◇ 氷見線で雨晴(あまはらし)へ行った。美しい砂浜のある町である。七〇年代末、ここで北朝鮮の工作員が日本人のカップルを拉致しようとして失敗したことがある。布袋をかぶせたが、男性の方に強く抵抗されて逃げ出したのだ。工作員は上は背広なのに、下はステテコ姿だったそうだ。私は北朝鮮にも拉致にもいくばくかの思いがあるが、雨晴で途中下車したのはそのせいではなかった。遠い昔の記憶のためである。
関川夏央 『汽車旅放浪記』 (新潮社,p.151)
◆ 雨晴のハナシを続けようと思っていたのだが、気が変わった。上の引用文の 「布袋をかぶせたが」 の 「布袋」 の漢字がとっさには読めなかった。ついアタマのなかでこれをホテイと読んでしまったのである。背広にステテコを着合わせるような人物なら、アタマに布袋様(ほていさま)を被せかねない。そんな気もして、それにしてもどうして布袋様なのだろうと不思議に思った。
◇ 〔Wikipedia〕 布袋尊(ほていそん)とは、日本では七福神の一柱であるが、元来は中国唐末の明州(浙江省)に実在したとされる異形の僧・布袋(ほてい)のことである。本来の名は、釈契此(しゃくかいし)であるが、常に袋を背負っていたことから付いた俗称である布袋という名で知られる。
ja.wikipedia.org/wiki/布袋尊
◇ さらにいうと、この人物は、後梁(こうりょう)(九〇七~二三年)のころ(もしくは唐の末期)に、浮世にいたらしい。うまれたのは、この杭州からさほど遠からぬ、寧波(ニンポー)(当時、明州)の奉化である。
名は、契此(かいし)という。禅僧であったというが、寺は持たず、居所も定めない。明州の奉化あたりで家をまわっては食を乞い、物をもらうと、杖にぶらさげている布袋(ふくろ)に入れた。いつもこのふくろをかついでいるところから、異名として布袋とよばれた。
司馬遼太郎 『街道をゆく 中国・江南の道』 (朝日文庫)
◆ さて、この布袋様、中国では弥勒菩薩ということになっている。弥勒菩薩というと、
◇ 日本人には、中宮寺や広隆寺の弥勒菩薩(半跏思惟像)が有名ですが、中国に行けば、大きなお腹の布袋様が弥勒菩薩です。実在の布袋和尚が弥勒菩薩の生まれ変わりとされているから。あまりのイメージの違いに誰でも驚く。
160.29.86.21/religion/miroku.htm
◆ 土星人のワタシでも驚く。
◇ しかしその 「弥勒菩薩」 を見てまず驚きます。弥勒といいながら、そこにいるのは大きなお腹を抱えて大笑いする布袋和尚(ほていおしょう)だからです。中国では、布袋和尚が弥勒の生まれ変わりだといわれており、弥勒菩薩の像はすなわち布袋和尚なのです。日本人は 「あれが弥勒?」 と不思議な気持ちになります。
二階堂善弘 『中国の神さま』 (平凡社新書,p.15)
◆ 土星人のワタシでも不思議な気持ちになる。台湾の焼きものの町として知られる鶯歌で、ミニチュアサイズの布袋様の焼きものを土産に買ったことがある。布袋様を買ったつもりだったが、売った側は弥勒菩薩のつもりだったか? それにしても、なんともおちゃめな布袋様(弥勒菩薩)である。
◆ 日本でも、中国仏教の性格を色濃く残す黄檗山万福寺(京都府宇治市)には、天王殿に布袋様が、いや弥勒菩薩様が、どんと腹を突き出して座っておられる。