MEMORANDUM
2007年06月


◇ 女優の藤原紀香さん(35)とお笑いタレントの陣内智則さん(33)が30日、神戸市のホテルオークラ神戸で結婚披露宴を行った。
www.sankei.co.jp/culture/enterme/070530/ent070530002.htm

◆ というニュースで、2月に生田神社で行われた結婚式にかんするニュース記事のことを思い出した。

〔日刊スポーツ〕 17日に生田神社(神戸市中央区)で行われる女優藤原紀香(35)とお笑いタレント陣内智則(32)の挙式が、完全非公開の“目隠し挙式”となる可能性があることが4日、分かった。同神社では当日、ファンら1万人の来場を想定し、混乱を避けるため、境内に通じるすべての門を閉鎖予定。本殿を望む正門には、格子状のシャッターに加え、中が見えないよう遮へい物を設置する案も検討中。敷地内には100人の警備員が配置される予定で、2人は厳戒態勢の中で式を挙げる。
osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp5-20070205-152102.html

◆ たいしたことではないが、ああ、シャッターのある神社もあるんだな、と思ったのだった。

◆ ワタシの 《PhotoDiary》 には、よく神社が出てくるが、これにはたいした理由がない。信心深いわけでもないし、神道に関心があるわけでもない。ただ、町をあちこちぶらついて、疲れてくると、どこかで一休みしたくなり、そんなときに、すこし目線を上げてあたりを見渡すと、どこかにこんもりと茂った緑の木立ちの一画があって、たどりつくと、そこがきまって神社である。

◆ シャッターのある神社は少ないだろうと思う。そもそもワタシがよく行くような小さな神社には鳥居はあっても門がない。お寺とはそこが違う。お寺にはたいてい門があって、小さなお寺であればあるほど、個人のお宅におじゃましているという気がして、落ち着かない。遅くに行くと、門はもう閉められていて入れない。それにひきかえ、神社にはいつでも行ける。門がないので閉めようがない。なんとも開放的な場所で、散歩には最適だ。たいていはだれもいないので、静かでいい。神社は公園ではないが、ワタシには公園のようなものだ。そういえば、境内の片隅にすべり台やブランコがある神社もよく見かける。

  

◆ 埼玉県に蕨(わらび)という小さな市がある。

〔蕨市ホームページ〕 蕨市は、成年式の発祥の地であることや市域面積が5.10k㎡と全国一のミニ市であり、人口密度が全国で最も高い市として知られています。
www.city.warabi.saitama.jp/hisho/profil/profil.htm

《蕨市ホームページ》 は、やや手作りっぽい感じ。ソースを見ると、市販のホームページ作成ソフトであるホームページビルダーで作成されていた。

◆ 蕨は中山道の宿場町。江戸から板橋宿、つぎが蕨宿。そのせいかどうか、いや、あまり関係はないだろうが、

◆ 越後屋、駿河屋、伊勢屋、と旧国名を屋号にした商店が街のあちこちに。多少は江戸の風情を感じないこともない。武蔵屋というのもあったが、蕨はそもそも武蔵国なのだから、これはちょっといただけない。探せばもっとあるかもしれない。

◆ 先日の市長選で、共産党員の元市議が当選。

〔朝日新聞〕 3日投開票された埼玉県蕨(わらび)市長選は、元市議の新顔同士の一騎打ちとなり、元共産市議の頼高英雄氏(43)が、自・公の推す庄野拓也氏(38)を下して初当選を果たした。頼高氏は無所属で立候補したが、共産党員。同党によると、党員の現職市長は秋田県湯沢市、岩手県陸前高田市、東京都狛江市、大阪府東大阪市に次いで5人目になる。
www.asahi.com/politics/update/0603/TKY200706030112.html

◆ 街でよく見かけるけど、この字は読めるかな? 

◆ 簡単すぎました? 左は 「きそば」、右は 「うなぎ」。では、これはどうかな? お店の名前です。

◆ これも簡単? 左は 「さらしな」、右は 「ちんりう」。「う奈ぎ」 が読めれば 「さらし奈」 も読めますね。《ちん里う》 は小田原の梅干屋さん。つぎはちょっと難しいけど、読めるかな?

◆ 左は 「(大久保)だんご」、右は 「かまほこ(處)」。団子と蒲鉾。「だんご」 の 「ご」 と「かまほこ」 の 「こ」 の字が似てますね。これは漢字の 「古」 を元にくずしたひらがなです。かなだから点々が打てるんですね。「だんご」 の 「だ」 も、字母(元の漢字)は 「多」 ですが、これに濁点を打って、「多゛」。つづけると 「多゛ん古゛」 ってな感じ。「かまほこ」 も元の漢字に直せば、「加満保古」。このような今ではあまり見かけないかなのことを変体仮名と呼びます。

へんたいがな 【変体仮名】 現行の通常の平仮名とは異なる字体の仮名。1900年(明治33)の 「小学校令施行規則」 で統一された平仮名の字体以外の仮名。漢字の草体の簡略化が進んでいないものや、現行の仮名のもとになった漢字とは異なる漢字の草体から生まれた仮名。
三省堂 『大辞林』

◆ 参考サイト:《変体仮名を覚えよう》

◆ 5月26日、特急はくたかが北陸本線魚津の駅に停車すると、窓から 「キッコーヤマナ」 の広告が目に入った。金沢の鍋喜醤油のブランドらしい。六角形の亀甲のなかに、「^」 + 「ナ」。醤油大手のキッコーマンとヤマサを足したようなネーミング。

