろう。じょうずに待つことはほんとに難しい。

◆ というようなことを今朝バスを待ちながらぼけっと考えていたら、バスが来た。

◆ 昨日、モニタを購入した。いままで使っていたのは、Hansol の E15BL という15インチCRT(中古で5,000円)だが、寿命のせいか画面がかなり暗くなってしまい、写真の編集をするのにそろそろ限界だった(というかそもそも最初から画質はよくなかった)。で、新宿の中古ショップで、MITSUBISHI の RDF173H というのを買った。液晶ではなく、CRT。14,800円。17インチ。17.2kgを抱えてバスに乗り、家に帰ってさっそく接続してみると、あたり前だが、かなり明るい。なかなかキレイ。満足。でも、いまは液晶の時代のようで、CRT(ブラウン管)は 「絶滅危惧種」 であるらしい。

◇ PC向けCRTディスプレイは液晶からの置き換えが進み、需要が急減している。2007年には国内出荷が3000台にまで減る見通しだ。
www.itmedia.co.jp/news/articles/0503/11/news084.html

◇ CRTはやはり絶滅危惧種。IDC調査によると、2005年の国内PCディスプレイ市場は液晶が98.7%とほとんどを占めている。
www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/09/news030.html

◆ まあよい。これで、少しは写真の編集が楽になる。と思ったら、今度はコンタクトレンズの片方を紛失して、現在片目で作業中。おやおや。

◆ 大阪の「ひらかた大菊人形」展が今秋かぎりというニュースを最近知った。

◇ 京阪電気鉄道株式会社(本社:大阪市中央区、社長:佐藤茂雄)が経営する遊園地「ひらかたパーク(略称:ひらパー、所在地:大阪府枚方市枚方公園町)」では、今秋をもって96年に及ぶ『ひらかた大菊人形』展の歴史に幕を閉じます。
www.keihan.co.jp/news/data_h17/2005-05-31kiku_doll.pdf

◇ ひらかた大菊人形」 は、明治43年に香里遊園地で始まり、その後、舞台をひらかたパークに移してからは、全国一といわれる美しさや、NHKの大河ドラマをテーマにした大掛かりな演出で、最盛期には80万人を超える観客が訪れる程、人気のあるイベントでした。しかし、ここ数年は菊師の後継者不足や、入場者数の減少などが深刻化するなど、取り巻く環境は年々厳しくなっていました。
www.city.hirakata.osaka.jp/freepage/gyousei/kouhou/top/kiku-last.htm

◆ で、最近は菊人形も見てないなあと思いつつ、最後に見たのはいつだったかと記憶をつらつらとたどっていて思い出したのが、2年前の小諸の懐古園。2003年11月5日、たまたま仕事で小諸に行ったついでに少しばかり街をぶらついていたときにでくわしたのだった。そういえば、その日の写真もまだアップしていなかったことも思い出して、あたふたと写真の編集。で、でてきたのがこれ。それにしても、なんというタイミングのよさだろう、九州場所で朝青龍が優勝を決めたのが今日!

◆ でも、懐古園のは菊人形展ではなくて、ふつうの菊花展。そのなかに朝青龍の菊人形もあったということらしい。

◇ 懐古園の秋の風物詩として知られている菊の祭典 「東信菊花展」。県内各地から出展される約1000点の菊が古城の紅葉に美しく映え、訪れる人々に素晴らしい感動を与えます。
www.kanko.komoro.org/siki/event_kiku.html

◆ 菊人形といえば、「(お)菊人形」のハナシも以前に書いた。

♪ あの時の歌は聴こえない
  人の姿も変わったよ
  時は流れた

  ガロ「学生街の喫茶店」(作詞:山上路夫)

◆ 写真は南美唄。札幌から行くと岩見沢の先に美唄市がある。

◇ 焼き鳥がおいしいこのまちは、1913(大正2)年に飯田美唄炭鉱(のちの三菱美唄炭鉱)ができたのを最初に、三菱・三井美唄炭鉱といった大炭鉱から中小の炭鉱までがひしめきあっていた。戦後、日本経済復興の主役として巨額の資金が投入され、石炭産業は拡大が続く。まちは活気にあふれた。
www.hokkaido-jin.jp/issue/200303/hhpg2.html

◆ 焼き鳥で有名だとは知らなかったが、東美唄には三菱の、南美唄には三井の財閥系炭鉱があった。三井美唄の操業開始は1928(昭和3)年、閉山が1963(昭和38)年。三井美唄の歴史はわずか35年。三井美唄の歴史は、そのまま街としても南美唄の歴史でもあって、人生よりも短い街の一生とはなんだろう? いや、言い過ぎた。まだ街は死んでしまったわけではない。ただ、

◇ 石炭産業が隆盛だった時代、栄えていた南美唄地区も、現在は人口が激減し、市内でも高齢化率の高い地域となりました。
www.net-bibai.co.jp/bfs/ibe2004.html

◆ ともかく南美唄の街が、人生でいうなら働き盛りのころ、1955(昭和30)年に、三井美唄互楽館という映画館が誕生した。

◇ 炭鉱の街が栄えたころ、いちばんの娯楽は映画でした。多くの炭鉱町に映画館が建てられましたが、この互楽館はそのなかで最大のものです。立ち見席も含めて、1,477名を収容できました。椅子席の下にパイプを通し、蒸気で暖房するなど、最新の設備も取り入れられています。
www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/15.html

◆ 映画も全盛の時代であったから、思い出はつきないだろう。

◇  互楽館(ゴラッカンと言ってました)には、思い出が沢山ありますね。最も幼い記憶は、母に連れられて化け猫の映画(入江タカ子主演?)を見たこと。目に恐怖が焼け付き、眠れない日がかなり長く続きました。浪曲講演に連れて行かれたこともありました。まあ幼児にとっては退屈の極地でしたね。
〔中略〕
 それにしても互楽館は堂々たる劇場でしたよ。収容人数2千人ということですから、今の札幌にもこれほどの会館は数えるほどしかありません。あれで、座席が木造でなかったら最高でしたが。

mimizun.com:81/log/machi/hokkaidou/1006990777.html

◆ あるいは、両親が南美唄で唯一の純喫茶を経営していたひとの思い出。

◇ 母には「互楽館に公演に来た杉村春子さんの楽屋にコーヒーを届けたことがある」と、よく聞かされたことがあります。
www5b.biglobe.ne.jp/~OOMIYA/vpack20bbs2/

◆ 1963年の三井美唄の閉山とともに互楽館も閉館する。それからすでに40年あまりが経つ。