MEMORANDUM

  雨を晴らす

◆ 梅雨の時期だが、あまり雨は降らない。雨よりは晴れの方がいいけれど、暑すぎる。

◆ 富山県を走るJR氷見線に 「雨晴」 という駅がある。駅を降りると、目の前がすぐ海だ。雨晴海岸。晴れた日に見える立山連峰が美しい。母方の実家から近かったので、子どものころ、夏休みのたびに泳ぎに行った。いままで 「あまばらし」 と呼ぶのだとばかり思っていたが、駅名板の表記は 「あまはらし」。

◇ 雨晴は 「あまばらし」 ですよね? でも 「あまばらし」 では変換できません。「あまはらし」 なら 「雨晴」 と出てきます。「あまばらし」・・・・ですよね?
www.imaichi-homes.co.jp/0605nikki/reo-2007/reo0703/reo0703.htm

◆ 日本語に詳しくないので、どちらが正しいものかよくわからないが、地元では 「あまばらし」 と濁って読んでいるひとが多い(と思う)。その方が語呂もいい(と思う)。雨晴という地名の由来はというと、

〔消防防災博物館〕 昔、源義経主従が奥州落ちのとき、今も海岸に残る巨石(義経岩)の下で、雨が晴れるのを待ったという言い伝えから雨晴海岸の名がある。
www.bousaihaku.com/cgi-bin/hp/index2.cgi?ac1=B431&ac2=&ac3=1946&Page=hpd2_view

〔くにまる東京歴史探訪〕 源義経が兄・頼朝に追われ、奥州に落ち延びる途中、この地を通りかかった際、一転にわかにかき曇り、冷たい雨がザザーと落ちて来ました。これは大変、大切な主、義経様を濡らしてなるものか…と、怪力・武蔵坊弁慶があたりの岩をひょいひょいと積み上げ、あっという間に岩屋をこしらえ、ここで雨が上がるのを待った。それ以来、このあたりは 「雨が晴れる」 「雨晴」 と呼ばれるようになった…というわけです。
www.joqr.net/meister/kunimaru/060220.html

〔太田小学校〕 源義経と弁慶(べんけい)の伝説は日本中いたるところにありますが、県内でも雨晴は有名です。義経が東北に落ちのびる途中に雨にあいました。弁慶は雨をしのぐため、大岩を持ち上げて岩屋をつくったのが、義経岩です。そこで雨が晴れるのを待ったことから 「雨晴(あまはらし)」 という地名がつきました。
portal.takaoka.net/tanken/gakko/oota/oota.htm

◆ ということのようであるが、ワタシには 「雨が止むのを待つ」 ことが 「雨晴らし」 という表現になる理屈がすんなりとは理解できなかった。「雨を晴らす」 というからには、ただ雨宿りをして雨が止むのを待っているのだけでは足りなくて、雨を止ませるためのなにか積極的な行動が必要ではないか? そう思ったので、

◇ 昔、源義経が都を追われて奥州に落ちのびる際、この地で大雨に遭い、岩で雨宿りをしていると、氏神が現れ、義経が祝詞を述べると、雨がぴたりとやんだそうです。
homepage.mac.com/ueda_daisuke/2006hokuriku_sea/2006hokuriku_sea.html

◆ といった説明により惹かれもしたのだが、さらに別なサイトの

◇ 昔 義経が 兄の頼朝に 都を追われ 北陸から 奥州へと旅の途中 雨が降って来たので 弁慶が 岩を持ち上げて 雨をしのぐ場所を作り その下で 雨宿り(雨晴らし)をしたそうです
hirugano.at.webry.info/200607/article_17.html

◆ という説明で、「雨宿り(雨晴らし)」 と書かれているのをみて、ようやく 「雨晴らし」 には 「雨宿り」 という意味があるのかも? ということに思い至って、辞書を引くと、

はらす 【晴らす/▼霽らす】 雨などがやむのを待つ。
三省堂 『大辞林』

◆ とちゃんと書いてある。

〔平家物語協会〕 「源義経が奥州へ行く途中に、雨が降ってきて、雨を晴らした(雨宿りをした)ので、その名が付きました。」 という話を、保育園で聴いたような記憶が、有ります。『越中志徴』 に、「むかし、義経奥州下りの時、この磯を通られしに折ふし虚雨(にわかあめ)せしに、供奉の人は諸共にこの岩の下に入りて雨晴らしせられたるにより」 と、由来を記しています。
sv.cometweb.ne.jp/~asa/ty00.htm

◆ 「雨を晴らす」 とは 「雨宿りをする」 ということ。なんだ、そうだったのか。またひとつ日本語に詳しくなった。

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