◇ アメリカやヨーロッパでは、醤油からすぐさまキッコーマンを連想し、キッコーマンを醤油の異称と考える消費者も少なくない。
www.kkc.or.jp/plaza/keyword/pdf/brand/200506_14-15.pdf

◆ いや、アメリカやヨーロッパにとどまらず、日本でも醤油といえばキッコーマンをイメージするひとが少なくないのだろう。だから、全国津々浦々に点在するキッコー印の醤油を目にすると、少なからず驚く。あるいは紛いものだと判断する。

◆ 北海道旭川市のキッコウニホン。

◇ ところで、写真の醤油。キッコーニホン。キッコーマンではございません。製造元ももちろん、違いました。
blog.livedoor.jp/black_piggy/archives/27098765.html

◇ 北池袋店のしょうゆは何でか分かりませんが、よく変わります。開店当初は 「キッコーニホン」 とかいう、いかにもキッコーマンのパクリというか、バッタ物みたいな名前のあやしい醤油でした。
www.kakamu.net/handaya/

◆ 青森県十和田市のキッコーカン。

◇ 私は以前 「キッコーマン」 ではなく 「キッコーカン」 のしょう油を日本で買いましたー。すごいでしょ(笑)? / 色々あるよね~。「正露丸」 を買ったつもりが 「征露丸」 だったりしたこともあります。
crescent.jugem.cc/?eid=371#comments

◇ 昔、地方のとあるスーパーで 「お一人様一本限り」 という非常にそそられてしまうポップを見つけ、そこにはなんと、キッコーマンのあの 「でかボトル」 がなんと一本98円! こりゃ、安いゾ☆とばかりにレジに直行。←言うまでもありませんネ。その後何日か経ったある日、お醤油差しの中身がなくなりかけてきたので、買っておいたボトルを開け、ドボドボと詰め替えてたんです。ふとボトルに目をやると・・・な、な、なんと! それはキッコーマンではなく、キッコーカン! 萬ではなく、どうだと言わんばかりの 「寛」 の字が!!! えっ、えぇーーーーっ????? もしかしてスーパーに騙された? キッコーマンもどき? ボトルはまさにキッコーマンそのもの、うりふたつのデザイン。
imaiy.iza.ne.jp/blog/entry/135544/allcmt/#cmt

◆ 秋田県にかほ市のキッコーナン。

◇ 「キッコーナン たまり醤油」 ヘッ?!―――――(゚д゚;)――――― あきらかにパクリですよね!キッコーマンの・・ しかも中の字は違えど六角形のマークまで。随分思い切ったパクリぶりに潔ささえ感じますよ。
blog.livedoor.jp/satomayuboru/archives/50559802.html

◆ 秋田県大仙市のキッコーヒメ。

◇ 生協で棚の整理してたらキッコーヒメなるメーカーの醤油を発見。ロゴはまさにキッコーマンの萬が姫になっただけ… まぁ、パクりとかはどうでもいい。キッコーヒメ=亀甲姫。
blog.livedoor.jp/capelthwaite/archives/50988543.html

◆ 山形県新庄市のキッコーセン。

◇ まったく関係ないんですが、キッコーマンとキッコーセンの違いについでだれか教えて下さい・・・ 弟のクラスでいま一番の話題だそうです(汗)私も気になって眠れない・・・
www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=168116&log=20040424

◆ 茨城県土浦市のキッコーショウ。

◇ 会社のマークはキッコーショウってキッコーマンみたいなマークなんだけど、これもキッコーマンのをパクったわけじゃなくて、柴沼醤油のほうが先に使っていたものなんだそう。
www.edita.jp/okashi/one/okashi418429.html

◆ 埼玉県入間市のキッコーブ。

◇ あとはうどんにかける醤油がなんと偽キッコーマン。よく見るとキッコーブと書いてありマークも偽マークで亀甲の中の字が変わっただけでした。
www.geocities.co.jp/MusicStar-Bass/9632/nikki01.html

◆ 東京都あきる野市のキッコーゴ。

◇ 「キッコーゴ」 です。何だ、キッコーマンのバチモンか?と思われる方もいらっしゃると思います。とんでもないです。「キッコーゴ」 は 「キッコーゴ」 です。数字的には 「萬」 に対して 「五」 ですから随分負けてますが(笑)。
scn-net.easymyweb.jp/member/4678/default.asp?c_id=46460

◆ 鳥取県鳥取市のキッコーナン。

◇ 鳥取の松茸料理について調べていたら変な文章を発見してしまいました。“マツタケをミリンと薄口のキッコーナン醤油で……” えっと、やっぱキッコーナンってタイプミスだよな。ところが調べてみると鳥取では本当にキッコーナン醤油というものが売られているようでして、秋田県にもあるようでして。
web.parknet.co.jp/neg/diary-200109-3.html

◆ 高知県宿毛市のキッコーマルキ。

◇ キッコーマルキ醤油の谷坂醸造有限会社。キッ○ーマンのパチモノではない。れっきとした幡多醤油の代表選手だ。
nobu-log.jugem.jp/?eid=460

◆ まだまだあるが、とりあえずこのへんにしておいて、それにしても全国各地にこれほどまでにキッコー印の醤油ブランドがあるのはなぜだろう? 《茨城県醤油工業協同組合》 の回答。

◇ 亀の甲羅を象ったキッコー印は、もともと土浦の亀城をロゴとして土浦製の醤油につけていたもの。商標登録などなかった時代に、醤油を意味する印として全国に普及しました。
www.numaya.co.jp/ibarakisyoyu/qa.html

◆ 詳しくはしらないが、そういうことなのだろう。そういえば、土浦の亀城にもいつだか仕事の途中に寄ったことを思い出した。調べると、2004年5月2日の日曜日だった。

◆ 梅雨の時期だが、あまり雨は降らない。雨よりは晴れの方がいいけれど、暑すぎる。

◆ 富山県を走るJR氷見線に 「雨晴」 という駅がある。駅を降りると、目の前がすぐ海だ。雨晴海岸。晴れた日に見える立山連峰が美しい。母方の実家から近かったので、子どものころ、夏休みのたびに泳ぎに行った。いままで 「あまばらし」 と呼ぶのだとばかり思っていたが、駅名板の表記は 「あまはらし」。

◇ 雨晴は 「あまばらし」 ですよね? でも 「あまばらし」 では変換できません。「あまはらし」 なら 「雨晴」 と出てきます。「あまばらし」・・・・ですよね?
www.imaichi-homes.co.jp/0605nikki/reo-2007/reo0703/reo0703.htm

◆ 日本語に詳しくないので、どちらが正しいものかよくわからないが、地元では 「あまばらし」 と濁って読んでいるひとが多い(と思う)。その方が語呂もいい(と思う)。雨晴という地名の由来はというと、

〔消防防災博物館〕 昔、源義経主従が奥州落ちのとき、今も海岸に残る巨石(義経岩)の下で、雨が晴れるのを待ったという言い伝えから雨晴海岸の名がある。
www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index2.cgi?ac1=B431&ac2=&ac3=1946&Page=hpd2_view

〔くにまる東京歴史探訪〕 源義経が兄・頼朝に追われ、奥州に落ち延びる途中、この地を通りかかった際、一転にわかにかき曇り、冷たい雨がザザーと落ちて来ました。これは大変、大切な主、義経様を濡らしてなるものか…と、怪力・武蔵坊弁慶があたりの岩をひょいひょいと積み上げ、あっという間に岩屋をこしらえ、ここで雨が上がるのを待った。それ以来、このあたりは 「雨が晴れる」 「雨晴」 と呼ばれるようになった…というわけです。
www.joqr.net/meister/kunimaru/060220.html

〔太田小学校〕 源義経と弁慶(べんけい)の伝説は日本中いたるところにありますが、県内でも雨晴は有名です。義経が東北に落ちのびる途中に雨にあいました。弁慶は雨をしのぐため、大岩を持ち上げて岩屋をつくったのが、義経岩です。そこで雨が晴れるのを待ったことから 「雨晴(あまはらし)」 という地名がつきました。
portal.takaoka.net/tanken/gakko/oota/oota.htm

◆ ということのようであるが、ワタシには 「雨が止むのを待つ」 ことが 「雨晴らし」 という表現になる理屈がすんなりとは理解できなかった。「雨を晴らす」 というからには、ただ雨宿りをして雨が止むのを待っているのだけでは足りなくて、雨を止ませるためのなにか積極的な行動が必要ではないか? そう思ったので、

◇ 昔、源義経が都を追われて奥州に落ちのびる際、この地で大雨に遭い、岩で雨宿りをしていると、氏神が現れ、義経が祝詞を述べると、雨がぴたりとやんだそうです。
homepage.mac.com/ueda_daisuke/2006hokuriku_sea/2006hokuriku_sea.html

◆ といった説明により惹かれもしたのだが、さらに別なサイトの

◇ 昔 義経が 兄の頼朝に 都を追われ 北陸から 奥州へと旅の途中 雨が降って来たので 弁慶が 岩を持ち上げて 雨をしのぐ場所を作り その下で 雨宿り(雨晴らし)をしたそうです
hirugano.at.webry.info/200607/article_17.html

◆ という説明で、「雨宿り(雨晴らし)」 と書かれているのをみて、ようやく 「雨晴らし」 には 「雨宿り」 という意味があるのかも? ということに思い至って、辞書を引くと、

はらす 【晴らす/▼霽らす】 雨などがやむのを待つ。
三省堂 『大辞林』

◆ とちゃんと書いてある。

〔平家物語協会〕 「源義経が奥州へ行く途中に、雨が降ってきて、雨を晴らした(雨宿りをした)ので、その名が付きました。」 という話を、保育園で聴いたような記憶が、有ります。『越中志徴』 に、「むかし、義経奥州下りの時、この磯を通られしに折ふし虚雨(にわかあめ)せしに、供奉の人は諸共にこの岩の下に入りて雨晴らしせられたるにより」 と、由来を記しています。
sv.cometweb.ne.jp/~asa/ty00.htm

◆ 「雨を晴らす」 とは 「雨宿りをする」 ということ。なんだ、そうだったのか。またひとつ日本語に詳しくなった。

◇ 真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で馳けてゐた。沿線の小駅は石のやうに黙殺された。
横光利一 『頭ならびに腹』 (青空文庫

◆ 「石のように黙殺された」 沿線の小駅はどんなだっただろう? あるいは、こんな風だったろうか?

◇ 世の中に、酒といふものさへなかつたら、私は或いは聖人にでもなれたのではなからうか、と馬鹿らしい事を大真面目で考へて、ぼんやり窓外の津軽平野を眺め、やがて金木を過ぎ、芦野公園といふ踏切番の小屋くらゐの小さい駅に着いて、金木の町長が東京からの帰りに上野で芦野公園の切符を求め、そんな駅は無いと言はれ憤然として、津軽鉄道の芦野公園を知らんかと言ひ、駅員に三十分も調べさせ、たうとう芦野公園の切符をせしめたといふ昔の逸事を思ひ出し、窓から首を出してその小さい駅を見ると、いましも久留米絣の着物に同じ布地のモンペをはいた若い娘さんが、大きい風呂敷包みを二つ両手にさげて切符を口に咥へたまま改札口に走つて来て、眼を軽くつぶつて改札の美少年の駅員に顔をそつと差し出し、美少年も心得て、その真白い歯列の間にはさまれてある赤い切符に、まるで熟練の歯科医が前歯を抜くやうな手つきで、器用にぱちんと鋏を入れた。少女も美少年も、ちつとも笑はぬ。当り前の事のやうに平然としてゐる。少女が汽車に乗つたとたんに、ごとんと発車だ。まるで、機関手がその娘さんの乗るのを待つてゐたやうに思はれた。こんなのどかな駅は、全国にもあまり類例が無いに違ひない。金木町長は、こんどまた上野駅で、もつと大声で、芦野公園と叫んでもいいと思つた。
太宰治 『津軽』 (青空文庫

◆ いまもむかしも、津軽鉄道に特急は走っていないだろうから、いまもむかしも、このステキな芦野公園という駅が黙殺される心配はないけれど、切符を口に咥えたモンペ姿の若い娘はもういないだろう。その切符に器用に鋏を入れる改札の美少年の駅員はもういないだろう。

◇ 氷見線で雨晴(あまはらし)へ行った。美しい砂浜のある町である。七〇年代末、ここで北朝鮮の工作員が日本人のカップルを拉致しようとして失敗したことがある。布袋をかぶせたが、男性の方に強く抵抗されて逃げ出したのだ。工作員は上は背広なのに、下はステテコ姿だったそうだ。私は北朝鮮にも拉致にもいくばくかの思いがあるが、雨晴で途中下車したのはそのせいではなかった。遠い昔の記憶のためである。
関川夏央 『汽車旅放浪記』 (新潮社,p.151)

◆ 雨晴のハナシを続けようと思っていたのだが、気が変わった。上の引用文の 「布袋をかぶせたが」 の 「布袋」 の漢字がとっさには読めなかった。ついアタマのなかでこれをホテイと読んでしまったのである。背広にステテコを着合わせるような人物なら、アタマに布袋様(ほていさま)を被せかねない。そんな気もして、それにしてもどうして布袋様なのだろうと不思議に思った。

〔Wikipedia〕 布袋尊(ほていそん)とは、日本では七福神の一柱であるが、元来は中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)のことである。本来の名は、釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称である布袋という名で知られる。
ja.wikipedia.org/wiki/布袋尊

◇  さらにいうと、この人物は、後梁(こうりょう)(九〇七~二三年)のころ(もしくは唐の末期)に、浮世にいたらしい。うまれたのは、この杭州からさほど遠からぬ、寧波(ニンポー)(当時、明州)の奉化である。
 名は、契此(かいし)という。禅僧であったというが、寺は持たず、居所も定めない。明州の奉化あたりで家をまわっては食を乞い、物をもらうと、杖にぶらさげている布袋(ふくろ)に入れた。いつもこのふくろをかついでいるところから、異名として布袋とよばれた。

司馬遼太郎 『街道をゆく 中国・江南の道』 (朝日文庫)

◆ さて、この布袋様、中国では弥勒菩薩ということになっている。弥勒菩薩というと、

◇ 日本人には、中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩(半跏思惟像)が有名ですが、中国に行けば、大きなお腹の布袋様が弥勒菩薩です。実在の布袋和尚が弥勒菩薩の生まれ変わりとされているから。あまりのイメージの違いに誰でも驚く。
160.29.86.21/religion/miroku.htm

◆ 土星人のワタシでも驚く。

◇ しかしその 「弥勒菩薩」 を見てまず驚きます。弥勒といいながら、そこにいるのは大きなお腹を抱えて大笑いする布袋和尚(ほていおしょう)だからです。中国では、布袋和尚が弥勒の生まれ変わりだといわれており、弥勒菩薩の像はすなわち布袋和尚なのです。日本人は 「あれが弥勒?」 と不思議な気持ちになります。
二階堂善弘 『中国の神さま』 (平凡社新書,p.15)

◆ 土星人のワタシでも不思議な気持ちになる。台湾の焼きものの町として知られる鶯歌で、ミニチュアサイズの布袋様の焼きものを土産に買ったことがある。布袋様を買ったつもりだったが、売った側は弥勒菩薩のつもりだったか? それにしても、なんともおちゃめな布袋様(弥勒菩薩)である。

◆ 日本でも、中国仏教の性格を色濃く残す黄檗山万福寺(京都府宇治市)には、天王殿に布袋様が、いや弥勒菩薩様が、どんと腹を突き出して座っておられる。

◇  六、七間先に犬の糞が落ちているのが見えた。だが、傍らへよけることはできない。よけたのでは歩数がふえてしまう。ではぽんと飛び越えることは? それもできない。「二歩で一間」 という物差しをこっちから狂わせるようなものである。
 「あの上へどちらの足も落ちねばよいが……」
 祈りながら近づいたが、祈ったりすると物事はとかく悪い目へ傾くようで、忠敬の左足は犬の糞の真上を踏んだ。雪駄がわずかにぬるりと滑り、白足袋の踵に汚物が付着したようだった。

井上ひさし 『四千万歩の男(1)』 (講談社,p.10)

◆ さて、この 「犬の糞」 の 「糞」 という漢字は、なんと読むべきだろう? フン? それともクソ? と、またまたどうでもいいようなコトが気になってしまったのである。以前、「伊勢屋稲荷に犬の糞」 のことを書いた。

◇ 諺ニ江戸ニ多キヲ云テ伊勢屋稲荷ニ犬ノ糞ト云也
喜多川守貞 『守貞謾稿』 第4巻(東京堂出版,p.98)

◆ これはトウゼン、犬のクソと読むものとばかり思っていたが、犬のフンと読むひともいるらしいことを知って、ちょっとびっくりしている。

〔朝日放送:歴史街道〕 これらの店の多くが 「伊勢屋」 の屋号を掲げていたので 「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞(ふん)」 と、含みのあるはやり言葉が生まれたほどだった。
www.asahi.co.jp/rekishi/2006-01-16/01.htm

◆ テレビではクソという読みは下品なので、フンにしたのだろうか、とも思ったが、

〔落語・講談によく出ることば 話芸“きまり文句”辞典〕 (火事に喧嘩に中っ腹、)伊勢屋、稲荷に犬の糞いせや、いなりにいぬのふん):【意味】江戸の市中で多く目についたものの代表をいうことわざ。
wageiidiom.cocolog-nifty.com/takmat/cat3249531/

〔Wikipedia〕 又江戸では伊勢出身の商人はかなり多かったらしく 「江戸名物は伊勢屋、稲荷に犬のふん」 と言われていた。
ja.wikipedia.org/wiki/伊勢商人

◆ というふうに、それ以外でもあちこちにフンが見つかるので、なにか根拠があるのかもしれない。けれども、その根拠がワタシには皆目わからない。やはり、クソという読みを “four-letter word” (忌み言葉)のようなものとして無意識のうちに避けたのではという気がする。

◇ 火事と喧嘩は江戸の華、といわれます。こんなものがしょっちゅうあったんでは、たまったものではありませんが、その他にも江戸に多かったものを表す言葉が残っています。いわく、「伊勢屋 稲荷に 犬の糞」。都築道夫氏によると、最後のは、「いんのくそ」 と発音するのが正しいそうです。
homepage3.nifty.com/capt-taka2/zatugaku/zatugaku7.htm

◆ 都筑道夫は江戸っ子らしいから、あるいはこれが正しいのかもしれないが、そうすると、また別なコトが気にかかる。イヌのクソではなくて、インのクソ。それではと、「いんのくそ」 を調べてみると、

◇ 例えば 「大工調べ」 という落語の中で切る啖呵に 「犬のくそでかたきをとる(卑劣な手段で復讐するという意味)」 という台詞があります。これを 「いぬのくそ」 ではなく 「いんのくそ」 と発音するのが江戸訛りなんですね。
back.shohyoumaga.net/?month=200511

◆ 志ん朝もそう発音したらしいから、 江戸弁では 「いんのくそ」 なのだろう。けれども、インノクソと発音するのは江戸だけではないようで、モノモライのことをインノクソと呼ぶ地域(九州)があるらしい。

◇ 佐賀弁では、「ものもらい」 のことを、「いんのくそ」 といいます。 なんで犬なのかは残念ながらわかりません。
www.bunbun.ne.jp/~kuri2/saga/020.html

◇ 一昨日から、「おひめさん」 ができている。左目に。ちなみに 「おひめさん」 とは 『ものもらい』 のことです。うちの近所では 「おひめさん」 と言います。ただ、「おひめさん」 と呼ぶと、頭にのってどんどん大きくなるので、「いんのくそ」 と呼ばなきゃいけないと近所のばあちゃんは言います。
kaoribatake.blog.ocn.ne.jp/yuko/cat4402539/

◆ 二番目の引用文の筆者は熊本のひと。長崎にはインノクソ横町が。

〔「ナガジン」発見!長崎の歩き方〕 犬の糞横町(いんのくそよこちょう)/これはどこか一定の場所の地名ではなく、ある条件が当てはまるとこう呼ばれるというニュアンスのもの。西浜町や銅座町、江戸町などにこう呼ばれる道筋があったといわれるが、その条件とは、道が狭くしかも不潔な感じの横町ってことらしい。各町でそう呼び合ったというが、決して自分の町のことは言わなかったところらオモシロイ。
www.at-nagasaki.jp/nagazine/hakken0606/index1.html

◆ などなど。探せばまだまだあるだろう。

◆ 犬の糞のつづき。

犬の糞(くそ) きたないもの、軽蔑すべきもの、数多くあるものなどをいうたとえ。
三省堂 『大辞林』

◆ ありふれた名字も犬の糞に例えられることがある。

◇ 鈴木、佐藤、高橋、田中、木村、山田、渡辺など、どこにもころがっているので、そんな苗字は 「犬の糞」 とかいわれてるとか、私もその犬の糞です。悲しい。
oshiete1.goo.ne.jp/qa2762988.html

◇ 「鈴木・佐藤は犬の糞」 ってあったなあ。どこにでもいる名字って事。今、犬の糞も見なくなったけどね。
piza.2ch.net/log2/hosp/kako/958/958591834.html

◇ 日本では 「佐藤斉藤犬の糞」、中国では 「張三李四」 (=張家の三男、李家の四男)というね。
tmp.2ch.net/asia/kako/1017/10178/1017899425.html

◇ クラスで唯一の 「佐藤」 を名乗った覚えはあまり無い。「佐藤後藤犬のクソ」 といって、佐藤と後藤は何処に行っても転がっているのだそうだ。くそ。この言葉には地方によって 「佐藤山田」 だとか 「佐藤斉藤」 だとかのバリエーションがある様なのだが、何にしても佐藤は必ず入っている様である。すなわち佐藤は後藤より山田より斉藤より、より犬のクソに近いという訳か。くそ。
yusen.rainy.jp/k051.html

◆ たしかに 「佐藤さんがいっぱい」 だったりすることもあるなあ。

◇ 渡辺という姓はかなり日本国内でも(当たり前か)ポピュラーな姓で,特に新潟には多いとされているのでした。そんなわけで 「佐藤渡辺犬の糞」 などという格言(ちがう)もあったりするわけなのでした。
www.on.rim.or.jp/~makosan/no0/isiya.html

〔臼杵の姓〕 ずいぶん前 「さとうごとうは、いんのくそ」 などと長老が語っていたが、佐藤姓はダントツ。
www.coara.or.jp/~myks4/sei/sei.html

◆ 臼杵市は大分県。佐藤が入っていないヴァージョンもある。

〔長崎でよくみる名字〕 あと、松尾はどこにでもおるやろ 松尾、山口、犬の糞(いんのくそ)って言うやん
www.nagasakids.net/n_ch/read.cgi?bbs=main&key=1010432349

◇ 宮崎県に住んでいるのですが、県北、特に高千穂を含む西臼杵郡では、「甲斐・興梠犬の糞」 と言われるほど、この二つの姓を持つ方が多いです。
q.hatena.ne.jp/1095527263

◆ 興梠は 「こうろぎ(こうろき)」 と読む。興梠木の木がいつのまにか脱落したらしい。

◇ とにかく北勢地域は伊藤、加藤が多く、「伊藤、加藤は犬のクソ」 なんていいます。(笑) どこでもころがっていると言う意味でしょうね。
www.hikoshima.com/bbs/heike/100421.html

◆ 北勢地域は三重県。四日市市を含む。

〔Wikipedia〕 白洲が理事を務めるゴルフクラブに、ある日秘書らしき若者から 「これから田中がプレイしますのでよろしく」 と挨拶があった。応対した彼が 「田中という名前は犬の糞ほどたくさんあるが、どこの田中だ」 と返したところ、「総理の田中です」 と返答があった。
ja.wikipedia.org/wiki/白洲次郎

◆ 白洲は白洲次郎、田中は田中角栄。つぎは犬ではなくて馬の糞。

◇ 私の名字でもある「佐藤」は日本全国で最も多い姓である。秋田県内においてもしかり。私の母が日頃から話している 「佐藤、高橋、馬の糞」 という言葉からも 「佐藤=日本一多い姓」 である、というのは般常識化しているのだろう。
www.mumyosha.co.jp/ndanda/05/medieval10.html

〔言葉の世界・伝言板〕 私の名字は 「佐藤」 です。「佐藤」 は全国でも多い名字ですが、これを言うのに、「佐藤、XXは馬のクソ」。昔は馬はそれくらい普通にいたんでしょう。(どこでこんな言葉覚えたんだか、記憶にない。辞典には載ってないし。)
www.asahi-net.or.jp/~hi5K-stu/bbs/bbs0003.htm

◆ あら、こちらもやっぱり佐藤さんだ。

◆ とある文房具屋さんにこんな貼り紙。店主お気に入りの名言集のようなものだろうか。あるいは習字のおけいこかもしれない。「その席にいない人を非難するな(アメリカ初代大統領ワシントン)」 とか 「君の考え方はまだ若いよ、人間短所を見たらどんな人間だってだめだ」 とか。それから、ワタシがいちばん気に入ったのがこれ。

◇ 「テレビでさ、料理をひとくち喰って、うまいという奴は信用しちゃいけません」
永六輔 『大語録 天の声地の声』 (講談社+α文庫,p.97)

◆ まったくそうですよね、とワタシがベテランの運転手Bさんに話しかけると、Bさんはすかさず、

◇ 「なんで? ひとくち喰って、うまいものはうまいじゃん?」

◆ と言ったので、ハナシが終わってしまった。しようがないので、あとでひとりで考えた。そもそもグルメ番組では 「まずい」 というコトバはあらかじめ禁じられているわけだから、予定調和的に発せられる 「うまい」 のひとことは、三文役者の台詞のようで、いかにも白々しく感じられる。あるいは、ひとくちで評価ができる料理というものはよほど単純な味付けなのではないか? 食事というのはもっと総合的なもので、ラーメンや丼といった単品メニューならまだしも、コース料理などはすべて食べ終わってからでないと評価できないはず。あれこれ。

◆ そうして、思い当たったことがひとつ。それは、ワタシは 「ひとめぼれ」 ということにあまり縁がないということだった。ひとくち食べておいしいと思える即座の反応がワタシには欠けているらしい(ひとくち食べてまずいと思ったことなら幾度もあるが)。衝動買いという経験もあまりない。服や靴でも、しばらく身に着けているうちに、からだになじんでくるものがあって、そのときに初めて、「ああ、これはいいものだな」 と思う。ワタシはそんな性格なので、「運命の出会い」 といったようなハナシを聞いてもあまりピンとこない。たいていは、カン違いだろう、と冷ややかに見つめるだけである。料理にたいしても、きっと同じことなのだろう。あるものを食べてからずいぶんと経ったころに、「ああ、またあれが食べたいな」 と思い、そのことで初めてその料理が好きなことに気がつく。そんな人間が、時間の制約によってすべての判断をその場で要求するようなテレビのグルメ番組を好きになれるわけがない。

◆ 職業に貴賎はないが、好き嫌いはある。

◆ 永六輔の 『大語録』 という本をせっかく図書館から借りてきたので、パラパラとページをめくっていると、

◇ 「広告代理店にも、いい人はいます。でも、いい広告代理店はありませんよ」
永六輔 『大語録 天の声地の声』 (講談社+α文庫,p.111)

◆ この文章をヒナガタとして、広告代理店をほかのコトバに置き換えてみるのもおもしろい。社会保険庁とか。緑資源機構とか。特殊法人とか。マスコミとか。いや団体であれば、業種を問わず、ほどんどの団体にマッチするヒナガタであるかもしれない。組織とはそういうものかもしれない。

◆ 内田樹がブログでこんなことを書いていた。

〔内田樹の研究室〕 代理店がらみの仕事は前に一度だけやったことがある。そのときに 「今後二度と広告代理店がらみの仕事はしない」 と堅く心に誓ったのである。別に代理店でお働きになっている個々の方々に怨みがあるわけではない。業界の風儀が私の肌には合わなかったというだけである。別に一般論として 「広告業界はよくない」 などという非道なことを申し上げる気はない。私はそちら方面の仕事は性に合わないのでやらないというだけのことである。したい方はどんどんなされればよい。私はそういうこととには不案内な人間なので、そちら方面には足を向けない。東は東、西は西。
blog.tatsuru.com/archives/001319.php

◆ 広告代理店はいまでも人気の業種であるのだろう。こんな就職希望者がいる。

〔毎日就職ナビ:エントリーシート添削講座〕 また広告のターゲットは人の心であり、そこにダイレクトにアプローチできるので、それを見た人とも繋がりがもてることも広告業界ならではだと思います。実際、私も朝日新聞のジャーナリスト宣言の広告を見たとき、言葉の儚さや葛藤から抜け出し、前向きに言葉と付き合おうと思ったことを覚えています。私も、ただ商品を宣伝するだけでなく、人生が少しだけ楽しくなるような広告がつくりたいです。
job.mycom.co.jp/08/pc/visitor/2008conts/es/4/contents/all/4.html

◆ 朝日新聞の 「ジャーナリスト宣言。」 の広告ポスターはこんなのだった。「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」。どこの広告代理店が作ったのかはしらないが、どれだけの費用がかかったのかはしらないが、この広告にどんな効果があったのだろうと不思議に思う。逆効果も効果のうちか?

◆ べつな広告のことも思い出した。これについては、以前 「不気味な広告」 で書いた。

◇ 命は大切だ。命は大切に。そんなこと何千何万回言われるより 「あなたが大切だ」 誰かがそう言ってくれたらそれだけで生きていける。

◆ いま見直しても不気味だ。こんな言葉のチカラなどワタシにはとてもじゃないが信じられない。

◆ あと、見るたびに腹立たしいのがJRAのポスター。これについては 「JRAのメインキャラクター」 に書いた。ワタシの投資した少なからぬお金が、どこの馬の骨ともわからぬタレントの懐に入っているかと思うと、まったく腹立たしい。これはまったくの私憤であるが、義憤を感じることもある。

◆ 毎日新聞にこんなニュース。《クールビズ:キャンペーン日当、1人当たり7万6300円》

◇  クールビズなど地球温暖化防止を訴えるキャンペーンのため、環境省が大手広告代理店 「博報堂」 に支払う日当(1日7時間)が最大で1人当たり7万6300円に上ることが分かった。時給なら1万円を超える計算だ。19日の参院文教科学委員会で、民主党の蓮舫委員が、環境省の資料を分析した結果として明らかにした。契約は05年度から3年連続で結ばれており、今年度の総費用は約27億円、3年間では80億円を超える見通し。
 蓮舫委員は、高額過ぎると迫ったが、環境省は 「広報のための費用として妥当で、無駄遣いではないが、指摘は参考にしたい」 と話している。
 分析の対象とされたのは、06年10月から今年3月までにキャンペーンの運営にかかった人件費9640万円。博報堂の社員に対する日当は、プロジェクトリーダーが7万6300円で最も高く、主任級が5万5300~6万4400円、一般スタッフが3万2900~4万4100円だった。
 また、06年度は博報堂の社内にキャンペーン事務所が置かれたが、下半期だけで約990万円の経費が計上された。同省によると、電話代や光熱費、博報堂社員とは別に電話応対をするスタッフの人件費などが含まれるという。【山本建】
毎日新聞 2007年6月19日 23時42分 (最終更新時間 6月19日 23時55分)

www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070620k0000m010150000c.html

◆ この金額、大手広告代理店に支払う費用としては妥当であるのかもしれないが、それが 「無駄遣い」 でないかどうかはまた別な問題だろう。このキャンペーン費用に見合った効果が得られなかった場合の責任はいったい誰がとるのだろう?

◆ 学生のころ、一度だけ広告代理店の仕事をしたことがある。数時間でデタラメなフランス語の翻訳をして、10万円の報酬。生まれ変わったら、そのときはぜひ広告代理店に就職したいものだ。

  熱発

◇ たとえば、九州の島津薩摩守様は、この川崎宿にお入りになると決まって熱発なさる……
井上ひさし『四千万歩の男(4)』(講談社,p.198)

◆ 発熱ではなく熱発(ねっぱつ)。ワタシはこれを競馬用語だと思っていた。たとえば、

〔日刊スポーツ〕 今週日曜の「第68回オークス」(G1、芝2400メートル、20日=東京)の1番人気候補だったダイワスカーレット(牝3、松田国)が17日に、熱発が発覚。出走を回避することが決定した。管理する松田国師は「前日の体温は37度8分~37度9分を維持していたのに、17日の朝は39度を超えていた。輸送もしなくてはならないし、これでは全能力を発揮できない。だから競馬を使わないことに決めて、獣医に速やかに処置をしてもらった」と明かした。[2007年5月17日11時35分]
www.nikkansports.com/race/f-rc-tp0-20070517-200014.html

◆「競馬を使う」(レースに出走する)なんてのもビミョウに競馬用語であろうけれど、「熱発」もまた同じ。

〔競馬用語辞典〕 熱発【ねっぱつ】 風邪などの原因で馬が発熱すること。
www.kappagi-keiba.net/dictionary_view_word.php?wordid=318

◆ けれども、この「熱発」、競馬用語にとどまらず、医学用語でもあるらしい。

◇ 昼間まで元気だった妹が熱出してます(’・ω・) 熱発ですねー(医療用語だと、「発熱」じゃなくて「熱発」なんですよねー)
miuyumimiyu.cocolog-tcom.com/coco/2007/01/post_452e.html

◇「熱発」という言葉、懐かしいです。友達が看護士してるんですが、昔よく「ねっぱつ」と言っていたのを思い出しました。医療系に携わる方は大体そうおっしゃいますよね。
kazu-rerere21.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_452e.html#comments

◇ 普通の人は「発熱」って言うんでしょうが、こういう医療的・介護的な仕事してると、熱が出ること「熱発」って言います。とは言え、ここのところ私の熱発は正直珍しいことではありません。
ricordi.blog.ocn.ne.jp/treasure_of_life/2007/06/post_5220.html

◆ また、軍隊(自衛隊)用語でもあるらしい。

◇ 軍隊では発熱することを「発熱」とはいわずに、「熱発」(ねっぱつ)という。
www.srif9920.net/senzin/index.asp?sdid=6

◇ ちなみに・・・戦中派の父は、“洗面器” を “面洗器”、“発熱” を “熱発(ねっぱつ)”・・・
bbs3.sekkaku.net/bbs/?id=siritori2

◇ パラオ仮入隊中悪寒戦慄し四十度近い熱発ありマラリアではないかと心配したが検査の結果マラリアではなくデング熱らしいとの事であった。
www.saganet.ne.jp/critical/senkizumosaburou.html

〔自衛隊用語集〕 熱発就寝(ねっぱつしゅうしん) 読んで字のごとく、熱出して寝込んでること。点呼のときなど、欠席者の内訳を報告するときに「○○一士熱発就寝!」などと報告する。一般の看護婦さんとかも使う言葉である。
mokei-albion.net/jieitaiyougo.html

◆ また、沖縄方言でもあるらしい。

◇ あとさ、沖縄の人は熱が出たら、熱発っていうさ~。本土は発熱。。。。最初、熱発っていってたら、みんな、はぁ~~?状態。。。。でも、この前、医者のカルテみたら、熱発ってかきよった!!! 沖縄の人かね~~~???
plaza.rakuten.co.jp/yutoyonohaha/diary/200511050000/#comment

◇ ちなみに熱が出ることを沖縄では、熱発(ねっぱつ)と言います。「今日、熱発なので、会社を休ませてください。」 こんな風に使います。
www.melma.com/backnumber_42572_3571471/

◇ ネイティブ沖縄の皆さん 「熱発」は標準語ではないよ 方言です 正しくは「発熱」ですからね
blog.livedoor.jp/kai_kuboi/archives/cat_731478.html

◆ というわけで、だれかの日記に、たとえば「ちょっと前から熱発して、呼吸もだんだん苦しくなってきた」とあるのを読んだ場合に、その作者が、なにゆえに「熱発」というコトバを用いているのかを知るのはそう簡単なことではない。競馬好きなのかもしれないし、医者なのかもしれないし、自衛隊員であるかもしれないし、沖縄出身者であるかもしれないし、あるいは?

◇ 午後四時半体温を験す、卅八度六分。しかも両手なほ冷、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。雨は今朝よりふりしきりてやまず。
正岡子規『墨汁一滴』(青空文庫